2016年3月29日火曜日

東九州縦走 その3

前回のあらすじ
 
秋やのに爽やかさのカケラもなく汗でベタベタやん!
でも内城にはそれだけの価値があるでぇ
 
内城の西向かいには、支城となる松尾城という城があります。
支城なので、志布志松尾城とも呼ばれますね。
内城の所の案内板に松尾城も載っており、2つのピークから成る城だったようです。
この案内図を頼りに、主郭と見られる北側の峰の下まで行ってみると、
 
 
こんな感じでした。
擁壁工事済みということは、元々は相当切り立った崖だったんでしょう。
一応、擁壁には保守用の階段もあるのですが、民家の人に話を聞いてみると、藪になっててとても入れたもんじゃない(鹿児島弁→標準語脳内自動変換)とのこと。
聞いた言葉は、藪っこでなんたらかんたらというような言い方だったと思うんですが、思い出せません(笑)
更に聞くと、城の碑は南側の所から登った所にあるそうな。
ええこと聞いた。
早速、南から行ってみると、民家の横に城の案内が。
倒木なんかもありましたが、郭跡かなと推測できる削平地がいくつかあり、順調に5分ほどで峰の最後部に到着しました。
 
 
この写真左手は、楡井頼仲の碑です。
松尾城は、最初期の志布志城といわれており、頼仲は、その最初期の南北朝時代に南朝方として活躍した城主でした。
そして、頼仲を破った畠山直顕が入ったのが内城で、これが内城の初見となります。
また、直顕に協力していた島津一族の新納実久が、同時にこの松尾城へ入りました。
しかし、直顕と島津氏はどうも権益調整がうまく行かず、両者は同年中には早くも対立し、直顕が松尾城の実久を攻め、実久が島津氏久の援軍を得て逆に直顕を志布志から追っています。
これ以降、島津一門の支配する時代となりました。
ちなみに、この頼仲の碑がある場所は、松尾城の南側の峰です。
松尾城には前述のように峰が2つあり、先ほどの擁壁の上の北側の峰の削平地の方が広いはずなんですが、こちらからは行けそうにありませんでした。
そこはちょっと残念でしたね。
 
松尾城の麓にも水汲み場があったので、そこで顔を洗って再びかいた汗を落とし、ようやく九州上陸の地を出発。
この時点で11:30になろうかというところ。
志布志に上陸して2時間で走行距離数kmとか、ツーリングとは言えないレベルの遅行(笑)
予定時間超過も甚だしいですわ(^^;)
でも、良い城やったからしょうがないか。
というわけで、志布志から国道220号線を東へ。
海が見えたり見えなかったりの海岸沿いをしばらく走ると宮崎県串間市です。
そういえば串間にも城があったんですよね。
時間が押してたので思い浮かびませんでしたわ。
遠い所なんで、拠っとけばよかった(> <)
道は、やがて串間市街に入り、ここより先は山間を抜けて油津へと通じているわけですが、これは前回14年前に来た時に通った道ですな。
今回は、その時に行けなかった都井岬を目指します。
道としては、都井岬方向へ通じているのは国道448号線で、串間市街で国道220号線から分岐しており、そのまま南東方向に山を越えた先が都井岬。
串間市街から15kmほど国道を走ると、ちょうど岬の付け根となる峠道の部分から県道36号線が出ており、この道が都井岬の先端へと繋がっています。
この岬、山が海に突き出しているという感じで、海際は断崖絶壁になってるんですね。
そのお陰か、崖の近くでは視界が広く、空と海の青が目に痛いほど鮮やかです。
あとは優雅に遊ぶ野生馬がいれば完璧・・・でしたが、残念ながら近くの草原に馬の姿は皆無でした。
遠目には馬の姿が見えるんですけどねぇ
しかし!
馬がいるかなと寄ってみた馬の博物館の近くでは、その存在証明が!
まだ暖かい(ほんまか?)・・・
それほど遠くへは行っていないぞ!
 
