2018年8月30日木曜日

飛騨富山ツーリング その17

前回のあらすじ
 
安田城は気持ちえがった。
富山の城巡りをするなら安田城跡資料館に必ず寄っときなはれ。
 
充実した思いで安田城を後にし、県道44号線に出て、次には向かうのは高岡城。
かれこれ20数年振りの訪問になります。
今回の旅は、遥かなる昔に訪れた城々の追憶の旅のようになっていますな。
ただ、いざ高岡へ、と意気込んだものの高岡へ向かう県道44号線はなかなか流れが遅い。
旧国道8号線ではあるんですが、生活道路として定着している為か、信号が多い為か、高岡が遠く感じました。
あまりにも緩慢な流れに飽きたので、途中でバイクに食事を摂らせつつ気分転換し、更に西進を続けます
この県道44号線はそのまま高岡城址のすぐ横に出るので、今回も道程は楽ちんでした(^^)
高岡城は、前回来た時もそうだったんですが、市民の方が多く訪れている公園で、都市公園という雰囲気が強いですね。
なんか今回は弓道の大会もあったようで、前回よりも更に人出が多い感じでした。
そんな中、お城の散策開始です。
まずは、縄張図。
 
 
近世城郭らしい、くっきりはっきりとした縄張ですね。
駐車場から歩いて行くと、まずは小藪竹という区画に出ます。
本丸北東の外郭ですね。
 
 
ここも都市公園らしく整備されています。
名前からして、築城当時は竹林だったのかもしれません。
次に中の島。
 
 
ここは泉水の園地になっていますね。
この一帯は、築城前は湿地帯だったようで、城郭防衛の上でも大事な区画です。
次は、小竹藪に戻って本丸へ。
本丸へは朱橋が架かっていました。
 
 
本丸に出ると、天守跡があります。
 
 
ただ、本丸をちょっと区切っただけのような感じですね。
高岡城の築城は、城主となるはずの前田利政が途中で病没したことから中止になり、天守も建てられなかったようです。
大きさ的には、それ以前の居城であった富山城に匹敵する大きさだったようですね。
この先には本丸があります。
本丸も広大な敷地ですな。
 
 
子供連れの家族が多かったですが、袴姿の方もちらほら。
城跡に似合う格好で、良い風景でした。
次は、本丸を出て二ノ丸へ。
両郭の間は石垣の土橋となっています。
 
 
石垣を見ると、やはり近世の城という感じですね。
前田家では特にですが、築城された頃にはもう野趣よりも優雅さが勝っています。
この先の二ノ丸には市民会館がありました。
 
 
二ノ丸からは、反時計回りで辿って行きます。
二ノ丸の南東の鍛冶丸。
 
 
ここには高岡市立博物館が建っていました。
ここで忘れてはならないのが、設計者の高山右近。
 
 
遥かなる記憶では、もっと参道みたいな階段を登ったような気がするんですが、遊歩道から割とすぐのところにありました。
鍛冶丸の次は明丸。
今は動物園になっています。
 
 
ここの裏手の堀は、桝形堀という名前になっていました。
 
 
形状的には、鍛冶丸と明丸は馬出と武者溜という感じですかね。
明丸の北東側には三ノ丸があります。
 
 
こちらは体育館の敷地となっていました。
いや~、さすがに都市公園化していて公共施設が密度高く建ち並んでいますね。
なので落ち着いて散策、という風にはならなかったですが、市民に親しまれている城跡というのもいいものですな。
 
つづく
 
参考
高岡城
地図付きはこちら
 

2018年8月24日金曜日

飛騨富山ツーリング その16

前回のあらすじ
 
しかし松倉城は支城も含めて地元に愛されてるねぇ(^^)
 
