2019年8月31日土曜日

北陸北信ツーリング その14

前回のあらすじ
 
塩尻にて雨天ゲームセット!
 
想像したより大きく、遺構もシンプルながら盛りだくさんだった北熊井城を後にして、県道63号線を戻り、国道20号線へ出て塩尻I.C.へ。
ここから帰路・・・というか、雨中撤退戦に入ります。
長野道の辺りはまだ雨もお湿り程度だったんですが、岡谷を越えて中央道へ入ると、本格的に降り始めました。
ちょうど昼前頃に駒ヶ岳付近に差し掛かったので、ちょっと早めの昼休憩をば。
食堂がいっぱいになる前で良かったですわ。
昔、スキーに行く時によく食べていた豚汁定食を食べ、食後もゆっくり休憩しつつ、ついでにカッパを少し乾かし、英気を溜め込んで再び撤退戦へ。
しかししかし、そんな英気をすぐ消耗するぐらいの雨が。
この昼休憩後から恵那峡S.A.までが一番酷く降られましたね。
カッパが古いのか、恵那峡に着く頃にはデニムパンツにも浸水してました。
恵那峡S.A.で1時間近く休憩した後、淡々と中央道を走り、名神高速に入る頃にはようやく小降りに。
ただ、名神高速は運悪く大規模な集中工事の期間中で、所々渋滞がありました。
雨に濡れながらの渋滞は、中々きついものがありますな。
雨に濡れながらでも、流れているなら、まるで修業のような、ゾーンのような、余計なことを考えずに淡々と走るモードに入るんですが、止まったり徐行したりしながらただただ濡れるというのは、行程を進んでいる感が無いので心が試されますわ。
ダメ押しは栗東手前からの11kmの渋滞。
いや~、さすがにこの長時間の雨中撤退戦は疲れました。
最後は、どこかでストレスを発散しないと気が済まなかったので、ちょっと高級なネスタリゾート神戸の温泉に入って帰りましたとさ。
 
 
うむ。
なかなか広々とした温泉で良かった。
ただ、日常使いするには高いよな~(^^;)
 
1日目 418.8km
 
 
2日目 240.4km
 
 
3日目 273.6km
 
 
4日目 620.9km
 
 
総計 1453.7km
 
 
参考:
延羽の湯閑雅山荘
地図付きはこちら
 

2019年8月24日土曜日

GSOMIA破棄

GSOMIA、いかめしい日本語にすると、軍事情報包括保護協定というやつですが、日韓の間のGSOMIAの破棄が22日に決定され、韓国から日本に通告されました。
これにより、この協定は3ヶ月後に切れることとなります。
これにはちょっと驚きましたね。
相互的な情報協定ですが、偵察衛星を持たない韓国の方が、得るものが多いからです。
この日韓のGSOMIAは、民主党のオバマ政権時代に米軍が特に望んだものですから、トランプ大統領が構想しているとも言われる在韓米軍撤退の可能性も、少しだけですが現実味を帯びてきた感がありますな。

今、2020年の予算がアメリカで審議されていますから、議会多数派となっている民主党がこれを受けて、今までの方針から転換するのかどうか、気になる所です。
兎にも角にも、このGSOMIA破棄に関してはニュースがいっぱい出てるので、分析には困らないわけですが、穿った見方としては、文政権の民情秘書室長で次期法務部長官に内定しているチョ氏に不正疑惑が噴出しており、保守派による反文政権デモが警察発表で4万人にも上っていることから、この批判を逸らす為というものまでありました。
ただ、過去の政権を見ても、そういう近視眼的な政策は度々ありましたから、安直に否定もできないところですな。
また、表に出てきた公的な発表を追うと、韓国側によって最初に、「米国は理解している」との発表があった後、米国から「一度も私たちの理解を得た事が無い」と直接的に否定され、翌日に韓国側はコメントを後退させました。
このバタバタを考えると、事前の根回しは全く無かったと想像できます。
まるで思い付きで決めてしまったような、そんな印象さえ受けてしまいますね。
実際、この破棄に関して、アメリカ政府の公式な発言では、「強い失望と懸念を表する」とありますが、政府関係者からは、「壊滅的なほど愚かな決定」と言った言葉や、アメリカは理解しているという事に対しては「嘘」という、ちょっと外交関係では見られない言葉が並びました。
普通は、行き違いがあるとか、コンセンサスが取れていないとか、もうちょっとオブラートに包んだ表現をするんですがね。
アメリカのみならず、韓国や日本でも、延長するというのが大方の見方でしたから、この決定に対する驚きと失望の度合いが表現にモロに出ていますな。
 
しかし、世界を見ると、この日韓も話題豊富ですが、米中は米中で再び貿易に関する軋轢が増し、トランプ大統領は「米国企業は中国から撤退しろ」なんて言葉も飛び出しています。

アメリカのダウ工業株も大きな下落となりましたし、FOMCでの利下げ観測もあって、市場はまたしばらくの間、乱高下するかもしれません。
夏休み最後の週、韓国のホワイト国外しの実施も控え、宿題と同じように切羽詰まった状況になるのか、今後が気になりますな。
 

2019年8月18日日曜日

北陸北信ツーリング その13


前回のあらすじ
 
海津城は整備されててめっちゃ散策しやすかった!
でも、雨早くね?
 
妻女山で本格的に雨が降り出したので、止むを得ず、雨が比較的遅い松本塩尻方面へ遁走です。
雨に追い立てられるように国道403号線を西へ走り、カッパを着込んで更埴I.C.から長野道へ。
途中、降ったり止んだりの雨模様ながら、本降りとまではならず、朝っぱらからテンションダダ下がりにならなかったのは幸いでしたね。
トンネルをいくつも抜け、山塊を越えると松本平へと入り、ここで天気が変わって曇天となりました。
天気が良ければ、最終日は小笠原氏所縁の林城なんかにも立ち寄りたかったんですが、この天気模様では仕方なし。
というわけで、それらの目的地としていた城の内、塩尻近辺の城だけ寄ることにして、塩尻北I.C.で長野道を降りました。
しばらく国道19号線を南下し、東へ行くと、熊井という地区があります。
今回の旅の最終目的地となるのは、この熊井地区にある北熊井城。
しかししかし、国道19号線から適当に左折してみると、スマホの地図に南熊井城なる文字が見えるではないですか。
なぬ、これは行かねば。
さすがに急に発見した城だったので、具体的な場所が分からず、ちょっと右往左往しましたが、再び小雨が降り始める中、なんとか城を発見しました。
 
 
南熊井城は、伝承はいくつかあるようですが、在地豪族の居館背後の小規模な詰城だったようで、後には大規模に整備された北熊井城の出城として使われたんではないでしょうか。
それでも、大手の切岸や空堀はなかなか見応えがあります。
 
 
主郭なのかどうなのか、郭として残っている区画には、小さな社が祀られていました。
 
 
その区画は、空堀で続きの台地と区切られています。
 
 
この城とほぼ同高の続きの台地が開墾されてしまっているので、そこが当時は原野だったのか、それとも城の一角を担っていたのかで、堅固さは随分と変わってくるのですが、どちらにしても、田川を西に、その支流を東に控えた10m強の丘陵にあり、城地としてはなかなか地の利を押さえていますね。
少し視野を広げると、塩尻峠から松本平へ進出する軍勢を抑える場所であると同時に、木曽路から松本平へ進出した地点の東側にもあたり、北熊井城よりもより前線に位置します。
そう考えると、かなり良い場所なんよな~
もっと事績が判っててもいいはずなのに、そこは残念ですわ。
 
小雨が降り出した南熊井城の散策を早々に終え、次に向かうは北熊井城。
城は、南熊井城から東へ1kmちょっとの場所にあります。
県道63号線を北に向かい、長野道の立体交差を越えて右折すると、東に延びる立派な道があり、その道を進むと、道沿いに巨大な段々畑のような地形が見えてきますが、それが北熊井城。
想像していたよりも、かなり巨大です。
北熊井城は、南熊井城よりは幾分か事績がはっきりしており、武田信玄の重臣であった駒井高白斎が記した高白斎記に、熊野井城として出てくる城に比定されていますね。
ただ、武田勢によって塩尻の拠点として改修されたことは間違いないようですが、それまでの城主や改修後の城主は、諸説あってはっきりとしていません。
立派な道から、空堀を利用した道を使って本丸の下まで来ると、気を削った雄々しい標柱が建てられていました。
地元の人に大切にされている城という雰囲気がプンプン匂ってくるようで、なんだが城好きとしては嬉しいですね(^^)
北熊井城の構造としては、伊那地方でよく見掛けたような、丘陵の突端を堀切で区画してそれぞれ削平した連郭式の城です。
 
 
まずは本丸から。
 
 
マイナーな城ですが、規模はなかなかのものです。
本丸東側には三重の空堀があり、写真では見にくいですが、なかなか見応えがありました。
 
 
本丸の西には、空堀を挟んで西一ノ丸も見えますね。
 
 
本丸北側は、かなりの高低がありますな。
 
 
本丸と西一ノ丸の間の空堀はかなりの規模で、整った車道から城跡へ入って来る舗装路となっています。
この道を走ると、城が迫って来るようでなかなか迫力があるんですよね(^^)
本丸南側に回ると、そこにも空堀があります。
空堀というよりは横堀と呼んだ方が機能的には正しいかな?
 
