2016年12月31日土曜日

2016年終了!

2016もいよいよ終わっていきますね。
今年も色々ありました。
ただ、ツーリングに関してはちょっと不完全燃焼ですかねぇ
でも、あと少しで本厄も明けるので、来年は楽勝っす!
今年の個人的な流行語大賞は、
「黙れ小童ァ!」
ですかね。
真田丸の室賀正武の決めゼリフ(?)です。
ちょっと忘れてたんですけど、最終盤で綺麗に伏線回収しました。
あれ以来、どこかで言いたくてしょうがない(笑)
ま、何はともあれ、来年も良い年になりますように。
そして良い旅ができますように。
 

2016年12月30日金曜日

2016年ツーリング納め

いよいよ2016年も終わりが近づいたある日曜日、友人と走り納めとして淡路島に行ってきました。
自分にとっては走り納め兼前輪タイヤ慣らしのプチツーリング。
行って帰ったら確実に慣らしの目安である100kmは超えるはずです。
しかししかし。
今年は暖かい日が多かったのに、行く予定の日の予想気温は最低気温が4℃、最高気温が12℃。
もう12月なんで当然と言えば当然なんですが、
なぜこの日だけ寒いんや・・・
しかも春に淡路に行った時よりも低いやないかい!
どうなっとるんや!
とは言っても、日程は天気予報よりも早く確定したのです。
弱音を吐いても仕方がない。
というわけで、淡路島一周を諦め、気温の上がってくる11時半に出発しました(^^;)
 
友人との待ち合わせは岩屋港。
友人は原二なので、明石海峡大橋は渡れず、ジェノバラインという船便です。
昨年に新造船が就航しまして、それまで原付しか乗れなかった船に、125ccの原二が乗せられるようになりました。
これはちょっと羨ましいですな。
距離は短いとは言え、船旅が入るだけで旅情が掻き立てられます。
神戸淡路鳴門道から行くと、もちろんお手軽で早いんですが、近場に出かけるのと大して変わらない感覚になってしまいますからね。
とりあえず友人と合流し、道の駅あわじで昼飯を頂くことに。
チラっと見たところでは、生シラス丼は早くも売り切れの様子でした。
人気なんやねぇ
自分は、明石海峡の鯛の茶漬けと焼きカキ。
写真は・・・
無い。
来たら食うっちゅうねん!
食べてから気付くのはいつものこと。
食事の写真を載せるという事に、いまだに慣れないおっさん。
まぁ良いではないか。
 
食事を摂りながら友人と大体のルートを決め、いざ走り納めへ出発!
まずは国道28号線で南下していきます。
今日は寒波襲来ということで、明石海峡大橋の上も時々バイクが横滑りするぐらいの風だったんですが、国道28号線は穏やかでした。
淡路島東側の海面も凪で、橋上の風を思いつつ、なんかえらく遠くに来たような錯覚さえ覚えます。
国道28号線は久々に走りますが、随分と道が良くなりましたな。
淡路島一周をロードバイクで旅する人も多いですが、ロードバイクのブームだけではなく、こういう環境の向上もあるんでしょうね。
懐かしい感覚と新しさに驚きを覚えつつ、気付けばもう津名。
国道28号線に別れを告げ、内陸部へ。
しばらく走ると津名一宮I.C.が見えてきます。
この近くにあるのが、たこせんべいの里。
なんか毎回ここでお土産を買ってる気がするな(^^;)
でも、うまいからつい買ってしまう。
たまねぎせんべいなんかは、日本酒にも合うのでなかなかよろしいですわ。
 
たこせんべいの里で食後のコーヒーを頂いて暖を取り、再びバイクを駆っていきます。
と言っても、次の目的地はすぐ近くの伊弉諾神宮。
国生み神話の中心地ですな。
なんか小学生の一団を引き連れた古代装束のガイドがいて、テレビ撮影をしていましたが、それを尻目におっさん2人は拝殿でお参り。
ちょうどお祓いをしている方がいて、巫女さんの典雅な踊りも見えてラッキーでした。
さすがに由緒ある古社にもなると、巫女さんが舞を捧げる古式ゆかしいお祓いになるんですね。
なんて凄く得した気分になりました。
写真も撮ってみましたが、例のごとく、伝わらんな・・・
 
 
お参りを終えると、空から雨粒が落ちてきました。
見上げると、部分的に黒く厚い明らかな雪雲があり、そこから落ちてきています。
寒い上にこれかい!
と思いましたが、まぁ雪じゃないだけマシということにしておきますか。
 
幸い、雨も通り雨程度で済んだので、伊弉諾神宮からはそのまま淡路島の西岸に出て、北上して行きます。
島の東岸とは一転して、西岸はさざ波が立つほど風が強く、体感の寒さも東岸に比べて数度は低かったですね。
友人は、「淡路島の寒さを舐めてたわ」って言ってました(^^;)
そんなこんなで岩屋港に到着し、3時のコーヒーを飲んで解散。
寒さに弱い自分的には、12月の走り納めとしては、よく走った方かもね。
タイヤの慣らしも終えれたし、満足ですわ(^^)
 
計124.2km
 

2016年12月26日月曜日

前輪タイヤ交換

静岡の霊峰厄落としツーリングのまとめがまだまだ途中なんですが、ちょっと閑話休題。
 
いよいよ年末に差し掛かってきたということで、地元の小学校からの付き合いという原二乗りの同級生と、走り納めをしてきました。
ま、走り納めではあるんですが、自分にとっては慣らしでもあったんですな。
何の慣らしかと言えば、タイヤ。
そう、春にパンクし、交換した後輪に引き続いて替えた前輪のタイヤです。
引き続いて?
いや、引き続いてではないな・・・
後輪は応急処置では塞がり切らず、スローパンク状態だったので慌てて交換したんですが、前輪も後輪交換直後に注文しました。
それから・・・
5ヶ月も来ねぇ。
国外品のバックオーダーという恐ろしさを存分に味わいました・・・
タイヤが到着したのは10月末。
もうついでなんで、交換は秋のツーリング後にしましたわ。
いやはや、ビックリ。
 
大して参考になりませんが、ちょっとレビューしますかね。
交換タイヤは、当然ながら後輪と同じanakee3なんですが、後輪は結構フィーリングの違いが出たのに対し、前輪のほうはTrailWingとの違いはそれぼど感じなかったですね。
後輪ほどトレッドパターンが目立たないというのも、それほど違いが出なかった要因でしょうか。
後は・・・特になし。
後輪ほど固いという印象もないし、素直な感じなんで、印象も少ないですな。
まだ倒し込んだりはしてないので、その辺で違いが出るのかもしれませんが。
まぁ、兎にも角にも交換できて一安心ですわ(^^)
 

2016年12月19日月曜日

厄落としツーリング その4

前回のあらすじ
 
白山城。
無名ながら良き城でしたわ。
 
白山城を下り、麓の谷本神社で汗が引くまで休憩を入れ、いよいよ森町に来た本来の目的地である天方城へ。
警備員のおじいちゃんに阻止された橋を過ぎ、しばらく南に行く、行き道で通った新しい大きな橋があります。
県道はこの大きな橋で川を渡って対岸へ続いているのですが、対岸に渡ってから左に折れると、天方城への案内が出ていました。
こんな麓から案内が出ているなんて、有り難いですね。
この天方城、戸錦駅からのハイクコースにも組み入れられているようで、川沿いの道にはハイカーがチラホラいました。
車道としては、南側から山へ入り、茶畑の農道として城まで続いているんですが、登山道は西側からのアクセスになるんですかね?
農道のほうは、車ではすれ違うのが困難な場所もあって広々というわけではないんですが、天方城の二ノ丸が駐車場になっており、直通といった具合で、楽々の登城でした。
下がその駐車場。
 
 
ここに案内板も建てられています。
この二ノ丸から北に行くと、薄っすらと外堀の痕跡も残っていました。
 
 
内堀に比べると全くもって痕跡という感じですが、これはこれで古城の趣がなかなかよろし。
ぐるっと回って北側から本丸へ入っていくと、立派な内堀が出迎えてくれます。
それもかなり見事な内堀で、思わず「おぉ!」と声に出たぐらい(^^)
 
 
どことなく武田流っぽい気がするんですが、どうなんでしょうか。
城が武田方だった時代もあるので、武田家が改修した可能性も十分ありそうです。
本丸の全景と城址碑はこんな感じ。
 
 
本丸はすごく広かったですね。
遠足で来ても子供たちが遊べそうなぐらい。
しかし、内堀から本丸の広い空間にかけての雰囲気は、ほんま新府城に似ているなぁ
その辺り、詳しく知りたいです。
本丸を散策してみると、東屋で休憩をしてるハイカーさんがいて、やっぱりハイキングコースとしてなかなか有名な場所みたいですね。
本丸の一角には、こんな展望台もあります。
 
 
遮るものなく一望できて、かなり爽快でした。
頑張って登ってこの景色なら、疲れも吹っ飛びますわな。
登山のご褒美としては最高(^^)
 
天方城を下り、天竜浜名湖鉄道沿いに進んで森掛川I.C.に戻り、再び新東名高速へと入ります。
少し進んだ先の掛川P.A.で、早めの昼食。
ここはフードコートなんですが、座敷ありテラスありで、なかなか寛ぐにはいいところです。
なんか毎回休憩で立ち寄っているような気もしますが・・・(^^;)
今回は、新投入のワイヤー式トレッキングブーツなので、今までの紐靴と違って靴の脱ぎ履きが凄く楽。
なのでガッツリと座敷を使わせてもらいました(^^)
うむ。
体もリフレッシュ!
気分良く再スタートし、掛川P.A.から近い島田金谷I.C.で降り、国道473号線から峠道を上って諏訪原城へ。
正確には台地上の上る道なので、峠とは違うのですが、激しく上って行く道で、峠と同じく走り甲斐があります。
この道は、旧国道1号線なんでしょうな。
県道になっていますが、なかなか道幅といい、整備された道でした。
交通量が少なければ、突っ込んで走ってても安全で面白そうな道ですね。
やっぱ大型バイクの醍醐味は上りよなーと思いつつ道を登り切ると、交差点があり、そこを左折すると諏訪原城へと到着です。
この諏訪原城の駐車場のすぐ近くには、かつての東海道の石畳が綺麗に残っていました。
 
 
街道を城下に取り込んだ城は多いですが、このようなかつての街道の石畳が残っているという城は珍しく、なかなか趣があります。
さて、いよいよ要衝諏訪原城へ突入!
と行きたいところですが、長くなったのでまた次回。
 
つづく
 
参考:
天方城
地図付きはこちら
 

2016年12月12日月曜日

厄落としツーリング その3

前回のあらすじ
 
天方新城は警備員のおっちゃんに阻止された!
天方本城も急峻な茶畑農道に阻止されかけたが、なんとか攻略完了!
 
