2019年12月31日火曜日

2019年年納め

2019年の走り納めはいつするかな~なんて思いつつ過ごしていると、暖かい予報だった18日は強風に阻まれ、最後の8連勤を考えると、もう残ったのは21日しかない。
しかし、下り坂の予報。
そんな条件にもめげず、行くかと走り出したら、5kmほど走った所で雨が降ってきました。
終~了~
こうして、走り納めとも言えない往復10kmで今年のバイク生活を納めました。
個人的には色々と環境が変わった年になったけど、何とも締まらん年末だねぇ
ま、しょうがないか。
というわけで、良いお年を!
 

2019年12月29日日曜日

2019年のM-1

1週間も前の話で何なんですが、今年のM-1は久々にじっくりと見れました。
自分は関西人なので、漫才は昔から好きで良く見てるんですが、今年はレベルが高かったですね。
しかも、オーソドックスな漫才が評価された年でした。
個人的には、歴史好きのサガなのか、変化球のすゑひろがりずがツボでしたが(^^;)
優勝したミルクボーイにしろ、次点のかまいたちにしろ、スタイルはオーソドックスで、ネタ自体もとてもシンプル。
ミルクボーイはコーンフレークと最中について延々と、かまいたちは言い間違いで、突き詰めれば本当に何気ない話なんですよね。
それをあれだけ面白く広げていくんだから凄い。
今は諸々の理由でお目に掛かれませんが、チュートリアルが優勝した時のネタを思い出しました。
あの時も題材は家電とか自転車とかでしたからね。
キャラ先行型とかもインパクトはあるんですが、おっさん的には、こういう漫才が安心ですな(^^)
 

2019年12月22日日曜日

鹿児島熊本ツーリング その2

前回のあらすじ
 
新造船はピッカピカでいいね~
 
南港発のフェリーが、鹿児島県は志布志港に着くのは、定刻では9:40。
その時間からの行程を考えると、昼ご飯の時間がもったいない。
なので、朝食バイキングをできるだけ遅い時間に、たくさん食べて、ノンストップ作戦で行くことにしました。
とは言っても、フェリーでは早くに目が覚めてしまうんですよね。
暇を持て余して早く寝てしまうからでしょうか。
朝から風呂に入って、部屋でまったり朝のテレビを見て、多くの人が食べ終わった頃合いを見計らって食事を摂りに食堂へ。
食事後は、ダラダラと身支度をしてると、ようやく志布志港へ到着しました。
そこから、フェリーにとって一番大事なお客さんであるトラックが下船して、ようやく一般旅客の下船となります。
前回来た時は、下船後、そのまま東へ向かってすぐの志布志城へ行きましたが、今回は国道220号線を西へ。
まず、目指すのは北原城という城。
北原城は、大隅に勢力を持っていた肝付氏の庶族北原氏の本貫で、伝承では、肝付氏初代の兼俊の子である兼綱か兼幸が木田原に住して木田原(北原)を称したとあります。
しかし、この頃の北原氏の動向は不明なんですね。
南北朝時代に真幸院の飯野城へ移ってから、日向の主な豪族として成長を遂げ、歴史上に存在がはっきりしてきます。
そういうこともあってか、国道220号線から串良川沿いに北西に進んでも案内板の類は無いどころか、最も近い道が串良川の右岸であった為、川の左岸に位置する城の近くへ向かう道すらありませんでした。
地図にプロットされている城の場所の北には、堀代わりの細流があり、2つの川を渡らずにまともに近付けそうなのは北西方向しかないんですが、国道269号線まで出てみても、とても道は無さそうなんですよね。
本腰入れて道なき道を進まないと、無理っぽいですな。
ちょっとバイク旅には要害過ぎひん?
割にどの地図にもプロットされてる城なんですが、到達情報の乏しい城でした。
 
まさかの緒戦から撤退というダメージを受けつつ、次に向かうは鹿屋城。
大隅地方の中心である鹿屋の城ですな。
道は簡単で、先ほどの国道269号線を少し南西に走れば、ひたすら真っすぐな道になり、そのまま道なりで城山公園の横に出ます。
とは言っても、うっかり一旦過ぎてしまって引き返しましたが(^^;)
駐車場にバイクを止め、公園に向かうと、まずは説明板が出迎えてくれます。
 
 
うん、繁茂し過ぎて邪魔ですな・・・。
鹿屋城は、説明板にもあるように中世から戦国時代にも史料に記述がありますが、具体的に城がどのようであったのかは詳細不明です。
この場所にあったかすら分からないらしい。
現在残っている遺構は、天正8年(1580)から伊集院忠棟によって築かれたものとされ、残っている遺構は一部ではあるものの、シラス台地を存分に利用した鹿児島の戦国時代の城に比べると、かなり近世的な雰囲気がありますね。
ただ、本丸は貯水場となっていて、城っぽさはありません。
公園化されているのは二ノ丸と今城で、二ノ丸からは城下だった鹿屋の旧市街が一望でき、水運で活用されたはずの肝属川を含め、経済性が重要視されつつあった戦国時代末期の時代の流れが感じられますね。
また、地図を見ると、志布志湾へ注ぐ肝属川以外にも、錦江湾まで陸路で1里ほどど、城の立地は非常に良いですな。
大隅地方の第一の都市の礎はこの辺りにあるのかもしれません。
二ノ丸へ向かう道は、シラス台地特有の深い空堀の堀底道となっています。
 
 
ここにも城址碑がありました。
先に進んで行くと二ノ丸です。
 
 
上は二ノ丸の突端の部分。
複数の段があり、最上段に妙に幅があったので、土塁とも櫓台とも判断がつかない場所でした。
公園には、古いながら展望台もあります。
展望台から鹿屋市街。
 
 
この日は何かイベントがあったようで、城跡の直下の広場には非常に多くの人がいて、賑やかな感じでした。
写真には写ってませんが・・・
晴天率の高い秋ですし、イベントには良い季節ですね。
この日はちょっと天気が良くなかったですが、ここからの景色も晴れてたらもっといい眺めなんでしょうね。
この二ノ丸への入口には大きな空堀があるんですが、空堀を挟んだ向こうに今城という郭があります。
そこも公園として整備されていました。
 
 
これは上段。
今城は2段構成で、下の段はこんな感じ。
 
 
この今城は、二ノ丸に比べて、特有の鹿児島の古城らしさがかなり漂っていましたね。
この後、城の北側を散策してみましたが、それらしい部分はあったものの、遺構とまではっきりしたものはありませんでした。
残っている部分を見るとかなりいい感じなんで、もっと遺構が残っていたらな~と思わせる城でしたね。
 
