2018年12月27日木曜日

2018走り納め

先日、25日が休みだったので、ぶらっと近場に走り納めに行って来ました。
走り納めと言っても、片道30分ほどの軽いものです。
行き先は、呑吐ダム。
神戸市と三木市の境ぐらいにあるダムで、神戸界隈のライダーには有名です。
休日に行くと、10台ぐらい止まっていることが多いですからね。
元々は23日に走り納めをしようと思っていたんですが、午前中の快晴から一転して、午後は曇り時々雨で、バッチリ装備を整えて出掛けようと玄関を出てみたら雨がポツポツ・・・
茫然自失でその日は断念しました(> <)
そんなわけで、リベンジの25日なわけです。
この日は、午前中は前日の残作業のような仕事の電話がちょいちょい掛かって来てましたが、天気が悪くならないか気が気でない。
気温が上がってくる午後になって、ようやく出発。
いつものように、田舎道を抜け、三木の防災都市の近くのちょっとした峠道を抜け、呑吐ダムへ。
気温もそこそこ上がってきてて、気持ちいいですな。
この日は平日ということもあって、バイクは3台でした。
 
 
2018年もこれで走り納め。
今年は春も秋も長距離を走ったから、満足感がありますな。
来年もいっぱい走るぞ!
 

2018年12月20日木曜日

西郷どん終了

この前の日曜で、大河ドラマの西郷どんが終わりましたね。
今まで、幕末維新ものは、どうしても維新が成ると達成感で出て見なくなってしまってましたが、今回は完走できました。
相変わらず、予算や時間の関係で、戦場のシーンが少なかったり、ナレ死と呼ばれる、ナレーションでサラッと死んだことが知らされる人物も多かったですが、個人的にはなかなか面白かったです。
感心したのは、隆盛を演じる鈴木亮平が短期間にあれだけ体重を増やしてきたこと。
さすが俳優ですね。
もともとガッチリ体形の人ですが、二重顎でおなかもでっぷりという、西郷隆盛の体形を作ってきたのは凄い。
どうもそういう体重管理が得意な俳優さんみたいで、過去にも体重の増減を数10kgの単位でやってきているという記事を見ました。
あまり減らない我が身の腹回りを省みつつ、ただただ感心するばかりですわ(^^;)
それ以外では、個人的にハマリ役だったのは青木崇高ですかね。
自分の中のイメージでは、久光は良い家のぼっちゃんらしくもう少し上品ではあるんですが、傲慢さや頑固さ、行動の空回りなどはなんともうまく演じていたように思います。
微妙な滑稽さみたいなものがよく出ていたな、と。
西郷隆盛が薩摩に下野した後は、なんか知らんけどめっちゃいい人になってましたけどね(笑)
 
西郷どんが終わり、来年は東京オリンピックの話ですか。
それもフィクションらしい。
ん~~来年は見ない気がするなぁ(^^;)
その次の明智光秀は、近年の本能寺の変に関する研究の成果が反映されそうで楽しみなんですがねぇ
 

2018年12月13日木曜日

兵庫のお城の水彩画展

神戸新聞にこんな記事がありました。
 
中世播磨の山城、水彩画などで紹介 測量調査の木内さん 加古川
 
ほう、こんな展示会をやっているのか。
というわけで、ちょうど加古川に行く用事もあり、早速行って来ました。
会場の松風ギャラリーは、加古川市役所の近くにあります。
ギャラリーの近くには、高砂線の記念モニュメントが。
 
 
そういえば高砂線って、はるか遠い昔に聞いたことがありますな。
廃止は国鉄民営化の少し前とのこと。
少し調べてみると、高砂の工場地帯への貨物や、国鉄高砂工場へ車両を運ぶのが主な機能だった線で、この野口駅では別府鉄道と接続していたようです。
もう、今はどちらも廃線になってしまいました。
時の流れ、時代の流れを感じますね。
今は再び鉄道貨物が見直されてきていますが。
 
このモニュメントの北側にあるのが松風ギャラリーです。
 
 
最初、間違って2階から入ってしまったのはご愛敬(^^;)
なんかクリスマスの歌の発表会をしてました。
1階に水彩画の展示があり、10人ほどが居て、なかなか盛況の模様。
この水彩画を描いた木内さんは、城をメジャーで測量したというから凄いですね。
平城ならともかく、山城ともなると、整備されていなければ藪との戦いになりますから。
整備されていない城を知ってるだけに、凄いとしか言いようがありませんな。
最近は歴史ブームもあってか、観光資源としての役割もあってか、随分と整備された城も増えましたが、20年ぐらい前は辿り着く情報すらほとんど無いなんて城も多かったですしね。
裏側に浮かぶ困難も含め、休日の午後になかなか良いものを見させて頂きましたわ(^^)
 

2018年12月8日土曜日

中国の通信機器企業を巡る動き

先日、こんなニュースが出ていました。
 
ファーウェイとZTEの製品、政府調達から排除
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181206-OYT1T50102.html
 
アメリカ政府が同盟国に対して、ZTE及びファーウェイ製の通信機器の排除を求めていましたが、それに対応した形なんでしょうね。
これに先立ち、カナダではファーウェイのCFOが逮捕されました。
 
ファーウェイCFO、カナダで逮捕。米当局が要請 ── 上院議員は逮捕を称賛

嫌疑は、ZTEと同じくイランへの輸出に関するもので、このまま行けば、ZTEと同じような制裁が発動される可能性がありますな。
いずれにしても、中国製の通信機器にはセキュリティの懸念がついて回っており、事実、10月にはスーパーマイクロコンピュータ製のハードウェアの中にハッキング用チップが見つかっています。
また、日本に先立ち、オーストラリアが排除を決めたほか、イギリスの諜報機関であるMI6の長官は排除するよう警告を出しました。
また、上は5Gの話ですが、イギリスのBTは、4Gからも2年内に排除する方針とのこと。
British Telecomと言えば、イギリスにおけるNTTのような巨人で、公的な性格すらある企業です。
当たり前の話ですが、同盟軍の間では情報がやり取りされる為、どこかにセキュリティホールがあれば、それは同盟軍全体に影響が波及しますから、安全保障上、米軍の処置は至極当たり前で、脱EU化を進めるイギリスとしても、この反応は当たり前と言えます。
ところが、NATO軍の主要国のひとつであるドイツは、参入企業に関しては障壁を設けないと明言しました。
アメリカは、安全保障については特に厳しい印象ですが、NATOはどうなっていくんでしょうかね。
 
再び日本の話に戻すと、日本国内では、ソフトバンクがファーウェイと5Gについての実証実験を進めていました。
その中での、このファーウェイ排除の状況。
まだ、通信網の整備は大規模には進めていないと思いますが、もしかしたら、5Gに関しては設備の再整備が必要になるかも知れませんね。
先日の大障害のイメージも残る中、今年最大のIPOと言われるソフトバンクの上場に影響が出るのかどうか、気になるところですな。
 

