2026年7月20日月曜日

全東信 その2

全東信について。
前にも書いたように、これまで全東信という存在を知らなかったんですが、調べると、色々と戦略があって面白いですね。
端末のロール紙を無償で供給したり、入金のタイミングを短くすることで資金繰りにメリットを出したりと、選んでもらうための戦略が面白い。
決済代行の料率については、通常のカード決済より高いという報道と安いという報道があり、どちらが正しいのかよく分かりませんが、恐らくは信用スコアが高くない店だと、通常では高い料率になるところが、全東信なら低くて済むというところではないでしょうか。
それだけ危ない店を相手にしているということではあるんですがね。
ただ、提供していた端末が各種ペイ払いなどの電子決済に対応していなかったことや、スクエアなどのように即時入金のサービスも出てきていることから、その辺りの競争力が失われてしまい、さらに他人名義で加盟店契約を行ったという2年前の不祥事で、大手の融資先が資金を引き上げ、資金繰りに窮したという状況のようです。
債権者の一覧を見ると、ものの見事にメガバンクの姿は無いですからね。
額は大きくないですが、地銀や信金、信組あたりが逃げ遅れています。
 
この全東信の戦略で挙げられている入金の早さについてですが、ある意味では手形ですよね。
クレジットカードの会社と直接取引すれば、入金はかなり遅いタイミングになり、その売上げと入金のタイムラグの分だけ、回転資金が必要になるわけですが、手元資金が潤沢ではない店では、手数料を多く乗せてでも早く回収できた方がメリットになる。
期日前に手形を銀行で割り引いてもらうのと同じですね。
似たような手段として、最近、請求書と引き換えに入金するベイトナーのCMをよく見かけますが、これも入金サイトを早める手段で、ファクタリングという決済です。
手形よりも新しい決済手段で、海外では産業革命の頃に大きく普及したようですが、日本では昭和の後半頃に入ってきたようで、比較的新しい決済手段と言えますね。
手形決済は廃止が決まっており、代替手段として電子記録債権というものを普及させようとしていますが、今の普及速度を見ると、ファクタリングのほうが多く使われて行くような気がします。
請求書も電子化が進んでいる上、振込もPCで電子処理するだけですから、通常は銀行振込で決済は行っていますし、わざわざ手形を振り出すのも手間。
その流れのまま請求書で現金化できるなら、それが手っ取り早いですからね。
それにしても今回は、決済やそれに付随するサービスにも色々な戦略があることを知って、勉強になりました。
 

2026年7月14日火曜日

19回目の本能寺の変

「豊臣兄弟!」で、本能寺の変が放送されました。
大河ドラマで通算19回目とのこと。
名場面中の名場面ですね。
今回は、タイトルにもあるように、兄弟がテーマとしてあるらしく、信長の同母弟信勝の子信澄が光秀をそそのかして本能寺の変を起こさせるという筋書きでした。
今作の信長は、叛乱を起こした自らの弟との関係と比べ、豊臣兄弟をどこか羨ましく思っていたのかもしれません。
本能寺の変直前の、信長と光秀の緊迫したやり取りも見応えがありました。
 
