2024年11月21日木曜日

2024兵庫県知事選挙

斎藤兵庫県知事の失職に伴う知事選を行われました。
結果は、周知の通り、斎藤知事の再選。
再出馬した時は、再選するなんて予想はほとんど無かったですが、驚異的な追い上げで見事当選しました。
この再選に対する解析は、色んなメディアで行われていて、オールドメディアの敗北やSNSの影響力が上回ったなどと言われていますが、そういう側面はもちろんあるものの、主語がちょっと大きいような気がします。
リアル兵庫県人として、周囲で聞いた声をまとめると、多くの人は、そんなに熱狂的な斎藤支持でもなければ、様々な疑惑を盲信して忌避しているわけでもない、という感じですね。
斎藤さん、稲村さん、県議会、それぞれ三者三様で、いい所も悪い所もあります。
斎藤さんは、パワハラ気質だが、政策はそこそこ評価できる。
稲村さんは、議会運営を考えると安定感はあるが、政策や支援者が左に寄り過ぎてるので、ちょっとやりすぎ。
県議会は、第三者委員会の報告前に百条委員会を設置して非公開にした上、白黒はっきりする前に不信任を突きつけたので、やり方が強引過ぎ。
全体的にはそんな評でしょうか。
個人的には、百条委員会に証人として出る直前という、自分に有利なタイミングでの不可解な自殺や、補助金キックバックについての但陽信金理事長による明確な否定で、メディアが報じて来たタチの悪い知事というイメージに、疑問符が付きました。
火の無い所に煙は立たぬといいますから、ゼロでは無いんでしょうが、事実をもうちょっと深掘りする必要があるなと。
自分の周辺では、稲村さんに投票か斎藤さんに投票かという感じでしたが、疑惑に関しては、似たようなスタンスの人が多かったです。
つまり、色々な情報を仕入れ、悪いポイントも踏まえた上で、投票した人が多かったと。
そういう意味では、大人の選挙だったのかも知れません。
選挙はベストではなくベターを選ぶものとはよく言ったもので、今回はまさにどの候補が一番マシか、という観点であったと思います。
でもそれは、選挙の本質じゃないかと思うんですよね。
盲信もせず、ネガティブキャンペーンにも揺るがず、良いポイントも悪いポイントも整理して選ぶ。
大人の選択ですね。
 
それから、単純な選挙の勝敗に関して言えば、県下22市長による稲村氏支持表明が、ダメ押しとしては大きかったかも知れません。
しかも机をバンバン叩きながら。
パワハラをネタにした漫才ちゃうんやから笑
兵庫県民の半分以上が、
それ、パワハラやないかーーい!
と、心の中でツッコんだと思います。
しかし、何を思ってあんな表明をしたのか、理解に苦しみますね。
安定的な議会運営ができる方が望ましいとでも言っておけば、市の立場も理解されて間接的な支援になるのに。
過去の知事選では、そういう表明は無かったと思うんですが、だからこそ効きました。
20年に及ぶ井戸県政の既得権があるんやろなと、感じた人も多かったでしょうね。
 
いずれにせよ、知事選は終わりました。
これからが大事なので、引き続き情報を見て行きたいと思います。
 

2024年11月17日日曜日

サイトのリニューアル 香川のお城終了

サイトのリニューアルですが、香川県で訪問したお城の作成を終えました。
お城の数は全部で14城。
 
 
香川県は、兵庫県から見ると近いんですけど、遠い県でもあるんですよね。
古くから神戸~高松間や姫路~小豆島間で定期船があったりしましたし、神戸淡路鳴門道と高松道が繋がって以降、随分と行くのが楽になりましたが、不思議と距離の割に遠く感じるのはなぜでしょうか。
播磨灘をぐるっと迂回する遠回り感があるのかも。
とは言え、回数的には結構訪れていて、行ったお城の分布を見ると、割とまんべんなく県内を巡っているようです。
今年も虎丸城へ行きましたしね。
あとは西讃が手薄なので、あまり有名なお城は無いんですが、いつか巡りたいですな。
さて、次はお城以外のスポットです。
頑張って行きましょう。
 

2024年11月10日日曜日

2024年アメリカ大統領選挙

4年振りのアメリカ大統領選挙が終わりました。
結果としては、トランプ前大統領の圧勝でしたね。
激戦州を見れば、そこまでの差はついていなかった州も多いですが、僅差と見られた激戦州でちょっとずつ上回った結果、選挙人の数では300を超え、圧倒的な差となりました。
とは言え、民主党の鉄板牙城であるカリフォルニア州でも、細かい区画で見ると結構共和党が取っているんですよね。
それだけ、民主党がかつての支持者に見限られたということでしょう。
個人的な印象としては、2016年の選挙辺りまでは、両陣営の顔がしっかり見えていましたが、前回、今回と、トランプ前大統領を選ぶかどうかという選挙だったように思います。
前回も、政治家としてはすでにちょっと怪しかったバイデン大統領が候補だったの上、バイデン大統領の男性・白人・年配という属性に対し、女性・有色人種・若手という属性を補っただけのハリス副大統領という組み合わせで、アクの強いトランプ大統領に対し、ハト派安定の陣営のイメージ戦略でしたね。
それは、言い換えれば、独自の主張を表に出すというよりは、「トランプ大統領ではない候補」という消極的な選ばれ方になります。
それは今回も同じで、ハリス候補自身の能力への疑問符もありましたが、やはり「トランプ大統領ではない候補」でしかなかった。
そういう消極的な選択は長続きしませんしね。
そんなイメージです。
 
しかし、今回もメディアは大きく外しましたね。
一番酷かったのは、直前にもかかわらず、こんなニュースを出した英エコノミストでしょうか。
 
 
その分析ソースとなった、アメリカのアトラスインテルも同じですが。
いずにせよ、2016年の大外しから全く精度が変わっていません。
もう隠れトランプというような人は少ないでしょうし、メディアが偏りなくサンプリングするのが不可能になってきているのかもしれません。
そもそも論として、民主支持のリベラルなメディアが多いですから、トランプ支持者の協力は難しいでしょうしね。
どこをどうやっても偏るんでしょう。
 
さて、次期大統領は決まりましたし、議会も上下院ともに共和党が優勢となりそうです。
対中関税60%なんて話もすでに出てきていますが、強い権限を得たトランプ大統領がどのような政権運営をしていくのか、注目ですね。
 

2024年11月7日木曜日

サイトのリニューアル 徳島の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、徳島県で訪れた全スポットの作成を完了しました。
 