2018年12月3日月曜日

2018G20

今年のG20が終わりましたね。
米中の貿易衝突が何かと懸念された1年でしたが、最後まで双方ともに強硬な姿勢というのは避けられた感じです。
しかし、内容はと言えば、色々と報じられているのを見る限り、新たな引き上げが見送られただけで、実質的にただの先延ばしに過ぎません。
トランプ大統領は、元々G20や多国間交渉には消極的ですが、今回も特に何も語らずに帰国しました。
米中で合意はありましたが、それを先に発表したのが中国側で、米国は遅れて発表しています。
論調も、中国側は合意を示したい感じである一方、アメリカはと言うと、90日という明確な期限を区切ったことが重要視されているようですね。
この温度差が、両国の現状を表しているのかもしれません。
当面、攻防が入れ替わることはなさそうですな。
 
このG20では、懸念されながらも声明が出されましたが、その29項目に、不公正な取引に関することが記されていました。
つらつらと読んでみると、「国有企業における腐敗防止及び清廉性の確保に関する原則」という事項に言及されており、パッと見は中国に対する牽制のように思えます。
しかし、最近のニュースなんかを見てると、フランスにもこれが当てはまるんですよね。
安倍首相がわざわざ、
「今後のアライアンスのあり方は政府がコミットするものではない。当事者の納得いく形で議論が建設的に進むことを期待する。」
と首相会談で述べたのも、このようなことを念頭に置いていたんでしょう。
端的に言えば、フランス政府は提携に口を出すなと。
一方のマクロン大統領はと言えば、支持率が20%台と非常に低迷し、パリでは暴動も起こっています。
こちらはこちらで挽回に必死。
ルノーと日産の話は、雇用にも影響が出る話ですし、絶好の得点稼ぎと考えている可能性が高そうです。
また、渦中のゴーン元会長には、犯罪に問えないのではないかという見方も出ており、こちらもまだまだ紆余曲折がありそうですな。
 

2018年11月27日火曜日

anacondaをイントラで

ここ最近、もう少しデータ分析を柔軟的にやりたいというような必要性がありまして、以前に少し触ったpythonが、そういう分析や機械学習などのライブラリが充実しているということだったので、それなら使ってみようかと導入してみました。
導入したのは、以前から簡単だと聞いていた、Anacondaというディストリビューション。
自分で色々と考えてパッケージセットを考えるのも楽しいですが、今回はお手軽に一通り揃っているAnacondaが手早くていいかな、と。
そんなに高度な事もしないしね。
導入予定の端末は64bitのWindows10ですが、問題は、通信環境がイントラネットだということ。
Anacondaが簡単だと言っても、それはオンライン環境での話。
普通であれば、簡単にパッケージを選択して導入可能なんですが、そのリポジトリを見に行けない端末ではどうなのかという不安がありました。
ま、悩んでても始まらないので、Anacondaのインストーラーをダウンロードしてみると、なんと600MB以上もあるじゃないですか。
この大きさなら、パッケージも全部込みやなと、安心しました。
そのまま媒体経由でイントラの端末へ持っていき、実行。
サクッとインストール成功。
驚くほど簡単やがな・・・
これはいい!
ただ、イントラ環境にはブラウザがEdgeとIEしか無かったので、JupyterLabなどは対応しておらず、Chromeを別に導入しましたが。
 
そんなこんなで、小手試しにポチポチと触っていましたが、データがDBF拡張子のeBASEファイルで提供される場合が多い為、いちいちCSVに落としてから取り込むのはちょっとめんどくさかったんですね。
しかし、DBFファイルを扱うパッケージは、標準では入っていないので、別途導入する必要がありました。
ここに再びイントラネットの壁が!
オフライン環境でどうやって導入するんだろうか。
ただ、パッケージ自体は、開発元を探さなくとも、Anaconda cloudで提供されていました。
後は、このソースファイルをどうやって認識させるかだけ。
ちなみに、どうもPython 3.7以降のパッケージはアーキテクチャに依存しないようになっているんですかね。
noarchとなっているパッケージが多く、OS別では3.6までが用意してあり、どっちなら対応してるねん!的な事も、戸惑う要因ではありました。
さて、ファイルを直に認識させる方法ですが、ネットで色々見てみてもあんまりヒントになるページが無いんですよね。
ネットに接続している端末にAnacondaを導入して仮想環境を作り、それをざっくりオフライン端末に移してくるのが簡単そうにも思えましたが、使いもしないのにネット接続端末に環境を作るのもねぇ・・・
パッケージを直接pipでインストールすれば入りそうな感じでしたが、色々とオプションが違うし、condaとpipを併用すると環境が壊れることがあるとかも書いてあったし・・・
こんな感じで数時間迷った挙句、ファイルをcondaから直接インストールする方法に決め、色々試してみました。
しかし、オプションを変えながら何度もconda installを試しましたが、やっぱりエラーを吐く。
これでもないな、あれでもないなと色々探していると、英文のQAサイトに、
> conda install ファイル名
で入るよ~的な内容が!
え?一番シンプルな方法で入んの?
早速試してみると、
 
Downloading and Extracting Packages.
#########・・・100%
Preparing transaction: done
Verifying transactino: done
Executing transaction: done
 
その間、僅か数秒。
何も考えんと打ってみたら良かったんや~~・・・(;;)
 

2018年11月20日火曜日

逮捕にびっくり

昨日、びっくりするニュースが出ましたね。
経営危機に陥った日産を立て直し、現在は代表取締役会長の職にあるカルロス・ゴーン氏が逮捕されました。
容疑は、50億円にも上る有価証券報告書への虚偽記載と、当然ながらそれにまつわる脱税、そして日産の発表によると、私的流用もあったそうですから、背任罪にも問われそうですね。
ちなみに、今年から司法取引が日本でも開始されており、ゴーン氏と共謀していたとされる同じく代表取締役のグレゴリー・ケリー氏から指示を受けていた社員が、取引に応じたようです。
日本の企業トップの報酬は、世界的に見て少なく、日産のゴーン氏やソニーのストリンガー氏などの報酬の高さが目立っていましたが、ゴーン氏にすればそれですら少なかったということでしょうか。
自分のような庶民から見れば、億の報酬でも凄いもんなんですが、上を見ればキリが無いんでしょうね・・・
いやはや、良くも悪くもスケールが大きい話ですわ(^^;)
しかし、大企業のトップがいきなり逮捕というのは、ちょっと尋常ではありませんな。
額が額だけに、特捜部も強気に動いた可能性がありそうです。
司法取引で証拠も十分でしょうし。
しかし、日産は、ルノーが40%以上の株を持っていますが、今後、どうなるんでしょうね。
両社には、独立や経営統合の話が出ては消えを繰り返しています。
どちらに動くかは分かりませんが、間違いなく今後はこの事件の影響を受けるでしょう。
なんと言ってもゴーン氏はルノー出身で、三菱自動車を含めた3社の会長なのですからね。
ゴーン路線とは別に統合になるのか、それとも事件を契機に独立へと傾くのか、気になる所です。
 

