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2025年8月27日水曜日

描かれたお城と城下町にて

兵庫県立歴史博物館へ行ってきました。
 
 
もちろん「描かれたお城と城下町」の特別展が目当てです。
8月末までの企画展ということで、8月も終わりになれば少しは涼しくなるかと粘ってみたんですが、今年は甘かった。
全然涼しくなりません。
なので、バイクで行くことを諦めて車で行ってきました。
姫路は、バイクで行くにはちょうど良い時間と距離なんですがね・・・
近年の夏は、ドラキュラ並みに陽が昇ると灼かれてしまうので、日の出前に出発して太陽が昇ると帰ってくるというスケジュールでしか、バイクに乗れなくなってしまいました笑
 
さて、その特別展。
思ったより城郭の数が少なかったのは、やや残念ではあったんですが、当時の現場や技術者が残した絵図というのは、よりミクロな視点の絵図で、とても新鮮でしたね。
また、築城術という学問の視点での図上演習のような絵図もあり、これまた新鮮でした。
こういう特殊な絵図は、なかなかお目に掛かれないので、貴重な機会です。
 
特別展を見終えて、ちょっと一服しようと館内のカフェに向かう途中に、展望ゾーンがありました。
天守の裏手から何度か眺めていますが、ちょっとびっくり。
この歴史博物館からの眺めが、1番かもしれませんね。
姫路城の写真は、ド正面の写真は非常に有名ですが、裏手の写真というのは、意外に目にする機会が少ない。
こちらからも、なかなか良い姿なんですよね。
 
 
なかなか良い博物館です。
気に入りました。
それと、県立だけあって、歴史関係の図書が充実していたのも気に入りましたね。
日本城郭大系や日本歴史地名大系を網羅しているほか、兵庫県内外の市史、町史、村史、郡史の類が非常に充実してます。
この辺りは、なかなか見られるものじゃないので、またお世話になる機会があるかもしれないですね。
 

2025年8月15日金曜日

描かれたお城と城下町

姫路にある兵庫県立博物館で、「描かれたお城と城下町―築かれた城・理想の城・古城―」という特別展が開催されています。
 
 
姫路にある博物館なので、姫路城の絵図はもちろんですが、江戸時代に存在した各地の城や、すでに廃されていた戦国時代の古城の絵図もあり、非常に興味深いですね。
各地の歴史博物館や模擬天守で絵図を見ることは多いですが、地元の城のみというのがほとんどですから、いくつもの城を同時に見ることができる機会というのは、非常に貴重です。
これは是非行きたい!
と思いつつバタバタしていて、もうお盆を迎えてしまいました・・・
ヤバい。
なんとかスケジュールを調整して行きたいですね。
今まで仕事で培ったスケジュール調整能力が試されているのだ・・・
 

2025年4月20日日曜日

姫路城小天守

前回の記事で取り上げたように、万博の開催に合わせた姫路城の春の特別公開で、小天守が公開されています。
仕事が休みの日に天気が良かったので、ちょいとバイクで行ってきました。
バイクで姫路城に行く際の注意点は、大型バイク用駐車場が少ないこと。
知る限りでは、大手前公園地下駐車場しか止めるスペースが用意されていません。
他の駐車場は、125ccまでなら止められる場所もあるんですけどね。
ただ、大手前公園地下駐車場は、三ノ丸大手門からすぐの場所という1等地で、台数も48台と非常に恵まれた駐車場です。
入口がちょっと判りづらいですが。
 
さて、駐車場にバイクを止め、いざ姫路城へ。
予想通り外国人観光客が多いですが、平日のためか、激混みというほどではありません。
桜の季節が終わってすぐというタイミングもあるんでしょうね。
大手門である菱の門をくぐると、まずは千姫ゆかりの西ノ丸へ。
ワの櫓の横から入って百閒廊下を歩いて行きます。
全国に残っている城郭建築物の中でも、この百閒廊下ほどの長さで多門櫓が残っている城は、無いんじゃないでしょうか。
その長さ約240m。
しかも途中で階がひとつ上がるという、ちょっと変わった構造をしています。
他に類を見ない巨大な大天守も、姫路城に現存する櫓の特徴のひとつですが、この百閒廊下も、姫路城でしか見ることができないという城郭建築物なんですよね。
 