ただ、史実に照らしてみると、色々と無理筋であるのは拭えませんね。
信澄については、叛乱を起こした弟の息子という、かなり微妙な身分ながら、本能寺の変の1年2ヶ月前の馬揃えでは、信長の嫡子信忠80騎、次男信雄30騎、同じく弟の信包10騎、三男信孝10騎に続く一門衆序列5位で、信包や信孝と同格の10騎を率いています。
この序列5位というのは、信長の弟で有楽斎で知られる長益やその下の長利、信照などより上位なので、かなりの厚遇と言えるでしょう。
また、琵琶湖沿岸に大溝城を持ち、同じく湖岸の安土城、坂本城、長浜城の3城と水運で結ばれたカルテットを形成していたのは有名な話ですから、かなりの要地を任された武将でした。
宣教師の評価では、残虐という指摘もありますが、信長と同様に果断な性格であったとみられ、この厚遇は、自身に性格が似ていたからなのかもしれません。
このように、不遇を理由とするには弱すぎ、しかも、変の直後に何の動きも無いまま、光秀の婿ということで大坂城にてサクッと討たれていますから、信澄の動きに光秀との関わりが無さすぎるんですよね。
確かに光秀と共謀したという噂は市中にあったようですが、果断の武将としても対応が後手過ぎますし、変とは無関係だったんでしょう。
また、信長と信勝の兄弟関係がクローズアップされてますけど、1度叛いた後は長島で討死するまで忠実に働いた庶兄信広や、信澄と変わらない序列の信包、長島一向一揆の攻略中に討死して信長が一向宗に激怒したと伝わる信興、しれっと戦国を生き抜いた長益など、信勝だけじゃなく他の兄弟と信長の関係はどうやったんや?的なツッコミを入れたくなるんですが、それは歴史好きの悪い癖ですね笑
 
さて、ほぼ1年の半分で大きな山場を越えた「豊臣兄弟!」。
信玄が窒息死したり、義昭や元親が忙しいのに遠国に現れたりと、ツッコミ所は多いですが、それはそれとして、どう展開していくのか楽しみです。
 

2026年7月8日水曜日

全東信

7/6に全東信というカード決済代行の会社が、自己破産を申請しました。
この会社のことは知らなかったんですが、夜の街御用達のカード決済代行会社だったようですね。
飲み会なんかに行くと、カードを切っても店の名前で出てこない場合があります。
そういう場合は、決済代行の会社を間に挟んでいる場合が多いようですね。
しかし、負債総額が凄い。
ニュースによれば、1154億円超とのこと。
しかも、下のニュースによると、少なくとも20年前から架空預金を計上するなどして粉飾決算が行われていたようで、さらに217億円もの未払立替精算金が未計上。
ガバナンスも何もあったもんじゃない状態のようです。
 
 
決済代行なんて、薄利でしょうけど、そこまで大きな固定費が掛かるような商売じゃないような気もしますが、色々と手を拡げていたんでしょうか。
また、立替金の行方がどうなるか気になりますね。
飲食店は、もう飲食やサービスを提供していますから、これが払われないとなると、かなりの損失が出そうです。
ニュースによれば、少なくとも605億円の実質債務超過ということですから、回収はかなり難しい。
影響範囲が大きくなりそうですね。
続報が出るのかは分かりませんが、気になるところです。
しかし、お金が動くところには、色んな商売があるといのを改めて実感しますね。
 

2026年7月2日木曜日

四国3県ツーリング その1

なんだかんだと忙しい年で、秋のツーリングは、いつも10月出発にしてるんですが、ずれにずれて11月の出発となりました。
ただ、出発前日に首を痛めるハプニングが!
首がめっちゃ痛いし、なんか流れが悪いな~と思いながら、ダメなら途中で帰ってくるとして取り敢えず行くだけ行ってみるかと、ゆったりめのスケジュールにして出発しました。
秋は、日没時間の関係で西に向かうと決めているんですが、しばらく四国には行ってないなと、四国へ。
四国は何度も行っているんですが、意外と行き残しも多いんですよね。
今回は、それら行き残しを拾っていこうかと。
 