2018年11月14日水曜日

ぶらり篠山

九州ツーリングを予定していながら、台風と木枯らし1号に打ちのめされた2017年の秋のツーリング。
なんとか日帰りツーリングには行けましたが、あまりにも悔しい。
というわけで、その翌週には、突発的にささっと準備して篠山へと出掛けました。
神戸から篠山は山ひとつ向こう程度の感覚がありまして、お手軽に舞鶴若狭道で直行です。
秋の篠山は数年振りですが、この黒豆の季節は相も変わらず混んでますな。
国道372号線の西行きが、大変な混みようです。
京阪方面から来る車が多いんでしょうね。
今回は通りませんでしたが、国道372号線は、何年か前に反対の姫路方面から来た時も、東行きが延々と混んでいました。
これが夕方になると、それぞれ反対方向が凄く混むんですよね。
人の流れや目的が分かりやすい(^^;)
そう考えると、今回はあっさり市街地に入れたので、時間を選んで高速で来るのが一番早いのかもしれませんね。
 
篠山に突入した後は、渋滞を尻目に国道372号線を西へ西へと走り、日置地区から北へと入る脇道を抜け、国道173号線に出て左折すると、細工所という地区に出ます。
この細工所にあるのが荒木城とも呼ばれる細工所城で、荒木鬼の異名を取った荒木氏綱の居城でした。
この城には、以前、下まで来たことがあり、残念ながら日没時間が迫っていたので登城を諦めたんですが、そのこともあって登城口なんざ知ってるぜ的に余裕をぶっこいてると、ものの見事に細工所の集落へ入るタイミングを見失い、多紀小学校までうっかり走ってしまうことに。
油断は禁物ですな(^^;)
気を取り直してUターンし、改めて細工所の集落へ入ると、すぐに城の表示が現れました。
 
 
この裏には説明が。
 
 
そこから集落へ入って行くと、すぐに案内が出ています。
 
 
おお簡単やん!と、上の写真の民家の横の道を進んで行くと・・・登城口が無い。
しばらく探し回りました。
写真をよく見ると矢印が2つ付いていますね。
それは、恐らく間違いが多いから。
後から付け足されたと思しき赤い矢印が正確でした。
登城口はこの民家の右手なんですね。
初っ端から躓きましたわ(^^;)
気を取り直して登山道へ。
山へ入ってすぐ、里城のような削平地に出ます。
 
 
上の写真は削平地の端ですが、全体を散策してみると結構広く、2段構成になっていて、上段の切岸もなかなか急でした。
織田軍がこの城を攻めた際の陣城という説もあるようですが、頂上の細工所城まで登ってみると解るように、上から覗くことも矢を射かけることもできるような場所なんですよね。
ここに陣城はちょっと危な過ぎるでしょう。
上との連携具合を見るに、荒木氏の居館があったのではないでしょうか。
織田軍が攻め寄せた最終盤には、橋頭保として使われた可能性、つまりは遠巻きに陣城に見えた可能性はありますが、こんな敵の真下にあたる場所でのんびり土木工事はできないでしょうしね。
また、この小さな社が梶丸稲荷というらしいので、梶丸という出丸だったのかもしれません。
いずれにしろ、城の一角と見るのが妥当かと思います。
ここから上は、いよいよ本格的な山道になっていきますが、居館跡の背後はきっちり大きな土塁と堀切で遮断されていました。
土塁と言っても、居館の削平地を掘り込んで斜面を残したという感じでしたが。
 
 
更にしばらく登って行くと、中腹には数段の段郭があります。
下の段郭は、いかにもそれらしい綺麗な三角形ですね。
 
 
虎口と土塁が確認できる段郭もありました。

 
ここからやや方向を変え、更に急坂を登っていくと、いよいよ頂上の主郭です。
主郭は木が切られており、頂上近くまで来ると急に視界が開けました。
まずは西側の突端の郭。
 
 
本丸の西側には、都合3段の郭が長細く続いていました。
さらに進んで、本丸を西側から。
 
 
反対の東側から。
 
 
本丸は三角形をやや鈍くしたような形をしています。
ちょうどおにぎりせんべいに近いでしょうか。
東側にも付随する段がありました。
 
 
この先は切岸となって崖になっています。
この東の2段目からは、土橋と堀切を挟み、方向を変えて段郭がありました。
 
 
本丸に戻って北側の次段。
 
 
無粋な影が映っていますが、悪しからず(^^;)
こちら側は東西と違って相当な落差があり、切岸もかなり急でした。
下りてみると2段目があります。
 
 
本丸から、綺麗に尾根筋の3方向に段郭を配した典型的な山城ですね。
遺構の残り方もなかなか良かったです。
良い散策になりました(^^)
 
帰りは、同じ道を帰ってもしょうがないので、国道372号線から、スマホを見つつ適当に山を越えるべく左折。
三国ヶ岳の脇を通って青野川沿いに出、相野から吉川、そして三木へ突き抜けました。
1~1.5車線の道が多く、なかなか楽しかったですね。
ついでにGPSのロギングもしたんですが、GeoTrackerは優秀ですな。
前のMyTracksは、相性もあったのか、他のアプリでGPSを使うとロギングが途切れるという現象があり、電池の問題もあってバイクのロギングは諦めていたのですが、GeoTrackerではロギングが途切れることもなく、綺麗に軌跡が取れていました。
これは使える!
いや、もっと早よ気づけよ・・・
 
走行距離
173.6km
 
参考:
細工所城
地図付きはこちら
 

2018年11月8日木曜日

2018年アメリカ中間選挙

アメリカの中間選挙が終わりました。
結果は、上院で共和党が過半数を押さえ、一方の下院では民主党が過半数を押さえましたね。
ま、予想通りというか、通常通りというか、そんな結果ですね。
ただ、日本の新聞の中には、大きくトランプ大統領の共和党敗北という見出しを出していた所もあります。
我が地元の神戸新聞もそうでした。
ここに、なんとも言えない違和感を感じますね。
アメリカの中間選挙では、基本的に与党が負けます。
ブレーキ的な意味や、期待の剥落などがあるんでしょうが、不思議とバランスを取ったようになるわけですね。
今回も、正にそれ。
大統領が敗北したと言っていいのは、オバマ前大統領の時のように、上下院共に過半数が取れなかった時ぐらいでしょうか。
そもそも論として、アメリカの大統領選ならまだ解るんですが、中間選挙はそれほど外交に影響を与えるものではありません。
内政に対する評価や要望が反映されやすい選挙なんですよね。
日本も、影響は無いとは言えないが、大きな影響があるとも言い難い。
なのに、今年はテレビなんかは日本の選挙でもないのに特番状態で、前回はこんなに報じてたか?と疑問に思うほどです。
前回は、上で書いたようにオバマ前大統領が敗北したと言っていいような選挙結果でしたが、どこもそんなに大きく報道していたような記憶はありません。
選挙がコンテンツとして優秀なのは解りますが、他国の国政選挙ですからね。
違和感を感じます。
日本のメディアは、アメリカのリベラルメディアと提携しており、その影響が強いのかな?
トランプ大統領は、リベラルメディアを目の敵にしていますからね。
リベラルメディアがそれに対抗して必死に報じているのを、影響されたようにそのまま日本に持ち込んできている感が拭えません。
でも、そんな状況で通常通りの選挙結果、しかも共和党内は主流派などが引退したり予備選挙で敗れたりして、トランプチルドレンとも言うべき人が多く当選しています。
トランプ大統領としては、数字よりも、こっちの方が大きいのかもしれませんね。
今後は、党内では動きやすくなりますから。
より強硬になるのか、民主党に配慮するようになるのか、前者の可能性がかなり高そうですが、今後が気になる所ですね。
 

