2013年9月29日日曜日

兵庫・ブロガー戦国トリップ 淡路冒険記!? その4

前回のあらすじ

台風一過の快晴になりつつあるとは言え、台風の影響は色濃く、私は倒木に敗れ去り、運転しながら酔うという失態を犯したのであった・・・


白巣城から引き返し、淡路島の島央部の道を南へと進むと、三原平野という所に出ます。
この三原平野というのは、古代から中世にかけては淡路島の中心で、国府が置かれていたほか、鎌倉時代から室町時代には守護所という守護大名の居館が置かれていました。
倒木に撥ね返された白巣城の次に向かうのは、この守護所です。
養宜館というのがその守護所で、淡路守護であった淡路細川氏の居城でした。
淡路細川氏というのは、管領を世襲して絶大な権力を誇った細川家の分家で、比較的早くに分かれた家です。
鎌倉時代の長沼氏の守護所ははっきりと確定していませんが、史料に細川氏が城に入ったという記述があることから、養宜館が鎌倉時代も守護所であったといわれています。
現在の状況はこんな感じ。



今でも土塁が東と北に残っており、居館らしさは健在。
もともと中世の居館というのは、館の四方に堀を掘り、出た土を掻き上げて土塁にする、というのが基本で、正方形や長方形が多く、非常にシンプルです。
これに出入口である虎口が進化して桝形や馬出というのが設置され、戦国時代の複雑な居館や平城へと変化していくわけですが、この養宜館はシンプルな時代に廃された為、そのような構造は持っていなかったようです。
北の土塁の外側には溝と土塁の間に水が溜まってましたが、昔の水堀の跡の証拠かな?
経験上、堀の跡ってのは親水性があって水が溜まり易いし。



養宜館の周りは田園地帯が続くばかりで何も無く、この何も無さが古城の趣を引き立てます。
そして、吹き返しの風が体を強めに撫でていくのですが、快晴の日差しがまだまだ強く、絶妙なバランスで気持ちよかった(^^)


養宜館の次は、道を西に辿って志知城に向かいます。
このお城に来るのは何年ぶりですかねぇ
そうこうしている内に志知に近付いてきたなと思ったら、大日川のところに志知城の案内板が。
こんなのは前に来たときは無かったはず。
少しずつではありますが、観光地として整備されている様子。
そして、その先には駐車場が完備されていた。
いや~前に来た時も車だったんで、止める場所を探してウロウロしたんですよ(^^;)
だから駐車場はかなりありがたい。

駐車場から、台風の影響で木材やらクッションやらが流れている大日川になんでクッションやねんとツッコミを入れつつ橋を渡り、川の土手から左斜め方向に進めばすぐに志知城です。



淡路には大きな城は洲本城ぐらいしかなく、お城にあまり詳しくない人でもお城とちゃんと分かるのは、志知城ぐらいじゃないですかね。
なぜなら、水堀がちゃんとした形で残っている城だから!
水堀があると俄然お城っぽくなりますな(^^)
ただ、城の内部に関しては肝心の本丸が藪ってます。
でも木や竹が切られて大分マシになった。
前に来た時は、本丸へ入るのが絶対不可能というぐらいの深い藪だった(^^;)
何もしなくてもお城っぽい雰囲気があるので、史跡公園として整備すれば、結構良い空間になる気がするんですがねぇ
ちょっともったいない。


志知城の次は、そのまま海まで西進して叶堂城です。
関東の古河城なんかが有名ですが、川沿いの城というのは、河川改修の犠牲になりやすい。
この叶堂城もそれら犠牲になった城のひとつで、遺構は消滅してますが、城址碑はあります。



また、城跡に建っていた感應寺という寺が改修時に東へ300m移転していますが、この寺の土台に野面積の石垣があります。
穴太衆による復元の碑が近くにあるので、寺の移転時に石垣も移転、復元されたようです。
叶堂城の規模からすると、300m東へ行くと城外で、城外にこんな城中が見渡せる高台があったと考えるのは不自然ですしね。
でも、十分に往時の雰囲気が漂ってます。
石垣というのは、時代を経るにつれて野面積から打ち込みハギ、切り込みハギへと進化し、見た目が綺麗になって行きます。
同じ淡路では、切り込みハギの城は江戸時代の洲本城(山麓の城)しかありません。
感應寺の土台を左、5年ほど前に撮った洲本城の参考写真を右にして並べてみました。



