2014年4月25日金曜日

相模・駿河ツーリング (箱根秋編) その6

前回のあらすじ

箱根周辺の道ってば素晴らしい!
惚れそうやわ~
 
ツーリング3日目のこの日、起きたのはちょっと遅め。
なぜなら、前日の夜に相棒の映画なんかやってるんやもん(^^;)
いかんね~、ああいうのは最後まで見てしまうね~
あと、おっさんだけに2日分の疲れがズーンとのしかかってきてる(笑)
なかなか回復してきませんわ・・・
と言うわけで、素泊まりの宿を出て少し遅めの朝食をコンビニで調達し、湯河原温泉街の中を流れる渓流へ。
渓流沿いには、万葉公園へと向かう遊歩道が整備されているんですが、道沿いには所々に東屋があります。
そのひとつを拝借して、せせらぎの音を聞きながら優雅に朝ごはん(^^)
風情もクソもないコンビニサンドイッチやないかい!
というのは置いておきましょう(^^;)
しかし、この遊歩道はよろしいですわ。
残念ながら紅葉の時期には早かったけど、もみじもあったんで、色付く季節にはそりゃもう趣が抜群になりそうな感じです。

 
まぁそんな絶好の季節には、こんなにのんびり朝食をかっ食らってられへんほど人が居てると思うけども(笑)
 
腹も落ち着いたところで、いよいよツーリングの最終日の出発です。
行きと同じく、今日も500kmは固い。
兎にも角にも安全に!
まずは、アップがてら、椿ラインを駆け上がって行きます。
好都合なことに、前には走る雰囲気をプンプンに漂わせる車が。
しかし、「ついてくぜ~」と言ってみたものの、ガリガリ走る車に対し、パニアを装着した旅バイクではジリジリと離されていきます。
バイクの乗り手の腕?
いやいや~、あの車、速かったよね~(棒)
そんな速い速い車も、折り返し点として使われるしとどの窟のバス停よりも手前で先行車に引っ掛かり、ペースダウン。
お陰で追いつきましたわ。
そこから先はのんびりワインディング。
途中、春にも立ち寄った富士見峠で富士山を撮ってみましたが、前日とは違ってこの日は姿がはっきりとせず。
残念(> <)
富士見峠からは、シャレにならない渋滞が予想される箱根の観光地を回避して箱根新道で箱根峠へ。
今回のツーリング最後、7つ目の峠です。
ここからは伊豆半島を眺めながら大型車のペースに合わせて下って行き、中腹の山中城へ到着。
北条流山城の集大成、城好きなら一生に1度は訪れておきたい超有名な城です。
 
現在の山中城は、東海道を継承した国道1号線によって分断されており、国道の北側が主郭部分、南側が増設部分です。
そして、その分断部分に駐車場があります。
いや~、しかし、この城はもう行って下さいとしか言いようがないですな。
言葉では説明し切れない。
百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、写真でも伝わらない。
それほどの城です。
この城は!
それでも言葉より幾らか多く伝わるので、写真で見ていきますか。

まずは縄張確認の鳥瞰図。

 
増設部分の岱崎出丸へ。
愛鷹山や駿河湾の眺めが最高です(^^)

 
ここは細長い郭なんですけど、その北西側を一直線に横切る一ノ堀がそれはもう素敵!

 
この畝!
構造物として最高ですわ~
反対側からもう少し近付いてみるとこんな感じ。

 
エグい斜度ですな。
上から攻撃を受けながら、重い鎧を着て登るなんて無理。

続いて、国道を渡り、三ノ丸の二重堀へ。
二重堀の真ん中の土手が通路になっています。

 
この通路の右手側も堀なんですが、そちらはここまで見通し良く整備されていません。
ちなみに、そちら側は放水路になっていて、城内に幾つかある池の出口を兼ねています。
この先、左手には西ノ丸があります。
そして、ひたすら畝が続く!

 
上の写真は西ノ丸から西櫓にかけて延々と続く畝堀です。
この一連の畝堀の中に、かの有名な障子堀があります。

 
これが障子堀!
まぁ現地で見ていくと解るんですが、障子堀は障子堀という特別な堀じゃなくて、西ノ丸と西櫓の畝が合わさる部分に不規則な場所があり、更に間に通路を通してみましたよって感じですな。
言うなれば畝堀の変種といったところ。

西ノ丸はこんな感じです。
土塁もしっかりと残っている。

 
そして、この西ノ丸から障子堀を覗くと、こんな感じ。

 
どこかで見た構図(笑)
この構図の写真はネット上に沢山転がってますな。
障子堀のメジャーな撮影スポットです。

西ノ丸から裏手の道を行くと北ノ丸に出ます。
ここは本丸に接続する上、城の中でも標高が高い場所で、城内の中枢と言えるでしょう。

 
ちょっと影の加減で見難いですが、個人的には一番整備されている郭だと感じました。
城主や城主に近しい人間の居住スペースがあったのかもしれません。
この北ノ丸の周囲には、北ノ丸堀という空堀が廻らされているのですが、深さと急峻さがそれはもう見事。
木々が生えているので、写真で撮っても伝わらない画にしかならなかったんですが、転げ落ちるのは確実なほどの切岸になっています。
ここは、見学ポイントにはなっていないようですが、城好きの人には是非見ておいて欲しいところですね。

続いて本丸。
本丸には角に天守櫓という櫓がありました。
その基壇がこれ。

 
おぉ、土壇!
戦国末期ぐらいの城の櫓の基礎は石垣、という先入観は、西国出身者ならではなんですかね。
さすが、土の城のスペシャリスト、北条氏!
ここまで土で徹底してるのは感動すら覚えますな。

この天守櫓の下、本丸の下段はいくつかの段に分かれてて、それぞれ重厚な土塁が築いてあります。
ここも芝生が敷かれてて、見学してても清々しい。

 
そして二ノ丸。
二ノ丸は傾斜しています。

 
傾斜してるだけに、居住スペースや倉庫などの機能は難しそうです。
単純な兵力集積地、武者溜だったんですかね。
確かに、傾斜してると複層的に兵を並べて攻撃し易いように思われますが、一方で下から丸見えなだけに攻撃され易いとも言えるわけで、実際はどういう運用だったんでしょうか。
気になるところではありますな。
 
しかし、これだけの城の範囲を芝生で整備しているとは、三島市、なかなかやる!
城好きとしては、もう感謝感謝ですな(^^)
 
つづく
 
参考:
椿ライン
山中城

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2014年4月18日金曜日

相模・駿河ツーリング (箱根秋編) その5

前回のあらすじ

道志みちは雰囲気よろし。
天気晴朗なれども事故多し。
 
いよいよ富士山が見える場所まで来たこの日、天気は最高でした。
去年の山梨ツーリングでは、富士山と富士五湖という構図でそれぞれの写真を撮ったけど、渋滞に気勢を削がれて唯一撮れてなかった山中湖と富士山の写真。

 
いや~快晴ですな(^^)
これで富士五湖と富士山の写真はコンプリート!
 
富士五湖周辺、特に山中湖と河口湖の周辺は渋滞が多いので、写真を撮ったらヒット&アウェイならぬ、ショット&アウェイ。
ツーリングで4つ目の峠、篭坂峠を越えて御殿場経由で箱根方向へと向かいます。
しかし、休日で絶好の行楽日和のこの日、篭坂峠の国道138号線は、それはもうえらい渋滞してました。
反対車線の渋滞なので、「うわぁ~、すぅ~げぇ~渋滞や~」程度の感想で済んだけど、渋滞にハマってたら精魂尽き果ててたやろな・・・
車列にマナー良く並んでたツーリング集団の人々には、表彰状をあげたいぐらい。
走れども走れども渋滞の最後尾が見えないってのは、対向の自分には確実に関係ないことなんやけど、スイスイ走れててなんだか申し訳ない気持ちになるねぇ(> <)
結局、東名高速御殿場I.C.の近くまで10km以上渋滞。
酷すぎる!
いや、恐ろしいと言うほうが最適か。

御殿場I.C.の辺りは、こちら側の車線もモールへ向かう車の渋滞が少しあったけど、それを尻目に乙女峠へとバイクを走らせます。
都合、5つ目の峠。
ここは峠のピークは無くて、トンネルになってしまうんですが、なかなか車線も広く快適な道でした。
たまたま前を走っていたカワサキさんちのライムグリーンバイクが、途中で箱根スカイライン方向へ右折。
そっちの道も楽しそうやったんよな~
行くか迷った。
迷ったけど、乙女道路は区切りとして走っておきたかった。
と言う訳で、こちらは6つ目の長尾峠を経由して箱根スカイラインへ。
長尾峠から芦ノ湖の眺め。
 
 
箱根スカイラインは、芦ノ湖の西側、箱根外輪山付近を南北に走る道で、芦ノ湖スカイラインまで直通可能。
箱根スカイラインは、アップダウンがそんなに多くなく、コーナーのRも大き目で、あっさり風味ですかね。
対して芦ノ湖スカイラインは、アップダウンが大きく、細かなコーナーや勾配のあるコーナーが多い。
難易度的には、芦ノ湖スカイラインの方が上のように感じました。
この2つの道は、走り屋さんにとっては名所中の名所です。
常に2車線が担保されているという安心感。
そして外輪山という地形故の視界の広さや見通しの良さ。
名所になるのも解りますわ。
もうね、単純に、
楽しい!
旅バイクなんで攻めたりはしないけど、と言うか、攻めるテクなんか持ってないけど、視界が広くて安全なコーナーの多い道を走るって、ただただ楽しいですな(^^)

箱根スカイラインも芦ノ湖スカイラインも、対向車線の北側出口の料金所は渋滞気味でしたが、それをまたまた横目に箱根峠まで完走して、そのまま南へ向かい、湯河原パークウェイへ。
この湯河原パークウェイという道もなかなか特徴的です。
箱根峠側から行くと、料金場の先がジェットコースターの下り始めのような、さぁこれから降下するぜ!的な、先の見えないぐらいの下り坂。
箱根外輪山ほぼ直登か(笑)
歩きの登山道とかなら時々あるんですけど、車道でこういうルート設計は珍しい。
トルクフルなバイクで麓から駆け上がると、多分かなり楽しい道になるかと。
 
湯河原パークウェイを下り切ると、ひとまず今日の峠&道路攻略は終わりです。
そして向かうは、春に日没サドンデットで行けなかった土肥城。
今日は時間もたっぷり残して登山開始。
土肥城は、源平争乱の頃の土肥氏の時代に既にあったとも言われていますが、現在残っている城の遺構は、戦国時代の北条氏の頃のものとか。
とは言っても、遺構自体はそれほど多くないです。
城山に登ってみると、湯河原町でハイクコースとして設定されている為、結構訪問客が多いですな。
頂上から見える景色はこんな感じで最高でした(^^)
登った感がとにかく抜群!
足で登ったのはバス停のところからやん!
なんて雑音を忘れてしまえるほど爽快(笑)

 
城山から下りてくると、まだ日没まで時間がちょっと余ってました。
計ってないですが、意外と登るのに時間が掛からなかったようです。
余った時間は、温泉でぐってり、そして湯河原温泉街の散策と行きますか(^^)
 
つづく
 
参考:
山中湖
乙女道路
芦ノ湖スカイライン
箱根スカイライン
湯河原パークウェイ
土肥城
湯河原温泉

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2014年4月14日月曜日

担任が入学式を欠席して息子の入学式へ

ヤフーニュースに、題名のようなニュースが出てました。

まぁ色々意見があるのは当然で、アンケートも賛否が綺麗に二分されてる感じです。
でも、問題の本質はそこではないやろ、と思うんですがね。
円滑な組織運営をしなければいけないのに、円滑に行っていないという問題が本質かと。
教諭の行動に賛否はあるわけですが、アンケート結果をそのまま当てはめると、保護者の半分が首をかしげる、ということになります。
これは、良いか悪いかの前に、そう感じる人が居るという冷徹な事実で、学校運営上、好ましいことでありません。
自分に起こり得る事を想定してみても、1年続くプロジェクトの担当者が最初のキックオフプレゼンに代役を立ててくるとなると、ちょっと信用できない。
今後もプロジェクトが後回しになる可能性も考えて、担当者を変えてくれと言うかも。
もちろん、学校は営業と客の関係ではないですけども。

教諭が「うちの子が今年新入生で入学式がカブる」と申告するか、校長だと思うんですが担任任命の権限がある人間がその辺りの事情を汲んてで避けるか、そのどちらかでこのニュース自体が無くなるわけです。
入学式の日なんて相当前から判るのだから。
この教諭は担任を任せられる力量のある教諭だと思うんですが、別に1年じゃなく2・3年でも構わない訳で。
そして1年ずらせば、来年は1年生の担任でも何ら問題なし。
そういう諸々の配慮が足りていないですな。
ただそれだけのこと。
ちょっとした気遣いというか、些細な確認なのに、誰もそれに気付かなかったんかなぁ
それとも組織の風通しが悪いのか。
その辺りをきっちり押さえておかないと、他でも同じように出てくるやろね。
 

2014年4月10日木曜日

上月城

ツーリング日記の最中ですが、ここで閑話休題。

前回4/6の大河ドラマは、上月城の落城が描かれていました。
この上月城の攻防というのはややこしくて、短期間のうちに幾度も所有勢力が変わっています。
整理してみると、

宇喜多支配下 (七条赤松氏居城)
         ↓
秀吉攻略 (赤松政範切腹・山中鹿之助幸盛が入城)
         ↓
鹿之助留守中に宇喜多勢が奪う (真壁彦九郎が入城)
         ↓
鹿之助が京から尼子勝久を連れて帰還し入城 (彦九郎逃亡)
         ↓
宇喜多勢が再奪還 (上月景貞入城)
         ↓
秀吉軍が再攻略 (上月景貞切腹or討死・尼子勢再々入城)
         ↓
毛利軍と織田軍の睨み合いの末に落城 (尼子勝久切腹・鹿之助は後に処刑)

となります。
これが8ヶ月ほどの間の出来事っていうから、ややこしい!

ちなみに、軍師官兵衛では一貫して、上月城が上月景貞の城のように描かれていますが、その頃は上のように赤松庶家の七条赤松氏の居城です。
上月城自体は間違いなく赤松一族の上月氏が築城した城で、最初期は確かに居城だったのですが、戦国時代に入る頃ぐらいから、上月氏は加西郡や加東郡の東播磨へ勢力を移したようです。
しかも、赤松家中に上月姓の武将は散見されるものの、官兵衛の頃にはすでに嫡流の事跡は曖昧。
戦国の争乱の中で没落したのかもしれません。
天文7年(1538)から翌年にかけて、尼子晴久の大軍が播磨に侵攻し、虫食い状態の赤松家にとどめを刺すようにバラバラに解体してるんで、その時に没落したのかも。

そうなると、官兵衛の義姉が嫁いだ上月景貞って?となりますが、まぁ上月庶流の内のひとりとしか言いようがないですかねぇ
一方、官兵衛の嫁さんの実家である櫛橋家というのは、そこそこの物頭なんで、上月城の攻防以外で事跡がよく判らない=史料に残るほどの勢力を持っていなかった、という景貞では、家格的に釣り合いが取れていない気はしますな。
ま、釣り合いが取れるよう描くこともできるって所が、ドラマというフィクションの良い所ではあるんですけど(^^)

ドラマでは、景貞が宇喜多直家に扇動された高島という家臣に討たれてしまい、落城するという筋書きになっています。
これ、赤松政範と混ざってるよな(笑)
政範は、赤松庶家ながら、毛利・宇喜多側に加担し、宇喜多氏の援軍を城に入れて戦っています。
しかし、最後の頼みであった奇襲が失敗に終わると、政範以下、家臣の高島正澄、援将宇喜多広維などが共に城で自刃。
そして、城に入った織田軍は、城内の人間を悉く殺し、首を晒したといわれています。
この時の逸話で、政範が家臣に裏切られて、というのもあります。
家臣の高島、裏切り、皆殺し。
政範のしばらく後の城主である上月景貞には無い話ですな(^^;)
というか、景貞自身、情報が少なすぎるわ!
ここまで混ぜるなら、政範に嫁いだことにしても良かったんちゃう?

また、ドギツいキャラクターの直家がドラマでは暗躍していますが、宇喜多軍を率いる広維が落城まで城に居たということは、当然ながら宇喜多軍も城にいたという事の証拠でもあります。
しかも、広維は直家の弟とされる武将。
こう見ると、直家は割と、というかなり誠実に支援しているようにも見えますな。
とは言え、広維は系図類に見えない人物で、血族という信憑性はイマイチ。
且つ、直家の弟の忠家が、直家に拝謁する際には万一を考えて鎖帷子を着込んでいた、という逸話から考えると、弟とは言え、サクッと見捨てた、なんてことも有り得る!
なんか、イメージでアレコレ悪さをでっち上げられる直家が、可哀相になってきた(笑)
 
余談ながら、陣内の直家はちょっと闊達過ぎるかなぁ
個人的には、陣内孝則はド派手で強気なバサラ大名佐々木道誉がハマリ役だった気がする。
直家は、三梟雄のひとりではあるけど、その中でも飛び抜けて暗殺の実績が多いし、やっぱり必然的にもっと陰鬱なイメージよなぁ
 
参考:
上月城

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2014年4月7日月曜日

相模・駿河ツーリング (箱根秋編) その4

前回のあらすじ

早朝なら246の渋滞も怖くない!
地図で見付けた丸山城に寄ってみたら当たりでしたわ~
 
お目当ての城を行った後は、いよいよ今回のメインコンテンツである峠めぐり。
テクもないへタれライダーやけど、ブイブイ行きまっせ~

まず、国道246号線を西へ戻り、秦野へ。
秦野には波多野氏所縁の波多野城ってのもあるんやけど、どうも本物かどうか不明らしいので、今回はスルー。
そのまま、県道70号線を北へと辿ってヤビツ峠へ。
ヤビツとは、矢櫃。
矢を入れる入れ物のことで、道の工事中に矢櫃が出土したことからこの名前になったようですが、道路上の青看板もヤビツと片仮名になってます。
片仮名がなんか見慣れないだけに、ちょっと独特で、なんかヤビツに来たという感慨がありますな。

ヤビツ峠へ向かう感じは、関西なら大阪から生駒へ向かっていく感じに似てます。
大きな壁に真っ直ぐ正面突撃して行く感じ。
でも、壁の圧迫感と勾配の急さは生駒より上。
「壁感スゲェ~な~」と言いつつ、その壁の途中まで、かなり調子良く行けました。
しかし、途中でもっと凶悪な壁が・・・
バスが前を塞ぎ、引っ掛かってしまいました。
それも2台ランデブー・・・
この日は休日なんで、登山客を運んでいるんでしょうけど、一杯で1台増便されている模様。
さすがに2台連なると、1.5車線部分も多いので、抜くポイントがないですわ(> <)
辛うじて抜けるポイントを見付けるまで、相当長い間、後ろに張り付くことに。
そして、峠のピーク。
有名な峠というのもあって、こんな碑も立ってました。

 
来たぜ!
って実感が湧きますな(^^)
しかし、ロードバイクのメッカと聞いていたけど、思ったよりも自転車乗りが少ない。
それよりもはるかに登山客のほうが多かった。
丹沢山系の登山に向かうんですかね。
しかし、山道に歩行者がいっぱいで、歩行者に気を付けながらうねうねしたコーナーを走るって無茶苦茶違和感が・・・
沢山の峠を走ってきたけど、物凄い見慣れない風景(^^;)

登山口から先は歩行者も無くなる代わりに、道もあまり良くない舗装に。
いわゆる、裏ヤビツというやつですな。
でも、所々工事中の未舗装があっても、車線が細くても、舗装に亀裂が走ってても、このバイクは足が長くて楽チン(^^)
いや~良いバイクですわ~
 
浮き砂有り、タイトなブラインドコーナー有り、そういう道を楽しく走っていると、知らぬ間に宮ヶ瀬ダムに到着。
ダムを走っていると、バイクが多く、勝手にツーリンググループのような走行に。
結局、自分含め7台ぐらいの集団になっていましたが、内実は2台組が2つとソロ3台とか、ちょっと笑える組み合わせです(笑)
また、湖畔の駐車場には、バイクが鬼のように止まっていました。
「バイク多すぎや~」と思いつつ、華麗にスルー・・・したのはいいけども、予定の鳥屋方向へ向かわずに青山トンネルのほうへ。
快調過ぎて止まらないから地図も見れず、別の道。
いや~よくある話(笑)
スルーせず休憩して確認しろよ!
しょうがないので、昨日も通った国道412号線に出て、青山の交差点から道志みちに入ります。
思いもかけず、道志みちの始めからやね。
道志みちってのは山梨県の国道の愛称なんで、正確には神奈川県部分は違うらしいけど、ここは始点からじゃい!と意気込んどきますか(笑)

道志みちは、険しい所も多くはなく、休日で富士五湖へ向かう車も多くて、ゆっくり淡々と走る道でした。
距離が長いというのもあって、田園の田舎道、川沿い、山道など、バリエーションが豊富で飽きません(^^)
この道沿いは、日本でもトップクラスにキャンプ場が多いらしい。
確かにキャンプをする雰囲気としては抜群ですわ(^^)
ただ、途中2ヶ所ほどで事故が・・・
車も多くなるし、休日しか運転しないような慣れてない人も多くなるしで、警察も大変やなぁ
そうこうしている内に、甲斐と相模の両国境に掛かるという両国橋を越え、山梨県へ。
更に、本日2つ目の峠、山伏峠を越えて山中湖畔へと進みます。
しかし、山伏峠を越えた後の道志みち沿いにはやたらと合宿所や保養施設が多い。
と思って何気なく帰って来てから地図を見てみると、

 
いや、アカンやろ(笑)
飛行機から見る兵庫県のゴルフ場だらけも酷かったけど、それを上回るインパクト!
どんだけテニス好きやねん!
 
