2026年3月27日金曜日

ラムネモンキー

今期に放送されたドラマの中で、ラムネモンキーというドラマがありました。
微妙な年齢を迎えている大人たちが、1988年という中学生時代を辿って行くようなドラマでしたね。
マドンナ的顧問の臨時講師の愛称がマチルダであったり、紫のダブルのスーツにセカンドバックというファッションが出てきたり、タケちゃんマンが出てきたり、とても懐かしかったです。
ストーリー的にも、最後の最後で伏線を回収してハッピーエンドとなり、さり気なくマチルダの声をしていた戸田恵子が出ていたりと、色々と楽しいドラマでした。
その中で、とても印象的だったのが、主題歌。
Bialystocksの「Everyday」という曲ですが、当時の時代をノスタルジックにイメージして作曲されたと思うんですよね。
だからなのか、非常にQueen味を感じました。
ピアノとボーカルだけの出だし、そして中盤の盛り上がり方。
曲は全然似ていないんですが、ボヘミアンラプソディ的な空気を感じました。
自分がQueenを聴くようになった時には、もうフレディマーキュリーはこの世にいなかったんですが、HIVのカクテル療法が当時にあったのなら、今でも曲を創ってたんやろなあなんて感傷に浸りながら、エンディングを聴いていましたね。
おっさんにとっては、ほんわかする良いドラマでした。
 

2026年3月20日金曜日

若き日の誓い

前回は、蜂須賀正勝の家臣、というより客将格の武将として、稲田植元という武将がいたという話でしたね。
植元は、秀吉からの大名取り立ての誘いを固辞し、若年の川並衆の頃から共に活動してきた正勝と活動共にしました。
戦国時代を見ると、正勝と植元のような同格の主従というのが結構います。
細川藤孝と松井康之も、そうでしょう。
共に足利義昭を担ぎ上げた幕臣出身であり、義昭没落後は、康之は藤孝の客分だったといわれています。
後に秀吉に大名として一本釣りの誘いがあったと伝わっていますが、それを断っているのも植元と同じですね。
江戸時代になると、改易になった加藤家に代わって細川家は肥後に大封を得ますが、松井家は一国一城の例外として八代城主となり、徳川家直参の身分も持っていたといわれます。
徳川幕府公認というわけですね。
名人久太郎と呼ばれた堀秀政と、堀(奥田)直政の関係も同じでしょうか。
こちらは朋輩ではなく従兄弟ですが。
先に手柄を立てた方に協力するという約束を、幼い頃にしていたといわれています。
そして、共に信長の小姓となり、先に秀政が出世したため、直政がその補佐に回りました。
ただ、蜂須賀家や細川家と違い、堀家の場合は、秀政の孫忠俊と直政の長男直清、同じく次男直寄が対立してしまい、堀氏の嫡流は没落し、直寄の家系が大名として残っています。
この、先に出世した者を支えるという話は、加藤清正と飯田覚兵衛、森本儀太夫の間にも逸話として伝わっていますね。
戦国時代は個人の時代ですが、槍1本では精々千石取りぐらいまで。
もっと高禄の武家を立てるというのは、個人ではなく組織での仕事と言えます。
現代で言えば、芸能人や個人競技のプロ選手に近いでしょうか。
看板としては個人名が出てきますが、優秀なスタッフがいないと成り立たないわけです。
そこには、豊臣兄弟とは形が違いますが、看板となる主君と優秀なNo.2という関係が見えますね。
 