 
徳島県のスポットは、お城が17城、温泉が1ヶ所、観光地が1ヶ所、史跡が2ヶ所、自然が3ヶ所、資料館が2館、道路橋梁が4本+兵庫県と共通の大鳴門橋で、計30スポット。
自分の中では、思ったよりも少ない印象なんですが、これは日帰りで何度か訪れているからでしょうか。
日帰りだと、行った印象は強くなるんですが、日帰りだけにあちこち寄るほどの時間がないですしね。
でも、中央に剣山が鎮座している徳島県で、吉野川沿いも沿岸部も訪れることができていますから、行ける所は行ったという満足感はあります。
機会があれば、また徳島ラーメンを日帰りですすりに行きたい所ですな。
さて、リニューアルも四国に到達しました。
長宗我部元親のごとく四国制覇を狙い、反時計回りで香川県へ進むとしましょう。
 

2024年11月4日月曜日

東信群馬埼玉ツーリング その6

前回のあらすじ
 
武田信玄が重視した内山城を攻略!
前日に犯した失策は、少しだけカバーできました・・・
 
前日、平賀城から岩村田まで、細い道が多くて結構時間が掛かったので、時間短縮のため、千曲川を渡って中部横断道へ。
佐久北I.C.まで走れば、丸っと旧市街をパスできます。
そして、国道141号線から国道18号線へ辿り、碓氷峠へ。
碓氷峠へ差し掛かる手前の軽井沢の駅前は、さすがに避暑地としての雰囲気がありましたね。
自分は買い物やグルメを楽しむことも無いので、完全スルーですが、雰囲気だけは味わいました笑
軽井沢の駅前近くには、碓氷峠のバイパス、正確には入山峠への分岐があるんですが、そちらへ向かう車を横目に、旧道へと向かいます。
ちなみに、古代の東山道はバイパスのある入山峠経由だったようで、当時の碓氷峠は、その入山峠のことだったという説もありますね。
旧道に入ると、そこからはひたすらにヘアピンカーブが続く下り道となり、難所度合いが実感できます。
上と下という漢字が入った峠という名前がついていますが、碓氷峠は片勾配の道なんですよね。
なので、ひたすら下り。
ただ、観光客の車はバイパスへ流れてしまっているので、先行車どころかすれ違う車すらありません。
こんな楽しい道を独り占めできるとは!
途中、めがね橋が横に見え、観光客もちらほらいたんですが、車がいないという魅力に抗えず、立ち寄らないまま走り続けてしまいました。
峠道を抜け、下り道が最終盤の坂本宿跡に差し掛かる頃、何やら前から仮装した人たちが。
後で調べたところによると、この日は安政遠足(とおあし)の開催日だったようです。
安政遠足とは、安中藩が藩士の鍛錬のため、安中城から碓氷峠の熊野神社までの7里を競争させたもので、日本最古のマラソンと言われるそうな。
こんな急坂を競争させる安中藩は鬼か。
しかも30km弱のコースの最後に碓氷峠の坂を持ってくるなんて、
まさに鬼の所業!
当時は、移動はひたすら自分の足でしたから、現代人と基礎体力が違うとは言え、恐ろしい話ですね笑
 
今から坂をひたすら登ることになる人たちへ心の中で拍手をしながら、坂本宿を抜けて横川駅へ向かいます。
軽井沢から横川の区間は、明治期の鉄路開通以来、難所として知られ、かつては専用の機関車が補助で付くことで有名でしたが、北陸新幹線が開通すると、廃止されてしまいました。
残念ですけど、どうしてもボトルネックになるので、仕方がないことですが。
現在は、一部の線路を利用して、鉄道文化村という施設になっています。
まずは記念に鉄路を跨いで撮影。
 
 
この鉄路は、鉄道村へ車両が反応される際に使われるとのこと。
横川駅は、車止めで終着駅になっています。
 
 
横川駅の北側に出ると、鉄道村に止められている車両を見ることができました。
 
 
かつて使われていた線路が残っており、そこには碓氷峠専用の補助機関車として開発されたEF63の重連が。
 
 
そうこうしている内に、機関車と車掌車が進んできました。
体験運転ができるとのことで、何とも羨ましい限りですね。
 
 
ちなみに、峠の釜めしも食べてみたかったんですが、今は横川駅では売っていないそうで、国道沿いに店舗があるそうです。
 
横川駅から線路沿いに西へ進んで行くと、碓氷関所の跡がありました。
 
 
碓氷峠は、関東である上野と信濃の境目で、江戸幕府は、関東へ出入りする人や物を取り締まる場所として、非常に重要視していたようです。
実際の運営は、幕府と安中藩の共同だったようですが。
この日は、関所まつりが開かれていて、非常に賑わっていましたね。
出し物の時間とは合いませんでしたが、お祭り気分が味わえて、楽しかったです。
 
つづく
 
参考:
 

2024年10月29日火曜日

2024年衆議院議員選挙

衆議院議員選挙が終わりました。
結果はニュースの通り、自公与党の惨敗です。
自民党は、改選前に単独で過半数を超える256という議席を持っていましたが、石破さんは、自公で過半数という、かなり低い勝敗ラインを出しました。
しかし、結果は191議席。
自公を足しても215議席にしかならず、233という過半数を大きく下回りました。
さらには、不記載と関係ないはずの公明党の代表と副代表がもらい事故で落選し、閣僚も2人が落選と、踏んだり蹴ったりです。
 
敗因の分析は色々なサイトでされていますが、個人的には、やはり石破さんが人気があるという前提そのものが間違っていたように思いますね。
自分の周りでは、サンプル数があまりにも少ないとは言え、安倍さんや高市さんを推す声は聞いたことがあったんてすが、石破さんは皆無でした。
常々、次の総理は誰?というアンケートで、石破さんは首位とか2位だったにも関わらず、です。
そんなあやふやな声に乗っかった総裁選から、もうケチが付いていたのではないかと。
そして、そのあやふやなご祝儀相場を期待して解散し、ドツボにハマったように感じます。
初回の支持率調査でも、歴代総理には無い低さでしたからね。
あと、ざっと流れを見ると、自民党は、戦略的には最悪の中途半端さでしたね。
国民の感情が実際に許すかどうかは、取りあえず横に置きます。
取りあえず横に置いた上で、謝罪し、きっちりと処罰が済んでいるとしっかり主張すべきでした。
特に特捜部が調査して司法に持ち込まれているというのは大事で、国家のシステムとしては手続きが終了している以上、あとは感情の問題でしかないわけです。
これには正解が無い。
そもそもが対処の難しい問題なんです。
ところが、これを重視したんですね。
処罰が済んでいた事を日和って掘り起こしことで、再処罰という形になりました。
再処罰するならするで、解党覚悟の対応をすべきでしたが、さらに党内の反発する声に日和って再処罰が中途半端な形となり、さらに公認非公認にかかわらず2000万円を活動費として渡す。
日和りまくりですね。
後手後手に回って筋の通った戦略が無い。
2000万円の活動費が漏れた事に関しては、これはまた別問題ですが、色々と脇が甘いのも確かです。
 