 


ま、一応はここに居たという証なので、写真に収めときました(笑)
自主規制付き。
ついでに、絶景だったので大隅半島方向の景色をば。
 
 
この後、更に先の都井岬灯台へ。
 
 


この灯台は、九州で唯一の入場できる参観灯台らしいです。
もちろん、灯台からは270°のパノラマ!
 
 


陽光が眩しい!
日南海岸もご覧の通りの景色。
 
 
いや~よろしいですな(^^)
都井岬から戻る途中、道端で草を食べてる馬に遭遇しました。
 
 
想像してた、草原で戯れる馬の図とは違ったけど、馬の姿が見れて満足ですわ(^^)
 
つづく
 
参考:
志布志松尾城
都井岬
地図付きはこちら→鹿児島県宮崎県
 

2016年3月23日水曜日

東九州縦走 その2

前回のあらすじ
 
危なかった・・・
荷物満載で泣きながら神戸に帰る図を想像したよ・・・
 
前回に乗った神戸~大分のフェリーと違って、大阪~志布志便はトラックの利用が多かったですね。
バイクも、全部合わせて10台と少しだけ。
船内のお風呂も乗り慣れてそうな人達でいっぱいでした。
夕食は船内のバイキングで済ませ、開催されていた星の観察教室に漆黒の中で星を見たいと参加し、なかなか快適に暇潰しをして就寝。
寝る頃はもう外洋なので、時々傾いたGを感じる事はありましたが、まぁまぁ寝ることができました。
寝られるかどうかは、ちょっと心配していた部分ではあったんですが、杞憂に終わって一安心。
翌日は6時前に目が覚めて明けの明星を見に出ましたが、もうかなり明るかったので近くにあるはずの火星は見えませんでした。
あとはだらだらと朝風呂、朝飯をこなしつつ8:55の到着まで時間を潰し、トラックが出払ってから出発許可。
志布志の港にはもう車やトラックの影は無く、渋滞無しの快調な出だしです。
港から向かうのは、近所の志布志内城。
志布志一帯の支配の中心ですね。
古くは島津一門の新納氏、その没落後は豊州島津氏、更には大隅の肝付氏が領した城で、戦国時代の大部分は有力領主の本拠でした。
鹿児島の黎明館で模型を見て以来、1度は行ってみたいと思っていた城です。
 
城は、志布志の旧市街の北側にあるので、非常に狭い旧市街の道を抜けて志布志小学校方向へ。
内城の案内が見えなかったので1度県道65号線に出てしまいましたが、引き返してくると、小学校の裏門の横に案内を見付けました。
この段階で9:30。
秋ながら気温は高く、登ると汗が出てきますな。
まず、シラス台地らしい垂直に切り立った堀切が出迎えてくれます。
ああ、南九州の城に来たんやなという景色ですね。
 
 


そして、まずは矢倉場と呼ばれる城の突端部。
草が結構繁茂してるので、写真では特徴の無い原っぱですが・・・
一応櫓台も確認できました。
 
 


更に少し登ると、縄張図では曲輪2と名前が付いている高低差の非常に大きな2段の郭があります。
この郭、名前の通り無名なんですが、土塁も確認できるし、規模もそこそこ大きく、見応えがありました。
また、下の矢倉場も見下ろせます。
この北向かいには、空堀を挟んで本丸があります。
 
 


本丸は2段構成で、杉林となっている上段はかなり広かったですね。
縁辺には土塁とそれに続く櫓台があり、その上に三宝荒神の小さな社がありました。
 
 


本丸の北東側には、戦国時代頃に拡張された久尾と呼ばれる区画が続きますが、本丸とはかなり大きな堀切で区画されています。
本丸から見ると、転げ落ちそうなぐらい・・・
本丸上段の桝形虎口から下り、久尾方向へ行くと、搦手があります。
ここも相当切り立った通路となっていて、南九州の城らしさが感じられますね。
 
