2024年12月31日火曜日

サイトのリニューアル 愛媛の全スポット終了

サイトのリニューアルですが、愛媛県で訪れた全てのスポットの作成が終了しました。
 
 
愛媛県は、お城が14城、温泉が1ヶ所、神社が1社、自然が1ヶ所、資料館が3館、道路が2本で、合計22スポットです。
ざっと見ると、東予と中予は比較的充実していて、南予はちょっとまばらですね。
一応は、国道11号線や国道56号線、国道196号線を走破しているので、海岸沿いというほどではないですが、ほぼ愛媛県の海側の外周は走っていることになります。
それでもスポット数としては、まだまだでしょうか。
行っておきたい所がたくさんありますね。
バイク乗りとしては、四国カルストもしっかりと走っておきたい所。
道後温泉を拠点にして、あちこち行ける日が来ることを祈りましょう。
さあ、次は四国最後の県、高知県へ向かいます。
 

2024年12月26日木曜日

2024年走り納め

2024年ももう終わりますね。
ということで、走り納めをしてきました。
仕事の関係で、12/25に。
クリスマスツーリングやないかい!
さすがに赤白の帽子は被りませんが、クリスマス気分でぶらりと遠回りしながら三木へ。
なんとなく冬場でぶらりと行くと、三木か稲美町か呑吐ダムか、行き先が偏りますね笑
30分ほど走り、昼飯を食べようと、時々行く体育館のすぐ近くにあるレストランに向かいました。
小洒落た感じで気になっていたんですよね。
しかし、本日は予約のお客様のみとの文字が。
仕方ないので、三木の市街地に向かい昼食を摂りました。
お腹が落ち着いたところで、近くの明石道峯構付城跡へ。
 
 
この付城は、三木合戦の際に築かれた多くの付城のひとつで、平成11年になって場所がはっきり判ったという新しい遺跡です。
城としては、丘陵に築かれた3郭構成の城で、構造としては非常にシンプル。
高さといい、規模といい、ご飯の後の散歩にはちょうどよかったですね。
この遺跡は、ターゲットバードゴルフという、バトミントン的な羽が付いたボールを打つゴルフ場の横にあるんですが、ゴルフ場の駐車場に1台分の駐車スペースが史跡散策の方用として確保されていました。
これも、とても有り難かったですね。
なかなか良い走り納めになりました。
 

2024年12月21日土曜日

サイトのリニューアル 愛媛のお城終了

サイトのリニューアルですが、愛媛県で訪問したお城の作成が終了しました。
お城の数は全部で14城です。
 
 
こうやって見ると、愛媛県というのは、縦にも横にも長いですね。
そんな長い愛媛県なのですが、松山城、今治城、大洲城、宇和島城と、有名どころは回れているのは満足です。
なんだかんだ、川之江から松山までの東西方向は、何度か行ってるんで、それなりにお城も回れていますね。
これが南予になると、難易度がスコーンと跳ね上がる。
高速道路が延伸したとは言え、関西からは遠いので、ハードルが結構高いんですよね。
遠いだけに、行くのなら色々と回りたいので、最低3日は欲しいという日程の問題もありますし。
でも、主城黒瀬城や長宗我部軍撃退の岡本城など、西園寺十五将のお城をいつか回りたいものです。
さて、お城が終わりましたので、次はお城以外のスポットを作って行きましょう。
 

2024年12月16日月曜日

東信群馬埼玉ツーリング その7

前回のあらすじ
 
碓氷峠制覇!
峠と言いつつ、ひたすら下っただけですが。
 
何か、このツーリングの話がなかなか進まず、月刊のようになっていますが、ようやく長野を脱出しました。
長野群馬県境の碓氷峠を下ると、そこは群馬県。
旧国名では信濃と上野の境となりますが、ここは勢力の境目でもありましたね。
室町時代には、鎌倉公方の管轄であった上野国と、幕府の管轄であった信濃国の境目で、戦国時代に入ると、上野の守護でもあった関東管領山内上杉家が勢力を増すと峠の西の信濃側へ影響力を及ぼし、戦国大名化した武田家が信濃まで進出すると、峠の東の上野側まで勢力圏を拡げました。
国境は、ちょうど天秤の真ん中のような感じでしょうかね。
ここを中心に、信濃側に傾くのか、上野側に傾くのか。
戦国時代の中期から後期に差し掛かると、上野まで北条氏が進出しますが、西上野は武田領のままで、碓氷峠から安中の辺りは武田家臣となった安中氏が支配していました。
それが、武田氏の滅亡を経て、武田氏旧領を併呑した信長が本能寺の変に倒れると、武田旧領では武田旧臣が蜂起し、それぞれ徳川氏と北条氏が支援したことで、両者による争奪戦である天正壬午の乱が繰り広げられます。
しかし、この戦いは膠着状態になってしまい、両者で甲斐信濃は徳川領、上野は北条領にするという手打ちが行われました。
この手打ちによって、信濃から上野に掛けて領地を持っていた真田昌幸がヘソを曲げるわけですが、それは同じ上野でも北西辺りの別のお話。
安中辺りの西上野は、手打ちの通り北条領となり、北条氏の伊豆時代からの重臣の家系である大道寺正繁が、境目の城として松井田城を大改修するわけです。
今回、ここまで来た主目的のひとつは、この松井田城。
いよいよですね。
横川から少し東に行くと、松井田の集落へと入ります。
ここには菩提寺があり、ここにも松井田城の説明板が。
 
 
ここから北へ走り、松井田城のある山塊へと入って行きます。
ちょっと足で登らないといけないかとも思っていたんですが、幸いにも山道を登った先の駐車場がもう城域の一角で、すぐに散策に入ることができました。
 
 
この松井田城は、別城一郭のようになっていて、安中氏時代の城と、大道寺氏時代の城が峰筋に並んでいます。
このほかに、詰城と呼ばれる場所も西にあり、集落にあった松井田の居館の詰城だったと推測されていますね。
それだけ、それぞれの時代で要衝として重視されていた地域だったということの証になるでしょうか。
城の駐車場の辺りはもう城内で、早速、堀切と土塁が出迎えてくれます。
 
 
良きですね。
次に向かうのは本丸北側。
横堀がありました。
 
 
続いて武者溜。
 
 
そして連続竪堀が見えます。
ただ、例のごとく写真ではちゃんと見えないんですよね。
 
 
続いて大手門跡。
 
 
巨石の石垣の痕跡が残っています。
ここから先は、いよいよ主郭部ですね。
まずは馬出。
 
 
そして二ノ丸へと入って行きます。
二ノ丸の西側突端には、土塁が残っていました。
 
 
同じく二ノ丸の南側。
 
 
いよいよ本丸へ。
 
 
本丸には櫓台もありました。
戦国時代も末期に整備されたので、天守的な櫓だったのかも知れませんね。
今は社が祀られています。
 
 
松井田城は、上で書いたように時代の異なる2つの城が一城別郭のように並んでいるんですが、東へ進んで行くと、その古い時代の城郭が見えてきました。
安中郭です。
 
 
こちらは細長い峰筋を削平した感じで、中世的な匂いが強いですね。
奥へと進んで行くと、松井田城址碑がありました。
 
 
詳しい話は分かりませんが、安中郭だけが安中市の史跡になっているようなので、そのためですかね。
安中郭から下りて行くと、S型空堀がありました。
 
 
この辺りまで下りると、再び北条氏の匂いが強くなりますね。
滝山城の長大な堀を思い出しました。
さらにその先には水ノ手があります。
 
 
いや~、大きな城でしたね。
非常に満足です。
ちょっと文と写真が多くなり過ぎたので、今回はここまでにしましょうか。
次回は、いよいよ管領山内上杉氏の居城平井城です。
 
