秋やのに爽やかさのカケラもなく汗でベタベタやん!
でも内城にはそれだけの価値があるでぇ
内城の西向かいには、支城となる松尾城という城があります。
支城なので、志布志松尾城とも呼ばれますね。
内城の所の案内板に松尾城も載っており、2つのピークから成る城だったようです。
この案内図を頼りに、主郭と見られる北側の峰の下まで行ってみると、
こんな感じでした。
擁壁工事済みということは、元々は相当切り立った崖だったんでしょう。
一応、擁壁には保守用の階段もあるのですが、民家の人に話を聞いてみると、藪になっててとても入れたもんじゃない(鹿児島弁→標準語脳内自動変換)とのこと。
聞いた言葉は、藪っこでなんたらかんたらというような言い方だったと思うんですが、思い出せません(笑)
更に聞くと、城の碑は南側の所から登った所にあるそうな。
ええこと聞いた。
早速、南から行ってみると、民家の横に城の案内が。
倒木なんかもありましたが、郭跡かなと推測できる削平地がいくつかあり、順調に5分ほどで峰の最後部に到着しました。
この写真左手は、楡井頼仲の碑です。
松尾城は、最初期の志布志城といわれており、頼仲は、その最初期の南北朝時代に南朝方として活躍した城主でした。そして、頼仲を破った畠山直顕が入ったのが内城で、これが内城の初見となります。
また、直顕に協力していた島津一族の新納実久が、同時にこの松尾城へ入りました。
しかし、直顕と島津氏はどうも権益調整がうまく行かず、両者は同年中には早くも対立し、直顕が松尾城の実久を攻め、実久が島津氏久の援軍を得て逆に直顕を志布志から追っています。
これ以降、島津一門の支配する時代となりました。
ちなみに、この頼仲の碑がある場所は、松尾城の南側の峰です。
松尾城には前述のように峰が2つあり、先ほどの擁壁の上の北側の峰の削平地の方が広いはずなんですが、こちらからは行けそうにありませんでした。
そこはちょっと残念でしたね。
松尾城の麓にも水汲み場があったので、そこで顔を洗って再びかいた汗を落とし、ようやく九州上陸の地を出発。
この時点で11:30になろうかというところ。
志布志に上陸して2時間で走行距離数kmとか、ツーリングとは言えないレベルの遅行(笑)
予定時間超過も甚だしいですわ(^^;)
でも、良い城やったからしょうがないか。
というわけで、志布志から国道220号線を東へ。
海が見えたり見えなかったりの海岸沿いをしばらく走ると宮崎県串間市です。
そういえば串間にも城があったんですよね。
時間が押してたので思い浮かびませんでしたわ。
遠い所なんで、拠っとけばよかった(> <)
道は、やがて串間市街に入り、ここより先は山間を抜けて油津へと通じているわけですが、これは前回14年前に来た時に通った道ですな。
今回は、その時に行けなかった都井岬を目指します。
道としては、都井岬方向へ通じているのは国道448号線で、串間市街で国道220号線から分岐しており、そのまま南東方向に山を越えた先が都井岬。
串間市街から15kmほど国道を走ると、ちょうど岬の付け根となる峠道の部分から県道36号線が出ており、この道が都井岬の先端へと繋がっています。
この岬、山が海に突き出しているという感じで、海際は断崖絶壁になってるんですね。
そのお陰か、崖の近くでは視界が広く、空と海の青が目に痛いほど鮮やかです。
あとは優雅に遊ぶ野生馬がいれば完璧・・・でしたが、残念ながら近くの草原に馬の姿は皆無でした。
遠目には馬の姿が見えるんですけどねぇ
しかし!
馬がいるかなと寄ってみた馬の博物館の近くでは、その存在証明が!
まだ暖かい(ほんまか?)・・・
それほど遠くへは行っていないぞ!
ま、一応はここに居たという証なので、写真に収めときました(笑)
自主規制付き。
ついでに、絶景だったので大隅半島方向の景色をば。
この後、更に先の都井岬灯台へ。
この灯台は、九州で唯一の入場できる参観灯台らしいです。
もちろん、灯台からは270°のパノラマ!
陽光が眩しい!
日南海岸もご覧の通りの景色。
いや~よろしいですな(^^)
都井岬から戻る途中、道端で草を食べてる馬に遭遇しました。
想像してた、草原で戯れる馬の図とは違ったけど、馬の姿が見れて満足ですわ(^^)
つづく
参考:
志布志松尾城
都井岬
地図付きはこちら→鹿児島県・宮崎県
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