今回の選挙後に色々なニュースを見ると、面白い分析がありました。
 
 
 
なんか、思い当たるフシがある話です笑
この後手後手に回った選挙戦を見ると、意外と正鵠を射た分析なのではないでしょうか。
メディアでは、組閣で近しい人を集めたりすると、お友達内閣だとすぐに揶揄しますが、実際、トップの採る政策や政策に理解がある人というのは、非常に大事ですね。
閣内一致の原則がありますから、内閣というのはチームです。
もちろん、近しいからといって甘えが出てはいけませんが、その人の事をよく知っていて、自分の代わりに任せても自分の方針とはそう違わないと思わなければ、仕事を任せることができませんからね。
非常に大事。
任せることができず、トップがなんでもこなそうとすると、チームは指示待ちで硬直してしまいます。
こうなると、せっかく多様な人がチームにいても、意味を成さなくなってしまいますしね。
いつもあの批判を見聞きする度に、なんて的外れな指摘なんだろうと思っていました。
逆説的に、記者や評論家は、プロジェクトチームのようなものを立ち上げる経験が圧倒的に少ないから理解できないのか、とも思っていますが。
少し話がそれましたが、石破さんには、そういうよく理解してくれている人というのが少ないんでしょうね。
ネット上にある裏切りの歴史というまとめを見ると、そういう人間関係を醸成するタイプではなさそうですし。
それが今回、噴き出てしまったのかもしれません。
 
いずれにせよ、結果は出ました。
裏金のワンワードで議席を大いに伸ばした立憲民主党も、比例票の数はほとんど伸びていない上に、掲げる政策には問題が多いですし、大幅に議席数を増やした国民民主党も、増えた人数に対しての体制の整備や教育に時間が掛かる。
維新も大阪以外では退潮気味と、それぞれ問題点を抱えています。
これからどうなるのか、要注意ですね。
 

2024年10月25日金曜日

西田敏行

西田敏行さんが先日、亡くなりました。
個性派俳優として、釣りバカ日誌の浜ちゃんを始めとして、どこかコミカルな雰囲気の演技がうまい俳優さんでしたね。
また、関西人には、探偵ナイトスクープの2代目局長としても御馴染みでした。
異常に涙もろい局長として、初代の上岡龍太郎さんとはまた違った魅力のある局長さんでしたね。
大河ドラマなどの歴史系でも、重要な役回りを任される役者さんでした。
大河ドラマだけでも、出演が14作、主演が4作もあり、毎年出ているんじゃないかと錯覚するほど。
映画や民放を含めた数多くの偉人役から、こんなネタ年表まで作成されています。
 
 
この表、大好きですね。
どんな芝居だったかなと、思い出したりもできますし。
それほど、歴史物では、無くてはならない役者さんでした。
個人的には、鎌倉殿の13人の後白河法皇とか、架空なのでこの表には出てこないですが、ステキな金縛りと清須会議に出て来た更科六兵衛の、枕元に立ちそうな役どころが面白くて好きでしたね。
妙に歌舞伎じみた言い回しと、死んでるのか死んでないのかよく分からない雰囲気。
面白かった。
でも、この年表が更新されることはもう無いんですね。
そう思うと、寂しいですな。
ご冥福をお祈りします。
 

2024年10月20日日曜日

サイトのリニューアル 徳島のお城終了

サイトのリニューアルですが、徳島県で訪問したお城の作成が終了しました。
お城の数は全部で17城。
 
 
徳島県は、中央に剣山の山塊がデンと陣取っていますから、お城は街道筋、つまりは吉野川沿いと海岸沿いの2つの筋に沿って存在しています。
地図を見ると、吉野川沿いも海岸沿いも、ひと通りはお城を訪問できていますね。
戦国時代の阿波の治所であった勝瑞館や勝瑞城、同じく江戸時代の徳島城はもちろん、歴史上有名な白地城や脇城、岩倉城、海部城を訪れることができていますので、なかなか満足感の高い県となっています。
訪れておきたい残りの城は、篠原長房の上桜城や小笠原氏の一宮城、初期徳島藩の支城阿波九城の残りである西条城と仁宇城でしょうか。
吉野川沿いには、まだまだ国人たちの城があるので、それらをゆっくり巡っていくのもいいかもしれませんね。
さて、お城が終わりましたので、引き続き徳島県のお城以外のスポットへと進みましょう。
 

2024年10月15日火曜日

東信群馬埼玉ツーリング その5

前回のあらすじ
 
ホテルの近くの散策もまたツーリングの醍醐味なり。
 
前回から1ヶ月半が経ってしまいましたが、続きをば。
佐久ホテルを出発し、この日は軽井沢から碓氷峠を下って群馬、そして忍城まで行く予定でしたが・・・まずは南下。
前の日に時間があれば寄ろうと思っていた、内山城へ向かいます。
岩村田から県道138号線のバイパス道路でスイスイと進み、国道254号線へ。
国道254号線は、信濃の佐久と上野の下仁田を結ぶ下仁田街道と呼ばれた道ですが、内山城はその長野側の入口にあり、上野侵攻を進める武田信玄によって重視されました。
甲陽軍鑑に度々出てくる城ですね。
今回の佐久行きのメインターゲットは、西洋城郭である龍岡城、そして甲陽軍鑑に出てくる海ノ口城と内山城。
前日に訪れた2城と、この内山城でコンプリートというわけですね。
国道254号線から、早速、内山の集落の道に入り、少し高い場所にある園城寺へ。
この園城寺は、当時は根小屋と呼ばれる居館があったといわれ、後背の山に内山城があります。
前日に訪れた平賀城は、隣の峰ですね。
明確には見えませんが、射線はギリギリ確保できる感じの位置関係です。
 