つづく
 
参考:

2024年12月9日月曜日

アサド政権崩壊

シリアのアサド政権が、反政府勢力によって首都ダマスカスを占拠され、崩壊しました。
シリアと言えば、反米の一角として存在感があり、ロシア、イラクといった反米国家と仲の良い国ですね。
2011年のアラブの春以降、民主化運動が中東を席巻する中、独裁政権は倒されずに踏みとどまったものの、深刻な内戦状態になりました。
その内戦では、反政府勢力が一枚岩ではなかったため、なんとかアサド政権が優勢となりましたが、今度はイスラミックステートが急速に力を伸ばしたため、これと引き続き戦うことになり、劣勢に追い込まれてしまいます。
ここで政権側として軍事介入したのがロシアで、それ以来、非常に近しい関係を保っていました。
しかし、今年に入ってから反政府勢力の勢いが増し、政権崩壊となったわけです。
これは、ロシアがシリア駐留軍から部隊を引き抜き、その弱体化を見た反政府勢力が攻勢を仕掛けたからのようですね。
また、アサド政権を支援していたイランや民兵組織のヒズボラが、対イスラエル戦に力を割かざるを得なくなったため、という理由もあるようです。
つまり、2つの大きな戦いが、このシリアに影響したと。
こうやって見てみると、政治軍事の世界というのは、玉突きのように情勢が絡み合うものだと改めて思いますね。
 
振り返れば、ロシアがウクライナに侵攻での短期決戦に失敗したことから戦力を大幅に増強せざるを得なくなり、アルメニアの駐留軍から部隊を引き抜いたところ、その隙を衝いたアゼルバイジャンが、2023年にアルメニアの実効支配するナゴルノカラバフに侵攻し、占領したという事件がありました。
つまりは、シリアと同じようなパターンなんですが、これによってアルメニアは、ロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)への参加を停止し、それまでの親欧米路線を強化しています。
結果的には、ウクライナ侵攻が、国際的なロシアのプレゼンスを弱めているということになりますね。
今回も、シリアを起点として中東やアフリカへの影響力を行使していたロシアにとっては、かなりの痛手になるでしょう。
一方でジョージアでは、これまで親欧米政権でしたが、ややロシアに傾いているようですね。
ここも一部地域をロシアが独立承認したという、ウクライナと同じような状況なんですが、ロシアにとっては、成功に近いケースになっているのかもしれません。
成功例と失敗例が紙一重ですから、この辺りが、世界情勢の何とも難しいところですな。
 
話は戻りますが、アサド政権が崩壊した後、即座に動いたのがイスラエルで、シリア軍基地を空爆し、緩衝地帯となっているゴラン高原へも兵を派遣しました。
領地拡大ではなくリスクを未然に防ぐためですが、この辺りはさすがに素早い。
一方、反政府組織を支援していたトルコも、引き続き支援して介入を深めるでしょう。
さらに、反政府勢力も決して一枚岩ではなく、紆余曲折が予想されます。
これに挽回を図るロシアやイランがどう動くか。
まだまだ情勢が変転しそうですね。
 

2024年12月4日水曜日

韓国戒厳令発動

昨日、何の気なしにネットでニュースを見ていたら、びっくりするニュースが流れました。
韓国で戒厳令が発令されたと。
韓国で与党が選挙に敗れ、ねじれ国会で停滞しているというのは知っていましたが、まさか戒厳令が発動されるとは。
ただ、戒厳令は6時間で解除されました。
韓国の憲法では、在籍する国会議員の過半数が解除決議案に賛成した場合、大統領は戒厳令を解除しなければならないとのこと。
国会は野党が過半数を押さえていますから、戒厳令が発令され、軍が国会を閉鎖できるかどうかが、大統領にとっては勝負の分かれ目だったということになります。
実際、国会議事堂への軍の突入が試みられていましたが、軍が突入して国会議事堂を、さらに言うなら会議場を閉鎖する前に解除決議が採決され、大統領は政争に敗れました。
国会で弾劾連発の野党はやり過ぎでしたが、戒厳令はもっとやり過ぎですね。
これで、尹政権は確実に倒れるでしょう。
そして、再び左派政権に戻ると予想されます。
対米、対日、対中、対北朝鮮関係が非常に混沌としたものになるでしょうね。
特に、トランプ政権がどう出るか想像できません。
また、国内の経済が思わしくない状態で外交が不安定になり、さらに経済が悪化して行く可能性が高そうです。
いずれにせよ、韓国はこれからが大変ですね。
 

2024年11月30日土曜日

サイトのリニューアル 香川の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、四国2県目の香川県で訪れた全スポットの作成を完了しました。
 
 
香川県のスポットは、お城が14城、温泉銭湯が2ヶ所、観光地が2ヶ所、寺院が2ヶ寺、自然が1ヶ所、資料館が2ヶ所、橋梁が岡山県と共通の瀬戸大橋の1本で、合計24スポット。
地図を見てみると、北の平野部から南の徳島県境の中央構造線、さらに小豆島まで、割と偏り無く訪れていますね。
ずっと行きたかった虎丸城にも行きましたし、満足感は高いです。
海を挟んで兵庫県とは、隣県と言えば隣県なんで、訪問回数も多いですね。
ただ、本文にも書きましたが、少し手数になっているのが西讃。
こんぴらさんや寛永通宝など、まだまだ行きたい場所があります。
さて、徳島県から反時計回りで香川県へ来ましたので、このまま西進して愛媛県へと進みましょう。
 