写真じゃ違いが分かりにくいですが、やはり野面積とは趣が違いますな。
野面積は武骨さがあって良い。切り込みハギはちょっとのっぺりした感がある。
洗練された美しさがあるのは切り込みハギですけど、野面積は野趣があって、城の軍事拠点という役割が強く出てる気がします。
対して切り込みハギは、行政拠点という感じですな。
また、切り込みハギは見た目は綺麗ですが、水捌けなんかは野面積のほうが優れいるらしいです。
石垣を見ながら、したり顔で写真を撮る・・・
一般人からすると、もはや変人の域(笑)
でも撮らずにはおられない!


帰りは淡路サンセットラインを通って岩屋城と松帆の郷へ。



サンセットラインで撮ったんですが、ちょっと夕日には早かったですな。
本当なら、バイクの影と夕日という構図で撮りたかったのに、台風め!
代役がオッサンですが、勘弁してつかぁさい・・・

この道は海岸線ですが、コーナーは少なく淡々と走れる道です。
所々小さな休憩ゾーンがあり、夕日が楽しめます。
一度、夕日が沈むまで見てた事もあったな~
その頃はまだフェリー時代で、帰りにめちゃめちゃ船待ちをした記憶があります。
懐かしい・・・


淡路サンセットラインの終点は国道28号線ですが、この境目のところの岩屋港の近くに絵島という島があり、その向かい側に岩屋城という城があります。
岩屋城と呼ばれる城は2つあり、こちらは丘陵の名を取って絵島ヶ丘城や三対山城とも呼ばれます。
お城の周囲はこんな感じで、漁師町の家々が並ぶ路地。



人ひとり通るのがちょうど良いぐらいの道幅で、かなり風情があります。
こういう散策もなかなか楽しい(^^)
結局、お城に入れそうな道は無かったんですがね。
そうやってブラブラ路地を歩いていると、後ろからバイクが・・・
路地の幅は1mあるか無いか程度。
シャシャっと教習所のクランク状態の道を通って家に帰って行かはりました。
いや~、そういう環境になれば順応するもんですな。
リッターオーバーのバイクなのに軽やかやった。


淡路の最終目的地は松帆の郷。
ちなみに、ここはもうひとつの岩屋城。
俎板(マナイタ)山や松尾山と呼ばれる山にあったので、俎板山城や松尾城という呼び名もあります。
しかし、大正時代からの砂利採取で遺構は綺麗さっぱり無くなってしまいました。
そして、その採取場跡地に建てられたのがこの松帆の郷。
美湯とビューが掛かってるように、ここはもう眺めが特急品です。
携帯カメラなんでそんなに綺麗ではないですけど、こんな感じです。
夕景と、



夜景。



露天風呂はもう最高!
3時間ぐらいぼ~っとできる自信があります(笑)
脱衣所でやたら黒い人が多いなと思ったら、サーファーの一団が入ってたらしい。
淡路に来たら入って帰るのもよく解りますわ。
景色としてはほんま最高です(^^)


旅行記を書くつもりが、何故か冒険記になった今回の旅ですが、最後ぐらいはなんとか旅行記になったかな?
しかし、今回は本当に・・・
 台風か
    ああ台風か
         台風め!
ですな!
いやはや、自然には勝てないというのを痛感した旅でした(^^;)


参考:
養宜館
志知城
叶堂城
淡路サンセットライン
絵島ヶ丘岩屋城
俎板山岩屋城
岩屋松帆温泉
明石海峡大橋

上記地図付きはこちら

2013年9月25日水曜日

兵庫・ブロガー戦国トリップ 淡路冒険記!? その3

前回のあらすじ

台風に翻弄された私は、その動揺からかブログに載せる料理の写真を撮る前に食してしまうという失態を犯し、失意のまま枕を濡らしつつ眠りに就いたのであった・・・


翌16日(月)の敬老の日。
台風も無事に過ぎ去り、今日は次第に天候が回復してくるとのこと。
ようやくちゃんと城めぐりができますかね

とりあえず、東浦花の湯の外観をパチリ



昨日は雨風で外に出ることすら叶わなかった・・・
少し濁りのあるお湯で、浴感も良かったです(^^)