 
ちなみに、園城寺はあじさいの名所とのことなので、梅雨の季節はいっぱいかもしれません。
さあ、内山城への登山を始めましょうか。
まずは麓の案内板。
 
 
かすれてしまって読みにくい・・・
案内板を過ぎ、山に入って行くと、石垣が出迎えてくれました。
 
 
内山城のある山は、岩質の山です。
大きな岩がゴロゴロ。
石垣はあまりないですが、石材には困らなかったでしょうね。
 
 
さらに登っていくと、段郭の下に出てきます。
 
 
さらに進むと、細長い主郭部の突端に出ました。
ここは3段ある主郭部の先っぽですね。
その先端から本丸方向の眺め。
 
 
さにら進んで2段目から本丸方向。
 
 
そして本丸。
 
 
本丸にある木製の城址碑は、傾いていました。
 
 
本丸の東側には下の削平地が見えます。
 
 
下りてみると、こんな段郭でした。
 
 
最後に、内山城から内山峡へ向かう下仁田街道の眺め。
 
 
これで佐久地方のメインターゲットを訪問し終えました。
いや~満足感がありますね。
内山城から下りた後、もう少し足を延ばして平賀城へ。
前日にスマホをバイクに忘れるという失態を演じた城です。
せめて遠景だけでも・・・
 
 
さすがに連日で登る気にはなれませんでした笑
 
つづく
 
参考:
 

2024年10月10日木曜日

日本創生解散

衆議院が解散されました。
石破首相が、自民党総裁選で主張していた予算委員会開催後ではなく、総裁選勝利後に表明していた通り、首班指名された後、できるだけ早くというタイミングですね。
ただ、解散して迎え撃つ立場にある石破首相ですが、新閣僚なんかを見ると、ちょっとおぼつかない。
公明党が抑えている国交相以外では、お仲間の防衛族が中心で、それに加えて森山さんが調整した陣容なんですが、外相も防衛族の岩屋さんですし、パイプ的に心細いですね。
前外相の上川さんが石破さんに投票してたわけですから、留任でもよかったんではないかと。
財務相は、財務官僚出身の加藤さんで、安定感はありますが、出身だけに、財務省を掣肘できるかという面は気になります。
そのほかは、官房長官に留任した林さんに見えるような論功行賞や、初入閣が多さで在庫一掃などと称されていますが、そう呼ばれてもしょうがない一面はありますね。
ただ、個人的には、首相の政策に理解があるわけですから、論功行賞自体は問題ないと思っています。
首相がしっかり手綱を握ってればいいわけなので。
石破内閣では、それができるのかどうか、予測ができませんね。
すでに森山さん頼りの面が出てしまっていますし。
いずれにしろ、解散の時期もそうですが、東アジア版NATO構想がアメリカにもインドにも早々に否定され、地位協定の改定交渉も後退、日銀の独立性の主張も、市場の暴落などもあって自ら言及することで後退と、掲げた政策が現実の前に後退を余儀なくされている印象です。
そのほかでは、法人税も増税の余地があると言っていましたが、これもやめた方がいいですね。
法人税は、何年も掛けて、OECDだけではなくタックスヘイブンも巻き込み、15%程度と合意した国際的な基準があります。
日米の法人税は、今でさえこれより高いですから、法人税が上がるとなると、グローバル企業は、本支社間の仕入れなどで海外子会社の利益を厚くし、海外で法人税を納税するようになるでしょう。
日本の対外資産は世界一、つまりは国内へ還流しない利益が国外にたくさんあるわけですが、ただでさえ海外の収益を国内にどう還流させるか苦慮しているのに、それに水を差す動きになってしまいますから。
その辺り、経済に弱いと言われる石破首相が解っていたのかどうか。
 
石破さんの評として、「後方から味方を撃つ」というのがあります。
後方から理想論を言うのは簡単ですし、党内野党としては、それが存在感を高める上で有効だったでしょう。
しかし、理想論を現実に落とし込むのには、色んな人を巻き込んでいく必要がある。
会社でも、一線を引いた立場から、色々と評論家みたいに正論を言う人がいますが、その人が敢然と対策案を進めるバイタリティと情熱を持っているかと言えば、そうではない場合が多いでしょう。
石破政権の最初の支持率が悪かったのは、政策を後退させた部分ももちろんあるでしょうが、根本的には、この正論論者的評論家の部分だと思っています。
この評を覆すことができるのかどうか、ちょっと注目したいですね。
 
一方の野党立憲民主党では、日銀の物価安定目標を2%から0%超に下げるという公約を出しました
これは・・・民主党時代から何も変わっていない・・・
物価と賃金は、あざなえる縄のごとしです。
先に賃金が上がれば、可処分所得が増えますから、需要が増えて売りやすくなり、やがて売価が上がる。
先に物価が上がれば、コストプッシュインフレという言葉はありますが、企業は市場や融資銀行から評価される以上、営業利益率という言葉からは逃れられないので、いずれは利益にも物価分の伸びが加わることになります。
そして、それが賃金に波及する。
鶏と卵ですね。
どちらが先かは分からない。
この片方である物価を0%にするとどうでしょう。
企業は、売価が上がらないので、賃金に還元することができません。
一方で、立憲民主党は、最低賃金を早い段階で1500円にすることも掲げています。
売価を上げずに賃金を上げなければいけません。
企業は、合理化や省人化を図って対応するでしょう。
あるいは内部留保を吐き出さなければなりません。
すると、職を失う人が出て来ますし、売り上げが上がらなければ企業も保守的になり、内部留保をなんとしても確保しようとします。
結果、世の中にお金が回らない。
これは、30年間見て来た景色ですね。
問題の根本は、企業の収益が上がったのに、労働分配率が下がり続けたこと。
ターゲットはそこなんです。
片方を縛ったまま片方を上げるなんて、そんな政策は続くわけがない。
現実的ではない、耳に心地の良いだけの公約を掲げるなんて、本当に何も変わっていないですね。
 
物価高に苦しむ人が多いとは言いつつも、国外の狂乱物価に比べれば、日本の物価なんて全くマシな部類でした。
そこは岸田政権で評価されていい部分かと思っていますが、評価されませんでしたね。
それは横に置くとして、物価は、今は2%を切るレベルに来ている。
海外での、目標としての物価上昇率は、一般的に2%程度です。
現代の経済政策は、その2%を基準に色々と実施されるわけですな。
FRBが利下げに転じたのも、インフレ率が2%に近付いたから。
日本は、そういう意味では、通常の経済政策が立案できるような、良い状態にあるわけです。
それをわざわざデフレの世界へ戻そうとする党がある。
何を思ってこんな常識無視の政策を出してきたのか、理解できないですね。
支給額が決まっている年金世代を取りに来ているのかも知れませんが、現役世代には受けないでしょう。
もっと経済政策を勉強して欲しいものです。
 