 
次は本丸から堀切を挟んである中野久尾の手前側、と行きたい所ですが、倒木で行けなかったので、先に中野久尾の奥側へ。
縄張図では曲輪5となっている場所ですね。
この曲輪5は上下2段構成で、下段は半藪化していますが、上段は視界が開けていました。
下は、櫓台から上段の全景。
 
 


中野久尾の手前側、曲輪4と呼ばれる場所は、前述のように正面は倒木で塞がれていたので入ることができず、止む無く曲輪5側から侵入を試みます。
この堀切から直登ですな。
 
 
この曲輪4の際まで登ると、切岸の上、郭の端に竹が密生していたのですが、その竹を掴んで体を郭まで持ち上げようとした瞬間、ぬるっとした感触が。
うわーなんか触ってもうたー!!
竹の反対側にアブラムシか何かが密集してて潰したのかとちょっと鳥肌が立ちましたが、よく見てみると、竹に何か小さなキノコか粘菌のようなものが付いていたようです。
とは言っても、洗うところも無いのでその後はずっと掌が黄色い汁まみれだったんですけどね(^^;)
ただ、あまり人が入らないせいか、郭の内部は藪ってました。
 
 
曲輪4から北西側に下りると、大きな空堀に出ます。
志布志内城は、城内各地の堀切がそれはそれは見事な規模と形なんですが、この空堀は特に別格ですね。
主郭部の北西側を貫いて掘られている堀で、何かの映画に出てきそうなぐらい超の付く大きさ。
一見の価値有りですね。
いや~見事ですわ(^^)
 

 
中野久尾の北東には、更に堀切を挟んで大野久尾という2段構成の広大な郭があります。
ただ、大野久尾に関しては、少し前まで農地だったようで、農機具搬入の為の農道がズドンと真ん中に掘られていました。


縄張図には、この道はありません。
内部はただただ広大な平坦地。
 
 


居住区だったんでしょうね。
本丸も同様ですが、これら中野久尾上下段、大野久尾の虎口は、ほぼ全て食い違いや桝形になっていました。
なかなか近世的な容貌の城だったようです。
 
大野久尾を下りた所には、当時は無かった通路ですが、車両も入れる通路がありました。
大野久尾の農道と同じような感じで、農地時代に造られた道かな?
志布志小学校側の入口で会った地元の人によると、小学校側の遊歩道は細いので、今後はこっちの道がメインの登城道になるようです。
その道を下りて行くと、どこかの職員の方が草刈をしていました。
これで内城の散策は終わったんですが、この日は秋なのに暑かった・・・
朝風呂の後に着替えたTシャツが、もう汗でビチャビチャです。
おい・・・僅か1時間でオシャカやがな・・・
着替えの予備セットなんか持ってきてないのにどうしてくれる!
しょうがないので、前日に着ていたTシャツを引っ張り出して着ました(> <)
でも、この辺りは湧き水が豊富で、集落を流れる小川の水も非常に豊か。
集落の一角に湧き水を汲める場所があり、そこで顔を洗って体を拭き、気持ち悪さを解消!
凄く助かりました(^^)
 