2018年11月3日土曜日

韓国徴用工裁判

先日、韓国で徴用工の裁判があり、雇用していた企業に賠償すべきという判断が下されました。
ニュースも多いので、ざっと何種類かの記事を見れば問題点は明らかで、解説も色々とされています。
しかし、これから韓国はどう落とし所を見付けていくんでしょうね。
 
法律というのは、基本的には国際法が国内法に優先するということになっています。
なぜなら、国内でどんな判決が出ても、外国にそれを強制できる力が及ばないから。
及ばせる為には武力が要ります。
無理難題な判決を出して、外国をそれに従うよう強制するなら、それはもう帝国主義ですね。
実際に、そういう手法が使われていました。
それはともかく、韓国の司法もそれを弁えていて、日韓基本条約は植民地支配に関する賠償ではなく、また、植民地支配は違法で無効である為、徴用工問題は未解決で賠償すべき、という立場を取っています。
この辺りは、東洋経済が解り易くまとめてくれていました。
 
韓国「徴用工勝訴」が日本に与える巨大衝撃
https://toyokeizai.net/articles/-/246841
 
しかし、司法や法律というのは、基本的に前例主義で、積み上げて行くものです。
日韓基本条約や請求権協定も、そういう枠組みの中で合意したもので、過去は色々あったけど、まとめてこれで手打ちにしようか、という合意を含んだ条約になっていますね。
しかも、「完全かつ最終的に」という文言が議事録を含めて複数回出て来ますから、双方が最終解決で合意したと見るのが当然で、今日の日韓関係は、その合意を土台として少しずつ積み上げられてきた関係なのです。
実際、韓国政府も、合意後50年ほどはその見解を持っていたんですよね。
それを今回の判決が覆した。
じゃあ、1965年に合意したお金、賠償金ではなく経済援助ですが、これは何だったのか、という話になります。
当時の韓国政府の国家予算の数倍のお金ですから。
そんな巨額のお金が意味も無く支払われるわけがないで。
 
しかし、日本はもう解決済みの立場ですから、日本がお金を出すことはありません。
出せば、日本も過去の合意を覆すことになりますからね。
国と国が賠償問題で合意した以上、しかもその合意に徴用工という文字まで明記されている以上、その国に属する人間の賠償問題は、あくまで国内問題でしかないわけです。
河野外相が言ったように、100%韓国政府の責任で対処を考えることなんですね。
しかし、ロウソクデモで前政権を覆してポピュリズムの権化のような形で誕生した政権ですから、不人気の政策はなかなか採れないでしょう。
落としどころがどこになるのか、かなり気になります。
それよりも何よりも、今回の原告、募集に応募した人なんですよね。
強制徴用ちゃうんかい!
というのが今回の正直な感想です。
ちゃんとオチまでつけてくれるとは、何ともかんとも・・・
 

2018年10月29日月曜日

安倍首相の訪中

安倍首相による中国訪問が終了しました。
日本の首相としては7年振りですので、日本における久々の長期政権となっている安倍首相にとっても、初めての訪問ということになりますね。
先の訪米での日米共同声明では、6項目目に、例えば「某O谷選手」ぐらいの隠し方で、中国狙い撃ちの項目が入っていました。
抜き出してみると、「知的財産の収奪、強制的技術移転、貿易歪曲的な産業補助金、国有企業によって創り出される歪曲化及び過剰生産を含む不公正な貿易慣行」と、これでもかと中国を連想する言葉が列挙されています。
これを受けての訪中ですから、どのような交渉になるのか、注目していました。
ただ、米中摩擦を受けてか、先に中国側が歓迎ムードを醸成し、終始友好的な訪中になりましたね。
大きなトピックとしては、対中ODAの終了、円元スワップの再開、一路一帯構想や第三国へのインフラ投資への協力などですが、表面上は中国側にとって利の多い交渉になったように思います。
これにはどういう思惑があるのか。
安倍首相は米中両建てに近い方針なのか、それとも鞭たるアメリカ・トランプ大統領に対応するように飴役となっているのか。
気になりますね。
現状ではちょっと内情は窺えないですが、アメリカを含めて国際情勢にまだ紆余曲折がありそうです。
 

2018年10月23日火曜日

ぶらり佐用 その2

前回のあらすじ
 
台風22号と木枯らし1号の往復ビンタ!
そんなもん勝てませんわ・・・
 
利神城の現況を確認できたので、第1の目標は達成できました。
でも、ちょっと粟倉の方まで走ってみようかな~なんてうっすら思っていた昼からの予定は、キャンセル。
寒すぎるんじゃい!
ここから更に山側へ入るのなんか無理ですわ。
というわけで、方向を変えて西へ。
佐用I.C.からひと区間だけ中国道を走って山崎I.C.で降り、中国と並走している国道29号線を更に西へ走ります。
この山崎から少し西へ行った安富には、前から気になっていた富栖の里というのがありまして、日本で唯一の坑道ラドン浴ができるという温泉(?)なんですな。
寒いし、せっかくなんで行ってみようか、と思ってここまで戻ったんですが、よく考えると、ラドン浴なんですよね。
ラドン浴。
そう、湯に入らない。
暖まらねぇ!
ということで、行くのをやめました(^^;)
そこで、同じく前から何度も前を通っていて気にいなっていた林田陣屋へ目的地を変更。
国道29号線で林田地区まで南下して行きます。
さすがにこの辺りは幾分寒さがマシでした。
ほんの数度も差はないぐらいなんですが、佐用は寒かったですね。
国道29号線の林田交差点から西へ折れ、林田川を渡り、恐らく江戸時代に曲げられたであろう鈎状の道を過ぎると、林田中学校が右手に見えますが、その手前を北へ折れると、聖ヶ岡公園という小丘陵に突き当たります。
ここが林田陣屋跡。
戦国時代には、前身として窪山城という城があったようですね。
10m程度とは言え、川沿いの独立丘陵ですから、拠点としては最適の立地です。
バイクを止めて、丘陵を散策してみる・・・というほどの大きさでもないんですが、丘陵の遊歩道を歩いて行くと、石垣が健在でした。
 
 
近寄ってみると、野面積で結構古い時代の石垣であることが判ります。
 
 
隅部もありました。
 
 
隅部はきっちり整えられていて、江戸時代前期頃の石垣というのが判りますね。
ここから遊歩道を更に歩くと、頂上部は削平されていて、いかにも城跡の公園という感じでした。
公園中央に城址碑と説明板があります。
 
