2016年11月30日水曜日

厄落としツーリング その2

前回のあらすじ
 
初日は夜だけながら快調快調!
 
この日は一路静岡へ。
ただ、もう大阪京都を越えている分、いつもよりはるかに気が楽ですな。
神戸から行くと、大阪京都は高くそびえる壁。
勢いが必要で、しかも渋滞を避ける時間調整が必要なのです。
それが要らないのは、すごくいい(^^)
石山南郷温泉を出たのは6時過ぎ。
昨日買いこんでた朝飯を掻き込んで、朝食支度をしてそうな宿の調理場を尻目に気付かれぬまま出発。
そのまま、東へ向かいたいところですが、目の前の瀬田川は川幅もあるから、あまり橋が無いんですよね。
止むを得ず瀬田川沿いを北上して石山を通過し、瀬田の唐橋から東へ。
新幹線や名神高速の側道があればと思ったけど、これも無かったので、道路上の案内が指示するまま瀬田I.C.まで走ります。
あとはお馴染みの新名神から伊勢道、伊勢湾岸道へ。
途中、刈谷P.A.で休憩を入れたんですが、これがまたマスツーリングの集合知なのか、ハーレーが多い多い。
もうね、朝も早よからうるさいですわ(^^;)
なんであんなに爆音にするかなぁ
走るだけならそんなに音を出さなくてもいいのに。
その後、ハーレーの集団をいくつか抜かしつつ、伊勢湾岸道から、いつもなら東名高速へ入るところですが、今回は2月に新東名が岡崎まで延伸したこともあって、新しい道を味わうべく、ウキウキしながら新東名へ。
と思ったら、引佐付近で事故の為に東名が通行止めとなっており、東名から伊勢湾岸からわらわらと新東名へ車が乗りこんでて、なんか阪神高速を走ってる気分。
車も多けりゃ車間も詰まって、全然のんびりしてませんでしたわ。
それに加え、新東名と言えば6車線設計でやたらめったら視界が広いんですが、この新しい区間は4車線設計で、良くも悪くも普通の高速道路ですな。
ちょっと残念。
 
今回の静岡行は、もちろんメインは富士山なんですが、静岡の拾い残しを辿って行く予定。
浜松近辺は近いので頑張れば日帰りできるはず・・・という希望的観測のもと、とりあえず森掛川I.C.まで突っ走り、森町から巡っていきます。
その森町の北側にあるのは天方城。
詳しく見ると、天方には新城と呼ばれる最も新しい城と、本城と呼ばれる旧城、そして事績がほぼ不明な白山城があります。
3城とも下調べをして、新城によって時間があったら他の城も回ろうかというざっとした予定を立て、南北に貫く主要幹線と思われる川沿いの県道58号線になら城の表示もあるやろと走っていると、予想通り天方城の表示が出てきました。
ま、当然やわな、さて曲がるか・・・と思ってよく見ると、警備員が立ってて柵で橋が塞がれてる!
なぬ!?
まさか橋が改修工事中とは!
最近、こういう断念させられる城が多い気がするのは気のせいかね。
やっぱり本厄だからか?
出だしから大丈夫かよ、と思いながら、仕方がないので北回りで行こうかなと思ってみたものの、地図で見た所、北側で渡れる橋はかなり先まで無ありませんでした。
南の橋まで戻るのもなんだしな・・・
う~ん、しょうがないから旧城から回っていくか・・・と、県道突き当たりの三叉路付近にある本城へ。
 
 
小学校のすぐ横、八幡社の所にに説明板があります。
城へは、この脇から延びる、えらく急な農道を上って行くのですが、最初、さすがにこんな道じゃないやろと、途中から枝分かれするややなだらかな農道を選択してしまったほどの急坂。
もしこの急坂のまま道が途中で行き止まりになってたら詰むな・・・などと思いつつ、恐る恐る上って行くと、終着点に茶畑があり、どうにかバイクを止めることができました。
ただ、軽トラが辛うじて切り返しできる程度の大きさしかないので、うっかり普通車で入ってきても詰みかねない恐ろしい道ですな。
城へは、行き止まりの茶畑から山に入って行くのですが、最初はまるで直登のような険しさ。
ただ、その部分を過ぎれば下草も浅く、順調に登って行ける城です。
城郭部分にはすぐに到着しましたが、現地に案内板はありません。
でも、想像力が掻き立てられるとも言えるので、こういうのは城好きにとっては悪くもないわけです。
興味無い人から見れば、草むらで何やってんだか状態ですが(笑)
下草が刈られたりはしていませんが、時折人が入るせいか、頂上部の本丸部分は明確ですね。
 