つづく
 
参考:
北原城
鹿屋城
地図付きはこちら
 

2019年12月16日月曜日

米中協議に英選挙

先週末は、世界で色々な事が動きましたね。
まずは、米中合意があったこと。
と言っても、内容を見ると、あくまで第一段階の合意でしかなく、やや先送り感はあるのですが。
ただ、成長率鈍化が相当鮮明になってきた中国側としては、15日に予定されていた関税上乗せの発動が避けられたのと、15%の関税分が半分になることは、非常に大きい成果でしょう。
中国による米農産品の輸入は、今や食料輸入国になっている状況を考えればメリットもありますし、折り合える部分だったと思います。
アメリカも、15日に関税が発動する予定だった分野は消費者向けが多かった為、個人消費の下振れ圧力になるという懸念があり、よく言われるように、そこは選挙も絡んだ政治的判断だったんでしょうね。
ただ、2500億ドル分に掛けられた25%の関税は温存されたままで、また、アメリカ議会は党の区別なく対中強硬派が多くなっているという状況もありますから、今後、またちゃぶ台返しが発生する可能性も捨てきれません。
 
この米中合意のすぐ後に出てきたのが、イギリス総選挙の保守党の圧勝です。
保守党有利という情報は出ていましたが、選挙戦後半は労働党が巻き返しているようなニュアンスの報道も多かっただけに、ブレグジットに続いて報道機関の論調とかなり違う結果となりました。
離脱を巡って混乱が続いていたイギリス議会も、これでようやくEU離脱に向けて進んで行くだろうという安心感と同時に、イギリスもリベラルメディアの凋落が激しいなと感じましたね。
アメリカに関しては、CNNを始めとしたリベラルメディアの報道を日本のメディアが報じるので、かなりリベラル側に寄った報道となっていますが、実際のトランプ政権の支持率は発足当初からずっと40%強という水準を確保しており、ロシアンゲートだのウクライナ疑惑などと報じられている割には、イメージ以上に安定しています。
もしかしたらイギリスも同様で、単純にイギリスメディアのほとんどがリベラル側なのか、日本のメディアがリベラル側メディアしか引用しないのか判りませんが、リベラル側からの報道や分析にかなり偏っているのかもしれません。
少なくとも、ブレグジット以降は、一時期より保守に傾いている世論を正確に追い切れなくなっていると考えるのが、合理的でしょうね。
選挙結果よりも、そういう乖離が改めて気になった選挙でした。
 

2019年12月11日水曜日

鹿児島熊本ツーリング その1

令和元年もそろそろ年納め・・・なんですが、まだ去年の旅日記がまとまっていないんですよね。
今年1年色々ありまして、あちこち手が回っていない状態です。
でも、そろそろまとめてみようかな・・・というわけで、去年の秋のツーリングは、鹿児島から九州西部を北上してきました。
鹿児島熊本ツーリングと銘打ってはいますが、正確には、鹿児島熊本福岡東部大分西部ツーリングなんですね。
長ったらしいので、短くしましたけども(^^;)
ま、そんなわけで、綴って行きましょうかね。
 
九州鹿児島と言えば、当然のように関西からはフェリーになります。
大阪南港~志布志便は、今回で2度目の利用ですな。
しかも、新造船。
うむ。
前の船を知っているだけに、余計楽しみじゃ(^^)
ただ、大分や門司なら仕事帰りに乗れる時間なんですが、志布志便は18:00の出港。
とても仕事帰りじゃ間に合わない。
なので、乗る日の昼は全く空いてしまうんですよね。
それが悩ましい。
ぼーとしてても勿体ないので、今回は、南港への行きがけの駄賃とばかりに、オープン直前の尼崎城に寄って行きました。
 
 
公園としての体裁はまだまだですが、建物本体の工事は終わっていました。
ま、これを書いている時にはとっくにオープンしているんですけども(^^;)
これから内装工事ぐらいかな?
城の窓はガラスで、模擬天守らしさが存分にあるんですが、建てかけの家もそうであるように、ガラスに新品の時に貼られているラベルがまだ貼ってあって、普通の模擬天守以上に近代建築という香りがプンプンしてましたな。
いずれ、公園も出来上がってくると、もっと馴染んで来るんでしょう。
 
尼崎城視察を終え、次は新造船の視察です。
国道43号線の梅香交差点から舞洲、咲洲を経由して南港へGo!
梅香の辺りは、昔、舞洲で草サッカーの試合がある時によく通っていたんですが、ここもUSJができた事で色々と様変わりしたなぁなんて感じながら、橋を渡って舞洲へ入り、咲洲から前回の時は大渋滞だったトンネルを抜けて南港へ。
そして、ATCとWTCの脇を抜けて南へ・・・辿っているとどうもおかしい。
前回は南港の南端が乗り場で、何度も案内が出ていたんですが、今回は全くありません。
バイクを止めて調べてみると、今はATCの裏手から出ている模様。
まさかそんなことになっているとは。
ATCの近くやと、高速と大きな道が入り乱れる部分を走らなくて済むので、気が楽ですな。
ATCで早めの夕食を摂り、いざ乗り場へ。
 
 
新造船のきりしまがお出迎えです。
船体がピカピカですな!
乗り込んでみると、前回は確か一番底かその手前ぐらいのフロアでしたが、今回止めたのは乗り込んだ地階(?)フロアでした。
いよいよ、客室へ。
今回予約を取ったのはプライベートシングルです。
 
 
個別にテレビも付いてるし、なかなか良いですな。
次はもうひとつ上の部屋を試してみようかな~なんて思いながら、部屋で寛ぐこともなく、いそいそと荷物を置いてデッキへ。
そして、年甲斐も無く写真を撮っていると、船内アナウンスで自分が呼ばれているではありませんか。
なんで?
訝しみながらインフォメーションの所へ行くと、どうやらトラックを先に出す為にバイクをもう少し奥に止めて欲しいとのこと。
ちゃんと指定された通りに止めたのに。
きたんと段取り頼むでホンマ。
バタバタやんか(> <)
そんなこんながありまして、いざ出港です。
 
 
ちょっと写真では見にくいですが、地上スタッフが青いペンライトを振って見送ってくれました。
しかし、新造船、いいですな。
客室もプライベートルームの数が増えているし、お風呂も通路分ぐらい広くなっていて、脱衣場も広くなっています。
なんか雰囲気がホテルに近くなりました。
さて、起きたら鹿児島!
走るぞ!
 
つづく
 
参考:
尼崎城
地図付きはこちら
 


2019年12月4日水曜日

ガンダム六甲に立つ

先日、こんな記事が神戸新聞に載っていました。
 
「こんなに早く…最高」コスプレ姿で関西最速オープン満喫 六甲山スノーパーク
 
もうそんな季節かと、何の気に無しにさらりと読み流していたんですが・・・
!?
ガンダムがおるやないか!!
40代の自分はガンダム世代なんですが、思わず2度見しました(笑)
白いウェアが絶妙にマッチしてて、写真の立ち姿もいい!
こんなカット、アニメでもあった気がします。
やるなぁ~
思わず朝から唸ってしまいました(^^)
 

2019年11月29日金曜日

香港人権民主主義法

昨日、アメリカにて香港人権民主主義法がトランプ大統領の署名により成立しました。
トランプ大統領の署名がどうなるか、得意のツイッターで言及が無かった為、憶測を呼ぶ向きもありましたが、無風での成立となりましたね。
どの道、下院も上院もほぼ全会一致で成立している以上、トランプ大統領が署名を拒否しても、いずれ成立したわけですが。
これにより、アメリカは毎年、香港に対する民主制度や本国からの自立を評価し、香港への優遇処置を定めている香港政策法の実行範囲を制限できることになります。
また、この法案の成立に中国が大きく反発しており、米中貿易協議の行方にも大きな影響が出そうですね。
中国としては、香港区議会選挙で民主派への支持をまざまざと見せつけられつつ、あれだけ混とんとした香港がようやく少し落ち着いたのに、再び混乱へと進まないか影響を懸念する気持ちがあるところでしょう。
また、今や香港も中国の一部なのに、自国内の体制を外国政府から評価されるというのも癪に障る話だと思います。
しかし、アメリカはアメリカで、香港引き渡しの際の一国二制度の取り決めを元に、香港に対して旧西側と同じような優遇措置を取っているわけで、それがちゃんと維持されているか評価するのは筋が通った話でしょう。
この辺りは、中国がいずれ民主化して西側と同じような体制になるという甘い観測の下、大目に見られていた側面があるというのは中国も理解しているはずで、香港優遇に関して何らかの合意に達することは無いにしても、米中貿易協議には大きな問題にならないのではないかと思いますね。
問題は、中国が享受してきた香港の金融的な効果ですな。
旧西側とは違う独自の制度を保ちつつ、旧西側とほぼ同等に扱われる香港を窓口にして投資を呼び込んできた歴史があります。
これが優遇されなくなったら・・・
数字では出てきませんが、経済活動が相当に落ち込んでいると言われる中国。
経済運営の舵取りが今以上に難しくなるでしょうね。
米中貿易協議よりも、そちらの方が影響が大きくなりそうで、注意が必要ですな。
 

2019年11月25日月曜日

GSOMIA延長

11/23をもって期限切れになるかと思われていた日韓のGSOMIAが、一転、継続となりました。
それまでの韓国政府の言動を見ても、意固地になっているような印象すらあったので、破棄されると思っていましたが、まさか失効6時間前というギリギリのタイミングで延長されるとは、驚きましたね。
しかし、文言を見ると、「破棄の効力を停止し、延長する」とあり、韓国側はいつでも破棄の効力を有効にできるというオプションを付けたようです。
あれだけアメリカに警告され、撤回までしたのに、随時有効化のオプションが付いたところでどうなんだという感じですが、韓国側としては対日カードとして僅かでも機能させたいのでしょう。
しかし、まどろっこしい表現ですな。
なくなくなくね?
的なモノを感じますわ(^^;)
でも、表現を弄った所で、アメリカからはすぐに、"延長"を歓迎する、なんてコメント出てまして、韓国とそれ以外の国で認識に差があるなぁと。
さらには、輸出管理強化に関しての対話が再開される見通しとの発表に関して、韓国側は判定勝ち的な結果と喧伝したり、日本の要求通りという報道に関して「良心の呵責を感じないのか」という発言があったり、謝罪しただのしてないだので発表にズレがあるなど、韓国絡みでは今後もタフな展開が予想されます。
とは言え、外交的プロトコル的には対話は対話であって、両者で何かを決めていく協議ではないんですけどね。
対話という文言に関しては両国とも同じですから、認識の違いが出るのがおかしいんですが・・・
ま、何はともあれ、8月の原状に戻ったわけですから、きっちり輸出管理を守ったもらいたいものです。
しかし、文大統領は対外的な信用を落としてまで、結局何がしたかったのかなぁ
トップがメンツだけで動く国は、国民も大変だわ(^^;)
 

2019年11月18日月曜日

観桜

沢尻エリカの逮捕でやや霞んだ感がありますが、今、野党は桜を観る会とその前夜祭のことで攻勢を掛けています。
まぁ確かにイベント自体が肥大化してますし、招待される人の基準もよく分からないので、是正すべきだとは思いますが・・・
今する話?
という感想が強いですね。
アメリカとの交渉があり、韓国との安全保障上の懸念があり、大学試験の問題もまだまだ議論が尽くされたとは言えない。
なのに、野党の一番手がこの話題?
政党として政策論争できないのは、相当ダメでしょう。
ちょっと政党としての存在価値が見いだせないですな。
批判がしたいだけにしか見えません。
桜を観る会は、批判の先頭に立っている共産党はともかく、立憲民主党で多くの議員が関わっていたはずの民主党政権時代もありましたし、安倍首相の後援会主催の前夜祭も、立食パーティーなら5000円でも妥当なところでしょう。
着席形式の宴席と違うわけだから。
ましてビュッフェ形式ですらないですからね。
着席形式のビュッフェでも、出席者の年齢層が高かったりすると、人数分の食事を用意することはありません。
8掛けとかそんなレベルですし、それでも余ることもしばしば。
まして、年齢層高めで立食ですからね。
人数分の半分も出てない可能性が高そうです。
野党の議員はよく庶民感覚がなんて言いますが、企業のお祝いのパーティなんかに関わる事があったりして、割とそういう事情を知ってる人は多いと思うんですよね。
自分も全くの庶民で技術職ですが、なんとなくそういう事情は聞き知っています。
なのに、野党はそういう事情を思い付かず、批判が先に出てしまう。
これについては、
庶民感覚が無いのは与党も野党も変わらない
という感想しか無いですね。
国会議員は高級取りですから、それは当たり前の話で、批判する事もしないですが。
それにしても、くだらない。
国会の運営にもお金が掛かります。
一刻も早くまともな議論をしてほしいですね。
 

2019年11月13日水曜日

さらに綺麗になったね

兵庫、といっても県ではなく区のほうですが、よく行きます。
旧の卸売市場のあった場所は兵庫城跡の一角で、何度か記事に登場していますが、今はイオンになっていて、綺麗になっているんですね。
この間、ふと通りかかってみると、更に整備されて噴水なんかが設置されていました。
 
 
いや~、びっくり。
そして・・・さらに綺麗になったね(^^)
つるべ落としの秋の夕方、早めにイオンでお酒を買って、噴水を見ながら一杯・・・なんて、
ロマンの欠片もありゃしない(^^;)
 

2019年11月4日月曜日

首里城が・・・

なんともショックなニュースだったんですが、首里城の正殿や南殿、北殿などが燃えてしまいました。。。
まだ出火原因は特定されていないものの、どうやら電気関係のようです。
素材が劣化してしまうほど古くはないはずですので、小動物とかが齧ったのかもしれませんが、なんとか防げなかったのかという思いはありますね。
木造はほんと火には弱いですから。
幸いと言ってはなんですが、正殿を始めとした建物は平成になってからの復元ですので、材料の調達は難航しそうなものの、資金さえあれば復元できるでしょう。
地下の遺構も、火事や爆発等のエネルギーは主に上や横に抜けるので、大丈夫そうです。
問題は、展示されていた琉球王朝時代の文物ですね。
あれこそ、本当に失われると2度と戻らないものですから。
まだまだ色々な調査はこれからですが、なんとかひとつでも多く難を逃れていることを祈るばかりです。
 

2019年10月28日月曜日

バイク退院

バイクが無事退院しました。
診断結果は、メーターの端子の腐食。
ピンが折れてしまっていたので、メーター付近のハーネスと共に全交換になりました。
というわけで、
ピカピカの新車に!(メーターのみ)
 
 
オドメーターが0km表示というのは妙に眩しいものがありますが、今までコツコツ走ってきた距離がリセットされてしまったのもちょっと寂しいですな。
ま、コツコツと改めて刻んでいきますか!
 

2019年10月23日水曜日

即位の礼

即位の礼の中心儀式である即位礼正殿の儀は、諸外国の即位式や戴冠式と同じで、天皇陛下が即位したことを国内国外へ宣明する儀式です。
自分にとっては人生で2度目。
1度目は平成2年だったんですが、その頃はまだ学生で、「また今日は1日見るテレビが無いわ」なんて思っていた記憶があります。
あれから30年。
全く興味の無かった式典も、年齢と共にちょっと見てみようかななんて気持ちが芽生えましたね。
不思議なもんです。
年を取ったとも言うかな?
あれだけ午前中に雨が降っていたにも関わらず、即位礼正殿の儀になると晴れ間が差し、虹が出ました。
古代中世なら、英主践祚の伝説的な話として伝えられてもおかしくないような天候の変化でしたが、災害の多い昨今、令和の時代が少しでも良くなりそうな、そんな希望が持てる吉兆と感じました。
少しでも災害が減れば、いいですね。
 

2019年10月20日日曜日

姫路ウォーキング

毎年、ハウスが協賛してバーモンドファミリーウォークというイベントが全国で開催されていますが、今年の姫路大会に親戚が当選したということで、御相伴させてもらいました。
もう何度目かの参加になりますね。
何でも、全国各地の大会の中で、姫路大会が最も競争率が高いそうです。
なんと言ったって、世界遺産姫路城が発着ですからね。
こんないいイベントはありません。
集合は、姫路城東御屋敷跡公園。
姫路城の東の外郭にあたります。
当時は重臣か一門辺りの御屋敷があったんでしょうか。
ここで軽く開会式と準備体操を済ませ、さぁ出発。
 
 
うむ。
ここで気付いたが、スマホの撮影設定がおかしかったようだ。
雲が多いとは言え、陽の差す天気だったのに、やけに暗い・・・
ま、写真は置くとして、ルートはまず姫路城の中心方向へと向かいます。
 
 
天守閣がトドーンと!
これだけで来た甲斐がありますな。
中に入りたい気持ちもありますが、ウォーキングのルートは喜斎門から内郭の北側をぐるりと廻って行きます。
そして、城の西、中堀と外堀代わりの船場川の間の千姫の小径と名付けられた堀端を南へ。
そこから更に西へ迂回して、南へ南へと向かいます。
JRとの立体交差を越えると、姫路モノレールの痕跡が見えてきました。
もう大将軍駅はぽっかりと空き地になっていましたが、川沿いの橋脚は健在です。
 
 
ちょっと見にくいですが、橋脚の間に見えるのは手柄山。
モノレールは、ここから右にカーブしてあの手柄山へ続いていたんですね。
橋脚とコンクリートのレールと終着駅。
こんないいアングルは今まで気付きませんでした。
肉眼ではもっといい感じやってんけどなぁ
そうこうしている内に、手柄山へ到着。
少し山を上って山上の広場へ。
姫路市街が一望できます。
 
 
うむ。
やはり暗い!
この後、ウォーキングのルートは東へ向かい、外堀川を北へ。
後は水際の心地よさを感じつつ、ひたすら真っすぐ北へ北へ進んで行きます。
そして、元の東御屋敷跡公園に帰着。
所要時間、約3時間の心地よい散歩でした。
明日の筋肉痛がちょっと心配ですが(^^;)
最後に・・・
ハウスからバーモンドカレーのルーやフルーチェ、その他諸々の参加賞も頂きました。
とっても有り難いですな(^^)
 

2019年10月14日月曜日

バイク入院

ちょっと前になるんですが、バイクのメーターがおかしくなってました。
雨の中、乗っていたら、突然速度が振れ始めて、その内、100km/h、120km/h、60km/hという感じで1秒ごとに大幅に速度が変わってしまうように・・・
酷い時は、
 40km/h
  ↓ 1秒後
 156km/h
なんてことに!
本当にあったらGで失神してしまうがな(^^;)
ずぶ濡れの中、走りながら笑ってしまいました。
その後、S.A.で休憩すると、0km/h表示が多くなり、時々40km/hとか20km/hとか微妙な値に。
 
「配線に水が入り込んだのかな?」
 
なんて思いつつ、次に乗った時には、ちょっと反応が遅いものの比較的リアルな数字が出るようになっていました。
 
「おぉ、もしかして乾いた?」
 
なんて変な希望を持ってそのまま様子見してみたら、次に乗った時には全表示!
デジタル時計のリセットボタンを押した時のように、表示できる場所が全部表示されている状態になってしまったんですよね。
うむ。
御臨終か。
でも、他の電装系は、キルスイッチもクラッチセンサーもウインカーもヘッドライトも全く動作に異常なし。
メーターパネル単体か、その配線だけおかしくなってると思うんですがね。
取りあえず、今日入院させました。
走り頃の秋。
早く退院して欲しいものです。
 

2019年10月6日日曜日

軽減税率の嘆き

10月より、消費税が増税され、食料品などは8%の軽減税率が適用されるようになりました。
で、この軽減税率がややこしい。
食料品というのが基本なんですが、中には資産付きの食料品として10%が適用されるものもあるんです。
これは、新聞やテレビなんかで既報の通りなんですが、実務に落とし込むとなると・・・
ややこしぃんじゃーーー!
おまけに9月分の伝票の訂正なんかは旧税率でやらないといけない。
従来の8%と軽減税率の8%で同じやん、なんて思ってたら、国税と地方税の比率が違うんですよね。
ややこしぃんじゃーーー!
旧税、軽減税率、新税率が入り乱れてしばらく落ち着きそうにないですわ。
 