天方本城を下り、南へバイクを走らせると、天方新城へ行く前に白山城というマイナーな城のすぐ下を通ることになります。
時間があったら寄るかもな、という程度で下調べはしてたんですが、ここの城は道が無く直登になるということで、まぁ無理なんちゃうかと思ってました。
でも、せっかくすぐ下を通るんだからと、麓の谷本神社に寄ってみることに。
 
 
静かな神社ですが、境内が広く、秋祭りの頃には賑わいそうな神社ですね。
地元の人々が大切に守っていそうです。
さて、問題はここから直登路があるのかどうかなんですが、しばらくウロウロしてみても、取り付くような場所が無さそうでした。
道が無いなら無いでしょうがないかなと神社に向かって左手の脇に進んでみると、なんか取り付けそうな場所が。
数m程度の崖ですが、取り付いた形跡も朧気ながらある。
ちょっくら登ってみるかと、生えてる竹を支えに体を持ち上げていくと、崖を乗り越えた先は尾根筋でした。
しかも、天方本城と同じで、シダ系の植物が生えており、整備されてなくても草が浅い。
なかなか歩き易い尾根でした。
しばらく登ると、尾根筋を削平した城の段郭が。
おお、もう城域かと、段郭を縫って登って行きます。
数えてみると、しめて9段もの段郭が。
途中には、堀切だったであろう凹みがありいくつかありました。
下から数えて4段目の段郭付近の堀切は不明確でしたが、その凹みは谷本神社方向へ綺麗に下っています。
 
 
写真では判りにくいですが、完全なる竪堀ですな。
しかも、無名の城でこんな確認しやすい竪堀はなかなか珍しい。
ええもん見させてもらいましたわ(^^)
この少し上の6段目の段郭付近には、明確な堀切もあります。
これはかなり綺麗ですな。
 
 
このまま、段郭沿いに頂上近くまで登ってみると、登った道と直角方向に同高の尾根筋がありました。
ここを右手に行くと最後部の削平地があります。
 
 
この先に本丸と思われる三角形の削平地があるんですが、大きさはかなり小さかったですね。
尾根筋に少し幅がある程度。
尾根の隅部らしい三角形の郭でしたが、もしかしたら物見台的な機能があったのかも。
この同高の尾根と直交する形で、やや下がったところには次段もあります。
T字型の尾根というか、鈎型の尾根というか、そんな感じで繋がっており、最後部の郭よりも広いですね。
ちょうど最後部から延びる尾根から直角に折れた所から次段全体を撮ったんですが、判りにくい・・・
 
 
木々が無ければ写真でももう少しはっきりするんですがね。
下はその削平部分。
 
 
最後部の郭より広いといっても、あくまで中世的な感じで、居住性はほぼ無しといったところですな。
次段から最後部の尾根筋に戻り、先ほどの郭と反対方向へ歩いていくと、堀切と土橋という明確な遺構もありました。
 
 
ただ、これより先は、?がつく所ばっかりなんで、明確な遺構というのが判断しにくかったです。
ん~郭かな?
ん~埋もれた堀切?
ん~櫓台と言えなくもないかな?
そんな感じです(^^;)
しかも、ほぼ同じ高さで延々と尾根筋が続くんですよね。
城の区切りがはっきりしないから、こちらも区切りが付けにくいという・・・
発掘調査がされれば、かなり明確に城になるとは思うんですけどね。
ただ、今のままでも、驚くほどはっきりしている部分が多いので、古城好きにはそれはそれで魅力があるのかもしれません。
訪れて損のない城でした。

つづく

参考:
白山城
地図付きはこちら
 

2016年12月5日月曜日

流行語大賞

ダラダラひま潰しがテレビからネットに移行し、世間の流行に無頓着になって久しい自分が言うのも何なんですが、ここ数年の流行語大賞の選定の衰えが酷いですね。
昨年は「トリプルスリー」、今年は「神ってる」。
かつての高校球児で、今でもプロ野球をちょいちょい自分から見ても、
どっちも流行ってないやろ(笑)
プロ野球界隈ですら、そんなに言われてたか?という印象です。
歴代の大賞やトップテンなんかを見ると、2014年の「集団的自衛権」辺りからなんかおかしな感じですね。
ニュースでいくらでも流せる政治的話題と流行は性格が違うと思うんですが、流行ってないのに無理やり入れた、みたいな印象です。
当然、個人個人で興味の対象は違うので、一概に言えませんが、「アベ政治を許さない」とか、選挙で圧倒的多数を得ていた政権なのに、流行ってると言われても・・・
選考委員の人たちが、特に興味を引いた言葉なんでしょうか。
支持率が韓国みたいに恐ろしく低迷していれば解るんですがね。
あと、トップテンの「保育園落ちた日本死ね」ってのも、どうなんでしょうか。
一応おめでたいはずのアワードなんやから、「死ね」という語感の悪い言葉は無いやろと思うんですが。
死ねとか出てくると、そんなもんかといった感じでアワードの品格も軽く見られてしまうし、良い事は無い気がします。
しかも、保育園の定員は増え続けている背景もある中で、落ちた死ねってのはなんとも・・・ね。
「待機児童問題」とかなら何も感じなかったでしょうが。
 
今回の件で、アメリカ大統領選挙の時にも感じたことですが、いよいよテレビや雑誌がオールドメディア化してる印象が強くなりましたね。
個人がそれぞれ勝手に1次ソースから情報を取って来ることができる時代に、流行語というものが世間一般の話ではなく、興味のあるグループでしか通用しない時代になってきてるんだと思います。
内輪ネタ的な感じでね。
それと、メディア界隈にリベラルな人が多いことも拍車を掛けているのでしょう。
世界中で、グローバリズムの恩恵を得られなかったごく普通の中産層の間でナショナリズムへの逆回転が起こっており、グローバリズムを推進したメディアやリベラルの信用が落ちつつあります。
笛吹けど踊らず。
イギリスでも、アメリカでもこの現象が見られました。
次はイタリア、フランス、ドイツですかね。
要注視ですな。
 

2016年11月30日水曜日

厄落としツーリング その2

前回のあらすじ
 
初日は夜だけながら快調快調!
 
この日は一路静岡へ。
ただ、もう大阪京都を越えている分、いつもよりはるかに気が楽ですな。
神戸から行くと、大阪京都は高くそびえる壁。
勢いが必要で、しかも渋滞を避ける時間調整が必要なのです。
それが要らないのは、すごくいい(^^)
石山南郷温泉を出たのは6時過ぎ。
昨日買いこんでた朝飯を掻き込んで、朝食支度をしてそうな宿の調理場を尻目に気付かれぬまま出発。
そのまま、東へ向かいたいところですが、目の前の瀬田川は川幅もあるから、あまり橋が無いんですよね。
止むを得ず瀬田川沿いを北上して石山を通過し、瀬田の唐橋から東へ。
新幹線や名神高速の側道があればと思ったけど、これも無かったので、道路上の案内が指示するまま瀬田I.C.まで走ります。
あとはお馴染みの新名神から伊勢道、伊勢湾岸道へ。
途中、刈谷P.A.で休憩を入れたんですが、これがまたマスツーリングの集合知なのか、ハーレーが多い多い。
もうね、朝も早よからうるさいですわ(^^;)
なんであんなに爆音にするかなぁ
走るだけならそんなに音を出さなくてもいいのに。
その後、ハーレーの集団をいくつか抜かしつつ、伊勢湾岸道から、いつもなら東名高速へ入るところですが、今回は2月に新東名が岡崎まで延伸したこともあって、新しい道を味わうべく、ウキウキしながら新東名へ。
と思ったら、引佐付近で事故の為に東名が通行止めとなっており、東名から伊勢湾岸からわらわらと新東名へ車が乗りこんでて、なんか阪神高速を走ってる気分。
車も多けりゃ車間も詰まって、全然のんびりしてませんでしたわ。
それに加え、新東名と言えば6車線設計でやたらめったら視界が広いんですが、この新しい区間は4車線設計で、良くも悪くも普通の高速道路ですな。
ちょっと残念。
 
今回の静岡行は、もちろんメインは富士山なんですが、静岡の拾い残しを辿って行く予定。
浜松近辺は近いので頑張れば日帰りできるはず・・・という希望的観測のもと、とりあえず森掛川I.C.まで突っ走り、森町から巡っていきます。
その森町の北側にあるのは天方城。
詳しく見ると、天方には新城と呼ばれる最も新しい城と、本城と呼ばれる旧城、そして事績がほぼ不明な白山城があります。
3城とも下調べをして、新城によって時間があったら他の城も回ろうかというざっとした予定を立て、南北に貫く主要幹線と思われる川沿いの県道58号線になら城の表示もあるやろと走っていると、予想通り天方城の表示が出てきました。
ま、当然やわな、さて曲がるか・・・と思ってよく見ると、警備員が立ってて柵で橋が塞がれてる!
なぬ!?
まさか橋が改修工事中とは!
最近、こういう断念させられる城が多い気がするのは気のせいかね。
やっぱり本厄だからか?
出だしから大丈夫かよ、と思いながら、仕方がないので北回りで行こうかなと思ってみたものの、地図で見た所、北側で渡れる橋はかなり先まで無ありませんでした。
南の橋まで戻るのもなんだしな・・・
う~ん、しょうがないから旧城から回っていくか・・・と、県道突き当たりの三叉路付近にある本城へ。
 
