2026年9月28日月曜日

政界ひとりぼっち

鳴り物入り(?)で設立された中道改革連合ですが、今やひとりぼっちになっています。
旧公明議員が公明党に出戻り、旧立憲の議員の大半は、新たに設立された民主改革の会へ参加する模様。
そして、中道には1人だけが残り、残務整理するとのことですが、その仕事の大きなもののひとつが、借金返済のようです。
なんだかねぇ
ふと思い浮かんだ言葉があります。
「計画倒産」
融資を受けて倒産させるような悪質なタイプではないですが、倒産前に計画的に資産の整理を行って債務返済を免れるタイプに近いように感じますね。
計画倒産と違うのは、税金からの政党助成金で借金を返すところ。
国にケツ持ちしてもらうわけですね。
借金というのも、結成時期を考えると、基本的には選挙費用がほとんどのはず。
選挙費用と政治活動は似て非なるものですからね。
政治活動のための政党助成金で返済というのは、凄くモヤっとします。
また、あれだけ声高に政治資金パーティーや政治と金の問題を批判していたのに、お金が無いとなると、プライドも何もあったものではないな、と。
野党がよく批判していた、裏金と呼ばれる不記載の問題ですが、あれは政治資金パーティーの売上(?)の分配でルール違反があったということなんですよね。
つまり、売上(?)を作ったのは営業努力です。
ところが、中道の場合は、税金が源資なんですよね。
自分で商売している身からすると、もちろんルール違反はダメ!絶対!ですが、国にケツ持ちさせるよりは営業努力している分だけマシに感じますね。
 

2026年9月22日火曜日

サイトのリニューアル 鹿児島の全スポット終了

サイトのリニューアルですが、鹿児島県で訪問した全スポットの作成が完了しました。
 
 
鹿子島県では、お城が24城、温泉が2ヶ所、観光地が1ヶ所、寺社が1社、史跡が1ヶ所、自然が4ヶ所、資料館が2館、道路が1本で、合計36スポットです。
関西から見ると鹿児島県は遠い場所ですが、何と言っても関西は九州行きのフェリーが充実しているんですよね。
これが有り難い。
鹿児島へは志布志行きがありますので、比較的行きやすい県なんですね。
志布志から東回りで行くも良し、西回りで行くも良し。
そのお陰で、訪問が充実した県となっています。
鹿児島県中央部の霧島付近には行ったことが無いので、次に行くときは中央から北上するのもいいですね。
さぁ、九州最南端の県が終わりました。
並行している北海道がなかなか終わりませんが、西回りで島津氏ゆかりの宮崎へと進んで行きましょうか。
 

2026年9月18日金曜日

中村ゆり

中村ゆりさんが逝去されました。
まさかそんな大病をされているとは知りませんでしたね。
訃報には驚くことも多いですが、少し前にドラマで見たという感覚だっただけに、今回は声が出てしまうほど驚きました。
享年44。
あまりにも早すぎますね・・・
透明感のある女優さんで、その透明感が年々増して行くような、そんな独特な雰囲気がありました。
多くの人がそうであったようですが、やはり特に印象に残っているのが、日本生命のCM。
仕事を頑張りながら子育てをする母親役で、再検査のお知らせが届くのですが、子供に心配を掛けまいと笑顔を見せるというCMでした。
中村ゆりさんは、2013年にもがんを患っていて、その時は寛解したそうなんですが、時系列的に見ると、CMが2019年ということなので、リアルに近い役柄だったということになります。
その背景を知ると、あの前を向く笑顔が、より思い出されますね。
そういえば、何年か前に何気なくWikipediaで検索した際に、90年代末に活動していたYURIMARIのYURIということを知りました。
この時も声が出るほど驚きましたね。
YURIMARIのYURIかい!と。
凄くファンだったわけではありませんでしたが、その名前はよく覚えていました。
実は古くから知っていたんですよね。
今の透明感抜群の姿と、当時のギャルっぽい姿のギャップの大きさに驚き、それ以来、密かに応援する女優さんになりました。
それだけに、とても悲しいですね・・・
 