 
この堀底を進んで行くと、本丸東側の三重空堀のひとつ、金池跡に出ます。
 
 
城の東側には、東門跡に例の雄々しき標柱が建っていました。
 
 
それは西にも。
 
 
2つの城門は南に向いています。
縄張図を見ても、南側に土塁と空堀が複数備えてあり、南が正面なのは間違いないですね。
北側には高低差があり、南側はそれほどではないので、なんらかの居住区画があったのかもしれません。
文献の少なさから、城下町のようなものがあったほど大きくは無いような気はしますが。
往時がどのようであったのか、知りたいですね。
続いて本丸の西側へ。
城の西部分の南側の空堀。
ここも明確に残っています。
  
 
本丸の隣の西一ノ丸へ。
 
 
こちらはあまり人が入らないのか、ちょっと整備がされていませんでした。
西一ノ丸から、西二ノ丸とその間の空堀。
こちらも明確でいいですね。
 
 
北熊井城は、空堀は深く、切岸は険しく、城としてはかなり良く遺構が残っている城で、マイナーながら、城好きには是非見てもらいたい城でしたね。
ただ・・・ただねぇ・・・
雨さえ降ってなければ・・・(> <)
 
あと少しだけ続くんじゃ・・・
 
参照:
南熊井城
北熊井城
地図付きはこちら
 

2019年8月13日火曜日

北陸北信ツーリング その12

前回のあらすじ
 
凶・・・だと?
 
ツーリング最終日の4日目は、前日の予報に拠れば次第に雨になるとのこと。
ただ、松本や塩尻辺りは昼近くまで曇りとの予報でしたので、回る所は回って、松本方面へ逃れたいところですな。
この日は、雨に備え、7:00前にホテルを出発しました。
まず寄るのは、松代城とも呼ばれている海津城。
現地の城址碑には海津城とあったので、海津城と呼びましょうか。
あの川中島の合戦でも重要な拠点となった城です。
前回来た22年前は石垣の積み直し工事で、城内の散策はまともにできませんでしたが、それから大河ドラマもあり、色々と整備されているようで、楽しみですね。
松代市街で多少道を間違えましたが、海津城付近に来てみると、前回の時は健在だった長野電鉄の松代駅が、ホームだけを残して廃線となっていました。
 
 
なかなか地方の鉄道は、経営が難しいんでしょうね。
この辺りも、地方の過疎化と車社会を感じます。
さて、松代駅近くにバイクを止め、散策開始。
現在の海津城は、三ノ丸と花ノ丸は市街地化していますが、本丸と二ノ丸の大部分が公園として整備されていました。
駅から歩くと、二ノ丸石場門から城内へと入る形となります。
 
 
この石場門は、丸みがある構造で、特徴的ですね。
なんとなく丸みがあって、女性的な印象すらあります。
二ノ丸に入り、歩を進めていくと、内堀と本丸の石垣が。
東不明門と前橋ですな。
 
 
ここから左手に進んで行くと、二ノ丸南門があり、周辺に案内板があります。
 
 
今の海津城で残っている部分は、二ノ丸の大部分と本丸、内堀で、二ノ丸の南にあった三日月堀や三ノ丸、東西の外堀、南西の花ノ丸なんかは、残念ながらありません。
南門の南の馬出や、三日月堀が残っていれば、武田流の名残をもっと強く感じたのかも知れませんね。
二ノ丸南門のすぐ西には、印象的な土塁がありました。
 
 
曲線の多かった武田流の縄張の残骸のような雰囲気がありますが、どうなんでしょうか。
役割的には、花ノ丸から三ノ丸を通って二ノ丸南門に押し寄せる敵兵を、堀越しに弓や鉄砲で攻める為の場所ですな。
二ノ丸南門から振り返ると、本丸大手の太鼓門と橋詰門が正面です。
城門は復元ですが、ここからの画は、海津城で最も城らしい雰囲気のある構図でしょう。
 