なんか予想以上にえらい長くなってしもうた・・・
というわけで、この先は次回に。
 
つづく
 
参考:
ヤビツ峠
道志みち

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2014年4月2日水曜日

相模・駿河ツーリング (箱根秋編) その3

前回のあらすじ

半年振りの相模上陸。
そして津久井三増と戦場を辿る。
 
朝早く万葉の湯のカプセルルームから這い出し、往年の健康ランドのようなシステムの万葉の湯の朝風呂を浴びて出発。
この日は、道志から富士山を回って湯河原まで、色んな峠や道路を辿っていく予定(^^)
でも、その前に、昨日行けなかった岡崎城に寄らないとあきませんな。
コンビニで朝のサンドイッチを食べながら地図を確認していると、岡崎城へのルートの近く、伊勢原市の中心部に丸山城址公園なるものが。
うむ。
ついでじゃ。
寄るべし。
 
伊勢原の中心部から南に折れ、向かうは岡崎城。
源頼朝の挙兵に付き従った岡崎義実の居城であり、北条早雲に追いやられた三浦道寸義同の居城でもあります。
ただ、帰ってきてから調べて判ったのですが、義実の城と道寸の城は同じ場所ではないようです。
普通に岡崎城と言えば道寸の城を指し、無量寺周辺がその中心部です。
義実時代の城は岡崎神社の辺りと伝わり、道寸の岡崎城が築かれた際に出城のひとつとして活用されていたともいわれています。
と言うか、戦国時代の岡崎城の推定城郭範囲というのがやたらデカい・・・
時代が時代だけに、動員兵力の絡みもあってそんな大きな城は無かったような気がするんですが、どこまで本当なのか。
北条氏時代に大改修されて巨大化されたなら、それなりに史料上に残ってそうですがねぇ

往時がどうだったかはともかくとして、岡崎城跡の無量寺へは、細い生活道路をクネクネと進みます。
遠目で、「あれが寺やなぁ」と見付けて直進してみたものの、農道に阻まれて迂回させられ、結局は東方向から無量寺へと向かったのですが、少し大きい交差点にデカデカと案内があり、生活道路にも細かく案内表示があったので、訪れる人にはとても親切。
ちなみに、帰りは無量寺から農道を真っ直ぐ南に向かったのですが、その付近のバス停に岡崎城址入口というのもあったので、車やバイクじゃなくてもアクセス抜群ですな。

岡崎城の遺構としては、パッと見は空堀が目立つぐらいですが、付近を散策すると遺構らしきものが所々に見られます。
と言ってもくっきりはっきり残ってるわけではないので、ここは想像力が試されますな(^^)
ちなみに、城址碑は無量寺入口と、

 
説明板の横と、

 
墓の前の3ヶ所。

 
こんな10mほどの狭い範囲に3ヶ所ってのもよく分からんが、城跡という主張は激しいようで(笑)
 
伊勢原の中心部に戻り、次に立ち寄ったのは丸山城。
国道246号線沿いなので、場所も非常に分かり易い。
ここはなかなか良い城ですな(^^)
きちんと公園として整備されているし、駐車場もバッチリ。
空堀は埋められてますが、切岸、土塁、横矢など、解説付きでなかなか解り易いです。
出土物から、扇谷上杉氏の本拠だった糟屋館の可能性もあるとか。
公園自体は下の写真のようにかなり大きいんですが、城郭遺構は周辺の砦なども含めて、もっと広い範囲にあるそうです。
ちなみに、この右側に写っているのは、残存する土塁の一部。
残っている規模は小さいですが、1段下の帯郭のような場所が往時は空堀だったことから、下から見れば相当な高さがあったはずです。

 
住宅地として周辺の開発が進んでいる現状もあって、全容解明はなかなか難しいと思われますが、地図にポンと印されていただけの城なのに、良い意味で裏切られました(^^)
 
さて、相模の行き残しの城も拾えたし、ガッツリと峠を攻略しに行きますか(^^)
まずはヤビツ峠じゃ!
 
つづく
 
参考:
岡崎城
丸山城

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