まずは、いつものように明石海峡大橋から淡路島を縦断して鳴門大橋を渡り、徳島県へと入ります。
そして、徳島市内で地図を調達。
本屋が減っているので、地図の現地調達も難しくなってきましたね。
まずは、行き残し第1弾の牛岐城へ。
2008年に来た時は、雨が降り始めていた上、公園化の工事中で近寄れませんでした。
そのリベンジになります。
牛岐城は、吉野川流域の阿波中心部に対し、南の那賀川流域の平野部を押さえる城で、守護の細川氏や守護代の三好氏の支配した時代には、有力家臣の新開氏が一帯を支配していました。
戦国時代後期には、四国統一を目指して海岸沿いを攻め上ってくる長宗我部勢に対して、新開氏は三好配下として防戦に努めましたが、やがて降伏し、阿波統一後は長宗我部元親の弟香宗我部親泰が入り、阿波経営の拠点となります。
長宗我部氏が秀吉の軍勢に敗退し、土佐一国に退いた後は、阿波一国を与えられた蜂須賀家政は、阿波九城と呼ばれる支城網を整備しますが、牛岐城も富岡城と名を変えながらそのひとつとして存続しました。
このように、各時代を通じて重要拠点だったわけですね。
ただ、現在の牛岐城は、あまり遺構が残っていません。
主郭部の小山と石垣の一部が目立つのみで、ふたコブ状だった細長い丘陵の鞍部は削られて平地になってしまっています。
とは言え、公園化されて一部でも残っているのは、江戸時代初期に廃城になった城としては、幸運な部類ですね。
というわけで、まずは公園へ。
 
 
前回は工事中でしたが、綺麗な公園になっていました。
階段を上ると、城址碑があります。
 
 
そして石垣が保存展示されている産業展示館。
 
 
ここは、通常は施錠されているので、公園の管理事務所に言って鍵を開けてもらう必要があります。
そして、館内に展示されている石垣。
 
 
明確な遺構を見学できて、満足感でいっぱいです。
ただ、館内に土が剥き出しになっているせいか、湿気が凄かったですね。
展示館を出てすぐ近くには、展望台が用意されていました。
ここからは、阿南市街が一望できます。
ひときわ大きな阿南市役所が目立ちますね。
そして、往時は丘陵として続いていた二ノ丸跡の小山も確認できます。
 
 
首の調子はイマイチやけど、天気もいいし、なかなか良い出だしですね。
 
つづく
 
参考:
 

2026年6月26日金曜日

屏風絵

先日、下のニュースをネットで見かけました。
 
 
各地で色々な展示がありますが、合戦屏風絵というのは珍しいですね。
国吉城と言えば、守護大名であった若狭武田氏の家臣粟屋氏の居城で、朝倉氏との間で何度か攻防戦が行われた城です。
信長が浅井長政の寝返りによって挟撃されかけた、いわゆる金ヶ崎の退き口の戦いでも、秀吉の撤退戦は国吉城までの撤退のことという説もあるほどの要衝。
ただ、歴史上に登場するお城なんですが、行ったことが無いんですよね。
1度行きたいと思いつつ、まだ達成できていません。
このニュースを知った時、お城に登って企画展を見学して帰るって日帰りでちょうどええやん!と思ったんですが、企画展が7/12までとのこと。
行ける日が無い・・・
できれば、バイクで行きやすい、かつ登城してもあまり汗だくにならない季節だと尚良かったんですが、ちょこちょこ企画展をやっているということですので、時々チェックしたいですね。
 

2026年6月18日木曜日

米イラン覚書署名

合意見込みと撤回を何回繰り返すねん!というくらい、紆余曲折がありましたが、ようやくアメリカとイランが戦闘終結に向けた覚書に署名をしました。
取りあえず60日という期限は付いていますが、ホルムズ海峡の航行の解放へ前進ですね。
一刻も早く、石油や石油製品の輸出入の正常化に繋がって欲しいものです。
 