松倉城周辺でお城の案内表示があった城は全部訪れることができたので、早月川沿いを戻り、北陸道の側道のような綺麗な市道を西へ。
そして、滑川I.C.から北陸道へ入り、一気に富山I.C.まで進みます。
前日も通った国道41号線。
なぜ戻ったかと言うと、それは、安田城へ行く為なのです。
と言っても前日までは予定に入っておらず、白鳥城へ行く際に地図を見ていて、どう考えても城跡の地形があるぞ、という事で発見した城なんですけどね。
事前の予定では、松倉城周辺から高岡へ富山市街をスルーして向かう予定だったんですが、見付けてしまった以上は行かなくては。
富山市街で昼飯を掻き込み、県道62号線に入ると、あとは真っすぐです。
神通川を越え、神通川の支流の井田川を渡ってすぐに左折し、北陸道沿いを少し戻ると、すぐに安田城が見えました。
地図上で明確に堀と郭は確認できるんですが、現地はもっとはっきりした形で整備されており、想像以上に良い城跡でしたね。
ちょっと感動するぐらいに。
また、意外なことに、国の史跡として綺麗に整備された史跡公園となっている為か、家族連れや写真を撮りに来た人、自分みたいな一人旅の人など、色んな人が訪れていました。
そんなことにも感心しきり(^^)
この安田城は、秀吉による佐々成政討伐の際に本陣として整備された白鳥城の出城として築かれたといいます。
ただ、下の縄張を見てもらうと解るように、地形に縄張が制限され難い平城なのに、本丸とそれ以下の郭で軸がずれているんですよね。
この為、前身として居館城郭などの城砦があったなどと言われています。
そこにまた、後で付け足されたのが、本丸なのか、それとも二ノ丸と右郭なのか、議論があるようですね。
それは置くとして、眩しい陽光の中、散策していきます。
まずは入口の城址碑。
 
 
そして説明板。
 
 
ますば、入口に最も近い右郭に向かうと、蓮の葉が表面を覆う右郭の外堀が見えます。
 
 
そして、右郭。
 
 
先の盛り上がっている場所が、本丸の土塁ですね。
右郭には、縄張の模型があります。
 
 
これを見ると、軸がずれているのが一目瞭然でしょうか。
右郭の左側の削られた場所を見ると、もともと右郭は長方形だったのを、本丸の堀を造る為に崩したようにも見えますね。
右郭の次は二ノ丸。
 
 
二ノ丸の南の虎口から本丸方向の眺めです。
真ん中付近に少し見えていますが、本丸への通路は土橋の上に木橋が掛けられていました。
土橋は遺構保存の為で、当時は木橋だったのかな?
 
 
そして本丸。
 
 
本丸の四周は土塁が構築されており、その幅は非常に広いですね。
発掘で、櫓が検出されているそうですが、柵だけではなく、何か防御の為の建造物が他にもあったんではないかと想像させるほど広い土塁です。
本丸土塁から二ノ丸の眺め。
 
 
次いで右郭と資料館。
 
 
潤沢な水と幅広の堀は、川から至近の城らしい景色ですね。
全体的に綺麗に芝生が敷かれているので、散策するのも楽しい城でした。
散策を終えたら、すぐ近くの安田城跡資料館へ。
 
 
この資料館は、安田城跡が国の史跡に指定された際に、遺物の展示や史跡の解説、そしてゲストハウスを目的として建てられた資料館です。
大きさもそれほど大きくなかったので、それほど期待せず、ついでという感じで入ったのですが・・・
なんとなんと、中には富山県の城跡を網羅した紙、しかも縄張付きで1城につき1枚!という城好きには完璧に近い説明資料が!
お城の宝石箱や~
なんてどなたかのをパクりはしませんが、間違いなく富山の城を巡るなら必須の資料です。
いや~ええ紙もろたわ~
興奮して、思わず2階のテラスで読み耽ってしまいました(^^;)
 
つづく
 
参考:
安田城
安田城跡資料館
地図付きはこちら
 

2018年8月17日金曜日

飛騨富山ツーリング その15

前回のあらすじ
 
さすがさすがの松倉城!
 