2026年9月11日金曜日

多田神社

ちょっとびっくりするニュースを見ました。
 
 
摂津の多田と言えば、多田(源)満仲が入部して開墾し、武士団を形成した地。
その武士団が、以後隆盛する清和源氏の母体となったため、清和源氏勃興の地として歴史好きには知られています。
家系を辿ると、満仲の長子が大江山の酒呑童子退治で知られる頼光で、藤原道長と結びつき、その武官的な立ち位置で出世しました。
同じく三男の頼信も道長の側近として活躍し、河内に根拠地を築いたため、頼信の家系は河内源氏と呼ばれます。
この頼信の嫡男が、八幡太郎として知られる義家で、父子は前九年の役、後三年の役を経て源氏の棟梁としての地位を確立して行くわけですね。
義家以降は義忠、為義、義朝、頼朝と続きます。
その清和源氏の祖廟とも言える多田神社が、民事再生とは。
ニュースによると、前宮司が神社の不動産や宝物を担保に融資を受け、個人的に流用していた模様。
この辺りの詳しい情報は、これから出て来るのか不明ですが、由緒ある神社でも、経営者たる宮司次第では、こんな状況になってしまうんですね。
宝刀鬼切丸を始め、それなりに観光資源も持っていたはずで、経営的には他の無名の神社よりかなり恵まれていたと思うんですが。
神社も寺院も、経営が難しい時代にはなっているんですが、頑張って立て直して欲しいですね。
 

2026年9月6日日曜日

淀古城

淀城というお城があります。
江戸時代には淀藩という藩があり、城下には京と大坂を結ぶ京街道が通され、西国方向から京を守る役割持っていました。
ただ、この城は江戸時代初期に築かれたもので、秀吉の室となった茶々の居城である淀城とは位置が違います。
茶々の通称である淀殿は、この城の名から採られたものなんですが、その位置は、江戸時代の淀城から北に500mほどの場所にあったといわれ、今より北東で合流していた桂川と宇治川の合流点付近にありました。
ちなみに、江戸時代の淀城は、木津川を加えたほぼ三川が合流する付近にありましたので、同じ名前かつ京の入口を防衛するという同じ機能を持つお城ですが、治水に関しての影響はかなり違うんですよね。
それはさておき、その旧淀城とも淀古城とも中世淀城とも呼ばれるこのお城は、場所が未確定でした。
それが今回、発見されたとのこと。
 
 
発見されたのは桂川西岸で、約100mの区画とそれに付随する堀とのこと。
その堀が薬研堀という底がV字型の防御に優れた堀であることから、中世の淀城と判断したようです。
淀付近の三川の流路が、江戸時代にも付け替えられていますし、明治から昭和に掛けても、巨椋池の干拓を含めて大規模に変えられている場所ですから、今の地図から当時の城の立地というのを想像するのは難しいですが、これまで推定地に過ぎなかった城地がある程度確定したというのは、嬉しいですね。
年老いて遠出ができなくなった時のためにまだ訪問してませんが、旧城が改めて整備されるなら、日帰りでぷらっと訪れてみたいですね。
 

2026年8月31日月曜日

賤ヶ岳の合戦と北ノ庄城落城

「豊臣兄弟!」で、秀吉と秀長の兄弟にとって非常に大きな転換点となる、賤ヶ岳の合戦と北ノ庄城落城が終わりました。
個人的に、清須会議が近年の説を踏まえていい感じだったので、反動でかなりツッコミを入れたくなりましたね。
まず秀吉が、加賀の前田利家の城に顔を出した上、ついでに上杉氏にも背後で牽制するよう根回ししていたという描写。
「豊臣兄弟!」では、簡単に武将が遠隔地に登場するんですが、それがまた発動しました。
情勢が緊迫する中、関所での改めも厳しくなっているはずで、しかも同じ織田家の同僚だったということは、柴田家中でも秀吉の面が割れている。
そんな中、勝家の与党の領内を縦断かつ往復とは、ちょっとリアリティが無さ過ぎです。
さらに、賤ヶ岳の合戦の肝は、美濃大返しと呼ばれる秀吉の急行軍なんですが、それもさらっと終わりましたね。
ま、そこはどの作品でも描かれることが少ない部分ですが。
それよりも大きいのは、中川清秀が柴田方へ寝返りしたということ。
中川清秀と言えば、秀吉と義兄弟の約束をしていたというほどの武将で、柴田側の猛将佐久間盛政の猛攻を何時間も耐えたと伝わっているわけですが、そんな武将が前振りもなく突然裏切者として描かれたのは、かなり違和感がありましたね。
しかも、それがストーリーに大きく影響したかと言えば、大して意味がなかった。
利家自身が、秀吉の新しい世を見てみたいと思って秀吉に味方したわけですから、清秀が秀吉を裏切った上で利家に討たれようが討たれまいが、関係ないんですよね。
しかも、賤ヶ岳の合戦では、前田軍が参戦せずに最初に引いたことが柴田軍敗退のトリガーになったと言われていますから、大勢が決した後に秀吉のもとに首を持って現れるのも合戦の流れからしておかしい。
そして、この時系列だと、先に撤退した利家が越前府中で勝家を迎え、勝家が利家の撤退を責めずに謝すという情緒的な場面も無くなってしまうわけです。
大勢が決するまで利家が戦場にいて、勝家の方が先に撤退しているわけですから。
せっかくの名場面なのに。
猛将の勝家がハマリ役だっただけに、その場面は見たかったですね。
そして、北ノ庄城落城の最後。
勝家と市が手を取って高欄から飛び降りました。
これは、凄く現代的発想ですよね。
現代的な描写がダメというわけではないですが、天守は、各層のひさしがある上に下層に行けば行くほど床面積が大きい。
つまり、飛び降りても下層の屋根にバウンドして、下手すりゃ生き残ってしまうわけです。
思わず、プロジェクトAのジャッキーチェンが時計塔からバウンドしながら落下するのを思い出しました。
地面まで直で行けるビルやないんやから・・・
そして、当時の価値観と相容れないのが、飛び降りたら遺体や首が残ってしまう事。
信長が遺体を判らなくするために本能寺を徹底的に燃やさせたように、晒し首にならないようにするという価値観が武士なら備わっていたわけです。
飛び降りだと、確実に首が敵方に確保されてしまいますからね。
豊臣兄弟にとって、勝家との戦いは、非常に大きなターニングポイントだったはずですが、楽しみにしていただけに、先週と今週の2回はかなり消化不良でした・・・
 
参考:
 

2026年8月29日土曜日

SHEIN

自分はSHEINで購入したことは無いですが、SHEINについて面白いニュースを見つけました。
 
 
確定の話ではないですが、仮条件の上限で17億7000万ドルの調達を目指すIPOを行うとのこと。
ただし、ただし。
過去の調達での価額を下回ると、過去の調達での引き受け先である株主に対する保護条項が発動され、最大35億ドル相当を現金や株で補填することになるようです。
つまり、17億7000万ドルの調達を目指したのに、反対に35億ドルを払う可能性があるということ。
まるで伸るか反るかのギャンブルですな笑
SHEINも直近の成長率は急減速で、一時の勢いは無いですからね。
今回の調達も、過去の調達規模に比べるとかなり少ない規模。
各国の万国郵便条約を利用した少量輸出の手法も、中国が発展途上国の枠組みから外されたりで、各国で制限されるようになっています。
また、パリの老舗百貨店BHVマレに出店した実店舗も提携終了と、逆風続き。
外から見ている分には面白いですが、SHEINの中の人にとっては、かなり切実な話ですね。
SHEINの香港でのIPOは、31日の月曜に価格が決まり、翌9月1日に実施され、上場します。
すぐ先の話ですので、しっかりと観察したいですね。