2026年3月15日日曜日

稲田植元役

「豊臣兄弟」を見ていて気が付いたんですが、川並衆として稲田植元役の配役があったのは初めてじゃないでしょうか。
ちょっと感動しました。
蜂須賀正勝は、秀吉が出てくるドラマには大抵登場しますが、その朋輩と言うべき稲田植元が出てきた記憶は無いんですよね。
同じような立場の前野長康は、武功夜話という文献の絡みもあって、それなりに主人公になっている本があったりするんですが。
この稲田植元、というか稲田家が地元兵庫県の淡路島にゆかりがあるんですよね。
なので親近感があります。
後に阿波一国を得た蜂須賀家の家老格となり、江戸時代に蜂須賀家が淡路一国を加増された際には、筆頭家老だった稲田家に預けました。
植元に伝わる話として、秀吉が植元を大名として遇しようとした際、正勝とは義兄弟の契りを結んで共に働くと約束したからと、固辞した話が伝わっています。
このような経緯で正勝の家臣的立場にはなっていますが、なんせ朋輩かつ義兄弟の間柄だったことから、客分的な扱いだったようですね。
そんな経緯があるのに、淡路島がなぜ徳島県ではなく兵庫県に編入されたかと言うと、ちょっと血生臭い事件があったから。
ここでも客分という曖昧な身分の影響が出てしまうんですよね・・・
あと、個人的には、植元について1つだけ。
割と長い間、稙元って思ってました・・・
だって諱で植って見たこと無いやもん!
 

2026年3月8日日曜日

資金調達

大量の落選者を出し、政党交付金が大幅に下がった中道改革連合では、落選者支援の金策に四苦八苦していますね。
それに関するニュースが出ています。
 
 
あれだけ裏金裏金と騒ぎ、政治資金パーティーが諸悪の根源であるかのように言っていたのは、何だったんでしょうか。
もちろん、大きな金額の処理や悪意のある会計処理をやっている議員もいて、それは裏金という扱いでもいいと思いますが、それらは起訴され、きっちりと司法で裁かれているわけです。
なのに、処理ミスかなというような額的に大したことないものや不起訴になったものであっても、与党であれば一律で裏金扱いだったんですよね。
自分達の場合は不記載扱いで、さらに今回は自分たちの政治資金パーティーもOKという。
そういうとこやぞ!
今回の衆議院議員選挙は、正にこういうダブルスタンダードが呆れられた一面も確実にあったと思います。
あと、少し気になるのは、クラウドファウンディングの方がより問題になりそうなところ。
政治資金規正法は、政治資金パーティーなどは視野に入っていてルールがきっちりとしていますが、クラウドファウンディングについては、ちょつと追い付いてないんですよね。
ネット上の処理で完結しますから、ちゃんと公表すべき個人名が追えるのか、また、企業や団体も容易に参加できるだけに、それらもきちんと追えるのか、なんて問題がありそうです。
また、各政党支部に支出するお金は、落選議員が行う支部長としての活動に対する報酬として払うことになると思うんですが、政治家活動かどうかは、実際のところ曖昧ですよね。
自民に対して舌鋒鋭く批判していた政党支部の活動内容ですが、自分達にもそれは言えるわけです。
落選議員がやるなら、尚更のこと。
結局、批判したいだけだったのかというのが、選挙後の発言から透けて見えるんですよね。
しばらくの間は、中道改革連合の支持層構築を含めた再建は、険しそうです。
 

2026年3月2日月曜日

イラン攻撃

週末に大きなニュースが出ましたね。
イスラエルとアメリカが共同して、イランに攻撃を仕掛けました。
イランとの交渉妥結の可能性が、まだギリギリ残っている段階だったので、かなりびっくりです。
何より凄いのがその成果。
会合の情報を得た上で爆撃したとされ、政権や革命防衛隊の高官クラスがまとめてやられています。
国のトップであるハメネイ師を始め、国防軍需相、司法機関トップ、革命防衛隊司令官、核プログラム担当顧問、国家安全保障会議員など、早々たるメンバーが命を落としました。
本当か嘘か分かりませんが、イランではイスラエルの情報機関であるモサドの対策部隊があったものの、その隊長がモサドの工作員だったほか、隊員の20名がモサドの工作員だったという話も出ています。
もし本当であれば、筒抜けどころの状態じゃなかったことになりますね。
ベネズエラの時も思いましたが、アメリカもイスラエルも、情報機関の能力は、他の国より頭1つも2つも抜けているようです。
恐ろしい。
 