2024年10月6日日曜日

サイトのリニューアル 鳥取の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、鳥取県で訪れた全スポットの作成を終えました。
 
 
鳥取県のスポットは、お城が17城、温泉が5ヶ所、観光地が1ヶ所、神社が2社、史跡が3ヶ所、自然が6ヶ所、資料館が4館、橋梁が2本の計40スポットです。
兵庫県からお手軽に行ける隣県ですので、訪れた場所も多いですね。
改めて、鳥取県と岡山県は、ちょっと遠くまで行こうと思ったときに、一番ハードルが低い県なのだと、改めて自覚しました。
国道2号バイパスと岡山ブルーラインが無料の岡山県と、鳥取道が無料の鳥取県。
ちょっと日帰りで・・・なんて考えた時に、強力な味方となります。
あと、特筆すべきは温泉の多さでしょうか。
地元の兵庫県以外に、これほど温泉を訪問している県は無いです。
因幡伯耆は、隠れた温泉強国ですな笑
さて、本州での兵庫県の隣県の作成を終えました。
最後の四国の隣県である、徳島県へ進むとしましょう。
 

2024年9月29日日曜日

2024年自民党総裁選挙

自民党の総裁選挙が終わり、5度目の挑戦にして石破さんが総裁の座に着きました。
これは市場の予測とはかなり違っていたようで、第1回目の投票で高市さん優位を受けた株価の上昇と円安傾向から一転し、東証先物は2000円以上下げてサーキットブレーカーが発動し、為替も円高に振れましたね。
与党である自民党の総裁選は、今後の日本の行方を左右するものですが、それでも上下で3円動くとは、恐ろしい。
それはともかくとして、第1回目の投票での高市さん有利から、一転して決選投票で石破さんが勝利したのは、岸田さんが石破さんに乗ったためという話が出ています。
大した根回しもなく、派閥解消を宣言した岸田さんですが、総裁選では、旧岸田派で派内No.2の林さんの出馬を支援し、決選投票では、岸田政権の施策を引き継ぐという条件で派閥丸ごと石破さんに乗りました。
これは派閥政治の動きそのまんまなわけなんですが、派閥解消を唱えた本人がやるとなると、ちょっと。
小手先の派閥解消宣言だったんでしょうね。
個人的には、民主主義は多数派工作で成立しますし、考えの近しい集団というのは、ある程度の人数になれば発生しますから、派閥やグループは当たり前のこととは思っています。
高校のクラスで仲の良いグループに分かれるのと同じで、社会生活では必然の事でしょう。
でも、今回ぐらいは、宣言した本人の派閥ぐらいはフリーで良かったんじゃないのか、と思いますね。
自分の決めた政策についての整合性ぐらいは、保っておいて欲しかったな、と。
今回は、派閥として存続する麻生派でも目立った派閥選挙はしませんでしたから、尚更の事。
ただ、これによって、岸田さんがキングメーカーとしての立場を上げたことは確実です。
副総裁には、菅元首相が就くようですから、麻生さんvs菅さんのキングメーカー対決は、菅さんが勝ったように見えますが、菅さんはそもそも小泉さん支持でしたからね。
副総裁は、ほぼ名誉職ですから、岸田さんが一番おいしい部分を得たのではないでしょうか。
 
石破さんが総裁になったことにより、これまでの言動から、政策はやや左派に寄るものと思われます。
対して、やや右寄りになった立憲民主党。
両党共に内情は色々あるでしょうが、表面上の政策に差があまり無くなることから、この与野党の選挙での対決は、面白くなるかもしれません。
そして、自民党支持の保守層の受け皿として、国民民主党が伸長するかも知れませんね。
反対に立憲民主党の左派の受け皿として、共産党が伸びるかも。
ま、こちらは選挙で協力してたこともありますから、影響は少なそうですが。
早々に行われるはずの衆議院の解散と議員選挙が、ちょっと荒れるかもしれませんね。
 

2024年9月25日水曜日

2024年立憲民主党代表選挙

自民党の総裁選に隠れたようになっていますが、野党第1党の立憲民主党の代表選挙が終わり、決選投票の末に野田元首相が代表となりました。
色的には、左派的な色彩が強かった今までの代表よりも、かなり中道に寄ったイメージですね。
本気で政権を取りに行く!という言葉が出ているように、政権奪回を目指すなら、野田さんしかないでしょう。
なぜなら、国民は左派政権を望んでいないから。
他の人たちだと、色が付き過ぎているんですよね。
自民党は、国内では保守とは言われますが、世界的に見れば穏健左派で、イデオロギー色の少ない党です。
安倍元首相も、就任当初は右派としてオバマ元大統領に警戒されたりもしましたが、精々中道右派程度の立ち位置でしょう。
自民党内では、右から左までいますが、与党として出てくる政策は、比較的中和されるんですよね。
個人的には、自民党が与党である期間が長い理由としては、中道中庸を是とする国民性があるからではないかと思っています。
要は、ドイツのような極端な性向を持った党が与党にはなれない。
そういう意味で、政権奪回を目指すなら、野田さんしか考えられないんですよね。
ただ、野田さんの考えに対して、党内が付いて行けるかは別問題。
早速、党内や支持者から不満が出ている模様です。
他の候補者を要職に起用していないとか、幹事長に就任した小川氏が、代表選直前で左派グループを脱退して野田氏支持に回った経緯などが、不満の要因となっているとか。
ただ、出てくる話を聞くと、ほぼ派閥やん!と思ってしまうんですがね。
自民党の派閥を批判していたのは、何だったのかと。
個人的には、派閥というか、考えの近しい集団に分かれるというのは、無くならないのが当たり前だと思っています。
自民党も、派閥はほぼ無くなりましたが、今の総裁選の支持集団をベースに、あらたなグループができるんでしょう。
そういう集団を前提に、民主主義の根幹である多数派の意見として統一できるかというのが、政治家の腕の見せ所だと思っています。
野田さんにその手腕があるのかどうか、今後は実力が試されますね。
 

2024年9月21日土曜日

迷路遊びからお城イラストへ-香川元太郎の作品世界-

明石市立文化博物館で、夏季の特別展として、香川元太郎さんの作品が展示されていました。
香川元太郎さんと言えば、お城の絵で有名ですね。
各地の博物館や案内板、パンフレットでもしばしば見る、お城の鳥観図を描くイラストレーターです。
どんな絵か分からない方は、
 
