前回のあらすじ
高岡城は相も変わらず市民の憩いの場ですな。
高岡城を後にし、次に向かうは津幡城。
高岡城は相も変わらず市民の憩いの場ですな。
高岡城を後にし、次に向かうは津幡城。
今回のツーリングの最後の目的地ですが、ここも、遥かなる昔に訪れ、城跡が小学校だったので散策を諦めた城です。
魚津城、舟見城、松倉城、津幡城。
この辺りはいつか再訪したいと願っていた城ですから、今回は随分と満足度が高い旅になりましたね。
さて、その津幡への道程ですが、国道8号線を真っすぐ行き、石川県に入ればもう津幡。
うむ、簡単じゃ。
早速、高岡城から市電沿いの道を北東へ走り、バイパス化されている国道8号線へ。
後は快適な道をひたすら直進です。
木曽義仲で有名な倶利伽羅峠の下を通る倶利伽羅トンネルを抜ければ、もう石川県ですね。
この倶利伽羅峠周辺は、源平の頃も、承久の変の頃も、南北朝時代も、戦国時代も、よく戦場になった場所で、城跡がいっぱいあります。
いつか、峠を中心にじっくりと時間を掛けて巡ってみたいものですな。
そうこうしている内に、長い長い下り坂を過ぎて津幡市街に差し掛かりました。
地図を見ると、津幡城のある津幡小学校の場所まで行くには、線路沿いの道が近く、船橋JCTでバイパスを降りてその道へ行こうとしたその時、津幡市街へ行くはずの方向に通行止めの文字が。
ど、どないすんねん!
初めて通る道なので迂回路も分からないし、地図を見る時間もありませんでした。
取りあえず、通行止めでは進みようがないので、行ける方向に進んでみると、
バイパスへリターン。
何の為に下調べしたのか・・・
振り出しに戻っとるやないかい。
とは言っても慌てている暇も無く、早速現れた降り口で降りて、現在地を確認しました。
どこまで連れて行かれるのかと一瞬焦りましたが、幸い、バイパスには降り口が多く、本津幡駅を目指して進み、予定通り線路沿いの道へ。
津幡城と津幡小学校は、この本津幡駅のすぐ近くです。
15年以上前に津幡で泊まり、朝一で津幡城へ向かった時もこの道を使いました。
懐かしいな~なんてキョロキョロしながら走っていると、うっかり津幡城への入口を過ぎてしまったので、次の信号を右折して津幡小学校の向こうへ回り、狭い路地を経由して津幡城跡へ到着。
前に来た時は、津幡小学校の一角になっていたと思うんですが、今は城跡が分離され、歴史館が新たに建てられていました。
しかも建てられたのは最近のようで、ピカピカの歴史館ですな。
その歴史館は後に取っておくとして、まずは城跡を散策して行きます。
城跡として残っているのは、台地の南東の一角で、後は学校の敷地として遺構は残っていません。
さみしいですが、この櫓台跡らしき部分だけです。
写真左側に説明板も見えますな。
下は櫓台の最後部付近。
最高部はこの先で、標高は16mとのこと。
その最高部から、津幡市街の風景。
写真で解るように、旧市街に対してむっくり盛り上がった小丘陵で、見通しが利きます。
防衛的には、北側の山塊の標高が高いので、上から丸見えになるんですが、能登、加賀、越中の街道筋の監視としては打って付けですね。
津幡城跡には、城跡だけではなく、他の史跡もありました。
地図を見ると、津幡城のある津幡小学校の場所まで行くには、線路沿いの道が近く、船橋JCTでバイパスを降りてその道へ行こうとしたその時、津幡市街へ行くはずの方向に通行止めの文字が。
ど、どないすんねん!
初めて通る道なので迂回路も分からないし、地図を見る時間もありませんでした。
取りあえず、通行止めでは進みようがないので、行ける方向に進んでみると、
バイパスへリターン。
何の為に下調べしたのか・・・
振り出しに戻っとるやないかい。
とは言っても慌てている暇も無く、早速現れた降り口で降りて、現在地を確認しました。
どこまで連れて行かれるのかと一瞬焦りましたが、幸い、バイパスには降り口が多く、本津幡駅を目指して進み、予定通り線路沿いの道へ。
津幡城と津幡小学校は、この本津幡駅のすぐ近くです。
15年以上前に津幡で泊まり、朝一で津幡城へ向かった時もこの道を使いました。
懐かしいな~なんてキョロキョロしながら走っていると、うっかり津幡城への入口を過ぎてしまったので、次の信号を右折して津幡小学校の向こうへ回り、狭い路地を経由して津幡城跡へ到着。
前に来た時は、津幡小学校の一角になっていたと思うんですが、今は城跡が分離され、歴史館が新たに建てられていました。
しかも建てられたのは最近のようで、ピカピカの歴史館ですな。
その歴史館は後に取っておくとして、まずは城跡を散策して行きます。
城跡として残っているのは、台地の南東の一角で、後は学校の敷地として遺構は残っていません。
さみしいですが、この櫓台跡らしき部分だけです。
写真左側に説明板も見えますな。
下は櫓台の最後部付近。
最高部はこの先で、標高は16mとのこと。
その最高部から、津幡市街の風景。
写真で解るように、旧市街に対してむっくり盛り上がった小丘陵で、見通しが利きます。
防衛的には、北側の山塊の標高が高いので、上から丸見えになるんですが、能登、加賀、越中の街道筋の監視としては打って付けですね。
津幡城跡には、城跡だけではなく、他の史跡もありました。
為広塚です。
この塚は、上冷泉家の冷泉為広の墓で、為広は京の戦火を避けて能登畠山氏の義総を頼り、七尾城下に居住しました。
義総と言えば、能登畠山氏の全盛期を現出した武将で、教養も深い人物として知られています。
当時は、勢いのある地方の有力大名を頼る、為広のような公家が多かったんですね。
それらの公家たちが文化の伝播役を担い、能登畠山氏の七尾城を始め、大内氏の山口や朝倉氏の一乗谷などに文化が定着し、小京都と呼ばれました。
しかし、義総を頼った為広の墓が、何故加賀の津幡にあるのか?
その疑問に対する答えは、説明板には書かれていませんでした。
当時の加賀と言えば、百姓の持ちたる国。
義総は一向一揆と対立したりしましたから、街道沿いに津幡まで勢力圏に収めるということは考えられますが、そんな最前線に客人扱いの公家の屋敷を置くとは考えにくいですね。
冷泉家所縁の土地でもあったのでしょうか。
気になる所です。
さて、一通り散策したところで、真新しい歴史館へ。
正式名称は、津幡ふるさと歴史館、愛称は「れきしる」です。
歴史を知るで、れきしる。
なかなか面白いネーミングですね。
個人的には、非常に気に入りました(^^)
展示内容は、津幡に関する歴史を年代を追って説明するというもので、地元志向の歴史館らしいオーソドックスな展示ですが、新しいだけあって視覚を通して解り易く展示してあり、なかなか良かったですね。
あと、安田城跡資料館ほどではないですが、津幡や倶利伽羅峠近辺の城の展示が詳しくされていて、とても有り難かったです。
下は、津幡城の縄張図。
いや~満足ですわ(^^)
歴史館を出て、津幡小学校を眺めてみると、城の縄張が想像できますな。
これで全行程終了。
さあ、帰投しますか!
帰りは、先ほどの国道8号線バイパスから北陸道を経由してひたすら南下していきます。
徳光P.A.でお土産を買っていたら、レジのおばちゃんが、今日はやたらバイクの人が多いと言っていました。
昨日のSSTRで千里浜にゴールし、そのまま泊まって今日帰る人が多いんでしょうな。
P.A.を出る際も、出て行くバイクに向かって手を振っている2人乗りのライダーがいました。
がっつり手を挙げて挨拶して出ましたけど、
俺、SSTRと関係ないねん(笑)
イベント参加者の一体感にタダ乗りしました。
これぞ、正真正銘のフリーライダーや!
そんな話は置くとして、徳光P.A.出た後は、ノンストップで南下して行きます。
そして、敦賀からは、ようやく全通した舞鶴若狭道へ。
途中、超スロー地元作業車に捕まりましたが、後は名神高速と違ってスイスイですな。
帰りにお気に入りの大沢温泉にも寄り易いし、これから北陸方面へ行く時は、舞鶴若狭道を使う事にしよう。
1日目:125.0km
2日目:319.0km
3日目:180.8km
4日目:534.9km 合計:1159.7km
参考:
津幡城
津幡ふるさと歴史館
大沢温泉
地図付きはこちらから
石川県
兵庫県
0 件のコメント:
コメントを投稿