2024年11月28日木曜日

斎藤知事とSNS

兵庫県知事選挙は終わりましたが、その後も何かと騒がしいですね。
斎藤陣営を手伝っていたPR会社の代表の方がnoteに上げた記事によって、公職選挙法違反の疑いが掛けられています。
要は、SNS運用に関して、報酬を支払ったかどうかということですね。
ルールはルールなんで、もし報酬を支払っていたならアウトですし、ボランティアならセーフなんですが、色々と法律が付いて行けてないなという感じです。
ちょうど10年前に、うちわを配ったかどうかで辞任した松島法相の時もそうでしたが、法律が古過ぎて、くだらない問答になっている気がしますね。
うちわの時は、うちわが寄付に当たるかどうかということで、過去の判例か慣例かは覚えていませんが、寄付に当たるといとうことでした。
実際に松島法相が配ったものは、柄の付いたうちわだったんですが、追及する方も円形の親指部分に穴が開いた、うちわとしても使える「巨大な厚紙の名刺」を配っていたんですよね。
何が違うねん・・・
その時は、こんなんを国会で議論してあほちゃうか、という感想しかありませんでした。
うちわとして使うという意味で、本質は同じですからね。
上辺だけの議論で、本当に下らないと思っていました。
まして、うちわが贈答品だったのは、フルハンドメイドだった昭和の頃の話で、販促物として駅前で無料で配られているようなプラ骨のうちわが寄付認定って、あまりにも感覚が古い。
BBQセットの火おこし用で5本も6本も無料のものを持っていた自分は、特にそう感じました。
今回も、それに近い感想を持っています。
政治家が、選挙のコーディネーターを本格的に入れるようになったのは、2005年の郵政選挙の頃からと聞いたことがあります。
下の記事を読むと、時期的には正しいようですね。
 
 
何が言いたいかというと、知事選や国政選挙なんかの大きな選挙には、プランナーやコンサルタント、コーディネーターと呼ばれる人々が参加していると言うこと。
これは、多少なりとも政治に興味がある人には、周知のことでしょう。
また、選挙の際、政見放送の精査から対談記事、メディア向けの各種動画の作成など、自民党が電通に、かつての民主党が博報堂に、仕事を依頼していたのは有名です。
なのに、SNS向けになった途端、違法認定になる。
何が違うねん・・・
政治家がSNSを使うようになって、もう何年も経ちます。
確かにSNSは、より個人に届きやすいという面があるんでしょう。
しかし、広告代理店にレガシーメディア対策を頼むのはOKで、SNS対策を企業に頼むのはNGという線引きが理解できません。
SNS発信を重視する政治家は、ネット方面に強い人を秘書として雇うこともあるでしょう。
それはOKなんですよね。
となると、SNSの性質を考えての規制というわけでもない。
やっぱり、法律の整備が追い付いていないんでしょう。
その辺りを、もっと問題点として取り上げてくれる人が出て来ないかなと思いますね。
今回の件も、本質的には違法も合法も大きな違いは無く、表面的でくだらない話になっていると思うので。
 

2024年11月21日木曜日

2024兵庫県知事選挙

斎藤兵庫県知事の失職に伴う知事選を行われました。
結果は、周知の通り、斎藤知事の再選。
再出馬した時は、再選するなんて予想はほとんど無かったですが、驚異的な追い上げで見事当選しました。
この再選に対する解析は、色んなメディアで行われていて、オールドメディアの敗北やSNSの影響力が上回ったなどと言われていますが、そういう側面はもちろんあるものの、主語がちょっと大きいような気がします。
リアル兵庫県人として、周囲で聞いた声をまとめると、多くの人は、そんなに熱狂的な斎藤支持でもなければ、様々な疑惑を盲信して忌避しているわけでもない、という感じですね。
斎藤さん、稲村さん、県議会、それぞれ三者三様で、いい所も悪い所もあります。
斎藤さんは、パワハラ気質だが、政策はそこそこ評価できる。
稲村さんは、議会運営を考えると安定感はあるが、政策や支援者が左に寄り過ぎてるので、ちょっとやりすぎ。
県議会は、第三者委員会の報告前に百条委員会を設置して非公開にした上、白黒はっきりする前に不信任を突きつけたので、やり方が強引過ぎ。
全体的にはそんな評でしょうか。
個人的には、百条委員会に証人として出る直前という、自分に有利なタイミングでの不可解な自殺や、補助金キックバックについての但陽信金理事長による明確な否定で、メディアが報じて来たタチの悪い知事というイメージに、疑問符が付きました。
火の無い所に煙は立たぬといいますから、ゼロでは無いんでしょうが、事実をもうちょっと深掘りする必要があるなと。
自分の周辺では、稲村さんに投票か斎藤さんに投票かという感じでしたが、疑惑に関しては、似たようなスタンスの人が多かったです。
つまり、色々な情報を仕入れ、悪いポイントも踏まえた上で、投票した人が多かったと。
そういう意味では、大人の選挙だったのかも知れません。
選挙はベストではなくベターを選ぶものとはよく言ったもので、今回はまさにどの候補が一番マシか、という観点であったと思います。
でもそれは、選挙の本質じゃないかと思うんですよね。
盲信もせず、ネガティブキャンペーンにも揺るがず、良いポイントも悪いポイントも整理して選ぶ。
大人の選択ですね。
 
それから、単純な選挙の勝敗に関して言えば、県下22市長による稲村氏支持表明が、ダメ押しとしては大きかったかも知れません。
しかも机をバンバン叩きながら。
パワハラをネタにした漫才ちゃうんやから笑
兵庫県民の半分以上が、
それ、パワハラやないかーーい!
と、心の中でツッコんだと思います。
しかし、何を思ってあんな表明をしたのか、理解に苦しみますね。
安定的な議会運営ができる方が望ましいとでも言っておけば、市の立場も理解されて間接的な支援になるのに。
過去の知事選では、そういう表明は無かったと思うんですが、だからこそ効きました。
20年に及ぶ井戸県政の既得権があるんやろなと、感じた人も多かったでしょうね。
 
いずれにせよ、知事選は終わりました。
これからが大事なので、引き続き情報を見て行きたいと思います。
 

2024年11月17日日曜日

サイトのリニューアル 香川のお城終了

サイトのリニューアルですが、香川県で訪問したお城の作成を終えました。
お城の数は全部で14城。
 
 
香川県は、兵庫県から見ると近いんですけど、遠い県でもあるんですよね。
古くから神戸~高松間や姫路~小豆島間で定期船があったりしましたし、神戸淡路鳴門道と高松道が繋がって以降、随分と行くのが楽になりましたが、不思議と距離の割に遠く感じるのはなぜでしょうか。
播磨灘をぐるっと迂回する遠回り感があるのかも。
とは言え、回数的には結構訪れていて、行ったお城の分布を見ると、割とまんべんなく県内を巡っているようです。
今年も虎丸城へ行きましたしね。
あとは西讃が手薄なので、あまり有名なお城は無いんですが、いつか巡りたいですな。
さて、次はお城以外のスポットです。
頑張って行きましょう。
 