 
削平地としての規模はそれほど大きくなく、居住性を考えない中世的な山城の本丸といった感じ。
木や草が多いので正確な大きさは判りませんが、南北に長い郭です。
ここから北西方向にも郭が延びていました。
 
 
こちらは、いかにも尾根筋に延びる郭という趣で、導線を遮る為に明確な堀切も確認できます。
 

上の写真ではちょっと判りにくいですが、現地だと明確な堀切と土橋。
そして、北西に延びる筋の南側の谷筋にも、主郭の一部と思しきやや広い郭が。
頂上部に本丸、北西方向に延びる尾根筋の郭、そして下から谷筋を登ったところに待ち受ける郭。
北西の尾根筋から見下ろせるこの谷筋がすごく大手っぽい感じなんですが、どうなんでしょうか。
登って来た道だと、あまりに防御設備が貧弱なんよなぁ
こういう勝手な想像も、マイナーな城の面白さではありますがね。
ま、何はともあれ、なかなか良い城でひとまず安心(^^)
どうなるかと思ったけど、幸先はヨロシ!
 
つづく
 
参考:
天方本城
地図付きはこちら


2016年11月24日木曜日

厄落としツーリング その1

私事ながら、今年が本厄でして、気付けばえらい歳になったもんだと思いつつ、厄落としをせなあかんなと考えた所、それなら日本一の霊峰を訪ねてみるかと思ったわけですな。
日本一の霊峰と言えば、そう、富士山。
秀麗な稜線は、日本人としての何ごとかを心に呼び覚ます山です。
その霊峰を訪ね、勝手に厄落とししたつもりになろうと言うわけで、今年の春のツーリングは富士山に決めました。
また秋に春の話かよ・・・
 
富士山のある静岡県には、不思議と、というか旅行やツーリングなんで不思議も何も自らの意志で行ってるわけですが、ここ数年はちょっと馴染みの場所です。
それまで行った事が無かったのが嘘のよう。
ただ、休みを確保できたのは土日だけだったので、今回はちょっと強行軍になりそうだったことから、金曜の夜の仕事終わりで出発しました。
1日目の希望としては、滋賀辺りまで進むのが距離的にも時間的にもちょうど良いのですが、外国人旅行者の宿泊予約で京都が一杯な余波を受け、隣県の滋賀にまで影響が及んでるんですよね。
過去に同じように夜出で滋賀県の瀬田まで行った事があるんですが、その時は朝食付きで3000円台半ばという特価。
もうあんな時代は戻って来ないんでしょうな。
今は軒並み5000円台からしか無く、しかも部屋数が逼迫してます。
これでもまだマシになったほうで、去年なんか5000円台も無かったですからね。
朝ちょっとゆっくり出られるというだけで、6000円以上は出しにくいですわ。
そんな経験から、今回も期待はしてなかったんですが、たまたまリーズナブルな宿が見付かりました。
場所は、南郷温泉。
瀬田川沿いの温泉です。
宿自体がちょっと古いので、それもあって安いみたいですが、おっさんの一人旅に小奇麗さは要りません。
小奇麗さは似合わないといっても、決して小汚いおっさんではないと信じてますが、外から見たらどうなんだろう(笑)
ともあれ、ええとこ見つかったわと早々に仕事を切り上げて飯を掻き込み、19時半頃に出発。
多少の渋滞も覚悟してたんですが、阪神高速から中国道、名神高速と快調そのものでした。
結局、休憩無しの1時間15分ほどで石山に着いたので、宿でゆっくり過ごせそう。
それに加えて大きかったのが、書店の開いてる時間に石山に到着できたので、地図を買えたことですね。
今回は、バタバタして事前に地図を用意できなかったんですが、道中のついでとは言え、ツーリング中に書店を探したりするのは意外と面倒くさい。
ツーリング中は幹線を走ることが多いんですが、昔は幹線沿いに必ずあった書店も減ってしまってますしね。
今回、立ち寄った書店も、本屋さんの苦境を物語るように、店舗内1/3程度が雑貨売り場になっていました。
本だけでは商売が成り立たんのやろなぁ
小売りも難しい時代になったな、なんて思いつつ、地図の棚を探してみると、いつも買うツーリングマップルがありませんでした。
ツーリングマップルって需要が限られる為か、小規模店にはほとんどないんですよね。
というわけで、今回の地図は思い切ってライトマップルにしました。
たまたまの選択ですが、これが薄手で携帯しやすくて、なかなか良い。
ちょっと道路が色的に見にくいというのはありますが、個人的に道路地図としての機能はスマホに移ってしまってる為、感想やルートのメモ書きとしてはこれでも問題無さそうです。
うむ。
これも新しい発見ですな。
ツーリングとしては、なかなか良い出だしですわ。
 