 
小学校のすぐ横、八幡社の所にに説明板があります。
城へは、この脇から延びる、えらく急な農道を上って行くのですが、最初、さすがにこんな道じゃないやろと、途中から枝分かれするややなだらかな農道を選択してしまったほどの急坂。
もしこの急坂のまま道が途中で行き止まりになってたら詰むな・・・などと思いつつ、恐る恐る上って行くと、終着点に茶畑があり、どうにかバイクを止めることができました。
ただ、軽トラが辛うじて切り返しできる程度の大きさしかないので、うっかり普通車で入ってきても詰みかねない恐ろしい道ですな。
城へは、行き止まりの茶畑から山に入って行くのですが、最初はまるで直登のような険しさ。
ただ、その部分を過ぎれば下草も浅く、順調に登って行ける城です。
城郭部分にはすぐに到着しましたが、現地に案内板はありません。
でも、想像力が掻き立てられるとも言えるので、こういうのは城好きにとっては悪くもないわけです。
興味無い人から見れば、草むらで何やってんだか状態ですが(笑)
下草が刈られたりはしていませんが、時折人が入るせいか、頂上部の本丸部分は明確ですね。
 
 
削平地としての規模はそれほど大きくなく、居住性を考えない中世的な山城の本丸といった感じ。
木や草が多いので正確な大きさは判りませんが、南北に長い郭です。
ここから北西方向にも郭が延びていました。
 
 
こちらは、いかにも尾根筋に延びる郭という趣で、導線を遮る為に明確な堀切も確認できます。
 

上の写真ではちょっと判りにくいですが、現地だと明確な堀切と土橋。
そして、北西に延びる筋の南側の谷筋にも、主郭の一部と思しきやや広い郭が。
頂上部に本丸、北西方向に延びる尾根筋の郭、そして下から谷筋を登ったところに待ち受ける郭。
北西の尾根筋から見下ろせるこの谷筋がすごく大手っぽい感じなんですが、どうなんでしょうか。
登って来た道だと、あまりに防御設備が貧弱なんよなぁ
こういう勝手な想像も、マイナーな城の面白さではありますがね。
ま、何はともあれ、なかなか良い城でひとまず安心(^^)
どうなるかと思ったけど、幸先はヨロシ!
 
つづく
 
参考:
天方本城
地図付きはこちら


2016年11月24日木曜日

厄落としツーリング その1

私事ながら、今年が本厄でして、気付けばえらい歳になったもんだと思いつつ、厄落としをせなあかんなと考えた所、それなら日本一の霊峰を訪ねてみるかと思ったわけですな。
日本一の霊峰と言えば、そう、富士山。
秀麗な稜線は、日本人としての何ごとかを心に呼び覚ます山です。
その霊峰を訪ね、勝手に厄落とししたつもりになろうと言うわけで、今年の春のツーリングは富士山に決めました。
また秋に春の話かよ・・・
 
富士山のある静岡県には、不思議と、というか旅行やツーリングなんで不思議も何も自らの意志で行ってるわけですが、ここ数年はちょっと馴染みの場所です。
それまで行った事が無かったのが嘘のよう。
ただ、休みを確保できたのは土日だけだったので、今回はちょっと強行軍になりそうだったことから、金曜の夜の仕事終わりで出発しました。
1日目の希望としては、滋賀辺りまで進むのが距離的にも時間的にもちょうど良いのですが、外国人旅行者の宿泊予約で京都が一杯な余波を受け、隣県の滋賀にまで影響が及んでるんですよね。
過去に同じように夜出で滋賀県の瀬田まで行った事があるんですが、その時は朝食付きで3000円台半ばという特価。
もうあんな時代は戻って来ないんでしょうな。
今は軒並み5000円台からしか無く、しかも部屋数が逼迫してます。
これでもまだマシになったほうで、去年なんか5000円台も無かったですからね。
朝ちょっとゆっくり出られるというだけで、6000円以上は出しにくいですわ。
そんな経験から、今回も期待はしてなかったんですが、たまたまリーズナブルな宿が見付かりました。
場所は、南郷温泉。
瀬田川沿いの温泉です。
宿自体がちょっと古いので、それもあって安いみたいですが、おっさんの一人旅に小奇麗さは要りません。
小奇麗さは似合わないといっても、決して小汚いおっさんではないと信じてますが、外から見たらどうなんだろう(笑)
ともあれ、ええとこ見つかったわと早々に仕事を切り上げて飯を掻き込み、19時半頃に出発。
多少の渋滞も覚悟してたんですが、阪神高速から中国道、名神高速と快調そのものでした。
結局、休憩無しの1時間15分ほどで石山に着いたので、宿でゆっくり過ごせそう。
それに加えて大きかったのが、書店の開いてる時間に石山に到着できたので、地図を買えたことですね。
今回は、バタバタして事前に地図を用意できなかったんですが、道中のついでとは言え、ツーリング中に書店を探したりするのは意外と面倒くさい。
ツーリング中は幹線を走ることが多いんですが、昔は幹線沿いに必ずあった書店も減ってしまってますしね。
今回、立ち寄った書店も、本屋さんの苦境を物語るように、店舗内1/3程度が雑貨売り場になっていました。
本だけでは商売が成り立たんのやろなぁ
小売りも難しい時代になったな、なんて思いつつ、地図の棚を探してみると、いつも買うツーリングマップルがありませんでした。
ツーリングマップルって需要が限られる為か、小規模店にはほとんどないんですよね。
というわけで、今回の地図は思い切ってライトマップルにしました。
たまたまの選択ですが、これが薄手で携帯しやすくて、なかなか良い。
ちょっと道路が色的に見にくいというのはありますが、個人的に道路地図としての機能はスマホに移ってしまってる為、感想やルートのメモ書きとしてはこれでも問題無さそうです。
うむ。
これも新しい発見ですな。
ツーリングとしては、なかなか良い出だしですわ。
 
この本屋から宿までは、5分も掛からない程度。
ほんま、関西弁で擬音語がよく使われる典型的な状況ですな。
この道シュッと行ってあの角をサッと入ったら宿ですわってやつ。
宿は南郷温泉ですが、この南郷には南郷堰という堰があって、滞留する水独特の臭いというのがありました。
ただ、瀬田川沿いの道の雰囲気は良さそうで、なかなか風情のある所ですね。
宿で通された部屋は、二間続きの部屋で、繁忙時には別々の部屋として使われてると思われる部屋でした。
テレビが2つにエアコンも2つ。
外気が心地よい季節でエアコンは使わないし、もちろんテレビも2つ同時に見ないし、この季節の素泊まりにはオーバースペック過ぎる部屋ですが、部屋が広いとそれだけでちょっと上がりますな(笑)
宿の風呂は2つあり、普通の風呂と岩風呂。
運良く岩風呂が空いてたので、ゆったりと温泉を味わえました。
いやほんま、渋滞無しといい、本屋といい、宿といい、出だしは最高!
しかし、まさかあんなことが待ち受けていようとは・・・
 
つづく
 
参考:
石山南郷温泉
地図付きはこちら
 

2016年11月17日木曜日

ぶらり姫路

少し前に、姫路モノレールの模型が完成したというニュースをやってしまたが、10月の天気の良い日にちょっと見てきたので、その時の報告をば。
模型があるのは、手柄山公園です。
ここの水族園の入口に繋がる形で、姫路モノレールの実車展示があるのですが、その奥に新たに模型が展示されていました。
元々、大姫路博覧会の模型があり、そこでもモノレールの模型が動くようになっていたのですが、今回作成されたものは、姫路モノレールに特化した模型です。
模型のスイッチを押せば、動くようになっていました。
さっそくポチっとな。
 
 
お、手柄山駅から動き出した!
モノレールの下は、当時の航空写真となってまいす。
今と比べると、姫路もまだまだ都市化してないんやねぇ。
のんびり動いていくモノレールを眺めていると、途中の大将軍駅に差し掛かりました。
解体前の6月に見た高尾アパートですな。
 
 
この近未来的建物も、忠実に再現されています。
ちなみに、この日に見た高尾アパートにはもう解体工事が入っていました。
そして・・・
 
 
ちゃんと停車(笑)
凝った造りになってるわ。
上の写真にも見切れてますが、大将軍駅から目と鼻の先に姫路駅があります。
 
 
無事、到着!
所要時間は数分。
実際のモノレールも短い距離だったので、変わらない運行時間だったんでしょうね。
しかし、毎回思うけど、乗ったこともないのに凄く懐かしいね。
なんででしょう?
 
参考:
姫路モノレール
地図付きはこちら
 

2016年11月11日金曜日

アメリカ大統領選決着

アメリカの大統領選挙が決着しましたね。
最初にトランプ氏の名前を「どえりゃ~主張の奴がおるで」と、ここで取り上げた時は、まだ共和党の予備選の時でしたが、メディアでは泡沫候補扱いでした。
それがあれよあれよと言う間に勝ち上がり、ついに大統領に選ばれたというのは、何か時代の変わり目になるのかもしれませんね。
大統領選の結果ではなく、メディアの影響力、信用力の敗北といった意味で。
2016年という年は、イギリスのEU離脱とアメリカの大統領選挙で、メディアの予想から大幅に外れた庶民の投票行動か見られたということで、とても象徴的な年になりました。
選挙後の分析で、トランプ氏が叩かれていたが故に、公にトランプ支持を公にできなかった人が多かったという分析もありますね。
トランプ支持を言えば、極端な話、差別主義者と見られるわけですから、そりゃ言いにくい。
思えばイギリスでも、アメリカほどではないにしてもそういう感じが少なからずあり、離脱派は不寛容と見られている節があったように思います。
ただ、ヨーロッパの移民騒動にも見られるように、行き過ぎた保護や寛容は既得権者の利益を奪いますから、そのような保護や寛容を主張するメディアの論調に対して、不信感を持つ人は次第に増えていたのでしょう。
その結果、メディアの調査にまともに答える人が減ってしまった。
本音と建て前というやつですな。
予測がぶれるのも必然だったのかもしれません。
誰かが、トランプの札は人に見せないもんだろ?という書き込みをネット上にしていて、
うめぇな、おい!
と唸らされましたが(笑)
ま、レッテルを張られそうなら、隠すのはしゃあないよなぁ
 