それから、高官がまとめてやられて指揮系統や判断に混乱があるのか、イラクはヒステリックに他国へミサイルを撃ちました。
これは非常に悪手。
米軍基地がある国に撃っており、これが基地に着弾すればいいのですが、民間の施設が攻撃され、亡くなった方もいるようです。
中東とひと括りにされがちですが、中東ではシーア派とスンニ派の対立、アラブ人とペルシャ人の対立などが複雑に絡み合っていますから、このイランからのミサイル攻撃は、中東で擁護してくれる国を無くす効果が出てしまうでしょうね。
アメリカやイスラエルに、今のところは国際的に支持は無いのですが、イラクは報復で同じ土壌に立ってしまった。
ただ、政治的には悪手なんですが、軍事的には報復は士気を上げますから、どの層からその指示が出たのか、気になります。
トップ層だと、前回の反撃のように、相手国とギリギリ手打ちできるラインで報復攻撃するような判断をするように思うんですが、どうなんでしょうか。
いずれにせよ、ホルムズ海峡も危ういですし、しばらくは混乱が続きそうです。
 

2026年2月23日月曜日

東信群馬埼玉ツーリング その12

前回のあらすじ
 
念願の忍城を攻略したぞ!
埼玉の諸城を攻略して行くぜ!
 
2ヶ月以上、空いてしまいましたが、ツーリングの日記をば。
いよいよ最終回です。
菖蒲城の次に目指す場所は、岩槻城。
ここも武蔵の要衝で、太田氏が拠点としたことで有名ですね。
菖蒲城を出て、県道から圏央道の側道を通り、白岡菖蒲I.C.へ。
圏央道から東北道へと入り、一気に南下して行きます。
東北道はさすがの大動脈ですね。
道が広いし車も多い。
岩槻I.C.までは、すぐでした。
高速を降りると、トラックがバンバン通行する国道16号線に入って東へ。
少し走って元荒川の手前で北に入れば、岩槻城はすぐです。
城跡は、岩槻城址公園となっていました。
 
 
公園には大きな池と朱橋があり、広大な堀を持っていた岩槻城の趣があります。
ただし、これは後世の造成。
 
 
上の縄張図の広大な堀の右下に、新郭と鍛冶郭がありますが、城址公園はその2つの郭の跡地を中心として造られています。
本丸や二ノ丸といった中心部が市街地化してしまっているが、ちょっと残念ですね。
ただ、この城址公園にも、お城の痕跡は十分に残っています。
まずは城址碑。
 
 
この近くの新郭周辺部には、土塁と堀底道が明確に残っていました。
 
 
そのまま進んで行くと、鍛冶郭の縁部へと続いています。
 
 
さらに進んで行くと、鍛冶郭の虎口へ。
 
 
岩槻城の別名である白鶴城の碑もあります。
 
 
公園の端には、城門が残っていました。
ちみなに、どこの城門だったかは不明とのこと。
 
 
公園から西北方向へ少し歩くと、三ノ丸の東端辺りは空き地になっていました。
でも綺麗な更地で、痕跡は無くなっているんでしょうね。
 
 
この先には家々があり、少し歩いてみましたが、完全な住宅地になっていました。
三ノ丸から樹木屋敷、本丸、二ノ丸といった主郭部は、岩槻市街の中心部として市街地化されてしまっているようですね。
公園を後にし、最後に岩槻の中心部ほ通る県道2号線を走ってみると、道端に主郭部跡の碑がいくつかありました。
流れもあって、わざわざ降りて確認しませんでしたが、お城の痕跡が碑として僅かに残っているようです。
後で地図を見ると、岩槻本丸公民館なんてのもあるんですね。
また来る機会があれば、この辺りも散策したいところです。
 