この本屋から宿までは、5分も掛からない程度。
ほんま、関西弁で擬音語がよく使われる典型的な状況ですな。
この道シュッと行ってあの角をサッと入ったら宿ですわってやつ。
宿は南郷温泉ですが、この南郷には南郷堰という堰があって、滞留する水独特の臭いというのがありました。
ただ、瀬田川沿いの道の雰囲気は良さそうで、なかなか風情のある所ですね。
宿で通された部屋は、二間続きの部屋で、繁忙時には別々の部屋として使われてると思われる部屋でした。
テレビが2つにエアコンも2つ。
外気が心地よい季節でエアコンは使わないし、もちろんテレビも2つ同時に見ないし、この季節の素泊まりにはオーバースペック過ぎる部屋ですが、部屋が広いとそれだけでちょっと上がりますな(笑)
宿の風呂は2つあり、普通の風呂と岩風呂。
運良く岩風呂が空いてたので、ゆったりと温泉を味わえました。
いやほんま、渋滞無しといい、本屋といい、宿といい、出だしは最高!
しかし、まさかあんなことが待ち受けていようとは・・・
 
つづく
 
参考:
石山南郷温泉
地図付きはこちら
 

2016年11月17日木曜日

ぶらり姫路

少し前に、姫路モノレールの模型が完成したというニュースをやってしまたが、10月の天気の良い日にちょっと見てきたので、その時の報告をば。
模型があるのは、手柄山公園です。
ここの水族園の入口に繋がる形で、姫路モノレールの実車展示があるのですが、その奥に新たに模型が展示されていました。
元々、大姫路博覧会の模型があり、そこでもモノレールの模型が動くようになっていたのですが、今回作成されたものは、姫路モノレールに特化した模型です。
模型のスイッチを押せば、動くようになっていました。
さっそくポチっとな。
 
 
お、手柄山駅から動き出した!
モノレールの下は、当時の航空写真となってまいす。
今と比べると、姫路もまだまだ都市化してないんやねぇ。
のんびり動いていくモノレールを眺めていると、途中の大将軍駅に差し掛かりました。
解体前の6月に見た高尾アパートですな。
 
 
この近未来的建物も、忠実に再現されています。
ちなみに、この日に見た高尾アパートにはもう解体工事が入っていました。
そして・・・
 
 
ちゃんと停車(笑)
凝った造りになってるわ。
上の写真にも見切れてますが、大将軍駅から目と鼻の先に姫路駅があります。
 
 
無事、到着!
所要時間は数分。
実際のモノレールも短い距離だったので、変わらない運行時間だったんでしょうね。
しかし、毎回思うけど、乗ったこともないのに凄く懐かしいね。
なんででしょう?
 
参考:
姫路モノレール
地図付きはこちら
 

2016年11月11日金曜日

アメリカ大統領選決着

アメリカの大統領選挙が決着しましたね。
最初にトランプ氏の名前を「どえりゃ~主張の奴がおるで」と、ここで取り上げた時は、まだ共和党の予備選の時でしたが、メディアでは泡沫候補扱いでした。
それがあれよあれよと言う間に勝ち上がり、ついに大統領に選ばれたというのは、何か時代の変わり目になるのかもしれませんね。
大統領選の結果ではなく、メディアの影響力、信用力の敗北といった意味で。
2016年という年は、イギリスのEU離脱とアメリカの大統領選挙で、メディアの予想から大幅に外れた庶民の投票行動か見られたということで、とても象徴的な年になりました。
選挙後の分析で、トランプ氏が叩かれていたが故に、公にトランプ支持を公にできなかった人が多かったという分析もありますね。
トランプ支持を言えば、極端な話、差別主義者と見られるわけですから、そりゃ言いにくい。
思えばイギリスでも、アメリカほどではないにしてもそういう感じが少なからずあり、離脱派は不寛容と見られている節があったように思います。
ただ、ヨーロッパの移民騒動にも見られるように、行き過ぎた保護や寛容は既得権者の利益を奪いますから、そのような保護や寛容を主張するメディアの論調に対して、不信感を持つ人は次第に増えていたのでしょう。
その結果、メディアの調査にまともに答える人が減ってしまった。
本音と建て前というやつですな。
予測がぶれるのも必然だったのかもしれません。
誰かが、トランプの札は人に見せないもんだろ?という書き込みをネット上にしていて、
うめぇな、おい!
と唸らされましたが(笑)
ま、レッテルを張られそうなら、隠すのはしゃあないよなぁ
 