しかし、ロシアや中国は元よりですが、フィリピンの大統領ドゥテルテ氏なんかを見ても、世界的に過激な政策が支持される傾向にあるようです。
世界的に、というのはやっぱりグローバル化の影響なんでしょうね。
金持ちが恩恵を受けるだけで、庶民には行き渡らず、既存の政治に不満を持つ民衆が増えている。
今後、世界的な動きはここ数10年の流れとは、ぐっと変わってきそうな気がします。
 

2016年11月7日月曜日

韓国の政治混乱

ニュースを見ていると、お隣の韓国では政権がえらいことになっているようですな。
なんでも支持率が5%とか。
更に地域別に見ると、朴大統領の地盤の弱い地域では0%なんていう驚異的な数字が出てるようです。
降水確率じゃないんやから・・・
しかし、韓国に関する数字は極端ですな。
あくまでなんとなくの印象なんですが、韓国の世論は勝ち馬に乗る性質があるようで、しばしば異常に支持されたり異常に叩かれたりします。
今が朴政権にとって、必要以上に叩かれるターンというわけなんですね。
当の本人は、疑獄の中心人物は信頼できる相談相手で、その相談相手を失った上にこの状況ですから、相当辛いでしょうけども。
日本では、不人気だった森政権時代や、方向が定まらずにっちもさっちもいかなくなった鳩山政権時代ですら、20%前後の支持率。
10%台は危険水域と言われますが、それ以上は固定の支持基盤があるので下がらないようです。
この辺りは、国民性の違いでしょうかね。
ただ、政治的混乱はこれだけが理由ではなく、面白い事に、こんな低支持率でも野党が辞任要求を出していない所です。
日本では、野党がしょっちゅう辞任要求を出していますが、この部分はえらい違い。
何でも、辞任すると60日以内に選挙となるんですが、そこで当選した大統領は辞任した大統領の残りの期間しか任期が与えられないそうです。
残りは1年と4ヶ月ほど。
こりゃ割に合いませんわな。
そんな大人の事情もあるので、政治的混乱はまだまだ続くでしょう。
 
韓国の大統領は、大統領の職務を終えた後、逮捕や暗殺など、大半の人物が不幸な目に逢っています。
中国では、王朝交代は易姓革命と呼ばれ、前王朝時代のものは全否定されたりしますが、韓国ではこれになぞらえて、5年ごとの易姓革命と呼ばれることもあるようですね。
実際、権力の座から降りた大半の人が不幸な目に合ってるわけですから、間違いではないようで。
しかし、こういうのは、儒教や科挙の流れがまだ隠然とした空気として残っているということなんでしょうね。
中国や朝鮮では、年長者が絶対で過去世界に重きを置く儒教と、官僚の登用制度である科挙が王朝時代に存在しました。
科挙自体は、門閥ではなく有能な者を登用するという意味では正しいのですが、それがいつのまにか郷村に利益誘導するシステムに変質していきます。
出身地の年長者に頼られたら便宜を図らないわけにはいかないという、儒教的な価値観ですね。
しかし、便宜を図る方が絶大な権力を持っていた場合には、恐ろしいことになります。
こうして利益誘導がシステム化し、一人科挙に受かれば一村が潤うと言われるほどになりました。
一村が潤うわけですから、今度は逆に村で聡明そうな子供を選んで村民や一族みんなで援助するという状態にもなっていきます。
こうなると、恩やしがらみのズブズブ状態から抜け出せない。
こうして、一部の人間やそれに連なる枝葉に対する権益がどんどんと雪だるま状に膨らんで行くわけですが、それが膨らみ切るとリセットされます。
権益の恩恵にあずかれない人間によって。
これが、易姓革命ですね。
前の権益者を抹殺しないと新しい権益が確保できませんから、前時代の全否定と大量の粛清が行われてしまいます。
こういう世界が、まだ韓国では存在してるんでしょうね。
王朝時代に比べればマイルドなものですけども。
こう見ていくと、韓国の財閥がすさまじいトップダウン制で、更に一族によるお家騒動が多いのも頷けます。
集まる権益が膨大ですからね。
こうやって見てみると、韓国も北朝鮮も、社会体制としては本質的に同じなのかもしれません。
 

2016年11月1日火曜日

ぶらり三木

今年の秋はよく雨が降りましたね。
おっしゃ、休みや!と思ったら雨。
次の休みも雨。
雨、そして雨。
天は我を見放したか。
そんな思いを抱きがちだった9月のある休みの日、午前中だけ天気がもつという日があり、ここはチャンスやと、近場でぶらっとバイクで行けるとこに行こうということで、三木をブラブラしてきました。
学生の頃は、三木の色んな道をバイクでブラブラとしたもんですわ。
程よく遠く、程よく田舎。
そんな町です。
 
取りあえず一通りのワインディングを楽しんだ後に寄ったのは、かつてのグリーンピア三木。
年金の使い道で大いに叩かれた、例のグリーンピアの内のひとつです。
今はネスタリゾート神戸という名になり、ややラグジュアリーな宿泊施設なんかがあります。
場所は同じなのに三木から神戸に??
というツッコミは置いておくとして、どんなものか雰囲気を確かめる為にゲートの所まで行こうかなと思ってたんですが、県道から分かれる部分にすでに警備員が立っており、ゲートでターンなんてことがちょっとしにくそうなのでやめました(^^;)
雰囲気だけでも見たかったのですが、確認できたのは県道沿いのエントランス用の装飾壁だけ。
うむ。
さすがラグジュアリー。
野宿どんとこいの貧乏放浪をしてた自分には、そこには越えられない壁があるようだ。
 
次に向かったのは、平井山。
かの三木合戦で秀吉が本陣を置いていた山です。
正確には三木城を包囲する付城ですね。
包囲は長期に渡りましたから、城と呼べるだけの防御設備が構築されました。
また、この平井山の麓には、陣中で没した竹中半兵衛の墓もあります。
平井山に最後に来たのは、かれこれ10年前ぐらいですかね。
記憶はやや朧気なんですが、観光ブドウ園を突き抜けて、そこから徒歩で結構な距離を歩いた記憶があります。
今回もそのつもりで言ってみると、ブドウ園の営業は終了しましたという文字と共に柵が。
勝手に入れなくなってるやん・・・
どうも、三木城を包囲する付城群が国指定の史跡になったことから、ブドウ園のおまけ的存在から昇格した模様で、平井山も整備し直され、ブドウ園の反対側から山に入れる遊歩道が造られていました。
ほうほう。
朝方にあった晴れ間はすでに無く、曇天模様では時間が割けないが、これだけちゃんと整備されているなら、再訪せねばなるまい。
 
平井山の時点で11時前。
刻々と空が怪しくなっていく中、ちょっと休憩をと、ドリンクを求めて市役所に寄ってみると、なんと鷹尾山城の文字を発見。
市役所の周りは史跡に指定される前にけっこうブラブラと散策したけど、こんなん無かったな~
さすが国指定の史跡になると、整備予算が自治体レベルとは違うんですな。
せっかくなので、わずかに残存する鷹尾山の跡地を散策しました。
 
 
案内板は、体育館駐車場の奥にあります。
案内板の脇から山へ、と言ってもほぼ同高ですが、入っていくと空堀がありました。
 
 
この空堀は体育館と直角方向に穿たれています。
体育館から市役所にかけてが鷹尾山城の中心部分になると思われるので、突端部を区画する郭だったのでしょうか。
 
 
入口反対側からはこんな感じ。
ちゃんと城らしい削平地と土塁が確認できます。
 
今回のぶらりはここまで。
家に帰りつく頃には雨が降り始めてました。
時間は短かったけど、またじっくり行きたい場所もできたし、なかなか有意義でしたわ。
 
参考:
平井山陣所跡
竹中半兵衛重治墓
三木城
地図付きはこちら
 

2016年10月27日木曜日

大詰めのアメリカ大統領選

アメリカの大統領選のビッグイベントである討論会を終え、クリントン氏の優勢が伝えられていますね。
しかししかし、アメリカの支持率調査を調べてみると、
え?ほんまに優勢なん?
と首をかしげたくなる状態です。
 
http://www.investors.com/politics/ibd-tipp-presidential-election-poll/
http://www.realclearpolitics.com/epolls/2016/president/us/general_election_trump_vs_clinton-5491.html
 
この辺りの数字を見てみると、クリントン氏優勢ではありますが、かなり際どい勝負ですな。
日本の報道を見ていると、あれだけスキャンダルが出てまともに勝負になるわけない、というような印象になりますが、全世界共通でメディアは、やや左、そして過激な言動を嫌う、という傾向がありまして、アメリカ国内でも民主党支持のCNNを筆頭にネガティブキャンペーンをやっている状態なんですね。
当然、それを引用する日本のメディアもネガティブ情報が多くなるということになります。
アメリカ国内では、クリントン氏に対する私用メールを使ったなどというセキュリティ系のスキャンダルも報じられていますが、ネガティブ要素の物量が違う。
それで尚、この支持率ですからね。
どんだけ不人気やねん!
という話ですが。
史上最も不人気同士の対決とはよく言ったもんですな(笑)
 
ただ、報道を見ていると、日々感じてる事はアメリカでも進行中なんやな、感じずにはおれませんね。
それは、ネットなどの影響で市井の人々の意見と、メディアの論調や調査にかなりの乖離が生まれていること。
昔はメディアが世論を先導、誘導する傾向がありましたが、メディアはまだその気分も持ち続けている一方、市井の人々はネットで素早く多くの情報を手に入れ、自らの論を持つようになっている。
その結果がこの乖離なんだと思います。
日本のマスコミの報道の論調を見ていると、安倍政権はそんなに強くないし、安全保障法案も廃案に追い込まれてるし、原発の再稼働も不可能だったはず。
ところが、市井の人々はメリットデメリットを判断して、全面的な賛成でないにしろ、現実的な手段として支持した。
トランプ氏の場合は、現実的な手段というよりは、どうしようもない現実を変えてくれそうな人という意味での支持ですがね。
いずれにしてもメディアと市井の乖離は大きいわけです。
しかし、オバマ大統領もチェンジを掲げてたことを考えると、アメリカの中下層に社会の歪が相当に溜まり続けてるという印象ですな。
アメリカンドリームという言葉に乗せて富裕層の優遇をしてきたツケが、来てるのかもしれません。
 