まず目指すのは喫茶店のモーニング。
昔、泊りがけの仕事で淡路に来たことがあって、その時に食べたモーニングが忘れられません。
パンとコーヒーとサラダ。
メニューはごく普通のモーニング。
でも値段が尋常じゃなかった。
250円!!
えっ?にひゃくごじゅうえん?
思わず聞き返しましたわ(笑)
まだデフレの波が日本を覆う98年の消費税増税の少し前。
淡路って物価安いな!と思ったあの頃。
国道28号線沿いと、ランドマークになる観音様の近くだったという朧気な記憶しかない。
その頃にもうすでに結構年配のご夫婦がやっておられたので、もう廃業しはったんかなぁ
少し走ってみたけど、見つけられませんでした。
というわけで件の観音様の下の喫茶店でモーニングを頂きました



この観音様も色々と曰く付きで、地域の方に迷惑となっている様子。
写真でも十重の塔の屋根が一部飛んでる・・・
天気が良い日には須磨近辺や飛行機からも見えるほどの巨大さで、個人的には淡路のランドマークなんですが、うまく解決の話がまとまることを祈ります。
喫茶店のモーニングは、値段は普通だったけど、ベーコンエッグのソースがテリヤキ風味で美味しかった(^^)
うむ。
良い日になりそうだ。


次に向かったのが、たこせんべいの里。



ここはお土産リクエストにも上がるほどで、結構な人気スポットです。
内部はこんな感じで、各せんべいが試食でき、無料のコーヒーやお茶もあって、買ったその場で食べることができます。



この日は稼動してませんでしたが、平日には工場が稼動する様子も見学できます。



割と開店すぐの時間だったんですが、もうお客さんがたくさん来てました。
買い物に勤しむおばちゃんやお母さんと、コーヒーエリアでぐったりしてるおっちゃんや子供の世話をするお父さん。
ありがちなショッピングの光景がここでも展開されてる(笑)
ここでの戦利品は盛り合わせのこれ。



個別の品ではガーリックマヨネーズとたまねぎせんべい、梅小花がかなり自分好みで美味しかったっす(^^)


次に向かうのは伊弉諾(イザナギ)神宮。



伊弉諾神宮に祀られている伊弉諾尊は、解り易く言えばギリシャ神話でのゼウスで、創造神です。
神を創り、国土を創った伊弉諾尊は、やがてこの淡路の多賀の地に幽宮(カクリノミヤ)を構えて隠退したと古事記や日本書紀に書かれています。
そして、その子、天照大御神が皇室の祖神ということで、天皇家に繋がるわけですな。
伊弉諾神宮は、その幽宮の跡地とされる神陵の上に本殿が建てられています。
古事記や日本書紀といった記紀の記述通りなら2600年以上前、考古学上の史実年代でも1700年は下らないといったところでしょうか。
いや~悠久の時間の流れですな。
天皇家所縁の神宮だけにバーンと菊の紋が目立っとります。

次は、伊弉諾神宮の祭主家の田村氏が本拠地とした郡家城へ。
中世の頃、神社というものは神領という領地を持っておりまして、土地から上がる収入というのがありました。
また、祭祀を行うにも人数が要るわけで、その人数を養うのも神領からの上がりで賄うわけです。
神社によっては、中央権力と繋がりを持つ場合もあり、貴族から土地の寄進を受けたりしました。
その頃の宗教は神仏習合で、神道と仏教が合体してました。
これは実に日本的な融合の考え方です。
今も日本は、外国からの文物を受容してそれまで在ったものと組み合わせ、日本的に変換してしまうクセがありますが、神仏習合もそのような形のひとつだったかと思われます。
まぁ俗に言う魔改造のハシリですかね(笑)
真っ先に出てくるのは、カレー、ラーメン、肉じゃが・・・って食い物ばっかりかい!
仏教の教義自体も、浄土宗や浄土真宗が出る頃には日本独自規格となって魔改造されてしまってますな・・・

神仏習合では、神社には神宮寺というお寺が建立され、神社に祀られた神様には本地仏という仏が設定されていました。
そして今考えると奇妙な、神主ではなく僧侶が神社の祭祀を行い、毎日神様にお経を読み聞かせる、ということが行われていました。
有名な神仏習合の例は春日大社と興福寺ですね。
貴族の中の貴族、藤原氏の氏神が春日大社で、その神宮寺が興福寺です。
この興福寺には僧兵がいたように、全国各地の有名寺社にも僧兵がいました。
つまり武力です。
土地の上がりで武力を養う。
これはもう武家そのものですな。
こうして戦国時代には、全国にそのような神職上がりの武家がありました。
信濃の諏訪氏、九州の宗像氏や阿蘇氏がそうで、この郡家城の主であった田村氏も、伊弉諾神宮の祭主から地域領主に転じた武家です。
もちろん諏訪氏などに比べると、規模は小さいものでしたが。

田村氏の事跡を簡単に追うと、戦国時代の最初期に本格的に武家化し、淡路を統治した細川氏や三好氏に従っていたようです。
そんな田村氏も時流に流され、三好氏の衰退と共に織田信長の圧迫を受け、武田征伐の参陣を断ったことから当主の経春が天正9年(1581)に切腹に追い込まれています。
そして、その子村春と康広も、羽柴秀吉の淡路侵攻に敗れ、滅んだとされています。

郡家城の前説が長くなりましたが、郡家城の実物はこんな感じです。



川の合流地点にある丘。
川の流れがそのまま堀として使える、典型的な築城適地ですね。
しかし、城へと入る道が藪化してて散策できませんでした。
山に向かって右手の川沿いから入る道があるのですが、どうも丘の頂上への道が見当たらない。
明らかに人工的な地形改変が見られるのですが、城があった当時のものか、後の開墾によるものかは判断できませんでした。
もう1本、写真には写ってないですが、左手前の小屋の向こう側の麓部分に小さい橋があり、そこから入れそうだったんですが、そのすぐ前の民家が空き家になっているようで、橋に繋がるあぜ道さえ人の手が入っておらず、草が繁茂してどうしようもない。
突っ込めば何とかなりそうではあったんですが、台風の後で草の下がどれだけぬかるんでるか分からず、藪漕ぎする装備も持ってないので、登城は断念しました・・・


郡家城をあとにして、次は白巣城へと向かいます。
空はもう雲が吹き戻しの風で流れ去って、台風一過の快晴になってきてました。
が、しかし、ここでまさかの再冒険を強いられるとは・・・

白巣城へは、五色町鮎原という集落にある神陽台という住宅団地の南東から山へと入る道が出ています。
住宅団地を抜けた先にはもう城の案内表示が。
助かりますな~
昔は城の近くまで辿り着いても、城へと向かう山道が分からず、1時間ぐらいウロウロした挙句に断念なんてことも多々ありましたが、最近の戦国ブーム、お城ブームで案内表示の類が充実してきてるのは非常にありがたいです。
遠くまで来たのなら、それはもう尚更に。

指示通り山へと入っていくと、鳥獣除けのこんな柵がありました。



これはかなり本格的山城の予感。
しかし、この山道が昨日の台風の影響でエラいことになっている!
あちこちに折れた枝は落ちてるわ、20cmぐらいの落石も転がってるわ、水が流れた跡が砂溜まりになってるわ・・・もう大変ですわ。
その都度、車を降りて枝を谷に投げ捨て、石を道の脇に転がし、亀の子にならないか砂溜まりの深さを確かめ・・・って各駅停車かい!!
車なのに異様に行軍速度が遅いんですわ。
が、この頃はまだ楽観してました。
嵐の後の山道ではよくあること。
苔と濡れ落ち葉が敷き詰められた、転倒の罠だらけの道をバイクで行ったことを思えば、なんてことは無い。
酷道たる国道、険道たる県道をツーリングで走破してきた経験もあるし。
そう思っていました・・・
人間は、悲しいかな過去の体験をよりどころにするものなのです。
そうこうしてるうちに次第に視界が明るくなり、いよいよ山道も終わりかと思われたその時!



・・・。
・・・・・・・。
ぅええええええええェェェェェェ~~~~!!!
もう説明など、要りませんな・・・
心が折れちゃったよ・・・

大変だったのはこの後。
当然こんな山道でUターンなぞできるわけもなく、Uターンができる場所まで数100mも山道をバックする羽目に・・・
「酔える・・・酔えるよ、ララァ」
と、どこぞのニュータイプが言ったか言わずか知りませんが、左右のサイドミラーを頻繁に切り替えながら見つつ山道を数100mバックすると、運転しながらでも酔えるという新事実が発見されました。
ここに謹んで皆様へご注意とご報告を申し上げます。


つづく


参考:
東浦温泉
伊弉諾神宮
郡家城
白巣城

上記地図付きはこちら

2013年9月23日月曜日

兵庫・ブロガー戦国トリップ 淡路冒険記!? その2

前回のあらすじ

台風に翻弄されつつも、うずの丘大鳴門橋記念館を出て東へと向かうのであった。
しかし、ついに台風の影響が出始めるのであった・・・


というわけで、駐車場待ちの車列を横目に大鳴門橋記念館を出て向かう先は、淡路南端の道、県道76号線です。
この道、雰囲気が実にいいんですよ。
山の緑が迫る海岸に青い空、そして南を向けば青い海に水平線。
いや~、果て感があってとても良い景色なんです。
晴れてればな!!

ちょっと愚痴を言いたくなる気持ちを抑えて運転してると、床下から突然
ゴォォォォォー
という聞いたことも無い音が!
運転しながらも、思わず眠りにつく直前の体のようにビクっとしてしまいました。
冠水してたんですな。
見た目はちょっとした大きな水たまりのように見えてたんですが、怖いもんです。
ちょっと嫌な汗が出ました。
ニュースで、冠水して立ち往生してる車を見て、なんであんなとこに突っ込むねん!と笑ってたんですが、知らない道というのは地形を把握してないだけに恐ろしい。
反省反省。
台風の中、冠水で立ち往生なんてことになったら、各地で色々人手が足りないのに大迷惑ですわ。


この南端の道の前後は山道になってるんですが、そこからの県道76号線の眺めはこんな感じです。



写真を拡大すると・・・
海鳥さんも台風で雨風強くて大変ですなぁ



ん?
海鳥・・・じゃない。
・・・?
うわ!ボードに乗っとる!!

そう、ボードに乗ってるんですわ!海鳥、じゃなく人間が!
サーファーという人種は凄いですな。
こんな日でも波があれば嬉々として海に向かう。
その根性には脱帽しますわ・・・

嫌な汗を何度かかきつつ、山道を越え、ようやく島の南端の道へ。
相変わらずセピアなのかモノトーンなのか分からないカラー画像ですが、こんな感じの道が続きます。



これじゃイメージが掴めないので、前回同様3分間クッキングよろしく、実際の完成品がこちら↓となりますぅ~

ん?
出ない?
あらら・・・
変な兄ちゃんがテトラポットでご飯食べてる20年近く前の写真ならあったんですけどね~
見てる方の色彩変換能力で鬱陶しい空と海を青色にしてくれることを祈りますか(汗)

この道の良いところは、車がほとんど通らないこと。
波の音がずっと聞こえて静かなもんです。
今は堤防のコンクリ壁が無い所でもガードレールが全区間についてますが、最初に来た時はガードレールが無い区間が結構長かった。
ハンドル操作を間違えると、何の抵抗も無く海へ落ちることが出来る。
それは堤防なりガードレールなりが必ずある本土側の海しか知らない自分には衝撃でしたね(笑)
行政も手が届いていない果て感と波の音だけの静けさ。
頭を空っぽにしたい人には凄くお薦め場所です。

でも今日は沼島すら見えず、こんな感じ・・・



波が襲い掛からんとしている!
当然防波堤なんか一部が飛び越えて来るわけですよ。
モロにかぶれば押し出されて溝に脱輪、なんてシャレになりません。
波のタイミングと越波してくる場所を見計らって進んでいきます。
なんじゃこれ?
スーパーマリオのプクプクが飛んでくる橋の面かい!
(元祖スーパーマリオをやった世代しか解らない・・・)

そんなこんなで海沿いを抜けると、こんな看板の場所に出ます。



関西では言わずと知れた元祖パラダイス!
実はここのロッジに泊まったことがあります。
ロッジ?コテージ?名称は忘れましたけど、プレハブみたいなところでしたね~
あの時も台風が来て、翌日には車がピッカピカ(笑)
淡路に来ると台風に付きまとわれるのか・・・


本日のメインディッシュは由良城・・・のはずだったけど、この雨風じゃ船も出てないやろなぁ(泣)
そう思って由良まで来て見ると、案の定、渡船場はこんな感じで無人です。



実は由良城を目指すのは2度目で、リベンジなんですが、完全なるリベンジ失敗ですな。
1度目は泣きながら生石公園から海を眺めて帰ったんですが、まさか2度目も失敗するとは・・・

由良城というは新旧の2つあって、新しい方の由良城は江戸時代に成ヶ島に築かれたんですが、この成ヶ島という島は、こんな感じで淡路島から運河のような海を挟んで100mほど向こうなんです。



こんなにすぐ行ける身近な無人島はそうはないっすよ~
潮干狩りも出来るし、無人島から眺める水平線なんて想像すると、ロケーションは抜群!
もっとメジャーになっていいと思うんですが、知る人ぞ知る的な感じに留まってますねぇ
もったいない!


由良に来た頃にはもう雨風が強くなってて、外で傘を差しててもスボンの裾がびしょ濡れになってしまう状態だったんで、この日の散策を諦めて宿に向かいました。
宿は東浦サンパークという所で、グラウンドや体育館がすぐ横にあり、合宿なんかには最適な所でしたね。
ここに隣接しているスーパー銭湯型の温泉が、東浦花の湯です。
その名の通り、露天風呂の前には段々畑状の花壇があって、花が植えられています。
気に入ったのは、2階の休憩ゾーン。
めっちゃ広い座敷があります。
そして、広いテラスと泉州まで望める眺望・・・
晴れてればな!!
当日はこんな感じで、外に出ることすらできませんでした(泣)



実に惜しい!
今頃の夜ならさぞ気持ちの良い夜風が味わえるのに・・・


この日は素泊まりだったんで、夜は東浦のゑびす亭という所でご飯を食べました。
店内には生簀があって、新鮮な魚介が味わえる店ですな。
というわけで、鱧さんコンニチワ!



さて、飯と行きますか!
まずは生シラス入り海鮮丼。



ん?
なんか食われとる・・・
そうなんですよ、ご飯が来たら撮ってから食べるという習慣の無い自分は、空腹に任せて海鮮丼が来たら食べてしまいましたわ(笑)
実物はもっとドンブリの量があるのであしからず・・・

たこガーリック焼は食べる前にちゃんと撮ったぜぇ~



と、ドヤ顔したのも束の間、



上のように貝柱バター焼では再び失態を犯す・・・
だから食うなっちゅうねん!!
半分食っとるやないかい(笑)


まぁそんなこんで、台風に翻弄されつつ1日目が終了。
果たして、明日は城めぐりができるのか?
不安を抱えつつ、眠りに就くのであった。


つづく


参考:
由良城
東浦温泉

上記地図付きはこちら

2013年9月19日木曜日

兵庫・ブロガー戦国トリップ 淡路冒険記!? その1



この大募集に、まさかまさかの当選を果たして以降、プランやら予約やらでバタバタでしたな。
こんなペーペーブロガーを旅に招待して下さる兵庫県、そして兵庫・ブロガー100人トリップを企画・運営してくださる皆様、感謝の気持ちを込めて、謹んでここにお詫び申し上げます。

ん?
お詫び?
はっ!つい本音が・・・

いや~申し訳ないっすわ~
台風直撃っていう自分の不運っぷりが申し訳ないっす!

