2014年12月29日月曜日

今年も無事に

2014年もいよいよ終わろうとしています。
V-strom2年目、この歳にして1日最長距離更新、泊フェリー初体験と色々ありました。
まだ記事にはなってませんけども(笑)
恐るべき遅筆を呪いつつ、走り納めも済ませました。
今年は、寒いし、休みの日は天気も悪いしで、納められないんじゃないかとすら思いましたが、何とか無事に。
あとは可倒式クラッチ/ブレーキレバーが来ればバッチリだぜー

それでは、良いお年を(^^)
 

2014年12月22日月曜日

両毛・新潟ツーリング その7

前回のあらすじ

絶対と言って憚らないぐらいいつも予定が押すのに、珍しく予定通りに城を辿って行けてる。
怖い!怖いよぉー!
 
さて、いよいよ山越えをして日光へ。
このツーリング最大の山場ですな。
日光での時間次第で宇都宮城まで行けるか?
宇都宮駅で宇都宮城の表示を見つけられず、撤退した13年前の雪辱を果たせるか?
個人的には、達成感という尺度において物凄く大事なことです。
他人にとっちゃ、行けても行けんでもええやん、的なことですが(笑)
 
日光へのアプローチは、国道122号線となるわけですが、大胡から上毛電鉄沿いに走ると少し遠回りな上、流れも遅い可能性が高い。
そこで、荒砥川沿いを北上し、県道を伝って神梅へ斜めにズドーンと突き抜けようと思ったわけです。
これ、ツーリングマップルじゃ不可能ですな。
スマホで現在地を探りながらじゃないと無理。
地図じゃ細い3ケタ県道なんて載ってないんやもん。
でも、こういう主要幹線じゃない道って、走ってて凄く不安になりますな。
距離は短いのに、とてもとても長く感じること(笑)
ここで迷えば宇都宮行きはほぼ断念という、精神的プレッシャーもありますが。
合ってんのか?合ってんのか?と考えながら、ようやく国道353号線に出て一安心(^^;)
そこから少し北へ走って、再び県道で小山を越えたら国道122号線です。
よし、時間短縮できたはずだ!
と安心してたら、行く予定だった五覧田城への道を見落としました・・・(> <)
数kmほど走っておかしいと気付き、戻ったものの、今度は集落へ入った道から城を示す道標の発見に手間取りました。
だって、小さい上に草に半分隠れてるんやもん・・・
で、
で、
極め付けはこれですわ・・・

 
どーん!!
淡路の白巣城に続いてまさかの倒木!
これがただ倒れてるだけなら、除ければOKなんですがね。
倒れながらもまだ生えとる!
根がしっかりしてるだけに、押しても引いても1mぐらいしか動かない・・・
というわけで、断念しました(> <)
後で調べたところ、自分が上って行ったのは関守登山口らしく、最も楽に登れるのは戸屋沢橋登山口らしい。
倒木のあった箇所は、まだまだ中腹で視界の開けない場所。
時間があれば徒歩で登ったんやけど、宇都宮と天秤に掛けました。
んー
んー残念・・・
 
気を取り直して、国道122号線から一路日光へ。
前に車がいて爽快とまではいかないですが、そこそこ快走できました。
足尾銅山の案内を見ながら、次に来る時は何年後か分からんけど、年齢的にバイクで来れるんか?などと考えつつ、日足トンネルを越えて日光入りです。
さすがにトンネル前後はかなり空気が締まってましたが、まだまだこの時間なら問題なし。
ただ、国道120号線との分岐で沼田88kmの文字を見たときには、ちょっと宇都宮を諦めました(笑)
今回の目的は、二荒山神社と、13年前に人波に嫌気が差して中まで入らなかった東照宮。
事前の下調べで、東照宮の駐車場は一杯の可能性が高そうだったこともあり、二荒山神社前の駐車場に行くと、二輪は自分以外は1台だけで、煩わしい事も起きず難なく駐車に成功。
そこから二荒山神社と東照宮を見て回りました。
まずは二荒山神社へ。

 
神社の杜が深くて雰囲気が宜しいですな。
なんかパワースポットになっているらしく、若い女性もチラホラ。
ちょっとびっくり(笑)
続いて東照宮へ。

 
さすがにこちらは格段に人が多い。
特に外国人の方が多かったですね。
その辺りは13年前と変わってない。
東照宮は、江戸時代の一番力のある3代家光の頃に整備されたこともあり、全体的に派手派手しい建物が多いですね。
足利義満の金閣寺に通じる何かがある。
共に幕府3代目ですし。
下は三神庫の左手の建物ですが、こんな感じで金ピカです(^^)

 
境内西側の輪蔵と鼓楼もこんな感じ。

 
その上にある唐門はやや趣を変えて白い柱が目立ちます。
唐門という名もあって、何故かぐっと中華らしさを感じますね。
しかし、あくまで唐門というのは形式上の話で、中華は関係ないんですが(笑)
ちなみに、社としては、この唐門が正門にあたります。

 
そして有名な眠り猫。

 
この猫の所は、猫も起きるんちゃうんか?というぐらいの黒山の人だかり。
写真を撮るのにも一苦労(笑)
この眠り猫を越えて行くと、家康の神棺が祀られている奥宮宝塔です。

 
この辺りは流石に静寂感がありましたね。
しかし、この日は土曜日だったんですが、小学生の修学旅行とバッティングしてえらい混雑でした。
自分らの頃は平日に行ってたんですが、今は違うのかな?
一観光客としては、おいおい~(苦笑)、で済む話ですが、ヤンチャな子もいる小学生を率いて、土曜という観光客が多い曜日に観光地という激戦地へ敢然と突撃する引率教師は大変ですな。
所詮、他人事ですが(笑)
 
参考:
五覧田城
二荒山神社
日光東照宮

群馬の地図付きはこちら
栃木の地図付きはこちら
 

2014年12月16日火曜日

衆議院議員選挙の結果について

師走のバタバタした日程ではありましたが、選挙も終わりましたな。
結果は、新聞などの事前予想通りの自民の圧勝。
公明、共産も勝利でしょう。
民主は、前回の大敗から揺り戻しがあってもおかしくなかったのに、微増止まり。
維新は踏みとどまりましたが、完全に勢いが無くなりました。
他の第三局は壊滅状態。
そんな感じです。

選挙前後の議席を比べてみると、下のようになります。

自民党  293 → 291
民主党  62 → 73
維新の党  42 → 41
公明党  31 → 35
共産党  8 → 21
次世代の党  19 → 2
生活  5 → 2
社民党  2 → 2
無所属  17 → 8

0増5減があったことを考えると、自民は微減ですが、実質的には現状維持かやや増といったところでしょうか。
民主は揺り戻しが無く、みんなの党の分を吸収した感じですかね。
2回連続でこの議席に留まったということは、党勢がこの程度で固定される恐れがあり、もうちょっと危機感が必要じゃないでしょうか。
海江田党首が落選したのが、迷走をそのまま表してますね。
野党第一党の党首が落選するのは65年振りとのこと。
何もしなくてもテレビで映され、知名度が上がるのに、落選、つまり惜敗率でも他の民主候補に及ばなかったというのは、ちょっとやそっとの不人気ではないですね。
党首という立場から、民主党への不人気さに党員を代表して晒された感があり、ちょっと可哀相な気もしますが。
ま、10月頃の首脳部の言動と、11月末頃の首脳部の言動が180度違うようじゃ、とてもとても信任できないですけどね。
選挙前から他党との合流を口にする維新も同じ。
支持者にとっては、維新に投票しても年が変われば違う党になってる可能性があるんだから、投票する意味が無い。
ちゃんと合流してから、統一した政策綱領を掲げて立候補するべき。
共産党の躍進は、批判票と固定票のお陰でしょうかね。
ただ、共産党の政策に実現性がほとんど無いのがねぇ
現実に即した政策を打ち出すなら、もっと評価できるんですが。
ただ、法案提出可能な議員数の20人を超えてますから、どのような対案を提示できるか注目したいです。

この選挙結果と、低投票率を受けて、一部マスコミなどで選挙結果だけが民意ではないというような報道も見かけますが、それはどうなんですかね。
よく言われるように、投票しないということは白紙委任です。
一般市民にとって、国政への政治参加というのは限られています。
選挙か陳情かになりますが、大多数の人は選挙のみでしょう。
その数少ない機会を放棄しておいて、民意云々というのも厚かましい。
そもそも、選挙で意思表示しない人の民意をどうやって測るのか?
標本数が少なくサンプルも偏ってるようなマスコミの世論調査なんて、参考にならないですしね。
だいたい、低投票率だと相対的に組織票を持ってる所が有利なわけで、今回は連合などの労働組合系の支援を受ける民主や維新、厚い党員層を持つ共産、創価学会の公明が有利だったと言えます。
自民にももちろん組織票はありますが、組織票というのは固定数ですから、投票率や得票数が増加すれば影響は薄まりますし、少数政党の組織票の方が、低投票率によるメリットが遥かに大きいでしょう。
つまり、一部マスコミが気にする民意の元である、今回投票しなかった人々が、もし投票していたとするならば、これらの自民以外の組織票を持つ政党の得票率が相対的に下がる可能性が高く、結局は自民の議席が増えただけだったような気もします。
自民の落選候補は惜敗の人が多かったですしね。
ま、何にせよ、雲を掴むような実態の曖昧な民意を気にするより、しっかりと現実を見つめて政策を打って貰いたいものです。
 

2014年12月11日木曜日

両毛・新潟ツーリング その6

前回のあらすじ

前日に見付けた白井城。
いや~見つけておいてよかった!
 
箱田城の次は前橋です。
前橋城はかれこれ13年前に行ったんですが、今回はその対岸にある石倉城が目標。
かつての前橋城内だった範囲を抜けていくことにはなるんですがね。
箱田城の辺りの利根川の左岸には、国道17号線が走っていますが、これは旧道で、現在は対岸の右岸側にバイパスができています。
どちらもまだ17号と表記されていますが、バイパス完成で県道扱いに、という感じでしょうか。
そのバイパスのお陰か、こちらの17号線は交通量も多くなく、のんびりと走れますね。
こうして渋川から南下して行き、やがてバイパスと合流して、道は前橋市街へと入って行きます。
いや~、なんとなく懐かしい。
川沿いの前橋公園辺りから県庁が見えますが、城の土居も見えてなかなか感慨深いですな。
こんな遠くまで、2度も来れるとは思ってなかった(^^)
そうこうしているうちに中央大橋で利根川を渡り、大きな交差点の手前で適当に左折して住宅地に入ると、すぐに現れる公園が石倉城跡です。
しかし、県庁のすぐ対岸がこんな閑静な住宅地というのも少しびっくり。
この辺りは官庁街も近いし、そこで働いている人は職住接近でよろしいですな(^^)

この石倉城は、罷り間違えば県庁所在地名、つまり前橋城から続く前橋市ではなく、石倉城から続く石倉市になっていたかもしれないという城です。
どういう事かと言うと、対岸の前橋城の前身にあたるのがこの石倉城なのです。
しかし、暴れ川として名高い利根川の氾濫で壊されてしまいました。
そして、変わってしまった流路で二分された石倉城の東側を再利用して、新たに築かれたのが前橋城というわけなのです。
その後、主要な拠点機能は前橋城に移りましたが、旧石倉城の西側部分も城として再利用されるようになったようで、前橋城と新生の石倉城が並存する期間が続きます。
しかし、戦乱が収まると、城の機能は前橋城に集約され、石倉城は廃城となりました。
祖を同じくしながら、直系の家が廃れ、傍系の家が栄えたような感じですかね。
流路が変わってなければ人やモノの流れも違っているので、素直にそのままというわけにも行かないですが、氾濫が無い、もしくはその規模が小さければ、石倉城、そして石倉藩となって石倉県が誕生した可能性もありますな。
福井、福岡、福島の福シリーズ、山形、山梨の山シリーズに続く石川、石倉の石シリーズができていたのかもしれません。
だがしかし!
前橋城は江戸時代に利根川の浸食で一旦放棄されており、石倉城もその巨大なる自然の壁が立ち塞がっていたことでしょう。
そして、戦国、江戸と、2度までその利根川の壁を越えたとしても、群馬郡という、回文かよ!と思わず間違ってツッコミを入れてしいそうなグンマーが立ちはだかるのであった!
 
・・・いやいや、
何の想像やねん(笑)
 
そんな訳の分からない想像は置くとして、現状の石倉城は、公園に碑があるのみで、城らしい痕跡はありません。

 
こんな碑が公園の端にあります。
地図を見ると、外堀公園というのもあるようですね。
でも、そちらにも遺構は無い様子。
県庁至近で、真っ先に市街地化されたであろう場所だけに、しょうがないか・・・
 
石倉城からは、群馬大橋を渡って利根川左岸に戻り、上毛鉄道沿いに東へ。
大胡へと向かいます。
そして、大胡市街から荒砥川沿いに少し北に進めば、大胡城に到着します。
大胡幼稚園を目指せば解り易いですかね。
幼稚園も元は城の一角だった場所で、幼稚園に隣接してすぐ南に主郭部があります。
大胡城は荒砥川沿いの河岸段丘状の地形を持つ丘陵にある城で、荒砥川の支流をうまく堀として利用しており、平地の大きさの割りに切り立った場所の多い城ですな。
この辺りは赤城山の火山灰土の影響もあって、南九州の城と同じく、切り立った深い谷となっている地形が多いようです。
それを利用した大胡城の堀もこんな感じで深く切り立っています。
これは、本丸から幼稚園の敷地となっている北城を撮ったものですが、この間の堀は、元々細流があったのか、堀として流路を開削したのかは不明ですが、かなり深い。
写真では解りづらいですが、上から眺めると、かなり深いなぁ、と感嘆するほど。

 
現地案内図を見ると、土の城という感じですが、桝形や本丸の区切りなんかに石垣の跡があり、総石垣ではないものの、主要部は石垣であった可能性が高そうです。
でも、内堀はこんな感じで土の城という印象が強いですね。

 
上の写真の内堀の左側は本丸の土塁ですが、これもきれいな形を残していました。
本丸側からの写真が下。

 
本丸は南北2段に分かれており、南側の本丸下段の削平地と内堀側の土塁、そして木の後ろ側に見えているのが本丸虎口です。
最後に、本丸からの荒砥川の眺望を。

 
典型的な崖城ですね。
ちなみに、城址碑らしい城址碑は、この崖の真下にありました。
川沿いから城跡に入ってくるのに、短いトンネルを抜けるのですが、そのトンネルの入口脇です。
トンネルということから解るように、往時の大手は南側だったようです。
また、江戸時代には丘陵部だけではなく、平地にも郭が拡張されていました。
ただ、江戸時代頃の縄張を明示した案内板なとが無かったので、そこだけはちょっと残念でしたね。
下草もしっかり刈られてて、きちんと整備されているだけに、少し勿体無かったです。
 
なんか写真を入れて長くなってしまいました。
まだ2日目午前中というのに、その6とは、ちと長い・・・
この後は群馬側から日光へアプローチじゃ!
 
つづく
 
参考:
石倉城
大胡城

地図付きはこちら
 

2014年12月5日金曜日

続・衆議院議員選挙公示

ちょっと1回では書ききれなかったので、追加で書きたいと思います。
 
つい昨日も話題に上がってましたが、民主党の海江田党首がアベノミクスの評価を100点満点で評価した-38万人という数字。
これは誤記ではなく、100点満点で突然-38万人と書いた海江田さん。
政界のファンタジスタか?
という評は置くとして、この数字は、

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-11-29/2014112901_02_1.html

のように記事になっています。
非正規雇用者が増え、正規雇用者が減っているというのを海江田さんは主張したかったと思うのですが、この数字が気になったので、少し調べてみました。
まず、記事で挙げられているのは、正規雇用者の38万人減少と、非正規雇用者157万人の増加です。
つまり、差し引き119万人の雇用者増加ということになりますね。
これを裏付けるように、有効求人倍率と失業率は改善してきています。