ある実務者の嘆き・・・でした。
 

2019年9月29日日曜日

表現の不自由展

一時、騒動が収まったかのように思われていたトリエンナーレ2019に関して、また報道が出てきていますね。
文化庁が補助金支給の決定を覆して不支給を決定したことがきっかけです。
内側の事情を知りませんし、見ても無いので、報道されている部分しか知りませんが、この不自由展で展示されたものをいくつか列挙すると、
 
・昭和天皇の写真を焼く映像
・特攻隊の寄せ書きや当時の新聞記事をかまくら状に仕上げたて「間抜けな日本人」と名付けたオブジェ
・韓国の政治的プロバガンダに利用される慰安婦少女像
 
などですね。
ちょっとね、反日に寄り過ぎてない?
主義主張は色々あると思いますし、それはそれできちんと保護されるべきだとは思いますけど、あまりにも偏り過ぎているように感じます。
何か愛国的な過激表現があれば、バランスが取れたんでしょうけど、そういうのは排除してしまったんでしょうか。
また、芸術とするには生々しい現実の毒っ気がそのまま温存されていて、全然芸術に昇華できていないようにも感じますね。
少なくとも個人的には、この3点からは普遍的な何事かを感じるのは難しく思いましたし、政治的な展示と言われれば納得してしまうような性格のものと感じました。
結局、脅迫等があり、不自由展は展示中止に追い込まれ、ニュースになっている補助金の不支給に繋がるわけですが、偏りがあり、芸術として昇華できていないものを展示しておいて、補助金を欲しいってのは、ちょっと筋が悪いですね。
個人的に、芸術でもなんでもそうですが、多くの人が大切にしているものを、表現の自由という錦の御旗があるからと言って侮辱してはいけないと思うんです。
2015年にあったシャルリーエブド襲撃事件の時も思いましたが、問題になった風刺画を見ると侮辱と捉えられても仕方がないもので、ちょっとやりすぎと感じました。
もちろん、暴力的な手段でそれを抑え込むのは完全に間違ってはいますが、公共の福祉というのは、他の人や公共に迷惑を掛けない上で自由や権利が保障されるわけで、多くの人が傷ついたり侮辱を感じるような表現は控えるべきだと思いますね。
また、今回感じたのは、偏った表現をする時は、最低限、自分の足で立って、自前の資金でやるべきだと。
公が補助を出してまでやる事ではないと思うんですよね。
今回の件で、検閲なんて言葉も出ていますが、自分の足で立って実行すれば、公による審査なんてされないですからね。
それだけの覚悟を示さないと、見る側も真に迫れない。
メッセージ性のある本当の芸術というものは、見る側にも緊張を強いるもの。
開催側にもそれだけの覚悟が必要でしょう。
 

2019年9月21日土曜日

驚愕の列車内

ちょっとどこかに吐き出さないと気が済まなかったので・・・書きます。
先日、帰宅の為に電車に乗っていたら・・・
歯を磨いてる人がいました。
乗った瞬間から、なんかシャコシャコと音が聞こえてたんですよね。
なんか歯磨きの音みたいやなぁなんて思ってたら、
歯磨きでした。
そんなに我慢できひんか?とツッコミたくなるような、ほぼ満員電車で立ちながらチューハイを飲んでる人に始まり、完全に一人の世界でブツブツ言っている人や、フラフラと倒れかけて慌てて支えた人など、今まで電車内で色んな人に遭遇してきましたが、今回は今までのすべての経験を超越した存在でしたな。
また、格好が独特で。
速乾タイプのさらっとした肌触りのインナーがありますが、その半袖に同じ素材のパッチ、サンダル、足の爪にはペディキュアのオシャレさん。
耳にはピアスもしてまして、それが部族的なワッカなやつで、向こうが見える系。
体は細身で肌は色黒く、何ごとかを時々呟いていらっしゃったんですが、その言葉が日本語かどうか判別できませんでした。
もしかしたら、外国人の方だったんでしょうか。
新快速に乗っていたので、停車駅間の時間は長めでしたが、その間ずっと歯磨き。
ドアが開くと、乗客の乗り降りが収まるのを待ってから電車と線路の隙間にペッてしてはりました。
この辺り、ちゃんと迷惑が掛からないような所作をしてるんですよね。
何か、不思議な御仁でした。
いや~びっくりしましたわ~
 

2019年9月17日火曜日

たんぽぽ城

「たんぽぽ城」と書くと、非常にファンシーな言葉の響きになりますが、実際に存在した城です。
蒲公英城と書き、松原城とも道場河原城とも呼ばれました。
道場河原は、道場河原宿という宿場町の名で、松原は、播磨を中心に勢力を張っていた四職のひとつ赤松氏の庶流で、城主であった松原氏の名から取られています。

では、蒲公英はどこから?
なんでも、松原氏の奥方は鼓が得意で鼓を打つ音からタンポポと名付けられたとか、城の井戸からタンポンと水琴窟のように水音が響いたことからとか、いくつか説があるようですね。
また、たんぽぽの別名が鼓草なので、そこからの名前とも言われています。
この蒲公英城、なんでも宅地開発によって消滅してしまうとか。
城好きとしては、非常に残念です。
ただ、この工事に先立ち、発掘調査が行われ、現地説明会がありました。
記事は消えてしまったのか、ちょっと探し切れなかったのですが、8月の最終週に神戸新聞に載っており、現況を知ることができたんですね。
無くなってしまうなら、是非行きたい!
とは思ったんですが、説明会は8/31。
土曜は基本的に仕事で、更に月末。
仕事休むなんて無理。
月末は色々と月末ならではの作業があるんですよねぇ
なんとも融通が利かない!
とてもとても残念なんですけど、今回は諦めました。
でも、どうもまだ本丸の調査が継続のようなので、もう1度現地説明会があるかも?
またいつか行く時に、城址碑と説明会の資料が置かれているといいな。
 

2019年9月11日水曜日

お友達内閣論

今日、9/11に第4次安倍再改造内閣が発足しました。
それについて、色々な分析やニュースが飛び交っていますが、一部のメディアや野党は、お友達内閣と評しています。
これ、今まで何度も耳に入っていますし、発信側は批判的な表現として言っているとは思うんですが、自分は何が悪いのかあまり理解できないんですよねぇ
首相の方針を理解する近しい人をスタッフとして入閣させるのは、当然だと思うんですよ。
でないと、首相のやりたいことが実現できない。
調べてみると、第1次安倍政権の時代から言われ出した表現のようですな。
庶民には、お友達だけで政権ごっこをしているというようなイメージを与える効果があるんでしょうかね。
なんだが、大山鳴動して鼠一匹の結果に終わった、モリカケ問題に通じるものがあるような気がします。
あれも、安倍首相の個人的な繋がりが問題視されていましたから。
安倍首相には、内輪だけで何かやってそうなイメージでもあるんでしょうか。
 
ま、それはともかくとして、民間の会社でも当然ながら社長交代劇があり、組閣や内閣改造と同じような状況があります。
組織形態によって各方面から承認を得る必要があるので、内閣ほどフリーハンドではありませんが、社長交代が平和な禅譲であった場合は徐々に、追い落としであったのなら急激に、新社長に近しい役員の面々へと変わることが多いですね。
新社長の立場が強ければ強いほど、その傾向は強いようです。
新社長がイニシアチブを握る以上、社長の方針を理解する役員を配置するのは当然のことですからね。
ただ、方針を理解するとは言っても、その役員をイエスマンで固めるのか、直言できる人間を置くのかは、もちろん社長のやり方次第。
ですが、それをお友達と言ってまとめてしまうのは浅すぎると思うんですよね。
 
社会学の世界では、人間がある程度のチームで仕事を行う場合、同じタイプを多くすると意思決定や実行が早くなり、色んなタイプを入れてバランスを取ると安定的な運用になると言われています。
これをお友達内閣という言葉に当てはめてみると、前者のタイプと言えるでしょう。
それだけ安倍首相は、突破力を期待しているのかもしれません。
具体的には、憲法改正と対韓国への対応、そしてオリンピックというところでしょうか。
ただ、内閣の面々を見てみると、言われているほどお友達内閣でもないんですよね。
確かに、主要ポストは安倍首相の方針に近くて有能な政治家が据えられていると思いますが、一方で、初入閣が多い、つまり大臣待機組にポストを与えたという側面も大きいんでよ。
更には、派閥のバランスも取られています。
これについては、突破型かバランス型かと言われれば、間違いなくバランス型の配置と言えるでしょう。
つまり、この分類でもお友達内閣という批判は当たらないんですよね。
だから余計に、お友達内閣と聞くと、批判の型に嵌めようとしているようで、凄くもやっとするんですよねぇ
 

2019年9月5日木曜日

あおり運転余話

しばらく前の話になりますが、あおり運転の動画がネットで話題になり、同じ車に煽られたという話が茨城から岐阜までの相当大きな範囲で出てくるという、ちょっと異常な感じの事件がありました。
結局、大阪の宮崎文夫容疑者が指名手配され、逮捕されたわけですが、その過程で元阪神タイガースの代打の神様こと八木さんとの対談記事があると話題になっていたんですね。
それ、
ウチにもきました。
企画したのはB-plusという会社で、そこから電話が掛かってきたんですよね。
八木さんと対談してみませんか?と。
関西ウォーカーとかの雑誌もそうですが、いくらかお金を出して紙面に載せてもらうというビジネスモデルは昔からあり、そのネット版というところですな。
ウチは一人親方状態の会社ですし、BtoCもやってないので、お断りしましたが、値段は月9,000円で1年間の掲載ということでした。
年間10万円強で、サイトから集客するようなBtoCの商売なら、スタートアップの広告費としてはそんなに高くないかもしれませんね。
「取り上げられました!」と自HP以外の他媒体を出せるのは大きい。
ただ、B-Plus自体の知名度がもっとあったらという前提にはなりますが・・・
ちょっと興味があったんで、電話を掛けてきた人と30分ぐらい話したんですが、阪神地区の企業が対象で、1日で5~6件の取材をすると言っていました。
八木さんは1日8時間程度の拘束となるんかな?
一応、今後活躍しそうな起業したての会社さんに声を掛けさせてもらってるなんて言ってましたけど、
どう考えても手あたり次第やろ(笑)
法人番号検索サイトあたりから検索してるんかな?
新規登録の日付が取得できるし。
世の中、いろんな商売があるもんだなと感心しました(^^;)
法人を設立すると、こんな感じで色々な勧誘がやってきます。
法人設立後、真っ先にDMが来たのが税理士で、設立の3日後ぐらいには最初のDMが来たとおもいます。
早かったですね。
税理士が5件ぐらい来て、次に早かったのがaskul。
askulはちょっと意外でした。
こういうところに急成長の一端があるのかもしれませんな。
続いてAMEX。
しばらく後にJCBも来ましたが、アメリカンエクスプレスはビジネスカードの仕組みとして割と使い勝手がいいので、力を入れてるみたいですね。
ただ、日本ではVISA・Master・JCBが三強で、アメリカンエクスプレスは使えない所があるんですよね。
そこももっと力を入れて欲しいかな。
しかし、みなさん商魂逞しい。
ちょっと見習わないと(^^;)
 

2019年8月31日土曜日

北陸北信ツーリング その14

前回のあらすじ
 
塩尻にて雨天ゲームセット!
 
想像したより大きく、遺構もシンプルながら盛りだくさんだった北熊井城を後にして、県道63号線を戻り、国道20号線へ出て塩尻I.C.へ。
ここから帰路・・・というか、雨中撤退戦に入ります。
長野道の辺りはまだ雨もお湿り程度だったんですが、岡谷を越えて中央道へ入ると、本格的に降り始めました。
ちょうど昼前頃に駒ヶ岳付近に差し掛かったので、ちょっと早めの昼休憩をば。
食堂がいっぱいになる前で良かったですわ。
昔、スキーに行く時によく食べていた豚汁定食を食べ、食後もゆっくり休憩しつつ、ついでにカッパを少し乾かし、英気を溜め込んで再び撤退戦へ。
しかししかし、そんな英気をすぐ消耗するぐらいの雨が。
この昼休憩後から恵那峡S.A.までが一番酷く降られましたね。
カッパが古いのか、恵那峡に着く頃にはデニムパンツにも浸水してました。
恵那峡S.A.で1時間近く休憩した後、淡々と中央道を走り、名神高速に入る頃にはようやく小降りに。
ただ、名神高速は運悪く大規模な集中工事の期間中で、所々渋滞がありました。
雨に濡れながらの渋滞は、中々きついものがありますな。
雨に濡れながらでも、流れているなら、まるで修業のような、ゾーンのような、余計なことを考えずに淡々と走るモードに入るんですが、止まったり徐行したりしながらただただ濡れるというのは、行程を進んでいる感が無いので心が試されますわ。
ダメ押しは栗東手前からの11kmの渋滞。
いや~、さすがにこの長時間の雨中撤退戦は疲れました。
最後は、どこかでストレスを発散しないと気が済まなかったので、ちょっと高級なネスタリゾート神戸の温泉に入って帰りましたとさ。
 
 
うむ。
なかなか広々とした温泉で良かった。
ただ、日常使いするには高いよな~(^^;)
 
1日目 418.8km
 
 
2日目 240.4km
 
 
3日目 273.6km
 
 
4日目 620.9km
 
 
総計 1453.7km
 
 
参考:
延羽の湯閑雅山荘
地図付きはこちら
 

2019年8月24日土曜日

GSOMIA破棄

GSOMIA、いかめしい日本語にすると、軍事情報包括保護協定というやつですが、日韓の間のGSOMIAの破棄が22日に決定され、韓国から日本に通告されました。
これにより、この協定は3ヶ月後に切れることとなります。
これにはちょっと驚きましたね。
相互的な情報協定ですが、偵察衛星を持たない韓国の方が、得るものが多いからです。
この日韓のGSOMIAは、民主党のオバマ政権時代に米軍が特に望んだものですから、トランプ大統領が構想しているとも言われる在韓米軍撤退の可能性も、少しだけですが現実味を帯びてきた感がありますな。

今、2020年の予算がアメリカで審議されていますから、議会多数派となっている民主党がこれを受けて、今までの方針から転換するのかどうか、気になる所です。
兎にも角にも、このGSOMIA破棄に関してはニュースがいっぱい出てるので、分析には困らないわけですが、穿った見方としては、文政権の民情秘書室長で次期法務部長官に内定しているチョ氏に不正疑惑が噴出しており、保守派による反文政権デモが警察発表で4万人にも上っていることから、この批判を逸らす為というものまでありました。
ただ、過去の政権を見ても、そういう近視眼的な政策は度々ありましたから、安直に否定もできないところですな。
また、表に出てきた公的な発表を追うと、韓国側によって最初に、「米国は理解している」との発表があった後、米国から「一度も私たちの理解を得た事が無い」と直接的に否定され、翌日に韓国側はコメントを後退させました。
このバタバタを考えると、事前の根回しは全く無かったと想像できます。
まるで思い付きで決めてしまったような、そんな印象さえ受けてしまいますね。
実際、この破棄に関して、アメリカ政府の公式な発言では、「強い失望と懸念を表する」とありますが、政府関係者からは、「壊滅的なほど愚かな決定」と言った言葉や、アメリカは理解しているという事に対しては「嘘」という、ちょっと外交関係では見られない言葉が並びました。
普通は、行き違いがあるとか、コンセンサスが取れていないとか、もうちょっとオブラートに包んだ表現をするんですがね。
アメリカのみならず、韓国や日本でも、延長するというのが大方の見方でしたから、この決定に対する驚きと失望の度合いが表現にモロに出ていますな。
 
しかし、世界を見ると、この日韓も話題豊富ですが、米中は米中で再び貿易に関する軋轢が増し、トランプ大統領は「米国企業は中国から撤退しろ」なんて言葉も飛び出しています。

アメリカのダウ工業株も大きな下落となりましたし、FOMCでの利下げ観測もあって、市場はまたしばらくの間、乱高下するかもしれません。
夏休み最後の週、韓国のホワイト国外しの実施も控え、宿題と同じように切羽詰まった状況になるのか、今後が気になりますな。
 

2019年8月18日日曜日

北陸北信ツーリング その13


前回のあらすじ
 
海津城は整備されててめっちゃ散策しやすかった!
でも、雨早くね?
 
妻女山で本格的に雨が降り出したので、止むを得ず、雨が比較的遅い松本塩尻方面へ遁走です。
雨に追い立てられるように国道403号線を西へ走り、カッパを着込んで更埴I.C.から長野道へ。
途中、降ったり止んだりの雨模様ながら、本降りとまではならず、朝っぱらからテンションダダ下がりにならなかったのは幸いでしたね。
トンネルをいくつも抜け、山塊を越えると松本平へと入り、ここで天気が変わって曇天となりました。
天気が良ければ、最終日は小笠原氏所縁の林城なんかにも立ち寄りたかったんですが、この天気模様では仕方なし。
というわけで、それらの目的地としていた城の内、塩尻近辺の城だけ寄ることにして、塩尻北I.C.で長野道を降りました。
しばらく国道19号線を南下し、東へ行くと、熊井という地区があります。
今回の旅の最終目的地となるのは、この熊井地区にある北熊井城。
しかししかし、国道19号線から適当に左折してみると、スマホの地図に南熊井城なる文字が見えるではないですか。
なぬ、これは行かねば。
さすがに急に発見した城だったので、具体的な場所が分からず、ちょっと右往左往しましたが、再び小雨が降り始める中、なんとか城を発見しました。
 
 
南熊井城は、伝承はいくつかあるようですが、在地豪族の居館背後の小規模な詰城だったようで、後には大規模に整備された北熊井城の出城として使われたんではないでしょうか。
それでも、大手の切岸や空堀はなかなか見応えがあります。
 
 
主郭なのかどうなのか、郭として残っている区画には、小さな社が祀られていました。
 
 
その区画は、空堀で続きの台地と区切られています。
 
 
この城とほぼ同高の続きの台地が開墾されてしまっているので、そこが当時は原野だったのか、それとも城の一角を担っていたのかで、堅固さは随分と変わってくるのですが、どちらにしても、田川を西に、その支流を東に控えた10m強の丘陵にあり、城地としてはなかなか地の利を押さえていますね。
少し視野を広げると、塩尻峠から松本平へ進出する軍勢を抑える場所であると同時に、木曽路から松本平へ進出した地点の東側にもあたり、北熊井城よりもより前線に位置します。
そう考えると、かなり良い場所なんよな~
もっと事績が判っててもいいはずなのに、そこは残念ですわ。
 
小雨が降り出した南熊井城の散策を早々に終え、次に向かうは北熊井城。
城は、南熊井城から東へ1kmちょっとの場所にあります。
県道63号線を北に向かい、長野道の立体交差を越えて右折すると、東に延びる立派な道があり、その道を進むと、道沿いに巨大な段々畑のような地形が見えてきますが、それが北熊井城。
想像していたよりも、かなり巨大です。
北熊井城は、南熊井城よりは幾分か事績がはっきりしており、武田信玄の重臣であった駒井高白斎が記した高白斎記に、熊野井城として出てくる城に比定されていますね。
ただ、武田勢によって塩尻の拠点として改修されたことは間違いないようですが、それまでの城主や改修後の城主は、諸説あってはっきりとしていません。
立派な道から、空堀を利用した道を使って本丸の下まで来ると、気を削った雄々しい標柱が建てられていました。
地元の人に大切にされている城という雰囲気がプンプン匂ってくるようで、なんだが城好きとしては嬉しいですね(^^)
北熊井城の構造としては、伊那地方でよく見掛けたような、丘陵の突端を堀切で区画してそれぞれ削平した連郭式の城です。
 
 
まずは本丸から。
 
 
マイナーな城ですが、規模はなかなかのものです。
本丸東側には三重の空堀があり、写真では見にくいですが、なかなか見応えがありました。
 
 
本丸の西には、空堀を挟んで西一ノ丸も見えますね。
 
 
本丸北側は、かなりの高低がありますな。
 
 
本丸と西一ノ丸の間の空堀はかなりの規模で、整った車道から城跡へ入って来る舗装路となっています。
この道を走ると、城が迫って来るようでなかなか迫力があるんですよね(^^)
本丸南側に回ると、そこにも空堀があります。
空堀というよりは横堀と呼んだ方が機能的には正しいかな?
 
 
この堀底を進んで行くと、本丸東側の三重空堀のひとつ、金池跡に出ます。
 
 
城の東側には、東門跡に例の雄々しき標柱が建っていました。
 
 
それは西にも。
 
 
2つの城門は南に向いています。
縄張図を見ても、南側に土塁と空堀が複数備えてあり、南が正面なのは間違いないですね。
北側には高低差があり、南側はそれほどではないので、なんらかの居住区画があったのかもしれません。
文献の少なさから、城下町のようなものがあったほど大きくは無いような気はしますが。
往時がどのようであったのか、知りたいですね。
続いて本丸の西側へ。
城の西部分の南側の空堀。
ここも明確に残っています。
  
 
本丸の隣の西一ノ丸へ。
 
 
こちらはあまり人が入らないのか、ちょっと整備がされていませんでした。
西一ノ丸から、西二ノ丸とその間の空堀。
こちらも明確でいいですね。
 
 
北熊井城は、空堀は深く、切岸は険しく、城としてはかなり良く遺構が残っている城で、マイナーながら、城好きには是非見てもらいたい城でしたね。
ただ・・・ただねぇ・・・
雨さえ降ってなければ・・・(> <)
 
あと少しだけ続くんじゃ・・・
 
参照:
南熊井城
北熊井城
地図付きはこちら
 

2019年8月13日火曜日

北陸北信ツーリング その12

前回のあらすじ
 
凶・・・だと?
 
ツーリング最終日の4日目は、前日の予報に拠れば次第に雨になるとのこと。
ただ、松本や塩尻辺りは昼近くまで曇りとの予報でしたので、回る所は回って、松本方面へ逃れたいところですな。
この日は、雨に備え、7:00前にホテルを出発しました。
まず寄るのは、松代城とも呼ばれている海津城。
現地の城址碑には海津城とあったので、海津城と呼びましょうか。
あの川中島の合戦でも重要な拠点となった城です。
前回来た22年前は石垣の積み直し工事で、城内の散策はまともにできませんでしたが、それから大河ドラマもあり、色々と整備されているようで、楽しみですね。
松代市街で多少道を間違えましたが、海津城付近に来てみると、前回の時は健在だった長野電鉄の松代駅が、ホームだけを残して廃線となっていました。
 
 
なかなか地方の鉄道は、経営が難しいんでしょうね。
この辺りも、地方の過疎化と車社会を感じます。
さて、松代駅近くにバイクを止め、散策開始。
現在の海津城は、三ノ丸と花ノ丸は市街地化していますが、本丸と二ノ丸の大部分が公園として整備されていました。
駅から歩くと、二ノ丸石場門から城内へと入る形となります。
 
 
この石場門は、丸みがある構造で、特徴的ですね。
なんとなく丸みがあって、女性的な印象すらあります。
二ノ丸に入り、歩を進めていくと、内堀と本丸の石垣が。
東不明門と前橋ですな。
 
 
ここから左手に進んで行くと、二ノ丸南門があり、周辺に案内板があります。
 
 
今の海津城で残っている部分は、二ノ丸の大部分と本丸、内堀で、二ノ丸の南にあった三日月堀や三ノ丸、東西の外堀、南西の花ノ丸なんかは、残念ながらありません。
南門の南の馬出や、三日月堀が残っていれば、武田流の名残をもっと強く感じたのかも知れませんね。
二ノ丸南門のすぐ西には、印象的な土塁がありました。
 
 
曲線の多かった武田流の縄張の残骸のような雰囲気がありますが、どうなんでしょうか。
役割的には、花ノ丸から三ノ丸を通って二ノ丸南門に押し寄せる敵兵を、堀越しに弓や鉄砲で攻める為の場所ですな。
二ノ丸南門から振り返ると、本丸大手の太鼓門と橋詰門が正面です。
城門は復元ですが、ここからの画は、海津城で最も城らしい雰囲気のある構図でしょう。
 
 
ちょうど、御開門の時間。
係の人が開ける作業をしてました。
太鼓門からは入らず、内堀沿いを西へ回ります。
下は内堀と太鼓門の様子。
 
 
さらに進むと、面白い埋門がありました。
 
 
なんか古墳の石室入口みたい(^^)
この門をくぐった先には、本丸北側の不明門と戌亥櫓台。
なかなか豪壮な石垣です。
 
 
さて、いよいよ不明門をくぐって本丸へ。
 
 
本丸には、海津城の城址碑がありました。
 
 
城のシンボルだった戌亥櫓の石垣へ。
櫓台から城内を見回します。
左手の北不明門方向。
 
 
ここから見る石垣は折れが多く、なかなか見応えがあります。
右手に目を向けて、大手の太鼓門方向。
 
 
こちらは落ち着いた古城の雰囲気ですな。
最後に、門が無くなっている東不明門から外へ。
東不明門付近の石垣と前橋です
 
 
芝生が前面に敷かれていて、とても整備されている城でした。
天気も、雨粒が数粒落ちてきましたけど、なんとか持って良かった(^^)
 
海津城からは、松代市街の住宅地をなんとなくの方向感覚で抜け、農道を走り、高速沿いの国道403号線へ。
次なる目標は、妻女山。
言わずと知れた、上杉謙信が陣を敷いた山です。
ただ、甲陽軍鑑には西條山とあり、妻女山というのは、上杉軍の将兵が妻女を偲んだという俗説から付けられた名前らしいですな。
ちなみにその西條山や西条山と呼ばれる山は、この妻女山から南にかなり離れた場所の山で、翌朝に八幡原で決戦を行うにはちょっと遠い。
このことから、妻女山のある山系の主峰にあたる斎場山が陣所だったとの説もありますね。
その説によれば、斎場山の東峰にあたる妻女山は赤坂山と呼ばれ、甘粕景持が陣を敷いていたとされます。
実際はどうだったんでしょうか。
ま、第4次川中島の合戦自体が不詳なので、ロマンのある話ということにしときますか。
妻女山へは、高速沿いの国道から舗装された道が出ており、するすると上って行けば、簡単に着くことができます。
ちょうど、妻女山の展望台のある場所まで舗装されていました。
展望台からは、海津城がよく見えます。
 
 
左手に向けば八幡原。
 
 
海津城からの炊煙を見、眼下の八幡原へ出陣する決意をしたんでしょうな。
展望台には陣図もありました。
 
 
実際の景色を眺めながら陣図を見てみると、臨場感が違いますな。
ただ・・・
早くも雨が!
ゆっくり眺めさせてくれよ(> <)
  
つづく
 
海津城
妻女山陣所跡
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