2013年12月30日月曜日

相模・伊豆ツーリング(箱根春編) その4

前回までのあらすじ

三浦半島まで到達!ひとこと言いたい政治ニュースが多くて日記が進まん!


ツーリング2日目。
この日の午前中は鎌倉観光です。
ツーリングながら、鎌倉はバイクで行くにはハードルが高い。
渋滞、一方通行、通行禁止、駐車禁止・・・
地元民じゃない自分には抜け道もよく分からないし、ほんまハードル高いっすわ。
決定的に心が折れたのは、銭洗い弁天への道が土日通行禁止になるのを知ったこと。
結局、銭洗い弁天は徒歩では遠くて、時間の都合もあって諦めたんですけど、通行禁止や駐車禁止で、バイクを適当に置いて観光するのが不可能な街というのを思い知らされました。
まぁでも江ノ電に乗れたのは良かった(^^)
江ノ電に乗れる鎌倉まで1駅、ということで初日の宿は大船。
平塚とかに比べればちょいと高かったけど(^^;)
泊まった相鉄フレッサイン大船鎌倉は、玄関前にバイクを置かせてもらえるので、バイク乗りにとってはありがたい。
繁華街が近いので、酔っ払いだけが心配ですけどね。

朝、バイクをホテルに置かせてもらい、大船駅から鎌倉へ。
そして江ノ電に乗り換えです。



しかし、この江ノ電、平日より休日のほうが混んでるじゃないかというぐらいの混み方です。
これにはびっくり。
いつも通勤は空いてる電車を選んで乗ってるけど、その普段の通勤電車よりも混んでるって・・・
東京近郊の観光地はやっぱ人が多いわ(> <)
江ノ電に乗って向かう先は、鎌倉の大仏さん。
一応、高徳院とか、清浄泉寺っていう寺院の名称はあるんやけど、道路の青看板にも「鎌倉大仏」とダイレクトに書いてあります。
判りやすくていいんですけど、もっと寺院名を表に出したほうが奥ゆかしさがあって情緒があるように思うのは、個人の勝手な思い込みですかね・・・
大仏さんの中にも入れるんですけど、
大仏の内臓側なんか見たら信心もクソもあらへんな(笑)
と思ったのは秘密です。
構造物としての大仏に興味があるのならいいですけど、一応、仏像というのは拝む対象なんですけどねぇ
なんだかマジックのネタばらし感がしますな。
大きすぎて拝む対象としては曖昧すぎるのかもしれませんがね(^^;)

鎌倉の大仏さんを後にして再び江ノ電に乗り、鎌倉駅に戻って今度は鶴岡八幡宮へ向かいます。
しかし、参道は人また人。
自分のペースですら歩けない。
もうゴールデンウィークは終わったんだぜ?
恐るべし、鎌倉。
八幡宮では丁度結婚式をやってました。



こんな大きな神社で結婚式なんてめっちゃ記念になるやろな~
でもなんぼぐらい掛かるんやろ?とすぐ銭計算する俺みたいな関西人は下世話ですな(^^;)

この八幡宮には、鎌倉幕府3代将軍源実朝が暗殺された時、襲撃した公暁が隠れていたという大銀杏がありました。
数年前の嵐で倒れてしまったんですが、その大銀杏の根株から新芽が出ていました。
木の生命力は凄い!
こんな古い株からでも生命力を感じられるというのは、ちょっとした感動ものです。


鎌倉から大船に戻ったのは昼過ぎ。
ホテルにお礼を言ってバイク旅の再開です。
大船に宿を取ったのには、鎌倉に近いというほかに、もうひとつ理由が。
それは、玉縄城!
北条氏の東相模の重要拠点です。
この玉縄城は大船駅のすぐ西なのです。
しかし、バイクで行くとなると、大きく北に迂回して鉄路を跨ぎ、狭い住宅地の道を辿っていかねばなりません。
絶対迷うんやろな・・・と覚悟しながら進んでいくと、ほぼ最短距離で到着(^^)
しかし、バイクですら迷惑を掛けない止め方が難しくてしばらく右往左往(笑)
車じゃぜったい止められへんわ。
ただ、玉縄城自体は、遺構がほとんど無いのが残念なところ。
唯一と言っていい諏訪壇という場所は、学校の敷地内なので、申請しないと見学できません。
そして、どこでも大抵そうですが、平日限定という制限付き。
でも、周辺の急な坂道や城址碑で、城跡に来た感は味わえたから満足(^^)
帰ってからの話ですが、実は知り合いが玉縄中学出身だったのにはびっくりした(笑)


玉縄城の次は、緩慢な県道や国道の流れの中、王城山城へ向かいます。
この城は事跡不明なんですが、地図にプロットしてあるのなら、行きましょう!という感じ(笑)
某社長か!(笑)
地図には天王山城とあります。
事前に下調べしていたので、曲がる所を1度通り過ぎてしまった以外は迷う事無く(?)無事に到着したんですが、城の遺構としては2段の削平地があるだけで、シンプルなもんです。
恒常的な城郭施設というよりは、見張台や烽火台という感じですな。


次に向かったのは大磯城山公園の小磯城。
大磯なんか小磯なんかはっきりせぇや
的な城です。
多分、昔は徳島の大歩危小歩危みたいに並立した地名やったんやろねぇ
今では大磯の名前が大きくなったんで小磯は取り込まれてしまってるけど。
ここは、三浦半島へ向かう行き道に発見し、
城山公園だと!?
とカッコ良さ気に反応した場所。
実際にカッコ良かったかどうかは知らんけども(笑)
予定には無かったけど、そう何度も来ることができないので、悔いを残さないよう突撃!
ただ、ここも城跡だったかには諸説あるようです。
また、遺構も、明治時代に三井の別邸が建てられていたことから、その頃の写真なんかが案内されており、城跡云々というのは無いです・・・
でも、帯郭のような不自然な中腹の細長い削平地なんかがあったりして、別荘工事や公園化工事でこんな不自然な使い辛い場所は造らんやろな~という地形が所々見られるので、個人的な感想としては城跡だと感じました。
発掘調査とかしてくれへんかなぁ(^^;)

上の3つの城の写真は前の記事からどうぞ。


つづく


参考:
高徳院清浄泉寺
鶴岡八幡宮
玉縄城
王城山城
小磯城

上記地図付きはこちら

2013年12月28日土曜日

ここ数日の報道で

ここ数日、辺野古の埋め立てが承認されたり、首相の靖国参拝があったり、大きいニュースが相次いでいます。
まぁ、人によって賛成反対は当然あるでしょうが、報道で気になった点が2つほど。

まずは神戸新聞。
神戸新聞は首相の靖国参拝には否定的で、ものの見事に反対意見が紙面を占めてるわけですが、後ろの方に憲法学の学者さんの意見が載っている記事がありました。
当然ながら、憲法に関することや憲法学的見地に立った意見が読めると思ったんですが・・・
普通にその学者さんの政治意見とその分析が載ってました。

ん?

え?

いやいやいやいや。
有識者の意見ってその専門分野だから貴重なんであって、全くの門外漢ではないにしても、専門外の事を言われても困る。
政治的な見解や分析なら、政治ジャーナリストや国際政治学者の方が確実に詳しいし、そっちに聞くって(^^;)
国内に、教授から助教授や助手、果ては講師や臨時講師まで、有識者と名乗れる人が万人単位でいるのに、専門外の事を聞いてどうすんねん。
ネットやってりゃ素人でも一次ソースをいくらでも収拾できてそこそこの意見を吐ける時代に、専門外の人の私見なんていらんのですわ。
参拝が、憲法や法律のどの部分に論拠が在り、どの部分に抵触するか、なんて意見が欲しいんです。
こんな記事、全く参考にならない。
ただでさえ、地方紙は全国記事は共同通信なんかの通信社のコピペばっかりって言われてるのに、こんなんじゃ益々信頼性を失ってしまうよ。
知り合いに神戸新聞がらみの人もいますけど、大丈夫か?神戸新聞。


次はTBS。
辺野古の埋め立て承認に対し、金平さんが知事に質問する場面。
金平さんは、報道特集のキャスターの人ですな。
この質問が文字に起こされてますが、これが酷い。
「仲井真さんは・・・常識的な日本語能力をお持ちの方と思うのでお聞きするが・・・」
とか、
県の開いた記者会見なのに、
「申請のあった場所は県内か、県外か?」
とか、
何この法廷的質問。
誰もが分かりきってる事に対して、言質をとってどうする。
小馬鹿にしたような持って回った嫌味ったらしい質問の仕方で、限られた時間での質疑応答なのに時間の無駄やし、かなり失礼ですわ。
地方行政のトップたる首長にする質問の仕方じゃない。
そら仲井真さんも怒りますわ。
政治ジャーナリストなら単刀直入に、公約と承認との整合性はどうするのか?って聞けばいいのに。
これが政治記者として実績のある人っていうんだから驚く。


なんかねぇ、いろいろと大丈夫?
もっとマスメディア頑張れよ!
だから世界で、日本のメディアはレベルが低いって言われるねん。
ネット上のたくさんの素人に突っ込まれてるんやで?
ほんま頼むわ・・・

2013年12月24日火曜日

相模・伊豆ツーリング(箱根春編) その3

前回までのあらすじ

箱根北回りで相模突入!河村城ってばいい感じ!


河村城を出て次に向かうのは湘南海岸。
この日は、三浦半島まで行くのが目標です。
山北からは、酒匂川沿いに下りていけば海沿いに出ますが、地図を見ると小田原方面まで下がってしまう。
ここは真っ直ぐ東に走って、湘南海岸まで最短距離で行きたい。
というわけで、大井松田I.C.から東名高速に入って秦野中井I.C.まで走り、そこから海へ真っ直ぐ南下という道を選んだわけですが、これでもちょっと遠回りですな。
西相って海岸に対して直角な道が多いので、西北から東南方向への道が乏しいのが難しい。

中井P.A.で連チャンとなるうどんを掻き込み、二宮から国道1号線へ。
道中、徳富蘇峰記念の案内を見掛け、徳富蘇峰はこの辺りと関わりがあるかと思いながら、家政婦は見た的な一旦停止取締営業中の警官を華麗にスルーし、大磯から国道134号線を辿って湘南海岸に出る。
しかし、この国道134号線というのは、聞きしに勝る渋滞道路ですな(^^;)
混む混むとは聞いてたけど、金曜の昼からこんなに混んでるとは・・・
4車線化工事の最中だったけど、4車線化が終わってる場所以外の部分は昔の対向2車線の国道そのままで、右折車左折車があると、それだけで流れに影響が出てしまう道。
神戸で言えば、西舞子辺りから塩屋あたりまでの国道2号線に雰囲気が似てます。
交通量そのままに、道を2.5じゃない本当の2車線の幅にすればそっくりになるかな?
ある程度余裕を見てたものの、ここで予想以上に時間が掛かってしまった。
バイクがガンガンすり抜けていくけど、こちらはパニア装備でこの細い隙間をすり抜ける気にはなれないし(> <)
七里ヶ浜の所なんかは、江ノ電が横に見え、更に学校帰りの高校生がワンサカいて、ドラマみたいな感じで良かったんですけど、バイクなのに、徒歩の高校生にどんどん抜かされて行く始末。
しかも、見通しが利くだけに、車列がずっとずっと先まで連なって見えてしまうのはちょっと精神的に辛かった・・・

流れが遅い中、江ノ島、稲村ヶ崎と、お目当ての場所を巡っていきます。
江ノ島と稲村ヶ崎は、以前に個別で載せたので、合作をば(笑)
稲村ヶ崎からの江ノ島の眺めですけど、よく見たら斜めに傾いてるな・・・
さすが素人仕事(笑)
稲村ヶ崎の斜めに見える稜線に釣られたか!



とは言え、江ノ島は、観光客がワンサカいる中に入りたくなかったので、軽く寄っただけですけどね。
稲村ヶ崎の辺りも渋滞してて、止める所に苦労した(^^;)
しかも、まだ三浦半島もあるのに、この夕景になりかけの時間というのはまずい。

鎌倉への滑川の交差点を過ぎれば、国道134号線も流れはマシになります。
しかし。
しかし、駄菓子菓子。
金曜だからかも知れないけど、サンデードライバーな感じの横浜ナンバーの車がまぁゆっくりと前を走るんですな。
ようやく流れる、と思ったらこんな状態(^^;)
ヨットハーバーとか週末の別荘に行きはるんかなぁ
こればっかりは運が悪いと諦めるしかないけど、日没が迫ってきて、気ばかりがあせる・・・