というわけで、台風直撃の9月15~16日に淡路へ行ってまいりました。
優雅に各城をまわりつつ、ご当地のおいしい物を頂くというイメージ図は完全に頭の中にできあがっていたわけですが、そんなものは台風の風と共に吹っ飛びました。
台風発生以来、東へ寄れ~東へ寄れ~と呪詛を掛けてきたわけですが、根っからの善人である私が慣れない呪詛なんぞした日にゃ、台風も喜んで関東直撃コースから東海直撃の西寄りにコースを変えるわけです。
一応、実績から言えば、プチ晴れ男と言えるぐらいには天候に恵まれるはずなんですがね・・・

まぁ来る物は仕方がありません。
来る者拒まず!いや拒みたい!しかし拒めない!そして諦めた!

こんなぺーぺーブロガーが採用されたのは、バイク旅という他の人には無い変化球が求められたんだと思うんですが、淡路島は当然ながら海で囲まれた島。南北の橋が強風で二輪通行止めなんてなったらバイクは島に缶詰です。
泣く泣くいつも跨っている愛機を家に置き、車で淡路に向かいました。


こちらは淡路ハイウェイオアシスからの明石海峡大橋の写真。雲行きがなんとも禍々しい・・・


 
まだ雨はパラパラですが、これから訪れる災難を予測しているかのようです。
名物の観覧車もどこか物憂げですな~



物憂げってお前、何者やねん(笑)
曇天は人を詩人にさせるのか?
何よりカラー画像なのに色の無さにびっくりです(^^;)

そんな中、バイクの一団を発見。本気キャンプセット搭載!



今晩は荒れるから気をつけるんやで~
ナンバーを見れば、足立や練馬!
遠い所から連休を利用して来たんですなぁ
同じバイク乗りとして心の底から応援しますわ!
バイクで雨や風ってツラいよね・・・(泣)


淡路ハイウェイオアシスを出発すると本格的に雨が・・・
いよいよ嵐本番が近付いてきている様子。
この悪天候の中、最初に向かうのは、うずの丘大鳴門橋記念館。
ここは何度も来てるんですが、中に入ってびっくり!
以前に来た時とえらく様子が変わってます。
以前は広いエントランスにうずしお科学館と人形浄瑠璃館があったんですが、エントランスは味市場という特産品売場となっていて、人も多い。
前は観光客の姿もまばらで、ある意味のんびりした空間だったんですが、この変わり様は凄い。
施設のリビルトに成功したというわけですな。
各お土産には試食がほとんどあり(ドレッシングまでも!)、味を確かめて買うことができます。
何より家族連れに不思議体験ミュージアムというのが凄く受けている様子。

そして・・・ふと手を見ると、何故か手の中にミュージアムの無料入場券が!
これは、この企画とは別のじゃんけん大会で6連勝してベスト4になった時の賞品!
言わば256分の4という証。ブロガー募集に当選してから淡路へ行けという流れが確実にあるのです。
台風さえ来なければ!!(泣)

涙を拭きつつミュージアムの中へ入ってみると、大人も子供も大はしゃぎ(笑)
特に大きく見えたり小さく見えたりする小さな家と、寝っころがると斜めに寝てるように感じる家は、大掛かりで面白かった(^^)
普段の生活では経験できない、大人にも貴重な体験ですな。

この記念館で、雨が小止みになった隙を突いて大鳴門橋を撮った写真がこれ。



な、何も見えんわ!!
ということで、3分間クッキングよろしく、実際の完成品がこちら↓となりますぅ~



これは9年前の2004年に同じ場所から撮影した大鳴門橋の写真。
時期も同じ9月。
早朝だったので霞んでますが、このイメージを持って来たのに・・・
恐るべし自然の脅威!
そして俺の悪運!!

ちなみに、大鳴門橋記念館で得た戦利品はこちら。



ふし麺というのは、そうめんなんかを干すときに竿に掛けられた部分で、商品になる時に切り落とされるところです。
味噌汁にそうめんやきしめんを入れる場合もあると思いますが、代わりにふし麺を入れると、麺というよりは具という感じになって、ちょっと違う感覚で味わえます(^^)
右の小エビの干し物って意外と売ってないんですよねぇ
色んな料理にちょろっと入れると味が結構変わるので、隠し味として、いや隠されてないけど、お薦めです(^^)


次回からいよいよ冒険記本番です。
いや、冒険しに来たわけではないんだが・・・


つづく


参考:
明石海峡大橋
大鳴門橋記念館

上記地図付きはこちら

2013年9月12日木曜日

消費税8%なのか

本日の新聞記事に、首相が来年4月からの消費税増税の意向を固めたとありました。

確かに四半期ごとのGDPは確定値で上方修正が相次いでいるし、設備投資もプラスに転じた。
新聞各紙は、読売を除いて増税の環境が整ってきたと報じています。

しかし、しかし。

14ヶ月連続で基本給は低下し続け、季節的な上下がある生鮮品や世界市況に左右されるエネルギーを除いたコアコアCPIもデフレ脱却していない。
冷静に見て、まだデフレなのです。

不況などでのデフレ圧力がある中での緊縮増税政策が、どのような結果をもたらすのか。
イギリス、イタリア、スペイン。欧州危機の不況下で増税をした国がどうなったか。
もれなく不況の深化とそれに伴う税収の減少を招き、景気対策に追われています。

本質を見失うな、と言いたいですね。

財源が無いから、お金が無いから増税するわけです。
増税した上で経済対策の為に借金を増やす、科目別の税収が増えても全体の歳入はトントンかそれより低くなる、それでは本末転倒もいいところ。
もちろん、緩和処置は必要ですが、何だか無駄な労力を使ってドツボに嵌っていくような気がします。

とりあえずデフレを脱却すれば、インフレで実質的な経済活動は同じでも税収は上がる。
1%のインフレになれば、同じ数を売っても売り上げは1%勝手に上がる。
必然的に利益とそれに掛かる税金も1%上がる。
自動車税などの固定額で取っている税金以外、比率で取っている税金は増えます。

これは所謂インフレ税ってやつの一種ですが、とりあえずこの辺りからしましょうよ。
同じ税収アップでも、消費マインドに対する衝撃は天と地ほどの差がありますからね。
景気は気と言いますが、ネガティブになりやすい日本人の気を上向かせるのは難しい。
それがようやく上向いてきたのに、ここで水をぶっかけたら、また上向きにさせるのに相当なコストが掛かりますよ。

2013年9月5日木曜日

Bluetoothイヤホン

今日、高速道路の割引制度が来年度から順次縮小されるという報道がありましたが、ライダーにとって高速道路は退屈なもんなのです。
まして前車はエンジン音を楽しむということもできたのですが、今のバイクはそりゃまぁ静かなこと。
風切り音ばかりの世界です。

そこで。
音楽を再生してみようかと思う所存であります。

青歯で検索するとトップに出てくるWikipediaの能力に驚きつつ、いろいろスマホと接続できるBluetoothのハンズフリー機器を探してみると、基本的にトランシーバーインカムが多い。
トランシーバーは要らないんだよな~
なんせひとり旅が基本なんで。
しかし、電話の応答はしたいのだ。
単にイヤホン付きマイクとなると、これまた極端にチープなヤツがたくさん出てくる。
耳に差し込むのはメットの圧迫があるだけに痛くなりそうで嫌なんだ。
ごめんな、注文が多くて

そうこうしてる内に、見付けました。
インカム風なハンズフリーイヤホンマイク。
ネットで購入、即日発送、便利な時代になりました。

箱はこんな感じ。



本体はこんな感じ。
これに充電器がセットになっている。



これをメット内に装着。
スピーカーも小さくて緩衝材の窪みにうまく入り、メットを被っても以前と変わらない感触。
ケーブルもうまく取り回せた。
収まりがよろしいね。

装着後の写真がこちら。
コントラストが甘くて見難いけど、中にBluetoothの字が見えるぜ!



これで快適高速走行だ!