松倉城を存分に堪能して車道を下りてくると、獄門原は祭りの真っ最中で、ちびっこ達がステージでダンスを披露していたり、なかなか盛り上がっていました。
 
 
しかし、こんな山の奥で、これだけの人が来るなんて、なかなか凄い祭りですな。
人の多さに感心しながら、お土産に何か買おうと露店を回ると、松倉饅頭なるものを発見。
お祭りの日の限定品らしい。
何気に饅頭下さいと言ってみると、なんと6個セットしか無い模様。
汗をかいた後に饅頭6個も食べたら唾液全部取られて窒息するわ
バイクに載せても、こんな天気のいい日はホカホカに熱せられて腐敗一直線な気もするので諦めようとした時、店主の人がバラで1個売ってくれました。
ありがたや~
というわけで、今回の戦利品。
 
 
ひと通り歩いて汗をかいた後の甘い物って、美味しいですよねぇ
満足満足(^^)
 
松倉城と祭り会場を後にして、山道を下って行くわけですが、まだ祭りも序盤、狭い山道で次々と上がって来る対向車とすれ違うのも面倒くさいので、違う道から下ることに。
流石に午前中に帰る人も少ないので、スイスイと山道を下って行くと、懐かしい武隈屋敷こと小菅沼城のところに出てきました。
16年前は、松倉城に行けなかったので、この小菅沼城まで来て、気持ちに一区切り付けて満足して帰りましたが、松倉城から下って来ると意外と近く、松倉城の支城、いや、出城というのがよく解りますな。
入口には案内板があります。
 
 
下の案内板にあるように、この城の主であった武隈氏は、椎名氏の家老でした。
 
 
椎名氏は、桓武平氏千葉氏流とされ、名越流北条氏の家臣であったようで、鎌倉時代に越中守護だった名越氏の代官という形で越中に入部したと言われています。
また、一説には、南北朝時代の入部とも言われていますね。
武隈氏は、その入部の頃から椎名氏に仕えていた古参の家臣で、子孫は武隈家記という野史を残しました。
そこには、戦国時代の武隈元員は武田家の支援を受ける為、甲斐まで赴いたことがなどが記されているようです。
真偽はともかくとして、椎名家中ではかなりの家格だったのでしょうな。
その武隈氏は、小菅沼城の場所に近代まで住んでいたそうで、そう考えると囲っている石垣は後世のものとも考えられるのですが、積み方を見ると不規則で相当古そうな感じですし、石自体が大きくて、人数を掛けて造ってそう、つまりは当時の石垣っぽいんですよね。
ただ、本城である松倉城に石垣の痕跡があまりにも少ない割に、支城出城にこれだけの石垣が築かれているという整合性の部分でイマイチすっきりとしないですな。
小菅沼城に足を踏み入れてみると、内部は方形で、典型的な居館城郭でした。
 
 
この右手には土塁があります。
 
 
一番高い所では3mほどもある立派な土塁ですな。
また、虎口にも石垣の痕跡がありました。
 
 
規模は決して大きくはないですが、古城らしい良い城ですね(^^)
 
小菅沼城から更に山道を下って行くと、松倉小学校方向へと行くことができる道に出ますが、地図を見ると、反対側に行けば北山城へ行けるようですね。
この辺り、さすが支城ということで連携が利いています。
今の道は、当時の連携用の道をほぼそのまま使っているんでしょう。
松倉城から見ると、小菅沼城は北東方向の峰筋の先、そして谷筋を挟んでその先に北山城という配置になります。
そして、その谷筋には、城下町の端があったようですね。
角川沿いに最初の城下町が形成され、それが北山と小菅沼の間の谷筋にも広がっていったと推測されています。
そして、角川の奥の奥には松倉金山。
今はただの辺鄙な山奥ですが、当時の松倉城下の一帯は、想像もできないぐらい賑わっていたんでしょうな。
一方、その角川から反対側の西側はどうなっていたかと言うと、そちらにも松倉城の支城がありました。
当時は早月川から松倉城下へ入る街道があり、それを押さえるように角川と早月川に挟まれた丘陵地に、水尾城、石ノ門、升方城などが構えられていましたが、その最も古いのは水尾城でしょうか。
水尾城に関しては、南北朝時代にはすでに文献に登場しています。
ただ、後世に構えられた城の方が規模は大きくなったようで、升方城は、南に付随する郭群を含め、かなりの規模を持っていました。
これには、椎名氏の後の支配者による改修もあったようです。
佐々氏、前田氏時代には、松倉城はあまりにも山奥過ぎて融通が利かず、升方城が主な拠点として使用されたのかもしれません。
というわけで、次はその升方城へ。
これで道標として出てきた城はすべて制覇ですな。
升方城へは、角川沿いを一度下り、丘陵をひとつ西へ越え、早月川東岸の農道から行けます。
農道に城への案内が出ており、それに沿って丘陵へと入る入口辺りに私道のような道があり、その先に登山道がありました。
自分は、私道につき車両を乗り入れるな的な立て看板があったので、私道の入口から徒歩で登りましたが、登山道入口には公園もあります。
 