三浦半島を南下して、寄ったのは新井城と三浦道寸の墓。
新井城址碑と道寸の墓は前に載せてあるので、城の遺構を。



東大の地殻変動観測所の敷地に明確に残っている空堀。
調べてみると、期間を決めて見学会のようなものがあるらしい。
普段は立入禁止です。

油壺からは、もう少し半島の先に行き、ジェットコースターみたいで楽しい城ヶ島大橋を渡って城ヶ島へ。
城ヶ島灯台と安房崎灯台を見学です。
続いて三浦半島に戻り、剱崎。
この灯台の近くまで行ってしまうと駐車するところが無いし、道も狭い。
何となくふら~っと灯台の近くまで行ってしまったけど、車で来たらやばかった(^^;)
剱崎の次は観音崎。
浦賀城や衣笠城にも行きたかったけど、浦賀手前で完全に陽が沈んだので断念。
なんとか観音崎だけはと、観音崎に行ってみたら、なんとか肉眼では灯台を見ることが出来ました(^^)
案内板は光を当てないと読めなかったけどねっ!
写真は案の定、ほぼ黒一色・・・
これら灯台の写真はこちらで。


先っぽにきたら必ず灯台。
灯台マニアではないけど、灯台に行くと行った感が出る(^^)
この日は、城巡りよりも灯台巡りを優先した感じ。
浦賀と言えばペリーだけに、またそぞろ歩きに来たいですな。
その時には、三浦氏所縁の衣笠城や、水軍監視城だった浦賀城へも行きたいっすね(^^)


参考:
江ノ島
稲村ヶ崎
三浦道寸墓
新井城
城ヶ島大橋
城ヶ島
安房崎
剱崎
観音崎

上記地図付きはこちら

2013年12月20日金曜日

「反論指南書」って

数日前の毎日新聞に、自民党が特定秘密保護法案の「反論指南書」を作成していたという記事が載っていました。

ん?
反論指南書?
これって解り易く言えばQ&Aじゃないん?
新聞テレビといったマスメディアの報道に対する回答なのに、取り上げ方が恣意的過ぎるな~
答えなかったら答えないで、沈黙してるって叩くくせに(笑)
こんなん作ってる!ってヒステリックな反応じゃなくて、その回答に対して理論的に更に反論するというのなら解るんやけどね・・・
それにこの記事、有識者の意見として指南書に反対する人の意見しか載せていない。
社説ならともかく、時事ニュースの報道というのは公正中立が建前なのにね。

そろそろ新聞やテレビは、この公正中立という変な建前を捨てるべきだと思うんですがね。
つまり、言論機関になったらいい。
マスメディアが支持を明確にして悪いことは無い。
アメリカの3大ネットワークも支持を明確にするし、その立場で報道する。
それでいいと思うんですがね。
変に建前だけ公正中立で、中身は偏りまくってるなんて、そんな欺瞞はもういいと思うんです。
特定秘密保護法に関する報道を見ていて、特に思いますな。


この特定秘密保護法、人によって支持不支持はあると思います。
しかし、マスメディアがよく使う「世界各国では」という言葉で考えてみると、あって当然の法律です。
少なくとも、映像隠しをやって沖縄の一検事が船長の処遇を政治判断する、という訳の分からん処理をした民主党は、反対する権利なんて無いはずですわな。
どこの国にだって公に出来ない情報はあるし、それを持ち出そうとすれば罰せられます。
アメリカがアサンジ氏を血眼で追い回したように。
日本にも公務員法はありますが、情報管理が省ごとになりがちですし、その基準も曖昧。
なんで総合的な運用ができるように、というのもこの保護法の趣旨のひとつでもあります。

CIAが一時期、産業スパイのようなことをしていたり、中国に対する秘密漏洩事件てのはググれば何件も起きてるのが分かるように、国と国との情報戦は、それはもうエグいものですわ。
それなのに、ソ連のベレンコ中尉亡命事件のように戦闘機が来てるのに自衛隊ではなく何故か警察が対応したような、宇出津事件や西新井事件で北朝鮮工作員を処罰できていない顛末といったような、平和ボケの対応、チグハグな対応と、同じにおいが報道からは漂ってきます。
言葉ではうまく説明できませんが、頭で考えた理想世界と、現実との乖離についていけてない、そんな気持ち悪い感じ。
少なくとも、上のような事件の場合でも、危機管理において統一的な対応の根拠となる法律、というのは法治国家においては非常に大事ですわな。


新聞の話に戻りますが、各新聞、こういう場合に罰せられる、と挙げた事例がこれまた酷い。
特定秘密保護云々の前に、ほとんどただの守秘義務違反ですやん、というのばっかり。
今や民間でもISOや企業統制、個人情報保護なんかで情報管理は徹底されてきてます。
そんな風潮の中で働いてる社会人からすると、もうレベルが低すぎて呆れますわ・・・
ええなぁ~
こんな記事書いてても、平均年収の遥か上の給料を貰えるんやから羨ましい(> <)
 

2013年12月18日水曜日

相模・伊豆ツーリング(箱根春編) その2

前回のあらすじ。

プロローグで450km走ったった!御殿場に着いたった!


御殿場I.C.を降り、何かご飯を掻き込める所はないかなと見ながら、向かう先は深沢城。
ここは武田信玄と北条家臣北条綱成の攻防が有名な城で、東駿の要衝です。
箱根の北側から平野部へ出たところにあり、ここを押さえておけば西の駿河、甲斐、反対方向の東の相模にも睨みの利く城。
信玄自らが攻略し、北条氏康も家中随一の猛将であった綱成を据えたという事実からしても、城の重要性というのが解ります。

現在の深沢城は開墾されて田園となっていますが、現地を訪れると城の痕跡がいたるところにあり、散策が楽しい城ですな。
縄張はこんな感じ。
見やすいようにちょっとコントラストを上げてみました。



三日月堀なんかも見所ですけど、個人的には特に川が迫ってる本丸の辺りが前線の城らしくて良かったな~
これは本丸袖郭のところで、この奥側、ちょっと石垣のようになってる所が川です。
この川が本丸の縁ををぐりんと廻って流れてて、この袖郭の下でヘアピン状になってます。
なかなか高低の妙がある場所ですな。



それから、写真は無いんですけど、三ノ丸の東南側に農家がありまして、ここも良かったな~
この農家のエントランス部分がまるまま土橋と空堀!
空堀は深沢城のものをそのまま使い、土橋は後付けか往時のものを太くしたのかは不明ですが、形は城門の構造そのままです。
見る人が見たら、これは家じゃなくて居館だ!と言いそうなぐらいで、羨ましかった(^^)


深沢城の後は山北の河村城へ向かうんですが、すでに深沢城の辺りで飯屋なんて皆無・・・
どこかドライブインみたいなところでも無いかなと思いながら走ってみましたが、国道246号線は山道なのに意外と流れが良くて止まるのもなんだかもったいない。
まぁ、コンビニはあっても適当な飯屋なんてのは無かったんですがね。
そうこうしているうちに河村城へ到着。
この河村城の駐車場には、自分の他にiQという小さい車が止まってました。
駐車場があるとは限らない、狭路があるかもしれない、迷ってUターンなんてのもしばしば、というお城巡りにはこんな車が最適かもしれへんな~と思いいつつ、空腹のまま2城目に突撃です。

この河村城、城郭構造物のデパートみたいな山中城や、絶景の足柄城に比べればマイナーですが、箱根近辺の城らしく構造物が豊富で、それがまたよく残り、整備もされています。
畝堀や大堀切、広々とした削平地など、城としてはかなり面白かった。
下はアップダウンのある畝堀。
畝っぷりが分かります?



蔵郭と近藤郭の間の堀切はかなり巨大。
高さ10mぐらいある感じ。
底部には畝の痕跡がちゃんとあって、ちょっと芝生が剥げてるけど、そこを含めて整備されています。



まだ、城全体としては整備途中の工事中の部分がありますが、それが終わったら訪れ易くてかなり見所のある城になりそうですな。


つづく


参考:
深沢城
河村城

上記地図付きはこちらから
静岡県
神奈川県

2013年12月14日土曜日

相模・伊豆ツーリング(箱根春編) その1

バイクや雑感の防備録的な目的で始めたこのブログ。
なんだかんだと旅行記なんかが増えてきました。
当初の目的とは違う方向に進んできた感じはありますが、まぁいいか、ということで、ツーリングの日記もここに記そうかと思う所存であります。
古い日記はMottyの旅日記にありますけど、日記部分だけ移籍ということで。

前説はさて置き、この春、相模と伊豆に行ってきました!って以前写真だけアップしてたやつなので改めて宣言するのもなんですがね。
また、年末に書いてるのがなんか微妙。
この寒い頃に、ぼちぼち暑くなってきたきたかなって頃の事を思い出しながら書いてるのがねぇ(笑)


出発は5/17の金曜日。
高速の早朝割引を使うべく朝6時までに名神高速西宮JCT通過を目標として、5時30分の少し前に出発。
これは去年秋の山梨行きでも使った作戦。
早起きに慣れてきてるのは年寄りになった証拠か(笑)
慣らしがまだ終わりきっていないので、回転数を気にしながらの行軍です。
納車後すぐはわざわざ市街地を走って、下のギアからちゃん慣らしてきたから、それほど神経質にならんでいいと思うけど、まぁ念の為。
なんとか滑り込みで名神高速に入り、大阪のラッシュを前に吹田S.A.で1回目の休憩です。

吹田S.A.からは、交通量がぐっと増えてきた茨城高槻を通過し、天王山トンネルをくぐって京滋バイパスへ。
さすがの京滋バイパスも、この時間は交通量が多い。
草津で一旦名神に戻って新名神に入り、一路四日市へ。
新名神はバイクで初めて走るけど、なかなか視界が広くて良い道ですな。
ただ、標高が高いのか妙に風が冷たい。
帰りに陽が暮れてたら、結構頑張らないとアカンかも・・・

しばらく走り、新名神土山S.A.で休憩。
うどんと白飯を食す。
大阪京都を越え、名古屋圏を控えて休憩ってのは山梨行きと同じやな(笑)
多分名古屋圏を越えたら、同じようにまた休憩するんやろうね。
場合によっては仮眠、と(^^;)

新名神からは四日市で東名阪に入り伊勢湾岸道を通って東名へ。
幸いにも名古屋圏で渋滞には引っ掛からず。
赤塚P.A.で予想通りの休憩(笑)
少し眠くなったのでベンチで横になったけど、仮眠は出来ず。
ここは散歩道があるから意外と人通りが多いので落ち着かない(^^;)

赤塚P.A.からしばらく走って、いよいよ新東名へ。
今回は、新名神、新東名の新しい高速を走ってみるのも目的のひとつです。
いや~道が広いっすね~
噂の猪瀬ポールもしっかり確認(笑)
しかし、視界が広くて車幅も広くて、体感速度が恐ろしく遅くなりますな。
トンネルもLED照明でトンネルらしくなく、なんだか山奥の落石避けの川側が開いている半トンネルみたいで、おかしな感じです。
そして静岡S.A.で休憩&しばし仮眠。
勢いでここでしか売ってないとポップが出てたタミヤTシャツを購入(^^)
後日、このネタを話すと、他でも見たという目撃談が複数出て、ダマサレタ~となったわけですが・・・
それはさて置き、静岡広し!
なんか名前、そう、藤岡弘みたい(笑)
新潟や岩手も広いと思ったけど、それに匹敵しますな。

静岡S.A.を出ると、いよいよ富士山が眼前に!
テンションMAX!
いや~やっぱり日本人は富士山見るとテンション上がりますな~
富士山よ!私は帰ってきた!
とか、
フッ!ジッ!サ~ン!フッ!ジッ!サ~ン!高いぞ高いぞフッ!ジッ!サ~ン!
とか、メットの中で言いたい放題です。
元ネタが分かる人がいるのか?というのはさて置き、裾野市辺りの景色は抜群ですな。
この景色はここでしか見られない!
走行中は写真が撮れないのが非常に残念です(> <)
そうこうしている内に御殿場に到着。
いよいよ今回のツーリングの本格的な始まりです!
プロローグ長っ!


つづく



2013年12月6日金曜日

新車祝いプチツー

前出の友人が、ついにシグナスを購入。
ということで、新車祝いに軽くツーリングへ。

ルートは、
自宅 → 衝原湖 → 淡河で豊助饅頭 → 帰宅
という2時間程度のコース。

出だしは順調。
後ろを気にしながら走ってみるが、多少の峠道でも大丈夫な様子。
事前に、事故の原因になるから置いていかれても自分のペースは絶対守りよ、とは言っておいたので、無理もしてないと思われる。

衝原湖で一旦休憩。
コーヒーで祝いの乾杯。
そして小便という冬のライダー黄金コース(笑)
ちみなに衝原湖はほぼ満水の様子。
渇水時に、湖底に沈んだかつての集落辺りを散歩したのが懐かしい。

衝原湖から、国道428号線で峠を越えて淡河へ。
ハーレー集団の後ろになったが、ハーレーってどれもこれも爆音よなぁ
お陰で自分のバイクのエンジン音が聞こえない。
姫路から来た集団だったみたいやけど、珍しく女の人が3人もいて、ちゃんと千鳥の隊列もできてたし、統制が取れてたね。
ベテランの人がリーダーなんやろな。

こそっと成りすましてた大集団ツーリング態勢から離脱し、道の駅淡河でトイレ休憩(笑)したが、この道の駅も知らん間にえらい繁盛してるなぁ
昔来た時は駐車場もスカスカやったのに、この日は満車。
色々と工夫してるようで。

豊助饅頭を購入して帰る途中、ツレが見たい場所があるとのことで、急遽ルートを変更してツレの先導に。
しかし、信号置いてけぼり、急に右折なんざ当たり前。
更に原付感覚で急にUターンするんやもん。
びっくりやわ(^^;)
思わず三村的に、
「ここでかよ!」
ってメットの中で言ってもたわ(笑)

ツレの先導で迷いながら紆余曲折を経て、明石海峡大橋と淡路島が見える場所を走り、ようやく地元へ。
そして、解散前に少し説教(笑)
しかし、マスツーなんて何年振りや?
気を使いながらも楽しかった(^^)

2013年12月2日月曜日

バーモンドファミリーウォーク2013

23日の勤労感謝の日に、バーモンドファミリーウォークというイベントに参加して、姫路の街を練り歩いてきました。

学生時代によく来た姫路。
改めて歩いて見て回るのもまた良し。

集合場所兼スタートは、しろとぴあ記念公園。
お城の裏側の公園です。



姫路城はまだ補修工事が終わってないけど、北側から見ることもあまり無いので新鮮ですな。
見上げると、城壁と多聞櫓がより重層的な景観を作り出していて威容があります。
この石垣を登って力攻めしろと言われたら嫌すぎるな(笑)
石垣も城壁も多聞もまるで壁のよう。



城の北西の清水門を出て、千姫の小径という、船場川と堀の間の道を歩いて城外へ。
姫路バイパスから書写山へと向かうときに通る名古山トンネルのある、名古山の手前で南に折れます。
そして、本徳寺の巨大なお堂を見つつ大通り横の路地を辿って南へ南へと進み、途中から県道62号線の大きな道を南下していきます。
この道沿いには、左手に今時の郊外モールであるイオンタウンがあるかと思えば、右手には姫路モノレールの軌道跡が朽ちつつも立っていて、新旧混在の面白さがありますな。
ここまでくれば前半戦もほぼ終わり、しばらく歩くと手柄山公園に到着です。



上は昼食を摂った庭園。
このすぐ横に、例の軌道を走ってたモノレールの車両が展示されてます。
懐かしき昭和のかほり。
いや、リアルタイムで見てたわけじゃないんやけどね(笑)

午後は手柄山から外堀川に出てひたすら北上。



元外堀だけあってひたすら真っ直ぐな川です。
川には鯉も泳いでて、もうちょっと水藻とかを綺麗にすれば、かなり景色や情緒を楽しめる散歩道になりそう。
裏を返せば、藻が繁茂して澱んでるってことやけどね(^^;)
ただ、澱ませておくにはもったいない雰囲気がある。

更に北上していくと、JRのガードをくぐって再びお城へ。
JRが高架化されてから初めて駅の周辺を歩いたけど、駅の周辺は、もはや学生時代の頃の面影が無いなぁ
商店街の方はまだまだ懐かしい雰囲気が残ってる(^^)

そうこうしているうちに、お城までもうすぐの所にある総社門跡。



総社門は中郭の南側にあった門で、現在の国道2号線の場所にあった中堀に面した門でした。
現在の町名などから見ると、中郭までが武家屋敷で、この総社門と中堀の外、つまり外郭が町人町のようです。
上級家臣の屋敷は、城によっては防衛拠点として設計されていることもあり、武家屋敷の範囲は、大きく見れば軍事拠点としての城の範囲です。
町人町は、商業都市としての城の中核部分なのは言わずもがな。
戦国末期に発達した惣構によって、日本の城も中国の城塞都市のように城と城下町全体を囲むようになりましたが、この総社門と中堀は、姫路城における実質的な城と城下町の境目なんですね。

ここからしばらく歩くとゴール!
帰りには、予想通りハウス食品の数々のお土産が。
これは、嬉しい(^^)
来週中にカレーが出てくるのは間違いないな(笑)