2016年10月21日金曜日

黒田という人

かつて高校球児だったこともあって、プロスポーツの中では野球を最もよく見ますが、今年は広島カープが強くて、なんだか面白かったですね。
とは言え、広島カープのファンではないんですが(笑)
広島カープという球団は、お金を掛けずに選手を鍛えに鍛えて生え抜きの凄い選手を生み出してくる素敵な球団です。
浪花節にも通じるような、日本人が好みそうなスタイルなんですよね。
怪我で潰れてしまう選手も多いですが。
そんなカープも、ここしばらくは停滞していました。
でも、自分の幼い頃は赤ヘルと言われた強い時代で、その印象もあって弱い印象はないんですよね。
その頃は、山本、衣笠というバッターはもちろん、何より北別府、川口、大野という投手の柱が凄くて、この3人の誰かが登板すると、あ~今日も負けかなぁ、なんて思ってました。
もう、ほんとトラウマレベルで(笑)
何はともあれ、なんだか他球団のファンでも優勝を祝福してしまう雰囲気を持っている球団です。
 
その広島カープの中で、精神的な柱といえばやっぱり黒田投手ですかね。
黒田の野球選手としての生き方は、なんという武士的で、低迷期をエースとして支え、メジャーで結果を残し、更にメジャーのオファーがありながらカープでやり残した事をやり遂げるべく、戻ってきたという、男気のある野球人生。
プロスポーツは夢を与える職業ですが、当人にとっては仕事という面もあるわけで、そういう中でこのような選択をしてきたというのは、ちょっと男として羨望の眼差しで見てしまうほどですね。
憧れと羨ましさと。
そんな黒田投手が引退を表明しました。
やっぱり、思い残したものを遂げたというのが大きいんでしょうな。
それでも今季も10勝。
選手としてまだやれるだけの実力はあるはずですが、そういう問題でもないんでしょう。
今シーズンもあともう少し。
ここまで来たら、徹底的に燃え尽きてほしいですね。
 

2016年10月17日月曜日

ノーベル文学賞

ノーベル文学賞の発表が先週にありましたが、今年の発表には驚きましたね。
ボブ・ディランの字を見て、思わずテレビのニュース速報を、えっ!?という感じで2度見しました(笑)
流石にリアルタイムで全盛期を知ってるわけでないので、色んな曲を知ってるわけではないんですが、それでもこんな自分ですらいくつかの曲を知っているというぐらいメジャーなシンガーソングライターですな。
ノーベル文学賞のイメージは、今まで純文学というイメージがありましたが、それがひっくり返されました。
選考委員会の間で、何か選考基準が大きく変わったのかも知れません。
今後の選考において、大きな転換点になりそうですね。
とは言え、噂では、ボブ・ディランは過去に候補者に上がったこともあると言われていますが、財団が候補者を公表するのは50年後です。
それまでは、選考基準もただの推測でしかありません。
今年に大きく変わったのか、それとも何年も前から変わっていたのか、それを知るのは選考委員の人だけですな。
そもそも論を言えば、書籍の文学というのが世に一般的になったのは比較的最近で、学校制度が整備され、識字率が上昇してからです。
それまでは、西洋では吟遊詩人、日本では講談師と呼ばれるような、唄い聞かせる、読み聞かせる文学が中心でした。
そういう意味で、歌手に与えられたのは、文学における原点回帰と言えるのかもしれません。
 
それと、もうひとつ。
ノーベル文学賞には、やや政治的な部分があると言われます。
リベラル的であること、業界に貢献すること、などですね。
リベラルなのは解りやすいですが、業界に貢献することというのは、日本ペンクラブのような団体に所属してその活動をすること。
具体的には幹部となって活動し、西洋の文学界にも活動を知ってもらう事が必要といわれます。
そういう意味で、良くも悪くもそういう政治的な前提条件は覆されたことになりますね。
もともとノーベル文学賞は、商用ベースの売れた文学、つまり通俗小説という分野には厳しく、大衆が評価するものと、受賞者の作品は乖離する傾向があります。 
実際、文学賞受賞者の本なんてほとんど読んだこと無いって人がほとんどでは?
その傾向が強くなると、身内の賞レースみたいになってしまいがちで、そういう意味で隠れた受賞条件を覆したのは、先々を考えると何よりも良かったと個人的には思います。
ボブ・ディラン自身は、賞などに興味が無さそうなのがまた、ツボでいい感じですわ(笑)
 

2016年10月12日水曜日

ヤマハとホンダ

二輪業界的には、かつてHY戦争とまで呼ばれた熾烈な販売合戦があり、とてもそんな話は出ないだろうという先入観があったヤマハとホンダ。
その2社が提携したというニュースが先週ありました。
 
ヤマハ・ホンダが提携 若者の味方「原付バイク」はどこへ消えた?
https://dot.asahi.com/toyo/2016101100041.html?page=1
 
上に詳しい記事が載っていますが、確かに気付けば原付ってほとんど見なくなりましたよね。
自分の世代には、高校行ったら原付の免許取るねん!というやつがたくさんおり、自分も高校時代に原付の免許を取ってバイクデビューした口ですが、20歳ぐらいにはもう周りで3・4人しかバイクに乗ってなかったですね。
その頃にはもうバイクに乗る人も減少傾向で、更にその数年後に電動自転車が出たのが致命的でした。
お手軽な乗り物は見事に主役が交代しましたね。
ま、それに火をつけたのはヤマハPASなんですが・・・
今では、ヤマハ、ブリジストン、パナソニックが電動自転車の御三家になっています。
そして、ちょっと荷物を運んだりする用事には軽自動車。
上下に二分して食われた感じです。
更に、環境規制や安全技術による製造コストの上昇。
そうなると、やっぱりOEM供給になってしまうのはしょうがないですかね。
ホンダは生産量を確保し、ヤマハはコスト低下の恩恵を受ける。
昔々に原付にときめいていた世代としては残念ですが、これも時代の流れでしょう。
個人的には、岡山から神戸まで120km以上を、大型のバンバン走る国道2号線で帰ってきた同級生が開口一番、危ないし寒いし死ぬかと思ったわ!と宣ったのが今でも忘れられません。
あいつの原付は輝いていた!
 

2016年10月4日火曜日

ドイツ銀行再び

前に少し触れましたが、ここにきて、再びドイツ銀行が注目を集めていますね。
間接的には収益力の低さ、各事業の減損、リーマンショック後に注力した中国事業のデイバティブへの懸念といったところですが、直接的にはアメリカ司法省からの罰金でしょうか。
この辺りの詳しい分析は、

 
http://diamond.jp/articles/-/103550
 
にシンプルで解り易い解説がありました。
その記事によれば、罰金の額140億ドル!
1ドル100円として計算すると1兆4千億円。
ふむ。

欲しい・・・
いや、つい本音が漏れてしまうほどの巨額ですな。
ただ、2年前にBNPパリバが同じようにイラン等への金融制裁への違反で89億7千万ドルを課された時は、当初は160億ドルを吹っ掛けられていました。
これに対するBNPパリバの引当金が10億ドルだったので、BNPパリバ側の予測とアメリカ司法省側の認識の差が、相当あったことが判りますね。
この時は、フランス政府の働き掛けもあって、最終的には半値近くになっていますので、今回のドイツ銀行も100億ドル以内に収まるものと思われます。
ただ、ドイツ銀行の引当金は60億ドルだそうなので、経営的には追加で損失が出ることになりそうですが。

 
しかし、アメリカの司法当局は、世論の後押しもあって、オイタをした金融機関に対してはかなりキツい罰を下しますな。
BNPパリバの件の前には、自国のJPモルガン・チェースに、MBSと呼ばれる住宅ローン担保証券の不正で130億ドルを課しています。
リーマンショック前は、投資銀行はそれはそれは本当に巨額の収益を上げていたので、当然と言えば当然かもしれませんがね。
翻って日本。
金融機関に対する制裁が甘い。

不正で1億儲けて数百万の罰金というような罰が多いですね。
まだまだ性善説で動いている感じです。
自由の部分を大きくするなら、罰も懲罰的でないとなかなか抑止効果は表れない。
この辺り、多少は罰を重くする動きも見られますが、まだまだです。
不平感を持っている市場参加者も多いですから、早く改善して欲しいですね。

 

2016年9月28日水曜日

明石城櫓公開日

仕事が少し落ち着いたので、PCをガサゴソと整理していたら、ボロンと5月の写真が出てきました。
何の写真だったかと言うと、明石城の写真。
櫓が公開されていたんで、心地よい春の陽光と花粉を浴びながら長い距離を自転車でエッサホイサと行ってきた時のもの。
自分の記憶では、昔は櫓の公開は年に1回か数回だったと思うんですが、今は休日に公開するようになってるんですね。
予定が合えば行きたいとかなり前から思ってたのに、予定が合う日が無数に増えてるなんて知らなかったぜ・・・
ともかく、明石城の重要文化財である櫓に登ってきました。
 
今回登ったのは巽櫓。
櫓の公開は、春秋3ヶ月ずつの計半年間行われていますが、月ごとで変わります。
ただ、何故か巽櫓が少なく、坤櫓がその倍になってますね。
明石の観光協会が公開を行っているようで、詳しくは、
 
明石観光協会
http://yokoso-akashi.jp/sightseeing/名所・公園/31
 
で確認してください。
珍しい日本語URLですな・・・というのは置くとして、今回は4/29に行ったので、巽櫓でした。
この日、明石公園ではロハス・ミーツというイベントが開催されていて、行ってビックリ、人がやたらめったら多かったです。
しかししかし。
ツーリング先で名物を食べる事にすら拘らない自分は、
「ほう・・・」
という体で華麗にスルーし、一路、階段を上って櫓へ。
櫓の前には、城に関する説明版などもあって、なかなか解りやすかったですね(^^)
 
 
 
上の縄張図は、築城後かなり経ってからですな。
築城当時は本丸が城主居住地で、後になって本丸の石垣下に屋敷と内堀が整備されました。
さぁ、いよいよスリッパに履き替えて、いよいよ櫓に突入。
櫓からの眺めを堪能してやろうではないか!
 
 
・・・
・・・ ・・・
2階が封鎖されとるやないか!
なんということでしょう。
1階しか廻れないではありませんか。
いや~まいった。
でもずっと入れなかった櫓に入れたんだから、よしとしよう(笑)
貴重な経験になりました(^^)
 
参考:
明石城
地図付きはこちら
 

2016年9月21日水曜日

姫路モノレールの残照

6月に姫路へタイヤの皮むきに行き、ついでに解体間近の姫路モノレールの大將軍駅を眺めてきましたが、今年は姫路モノレール開業50周年でもあり、しばしばニュースに登場しています。
色んな意味で、節目の年なんですね。
今度は、その姫路モノレールが航空写真を元にジオラマになったようです。
9/19日付けの神戸新聞に、
 
幻のモノレールが精巧模型に 姫路で22日公開
http://www.kobe-np.co.jp/news/odekake/201609/0009502729.shtml
 
との記事が出ていますが、開業50年を記念するシンポジウムに合わせて、屋外広告を手掛ける姫路市内のオハラ工芸が作成したとのこと
オハラ工芸の社長も乗った記憶があるそうで、懐かしかったでしょうな。
こういう懐かしい気分にしてくれる仕事は、やっててもハリが出て楽しそう(^^)
ジオラマは、今月22日から手柄山の旧手柄山駅にて公開されます。
来月あたり、国盗り夏の陣の攻略を兼ねて、ぶらっと行こうかな~(^^)
 
参考:
姫路モノレール跡
地図付きはこちら
 

2016年9月15日木曜日

韓進海運破綻の余波

いまだに蓮舫さんの話題が続いていますね。
結局台湾籍あったんか~い!
と懐かしい男爵風で突っ込みたいぐらいですが、過去、学歴詐称で議員を辞めざるを得なかった人がいたことを考えると、今後、厳しい展開が予想されますな。
学歴より遥かに大事な国籍、しかも、過失ではなく意図的な発言を過去に繰り返してますからね。
攻めたい人にはいくらでも攻め口がある状態。
もし党首になったとしても、与党を批判するとすべて返ってきますよね。
どうするんだろ?
 
ま、それは置くとして、これ以外にもしばらく燻ってるニュースがあります。
それがいよいよ割と身近なところまで影響が出てきたので、それについて少し。
韓国に、韓進海運という会社があります。
世界7位の会社なんですが、これが8/31に破綻しました。
以降、規模が規模だけに世界中でコンテナの滞留が起きてまして、日本ではなかなか報道されにくい分野ですが、一部では詳しく続報が流れています。
通常は、影響範囲が大きいので、政府が仲介したり保証したりして影響を小さくしようとするんですが、韓国政府にその動きはあまり見られません。
その余波が、ついに神戸港にもやってきました。
神戸市は14日、以下のリリースを出しています。
 
韓進海運の空コンテナ滞留に伴う緊急対応について
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2016/09/20160914173003.html
 
破綻企業からは当然お金が出てこないので、緊急的に神戸市が荷役に補助を出してターミナルとして円滑に運営できるようにするという内容ですね。
緊急避難的には仕方のないことですが、早く通常運用に戻って欲しいものです。
 
この韓国海運の破綻の元は何かと言うと、リーマンショック後の海運不況なんですね。
韓国の海運業と造船業は、リーマンショック前は非常にアグレッシブな経営をしていました。
バルチック海運指数という、鉱石や穀物などを運ぶドライカーゴの運賃の指数を見ると、1985年4月の基準日が指数の1000で、リーマンショック前の2008年5月が11793ですから、わずか23年で10倍以上となっていました。
背景には、中国の資源爆買いを筆頭とする新興国の需要増があったわけですが、当然、需要が盛り上がってるということで、造船もどんどん設備投資をして船を造るわけです。
海運業も、その納品された船を、船主に高い庸船料を払って運用していました。
造船と海運は、直接ではないが裏表の関係にあったわけですね。
また、この時期、韓国の造船と海運は安値でシェアを取りに行く戦略でもあったわけです。
ところが、そこにリーマンショックが襲いました。
10000を優に超えていたバルチック海運指数は、2008年の年末には663と、基準日の1000すら割り込むという非常事態。
これにより、造船はキャンセルの嵐、海運は運用すればするほど赤字という最悪の状況になったのです。
それからもう8年が経とうとしていますが、中国の減速、世界貿易の縮小などがあり、基本的な構図には変化がありません。
バルチック海運指数は、1000前後を行ったり来たりで、今は再び1000を割っていますしね。
破綻に伴う残存者利益というのはもちろんありますが、業界の構図にそれほど変化が無いままであれば、ババ抜きはまだ続くのでしょう。
第2波、第3波が無いか、ちょっと注意が必要ですね。
また、当然ながら日本の造船も大変なわけなんですが、日本の海運会社からの受注が下支えとなっており、低位安定といったところです。
それ以前から無理に規模を追わず、収益構造の強化や経営統合を図っていましたからね。
日本のバブル後の対策が功を奏したという所でしょうか。
日本企業は、このままなんとか頑張ってほしいものですね。
 

2016年9月8日木曜日

民主党代表選挙 場外編

少し前に民主党代表選挙について触れましたが、蓮舫さんがちょっとゴタゴタしてますな。
二重国籍疑惑で。
最初は、政治家に対してよくある見え見えの揺さぶりかな、なんて思ってましたが、まさか真実味のある話だったとは。
なんでも、台湾は法律的に未成年での国籍離脱はできないそうで、蓮舫さんは国籍離脱の宣言をしたのが17歳だったとか。
これは選挙公報にも載ってる話で、年代的に整合性はあるのですが、蓮舫さん自身が国籍離脱の確認を台湾側に取れていない。
そうこうしている内に、今度は1997年の雑誌のキャプチャが出てきて、その文書には台湾籍と書いてあるわけです。
日本は二重国籍を許していない国なので、これでは突っ込まれますわな。
法的には、二重国籍者で国籍を選択しない者、もしくは相手側の国籍離脱がはっきりしていない者に対しては、国籍の剥奪も可能となっています。
実際に剥奪まで至ったケースはほぼ稀だとは思いますが。
一般人なら、その辺りはぶっちゃけ、なぁなぁでいいしほとんど問題も出ないんですが、国会議員は権力を与えられる公人ですから、その辺りは厳格であらねばならないわけです。
ま、一般人も脱法的節税やテロの対策等で、各国同士の情報交換が進んでいますから、数年の内に複数国籍は炙り出される予定となっていますがね。
それはともかく、ちょっと政治を志すには杜撰過ぎると言わざるを得ません。
 
これに絡み、現在進行形のこの話題で思うのは、ネットの隆盛によって過去の発言や行動が忘れられない世の中になったな、ということですね。
忘れられる権利というのが裁判で争われていますが、ネット上のデジタル空間では情報が保存され続けるまわけですな。
翻って、今までは、検証するには恐ろしいほどの時間と手間が掛かったことから、テレビや新聞で割と評論家などが言いたい放題、いや、言い捨て放題だった趣がありました。
その時々の批評や予測が、長期間の時間軸で見ると整合性が取れなかったり予測が大幅に外れていたりといった事もあったわけですが、誰も検証しないのでイメージだけで次の仕事が貰えるという状況だったわけです。
今後は、というかもう変わり始めてますが、そういう成績や整合性がしっかりチェックされる時代になるんでしょう。
円高進行の時にドル円50円時代を予測した某教授は今でもテレビに出ていますが、というか毎年毎年、日本破綻というような本を出していますが、こういう当たらない予測は嘲笑の対象にしかなりません。
政治家は、公人であるが故、以前からその傾向はありましたが、本や書籍といった現実にモノになったものでしか批判されませんでした。
昨今の政治家の経費関係の話も、まだ報告書などのモノによる批判です。
ただ、ネットでも参照できることや、拡散の早さで、すぐ突っ込まれるようになっていますがね。
政治家がネット上で発言するようになって、かなり経ちます。
今後は、政治家自身の発言が、ネット上の蓄積によって批判に晒される、つまりはネット上で切っ掛けから情報の提示、検証分析のすべてが完結する時代がやってくるんでしょうね。
凄い時代になったというか、政治家も芸能人も大変な時代になったなぁ(^^;)
と言っても一般市民としては、色々参画や発信できたりもするので、いい時代なのかもしれません。
政治家も、それに耐えられる一貫性を持った人が出てくるといいですね。
 

2016年9月4日日曜日

アップルに追徴課税

少し前のニュースですが、アップルに欧州委員会から追徴課税の命令が出ましたね。
 
EUがアップルに最大1.5兆円追徴、アイルランド税優遇「違法」
http://jp.reuters.com/article/eu-apple-taxavoidance-ruling-idJPKCN11513B
 
グローバル企業の節税というのは、もうかなり前から問題になっていて、この一件は、主に税収を奪われる側にある大陸側欧州からの本格的な逆襲と言えましょうか。
ただ、問題はそれほど簡単ではなく、アップルと、それを優遇していたアイルランドから批判が出るのは当たり前として、本来的には税収を奪われる立場のアメリカからも、政治的な思惑が濃すぎるんじゃないの?という批判が上がっています。
アップルはアメリカの企業ですからね。
アメリカも税収を取られてるけど、アメリカとしては、欧州が取るのは筋が違うし、アメリカ企業のアップルの競争力が弱まるのは困る、という部分があるんでしょう。
この辺り、国を越える税収の問題というのが一筋縄ではいかないという事を示してますね。
今回の欧州委員会の指摘は、反トラスト法という、国家による優遇処置に対する法律に基づくものなんですが、これは基本的には補助金の類をたくさん受け取ってる企業が安値で輸出しちゃイカンよ、という法律であって、優遇には違いないんですが、本来的な法律の運用から言えばやや無理筋です。
その辺りもまた微妙。
 
アイルランドにあるアップル子会社は、主にパテント関係を管轄する子会社だそうで、世界中から各種の使用料などが入ってきています。
アイルランドとしては、自分の国で商売して上げたものじゃないから税率は安くしておくよ、とするのも解らないではありません。
ただ、税法の世界では、子会社と言ってもアイルランドの企業ですから、租税はアイルランドが決める事となります。
しかしながら、このアップルなんかが典型的ですが、比較的富裕な層が商売相手、つまりは先進国やその国民がメインの客層なんですね。
この市場と企業のズレをうまく突いたのが、グローバル企業の節税策です。
昔と違って世界は狭くなりましたからね。
税法は、いまだに市場と企業が近いという前提になっていますが、営利集団の動きは流石に早い。
納税額を減らすということは、実質的に売り上げ増と変わらないですから。
 