 
ちょうど、御開門の時間。
係の人が開ける作業をしてました。
太鼓門からは入らず、内堀沿いを西へ回ります。
下は内堀と太鼓門の様子。
 
 
さらに進むと、面白い埋門がありました。
 
 
なんか古墳の石室入口みたい(^^)
この門をくぐった先には、本丸北側の不明門と戌亥櫓台。
なかなか豪壮な石垣です。
 
 
さて、いよいよ不明門をくぐって本丸へ。
 
 
本丸には、海津城の城址碑がありました。
 
 
城のシンボルだった戌亥櫓の石垣へ。
櫓台から城内を見回します。
左手の北不明門方向。
 
 
ここから見る石垣は折れが多く、なかなか見応えがあります。
右手に目を向けて、大手の太鼓門方向。
 
 
こちらは落ち着いた古城の雰囲気ですな。
最後に、門が無くなっている東不明門から外へ。
東不明門付近の石垣と前橋です
 
 
芝生が前面に敷かれていて、とても整備されている城でした。
天気も、雨粒が数粒落ちてきましたけど、なんとか持って良かった(^^)
 
海津城からは、松代市街の住宅地をなんとなくの方向感覚で抜け、農道を走り、高速沿いの国道403号線へ。
次なる目標は、妻女山。
言わずと知れた、上杉謙信が陣を敷いた山です。
ただ、甲陽軍鑑には西條山とあり、妻女山というのは、上杉軍の将兵が妻女を偲んだという俗説から付けられた名前らしいですな。
ちなみにその西條山や西条山と呼ばれる山は、この妻女山から南にかなり離れた場所の山で、翌朝に八幡原で決戦を行うにはちょっと遠い。
このことから、妻女山のある山系の主峰にあたる斎場山が陣所だったとの説もありますね。
その説によれば、斎場山の東峰にあたる妻女山は赤坂山と呼ばれ、甘粕景持が陣を敷いていたとされます。
実際はどうだったんでしょうか。
ま、第4次川中島の合戦自体が不詳なので、ロマンのある話ということにしときますか。
妻女山へは、高速沿いの国道から舗装された道が出ており、するすると上って行けば、簡単に着くことができます。
ちょうど、妻女山の展望台のある場所まで舗装されていました。
展望台からは、海津城がよく見えます。
 
 
左手に向けば八幡原。
 
 
海津城からの炊煙を見、眼下の八幡原へ出陣する決意をしたんでしょうな。
展望台には陣図もありました。
 
 
実際の景色を眺めながら陣図を見てみると、臨場感が違いますな。
ただ・・・
早くも雨が!
ゆっくり眺めさせてくれよ(> <)
  
つづく
 
海津城
妻女山陣所跡
地図付きはこちら
 

2019年8月8日木曜日

ホワイト国除外から

所謂ホワイト国、今はグループAとなっていますが、そのグループから韓国を外す事が閣議決定されてから6日。
予想通りの韓国の激しい反発がありましたね。
アメリカでは、ECRAという輸出管理法が昨年に成立しており、今回の日本の輸出管理強化は、それを先取りしたものとも言えるのですが、韓国は意図的にそれを無視しているように見えます。
ただ、この輸出管理強化に関しては、軍事転用の恐れが無いとして今日8日に最初に規制された3品目で1件の輸出の許可が例外的に発表され、適切な取引の場合は許可をすることが示されました。
また、ホワイト国から外されたことによって管理強化される品目も細則で公表されていますが、これも大規模な影響は無さそうです。
当初より日本政府が主張していた、管理強化という方針通りの動きですね。
ありとあらゆるところで日本を批判していた韓国ですが、この結果を見て告げ口されていた国は、ちょっとポカンとなったかもしれません(^^;)
あの大騒ぎは何だったのかと・・・
 
ただ、それよりも気になるのは、世界情勢が激しく動いていることです。
日本では、当然のように日韓の報道が多かったんですが、世界では日韓2国間の事は関心が低いはずで、アメリカではFOMCがあり、中国では1ドル7元という歴史的防衛ラインを切り下げる破七の動きがあり、この事が大きく報道されていますね。
この破七によって、アメリカ政府は中国を為替操作国に指定し、新たな関税政策も掛けるようです。
この為替操作国は、関税が課されたりする為、今まで韓国や中国などは、できる限り回避しようという空気が強かったように思いますが、トランプ大統領によって関税強化があちこちで発動した為、ちょっと重みは減っているような印象ですね。
新たな関税が来ても現状から大して変わらない、という雰囲気があるのかもしれません。
また、対する中国も、今までは1ドル7元のラインといのうは相当意識していたはずなんですが、割とあっさり破七を認めたような印象があります。
それほど国内状況が切羽詰まって来ているのでしょうか。
気になる所ですね。
 
日韓でワーワーとなっている間に、世界ではまた状況が1歩進んだような印象があり、今後のニュースに注目したいですね。