岩槻を後にし、次に向かうのは川越。
小江戸とも称される城下町が有名ですが、河越城も関東戦国史においては、河越夜戦を筆頭に欠くことのできない城です。
県道2号線から大動脈の国道16号線に入り、大型トラックに揉まれながら西へ西へと進んで行くと川越市に入り、新河岸川の北東の駐車場にバイクを止めて、散策開始。
ただ、案内なんかを見ても、お城の存在感は非常に薄いですね。
川越は、小江戸川越として観光地化されており、平日というのに半端ない人出でしたが、観光地は城下町の町並みが中心で、東の城郭エリアは、観光客もまばらでした。
城好きとしては、メインターゲットは城跡なので、観光客が少ないのは有り難い。
ただ、遺構として残っているのは、僅かなのが残念なところではあります。
お城らしいものとしては、本丸御殿の一部が残っていました。
ここでは着物姿の観光客が撮影中。
 
 
このすぐ前に本丸門跡の碑が建っています。
ただし、門の痕跡は欠片も無し。
 
 
この碑の向こうは野球場なんですが、野球場一帯は初雁公園という名前だそうで、川越城の別名である初雁城の名が使われています。
本丸御殿以外では、中ノ門の辺りだけが、お城の雰囲気を持っていました。
整備によつて雰囲気重視の冠木門が建っていますが、当時は2階の櫓門が建っていたそうです。
重要な門ということが解りますね。
 
 
川越城の土木構造物として唯一残る中ノ門堀。
 
 
江戸時代の改修によって造られたらしいですが、さすが要衝ということで、堀も深いですね。
一部とは言え、なかなか壮観な規模で、往時の河越城の威容を少しは体感できました。
最後に、川越の城下町を散策。
 
 
こちらは有名な時の鐘です。
まぁ人が盛り沢山でした。
 
 
箱根でも感じましたが、首都圏の人口ボリュームというのは、やはり圧倒的ですね。
周辺観光地も一様に混み合います。
 
川越で今回の旅の目的地はすべて回りました。
川越からは、関越道、圏央道、東名高速と、結構な長距離走行を経て駿河健康ランドへ。
ここに泊まるのは何度目だろう?
静岡の定宿になりつつあります。
屋根付き駐車場と多彩な温泉の魅力は大きいですね。
最終日は、1日中雨の予報だったので、諦めの境地でチェックアウト時間まで宿でゆっくりしました。
そして、おもむろに覚悟を決め、時間に余裕を持たせたスケジュールで帰路に。
ただ、雨の中でメーターが壊れるというトラブルが発生!
こちらはかなり前に別の記事で書きましたね。
ということで、最終日の走行距離が分かりません・・・
なんか静岡からの帰りは、いつも長時間の雨に打たれている印象が強いなぁ
 
1日目:538.1km
 
  
2日目:176.6km
 
 
3日目:275.6km
 
 
4日目:約427km(推定)
 
 
総計:1417.3km(推定)
 
 

2026年2月17日火曜日

豊臣兄弟

もう1ヶ月半が経っていますが、今年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」です。
戦国時代の中でも、屈指のNo.2として知られている豊臣秀長が主人公。
しかし、この秀長という人物、意外と史実から追いにくい人なんですよね。
特に前半生は、ほとんど史料に登場しません。
ということは、フリーハンドで描ける人物ということでもあり、ドラマとしてはやりやすいかと思われます。
脚本家がどういう描き方をするのかな?と思って見ていましたが、今のところ、上昇志向の塊だがお調子者の兄と、やや保守的ながらポイントポイントで頭が切れる弟という形。
ん?弟の方が優秀なん?
従来の秀長像とは、ちょっとイメージが違いますね。
なんか弟の方が、あれよあれよと取り立てられて出世しそうな雰囲気すらあります。
さらに、大沢次郎左衛門が信長に降る際には、秀吉が人質となり、秀長が次郎左衛門を連れて行くことに。
いや、役割反対やろ。
身内や側近が人質というのが、一般的な形ですからね。
頭の切れるトップと、実直に支えて調整するNo.2みたいな、ビジネスドラマとしても見ることができるような展開をするのかなと思っていたんですが、どうも秀長を超優秀な感じで描いて行くようです。
山本勘助があちこちに顔を出していた風林火山がそんな感じでしたね。
あれはあれで面白かったですが。
何にせよ、せっかくの戦国大河ですから、取りあえず1年間、しっかり完走して行きたいですね。