しかし、ロシアや中国は元よりですが、フィリピンの大統領ドゥテルテ氏なんかを見ても、世界的に過激な政策が支持される傾向にあるようです。
世界的に、というのはやっぱりグローバル化の影響なんでしょうね。
金持ちが恩恵を受けるだけで、庶民には行き渡らず、既存の政治に不満を持つ民衆が増えている。
今後、世界的な動きはここ数10年の流れとは、ぐっと変わってきそうな気がします。
 

2016年11月7日月曜日

韓国の政治混乱

ニュースを見ていると、お隣の韓国では政権がえらいことになっているようですな。
なんでも支持率が5%とか。
更に地域別に見ると、朴大統領の地盤の弱い地域では0%なんていう驚異的な数字が出てるようです。
降水確率じゃないんやから・・・
しかし、韓国に関する数字は極端ですな。
あくまでなんとなくの印象なんですが、韓国の世論は勝ち馬に乗る性質があるようで、しばしば異常に支持されたり異常に叩かれたりします。
今が朴政権にとって、必要以上に叩かれるターンというわけなんですね。
当の本人は、疑獄の中心人物は信頼できる相談相手で、その相談相手を失った上にこの状況ですから、相当辛いでしょうけども。
日本では、不人気だった森政権時代や、方向が定まらずにっちもさっちもいかなくなった鳩山政権時代ですら、20%前後の支持率。
10%台は危険水域と言われますが、それ以上は固定の支持基盤があるので下がらないようです。
この辺りは、国民性の違いでしょうかね。
ただ、政治的混乱はこれだけが理由ではなく、面白い事に、こんな低支持率でも野党が辞任要求を出していない所です。
日本では、野党がしょっちゅう辞任要求を出していますが、この部分はえらい違い。
何でも、辞任すると60日以内に選挙となるんですが、そこで当選した大統領は辞任した大統領の残りの期間しか任期が与えられないそうです。
残りは1年と4ヶ月ほど。
こりゃ割に合いませんわな。
そんな大人の事情もあるので、政治的混乱はまだまだ続くでしょう。
 
韓国の大統領は、大統領の職務を終えた後、逮捕や暗殺など、大半の人物が不幸な目に逢っています。
中国では、王朝交代は易姓革命と呼ばれ、前王朝時代のものは全否定されたりしますが、韓国ではこれになぞらえて、5年ごとの易姓革命と呼ばれることもあるようですね。
実際、権力の座から降りた大半の人が不幸な目に合ってるわけですから、間違いではないようで。
しかし、こういうのは、儒教や科挙の流れがまだ隠然とした空気として残っているということなんでしょうね。
中国や朝鮮では、年長者が絶対で過去世界に重きを置く儒教と、官僚の登用制度である科挙が王朝時代に存在しました。
科挙自体は、門閥ではなく有能な者を登用するという意味では正しいのですが、それがいつのまにか郷村に利益誘導するシステムに変質していきます。
出身地の年長者に頼られたら便宜を図らないわけにはいかないという、儒教的な価値観ですね。
しかし、便宜を図る方が絶大な権力を持っていた場合には、恐ろしいことになります。
こうして利益誘導がシステム化し、一人科挙に受かれば一村が潤うと言われるほどになりました。
一村が潤うわけですから、今度は逆に村で聡明そうな子供を選んで村民や一族みんなで援助するという状態にもなっていきます。
こうなると、恩やしがらみのズブズブ状態から抜け出せない。
こうして、一部の人間やそれに連なる枝葉に対する権益がどんどんと雪だるま状に膨らんで行くわけですが、それが膨らみ切るとリセットされます。
権益の恩恵にあずかれない人間によって。
これが、易姓革命ですね。
前の権益者を抹殺しないと新しい権益が確保できませんから、前時代の全否定と大量の粛清が行われてしまいます。
こういう世界が、まだ韓国では存在してるんでしょうね。
王朝時代に比べればマイルドなものですけども。
こう見ていくと、韓国の財閥がすさまじいトップダウン制で、更に一族によるお家騒動が多いのも頷けます。
集まる権益が膨大ですからね。
こうやって見てみると、韓国も北朝鮮も、社会体制としては本質的に同じなのかもしれません。
 