2024年11月10日日曜日

2024年アメリカ大統領選挙

4年振りのアメリカ大統領選挙が終わりました。
結果としては、トランプ前大統領の圧勝でしたね。
激戦州を見れば、そこまでの差はついていなかった州も多いですが、僅差と見られた激戦州でちょっとずつ上回った結果、選挙人の数では300を超え、圧倒的な差となりました。
とは言え、民主党の鉄板牙城であるカリフォルニア州でも、細かい区画で見ると結構共和党が取っているんですよね。
それだけ、民主党がかつての支持者に見限られたということでしょう。
個人的な印象としては、2016年の選挙辺りまでは、両陣営の顔がしっかり見えていましたが、前回、今回と、トランプ前大統領を選ぶかどうかという選挙だったように思います。
前回も、政治家としてはすでにちょっと怪しかったバイデン大統領が候補だったの上、バイデン大統領の男性・白人・年配という属性に対し、女性・有色人種・若手という属性を補っただけのハリス副大統領という組み合わせで、アクの強いトランプ大統領に対し、ハト派安定の陣営のイメージ戦略でしたね。
それは、言い換えれば、独自の主張を表に出すというよりは、「トランプ大統領ではない候補」という消極的な選ばれ方になります。
それは今回も同じで、ハリス候補自身の能力への疑問符もありましたが、やはり「トランプ大統領ではない候補」でしかなかった。
そういう消極的な選択は長続きしませんしね。
そんなイメージです。
 
しかし、今回もメディアは大きく外しましたね。
一番酷かったのは、直前にもかかわらず、こんなニュースを出した英エコノミストでしょうか。
 
 
その分析ソースとなった、アメリカのアトラスインテルも同じですが。
いずにせよ、2016年の大外しから全く精度が変わっていません。
もう隠れトランプというような人は少ないでしょうし、メディアが偏りなくサンプリングするのが不可能になってきているのかもしれません。
そもそも論として、民主支持のリベラルなメディアが多いですから、トランプ支持者の協力は難しいでしょうしね。
どこをどうやっても偏るんでしょう。
 
さて、次期大統領は決まりましたし、議会も上下院ともに共和党が優勢となりそうです。
対中関税60%なんて話もすでに出てきていますが、強い権限を得たトランプ大統領がどのような政権運営をしていくのか、注目ですね。
 

2024年11月7日木曜日

サイトのリニューアル 徳島の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、徳島県で訪れた全スポットの作成を完了しました。
 
 
徳島県のスポットは、お城が17城、温泉が1ヶ所、観光地が1ヶ所、史跡が2ヶ所、自然が3ヶ所、資料館が2館、道路橋梁が4本+兵庫県と共通の大鳴門橋で、計30スポット。
自分の中では、思ったよりも少ない印象なんですが、これは日帰りで何度か訪れているからでしょうか。
日帰りだと、行った印象は強くなるんですが、日帰りだけにあちこち寄るほどの時間がないですしね。
でも、中央に剣山が鎮座している徳島県で、吉野川沿いも沿岸部も訪れることができていますから、行ける所は行ったという満足感はあります。
機会があれば、また徳島ラーメンを日帰りですすりに行きたい所ですな。
さて、リニューアルも四国に到達しました。
長宗我部元親のごとく四国制覇を狙い、反時計回りで香川県へ進むとしましょう。
 

2024年11月4日月曜日

東信群馬埼玉ツーリング その6

前回のあらすじ
 
武田信玄が重視した内山城を攻略!
前日に犯した失策は、少しだけカバーできました・・・
 
前日、平賀城から岩村田まで、細い道が多くて結構時間が掛かったので、時間短縮のため、千曲川を渡って中部横断道へ。
佐久北I.C.まで走れば、丸っと旧市街をパスできます。
そして、国道141号線から国道18号線へ辿り、碓氷峠へ。
碓氷峠へ差し掛かる手前の軽井沢の駅前は、さすがに避暑地としての雰囲気がありましたね。
自分は買い物やグルメを楽しむことも無いので、完全スルーですが、雰囲気だけは味わいました笑
軽井沢の駅前近くには、碓氷峠のバイパス、正確には入山峠への分岐があるんですが、そちらへ向かう車を横目に、旧道へと向かいます。
ちなみに、古代の東山道はバイパスのある入山峠経由だったようで、当時の碓氷峠は、その入山峠のことだったという説もありますね。
旧道に入ると、そこからはひたすらにヘアピンカーブが続く下り道となり、難所度合いが実感できます。
上と下という漢字が入った峠という名前がついていますが、碓氷峠は片勾配の道なんですよね。
なので、ひたすら下り。
ただ、観光客の車はバイパスへ流れてしまっているので、先行車どころかすれ違う車すらありません。
こんな楽しい道を独り占めできるとは!
途中、めがね橋が横に見え、観光客もちらほらいたんですが、車がいないという魅力に抗えず、立ち寄らないまま走り続けてしまいました。
峠道を抜け、下り道が最終盤の坂本宿跡に差し掛かる頃、何やら前から仮装した人たちが。
後で調べたところによると、この日は安政遠足(とおあし)の開催日だったようです。
安政遠足とは、安中藩が藩士の鍛錬のため、安中城から碓氷峠の熊野神社までの7里を競争させたもので、日本最古のマラソンと言われるそうな。
こんな急坂を競争させる安中藩は鬼か。
しかも30km弱のコースの最後に碓氷峠の坂を持ってくるなんて、
まさに鬼の所業!
当時は、移動はひたすら自分の足でしたから、現代人と基礎体力が違うとは言え、恐ろしい話ですね笑
 
今から坂をひたすら登ることになる人たちへ心の中で拍手をしながら、坂本宿を抜けて横川駅へ向かいます。
軽井沢から横川の区間は、明治期の鉄路開通以来、難所として知られ、かつては専用の機関車が補助で付くことで有名でしたが、北陸新幹線が開通すると、廃止されてしまいました。
残念ですけど、どうしてもボトルネックになるので、仕方がないことですが。
現在は、一部の線路を利用して、鉄道文化村という施設になっています。
まずは記念に鉄路を跨いで撮影。
 
 
この鉄路は、鉄道村へ車両が反応される際に使われるとのこと。
横川駅は、車止めで終着駅になっています。
 
 
横川駅の北側に出ると、鉄道村に止められている車両を見ることができました。
 
 
かつて使われていた線路が残っており、そこには碓氷峠専用の補助機関車として開発されたEF63の重連が。
 
 
そうこうしている内に、機関車と車掌車が進んできました。
体験運転ができるとのことで、何とも羨ましい限りですね。
 
 
ちなみに、峠の釜めしも食べてみたかったんですが、今は横川駅では売っていないそうで、国道沿いに店舗があるそうです。
 
横川駅から線路沿いに西へ進んで行くと、碓氷関所の跡がありました。
 
 
碓氷峠は、関東である上野と信濃の境目で、江戸幕府は、関東へ出入りする人や物を取り締まる場所として、非常に重要視していたようです。
実際の運営は、幕府と安中藩の共同だったようですが。
この日は、関所まつりが開かれていて、非常に賑わっていましたね。
出し物の時間とは合いませんでしたが、お祭り気分が味わえて、楽しかったです。
 
つづく
 
参考:
 

2024年10月29日火曜日

2024年衆議院議員選挙

衆議院議員選挙が終わりました。
結果はニュースの通り、自公与党の惨敗です。
自民党は、改選前に単独で過半数を超える256という議席を持っていましたが、石破さんは、自公で過半数という、かなり低い勝敗ラインを出しました。
しかし、結果は191議席。
自公を足しても215議席にしかならず、233という過半数を大きく下回りました。
さらには、不記載と関係ないはずの公明党の代表と副代表がもらい事故で落選し、閣僚も2人が落選と、踏んだり蹴ったりです。
 