結局は、ウチの市場で商売するならそれなりの額を払ってねという、市場規模に応じた税金が最終的な解決になるんでしょうけど、税体系がそうなるには相当な時間が掛かるんでしょうな。
各国をグルグルさせて租税回避ってのは、25年前に読んだマスターキートンという漫画にも載ってたぐらいですが、その頃から大して対策は打たれてないですしね。
まだまだ紆余曲折がありそうです。
 

2016年8月30日火曜日

参議院議員と首相

民進党の代表選挙が迫ってきましたね。
公示日は9/2。
投票日は9/15。
それに関連して、安倍首相は早期の臨時国会召集を希望していることに対し、現岡田代表が代表選挙後にするべきというような意の発言もありました。
岡田代表は続投しないことを公表しているので、個人的には早めに辞任して早期開催でも大丈夫な日程で代表選挙を行うのが政党としての筋じゃないのかな、なんて思いますがね。
明らかに国会の方が大事なんですし、言わば政党の本来的な仕事場ですから、政党側が合わせないと本末転倒じゃないのかという気がします。
 
まぁそれは置くとして。
今回の代表選挙は、どうやら前原さんと蓮舫さんの一騎打ちの様相が濃厚になってきました。
前原さんは民進党でも保守系で、一方の蓮舫さんはややリベラルというイメージがあります。
ただ、蓮舫さんも共産党との共闘などには批判的で、個別の政策を見れば保守的な政策も比較的あり、どちらがなっても大きな政策の違いは出ないかもしれませんね。
どちらかと言えば無党派層に支持の高い蓮舫さんの期待が高いようですが、個人的に注目してるのは、蓮舫さんが党首となった場合、今後どうなるのかというのが気になります。
蓮舫さんと言えば、「2位ではだめなんでしょうか」という事業仕分けで名を挙げましたが、国民の潜在的な空気を読むのがうまいという印象ですね。
今回、改憲にも一定の発言をしていますし、最近はやや保守寄りになってきているのも、国民にそういう空気があることを察知したからではないでしょうか。
それ自体は全く悪いことではありませんし、凡百の政治家から一歩抜きんでるには必要な能力だと思います。
ただ、参議院議員なんですよね。
弱小政党ならいざ知らず、野党第一党の党首が参議院議員ではちょっと軽い気がします。
参議院が衆議院のカーボンコピーと呼ばれて久しいですが、参議院は貴族院の流れを引き、いわば民衆の代表たる衆議院を牽制する為の存在で、議決は衆議院の優越が認められている代わりに、解散がありません。
首相が解散!と言っても参議院議員は議員のままなんですね。
つまり、参議院議員の首相だったら、首相が解散と言っても首相は議員の身分のままで、衆議院議員選挙で自ら選挙の洗礼を受けるという立場にならないわけです。
ちょっと軽いなぁ
首相の要件としては、国会議員であることですから、参議院議員でも問題ないわけですが、戦後の首相はすべて衆議院議員です。
やっぱり、民衆の代表として選挙を勝ち上がり、解散なら自ら選挙という洗礼を受く、というのが暗黙の了解なんでしょう。
蓮舫さんが本気で首相を目指すなら、いずれは衆議院議員に鞍替えしないといけませんが、その時はまた色々と周囲に影響が出そうですな。

2016年8月23日火曜日

国盗り合戦 2016夏の陣

最近、ポケモンGoが何かと話題ですが、ポケモンGoも位置ゲーと呼ばれるジャンルに入るでしょう。
その位置ゲーのガラケー全盛時代からの老舗が、国盗り合戦です。
同じくニッポン城めぐりというのもやっていますが、ツーリングをしながら、場所場所で国盗りや城取りをして行った場所を増やしていくのはなんだか楽しいですね。
自分が40代というポケモン谷間世代でもあり、ポケモンGoはやってませんが、同じような収集の楽しさがあるんだと思います。
で、その国盗り合戦は、毎年毎年夏の陣というのをやっていて、その期間中、全国に100スポットが設定されるんですが、夏の日帰りツーリングは、その夏の陣のスポット攻略を兼ねて毎年早朝に行っていました。
今年の兵庫県のスポットはと言うと・・・
 
・淡路の三熊山
・姫路駅
・城崎温泉駅
 
淡路と姫路は今年行ったばっかりやがな・・・
ツイてないというか、タイミングが悪いと言うか。
姫路はなんだかんだ毎年行っていますが、淡路なんて数年に1回しか行かないのに。
よし、それなら残るひとつ、城崎温泉へ!
・・・なんてなるか!!
早朝日帰りなんて無理やん・・・
温泉入っても帰りに汗だくになるやん・・・
 
そんなこんなで、盆休みの早朝ツーリングは、呑吐ダムの衝原湖と淡河への国道428号線を走ってきました。
いつもの周回コースなんですがね。
仕方がありませんな・・・
 

2016年8月17日水曜日

早春の鳴門

前回のあらすじ
 
倒木通行止めの悪夢を振り払い、郡家城に続いて白巣城のリベンジを達成!
 
今回の淡路行きは、城のリベンジだけが目的ではありません。
ツーリングに行ってすら牛丼やコンビニに済ます自分には珍しく、食べ物が目的のひとつです。
まず、ん~たまにはラーメンが食べたいな~、という思い付きがありまして、近頃、神戸にも徳島ラーメンがぼちぼちと上陸して来ているので、試しに食べてみるかと思っていた所へ、そろそろ春やしどこかへブラっと行きたいなというのが混ざったわけですな。
そう、淡路島の先には徳島がある!というわけです。
それならいっそその本場を味わっておこうと。
というわけで、白巣城から内陸の県道を南西へと走り、西淡三原I.C.から徳島へサクっと海を渡りました。
いや~、相変わらず四国は近いもんだ(笑)
徳島に渡った時点ですでに13時を過ぎていたので、そのままラーメン屋に直行です。
尚、徳島ラーメンにはスープの色によって数種類あるらしく、それぞれ若干特徴が違うらしいのですが、その中で黄系に分類される三八というお店に行きました。
ま、撫養にあるので、一番行きやすかったというのが選んだ理由なんですが、平日昼時の13時を過ぎても余裕で混んでいるという老舗のお店です。




結局のところ食は嗜好なんじゃ!という自分は食レポは不得手なので、シンプルに
写真ドーン!
 
 
ふふふ・・・
今回は食べる前に写真を撮れたぜ・・・
そんな自己反省は置くとして、徳島ラーメンは、味は濃厚でスープにややトロみがあり、腹に溜まるような重厚感がありましたね。
痩せの大食いなんですが、このチャーハンセットでかなりお腹一杯になるぐらい。
おいしかったですね(^^)
 
腹を満たした後、向かったのは鳴門スカイライン。
三八のお店から小鳴門海峡に出て西へ走り、国道11号線に入って海に突き当たるところを右折すればスカイラインの入口です。
この鳴門スカイライン、地図を見れば海沿いの道で島を縫って走っているので、景観の良い爽やかな道かな?なんて思ってたら、山岳道路と見紛うほどのアップダウンがある道でした。
バイクで走ってる分にはめっちゃ楽しい道ですね(^^)
ちょっとマラソンして来いって言われたら身命を賭して断りますが。
スカイラインは、全線に渡ってメリハリのある道になっているんですが、中でも四方見橋なんて、標高差のある峰と峰を結んでるもんだから、ジェットコースターの最初の上ってく所のように空へ向かっていくんですよね。
これはかなり新鮮。
道でジェットコースターを連想したのは、湯河原パークウェイ以来ですわ。
頂上部はフワっとした感じのある独特な眺めでした。
記念に、そのすぐ近くの展望台で眺めを収めましたが、これも海峡の風景で風情があり、良かったですね。
 
 
この辺りの海は、なんか小屋掛けした筏が無数に浮かんでいたんですが、何かの漁なんでしょうな。
その地方の特色が出る景色ってのはいいものです(^^)
 
鳴門スカイラインを下ってきて、大毛島の海沿いを進んでいくと、鳴門市街地へと渡る橋があります。
この橋は、前々から気になっていました。
大鳴門橋を渡った後、いつも右下に小型の大鳴門橋のような立派な橋が見えるんですよ。
なんじゃこの小奇麗な橋は!ということで、この小鳴門橋も今回の目的のひとつです。
小鳴門橋を下から撮ると、なかなか立派な形をしていますね。
 
 
珍しいのは、3連の吊り橋という所です。
渡ってみると、車線が狭くて古い昭和時代に設計された橋というのを感じますが、外観は非常に優美。
夜に大鳴門橋を渡ることも多いのですが、夜景も良さそうでした。
何でもこの橋は、右手に並走している神戸淡路鳴門道の少し先にある大鳴門橋のプレ架橋の役目があったらしいですね。
日本全体が整備に沸騰していたイケイケドンドンの時代らしい話です。
 
今回は、まだまだ肌寒い季節でしたが、行ってみたいという場所を丁寧に拾って回れたので、非常に満足な日帰りツーリングでした。
とは言え、さすがに寒いので、陽が暮れる前に、どころか15時前には撤収しましたが。
また、徳島にはゆっくり来たいですね。
 




合計:245.2km
 
参考:
大鳴門橋
鳴門スカイライン
小鳴門橋
地図付きはこちら
 

2016年8月9日火曜日

早春の淡路島 その2

前回のあらすじ
 
郡家城のリベンジなる!
 