 
ここまでちゃんとした公園があるんやし、バイクで行っても問題無かったのかな?
ただ、この道や公園の整備の際に、遺構の一部が失われたようです。
そこは少し残念。
この公園の向かいに登山道はあります。
そこから城へ。
入口に説明板がありました。
 
 
登山道に入るとすぐ出迎えてくれるのは横堀。
三ノ丸の防御用の堀ですな。
 
 
登山道の付近には、よく見ると石垣の痕跡が残っていますね。 
 
 
ただ、このすぐ上の三ノ丸は藪化していて、ほとんど散策できない状態でした。
そこから更に登って行くと、二ノ丸があります。
下は最も広い二ノ丸の北側。
 
 
升方城の本丸と二ノ丸はすこし変わっていて、楕円形の本丸の周囲を囲うように二ノ丸があり、円郭式という感じの縄張になっていますね。
高原諏訪城もこんな感じでしたが、何か技術的な繋がりがあるんでしょうか。
この本丸や二ノ丸と比べると、下の三ノ丸は巧緻的な感じで、椎名氏時代以降に付け加えられた部分なのかもしれません。
二ノ丸には井戸も残っています。
 
 
さらに、ぐるっと回って行って、東側。
 
 
本丸の鋭い切岸と共に、土塁もきっちり残っていました。
 
 
そして北西側。
 
 
ただ、二ノ丸の外側にあるはずの竪堀群は、完全に藪化していて確認できませんでした。
二ノ丸を散策した後は、いよいよ本丸へ。
本丸の奥には城址碑。
  
 
反対方向には東屋があります。
 
 
升方城案内板もありました。
 
 
この3D鳥瞰図が一番地形を把握しやすかったですね。
 
 
うむ。
支城ながら、しっかりと形を残していて、なかなか満足できる城でしたな(^^)
 
つづく
 
参考:
松倉城
小菅沼城
升方城
地図付きはこちら
 

2018年8月12日日曜日

飛騨富山ツーリング その14

前回のあらすじ
 
お猿さんとウッキッキー
 
宇奈月、黒部という、この5月に最も人気を集める観光地の手前まで行きながら、いつものように観光地に踏み入れること無く涼しい顔で黒部川を後にし、この日の最大の目標である松倉城へ。
北陸道を黒部I.C.から魚津I.C.まで走り、国道8号線を経由して県道33号線に入ればあとは真っすぐ・・・のはずが、国道8号線と県道33号線は立体交差という想定外の事態。
一瞬、焦りましたが、2つ先の交差点から細いながら真っすぐな市道を走って県道33号線に入り直し、事無きを得ました。
バイパスはこういうのがあるから、油断ならないなぁ
目標とする松倉城ですが、16年前にアタックを掛けたものの、その時はダムの工事による通行止めで、登城を断念した経緯があります。
今回は、リベンジってわけですな。
県道33号線を南下して行くと、北陸道の高架をくぐった先の交差点で、いくつかの城の案内に出くわしました。
そういえば、16年前にも北山城や升方城、舟見城の案内を見た記憶が。
古城の案内がまだまだ少なかった時代に、富山県は城好きにはなんて親切な所なんやろうと思ったものでした。
時間を考えれば、松倉城を散策しても、まだまだ余裕があるはず。
今回はこれらも着実に巡って行きますか。
というわけで、まずは東に位置する北山城から。
北陸道に並走する立派な道を少し東に行き、ひとつ目の交差点を右折して山へ入って行くと、北山鉱泉の案内が出てきます。
北山城は、この北山鉱泉の裏山と言える位置にありました。
松倉城の支城のひとつで、当然のように山城なんですが、最高部の直下まで狭いながら舗装された車道が通っていて、非常に楽に行くことができる城でしたね。
駐車場にバイクを止め、遊歩道を少し登ると、そこはもう主郭部です。
まずは案内板。
 
 
城の中心は、標高的にも最も高くなっていて重層的な構造にもなっている図の右側の部分と思われるのですが、綺麗に整備されているのは、物見台跡の基壇だったと思われる部分がある図の左側でした
 
 
細長い削平地の先にやや高い部分があるのが判るでしょうか。
その物見台跡と思しき場所は、今も同じ役目を負って展望台となっています。
 
 
日本海まで一望できて、眺望は素晴らしかったですね(^^)
さて、中心部はというと・・・
 
 
藪。
藪としては、まだ比較的マシな部類ですが(^^;)
奥にも段が見えますね。
 
 
こっちは完璧な藪。
少し歩き回りましたが、ここが最高部のようです。
従って、恐らく本丸というわけですな。
竪堀もたくさんあるみたいですが、藪で確認はできませんでした。
城としては、片面が整備されているだけに、惜しいなぁ
 
北山城を下り、来た道を戻って再び県道33号線へ。
後は案内に従って城へ行くだけ・・・と思いきや、この日はやたらと車が多い。
山道のブラインドコーナーなんかは先導の車があって楽ですが、そんなに人気のあるスポットなのか?
そんな疑問を抱きつつ、獄門原と呼ばれる大きな削平地が幾段かある所に来てみると、謎が氷解しました。
この日は、戦国のろし祭りというイベントの日だったんですな。
車がわんさかでびっくり(^^;)
バイクなので、警備員の人もバイクならそこに入るわってな感じで、空いた隙間に止めさせてもらいましたが、車はどんどん上に回されている様子。
この止めやすさがバイクのいい所やね~
しかし、後で分かったんですが、上に回された方が良かった・・・
バイクを止めて城へ向けて歩き始めたんですが、獄門原は主郭部とは結構距離がありまして、ひたすら車道を登って行くハメに。
主郭部へ続く車道の半分が駐車車両で占められていたんですが、こっちのほうが城には断然近かったやん・・・
それでも汗をかきかき登って行くと、主郭部が見えてきました。
車道は本丸こと一ノ郭の下まで通っているようですが、散策しながら登りたいので、遊歩道へと入ります。
まずは四ノ郭。
 
 
四ノ郭の奥部は広く、低いながら土塁も残っていました。
 
 
松倉城の主郭部は、尾根筋に展開されていて、それほど高低差が無いのもあって、各郭の間には堀切が掘られているんですが、それがまた鋭いんですな。
いかにも堅城という感じです。
下は、ちょっと見にくいですが、四の郭と三ノ郭の間の堀切を上から撮ったもの。
底まで7~8mはありました。
 
 
次に三ノ郭の下段の虎口。
 
 
その上には、これまた広い削平地がありました。
 
 
その三ノ郭の土塁。
 
 
なかなか立派な形で残ってますな。
続いて、二ノ郭と三ノ郭の間の堀切。
 
 
この堀切は木々が払われていて、V字ラインがはっきりと判りますね。
 
 
ここも広い。
二ノ郭も段で分かれています。
変則的な形になっている部分もありました。
 
 
そして二ノ郭最高部。
 
 
ここまで来ると、整備されていて陽光が眩しいですね。
この次はいよいよ本丸こと一ノ郭。
その前に、他と同じく堀切があります。
 
 
ここも形状がよく判りますね。
いよいよ一ノ郭。
 
 
一ノ郭は3段に分かれていて、その2段目と3段目は少し変わった形で、細長い段が鉤型に組み合わさっているような形状となっていました。
続いて1段目。
 
 
城址碑は二ノ郭にもあり、実はこれが2つ目です。
更に奥には立派な石碑が。
 
 
これで3つ目ですな。
近くには周辺の案内板が。
 
 
そして松倉城の説明板。
 
 
東屋には地形の模型もありました。
 
 
一ノ郭の先には、もちろんのことながら堀切を介して、城の鎮守であったと思われる八幡堂が。
 
 
いや~、規模の大きい城ですわ。
越中三大山城の筆頭格ですな。
おまけ。
 
 
車道の突き当りにも碑がありました。
城址碑ではなく、松倉城主の碑ですが、標としては4つ目ですな。
 
つづく
 
参考:
北山城
松倉城
地図付きはこちら