敗因の分析は色々なサイトでされていますが、個人的には、やはり石破さんが人気があるという前提そのものが間違っていたように思いますね。
自分の周りでは、サンプル数があまりにも少ないとは言え、安倍さんや高市さんを推す声は聞いたことがあったんてすが、石破さんは皆無でした。
常々、次の総理は誰?というアンケートで、石破さんは首位とか2位だったにも関わらず、です。
そんなあやふやな声に乗っかった総裁選から、もうケチが付いていたのではないかと。
そして、そのあやふやなご祝儀相場を期待して解散し、ドツボにハマったように感じます。
初回の支持率調査でも、歴代総理には無い低さでしたからね。
あと、ざっと流れを見ると、自民党は、戦略的には最悪の中途半端さでしたね。
国民の感情が実際に許すかどうかは、取りあえず横に置きます。
取りあえず横に置いた上で、謝罪し、きっちりと処罰が済んでいるとしっかり主張すべきでした。
特に特捜部が調査して司法に持ち込まれているというのは大事で、国家のシステムとしては手続きが終了している以上、あとは感情の問題でしかないわけです。
これには正解が無い。
そもそもが対処の難しい問題なんです。
ところが、これを重視したんですね。
処罰が済んでいた事を日和って掘り起こしことで、再処罰という形になりました。
再処罰するならするで、解党覚悟の対応をすべきでしたが、さらに党内の反発する声に日和って再処罰が中途半端な形となり、さらに公認非公認にかかわらず2000万円を活動費として渡す。
日和りまくりですね。
後手後手に回って筋の通った戦略が無い。
2000万円の活動費が漏れた事に関しては、これはまた別問題ですが、色々と脇が甘いのも確かです。
 
今回の選挙後に色々なニュースを見ると、面白い分析がありました。
 
 
 
なんか、思い当たるフシがある話です笑
この後手後手に回った選挙戦を見ると、意外と正鵠を射た分析なのではないでしょうか。
メディアでは、組閣で近しい人を集めたりすると、お友達内閣だとすぐに揶揄しますが、実際、トップの採る政策や政策に理解がある人というのは、非常に大事ですね。
閣内一致の原則がありますから、内閣というのはチームです。
もちろん、近しいからといって甘えが出てはいけませんが、その人の事をよく知っていて、自分の代わりに任せても自分の方針とはそう違わないと思わなければ、仕事を任せることができませんからね。
非常に大事。
任せることができず、トップがなんでもこなそうとすると、チームは指示待ちで硬直してしまいます。
こうなると、せっかく多様な人がチームにいても、意味を成さなくなってしまいますしね。
いつもあの批判を見聞きする度に、なんて的外れな指摘なんだろうと思っていました。
逆説的に、記者や評論家は、プロジェクトチームのようなものを立ち上げる経験が圧倒的に少ないから理解できないのか、とも思っていますが。
少し話がそれましたが、石破さんには、そういうよく理解してくれている人というのが少ないんでしょうね。
ネット上にある裏切りの歴史というまとめを見ると、そういう人間関係を醸成するタイプではなさそうですし。
それが今回、噴き出てしまったのかもしれません。
 
いずれにせよ、結果は出ました。
裏金のワンワードで議席を大いに伸ばした立憲民主党も、比例票の数はほとんど伸びていない上に、掲げる政策には問題が多いですし、大幅に議席数を増やした国民民主党も、増えた人数に対しての体制の整備や教育に時間が掛かる。
維新も大阪以外では退潮気味と、それぞれ問題点を抱えています。
これからどうなるのか、要注意ですね。
 

2024年10月25日金曜日

西田敏行

西田敏行さんが先日、亡くなりました。
個性派俳優として、釣りバカ日誌の浜ちゃんを始めとして、どこかコミカルな雰囲気の演技がうまい俳優さんでしたね。
また、関西人には、探偵ナイトスクープの2代目局長としても御馴染みでした。
異常に涙もろい局長として、初代の上岡龍太郎さんとはまた違った魅力のある局長さんでしたね。
大河ドラマなどの歴史系でも、重要な役回りを任される役者さんでした。
大河ドラマだけでも、出演が14作、主演が4作もあり、毎年出ているんじゃないかと錯覚するほど。
映画や民放を含めた数多くの偉人役から、こんなネタ年表まで作成されています。
 
 
この表、大好きですね。
どんな芝居だったかなと、思い出したりもできますし。
それほど、歴史物では、無くてはならない役者さんでした。
個人的には、鎌倉殿の13人の後白河法皇とか、架空なのでこの表には出てこないですが、ステキな金縛りと清須会議に出て来た更科六兵衛の、枕元に立ちそうな役どころが面白くて好きでしたね。
妙に歌舞伎じみた言い回しと、死んでるのか死んでないのかよく分からない雰囲気。
面白かった。
でも、この年表が更新されることはもう無いんですね。
そう思うと、寂しいですな。
ご冥福をお祈りします。
 

2024年10月20日日曜日

サイトのリニューアル 徳島のお城終了

サイトのリニューアルですが、徳島県で訪問したお城の作成が終了しました。
お城の数は全部で17城。
 
 
徳島県は、中央に剣山の山塊がデンと陣取っていますから、お城は街道筋、つまりは吉野川沿いと海岸沿いの2つの筋に沿って存在しています。
地図を見ると、吉野川沿いも海岸沿いも、ひと通りはお城を訪問できていますね。
戦国時代の阿波の治所であった勝瑞館や勝瑞城、同じく江戸時代の徳島城はもちろん、歴史上有名な白地城や脇城、岩倉城、海部城を訪れることができていますので、なかなか満足感の高い県となっています。
訪れておきたい残りの城は、篠原長房の上桜城や小笠原氏の一宮城、初期徳島藩の支城阿波九城の残りである西条城と仁宇城でしょうか。
吉野川沿いには、まだまだ国人たちの城があるので、それらをゆっくり巡っていくのもいいかもしれませんね。
さて、お城が終わりましたので、引き続き徳島県のお城以外のスポットへと進みましょう。
 

2024年10月15日火曜日

東信群馬埼玉ツーリング その5

前回のあらすじ
 
ホテルの近くの散策もまたツーリングの醍醐味なり。
 
前回から1ヶ月半が経ってしまいましたが、続きをば。
佐久ホテルを出発し、この日は軽井沢から碓氷峠を下って群馬、そして忍城まで行く予定でしたが・・・まずは南下。
前の日に時間があれば寄ろうと思っていた、内山城へ向かいます。
岩村田から県道138号線のバイパス道路でスイスイと進み、国道254号線へ。
国道254号線は、信濃の佐久と上野の下仁田を結ぶ下仁田街道と呼ばれた道ですが、内山城はその長野側の入口にあり、上野侵攻を進める武田信玄によって重視されました。
甲陽軍鑑に度々出てくる城ですね。
今回の佐久行きのメインターゲットは、西洋城郭である龍岡城、そして甲陽軍鑑に出てくる海ノ口城と内山城。
前日に訪れた2城と、この内山城でコンプリートというわけですね。
国道254号線から、早速、内山の集落の道に入り、少し高い場所にある園城寺へ。
この園城寺は、当時は根小屋と呼ばれる居館があったといわれ、後背の山に内山城があります。
前日に訪れた平賀城は、隣の峰ですね。
明確には見えませんが、射線はギリギリ確保できる感じの位置関係です。
 
 
ちなみに、園城寺はあじさいの名所とのことなので、梅雨の季節はいっぱいかもしれません。
さあ、内山城への登山を始めましょうか。
まずは麓の案内板。
 
 
かすれてしまって読みにくい・・・
案内板を過ぎ、山に入って行くと、石垣が出迎えてくれました。
 
 
内山城のある山は、岩質の山です。
大きな岩がゴロゴロ。
石垣はあまりないですが、石材には困らなかったでしょうね。
 
 
さらに登っていくと、段郭の下に出てきます。
 
 
さらに進むと、細長い主郭部の突端に出ました。
ここは3段ある主郭部の先っぽですね。
その先端から本丸方向の眺め。
 
 
さにら進んで2段目から本丸方向。
 
 
そして本丸。
 
 
本丸にある木製の城址碑は、傾いていました。
 
 
本丸の東側には下の削平地が見えます。
 
 
下りてみると、こんな段郭でした。
 
 
最後に、内山城から内山峡へ向かう下仁田街道の眺め。
 
 
これで佐久地方のメインターゲットを訪問し終えました。
いや~満足感がありますね。
内山城から下りた後、もう少し足を延ばして平賀城へ。
前日にスマホをバイクに忘れるという失態を演じた城です。
せめて遠景だけでも・・・
 
 
さすがに連日で登る気にはなれませんでした笑
 
つづく
 
参考:
 

2024年10月10日木曜日

日本創生解散

衆議院が解散されました。
石破首相が、自民党総裁選で主張していた予算委員会開催後ではなく、総裁選勝利後に表明していた通り、首班指名された後、できるだけ早くというタイミングですね。
ただ、解散して迎え撃つ立場にある石破首相ですが、新閣僚なんかを見ると、ちょっとおぼつかない。
公明党が抑えている国交相以外では、お仲間の防衛族が中心で、それに加えて森山さんが調整した陣容なんですが、外相も防衛族の岩屋さんですし、パイプ的に心細いですね。
前外相の上川さんが石破さんに投票してたわけですから、留任でもよかったんではないかと。
財務相は、財務官僚出身の加藤さんで、安定感はありますが、出身だけに、財務省を掣肘できるかという面は気になります。
そのほかは、官房長官に留任した林さんに見えるような論功行賞や、初入閣が多さで在庫一掃などと称されていますが、そう呼ばれてもしょうがない一面はありますね。
ただ、個人的には、首相の政策に理解があるわけですから、論功行賞自体は問題ないと思っています。
首相がしっかり手綱を握ってればいいわけなので。
石破内閣では、それができるのかどうか、予測ができませんね。
すでに森山さん頼りの面が出てしまっていますし。
いずれにしろ、解散の時期もそうですが、東アジア版NATO構想がアメリカにもインドにも早々に否定され、地位協定の改定交渉も後退、日銀の独立性の主張も、市場の暴落などもあって自ら言及することで後退と、掲げた政策が現実の前に後退を余儀なくされている印象です。
そのほかでは、法人税も増税の余地があると言っていましたが、これもやめた方がいいですね。
法人税は、何年も掛けて、OECDだけではなくタックスヘイブンも巻き込み、15%程度と合意した国際的な基準があります。
日米の法人税は、今でさえこれより高いですから、法人税が上がるとなると、グローバル企業は、本支社間の仕入れなどで海外子会社の利益を厚くし、海外で法人税を納税するようになるでしょう。
日本の対外資産は世界一、つまりは国内へ還流しない利益が国外にたくさんあるわけですが、ただでさえ海外の収益を国内にどう還流させるか苦慮しているのに、それに水を差す動きになってしまいますから。
その辺り、経済に弱いと言われる石破首相が解っていたのかどうか。
 
石破さんの評として、「後方から味方を撃つ」というのがあります。
後方から理想論を言うのは簡単ですし、党内野党としては、それが存在感を高める上で有効だったでしょう。
しかし、理想論を現実に落とし込むのには、色んな人を巻き込んでいく必要がある。
会社でも、一線を引いた立場から、色々と評論家みたいに正論を言う人がいますが、その人が敢然と対策案を進めるバイタリティと情熱を持っているかと言えば、そうではない場合が多いでしょう。
石破政権の最初の支持率が悪かったのは、政策を後退させた部分ももちろんあるでしょうが、根本的には、この正論論者的評論家の部分だと思っています。
この評を覆すことができるのかどうか、ちょっと注目したいですね。
 
一方の野党立憲民主党では、日銀の物価安定目標を2%から0%超に下げるという公約を出しました
これは・・・民主党時代から何も変わっていない・・・
物価と賃金は、あざなえる縄のごとしです。
先に賃金が上がれば、可処分所得が増えますから、需要が増えて売りやすくなり、やがて売価が上がる。
先に物価が上がれば、コストプッシュインフレという言葉はありますが、企業は市場や融資銀行から評価される以上、営業利益率という言葉からは逃れられないので、いずれは利益にも物価分の伸びが加わることになります。
そして、それが賃金に波及する。
鶏と卵ですね。
どちらが先かは分からない。
この片方である物価を0%にするとどうでしょう。
企業は、売価が上がらないので、賃金に還元することができません。
一方で、立憲民主党は、最低賃金を早い段階で1500円にすることも掲げています。
売価を上げずに賃金を上げなければいけません。
企業は、合理化や省人化を図って対応するでしょう。
あるいは内部留保を吐き出さなければなりません。
すると、職を失う人が出て来ますし、売り上げが上がらなければ企業も保守的になり、内部留保をなんとしても確保しようとします。
結果、世の中にお金が回らない。
これは、30年間見て来た景色ですね。
問題の根本は、企業の収益が上がったのに、労働分配率が下がり続けたこと。
ターゲットはそこなんです。
片方を縛ったまま片方を上げるなんて、そんな政策は続くわけがない。
現実的ではない、耳に心地の良いだけの公約を掲げるなんて、本当に何も変わっていないですね。
 
物価高に苦しむ人が多いとは言いつつも、国外の狂乱物価に比べれば、日本の物価なんて全くマシな部類でした。
そこは岸田政権で評価されていい部分かと思っていますが、評価されませんでしたね。
それは横に置くとして、物価は、今は2%を切るレベルに来ている。
海外での、目標としての物価上昇率は、一般的に2%程度です。
現代の経済政策は、その2%を基準に色々と実施されるわけですな。
FRBが利下げに転じたのも、インフレ率が2%に近付いたから。
日本は、そういう意味では、通常の経済政策が立案できるような、良い状態にあるわけです。
それをわざわざデフレの世界へ戻そうとする党がある。
何を思ってこんな常識無視の政策を出してきたのか、理解できないですね。
支給額が決まっている年金世代を取りに来ているのかも知れませんが、現役世代には受けないでしょう。
もっと経済政策を勉強して欲しいものです。
 

2024年10月6日日曜日

サイトのリニューアル 鳥取の全スポット終了

旅日記サイトのリニューアルですが、鳥取県で訪れた全スポットの作成を終えました。
 
 
鳥取県のスポットは、お城が17城、温泉が5ヶ所、観光地が1ヶ所、神社が2社、史跡が3ヶ所、自然が6ヶ所、資料館が4館、橋梁が2本の計40スポットです。
兵庫県からお手軽に行ける隣県ですので、訪れた場所も多いですね。
改めて、鳥取県と岡山県は、ちょっと遠くまで行こうと思ったときに、一番ハードルが低い県なのだと、改めて自覚しました。
国道2号バイパスと岡山ブルーラインが無料の岡山県と、鳥取道が無料の鳥取県。
ちょっと日帰りで・・・なんて考えた時に、強力な味方となります。
あと、特筆すべきは温泉の多さでしょうか。
地元の兵庫県以外に、これほど温泉を訪問している県は無いです。
因幡伯耆は、隠れた温泉強国ですな笑
さて、本州での兵庫県の隣県の作成を終えました。
最後の四国の隣県である、徳島県へ進むとしましょう。
 

2024年9月29日日曜日

2024年自民党総裁選挙

自民党の総裁選挙が終わり、5度目の挑戦にして石破さんが総裁の座に着きました。
これは市場の予測とはかなり違っていたようで、第1回目の投票で高市さん優位を受けた株価の上昇と円安傾向から一転し、東証先物は2000円以上下げてサーキットブレーカーが発動し、為替も円高に振れましたね。
与党である自民党の総裁選は、今後の日本の行方を左右するものですが、それでも上下で3円動くとは、恐ろしい。
それはともかくとして、第1回目の投票での高市さん有利から、一転して決選投票で石破さんが勝利したのは、岸田さんが石破さんに乗ったためという話が出ています。
大した根回しもなく、派閥解消を宣言した岸田さんですが、総裁選では、旧岸田派で派内No.2の林さんの出馬を支援し、決選投票では、岸田政権の施策を引き継ぐという条件で派閥丸ごと石破さんに乗りました。
これは派閥政治の動きそのまんまなわけなんですが、派閥解消を唱えた本人がやるとなると、ちょっと。
小手先の派閥解消宣言だったんでしょうね。
個人的には、民主主義は多数派工作で成立しますし、考えの近しい集団というのは、ある程度の人数になれば発生しますから、派閥やグループは当たり前のこととは思っています。
高校のクラスで仲の良いグループに分かれるのと同じで、社会生活では必然の事でしょう。
でも、今回ぐらいは、宣言した本人の派閥ぐらいはフリーで良かったんじゃないのか、と思いますね。
自分の決めた政策についての整合性ぐらいは、保っておいて欲しかったな、と。
今回は、派閥として存続する麻生派でも目立った派閥選挙はしませんでしたから、尚更の事。
ただ、これによって、岸田さんがキングメーカーとしての立場を上げたことは確実です。
副総裁には、菅元首相が就くようですから、麻生さんvs菅さんのキングメーカー対決は、菅さんが勝ったように見えますが、菅さんはそもそも小泉さん支持でしたからね。
副総裁は、ほぼ名誉職ですから、岸田さんが一番おいしい部分を得たのではないでしょうか。
 
石破さんが総裁になったことにより、これまでの言動から、政策はやや左派に寄るものと思われます。
対して、やや右寄りになった立憲民主党。
両党共に内情は色々あるでしょうが、表面上の政策に差があまり無くなることから、この与野党の選挙での対決は、面白くなるかもしれません。
そして、自民党支持の保守層の受け皿として、国民民主党が伸長するかも知れませんね。
反対に立憲民主党の左派の受け皿として、共産党が伸びるかも。
ま、こちらは選挙で協力してたこともありますから、影響は少なそうですが。
早々に行われるはずの衆議院の解散と議員選挙が、ちょっと荒れるかもしれませんね。
 

2024年9月25日水曜日

2024年立憲民主党代表選挙

自民党の総裁選に隠れたようになっていますが、野党第1党の立憲民主党の代表選挙が終わり、決選投票の末に野田元首相が代表となりました。
色的には、左派的な色彩が強かった今までの代表よりも、かなり中道に寄ったイメージですね。
本気で政権を取りに行く!という言葉が出ているように、政権奪回を目指すなら、野田さんしかないでしょう。
なぜなら、国民は左派政権を望んでいないから。
他の人たちだと、色が付き過ぎているんですよね。
自民党は、国内では保守とは言われますが、世界的に見れば穏健左派で、イデオロギー色の少ない党です。
安倍元首相も、就任当初は右派としてオバマ元大統領に警戒されたりもしましたが、精々中道右派程度の立ち位置でしょう。
自民党内では、右から左までいますが、与党として出てくる政策は、比較的中和されるんですよね。
個人的には、自民党が与党である期間が長い理由としては、中道中庸を是とする国民性があるからではないかと思っています。
要は、ドイツのような極端な性向を持った党が与党にはなれない。
そういう意味で、政権奪回を目指すなら、野田さんしか考えられないんですよね。
ただ、野田さんの考えに対して、党内が付いて行けるかは別問題。
早速、党内や支持者から不満が出ている模様です。
他の候補者を要職に起用していないとか、幹事長に就任した小川氏が、代表選直前で左派グループを脱退して野田氏支持に回った経緯などが、不満の要因となっているとか。
ただ、出てくる話を聞くと、ほぼ派閥やん!と思ってしまうんですがね。
自民党の派閥を批判していたのは、何だったのかと。
個人的には、派閥というか、考えの近しい集団に分かれるというのは、無くならないのが当たり前だと思っています。
自民党も、派閥はほぼ無くなりましたが、今の総裁選の支持集団をベースに、あらたなグループができるんでしょう。
そういう集団を前提に、民主主義の根幹である多数派の意見として統一できるかというのが、政治家の腕の見せ所だと思っています。
野田さんにその手腕があるのかどうか、今後は実力が試されますね。
 

2024年9月21日土曜日

迷路遊びからお城イラストへ-香川元太郎の作品世界-

明石市立文化博物館で、夏季の特別展として、香川元太郎さんの作品が展示されていました。
香川元太郎さんと言えば、お城の絵で有名ですね。
各地の博物館や案内板、パンフレットでもしばしば見る、お城の鳥観図を描くイラストレーターです。
どんな絵か分からない方は、
 
 
で公開されていますので、ご覧ください。
いくつかのお城を巡ったりしてる人は、知らず知らずの内に見ているんじゃないでしょうか。
自分の中では、ネット上でたくさんのお城の縄張図を公開している余湖さんと並んで、城郭2大画伯と言える存在。
特徴的なのは、天守閣の分解図なども書いていることで、お城や城郭建築の構造を理解していないと、描けない絵です。
・・・つい買っちまいました。
 
 
久々の衝動買い。
展示の方でもかなりの数の作品を見たんですが、見返したくて、つい買ってしまいました。
見開きになっているので、ページが折れないよう慎重に見て行くと・・・やっぱりいいですね!
攻城戦の様子が描かれたお城なんかもあって、縄張図+アルファの構図がいい感じ。
今年いっぱいはこれでご飯がおかわりできるわ笑
 

2024年9月15日日曜日

党首選挙2024

自民党総裁選と立憲民主党代表選という、党首を決める選挙が始まりました。
自民党は、派閥の解体というのもあって、9人という大量立候補となりましたね。
一方で、推薦人を集められず、野田さん、青山さん、斎藤さんは出馬断念となりました。
それぞれの候補者の支持者をまとめると、下のような感じでしょうか。
 
石破茂・・・・旧石破派一部議員+茂木派青木系議員中心
加藤勝信・・・旧茂木派小渕系議員中心
上川陽子・・・ベテラン女性議員中心
河野太郎・・・麻生派一部議員
小泉進次郎・・菅グループ中心
小林鷹之・・・横断的若手議員+重鎮2世議員
高市早苗・・・保守系議員
林芳正・・・・旧岸田派中心
茂木敏充・・・茂木派中心
 
こうして見ると、前回の小石河連合は完全に瓦解し、茂木派も3分裂、麻生派は自主投票に近い形という感じでしょうか。
派閥選挙らしいまとまった動きをしているのは、皮肉にも、派閥解体を断行した岸田首相の岸田派のみという状況です。
世論調査では、石破さん、高市さん、小泉さんの順となっていますが、これだけ乱立すると、党員票を含めた第1回選挙で過半数を獲得するのは難しく、決選投票になるでしょう。
そうなると、議員の票の取り合いになるわけですが、選挙後の体制や大臣の椅子を含めた話にもなってきますので、まだまだ分からないですね。
ただ、後ろから撃つという話が行き渡っている石破さんは、議員に人気が無いので、第2回の投票は厳しいでしょうか。
なんだかんだ内閣はチームですから、支えて行こうという感覚が持ちにくい首相候補が厳しいというのは、肌感覚としてよく解ります。
それから、神輿の軽さで議員の支持が厚そうな小泉さんですが、小泉構文がネットでは有名で、そういうネタにされている人が首相になるというのも、個人的にはどうかと思いますね。
環境相時代から、経験を上積みできたようにも思えないですし、首相になってもすぐに行き詰りそうな雰囲気を感じます。
あと、選挙のシステムについて、党員票をもっと反映すべきという声もありますが、党員以外からの票も集めて勝ち残ってきた議員の票は、重くてもいいんじゃないでしょうかね。
 
さて、立憲民主党の候補についてですが、こちらはいつも通りという感じでしょうか。
候補者は、いつも見る顔ぶれで、話題としては、前回の代表選出後に小沢さんとの約束を反故にした影響もあり、泉代表が小沢さんの支持を得られずに推薦人集めに苦労したのと、江田さんと吉田さんの土壇場の協力体制ができたことぐらいですね。
ただ、吉田さんの協力体制というのは、なんというか、派閥による候補者の擁立とどう違うんでしょうか。
個人的には、学校のクラスで仲の良いグループができあがるように、派閥ができるのも当たり前と思っていますが、それを批判していた立憲民主党の代表選では、控えるべきだったのでは?、と思います。
 
ちょっと長くなりましたが、来週中には両党とも新しい体制が確定しますので、色々と見て行きたいですね。
 

2024年9月7日土曜日

サイトのリニューアル 鳥取のお城終了

サイトのリニューアルですが、鳥取県で訪れたことあるお城の作成を終えました。
鳥取県で訪れたお城は17城。
さすがに隣県だけあって、そこそこの数になっていますね。
鳥取道や米子道でシュっと行けるだけに、ぶらっと気が向いて行く時のために、行くのをちょっとセーブしている面はあるんですが、それでも積み重なって結構なお城の数になっています。
地域も割と偏り無く。
強いて言えば、東伯耆や東因幡が手薄ですが、今後の楽しみにしておきましょう。
さて、お城が一段落しましたので、続いては鳥取県のそのほかのスポットを進めて行きますか。
そのほかのスポットも、なかなか多いですしね。
 

2024年9月1日日曜日

東信群馬埼玉ツーリング その4

前回までのあらすじ
 
山城にスマホ持ってくの忘れるとか痛恨すぎる!
 
ツーリング初日の宿所は、佐久ホテルという、かなり歴史を持った温泉旅館でした。
ただ、この日は連休明けというのもあって、宿泊客は自分を含めて2組。
チェックインして旭湯温泉を満喫した後、夕食無しのプランだったので、岩村田の商店街をブラブラすると、地元に根差したお店が結構あって、路地も含めて見て回るだけで愉しかったですね。
色々と迷った挙句、三月九日青春食堂という定食屋さんで夕食を頂きました。
ライティングの影響で全体的に赤い画像になっていますが、ご飯はこんな感じ。
 
 
ボリュームもあっておいしかったですね。
ホテルも含めて、のんびりと過ごさせてもらいました。
 
翌日。
朝食の時間までにぶらりと散歩へ。
ホテルの近くに大井城というお城があります。
ここ岩村田周辺を領した大井氏の居城ですね。
王城公園になっている部分が主郭で、その北に石並城という郭、南の県道の向かいの台地も黒岩城と呼ばれた郭跡です。
王城公園の内部に入ってみると、かなり大きな削平地でした。
王城公園の南東側はこんな感じで、普通の公園という感じになっています。
 
 
公園の西側に目を向けると、土塁の痕跡と思われる僅かな隆起が。
 
 
大井城の解説板もあります。
 
 
公園内には、王城のケヤキという大木がありました。
朝焼けに映えますね。
 
 
公園裏手の湯川の川沿いに行ってみると、大井城の防御力の源泉が見えます。
立派な河岸段丘の崖ですね。
ほぼ垂直で、こちら側から登るのは不可能でしょう。
 
 
公園北側に回ってみると、主郭の崖がよく見えます。
右手は石並城の崖。
 
 
王城公園から石並城の台地。
宅地化されていますね。
 
 
県道を渡って黒岩城を下から。
内部にも入ってみましたが、畑地と藪で遺構は判りませんでしたね。
 
 
帰りに、すぐ近くの岩村田陣屋にも寄ってみました。
 
 
藩主は城主郭の内藤氏で、1万5千石の石高でしたが、維新後は早々に開墾されたりしたようです。
江戸時代に造られた陣屋は、お城ほど改変されていないので、早々に再利用されることが多いですね。
そういうのもあって、遺構もありませんでした。
 
つづく
 
参考: