2018年10月23日火曜日

ぶらり佐用 その2

前回のあらすじ
 
台風22号と木枯らし1号の往復ビンタ!
そんなもん勝てませんわ・・・
 
利神城の現況を確認できたので、第1の目標は達成できました。
でも、ちょっと粟倉の方まで走ってみようかな~なんてうっすら思っていた昼からの予定は、キャンセル。
寒すぎるんじゃい!
ここから更に山側へ入るのなんか無理ですわ。
というわけで、方向を変えて西へ。
佐用I.C.からひと区間だけ中国道を走って山崎I.C.で降り、中国と並走している国道29号線を更に西へ走ります。
この山崎から少し西へ行った安富には、前から気になっていた富栖の里というのがありまして、日本で唯一の坑道ラドン浴ができるという温泉(?)なんですな。
寒いし、せっかくなんで行ってみようか、と思ってここまで戻ったんですが、よく考えると、ラドン浴なんですよね。
ラドン浴。
そう、湯に入らない。
暖まらねぇ!
ということで、行くのをやめました(^^;)
そこで、同じく前から何度も前を通っていて気にいなっていた林田陣屋へ目的地を変更。
国道29号線で林田地区まで南下して行きます。
さすがにこの辺りは幾分寒さがマシでした。
ほんの数度も差はないぐらいなんですが、佐用は寒かったですね。
国道29号線の林田交差点から西へ折れ、林田川を渡り、恐らく江戸時代に曲げられたであろう鈎状の道を過ぎると、林田中学校が右手に見えますが、その手前を北へ折れると、聖ヶ岡公園という小丘陵に突き当たります。
ここが林田陣屋跡。
戦国時代には、前身として窪山城という城があったようですね。
10m程度とは言え、川沿いの独立丘陵ですから、拠点としては最適の立地です。
バイクを止めて、丘陵を散策してみる・・・というほどの大きさでもないんですが、丘陵の遊歩道を歩いて行くと、石垣が健在でした。
 
 
近寄ってみると、野面積で結構古い時代の石垣であることが判ります。
 
 
隅部もありました。
 
 
隅部はきっちり整えられていて、江戸時代前期頃の石垣というのが判りますね。
ここから遊歩道を更に歩くと、頂上部は削平されていて、いかにも城跡の公園という感じでした。
公園中央に城址碑と説明板があります。
 
 
更に奥へと足を伸ばすと、梅林となっている一角にやや台地状の地形が。
ここは櫓跡でしょうね。
城のシンボルとしての櫓があったんでしょう。
 
 
最後に、当時の想像図。
 
 
この他に、丘陵東側には建部神社という、藩主建部氏を祀った神社があります。
この神社境内は、頂上部より1段低く、おそらく次段だったんでしょう。
ただ、この神社の周囲にも石垣がたくさんあるんですが、いつの時代の石垣かは判断できませんでした。
丘陵南面に残っている石垣は確実に往時の石垣かと思うんですが、それに比べて石材が小振りで、積み方も谷積系の新しい時代の積み方なんですよね。
神社創建の際に積まれたのかもしれませんが、なんとも言えない・・・
でも、南面の立派な石垣が確認できたので、満足ですな。
 
合計:207.4km
 
参考:
林田陣屋
地図付きはこちら
 

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