 
更に奥へと足を伸ばすと、梅林となっている一角にやや台地状の地形が。
ここは櫓跡でしょうね。
城のシンボルとしての櫓があったんでしょう。
 
 
最後に、当時の想像図。
 
 
この他に、丘陵東側には建部神社という、藩主建部氏を祀った神社があります。
この神社境内は、頂上部より1段低く、おそらく次段だったんでしょう。
ただ、この神社の周囲にも石垣がたくさんあるんですが、いつの時代の石垣かは判断できませんでした。
丘陵南面に残っている石垣は確実に往時の石垣かと思うんですが、それに比べて石材が小振りで、積み方も谷積系の新しい時代の積み方なんですよね。
神社創建の際に積まれたのかもしれませんが、なんとも言えない・・・
でも、南面の立派な石垣が確認できたので、満足ですな。
 
合計:207.4km
 
参考:
林田陣屋
地図付きはこちら
 

2018年10月17日水曜日

慶喜のこと

西郷どんがいよいよ戊辰戦争に入りました。
戊辰戦争から江戸城無血開城までは、西郷隆盛の人生の中でも、最も華やかな活躍を見せた場面ではないでしょうか。
個人的には、坂本竜馬暗殺から大政奉還、鳥羽伏見の戦い、江戸城明け渡しまで、大河ドラマのハイライトで見逃せないと思っていました。
竜馬が暗殺される週は、用事があったので録画をしておいたんですが、ぶらタモリやNHKスペシャルの孀婦岩なんかを録っていたいたら、
消えてもうたやないかい・・・
早く見なかったのが悪いんですがね。
同じメーカーの別の録画機では容量不足の時にぎりぎりまで録るという設定だったので、油断してました。
まさか、古いのから消える設定になっていたとは・・・
 
それはさて置き、慶喜の大坂退去についてなんですが、ドラマでは英仏の代理戦争となるのを避けた、という解釈で進められていましたね。
その側面も多分にあったと思います。
ただ、慶喜が維新後にほとんど語らなかった為に、幕末史の大きな謎のひとつになっていますね。
近年では、京都政界に置ける慶喜の政治力は、朝廷や天皇の権威を背景にしたもので、それを奪われたことが慶喜の大坂退去に繋がったという説が出ているようです。
慶喜の徳川家継承は慶応2年(1866)8月、将軍就任は12月ですが、その12月には孝明天皇が崩御しました。
異人嫌いとして有名で、以前ほどの影響力は無かったとは言え、公武合体派でもあった孝明天皇がいなくなるというのは、徳川家の影響力を残そうとしていた慶喜にとっては痛手だったでしょう。
以降、薩長を筆頭とする討幕派の攻めを躱すように四侯会議での粘り腰、機先を制しての大政奉還と妙手を打っていくわけですが、この辺りはさすがの勘というか、読みと言うか、政治的センスの強さを感じさせますな。
ところが、鳥羽伏見の戦いの頃から、急にその政治力を出さなくなってしまいます。
失ったではなく、出さなくなったという感じ。
この豹変ぶりが、何よりも朝敵になることを恐れた、という説の根拠ですね。
確かに、変わりようが凄いだけに説得力があります。
出身が、尊王の水戸学の本拠地でもありますし。
そこに、新たな説が出てきているわけです。
実際はどうだったのか、本人が語らなかっただけに解明は難しいでしょうが、解析が進むと嬉しいですね。
 

2018年10月10日水曜日

丸亀城の石垣が・・・

今日の朝、ニュースを見てびっくりしたんですが、丸亀城の石垣が崩れてしまったようです。
 
江戸中期に築かれた丸亀城の石垣、相次ぎ崩落
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20181009-OYT1T50073.html
 
台風がかなり前に過ぎ去った後だけに、まさかこんなことが起こるとは。
記事によると、8日に帯郭の石垣が崩れ、9日の早朝に三ノ丸坤櫓の石垣が崩れたようです。
帯郭は高さ16m、三ノ丸坤櫓の高さは17mですからね。
合計33mもの高石垣が崩れたということになります。
帯郭が上の石垣止めの機能を果たしてましたから、帯郭の石垣が崩れた時点で上の石垣が崩れてしまうのも必至だったんでしょうね。
丸亀城の高石垣はかなり優美でしたから、非常に残念ですな。
早く復旧することを祈ります。
 
参考:
丸亀城
地図付きはこちら
 

2018年10月6日土曜日

ぶらり佐用 その1

ぼちぼち秋のツーリングを画策する季節となりました。
去年の秋は散々でしたからね。
今年は何とかリベンジを果たしたいと思います。
今年は九州行きを目論んでいますが、去年も北九州や山口を目論んでいました。
予定の前の週の週末に台風21号が史上3番目の遅さで日本に上陸し、これで今年最後の台風やなと思ってたんですが・・・
台風22号「やぁ!来たよ(*^^*)」
なんで10月に2週連続で台風が襲うねん!!
しかし、あまりにも悔しいので、事前に休みを取っていた30日の月曜に日帰りツーリングを画策!
すると・・・
木枯らし1号「やぁ!来たよ(*^^*)」
台風の次の日が木枯らし1号って落差にも程があるやろ!!
というわけで、木枯らし1号が吹き荒れる日帰りツーリングのレポートをば。
 
ぶらりと出かけた先は佐用。
何度も行っていますが、利神城が国の指定史跡になったという事なんで、現況確認に向かう事にしました。
麓の平福は、何度か訪れたり通り過ぎたりしてるんですがね。
まずは、国道2号バイパスを最後まで走って山陽道から播磨道へ。
そういえば播磨道なんて10何年振りかなぁ
全く景色に記憶が無いけども。
播磨道は播磨新宮までが開通しているので、そのまま強風に煽られながら終点まで走って、播磨科学公園都市へと入ります。
ここも開発は古いけど、産業集約や住居の集約は進んでないっぽいなぁ
周りに何もない所やから、人口減少の局面ではなかなか難しそう。
交通量の多かった科学公園都市を突き抜けると、道は急に田舎道になり、国道179号線に突き当たります。
この179号線もお馴染みの道で、何度も通りました。
この辺り、赤松氏関連の史跡が多くて、あちこち寄りたくなる所も多いですね。
今回は、そのまま西へと進み、佐用へと向かいます。
佐用に着いたのは12時の少し前。
どこで昼飯を摂ろうかと走っていると、鹿肉コロッケの文字を見付けました。
お、珍しい。
鹿肉が食えるのか!
というわけで昼飯は鹿肉コロッケの幟があった喫茶店に決定。
中に入ると、常連さんらしき方々が結構居て、なかなか盛況の様子。
店の片隅には、服なんかも置いてありました。
それなりに多角化を図ってますな。
店主の女性に聞いてみると、鹿肉コロッケは単品で売っているらしいのですが、定食が無いか聞いてみると、定食として出してくれることに。
 
 
危ない!
箸を袋から抜いたところで写真を撮ることに気付いたぜ(^^;)
いつも食べ掛けの図になってたが、ようやく少し学習したな!
コロッケは、揚げたてアツアツでとても美味しかったです(^^)
お腹も満足して暖も取れたところで、目的の利神城へ。
利神城の城下町だった平福は、佐用の市街地からすぐ近くの場所にあります。
利神城の廃城後も因幡街道の宿場町として栄えました。
その名残が街には残っており、観光地化してますね。
平福の街には案内板が。
 
 
かつては陣屋もありました。
といっても本当の意味での行政庁舎なんで、役場後の趣ですな。
陣屋という言葉で一括りですが、城的な陣屋と庁舎的な陣屋では非常に雰囲気が違ってきます。
ただ、今は陣屋門しか残っていません。
 
 
道の駅には、利神城を望める展望台がありました。
下は、利神城の遠景。
僅かに石垣が見えますね(^^)
  
 
同じく案内板。
 
 
利神城への登山道は、平福の街から少し山側へ入った場所にあります。
道が少ないので迷うことは無いでしょう。
登山道の目の前の道も広い道ですしね。
これが登山道入口。
看板が出ていますが、現在は入山禁止という看板です。
 
 
多少、情勢に変化があかと思ったけど、何も変わってないなぁ(> <)
下の石柱は利神城への道標ですが、入山できないので、板で覆ってありました。
 
 
整備までもう少し時間が掛かるのかな?
 
つづく
 
参考:
利神城
地図付きはこちら
 

2018年9月30日日曜日

台風多し

今年は関西への台風の上陸が多いですな。
今回の24号で4回目。
それ以前にも、関西への上陸はしませんでしたが、西日本各地にえげつない雨をもたらした台風7号がありました。
神戸でも各地で土砂崩れが発生していましたし、個人的にあそこまで激しい雨が続いた記憶は初めてでしたね。
上陸1発目は、まさかの東からやってきたという12号。
東からやってきたという台風は人生初の体験でした。
そして、南から上がってきた台風20号。
台風の進行右側が強風になるというのをまさに実感しましたね。
気象庁に、
 
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/2-1.html
 
のような説明がありますが、凡そ100kmまでの距離に最も風が強いポイントが存在するようです。
20号の上陸が姫路で、姫路と神戸の距離は50~60kmというところですから、神戸はかなり強い風の範囲だったわけですな。
神戸に上陸した、次の21号よりも風は強かったです。
台風で家があんなに揺れたのは初めてでしたし、神戸でも一部が高潮で水が溢れていました。
3発目が10年に1度という強力な台風だった21号。
神戸は直撃でしたが、目に入ったおかげで風による被害は20号ほどではありませんでした。
高潮が酷かったですが・・・。
ネット上に動画が溢れていますが、台風の東側になった大阪の方が、風による被害は遥かに大きかったですね。
自分は仕事で明石にいたんですが、明石でも手元の携帯で957hPaまで気圧が下がりましたから、なかなか体験できない気圧だったわけです。
そして、4発目の今回の24号。
神戸からやや離れた和歌山県への上陸ということもあって、自宅周辺の被害はほぼ無いと思いますが、今回も勢力は強かったですね。
やはり日本近海の海水温の高さが影響してるんでしょうな。
もう生まれている次の25号も、似たような経路を取りかねないですし、まだまだ注意が必要ですね。
 

2018年9月25日火曜日

対中関税第3弾

軋轢が続く米中の貿易紛争ですが、昨日24日の13時、アメリカによって対中関税措置第3弾が発動されました。
発表と発動でそれぞれ報道があり、ちょっとややこしくなってきたので、ちょっと時系列で整理してみます。
最初に動いたのはアメリカでした。
通商拡大法232条に基づき、関税を引き上げることが発表され、その大統領令に署名したのが今年の3月22日。
そして、翌23日に第1弾として鉄鋼に対して25%、アルミに対して10%の関税が課されました。
この根拠となる法律は、自国産業の保護と安全保障の観点から、相手国に制裁を課すことを可能とする法律です。
つまり、単なるセーフガードとはやや違うわけですな。
また、この時は中国だけが対象ではありませんでした。
この辺りは、実は本質として重要な部分かもしれません。
これに対して中国は、すぐさま報復関税を課しています。
以降、下のように応酬が続くわけですが、以降は根拠となる法律が通商法301条で、理由が知的財産権侵害に対する制裁措置となっている事には少し留意が必要でしょう。
第1弾とそれ以降では根拠とする法律や理由が違い、また、対象も第2弾以降は中国に絞られているのです。
要するに、貿易戦争と呼ぶならば、知的財産権の侵害が挙げられて以降がその本筋と言えるでしょうな。
以下、発動したものを時系列を並べてみます。
 
3/23 アメリカ 鉄鋼・アルミ製品に15%・10%の関税。
4/2   中国   128品目に対し15%・25%の関税。30億ドル規模。
7/6   アメリカ 半導体や航空部品など818品目に25%の関税。340億ドル規模。
     中国   大豆や自動車など545品目に25%の関税。340億ドル規模。
8/23 アメリカ 電子機器や鉄道など279品目に25%の関税。160億ドル規模。
     中国   鉄鋼製品や医療機器など333品目に25%の関税。160億ドル規模。
9/24 アメリカ 食品や家具など5745品目に10%の関税。2000億ドル規模。
     中国   天然ガスや電化製品など5207品目に5~10%の関税。600億ドル規模。
 
こう見ると、アメリカに対して中国も報復で追従していますが、第3弾になって手詰まり感が見えますね。
そもそも、商売というのは、競合製品が無い場合以外は、買い手が強いもの。
中国の場合は競合する国があって、しかも圧倒的にアメリカへの輸出が多いですからね。
勝負としては大変厳しい。
それと、細かい所で、日本で報道されることはほとんど無かったんですが、日用品に制裁関税が及んだ第3弾を発動する前に、トランプ大統領は郵便公社に対して中国に対する国際郵便の撤廃を指示しています。
この割引がある間は、中国から持ち込まれた郵便に割引が適用されており、アメリカ国内の郵送費用は郵便公社持ちのようなものでした。
これが廃止になると、中国から直接送られてくる小物類は送料が劇的に上がるわけです。
なかなか、地味ながら厳しい所も衝いてきますな。
しかし、中国にとって厳しいのは、どの辺りが着地点なのか全く情報が出ていないところです。
着地点があるかどうかも分からない。
日本の報道でも、ようやく冷戦化するのではないかという報道もちらほら出てきましたね。
何より、アメリカ議会が共和党民主党ともに反中的になってきていますから、そうそう簡単に制裁は解かれそうにありません。
トランプ大統領がどこまでやるのか。
気になる所です。
 

2018年9月18日火曜日

尼崎城出現

尼崎城の模擬復元に関しては、以前に触れましたが、工事が進み、いよいよ姿を現してきたようです。
 
「尼崎城」姿現わす 来春一般公開http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/180913/lif18091320180038-n1.html
 
それらしい姿になってきましたね。
前にも書きましたが、阪神間では、尼崎は工業都市として知られていて、工業地域らしい「荒い」イメージがあるのですが、そのイメージが強すぎるのか、城下町だったというのはあまり知られていません。
古くを辿れば、前身として大物城があり、大物崩れという歴史的な事件が起こった場所でもあります。
つまり、大坂なんかよりも早くから港湾都市として発展していた先進地域なんですが、イメージなんてものはほんの数十年で変わってしまいますからね。
その尼崎も、工場の田舎への移転で、工場用地が住宅地や商業地域に変わっており、以前のようなイメージは無くなりつつあります。
そんな中でのこの尼崎城の模擬復元ですから、さらにイメージが変わることでしょう。
ま、本当の跡地には小学校があるので、あくまで模擬の外観復元なんですがね(^^;)
それでも今の尼崎の城址公園は城壁があるだけですからね。
全然違う。
2010年の時は下の状態でしたから。
 
 
さすがに城跡としては寂しい。
これに、外観復元でも、高さ24mという天守がくっつけば大違いです。
公開は来年3月ということなんで、楽しみですね(^^)
 

2018年9月11日火曜日

米中の貿易戦争の本質

久々に政経ネタで。
個人的に、朝鮮半島情勢の情報源として重宝しているシリーズ記事があります。
日経ビジネスオンラインの鈴置高史記者の記事で、普通のメディアには載ってこない深い情報があり、検証してみても確度が高いので、なかなか良い記事ですね。
すぐに導入部しか読めなくなるので、うっかり逃してしまう事があるのが痛いですが(^^;)
 
早読み 深読み 朝鮮半島
https://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120120/226331/
 
このシリーズ記事として、前日の9/10に新しい記事がアップされましたが、珍しく中国に対する記事でした。
朝鮮半島情勢に関して、中国はアメリカと並ぶ重要なプレーヤーですので、このシリーズ記事でもよく登場していますが、特に中国に焦点を当てた記事と言うのは珍しいですね。
記事の内容を端的にまとめると、題名にもあるように、「アメリカは中国をいたぶり続ける」です。
米中の貿易戦争の本質が、中国の対米黒字削減ではなく、中国による基軸通貨のドルに対する挑戦、つまり国同士の覇権争いであるならば、冷戦当時にアメリカがロシアに対してそうであったように、アメリカは中国に対してなんだかんだと理由を挙げて貿易についての条約や協定を妥結しないのかもしれません。
どこに焦点を持ってくるかの話ではありますが、記事通り覇権争いであるならば、手加減もしなければ譲る要素もありませんから、至極当たり前の話ですな。
利を得られるなら臨機応変にビジネスマン的な動きをするトランプ大統領よりも、共和党民主党の垣根無く中国に対して強硬な姿勢を保っている議会の方が、そのような覇権に対して敏感なのかもしれません。
そもそも、中国が改革開放路線で経済成長を甘受できたのは、WTOの加盟にあります。
WTOへの加盟、つまりは西側諸国と同じルールでやっていく、という前提のもとに、自由貿易ルールに乗ることができ、貿易量が飛躍的に増え、世界の工場と呼ばれるまでに製造業が発達したわけですね。
ところが、成長してみると、保留されている国内の特異的な経済ルールはそのままで、果実だけを貪る状況となっています。
これでは、アメリカが怒るのも無理はありません。
ただ、その怒りが、不均衡貿易に留まるのか、怒りの顔をしつつもしたたかに覇権争い策を練っているのか、アメリカが、トランプ大統領が、中国とどのような交渉を続けるかによって見えてくるんでしょう。
また、両国関係には、中国に対する携帯関連機器の締め出しを盛り込んだ国防権限法を可決させている議会も、重要な1要素になるはずです。
どのような展開になるのか、それが日本にどのように影響してくるのか、気になる所ですね。
 

2018年9月6日木曜日

飛騨富山ツーリング その18

前回のあらすじ
 
高岡城は相も変わらず市民の憩いの場ですな。
 
高岡城を後にし、次に向かうは津幡城。
今回のツーリングの最後の目的地ですが、ここも、遥かなる昔に訪れ、城跡が小学校だったので散策を諦めた城です。
魚津城、舟見城、松倉城、津幡城。
この辺りはいつか再訪したいと願っていた城ですから、今回は随分と満足度が高い旅になりましたね。
さて、その津幡への道程ですが、国道8号線を真っすぐ行き、石川県に入ればもう津幡。
うむ、簡単じゃ。
早速、高岡城から市電沿いの道を北東へ走り、バイパス化されている国道8号線へ。
後は快適な道をひたすら直進です。
木曽義仲で有名な倶利伽羅峠の下を通る倶利伽羅トンネルを抜ければ、もう石川県ですね。
この倶利伽羅峠周辺は、源平の頃も、承久の変の頃も、南北朝時代も、戦国時代も、よく戦場になった場所で、城跡がいっぱいあります。
いつか、峠を中心にじっくりと時間を掛けて巡ってみたいものですな。
そうこうしている内に、長い長い下り坂を過ぎて津幡市街に差し掛かりました。
地図を見ると、津幡城のある津幡小学校の場所まで行くには、線路沿いの道が近く、船橋JCTでバイパスを降りてその道へ行こうとしたその時、津幡市街へ行くはずの方向に通行止めの文字が。
ど、どないすんねん!
初めて通る道なので迂回路も分からないし、地図を見る時間もありませんでした。
取りあえず、通行止めでは進みようがないので、行ける方向に進んでみると、
バイパスへリターン。
何の為に下調べしたのか・・・
振り出しに戻っとるやないかい。
とは言っても慌てている暇も無く、早速現れた降り口で降りて、現在地を確認しました。
どこまで連れて行かれるのかと一瞬焦りましたが、幸い、バイパスには降り口が多く、本津幡駅を目指して進み、予定通り線路沿いの道へ。
津幡城と津幡小学校は、この本津幡駅のすぐ近くです。
15年以上前に津幡で泊まり、朝一で津幡城へ向かった時もこの道を使いました。
懐かしいな~なんてキョロキョロしながら走っていると、うっかり津幡城への入口を過ぎてしまったので、次の信号を右折して津幡小学校の向こうへ回り、狭い路地を経由して津幡城跡へ到着。
前に来た時は、津幡小学校の一角になっていたと思うんですが、今は城跡が分離され、歴史館が新たに建てられていました。
しかも建てられたのは最近のようで、ピカピカの歴史館ですな。
その歴史館は後に取っておくとして、まずは城跡を散策して行きます。
城跡として残っているのは、台地の南東の一角で、後は学校の敷地として遺構は残っていません。
さみしいですが、この櫓台跡らしき部分だけです。
写真左側に説明板も見えますな。
 
 
下は櫓台の最後部付近。
最高部はこの先で、標高は16mとのこと。
 
 
その最高部から、津幡市街の風景。
 
 
写真で解るように、旧市街に対してむっくり盛り上がった小丘陵で、見通しが利きます。
防衛的には、北側の山塊の標高が高いので、上から丸見えになるんですが、能登、加賀、越中の街道筋の監視としては打って付けですね。
津幡城跡には、城跡だけではなく、他の史跡もありました。

 
為広塚です。
この塚は、上冷泉家の冷泉為広の墓で、為広は京の戦火を避けて能登畠山氏の義総を頼り、七尾城下に居住しました。
義総と言えば、能登畠山氏の全盛期を現出した武将で、教養も深い人物として知られています。
当時は、勢いのある地方の有力大名を頼る、為広のような公家が多かったんですね。
それらの公家たちが文化の伝播役を担い、能登畠山氏の七尾城を始め、大内氏の山口や朝倉氏の一乗谷などに文化が定着し、小京都と呼ばれました。
しかし、義総を頼った為広の墓が、何故加賀の津幡にあるのか?
その疑問に対する答えは、説明板には書かれていませんでした。
当時の加賀と言えば、百姓の持ちたる国。
義総は一向一揆と対立したりしましたから、街道沿いに津幡まで勢力圏に収めるということは考えられますが、そんな最前線に客人扱いの公家の屋敷を置くとは考えにくいですね。
冷泉家所縁の土地でもあったのでしょうか。
気になる所です。
さて、一通り散策したところで、真新しい歴史館へ。
 
 
正式名称は、津幡ふるさと歴史館、愛称は「れきしる」です。
歴史を知るで、れきしる。
なかなか面白いネーミングですね。
個人的には、非常に気に入りました(^^)
展示内容は、津幡に関する歴史を年代を追って説明するというもので、地元志向の歴史館らしいオーソドックスな展示ですが、新しいだけあって視覚を通して解り易く展示してあり、なかなか良かったですね。
あと、安田城跡資料館ほどではないですが、津幡や倶利伽羅峠近辺の城の展示が詳しくされていて、とても有り難かったです。
下は、津幡城の縄張図。
 
 
いや~満足ですわ(^^)
歴史館を出て、津幡小学校を眺めてみると、城の縄張が想像できますな。
 
 
これで全行程終了。
さあ、帰投しますか!
 
帰りは、先ほどの国道8号線バイパスから北陸道を経由してひたすら南下していきます。
徳光P.A.でお土産を買っていたら、レジのおばちゃんが、今日はやたらバイクの人が多いと言っていました。
昨日のSSTRで千里浜にゴールし、そのまま泊まって今日帰る人が多いんでしょうな。
P.A.を出る際も、出て行くバイクに向かって手を振っている2人乗りのライダーがいました。
がっつり手を挙げて挨拶して出ましたけど、
俺、SSTRと関係ないねん(笑)
イベント参加者の一体感にタダ乗りしました。
これぞ、正真正銘のフリーライダーや!
そんな話は置くとして、徳光P.A.出た後は、ノンストップで南下して行きます。
そして、敦賀からは、ようやく全通した舞鶴若狭道へ。
途中、超スロー地元作業車に捕まりましたが、後は名神高速と違ってスイスイですな。
帰りにお気に入りの大沢温泉にも寄り易いし、これから北陸方面へ行く時は、舞鶴若狭道を使う事にしよう。
 
1日目:125.0km
2日目:319.0km
3日目:180.8km
4日目:534.9km 合計:1159.7km
 
参考:
津幡城
津幡ふるさと歴史館
大沢温泉
地図付きはこちらから
石川県
兵庫県
 

2018年8月30日木曜日

飛騨富山ツーリング その17

前回のあらすじ
 
安田城は気持ちえがった。
富山の城巡りをするなら安田城跡資料館に必ず寄っときなはれ。
 
充実した思いで安田城を後にし、県道44号線に出て、次には向かうのは高岡城。
かれこれ20数年振りの訪問になります。
今回の旅は、遥かなる昔に訪れた城々の追憶の旅のようになっていますな。
ただ、いざ高岡へ、と意気込んだものの高岡へ向かう県道44号線はなかなか流れが遅い。
旧国道8号線ではあるんですが、生活道路として定着している為か、信号が多い為か、高岡が遠く感じました。
あまりにも緩慢な流れに飽きたので、途中でバイクに食事を摂らせつつ気分転換し、更に西進を続けます
この県道44号線はそのまま高岡城址のすぐ横に出るので、今回も道程は楽ちんでした(^^)
高岡城は、前回来た時もそうだったんですが、市民の方が多く訪れている公園で、都市公園という雰囲気が強いですね。
なんか今回は弓道の大会もあったようで、前回よりも更に人出が多い感じでした。
そんな中、お城の散策開始です。
まずは、縄張図。
 
 
近世城郭らしい、くっきりはっきりとした縄張ですね。
駐車場から歩いて行くと、まずは小藪竹という区画に出ます。
本丸北東の外郭ですね。
 
 
ここも都市公園らしく整備されています。
名前からして、築城当時は竹林だったのかもしれません。
次に中の島。
 
 
ここは泉水の園地になっていますね。
この一帯は、築城前は湿地帯だったようで、城郭防衛の上でも大事な区画です。
次は、小竹藪に戻って本丸へ。
本丸へは朱橋が架かっていました。
 
 
本丸に出ると、天守跡があります。
 
 
ただ、本丸をちょっと区切っただけのような感じですね。
高岡城の築城は、城主となるはずの前田利政が途中で病没したことから中止になり、天守も建てられなかったようです。
大きさ的には、それ以前の居城であった富山城に匹敵する大きさだったようですね。
この先には本丸があります。
本丸も広大な敷地ですな。
 
 
子供連れの家族が多かったですが、袴姿の方もちらほら。
城跡に似合う格好で、良い風景でした。
次は、本丸を出て二ノ丸へ。
両郭の間は石垣の土橋となっています。
 
 
石垣を見ると、やはり近世の城という感じですね。
前田家では特にですが、築城された頃にはもう野趣よりも優雅さが勝っています。
この先の二ノ丸には市民会館がありました。
 
 
二ノ丸からは、反時計回りで辿って行きます。
二ノ丸の南東の鍛冶丸。
 
 
ここには高岡市立博物館が建っていました。
ここで忘れてはならないのが、設計者の高山右近。
 
 
遥かなる記憶では、もっと参道みたいな階段を登ったような気がするんですが、遊歩道から割とすぐのところにありました。
鍛冶丸の次は明丸。
今は動物園になっています。
 
 
ここの裏手の堀は、桝形堀という名前になっていました。
 
 
形状的には、鍛冶丸と明丸は馬出と武者溜という感じですかね。
明丸の北東側には三ノ丸があります。
 
 
こちらは体育館の敷地となっていました。
いや~、さすがに都市公園化していて公共施設が密度高く建ち並んでいますね。
なので落ち着いて散策、という風にはならなかったですが、市民に親しまれている城跡というのもいいものですな。
 
つづく
 
参考
高岡城
地図付きはこちら