つづく
 
参考:
志布志内城
地図付きはこちら
 



2016年3月17日木曜日

東九州縦走 その1

気が付けば春が見えてきました。
次の春のツーリングをどこにしようか、と悩む前に秋のツーリングをまとめなければ。



昨年秋は、大阪から志布志までフェリーで行き、東九州をざっと北上してきました。
その旅日記を。
 

前に神戸~大分のフェリーに乗りましたが、関西から西へのフェリーは、小倉、別府、大分、宮崎志布志便があります。
前回はフェリーで寝れるかどうか心配だったのですが、意外と眠れることが判ったので、今回はもっと足を延ばして大阪南港からの志布志便にしました。
フェリーは17:55の出航なので、金曜の午後から仕事を切り上げてツーリングへ行く事になります。
神戸から南港だと、普段なら大体1時間ぐらいあれば着く訳ですが、予約が取れた日は、ちょうど阪神高速湾岸線の舞洲と天保山の間で通行止を伴う工事をしていました。
18時から逆算し、30分前の到着リミットに行程1時間、それにプラス30分の余裕を持たせて、通常なら16時頃の出発、17時頃の到着というところでしょうか。
今回はそれに通行止分を迂回する為、それから更に30分早めて15:30の出発という予定を立てました。
当日は、トラブルも無く順調に仕事を完了。
しかし、帰宅途中でニュースを耳にしました。
阪神高速神戸線渋滞14km。
なっなっなんだってー
まじか!
えらいこっちゃ。
帰宅時間はどんなに急いでも変わらないので、手早く荷造りをして出発。
それでも15分ほどしか短縮できず。
渋滞が須磨の方まで伸びているということなので、神戸山手線で湊川まで行きましたが、湊川JCTの所ですでにびっちりの渋滞。
湊川JCTの所は、左側のI.C.の入口の車線と合流してからJCTへの道になるわけですが、空いている入口車線の方へ膨らんですり抜け気味に神戸線本線へ。
しかし、合流直前のところに白バイがきちんと並んでました。
直前まで見えなかった・・・
「あっこんにちはー」
と独り言を言ってか言わずか、冷や汗をかきながら抜けましたが、お目こぼしされたみたい(^^;)
グレーっちゃグレーやけど、すり抜けで黒と言われても言い訳できんところでしたわ。
神戸線本線に合流した後もびっちり渋滞は続き、にっちもさっちも行かんので、京橋I.C.で下りてハーバーハイウェイへ。
料金所でお金を出そうとしたら、バイクは無料らしい。
何回も車で利用してるけど、知らんかったわ・・・
ええ道やん・・・
そのハーバーハイウェイから、今度は阪神高速湾岸線へ。
ちなみに、京橋I.C.と住吉浜I.C.は乗り継ぎができるので、1回分の料金で使えます。
さて、問題はここからや・・・
舞洲までは行けるけど、後は道を把握してない。
工事を迂回する為に神戸線の中之島西I.C.から波除I.C.の乗り換えを動画まで見て予習したのに、結局役立たずや・・・
取り合えず、通行止めの所から北港に降りてみましたが、こちらもやたらと車が多く、国道43号線に出てもかなり混みそうなので、意を決して舞洲へルートを取り直します。
此花大橋を渡って舞洲に入ると、カラフルな清掃センターが見えてきました。
なつかしい。
大阪に住んでた頃は、草サッカーでよくこの舞洲に来てたもんですわ。
そんな感慨も一瞬、夢舞大橋にかかる所で、やっぱり渋滞が始まりました。
この人口島周辺の橋は、船を通す為に高く造られており、すこぶる見通しがいいんですが、橋の上から見た車列が美しいこと(笑)
もうね、
びっっっっちり!
まっすぐ車列が続いてそのまま90度コーナーを抜けて夢咲トンネルまで。
と言っても建物でトンネルは見えないんですけどね。
しかし、これだけ先が見えると、さすがにちょっとあせりますわ(^^;)
もうそこからは蟻の行軍。
ちびちび、ちびちびです。
最悪、フェリーからの連絡はあるやろ、と開き直りつつも、ただただ時間だけが過ぎて行く。
次第に夕景となる中、トンネルを抜けたATCの所からようやく流れ始め、なんとか南港かもめ埠頭には出航30分前に到着しました。
一応30分前なので、許容できるギリギリの時間に収まったのか。
いや~疲れた・・・
 
 
フェリーからは、南港の景色が綺麗でした(^^)
あとは風呂につかってぐったりするべ。
 
つづく
 



2016年3月12日土曜日

労働組合の政治的パラドックス

歴代政権の中で、安倍政権は賃上げ圧力の高い政権といえるでしょう。
労働組合の頭越しに経営者や経団連に働きかけているニュースが毎年出ています。
これについて思うのは、政治的な矛盾。
自民党と民主党の性格としては、自民党が経営者や自営業者に近く、民主党や他のリベラル系野党は労働者に近しい。
ところが、安倍政権がやっているのは賃上げ要請です。
もちろん、法人税の減税や経営者側に立つ政策もありますが、このような明確な賃上げ要請は、労働組合に支持された民主党政権でもありませんでした。
庶民層の賃金が上がらないと内需が拡大しないという強い認識の顕れなんでしょう。
しかし、支持基盤である経営者層から嫌われるというリスクもあるわけです。
なかなか思い切った働き掛けだと思いますね。
経営者的立場からすれば、そんなのはお上が言うことじゃないだろ!筋違いだ!という反発があってもおかしくない。
建前的には、雇用契約と言うのは双務契約ですから。
 
一方、賃上げを歓迎すべき労働組合は、連合を含めそのほとんどが自民党ではなく民主党支持です。
賃上げ圧力の強い政権なのに、与党ではなく野党支持。
また、そのような民主党支持の労働組合の中には、公務員の労働組合である自治労もあります。
しかし、民主党は公務員給与削減も政策として掲げていますね。
・・・ん~なんなんだろう、この矛盾。
労働組合なら賃上げ方針を掲げる党を支持すべきだし、特に自治労なんて給与削減を掲げる政党を支持するなんて労働組合としては自殺行為。
違和感が半端ないですな。
旧社会党の流れが民主党に組み込まれているので、そのまま惰性で支持というのもあるんでしょうが、もう政治的な主張を持つ労働組合という組織が、組合の本質とかけ離れてしまってる気がします。
そら、組合に入る人も減るわ・・・
特に自治労なんて、組合費払って給与削減を求めてるようなもの。
もっと現実に即した支持や主張が求められているんではないでしょうかね。
いや、世の中の空気を見ると、それすら通り越えて、もう求められてすらいないのかも。
労働組合に関係無い人間なんで他人事ですが、当事者ならとてつもない鬱憤が溜まるだろうな・・・
 



2016年3月7日月曜日

2016スーパーチューズデーの後

共和党の大統領候補であるトランプ氏の優勢がはっきりしてから、過激な言動のトランプ氏に対するネガティブキャンペーンがCNN等で加速していますね。
個人的には、もしこのままトランプ氏が大統領になっても、トランプ氏の人脈だけではとても政権は回せないでしょうし、行政官僚やブレーンなどは共和党人脈から政権に出すことになるので、もっとマイルドな政策に落ち着くと思っていますが。
とは言え、トランプ氏も黙る訳もなく、トランプ支持は低学歴層だというネガティブキャンペーンに対して、支持してくれる人は低学歴でも大好きだ、という返しをしました。
なかなかうまいものですな。
低学歴の人だってアメリカ人ですからね。
1票は1票。
高学歴の人間が上から目線でネガティブキャンペーンをしても、低学歴の人は反発して支持を強くするだけでしょう。
下から見れば、その選民意識が鼻につく。
そもそも、学歴なんて相対的な指標であって絶対的なものではないですしね。
日本でも大卒は昔は高学歴でしたが、大学全入時代に突入しつつある今では、もはや大卒は取り立てて高学歴でもなく、普通になってます。
就職には、専門的な訓練を受けた専門学校の方がよほど強みがあるほど。
そんな絶対的ではない指標でネガティブキャンペーンというのも、煽りが見え見えで悪手ですわ。
あと、注目すべきは、移民に対して辛辣な発言が多いトランプ氏ですが、移民層からの支持も厚いことですね。
合法的に移民をしてきた人間にとっては、違法に入ってくる新たな移民は、自らの権益や立場を侵す者です。
先行者利益の維持というやつですね。
そういう人間からすれば、当然ながら後続者が少ないほうが良い。
この辺り、アメリカの複雑な移民事情が窺えます。
 
しかし、こういう一連の流れから見えるのは、どこの国でもそうですが、メディアの影響力が弱っていることでしょうか。
一昔前なら、これだけネガティブキャンペーンをやられると、ちょっと勢いを保つのは無理だったと思います。
大統領選で多額のお金がメディアに流れるのは、そういうネガティブキャンペーンの攻防の意味がありました。
ところが、メディアのそういう恣意的な部分がネット経由では丸見えになり、大元の情報へ直接アクセスして自分で判断するという人が増えています。
すると、ネガティブキャンペーンなんて底が知れたもの。
恣意的であれば、それが逆に反感を買うことすら珍しくありません。
翻って日本を見てみても、テレビや新聞の論調と、政権支持率の調査結果が、どうも合致しません。
紙面や画面から漂う雰囲気と調査結果が合わないのです。
これは、あくまで個人的な主観ですがね。
それだけ、市井の空気と、メディアの空気にズレが生じているとも言えるでしょうか。
ネットに到達可能な人口比率が98%を超える今、ネットで発信しているのは普通の人々なのですから。
これは政治的な話だけではなく、流行もそうですね。
昔はメディアで流行を主導した部分がありましたが、今はそれが難しい。
本当に良いものか、ネットで下調べしますからね。
 
しかし、情報革命というのは、かなり大袈裟な言葉ではありますが、この15年ほど掛けて革命に値するほど世の中に影響を与えて来たのだなと思わずにいられませんな。
色々と変わって来ていますが、これからも変わって行くんでしょうね。
おっさんは、もうついていけないかも知れません(笑)
 

2016年3月3日木曜日

2016スーパーチューズデー

アメリカの共和民主両党の大統領候補選挙が、連日報道されていますね。
前半の山場のスーパーチューズデーと呼ばれる選挙日を越え、共和党はトランプ候補、民主党はクリントン候補が優勢となりました。
以前にもトランプ候補には少し触れましたが、トランプ候補がここまで支持を集めるとは意外でしたね。
ちなみに、共和党の候補を見てみると、トップが過激な発言で知られるトランプ候補、2番手3番手に主流派のルビオ候補と保守強行派のクルーズ候補がほぼ並ぶ形となっています。
つまり、中道的な主流派はルビオ氏だけで、全体的に強硬な主張をする候補に支持が集まる傾向があるようですな。
トランプ候補支持とクルーズ候補支持を合わせると、ざっと4人中3人までが強硬派支持。
これは相当な割合ですな。
ちなみに、もう撤退を決めましたが、ブッシュ家の3番目の大統領になるかと言われたジェブ・ブッシュ氏も、共和党では主流派と呼ばれる人物で、ブッシュ氏支持の層はその撤退によってルビオ氏支持となっています。
それでいて尚、トランプ候補のこの強さ。
いや、主流派の弱さというべきでしょうか。
以前とかなり選挙の様相が変わってきているようです。
ただ、同じ強硬系のトランプ候補とクルーズ候補に親和性があるかと言うと、これがまたちょっと違っていて、ややこしい。
最終的に共和党候補として一本化された時に、撤退した候補の支持層がどう動くかというのは、まだまだ流動的な面があるようです。
 
一方の民主党。
こちらはほぼクリントン候補で決まりの様子。
対抗するサンダース候補は、ざっと見た所、ピュアリベラリストとでも言ってもいいんじゃないかというぐらいの社会主義的政策を掲げています。
その為、貧困層からの支持が厚い。
比率にすると4人中1人程度ですが、この辺り、共和党とはベクトルが違うものの、やはり過激な政策が受け入れられる素地があるんでしょう
 
チェンジを掲げて8年前にオバマ大統領が誕生しましたが、共和民主双方で強硬な政策を掲げる候補が支持を得ているという事は、そのような変化を求める空気が今尚強いようです。
オバマ大統領時代は、リーマンショック後で難しい局面でしたが、アメリカ経済の相対的強さを見ると、うまく切り抜けたという印象でしょうか。
それでも、あまり評価は高くありません。
外交的には、失策と見ていいような部分が多いですしね。
ただ、それよりも、アメリカの一般層には、表層的には見えない鬱屈した閉塞感というのが問題として横たわっているんではないでしょうか。
いつもとちょっと風向きの違う選挙戦。
どうもそれが気になりますね。