西ノ丸探索を終えた後は、順路通り大天守へ。
大天守は、紹介するサイトがたくさんあるので感想だけ。
ここでは日本人が少数派でした笑
大天守を降りて向かうのが、今回の目的の小天守とそれを繋ぐ渡り櫓。
入場料1000円を払い、いざ行かん。
順番は、東小天守から乾小天守、そして西小天守を回って大天守入口に戻るという順路です。
まずは東小天守。
 
 
東小天守から見えるのは、正面の乾小天守と左の大天守です。
大小天守の連結の内側の、このアングルは貴重ですね。
東小天守の先は、乾小天守の間にロの渡り櫓があります。
 
 
ここは、映画撮影にも使われる場所とのこと。
なかなか重厚感がありますね。
それと、別料金ということで、観光客の少なさが写真から見て取れますでしょうか。
非常に快適でした笑
このロの渡り櫓の床には、釿(ちょうな)の後が残っています。
 
 
釿の跡は、独特の雰囲気があって、個人的には大好きです。
ロの渡り櫓の先は乾小天守。
大天守の対角にある小天守で、3棟ある小天守の中で最も規模が大きい櫓ですね。
ここからは大天守がよく見えます。
 
 
東小天守とロの渡り櫓もバッチリ。
 
 
続いて最後の小天守である西小天守。
 
 
なかなか貴重な体験でしたね。
公開は25日までです。
姫路城に寄る予定がある人は、是非見学してみてください。
特にロの渡り櫓と、いつもと違う大天守のアングルは、かなりお勧めです。
 
参考:
 

2025年4月14日月曜日

しろの日

少し前になりますが、4月6日は語呂合わせで、しろ(城)の日です。
ニッポン城めぐりで城の日のキャンペーンが流れてきて、気付きました。
ニッポン城めぐりも、サービス開始して割とすぐに始めていますから、かれこれユーザー歴15年ということになります。
知らぬ間に歴が古くなりましたね。
ちなみにニッポン城めぐりでは、因幡・北但西部のエリア限定めぐりを夏ごろに開催するようで、近いだけにちょっと興味がありますな。
 
城について、もうひとつ。
大阪・関西万博に合わせて、ニュースが流れてきました。
公式サイトの案内にも出ていますね。
 
 
小天守と渡り櫓を全周できるなんて、これは滅多にないチャンスですな。
来年3月から姫路城が大幅値上げとなりますので、それまでに1度は行っておこうと思っていましたが、これはこのタイミングで行けということか?
なんとスケジュールを調整しないと!
 

2025年2月9日日曜日

べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜

今回の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」ですが、なかなか面白いですね。
大きな時代の流れを、という意味の大河ドラマですが、今回はそういう趣ではないものの、立身出世譚として見応えがあります。
なんだか、往年の太閤立志伝をやりたくなりますね。
それと、イケメンはちょんまげでもイケメンでした。
ずるい笑
最近の流れとして、イケメン俳優はちょんまげより総髪という流れがありましたが、今回の登場人物はほぼちょんまげ。
ちょんまげにも、色々な流行りや粋があった江戸時代を描くわけですから、重要なポイントになるというのもあるんでしょう。
歴史モノなら、やっぱりちょんまげはしっかり描いて欲しいと思うので、良い流れではないでしょうか。
蔦屋重三郎は、まだ走り始めたばかり。
今後も楽しみですね。
 

2024年10月25日金曜日

西田敏行

西田敏行さんが先日、亡くなりました。
個性派俳優として、釣りバカ日誌の浜ちゃんを始めとして、どこかコミカルな雰囲気の演技がうまい俳優さんでしたね。
また、関西人には、探偵ナイトスクープの2代目局長としても御馴染みでした。
異常に涙もろい局長として、初代の上岡龍太郎さんとはまた違った魅力のある局長さんでしたね。
大河ドラマなどの歴史系でも、重要な役回りを任される役者さんでした。
大河ドラマだけでも、出演が14作、主演が4作もあり、毎年出ているんじゃないかと錯覚するほど。
映画や民放を含めた数多くの偉人役から、こんなネタ年表まで作成されています。
 
 
この表、大好きですね。
どんな芝居だったかなと、思い出したりもできますし。
それほど、歴史物では、無くてはならない役者さんでした。
個人的には、鎌倉殿の13人の後白河法皇とか、架空なのでこの表には出てこないですが、ステキな金縛りと清須会議に出て来た更科六兵衛の、枕元に立ちそうな役どころが面白くて好きでしたね。
妙に歌舞伎じみた言い回しと、死んでるのか死んでないのかよく分からない雰囲気。
面白かった。
でも、この年表が更新されることはもう無いんですね。
そう思うと、寂しいですな。
ご冥福をお祈りします。
 

2024年9月21日土曜日

迷路遊びからお城イラストへ-香川元太郎の作品世界-

明石市立文化博物館で、夏季の特別展として、香川元太郎さんの作品が展示されていました。
香川元太郎さんと言えば、お城の絵で有名ですね。
各地の博物館や案内板、パンフレットでもしばしば見る、お城の鳥観図を描くイラストレーターです。
どんな絵か分からない方は、
 
 
で公開されていますので、ご覧ください。
いくつかのお城を巡ったりしてる人は、知らず知らずの内に見ているんじゃないでしょうか。
自分の中では、ネット上でたくさんのお城の縄張図を公開している余湖さんと並んで、城郭2大画伯と言える存在。
特徴的なのは、天守閣の分解図なども書いていることで、お城や城郭建築の構造を理解していないと、描けない絵です。
・・・つい買っちまいました。
 
 
久々の衝動買い。
展示の方でもかなりの数の作品を見たんですが、見返したくて、つい買ってしまいました。
見開きになっているので、ページが折れないよう慎重に見て行くと・・・やっぱりいいですね!
攻城戦の様子が描かれたお城なんかもあって、縄張図+アルファの構図がいい感じ。
今年いっぱいはこれでご飯がおかわりできるわ笑
 

2024年4月24日水曜日

顕注密勘

先日、こんな大発見のニュースがありました。
 
 
藤原定家と言えば、小倉百人一首の撰者として有名ですが、そのほかにも「新古今和歌集」や「新勅撰和歌集」の撰者でもあり、日記の「明月記」も有名ですね。
また、歌道の大家であることから歌に関する書も多く、変わったところでは、定家仮名遣というルールも定めました。
そんな和歌の歴史の中でも伝説級の人物ですが、その定家が顕注の注釈書に解釈を付け加えて記したのが、「顕注密勘」という注釈書です。
この写本が重要文化財に指定されているそうですから、相当貴重な書物なんですが、この直筆本が発見されたということで、かなりびっくりしました。
コピーですら重文やのに、直筆本なんて国宝クラスで収まるんか?と。
何より驚いたのが、定家の三男為家の系統である冷泉家に伝えられた、古今伝授箱という箱の中から発見されたことでしょうか。
この箱自体、秘伝として130年間も開けられなかったとか。
なんでも、代々の当主が一生に1度だけ開け、中の書物を書き写し、精進に生かしたという代物で、自分達庶民には、ちょっと想像できないか世界ですね。
古い家には、そういうしきたりがまだまだ残っているのかもしれません。
たまに、古民家からこんな物が発見、なんてニュースがしばしば出てきますが、今回のはよくある話ではまとめられないほどのものですね。
歴史上の出来事には、まだまだ推測の部分が多いですから、こういう新たな発見によって色々な事が解明される可能性がまだまだあると思うと、歴史好きとしては、何だかワクワクします。
 

2024年4月15日月曜日

続・静岡県知事

静岡県の川勝知事の辞任に絡み、細川ガラシャの辞世の句を使ったことにより、波紋が続いていますね。
 
 
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
何を思ってこの細川ガラシャの辞世の句を使ったのか、理解に苦しみます。
散る時を知ってるからこそ、人も花も美しいというような意味ですが、川勝知事の失言による辞職の何が美しかったのか。
ガラシャは、関ヶ原の合戦前夜に西軍方に人質に取られそうになった時に、屋敷に火を放って家臣に討たせた人です。
夫の細川忠興が、病的な嫉妬心を持った人で、人質に取られるなら自刃しろと命じたわけですが、ガラシャはキリスト教徒であったため、自刃は教義に反すると家臣に討たせました。
そういう死に様と今回の辞任では、まったく覚悟が違います。
リニアを止めたのが、美しいとの自画自賛だったのでしょうか。
個人的には、織田信孝の
「昔より 主を内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
という恨みがましさの方が似合ってるようにも思います。
まぁこれも創作の匂いが強い句ですが。
しかし、どこまで行っても独善的な人なんでしょうね。
勉強ができても、バランスを欠いた言動では、政治家としてはとても及第点に達しているとは思えません。
政治家には理念が必要ですが、実際に進める仕事は、極めて現実的ですからね。
対立する主張や権益の調整が、絶対に必要になってくる職業です。
根拠もよく分からない論を振り回して理念を表現するのは、ただの横暴ですな。
最後まで、残念な人でした。
 

2024年2月9日金曜日

坂本城三ノ丸

先日、こんなニュースが出ていました。
 
 
今年は、琵琶湖の水位が結構低く、渇水が危惧される水位になっていますが、渇水の年になるとニュースになるのが、長浜城と坂本城です。
どちらも遺構の一部が湖水に沈んでおり、渇水でその遺構が顔を出すとニュースなるんですね。
ニュースをパッと見た時、今年も水が少ないからなぁなんて思ったんですが、中身を読んでみると、湖面に出てきたといういつもの話ではなく、新たに宅地造成する土地の発掘調査で三ノ丸と考えられる石垣が出土したというニュースでした。
坂本城は、本能寺の変の直後の山崎の合戦で明智光秀が敗れた後、その腹心である明智秀満が籠り、城に火を放って自刃落城した城です。
その後も数年は使われましたが、やがて南に大津城が築かれた為、廃城となり、その全容が不明なんですね。
琵琶湖に突き出した本丸から西へ二ノ丸、三ノ丸を重ねた構造の城ですが、その外縁がはっきりしたことで、おおよその城の範囲というのが確定しそうです。
徐々に姿を現してきているようで、なんかワクワクしますね。
 
参考:
 

2024年2月3日土曜日

海軍操練所

先日、江戸幕府が神戸設立した海軍操練所の跡が発掘されたことがニュースに出ていました。
 
 
その前に地元の神戸新聞に出ていたんですが、forbesの記事の方が詳しかったですね。
神戸の市街地の海際に操練所跡の碑があるのは知っていましたが、遺構が発見されたことがなかったというのは初めて知りました。
幕末に開港された港は、記事にあるように神戸も横浜もそうですが、当時の国内港から離れた寂しい僻地に造られたものの、幕末から維新を経て、海外交易の隆盛もあって大いに発展した結果、上から上から開発されてしまったんですな。
最初に開通した新橋横浜間の鉄路もそんな感じで、何年か前に開通当時の築堤が発掘されてましたね。
あれも意外でした。
絵や文献で残っているのに、全容もわからくなっていたのかと。
そう考えると、開港された5港も最初の東海道線も、当然のように今と連続している都市の初めということなんでしょうね。
都市はどんどん古いもの壊して新しくしていきますが、機能的に古くなったものを埋めたり壊したりすることは歓迎される要素で、あまり顧みられることはにないですから。
 

2024年1月20日土曜日

センゴク

今更ながら、仙石権兵衛秀久が主人公の漫画「センゴク」を読了しました。
最初は、戦国時代と仙石秀久をモチーフに描かれた、青年誌ならではの冒険活劇に近い感じでしたが、第2部、第3部と進むにしたがって史料の引用が多くなり、史料を重視しつつも独自の視点で描かれた物語となっていった印象ですね。
最後は、何だか司馬遼太郎の描く手法に近いようにも感じました。
 
仙石秀久と言えば、秀吉による九州征伐の前哨戦となった戸次川の戦いで、秀吉の命に背いて出陣し、島津軍に負けに負けて九州からも逃亡したという、汚名を背負った武将として有名です。
その4年後の小田原の役では、今度は無数の鈴を陣羽織に付けた鈴鳴り武者として武功を挙げ、大名に返り咲きました。
短期間の間に没落と復帰をした武将は、戦国時代は変転の時代ですから、探せば意外といるんですけど、秀久の場合は、誰が見ても大失態というのがありますから、その分、劇的ですよね。
題材としては面白い武将です。
個人的にも、兵庫県内の出石藩は仙石家で、出石そばは小諸から仙石家が移ってくる際に持ち込んだ作物ですから、出石そばを食べる度に思い出す程度には身近ですし、読み始める後押しにはなりました。
久々に先へ先へとページが進む漫画でしたね。
宮下先生の「大乱 関ケ原」も、いずれ買ってしまうんでしょう笑
 

2023年12月19日火曜日

どうする家康

大河ドラマの「どうする家康」が終了しました。
ドラマですから、賛否両論あるとは思いますが、残念ながら自分はあまり刺さりませんでしたね。
なんだかんだ最後までは見ましたが。
 
1話目で春日局が嘘八百のナレーションをしていたので、神君神話のアンチテーゼ的な、人間味のある家康像が描かれるのかなと、先を楽しみにしていたんですが、途中から話があらぬ方向へ。
家康にとって信長の存在感が大きすぎ、要所要所でお市との絡みも多すぎた上、ちょっと時代背景的にあり得ない描写も多かったですね。
戦国時代を生き抜いた政治家兼軍人である家康ながら、なんか個人的な問題が続くような描かれ方でした。
家康だって人間なので、当然ながら悩みも苦悩もしたでしょうが、その苦悩がドラマの家康では小さいんですよね。
言い換えれば、個人が確立している現代人的な悩みという感じ。
リアリストたる戦国武将なのに、善人過ぎるというか、悲劇のヒーロー的というか。
当時の豪族というのは、社長や役員が世襲される株式会社みたいなもので、利益共同体なんですよね。
当然、当主の意向だけでは物事は動かず、重臣などの意向や利益なんかも大事で、しがらみだらけですし、清濁も併せる必要があるんですが、そこはあまり描かれないまま。
また、築山殿と信康に関しては、今の通説ではなく昔の通説が採用され、信長という巨人の圧力に苦悩する家康という従来像に近く、ちょっと食傷感がありました。
さらに、築山殿の経済圏の確立で平和を実現するという案。
それを進めるとしても、信長とどうしてもぶつかるので結局は戦が避けられず、むしろ楽市楽座を進めていた織田経済圏の確立に加担した方が平和が早く訪れるんちゃうの?というツッコミをしてしまうんですよね。
どうもこの古い通説やストーリーにツッコミつつ見てしまうのが、没入できない要因だったのかもしれません。
この辺りは、大河ドラマの難しさでしょうか。
普通のドラマなら、シナリオが分からないので新鮮に受け止められますが、大河ドラマの多くの視聴者は、大まかなストーリーを知っている状態。
さらに、今年は家康という、史料が多く残っている武将ですから、フリーハンドで描ける部分が少ないというのもありましたね。
 
トータルの評価の印象としては、歴史にそれほど詳しくなく、現代的なドラマを期待する層にはちょうど良い感じで、歴史をある程度知っている層で、ついついツッコんでしまう層には不評だったという感じでしょうか。
で、大河ドラマを見ようとする層は、自分も含め後者が多いので、それが難しさに繋がったような気がします。
さて、来年は紫式部ですね。
平安時代は、自分もそれほど詳しくないので、楽しく見ることができるような気もします。
ただ、興味が持つかどうかが心配ですが笑
 

2023年12月4日月曜日

どうする羅山

この前の日曜日、いつものように何気なく大河ドラマを見ていたら、なんだか聞き覚えのある声が。
この声は・・・
やっぱり哲夫やないかい!
林羅山役で出演していて、びっくりしました。
羅山は、確か先週も出ていたと思いますが、気付きませんでしたね。
調べてみると、9月に出演決定のニュースが出ていたようですが、知りませんでした。
 
笑い飯の哲夫と言えば、知る人ぞ知る、知らん人は全く知らんという仏教マニアです。
写経が趣味で、仏教に関する本も出しているほどの人。
ただ、
林羅山は儒学者なんよ・・・
羅山は、師である藤原惺窩の推挙により、若くして家康のブレーンになった人で、江戸時代の儒教的要素の基礎を作った人です。
ただ、僧形をしていますが、儒学者らしく、その思想は儒学以外を認めず、仏教も眼中に無かったみたいなんですね。
方広寺鐘銘事件のタイミングで、ドラマでは、金地院崇伝と相論するという場面でしたが、哲夫的には隣の崇伝の役のほうをやりたかったかもしれません笑
 

2023年9月7日木曜日

どうする数正

どうする・・・というか、もう出奔しちゃったんですがね、数正さん。
石川数正の出奔理由は、これといった定説がありません。
どうする家康では、秀吉との戦を思い止まらせるために、身を犠牲にして秀吉方へ出奔したことになりました。
ドラマとしては、酒井忠次と共に当時の徳川家臣団の双璧を成す重鎮であった数正らしい選択ですね。
黙して語らず。
この重厚さを出すための、松重さんという配役なんでしょうね。
で、現実の数正はどうだったんでしょうか。
個人的には、島津家の伊集院忠棟のパターンが近いんじゃないかなと思っています。
伊集院忠棟も、島津家のトップクラスの重臣で、秀吉との戦いでは和睦を主張し、後には対秀吉政権との交渉役となりました。
交渉をする、ということは、秀吉幕下の様々な武将にも誼を通じていかなければならないわけで、その過程で、秀吉の勢力の大きさや人物の多様さ、そして最も大事な勢いというものを実感として持つようになります。
そういうものを持つ武将と持たない武将では、やはり判断が違ってきて当たり前なんですが、交渉役で接点があるが故に、篭絡や買収という疑念を持たれてしまい、冷静に意見を聞いてもらえないという事が増えたんではないでしょうか。
また、なぜこんな自明の事が解らないんだ、という忸怩たる思いもあったかもしれません。
現代でも、会社の経営でそういうことがしばしばありますよね。
先が見えている役員が、浮いてしまうことが。
で、忠棟は斬られた。
数正は出奔しましたが、そのまま家中に留まっていれば、先鋭化した主戦派に斬られていたかもしれません。
そんなところではないでしょうか。
創業期から、ずっと同じ方向を向いて頑張ってきた家臣達ですが、大きくなって人が多くなれば、色んな要素や価値観が入ってきます。
少年漫画と違って、みんなが同じ方向を向き続けるというのは、なかなか難しいものですね。
 

2023年7月26日水曜日

どうする本能寺

大河ドラマのどうする家康で、本能寺の回が終わりました。
信長と家康の関係に焦点を当てた本能寺になりましたが・・・ほぼ天下を手中に収めた人への謀反という大事件なのに、なんか二人の問題みたいに描かれてましたね・・・
あと、
信長元気すぎるやろ!
刺されてましたよね?
貫通してましたよね?
そんな重傷中の重傷でありながら、怒涛の殺陣に次ぐ殺陣。
そして、やれんのか金柑頭。
殺陣は岡田信長だけにさすがの安定感でしたが、刀が貫通した後だと思うと、なんだか、ね。
少年漫画的でした。
 
あと、信長を狙っていたはずの家康が、直前で暗殺計画をやめたはずの家康が、軽武装かつ家臣34人という人数で、堺にて人脈作り。
な~にしとんねん。
当時の畿内が軍事的空白であったのは間違いないですが、それは光秀にとっては、なんですよね。
家康が変を起こすとなると、隣国丹波と近江ですぐ動員可能な状態の明智勢1万3千がそのまま脅威になります。
これに光秀与力の丹後の細川氏、大和の筒井氏などが続きますから、本人含めて35人では、後処理がにっちもさっちもいきません。
もちろん、それぞれ数人の近臣や中間、下男等の身の回りの世話をする人は連れていたでしょうが、三方ヶ原の合戦ではなく、神君伊賀越えが家康の人生で最大の危機とされるのは、この人数の少なさが大きいわけで、そこらの落ち武者狩りにすら負けかねない人数では、何をどうすることもできないでしょう。
さらに言えば、最終的には本能寺でも数百、信忠が籠った二条城でも千五百ほどの人数がいたわけで、潜伏させていたという伊賀衆を含めても、下手をすれば負けかねないほどの少なさ。
しかも重臣クラスがごっそり随行していますから、変後に領国から兵を素早く率いて来るのも、統制的に難しいでしょう。
家康から信長を討つという告白を受けた後、家臣らを含め、大の大人が雁首並べてどんだけ杜撰すぎる計画を練っとんねん、という突っ込みがどうしてもよぎってしまいます。
 
史実を鑑みると、本能寺の変の前日に信長が公家らと宴会をして深夜まで愉しんでいたというのがあるわけで、そのリラックスしていたっぽい信長の姿と、どうする家康でのシリアスな覚悟を持って上洛してきた信長の姿が、どうしても合わなかったですね。
ネット上で色々と書かれていますが、個人的には、一次資料上では所在があいまいなお市は堺にいてもいいと思いますし、家康が主人公である以上、是非に及ばすや敦盛の舞が無くても問題ないどころか、何なら信長がナレ死でもいいと思ってます。
光秀も、キャラとして、いやらしい佞臣で何ら問題ないでしょう。
家康にとっては、本能寺の変という事件は遠くで起こったことですし、伊賀越えの方が遥かに危険だったわけですから。
でも、やっぱり視聴者を納得させるだけのリアリティは欲しいですな。
リアリズムの最たるものであった政治や合戦というものを、実際に自ら実行していた人たちですからね。
とこぞの武闘派が、「戦いは数だよ兄貴」とおっしゃっていましたが、その数の計算を誰よりも計算していたのが彼らなので。
あと、築山殿の信長による処断とか、供応役剥奪による光秀怨恨説とか、最近では割と否定されている説を採用しているのも、没入できない理由かもしれません。
どうしても突っ込んでしまうんですよね~
ファンタジー色が強めな深夜ドラマなら、この展開でも全然アリだと思いますけど、大河ドラマとしてはちょっとね・・・。
 

2023年6月30日金曜日

レキシ

歴史、ではなくレキシ。
バンド名です。
いや、ユニット名と言った方が良いんかな?
ちゃんとした正規(?)のグループというわけではなく、歴史に絡んだ諸々を楽曲にするプロジェクトとして誕生したユニットです。
歴史に詳しいスーパーバタードッグの池田さんをメインとして、その時々で結構メジャーなアーティストが参加していて、おぉ!?っと思わせる楽しいバンドでした。
知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない、というタイプのグループだったとは思いますが、最初に聞いたときは衝撃が走りましたね。
武士!?武士って言った??
最初に聞いたのは「きらきら武士」という曲でした。
その後も、
鎌足!?鎌足って言った??
とか、
年貢ってパワーワードを曲で聞くとは思わんかったな・・・
とか、聴く度につっこまずにはいられませんでした。
紫式部だけは、曲がかなり進んでから気付いたので、うまい具合にリズムにハメ込んだな~という感じでしたけど。
そのレキシが、マネージメント事務所を退所したとのこと。
 
 
ライブに行くほど熱心なファンではなかったですが、ラジオで流れるとテンションが上がり、楽しく聴いていました。
活動終了なのか、また違うマネージメント事務所で活動するのか、先のことは分かりませんが、とても残念です。
いつかまた曲を聴かせてほしいですね。
 

2023年6月12日月曜日

ダム決壊

ウクライナとロシアの戦争で、新たな局面が出てきましたね。
ヘルソン州のドニプロ川にあるカホウカ水力発電所のダムが壊され、氾濫が発生しました。
ただ、続報を待っていますが、ロシア側によるものか、ウクライナ側によるものか、証拠らしき報道は出てきませんね。
とは言え。
とは言えです。
日本史、世界史に限らず、堰を切って水浸しにするという作戦は、一般的には防御側が行うもの。
真田氏を徳川軍が攻めた上田合戦しかり、第二次大戦での中国軍による黄河決壊事件しかり。
氾濫させて足を止めたり、追い打ちを掛けたり。
お城でも、新発田城や大坂城などは、近くの川の堰を切って浮き城にしてしまうという構想がありました。
昔も今も、その有効性は変わりません。
話題を戻すと、ウクライナ側による反攻が報じられる中で決壊が発生したわけですから、どちら側が怪しいのかは明確・・・と思っていたら、カホウカダムの後にも同じことをやったみたいですね。
ウクライナ軍が侵攻した地域の近くで。
ほぼ確定でしょう。
ちなみに、第二次大戦までは、ダムを決壊させるのは割と使われていた作戦だったのですが、あまりにも影響が大きすぎるとして、現在はジュネーブ条約で禁止されています。
つまり、ロシアは戦い方が古い時代のままなんですね。
兵士の使い方もそう。
兵器まで第二次大戦レベルまで遡る勢いのようですが。
近代兵器が底をつき、余裕が無くなると、古い時代の戦い方がなんたかんだ効率的なんでしょうね。
しかし、インフラ破壊されると、戦争が終わっても厳しいですな。
少しでも被害が少なくなることを祈ります。
 

2023年4月23日日曜日

さすがに違和感

大河ドラマ「どうする家康」についてですが・・・
さすがにちょっと違和感が。
先週、走れメロス張りの侍女の奮闘がありましたが、今週になると、まさか開始早々に合戦がナレーションで終わりとは・・・
先週あれだけ引っ張ったのは何なん?
金ヶ崎の退き口は、確かに秀吉にとっては立身出世の大事な糸口になった戦いで、家康にとってはそうでもないかもしれませんが、先週までの引っ張り方とは違い過ぎて、何を先週は見さされてたんやろ?的な感じにちょっとなりました。
小豆の逸話に掛けたであろう阿月という侍女の話や、お市の方のあれこれも、史実で言えば家康とは絡まない話ですから、そっちは引っ張るのに、一応は徳川軍の撤退戦の逸話が残っているこっちはナレーションかいなと。
さらに、今週の姉川の合戦での猜疑と、空鉄砲。
史料によっては、家康が先陣を主張して譲らなかったという話もあるほど、士気は高かったとされているのに。
榊原康政が活躍するのかと思っていたら、そんなこともなく合戦は終了し、曳馬へ場面転換しちゃいました。
史実や伝わる口伝とは離れすぎて、見ていてちょっとしんどいですねぇ
脚本家は、信長をどう描きたいんでしょうか。
光秀の無能っぷりも気になります。
この辺りは、本能寺の変の伏線になるのかもしれませんが。
しかし、ヤバいなぁ
戦国大河やのに、リタイアするかも知れん・・・
 

2023年4月8日土曜日

どうする義昭

大河ドラマ「どうする家康」が、信長の上洛の時代に差し掛かり、足利義昭が登場しました。
キャストは確認してなかったのですが、見てびっくり。
貫禄ありすぎるやろ・・・
足利義昭役は、古田新太。
この頃の足利義昭は、天文6年(1537)生まれの満31歳になる年。
対する今の古田新太は、昭和40年(1965)生まれの満58歳になる年。
ちなみに、伊川谷高校出身のご近所さんです。
そりゃ、こんな貫禄が漏れ出てる義昭に居眠りされても、何も言えませんよね。
怖いし・・・
何を考えているか分からない、鈍い眼光でスカす演技が面白い俳優さんで、今までの義昭像からはかなり離れそうな予感がします。
家康にはそれほど絡んでこないとは思いますが、今後、義昭とどんな絡みが展開されるのか、ちょっと楽しみになりました(笑)