2016年11月1日火曜日

ぶらり三木

今年の秋はよく雨が降りましたね。
おっしゃ、休みや!と思ったら雨。
次の休みも雨。
雨、そして雨。
天は我を見放したか。
そんな思いを抱きがちだった9月のある休みの日、午前中だけ天気がもつという日があり、ここはチャンスやと、近場でぶらっとバイクで行けるとこに行こうということで、三木をブラブラしてきました。
学生の頃は、三木の色んな道をバイクでブラブラとしたもんですわ。
程よく遠く、程よく田舎。
そんな町です。
 
取りあえず一通りのワインディングを楽しんだ後に寄ったのは、かつてのグリーンピア三木。
年金の使い道で大いに叩かれた、例のグリーンピアの内のひとつです。
今はネスタリゾート神戸という名になり、ややラグジュアリーな宿泊施設なんかがあります。
場所は同じなのに三木から神戸に??
というツッコミは置いておくとして、どんなものか雰囲気を確かめる為にゲートの所まで行こうかなと思ってたんですが、県道から分かれる部分にすでに警備員が立っており、ゲートでターンなんてことがちょっとしにくそうなのでやめました(^^;)
雰囲気だけでも見たかったのですが、確認できたのは県道沿いのエントランス用の装飾壁だけ。
うむ。
さすがラグジュアリー。
野宿どんとこいの貧乏放浪をしてた自分には、そこには越えられない壁があるようだ。
 
次に向かったのは、平井山。
かの三木合戦で秀吉が本陣を置いていた山です。
正確には三木城を包囲する付城ですね。
包囲は長期に渡りましたから、城と呼べるだけの防御設備が構築されました。
また、この平井山の麓には、陣中で没した竹中半兵衛の墓もあります。
平井山に最後に来たのは、かれこれ10年前ぐらいですかね。
記憶はやや朧気なんですが、観光ブドウ園を突き抜けて、そこから徒歩で結構な距離を歩いた記憶があります。
今回もそのつもりで言ってみると、ブドウ園の営業は終了しましたという文字と共に柵が。
勝手に入れなくなってるやん・・・
どうも、三木城を包囲する付城群が国指定の史跡になったことから、ブドウ園のおまけ的存在から昇格した模様で、平井山も整備し直され、ブドウ園の反対側から山に入れる遊歩道が造られていました。
ほうほう。
朝方にあった晴れ間はすでに無く、曇天模様では時間が割けないが、これだけちゃんと整備されているなら、再訪せねばなるまい。
 
平井山の時点で11時前。
刻々と空が怪しくなっていく中、ちょっと休憩をと、ドリンクを求めて市役所に寄ってみると、なんと鷹尾山城の文字を発見。
市役所の周りは史跡に指定される前にけっこうブラブラと散策したけど、こんなん無かったな~
さすが国指定の史跡になると、整備予算が自治体レベルとは違うんですな。
せっかくなので、わずかに残存する鷹尾山の跡地を散策しました。
 
 
案内板は、体育館駐車場の奥にあります。
案内板の脇から山へ、と言ってもほぼ同高ですが、入っていくと空堀がありました。
 
 
この空堀は体育館と直角方向に穿たれています。
体育館から市役所にかけてが鷹尾山城の中心部分になると思われるので、突端部を区画する郭だったのでしょうか。
 
 
入口反対側からはこんな感じ。
ちゃんと城らしい削平地と土塁が確認できます。
 
今回のぶらりはここまで。
家に帰りつく頃には雨が降り始めてました。
時間は短かったけど、またじっくり行きたい場所もできたし、なかなか有意義でしたわ。
 
参考:
平井山陣所跡
竹中半兵衛重治墓
三木城
地図付きはこちら