郡家城から下りてきた後、さて出発するかと準備をしていると、通りすがりのライダーに、なんでこんな辺鄙なとこにバイク止めてんねん的に走りながら凝視されました。
でも、普通の人ならそう思いますよね。
どう考えても地元の人しか通らない道で、何かがあるわけでもない道端にバイクを止めてる。
まさか城があるなんて思わないやろし・・・
でもこんなところにも城があるんですよねぇ(^^;)
この辺りの意識の差は、見られる方から見ると、今もしかしてこう思ったんちゃう?なんて想像できてなんか面白いですな。
自分の性格が悪いから、面白く感じるのかもしれませんが(^^;)
そんな些事は置くとして、郡家城の次に向かったのはたこせんべいの里。
最初は全く存在を知らなくて、結構前に人伝にお土産として有名らしいという事を聞いて買ってみたら、結構おいしかったんですよね。
昔は地元兵庫のせんべいである播磨焼きにハマってたりもして、せんべい関係は妙に食べたくなる時期があります。
このたんせんべいの里のせんべいでは、特に玉ねぎのせんべいとシソ味のせんべいが好きですね。
歴史小説なんかを読みながらポリポリやるのがいい!
というわけで、今回もお買い上げ。
バイクにケースを載せてきたのでそれに収納し、ついでに無料サービスのコーヒーを頂いて、体を暖めたら気合を入れなおして再出発ですな。
 
たこせんべいの里は津名一宮I.C.のすぐ近くですが、I.C.のすぐ西から内陸部を縫って走る県道を南西へと進み、鮎原と呼ばれる一帯に入ってくると、左手に神陽台という住宅団地が見えてきます。
神陽台付近は、農村風景に突如として住宅団地が現れるので、通る度、急に風景が変わるみたいで妙に印象に残る場所なんですが、この団地の背後にあるのが白巣城という山城。
今回のリベンジ第2弾です。
神陽台の端を進んで山手方向へ進んで行くと、道沿いに何ヶ所も白巣城への案内が出ており、城へ向かうのに迷うことは無いでしょう。
集落を過ぎると登山道に入り、後はひたすら急勾配の道を登坂して行きます。
途中、すれ違う場所がほとんどないので、車なら対向車に注意しつつ慎重に上らないといけない道ですが、バイクはその点、気楽ですね。
下手に急坂で停車すると、バランスを崩して立ちゴケするという危険性は付きまといますが(^^;)
前回来た時は車で、途中の倒木がどうにもならず延々とバックを強いられた記憶がまだ新しい道なんですが、今回は道沿いに倒木の兆しすら無く快調。
唯一心配だったのは、急坂を上り続けた先に駐車スペースが無かったらどうしようかということだったんですが、白巣城の駐車場はかなり綺麗に広く整備されていて、平場が少ない山上ながら、駐車場に傾斜もほとんどありませんでした。
これは、バイク乗りにとっては非常に嬉しい。
きっちり舗装されていても、傾斜があると色々と心配事が出てきますからね。
前回の苦い倒木の記憶とは打って変わって、あまりにも綺麗に整備の手が行き届いていることに驚きながら、階段を登って城に入ってみると、こちらも丁寧に下草が刈られ、非常に散策しやすい城となっていました。
素晴らしい!
いや、ほんまちょっと感動するぐらいでしたわ。
整備のされ方も、縄張的にも。
白巣城の歴史はというと、あまり詳らかではなくて、天正9年(1581)の織田軍による淡路平定の際に落城したという話が伝わっているだけなんですが、重要性や知名度は置くとして、これは訪れるに値する城ですわ。
まずは、案内板の鳥瞰図をば。
中世の山城らしく、峰筋に翼を広げるような縄張りです。
 
 
登山道は、鳥瞰図の米蔵と本丸の間辺りに通じているんですが、城に入ってすぐ出迎えてくれるのは、竪堀へと繋がる堀切。
 
 
なかなか規模が大きいですね。
そのままするすると登ると、本丸の下の段に取り付く場所に食い違いがあります。
 
 
更に少し登って本丸へ。
本丸には小さな社が祀られていました。
 
 
本丸の西方向には西ノ丸がありますが、その間も削平地となっており、郭として十分機能する大きさがありますね。
下は本丸の直下から西ノ丸方向の写真で、正面の盛り上がった部分が西ノ丸です。
 
 
西ノ丸は名前的に本丸に次ぐ郭のはずですが、ここに何故か城址碑がありました。
 
 
更に、城主であった安宅冬秀の碑も。
西ノ丸がまるで城の中心のような扱いですね。
 
 
西ノ丸の先には立岩という場所があります。
この岩の下が通路になっているんですが、地形的に小郭や木戸のようなものがあって峰筋の移動を制限してたのかもしれません。
 
 
立岩の先は少し離れて馬責場という区画があり、ここは複数の段から構成される結構大きな郭です。
下の写真は馬責場の最後部から峰筋の突端の郭を撮っていますが、この手前にも削平地がありました。
 
 
馬責場が白巣城の北西方向の突端となるので引き返し、西ノ丸の脇を通って本丸方向へ戻ります。
本丸の北東側のすぐ下には、馬繋場という土塁に囲まれた一角があり、ここも上下2段となっていました。
本丸から離れる方向にあるのが上段なんですが、ここには往時のものでは無さそうな石塁の基部のようなものがあり、後世に何か記念碑か社のようなものがあったのかもしれませんね。
 
 
本丸やそれに付随する一角から今度は少し離れた東の区画へ。
東には東ノ丸という一角があるんですが、その途中には米蔵という櫓跡がありました。
 
 
この米蔵の反対側は、本丸と東ノ丸を繋ぐ郭と思しき盛り上がりが続き、区画ごとに見事な堀切が残っていました。
ただ、郭の中は藪ってて、とても入れそうにないのが残念。
 
 
更にもう少し北東に進むと、東ノ丸です。
 
 
ここはかなり視界が広かったですね。
ここから大阪湾の眺め。
 
 
この東ノ丸の先は、馬の背のような狭い峰筋となっており、その途中でいくつかの小郭が設けられ、導線を制限しています。
その城内の端と思われる小郭が下の写真。
 
 
この先も馬の背の峰筋、緩やかな道だったので何かあるかと思いましたが、何もありませんでした。
防衛的に考えると、このような緩やかな道はちょっと嫌ですね。
城主の安宅冬秀も、当時はちょっと気にしてたのかもしれません。
しかし、淡路は洲本城だけじゃないですね。
洲本城の石の城っぷりも素晴らしいですが、この城の中世の雰囲気たっぷりの土の城っぷりもいい!
洲本城に寄ったら、比較対象としてぜひ寄ってもらいたい城ですね。
 
つづく
 
白巣城
地図付きはこちら
 





2016年8月5日金曜日

早春の淡路徳島 その1

夏真っ盛りですね。
今年は朝晩が過ごしやすいですが、晴れると暑い・・・
というわけで、涼しかった、いやまだ寒かった早春の話をば。
 
淡路に渡ったのは、3月の中旬。
確定申告の打ち上げを兼ねて、ツーリングシーズンの幕開けを祝ってひとっ走りしてこようと思い立った時、そういえば淡路に渡るのも安くなったんよなと思い出し、行き先を淡路に決めました。
ちょうど前回行った時に辿り着けなかった城が2つあるしリベンジやな、と。
行く予定だった日は、事前の予報では14℃。
当日、気温が上がってくる10時ぐらいから動き出し、明石海峡大橋を渡って淡路へ。
しかし、この日は風が強かったですな。
明石海峡大橋が吹きっ晒しで寒いこと寒いこと。
海を渡ってる時の気温約10℃。
淡路島島内の神戸淡路鳴門道は結構標高が高い部分もあるんですが、そこでは約8℃。
冬やん・・・
北淡I.C.で高速を出た時には、もう完全に手先の感覚が無くなっていました。
そこから海岸沿いの道を進み、郡家から伊弉諾神宮方向へ。
神宮を過ぎて、一宮中学校の所の信号を左折し、郡家川を越えると郡家城は目の前です。
しかし、ここまでノンストップで体が冷え切り、バイクを降りるのも一苦労なぐらい体が強張ってました。
まだまだバイク乗りには厳しい季節やわ・・・
 
ここは、2年半前に来て、中まで入れなかった城。
懐かしいですな。
前回来たときと違い、畦道や農地に柵がしてあり、風景はやや変わってました。
前回は崖の直登を断念したんですが、今回も同じく郡家川沿いの道を進んだ先の崖を登る予定。
装備も整え、準備万端です。
しかし、郡家川沿いの道は人が入らなくなったのか、藪化しつつあってえらい荒れようでした。
前は、車で入ることも可能なぐらいの未舗装路だったんですけどねぇ
農地の柵なんかを見るに、この辺りを里山として使ってた人がいなくなってしまったんでしょうか。
各地で見られる里山の荒廃も、同じですね。
農村部の過疎化と高齢化。
ま、それはともかくとして、藪を踏み分け、時には掻い潜り、城の裏手の崖に到着。
この崖の際に窪地があるんですが、これは空堀の跡かもしれません。
そこからやや奥に進み、比較的手掛かりの多い場所から木の根元を利用して、斜めに斜めに崖を登って行きます。
高さは大したことなくて、10m足らずといったところ。
登り切ると、平場が現れました。
ここは本丸から見ると次段だったようです。
また、かなり広くて、居住区画だったのではないでしょうか。
この次段の縁辺部は盛り上がっており、明らかに土塁の跡ですね。
うむ、城らしくなってきた!
 
 
この次段の中央部には、埋もれた土橋のような地形があり、水が溜まってる場所もありました。
往時は水ノ手だったのかもしれませんね
 
 
池から奥に進んでいくと、数mほど高い場所に本丸があり、その北側にまで次段は回り込んでいます。
本丸に入ってみると、長さ20m、幅10mほどの楕円形でした。
その先にも郭がありそうですが、こちらは判然としませんね。
 
 
次段に戻り、北側に目を向けると、帯郭が見えます。

 
この先は空堀があり、その先は竪堀のように郡家川の支流の河合川方向へ落ち込んでいました。
 
 
堀の先にある北側の郭。
 
 
ここの比高は、本丸から比べるとかなり低いですね。
里山として使われていた頃は、ここも何かに使われていたような痕跡があります。
今は完全に竹藪でどうしようもないですが。
 
結構ちゃんと遺構が残っているのに、案内板の類もないのはちょっともったいないですな。
せめて城址碑でもあればねぇ
ま、兎にも角にも、リベンジは成功。
さぁ、次行ってみよう!
 
つづく
 




参考:
郡家城
地図付きはこちら