 
で公開されていますので、ご覧ください。
いくつかのお城を巡ったりしてる人は、知らず知らずの内に見ているんじゃないでしょうか。
自分の中では、ネット上でたくさんのお城の縄張図を公開している余湖さんと並んで、城郭2大画伯と言える存在。
特徴的なのは、天守閣の分解図なども書いていることで、お城や城郭建築の構造を理解していないと、描けない絵です。
・・・つい買っちまいました。
 
 
久々の衝動買い。
展示の方でもかなりの数の作品を見たんですが、見返したくて、つい買ってしまいました。
見開きになっているので、ページが折れないよう慎重に見て行くと・・・やっぱりいいですね!
攻城戦の様子が描かれたお城なんかもあって、縄張図+アルファの構図がいい感じ。
今年いっぱいはこれでご飯がおかわりできるわ笑
 

2024年9月15日日曜日

党首選挙2024

自民党総裁選と立憲民主党代表選という、党首を決める選挙が始まりました。
自民党は、派閥の解体というのもあって、9人という大量立候補となりましたね。
一方で、推薦人を集められず、野田さん、青山さん、斎藤さんは出馬断念となりました。
それぞれの候補者の支持者をまとめると、下のような感じでしょうか。
 
石破茂・・・・旧石破派一部議員+茂木派青木系議員中心
加藤勝信・・・旧茂木派小渕系議員中心
上川陽子・・・ベテラン女性議員中心
河野太郎・・・麻生派一部議員
小泉進次郎・・菅グループ中心
小林鷹之・・・横断的若手議員+重鎮2世議員
高市早苗・・・保守系議員
林芳正・・・・旧岸田派中心
茂木敏充・・・茂木派中心
 
こうして見ると、前回の小石河連合は完全に瓦解し、茂木派も3分裂、麻生派は自主投票に近い形という感じでしょうか。
派閥選挙らしいまとまった動きをしているのは、皮肉にも、派閥解体を断行した岸田首相の岸田派のみという状況です。
世論調査では、石破さん、高市さん、小泉さんの順となっていますが、これだけ乱立すると、党員票を含めた第1回選挙で過半数を獲得するのは難しく、決選投票になるでしょう。
そうなると、議員の票の取り合いになるわけですが、選挙後の体制や大臣の椅子を含めた話にもなってきますので、まだまだ分からないですね。
ただ、後ろから撃つという話が行き渡っている石破さんは、議員に人気が無いので、第2回の投票は厳しいでしょうか。
なんだかんだ内閣はチームですから、支えて行こうという感覚が持ちにくい首相候補が厳しいというのは、肌感覚としてよく解ります。
それから、神輿の軽さで議員の支持が厚そうな小泉さんですが、小泉構文がネットでは有名で、そういうネタにされている人が首相になるというのも、個人的にはどうかと思いますね。
環境相時代から、経験を上積みできたようにも思えないですし、首相になってもすぐに行き詰りそうな雰囲気を感じます。
あと、選挙のシステムについて、党員票をもっと反映すべきという声もありますが、党員以外からの票も集めて勝ち残ってきた議員の票は、重くてもいいんじゃないでしょうかね。
 
さて、立憲民主党の候補についてですが、こちらはいつも通りという感じでしょうか。
候補者は、いつも見る顔ぶれで、話題としては、前回の代表選出後に小沢さんとの約束を反故にした影響もあり、泉代表が小沢さんの支持を得られずに推薦人集めに苦労したのと、江田さんと吉田さんの土壇場の協力体制ができたことぐらいですね。
ただ、吉田さんの協力体制というのは、なんというか、派閥による候補者の擁立とどう違うんでしょうか。
個人的には、学校のクラスで仲の良いグループができあがるように、派閥ができるのも当たり前と思っていますが、それを批判していた立憲民主党の代表選では、控えるべきだったのでは?、と思います。
 
ちょっと長くなりましたが、来週中には両党とも新しい体制が確定しますので、色々と見て行きたいですね。
 

2024年9月7日土曜日

サイトのリニューアル 鳥取のお城終了

サイトのリニューアルですが、鳥取県で訪れたことあるお城の作成を終えました。
鳥取県で訪れたお城は17城。
さすがに隣県だけあって、そこそこの数になっていますね。
鳥取道や米子道でシュっと行けるだけに、ぶらっと気が向いて行く時のために、行くのをちょっとセーブしている面はあるんですが、それでも積み重なって結構なお城の数になっています。
地域も割と偏り無く。
強いて言えば、東伯耆や東因幡が手薄ですが、今後の楽しみにしておきましょう。
さて、お城が一段落しましたので、続いては鳥取県のそのほかのスポットを進めて行きますか。
そのほかのスポットも、なかなか多いですしね。
 

2024年9月1日日曜日

東信群馬埼玉ツーリング その4

前回までのあらすじ
 
山城にスマホ持ってくの忘れるとか痛恨すぎる!
 
ツーリング初日の宿所は、佐久ホテルという、かなり歴史を持った温泉旅館でした。
ただ、この日は連休明けというのもあって、宿泊客は自分を含めて2組。
チェックインして旭湯温泉を満喫した後、夕食無しのプランだったので、岩村田の商店街をブラブラすると、地元に根差したお店が結構あって、路地も含めて見て回るだけで愉しかったですね。
色々と迷った挙句、三月九日青春食堂という定食屋さんで夕食を頂きました。
ライティングの影響で全体的に赤い画像になっていますが、ご飯はこんな感じ。
 
 
ボリュームもあっておいしかったですね。
ホテルも含めて、のんびりと過ごさせてもらいました。
 
翌日。
朝食の時間までにぶらりと散歩へ。
ホテルの近くに大井城というお城があります。
ここ岩村田周辺を領した大井氏の居城ですね。
王城公園になっている部分が主郭で、その北に石並城という郭、南の県道の向かいの台地も黒岩城と呼ばれた郭跡です。
王城公園の内部に入ってみると、かなり大きな削平地でした。
王城公園の南東側はこんな感じで、普通の公園という感じになっています。
 
 
公園の西側に目を向けると、土塁の痕跡と思われる僅かな隆起が。
 
 
大井城の解説板もあります。
 
 
公園内には、王城のケヤキという大木がありました。
朝焼けに映えますね。
 
 
公園裏手の湯川の川沿いに行ってみると、大井城の防御力の源泉が見えます。
立派な河岸段丘の崖ですね。
ほぼ垂直で、こちら側から登るのは不可能でしょう。
 
 
公園北側に回ってみると、主郭の崖がよく見えます。
右手は石並城の崖。
 
 
王城公園から石並城の台地。
宅地化されていますね。
 
 
県道を渡って黒岩城を下から。
内部にも入ってみましたが、畑地と藪で遺構は判りませんでしたね。
 
 
帰りに、すぐ近くの岩村田陣屋にも寄ってみました。
 
 
藩主は城主郭の内藤氏で、1万5千石の石高でしたが、維新後は早々に開墾されたりしたようです。
江戸時代に造られた陣屋は、お城ほど改変されていないので、早々に再利用されることが多いですね。
そういうのもあって、遺構もありませんでした。
 
つづく
 
参考:
 

2024年8月26日月曜日

サイトのリニューアル 茨城の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、茨城県で訪れた全スポットの作成を完了しました。
 
 
栃木県のスポットは、お城が7城、観光地が1ヶ所、資料館が1館で、計9スポットです。
茨城県を訪れたのは、1回しかないので、スポットの少なさはしょうがないですね。
茨城県の南部と、北部の海沿いはノーマークになってしまってます。
関西から見ると、東京という巨大な壁があるので、なかなか厳しい県。
東北とか新潟なら、フェリーで強襲するという方法も採れるんですが、茨城はそういう手が無いので、単純に遠いんですよね。
でも、佐竹氏の太田城や、小田氏とその家臣菅谷氏が粘った土浦城など、行きたい城も多いです。
お城以外にも、鹿島神宮や霞ケ浦、そして筑波山、牛久大仏にも行きたいですね。
さて、北関東も制覇して、一段落でしょうか。
兵庫の隣県をまだ放置してしまっているので、そちらを進めて行きましょう。
 

2024年8月22日木曜日

ぶらり加古

まだまだ暑い日が続いていますね。
今年は特に暑い。
昼にバイクに乗った日には、熱中症で倒れてしまいそうです。
そんなわけで、バイクになかなか乗れません。
年々、夏に弱くなっているというのもありますが(^^;)
はやり、夏に快適に乗ろうと思ったら深夜か早朝ですね。
というわけで、今年も早朝にぶらりとしてきました。
今回は、目的地もルートも設定せず、日の出前に出発して、ただひたすらにブラブラと走っていたんですが、普段走らない道だと、新たな発見もあって面白いですね。
ここと繋がっていたのかとか、こんな店があるんやとか。
そんな走りをしている中、前々から寄ってみたいと思ってた所に出たので、ついでに寄ってみました。
その場所は、加古大池。
この加古大池の前の道はしょっちゅう通るんですが、今まで寄ったことはありませんでした。
初めての訪問になります。
 
 
広いですね。
県下最大の溜池だそうです。
 
 
碑もありました。
こういうのを見ると、地域にとっては一大土木工事だったというのが解りますね。
朝日を浴びながらの、心地の良い散策でした。
 

2024年8月17日土曜日

サイトのリニューアル 栃木の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、栃木県で訪れた全スポットの作成を終えました。
 
 
栃木県のスポットは、お城が8城、神社が2社、史跡が1ヶ所、自然が2ヶ所、道路が3県に跨る日本ロマンティック街道と群馬県との間にある金精峠を含めて3本の計16スポットですね。
栃木県は、日光や宇都宮には2回行った事がありますが、ほかは遠すぎて1回しかありません。
まだまだ訪れたい所はありますが、なかなか時間的に難しいですね。
お城ならば、宇野宮の周辺や那須の周辺を、1日掛けて色々と巡ってみたいものです。
あとは、足尾銅山や鬼怒川温泉、大谷石の採掘場なども行きたいですね。
野望が燻ります。
さて、いよいよ次は北関東最後の茨城県ですね!
 

2024年8月14日水曜日

東信群馬埼玉ツーリング その3

前回のあらすじ
 
武田信玄初陣の城・・・小さくね?
 
海ノ口城、海尻城を訪問した後、さらに北上し、いよいよ本格的に佐久平へ。
その佐久平の入口に、龍岡城というのがあります。
この城は、龍岡城という由緒ありそうな和式の名前ですが、日本に2しかない西洋城郭なんですね。
稜堡式の西洋城郭としては、函館の五稜郭がとても有名ですが、この龍岡城も立派な五芒星の形をしているので、龍岡五稜郭とも呼ばれます。
ただ、城としては、実験的に構築されただけだったので、軍事的な防御力はあまり無かったようですね。
南北の山が近いので、丸見えですし。
でも、当時の最新西洋技術を導入したいというのは、佐賀藩や宇和島藩と同じ心意気を感じます。
まずは、入口の城址碑。
 
 
城跡内部は、小学校の敷地になっていました。
 
 
稜堡の内部はこんな感じ。
往時はもっと堡塁が高かったんでしょう。
 
 
堀も健在です。
きっちり曲げられた堀の確度が、稜堡式城郭というのを感じさせますね。
 
 
南側の稜堡の先端は尖ってませんでしたね。
 
 
堀の無い所には、住宅が迫っていました。
地元にとっては身近な存在なんでしょうね。
 
 
龍岡城説明板。
 
 
縄張図。
綺麗な星形ですね。
 
 
龍岡城が全面的に西洋城郭ではなかった証拠として、少し離れた場所に桝形がありました。
この辺りは純粋に和式城郭の形式を踏襲していますね。
 
 
であいの館というビジターセンターは、もう閉館の時間だったので入れませんでしたが、お城の散策には満足しました。
なんたって、日本に2つしか無い西洋城郭ですからね。
これで日本の西洋城郭は完全制覇です笑
 
龍岡城を出たのは、もう17時を過ぎていましたが、続いてすぐ北の平賀城へ。
平賀城の目印として、城山保育園というのがあります。
お城の北の集落にある保育園ですが、何と言っても、その名前がいいですね。
地図を見ていても、お城好きとしては、城山というワードに引力を感じますから笑
平賀城へは、その城山保育園から南東すぐの麓にある、瀧不動寺から登ることができます。
しかし、そこで事件が。
スマホ持ってくの忘れた!
山の中腹で気付いたんですが、ここから取りに戻っては陽が暮れてしまう・・・。
というわけで、写真を諦め、そのまま平賀城の散策を強行しました。
受けた印象としては、海尻城に似ていましたね。
その一番の類似点は、長方形の本丸が3段構成であったこと。
山の地形にもよるので何とも言えませんが、本丸は海尻城をそのまま大きくしたような感じでした。
海尻城の事績には、平賀城の主であった平賀氏の事は出て来ませんが、すぐ近くの海ノ口城に平賀源心が城主であったという伝承があるので、海尻城にも平賀氏流の築城術が施された可能性もあるかもしれませんね。
それとも、佐久平一般の築城技術であったのか、気になるところです。
最後に、平賀城の遠景を。
 
 
あまりにも悔しくて、翌日に遠景だけでもと撮りに行きました笑
 
つづく
 
参考:
 

2024年8月8日木曜日

巻き戻し

恐怖指数のVIXなどを見ると、ようやく落ち着いた感じですが、株価に為替に乱高下がすさまじいですね。
タイミング的には、日銀の利上げから円高、円高による輸出株価の下落に加え、アメリカの想定外の指標の悪さが相乗効果となって下落しました。
日本市場の下落から、東アジア、ヨーロッパ、アメリカまで株安が連鎖し、世界の金融界で、お金の流れの壮大な巻き戻しが起こったようですね。
下落の大きさには色々と解説が出ていますが、個人的には、フラッシュトレードと呼ばれる多頻度のアルゴリズム取引と円キャリー取引、そしてスルスルと上がったことによる信用取引残の多さという3本立てがあると思っています。
フラッシュトレードが一般化してから、株価も為替も、それまで考えられなかったような極端な値動きが見られるようになりました。
行き過ぎの値動きですね。
極端な値動きの兆候が見られると、それに反応したアルゴリズムが売買に動き、値動きを助長する。
それに強制決済された信用取引が乗っかり、さらに為替に関しては、値動きの大きさに円キャリー取引を手仕舞いするファンドの取引もプラスされた。
そんな感じではないかと。
あと、AIと半導体関連株の影響も大きいですね。
アメリカ市場での年初からの上昇の3分の2はAI半導体関連で、まだまだ投資が必要な時期だけに収益が出る状況ではないのですが、期待先行で買われていました。
その部分もリスクオフで巻き戻ったと言えそうです。
そして、当然ながら、日本のAI半導体関連株も売られるという流れになりました。
ただ、信用取引は、乱高下によって売りも買いもかなり薙ぎ払われたのは、市場としては良かったかもしれません。
信用売買も、過度な動きの時は助長する動きになりますからね。
また、円キャリー取引は、ブルームバーグの記事によれば、まだ50%から60%が巻き戻ったに過ぎないようです。
経済指標の悪化を受けた9月のFOMCでの利下げが、0.5%以上も有り得るという話が出てきていますから、円キャリー取引を行っているファンドが、これを受けてどう動くのか、気になるところですね。
市場の想定以上の利下げが行われた場合、再び日米の金利差を意識して円高に動く可能性があり、株価も巻き込まれるでしょう。
それが株式にどこまで波及するか。
どこぞの偉い人ではないですが、この言葉がぴったりですね。
注視するぞ!注視するぞ!!注視するぞ!!!
なんか修行みたいですが笑
 

2024年8月4日日曜日

東信群馬埼玉ツーリング その2

前回のあらすじ
 
さあ、旅の始まり!
信玄の攻略ルートをトレースするぜ!
 
山梨長野の県境を越えると、野辺山の高原を抜け、国道141号線は猛烈な下りに差し掛かります。
八ヶ岳の麓から、千曲川の削った崖下へ一気に下りるようなイメージすらありますね。
下り切れば、海ノ口と呼ばれる土地。
ここは、若き日の16歳の武田信玄が初陣を果たし、急襲で一気に城を攻略した海ノ口城があります。
海ノ口城には、いつか寄ってみたいと思っていました。
小学生の頃に見た信玄の伝記にも、海ノ口城の功は載っていたぐらい有名なお城ですからね。
一旦、佐久海ノ口駅で休憩して地図を確認し、千曲川を渡った先の海ノ口城を目指します。
大芝峠へ向かう道を進んで行くと、山へ入る手前に海ノ口城の表示が出て来ました。
そこからさらにバイクで進んで行くんですが、ややガレ場に近い道で、慎重にコケないように進んで行きます。
4輪ならまだ進めそうだったんですが、石畳の上に土が被っている感じの上り坂が見えたので、バイクで進むのを断念しました。
そこからは徒歩で進んで行きます。
少し登ると、少し広い駐車場のスペースがあり、そこからも緩やかな谷筋の道が続くんですが、城の入口としては、ちょっと緩やか過ぎますね。
かと言って居住空間のような感じでもなく、判断が難しい区画でした。
さらにそこから登っていくと、峰の鞍部のような場所に出るので、そこを右手に折れて城へ向かいます。
道は、尾根筋の緩やかな登山道に。
 
 
途中には堀切らしき窪みもありました。
道は主郭部の下段へと出ます。
 
 
そして本丸。
 
 
城址碑と説明板があります。
防御の一端を成したであろう屏風岩が荒々しくていいですね。
屏風岩の裏は断崖です。
 
 
説明板は、かすれてて解読に時間が掛かりましたね笑
 
 
本丸の先には物見台のような場所があり、東屋が建てられていました。
 
 
休憩にはちょうど良かったですね。
この東屋の先には大堀切が。
上から覗くと、なかなかの迫力がありますね。
 
 
しかし、2千人が籠ったという城にしては、削平地が少ないです。
2千人が籠れる規模というのは、ある程度の動員兵力のある豪族の城ということになりますが、海尻城との近さを考えても、そんな領主がここに在ったとは考えにくく、海尻城の支城としての境の城だったのでしょう。
それなら、このお城の規模感も理解できますね。
 
海ノ口城を出て国道141号線に戻り、北上すると、すぐに海尻城の案内が見えてきます。
もう少し北かと思っていたので、こんなに近いのかとびっくりしましたが笑
ガッツリの山城であれば、時間の関係でスルーしようかと思っていましたが、見た目が数10m程度の山だったので、散策して行くことにしました。
城の南に大きな駐車場が用意されているので、そこにバイクを止めて散策開始。
近くの国道脇には諏訪社があり、この辺りが三ノ丸だそうです。
国道を挟んだ東側も三ノ丸ですが、こちらは住宅地になっていますね。
 
 
城への入口は北の医王院にありました。
 
 
中腹には峰筋に小さな削平地が造られています。
 
 
そして本丸。
 
 
本丸は3段構成で、最後部には碑が建っていました。
 
 
碑の所から見ると、3段というのがよく解ります。

 
海尻城説明板。
 
 
本丸の先にも遊歩道が続いていた形跡があったのですが、藪化していたので、そこは断念しました。
残っている部分は本丸だけですが、なかなか良いお城でしたね。
 
つづく
  
参考: