2026年10月10日土曜日

情報漏洩

情報漏洩の話題が多いですね。
9月末にタイムズカーでの漏洩が明らかになったのを皮切りに、色々な企業の漏洩が出てきていますね。
並べてみると、
東京メトロ、京王プラザホテル、イープラス、らしんばん、ベネフィットワン、アバハウス、焼き肉きんぐ、大起水産、ミスターマックス、ローソン、第一興商、アクティブ、損保ジャパン、JR東日本、スカイチケットなどなど。
多すぎて追い切れません。
特に、タイムズカーでの免許画像の漏洩や、IDCフロンティアのIDCFクラウドの不正アクセスによる停止、それに伴う日水物流での入出荷不能なんていう衝撃的なニュースもありました。
特にしっかりとお金も手間も掛けてあるはずの、クラウドサービスの停止は、かなり驚きましたね。
急に増えたイメージがあるのは、ちょうど9月末から10月に掛けての半期決算に絡んでの発表という向きもありますが、実際の発生時期にバラつきがあるとしても、急増の要因は生成AIでしょう。
特に、PCでも動く中国産の安価なローカルLLMと呼ばれるAIが、どうも使われているようです。
性能の先頭を走るアンソロピックのMythosは、その能力の高さ故に提供される企業は限られていますが、そこまで行かなくとも、ローカルLLMでセキュリティホールを探す用途には十分な効果を挙げられるということなんでしょう。
となれば、しばらく情報漏洩事件が続くんでしょうね。
この流れは日本だけではなく、他国でも発生しています。
特に、世界最高級のお金と手間を掛けているはずのアメリカペンタゴンでも、不正アクセスによる情報漏洩が発生しました。
軍事機密ではなく、DMDCと呼ばれる国防データセンターでの職員情報なので、ハードルは少し低いのかもしれませんが、職員情報というのは、人的接触というアナログな手法での二次的な機密漏洩に繋がりますから、非常に重要な情報には違いありません。
なんか、無力感が漂いますね。
その内、反対にAIを使って防御する手法も開発されるんでしょうが。
庶民のレベルでは、しばらくは遠い目で状況を眺めるしかありませんね。
 

2026年10月4日日曜日

ぷらら

先日、長年親しんできたプロバイダを解約しました。
知る人ぞ知る「ぷらら」です。
ぷららは、元々はNTTが他の数社と共同出資で設立した通信プロバイダでした。
利用を開始した当時は、まだ「ピーヒャラヒャラヒャラー」の電話線モデム時代で、そのモデムすら標準装備されておらず、外付けのものを買ってきたのを思い出しますね。
「ニーパッパ」と呼ばれていた、28,800bpsという速度でした。
また、300MBのハードディスクを数万円で買っていた時代でもあります。
懐かしい!
今から振り返ると、速度や容量がバグるほどの小ささですが、当時は黎明期でもあり、尖ったコンテンツが多くて色々と面白かったですね。
その後、ぷららはNTTコミュニケーションが親会社となり、さらにNTTドコモに親会社が変わりました。
そして、NTT内部での企業再編により、NTTドコモがNTTコミュニケーションを吸収した結果、プロバイダ事業も1本化されることとなったんですね。
こうして、ぷららは消滅することとが決まり、2028年にはぷららのメールアドレスも使えなくなることになりました。
ぷららで持っていたアドレスは、「~@plala.or.jp」です。
しかも@より前は、たったの3文字。
3文字で取れるアドレスなんて、もうどのプロバイダでも無いでしょうし、or.jpも化石で、その利便性と化石感が良かったんですが、しがらみの根源であったメールアドレスの変更が不可避という事で、もうぷららに拘る必要も無くなったため、プロバイダを変更することにしました。
思えば、30年に渡って使用し続けていたアドレスですから、なんたかんだ愛着があったんですけど、時代の流れには逆らえず、しょうがないですね・・・
ずいぶんと長い間、お世話になりました。
 

2026年9月28日月曜日

政界ひとりぼっち

鳴り物入り(?)で設立された中道改革連合ですが、今やひとりぼっちになっています。
旧公明議員が公明党に出戻り、旧立憲の議員の大半は、新たに設立された民主改革の会へ参加する模様。
そして、中道には1人だけが残り、残務整理するとのことですが、その仕事の大きなもののひとつが、借金返済のようです。
なんだかねぇ
ふと思い浮かんだ言葉があります。
「計画倒産」
融資を受けて倒産させるような悪質なタイプではないですが、倒産前に計画的に資産の整理を行って債務返済を免れるタイプに近いように感じますね。
計画倒産と違うのは、税金からの政党助成金で借金を返すところ。
国にケツ持ちしてもらうわけですね。
借金というのも、結成時期を考えると、基本的には選挙費用がほとんどのはず。
選挙費用と政治活動は似て非なるものですからね。
政治活動のための政党助成金で返済というのは、凄くモヤっとします。
また、あれだけ声高に政治資金パーティーや政治と金の問題を批判していたのに、お金が無いとなると、プライドも何もあったものではないな、と。
野党がよく批判していた、裏金と呼ばれる不記載の問題ですが、あれは政治資金パーティーの売上(?)の分配でルール違反があったということなんですよね。
つまり、売上(?)を作ったのは営業努力です。
ところが、中道の場合は、税金が源資なんですよね。
自分で商売している身からすると、もちろんルール違反はダメ!絶対!ですが、国にケツ持ちさせるよりは営業努力している分だけマシに感じますね。
 

2026年9月22日火曜日

サイトのリニューアル 鹿児島の全スポット終了

サイトのリニューアルですが、鹿児島県で訪問した全スポットの作成が完了しました。
 
 
鹿子島県では、お城が24城、温泉が2ヶ所、観光地が1ヶ所、寺社が1社、史跡が1ヶ所、自然が4ヶ所、資料館が2館、道路が1本で、合計36スポットです。
関西から見ると鹿児島県は遠い場所ですが、何と言っても関西は九州行きのフェリーが充実しているんですよね。
これが有り難い。
鹿児島へは志布志行きがありますので、比較的行きやすい県なんですね。
志布志から東回りで行くも良し、西回りで行くも良し。
そのお陰で、訪問が充実した県となっています。
鹿児島県中央部の霧島付近には行ったことが無いので、次に行くときは中央から北上するのもいいですね。
さぁ、九州最南端の県が終わりました。
並行している北海道がなかなか終わりませんが、西回りで島津氏ゆかりの宮崎へと進んで行きましょうか。
 

2026年9月18日金曜日

中村ゆり

中村ゆりさんが逝去されました。
まさかそんな大病をされているとは知りませんでしたね。
訃報には驚くことも多いですが、少し前にドラマで見たという感覚だっただけに、今回は声が出てしまうほど驚きました。
享年44。
あまりにも早すぎますね・・・
透明感のある女優さんで、その透明感が年々増して行くような、そんな独特な雰囲気がありました。
多くの人がそうであったようですが、やはり特に印象に残っているのが、日本生命のCM。
仕事を頑張りながら子育てをする母親役で、再検査のお知らせが届くのですが、子供に心配を掛けまいと笑顔を見せるというCMでした。
中村ゆりさんは、2013年にもがんを患っていて、その時は寛解したそうなんですが、時系列的に見ると、CMが2019年ということなので、リアルに近い役柄だったということになります。
その背景を知ると、あの前を向く笑顔が、より思い出されますね。
そういえば、何年か前に何気なくWikipediaで検索した際に、90年代末に活動していたYURIMARIのYURIということを知りました。
この時も声が出るほど驚きましたね。
YURIMARIのYURIかい!と。
凄くファンだったわけではありませんでしたが、その名前はよく覚えていました。
実は古くから知っていたんですよね。
今の透明感抜群の姿と、当時のギャルっぽい姿のギャップの大きさに驚き、それ以来、密かに応援する女優さんになりました。
それだけに、とても悲しいですね・・・
 

2026年9月11日金曜日

多田神社

ちょっとびっくりするニュースを見ました。
 
 
摂津の多田と言えば、多田(源)満仲が入部して開墾し、武士団を形成した地。
その武士団が、以後隆盛する清和源氏の母体となったため、清和源氏勃興の地として歴史好きには知られています。
家系を辿ると、満仲の長子が大江山の酒呑童子退治で知られる頼光で、藤原道長と結びつき、その武官的な立ち位置で出世しました。
同じく三男の頼信も道長の側近として活躍し、河内に根拠地を築いたため、頼信の家系は河内源氏と呼ばれます。
この頼信の嫡男が、八幡太郎として知られる義家で、父子は前九年の役、後三年の役を経て源氏の棟梁としての地位を確立して行くわけですね。
義家以降は義忠、為義、義朝、頼朝と続きます。
その清和源氏の祖廟とも言える多田神社が、民事再生とは。
ニュースによると、前宮司が神社の不動産や宝物を担保に融資を受け、個人的に流用していた模様。
この辺りの詳しい情報は、これから出て来るのか不明ですが、由緒ある神社でも、経営者たる宮司次第では、こんな状況になってしまうんですね。
宝刀鬼切丸を始め、それなりに観光資源も持っていたはずで、経営的には他の無名の神社よりかなり恵まれていたと思うんですが。
神社も寺院も、経営が難しい時代にはなっているんですが、頑張って立て直して欲しいですね。
 

2026年9月6日日曜日

淀古城

淀城というお城があります。
江戸時代には淀藩という藩があり、城下には京と大坂を結ぶ京街道が通され、西国方向から京を守る役割持っていました。
ただ、この城は江戸時代初期に築かれたもので、秀吉の室となった茶々の居城である淀城とは位置が違います。
茶々の通称である淀殿は、この城の名から採られたものなんですが、その位置は、江戸時代の淀城から北に500mほどの場所にあったといわれ、今より北東で合流していた桂川と宇治川の合流点付近にありました。
ちなみに、江戸時代の淀城は、木津川を加えたほぼ三川が合流する付近にありましたので、同じ名前かつ京の入口を防衛するという同じ機能を持つお城ですが、治水に関しての影響はかなり違うんですよね。
それはさておき、その旧淀城とも淀古城とも中世淀城とも呼ばれるこのお城は、場所が未確定でした。
それが今回、発見されたとのこと。
 
 
発見されたのは桂川西岸で、約100mの区画とそれに付随する堀とのこと。
その堀が薬研堀という底がV字型の防御に優れた堀であることから、中世の淀城と判断したようです。
淀付近の三川の流路が、江戸時代にも付け替えられていますし、明治から昭和に掛けても、巨椋池の干拓を含めて大規模に変えられている場所ですから、今の地図から当時の城の立地というのを想像するのは難しいですが、これまで推定地に過ぎなかった城地がある程度確定したというのは、嬉しいですね。
年老いて遠出ができなくなった時のためにまだ訪問してませんが、旧城が改めて整備されるなら、日帰りでぷらっと訪れてみたいですね。