ツーリング日記の最中ですが、ここで閑話休題。
前回4/6の大河ドラマは、上月城の落城が描かれていました。
この上月城の攻防というのはややこしくて、短期間のうちに幾度も所有勢力が変わっています。
整理してみると、
宇喜多支配下 (七条赤松氏居城)
↓
秀吉攻略 (赤松政範切腹・山中鹿之助幸盛が入城)
↓
鹿之助留守中に宇喜多勢が奪う (真壁彦九郎が入城)
↓
鹿之助が京から尼子勝久を連れて帰還し入城 (彦九郎逃亡)
↓
宇喜多勢が再奪還 (上月景貞入城)
↓
秀吉軍が再攻略 (上月景貞切腹or討死・尼子勢再々入城)
↓
毛利軍と織田軍の睨み合いの末に落城 (尼子勝久切腹・鹿之助は後に処刑)
となります。
これが8ヶ月ほどの間の出来事っていうから、ややこしい!
ちなみに、軍師官兵衛では一貫して、上月城が上月景貞の城のように描かれていますが、その頃は上のように赤松庶家の七条赤松氏の居城です。
上月城自体は間違いなく赤松一族の上月氏が築城した城で、最初期は確かに居城だったのですが、戦国時代に入る頃ぐらいから、上月氏は加西郡や加東郡の東播磨へ勢力を移したようです。
しかも、赤松家中に上月姓の武将は散見されるものの、官兵衛の頃にはすでに嫡流の事跡は曖昧。
戦国の争乱の中で没落したのかもしれません。
天文7年(1538)から翌年にかけて、尼子晴久の大軍が播磨に侵攻し、虫食い状態の赤松家にとどめを刺すようにバラバラに解体してるんで、その時に没落したのかも。
そうなると、官兵衛の義姉が嫁いだ上月景貞って?となりますが、まぁ上月庶流の内のひとりとしか言いようがないですかねぇ
一方、官兵衛の嫁さんの実家である櫛橋家というのは、そこそこの物頭なんで、上月城の攻防以外で事跡がよく判らない=史料に残るほどの勢力を持っていなかった、という景貞では、家格的に釣り合いが取れていない気はしますな。
ま、釣り合いが取れるよう描くこともできるって所が、ドラマというフィクションの良い所ではあるんですけど(^^)
ドラマでは、景貞が宇喜多直家に扇動された高島という家臣に討たれてしまい、落城するという筋書きになっています。
これ、赤松政範と混ざってるよな(笑)
政範は、赤松庶家ながら、毛利・宇喜多側に加担し、宇喜多氏の援軍を城に入れて戦っています。
しかし、最後の頼みであった奇襲が失敗に終わると、政範以下、家臣の高島正澄、援将宇喜多広維などが共に城で自刃。
そして、城に入った織田軍は、城内の人間を悉く殺し、首を晒したといわれています。
この時の逸話で、政範が家臣に裏切られて、というのもあります。
家臣の高島、裏切り、皆殺し。
政範のしばらく後の城主である上月景貞には無い話ですな(^^;)
というか、景貞自身、情報が少なすぎるわ!
ここまで混ぜるなら、政範に嫁いだことにしても良かったんちゃう?
また、ドギツいキャラクターの直家がドラマでは暗躍していますが、宇喜多軍を率いる広維が落城まで城に居たということは、当然ながら宇喜多軍も城にいたという事の証拠でもあります。
しかも、広維は直家の弟とされる武将。
こう見ると、直家は割と、というかなり誠実に支援しているようにも見えますな。
とは言え、広維は系図類に見えない人物で、血族という信憑性はイマイチ。
且つ、直家の弟の忠家が、直家に拝謁する際には万一を考えて鎖帷子を着込んでいた、という逸話から考えると、弟とは言え、サクッと見捨てた、なんてことも有り得る!
なんか、イメージでアレコレ悪さをでっち上げられる直家が、可哀相になってきた(笑)
余談ながら、陣内の直家はちょっと闊達過ぎるかなぁ
個人的には、陣内孝則はド派手で強気なバサラ大名佐々木道誉がハマリ役だった気がする。
直家は、三梟雄のひとりではあるけど、その中でも飛び抜けて暗殺の実績が多いし、やっぱり必然的にもっと陰鬱なイメージよなぁ
参考:
上月城
地図付きはこちら
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