しかし、戦闘が続いている間、野党が高市首相に対して、外交努力を!なんて声を上げていましたが、個人的には、打つ手なんてあるか?という思いで冷ややかに見ていました。
日本は、イランと長い間、友好関係を築いていますが、こと中東情勢に関しては、ただの買い手であって、軍事力を展開できる法体系でもない国ですし、仲裁できるバックグラウンドもありません。
なんたかんだ、世界の国々の間では、経済力と軍事力がものを言います。
日本は、経済力がありますが、軍事力については、あくまで専守防衛の戦力であって、遠国に対する影響力なんて無いに等しい。
これから先の未来は、兵器の輸出が次第に実現しだしていることもあり、そういう意味での影響力は出てくるのかも知れませんが。
そんな状態で、ホルムズ海峡という大動脈が止まった中、政府はよく対策したんじゃないでしょうか。
今の内閣が頑張った、というよりは、オイルショック以来構築してきた、非常事態に対する様々な駆動装置のようなものが起動したイメージです。
各国の資源権益の上流に食い込んでいる資源開発企業が日本へ石油を仕向けたり、当面の策として備蓄を放出したり、中東各国や民間企業と協力して新たな通商体制を構築したり。
アメリカからの石油やLNGの輸入急拡大に関しては、高市さんの影響も強いのかもしれませんが、概ね、準備していた仕組みの話が多かったように思います。
 
さて、次は戦後世界の話ですな。
覚書では、48兆円規模の枠組みを作ってイラン国内に投資するという項目が挙げられました。
これは、日本からアメリカへの80兆円投資の枠組みに似ていて、全体の枠組みをアメリカが保証し、民間企業が出資するというものです。
つまり、民間企業がイランに進出し、その投資は当然ドルで行われるということになります。
イランには、外貨を獲得する有力な物資として、当たり前ですが石油というものがあり、これもアメリカが正規市場で売るのを認めていますから、わざわざ闇市場で元建てで安く売らなくても、正規市場で高い市場価格で売り、市場からドルを調達するのが最も手っ取り早い。
イスラム金融は利子が禁止されていますから、西側の企業は、実態のある投資をドルで行い、配当としてドルを受け取る、という形になります。
ここから見えるのは、西側の企業がイラン国内の市場にアクセスすることと、ドル決済漬けですね。
イランの庶民には雇用が発生し、アメリカを始めとした西側の企業が儲かり、ドルの決裁圏も維持される。
イラン国内の経済に楔があれば、今後、イランも大人しくせざるを得ないということになります。
当然、革命防衛隊系の企業や地域は除外されるでしょうから、イラン国内の二重権力体制も是正に向かうことが期待できる。
さすが戦後処理に慣れた国。
うまいこと考えたもんだ。
 

2026年6月11日木曜日

ぶらり小野

梅雨の中休みとは思えない爽やかさに誘われて、ぶらりとしてきました。
第1目標は、昨年末に走り納めで行く予定だった東播磨南北道の延伸部。
すでに開通していた八幡三木I.C.から国道175号線の小野ランプまでの区間で、昨年の11月30日に開通しました。
年末に走り納めで走る予定でしたが、肉離れ発症により断念したルートなので、リベンジですね。
この延伸区間を走ってみると、防音壁が比較的少ない区間で、道路上から割と周辺の景色を見ることができます。
加古川と美嚢川の合流点や、美嚢川流域の田園地帯が一望できて、なかなか良かった。
実益としては、この両川の合流部の道が非常に混むので、それをスルーできるのがかなり有益ですね。
その東播磨南北道を通り切り、そのまま国道175号線を北へ向かいます。
次に目指すのは、第2目標のイオン小野店の跡地。
閉まるや閉まらないやの話題がありましたが、今は閉店して工事中のはずです。
今の状況はどうなっているのか、勝手に進捗管理しましょう。
しかし、イオン小野店という巨大なランドマークが無くなってしまうと、国道175号線からどの辺りで曲がっていたか、なんとなく朧気になってしまい、改めてイオンの存在感を感じますね。
小野市街に入ると、ルートインのホテルも目に入ってきます。
こんな所にルートインなんてあったっけ?
建物を見ると、決して新しくはないので、イオンばかり見ていたんでしょう。
今さらながら、色々と新しい発見があります。
イオンの跡地に行ってみると、まだ工事中の鉄板に囲まれて、建物は見えませんでした。
基礎工事の段階かな?
何でも、そよら2027年の秋に小野というモール型ショッピングセンターとして開業するとのこと。
ランドマークとしても復活しそうです。
最後に、小野と言えばコレ。
 
 
そろばん!