http://nensyu-labo.com/koyo_yukokyujin.html

http://nensyu-labo.com/koyo_kanzensitsugyo.html

で解り易いグラフとなっているので参照してみると、有効求人倍率はリーマンショックが底で、そこから一律に回復してきており、民主党時代も回復基調にあったと言えますね。
ここは、民主党政権も評価されるべき点かと思います。
ただ、今年もほぼ全体を通して求職者が有利となる1を超え、失業率も政権担当期間を通して改善しており、輸出企業が牽引して景況感の良かった2006~2007年頃と同等の値が出ているのは、アベノミクスの雇用政策が実を結んできているんだと思います。
求人が増えれば、当然ながら条件の悪い所に人が集まらなくなりますから、競争原理が働いて賃金や待遇は改善されます。
パートアルバイトの時給が上昇していることはまさにその表れで、ワタミやゼンショーなどのブラックとすら言われる事もあるデフレ系企業が利益を出せなくなっていることは、庶民にとってはいいことだと思いますね。
当の企業にとっては深刻な問題ですが、逆に言えばデフレ下では好条件で利益を出してきた訳ですから、デフレに適応した経営体制を改める時期に来てるんだと思います。
個人的には、賃金に関して言えば、政府が企業に対して賃上げなどを働きかけているわけなんですが、連合とかの労働組合系は何してんねん!という感想がありますね。
本来、そこはあんたらの仕事ちゃうんか?
と小一時間問い詰めてやりたい。
いらぬ政治活動なんかしてるより、よっぽどやることがあるんちゃうかと。
 
雇用と同じく、野党などが盛んに言う実質賃金の低下についてですが、賃金が高く人口の多い世代の引退と、少子化の進んだ賃金の安い若年世代の就業という構造的な問題があり、数字だけを抜き出したのでは恣意的に映る可能性があります。
また、正規社員の減少というのも言われますが、定年者が嘱託などの非正規職として働く事も多く、実態を正しく見なければなりません。
そこで、平成25年の人口統計を見てみます。

 
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2013np/pdf/tables.pdf (PDF)

この年の大卒1年目の新卒(23歳)にあたる人口は124万6千人。
同じく定年を迎え始める60歳の人口はちょうど170万人。
全員が会社員として新卒採用されるわけではないし、一律に60歳で退職するわけでもないですが、便宜的にざっと考えてみると、45万人ほど労働人口が減っていることになります。
平成26年分に相当する21歳と59歳で考えると、差は約37万人。
相当多い数ですね。
当然ながら、新卒社員は給与が安く、高年層は逆に高いですから、平均賃金にも相当な下押し圧力が出ているはずです。
ちなみに、60歳より上の世代は団塊の世代で、63歳より上の世代は200万人を超えています。
61歳以上での定年制とする企業がある事や、定年後に嘱託やパート等になって65歳頃まで働く人が多いことを考えると、実際の労働市場からの退出は、もっと人口の多い世代と推測する事が可能です。
しかし、そういう実情は数字からは読み取れないので、ざっとした計算ですが、少なく見積もって80万人ほどが差し引きで労働人口から減った、という程度は言えるでしょうか。
このような構造的な年代の入れ替わりが発生している中で、119万人の雇用者増加、そして名目賃金を横ばいかプラス圏に持って行ってるのは、自分としては十分評価できると思うんですがね。
名目賃金と実質賃金の解説は、

http://ameblo.jp/akichi-3kan4on/entry-11838824622.html

のブログが解り易かったですね。
単純に言えば、デフレ期には名目賃金も実質賃金も減少するが名目賃金の減少の方が大きく、インフレへの転換期では、その差を是正する動きが起こり、企業は人を雇い易くなる、ということのようです。
そもそも、体験的に、アルバイト時給の上昇や求人の増加は、雇用の改善というのは誰でも解ります。
通常の不景気時の正規雇用者の減少というのは、基本的には人件費を抑制する為であり、アルバイト賃金の上昇という現象とは相容れず、失業率の上昇や有効求人倍率の低下という形でも連動します。
つまり、民主党の言う正規雇用者の減少というのは、不景気による人件費削減の現象ではなく、年代的な人口差による構造的な要因が大きいと思われ、批判する材料としては非常に弱いと言うことができるでしょうか。
 
しかし、何と言うか、GDP成長率も話題に出してますが、あのリーマンショックの減少とその反動分を考慮しないまま主張するし、民主党は数字を見ない人を騙そうとしているのか。
最大野党なんだから、もうちょっと何とかしてほしいですね。
民主党だけを批判するようで悪いですが、民主党のマニュフェストには耳障りの良い言葉が並ぶだけで、具体的な数字が少ない。
もちろん、理想を語ることは大事です。
目先の事ばかりを考えていたら、大筋を誤ることもあります。
しかし、現実的な手段を語らないのでは、その理想に意味があるとは思えません。
政治は、時には遠回りとも思えるような現実的な選択をしつつ理想を目指すものですから、その道程を示さない限りは意味が無い。
2009年のマニュフェストは、極端な話、「甘言を弄す」と言ってもいいぐらいの、財源の裏付けも何も無い主張でしたが、あの失敗から何も学んでいない。
とてももう一度政権を任せるという気になりません。
もちろん、道程を示していないというのは、共産党にも言えますがね。
あそこはあそこで、安定してはいるんですが(笑)
 

2014年12月3日水曜日

衆議院選挙公示

昨日、いよいよ衆議院議員選挙が公示されました。
ここまでの流れで唖然としていた部分も多いのですが、選挙は選挙ですな。
 
まず、国会の流れを追うと、安倍首相の10%への消費税増税延期がずっと囁かれている中で、三党合意の当事者である民主党は再増税推進の立場で、他の野党は再増税反対の方針でした。
ニュースソースを探しても、時期が古い為なのかなかなか見つかりませんでしたが、

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H37_U4A111C1EA2000/

には方針を転換とあり、民主党が再増税に賛成をしていた証となるでしょうか。
維新の党などは、

http://www.asahi.com/articles/ASG9V6JRGG9VUTFK01D.html

のように当初から再増税に反対の姿勢です。
また、上の日経の記事の数日前には、

http://www.dpj.or.jp/article/105396

という海江田党首の発言があり、
また、既に大元の記事は削除されているようでずが、10月25日には枝野幹事長が、

http://news.livedoor.com/article/detail/9397667/

という発言をしたと報じられています。
つまり、民主党はこの頃は解散容認方針だった事が分かりますね。
ところが、解散が現実味を帯びてくると、一番上の記事にあるように再増税延期容認に転換し、

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20141128/CK2014112802000172.html

のように解散の大義を問うているわけです。
おまけに、

http://www.dpj.or.jp/article/103674

このように不信任決議案を提出しているわけです。
この流れを見て、
何これ?
と言わずにはおれません。
内閣不信任決議案というのは非常に大事な議案で、憲法でも、可決されれば解散か総辞職しなければならないと定められているものです。
解散か総辞職の二択ですが、国会の過半数を押さえている与党であれば首の挿げ替えが可能で、どちらも選択できるのに対し、議会勢力が変わらなければ自党の主張を通せない野党にとっては、求めるものは事実上解散一択なのです。
つまり、通るか通らないかは別として、不信任決議案提出ということは、解散を望んだということになります。
解散が現実味を帯びるまでは解散容認再増税賛成で、解散前にコロっと再増税延期容認になり、更に解散を望む決議案を提出し、解散後は解散の大義を問う。
ポルナレフさんの、「な・・・ 何を言ってるのか(略)」というセリフじゃないですが、
何をやりたいのかさっぱりわからない・・・
安倍首相が解散を決意したのには、三党合意の当事者である民主党が延期を許さず、自民党内にも延期反対派が少なからずいる状況で、民意を突破口にしようという考えた部分はあったかと思われます。
もちろん、それ以外の戦略もあったろうとは推測できますが。
個人的には、民主党が端から延期賛成なら解散は無かったんじゃないかと思ってますね。
そんな民主党が解散の大義云々とは、ちょっと酷い。

更に、他の野党を見てみると、まず、みんなの党は壮絶な内訌の末に地方議員にも知らせず解党という体たらくで論外。
維新の党の江田さんは、

http://www.sankei.com/politics/news/141122/plt1411220039-n1.html

にあるように、投票日の夜から民主の一部と合流を話し合う考えを示しています。
でも、これって比例代表とか政党に投票する意味があるのか?って話で、有権者そっちのけに見えますよね。
また共同代表の橋下さんは橋下さんで、

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20141123000084

のように府知事と市長を退職して国政に出るか検討してましたが、こちらは不出馬となりました。
自分は兵庫県民なんで関係ないですが、国政の出汁にされた大阪府民、特に知事市長両方と関わりのある大阪市民はこれでいいんですかね?
橋下さんは色々な手を考えて来ますけど、都構想を掲げる割に実際の政治面ではあまり成果を挙げられていない状況でもあり、そろそろ支持も危うくなって来そうな気も・・・

いずれにしろ、芯のしっかりした野党がいないという状況です。
特に民主党。
最大野党のくせに、長期的な視野や行動が全く無い。
ん~頭が痛い。
 
まだまだ書きたい事はあるんですが、ちょっと長くなったので、また後日・・・