碓氷峠制覇!
峠と言いつつ、ひたすら下っただけですが。
何か、このツーリングの話がなかなか進まず、月刊のようになっていますが、ようやく長野を脱出しました。
長野群馬県境の碓氷峠を下ると、そこは群馬県。
旧国名では信濃と上野の境となりますが、ここは勢力の境目でもありましたね。
室町時代には、鎌倉公方の管轄であった上野国と、幕府の管轄であった信濃国の境目で、戦国時代に入ると、上野の守護でもあった関東管領山内上杉家が勢力を増すと峠の西の信濃側へ影響力を及ぼし、戦国大名化した武田家が信濃まで進出すると、峠の東の上野側まで勢力圏を拡げました。
国境は、ちょうど天秤の真ん中のような感じでしょうかね。
ここを中心に、信濃側に傾くのか、上野側に傾くのか。
戦国時代の中期から後期に差し掛かると、上野まで北条氏が進出しますが、西上野は武田領のままで、碓氷峠から安中の辺りは武田家臣となった安中氏が支配していました。
それが、武田氏の滅亡を経て、武田氏旧領を併呑した信長が本能寺の変に倒れると、武田旧領では武田旧臣が蜂起し、それぞれ徳川氏と北条氏が支援したことで、両者による争奪戦である天正壬午の乱が繰り広げられます。
しかし、この戦いは膠着状態になってしまい、両者で甲斐信濃は徳川領、上野は北条領にするという手打ちが行われました。
この手打ちによって、信濃から上野に掛けて領地を持っていた真田昌幸がヘソを曲げるわけですが、それは同じ上野でも北西辺りの別のお話。
安中辺りの西上野は、手打ちの通り北条領となり、北条氏の伊豆時代からの重臣の家系である大道寺正繁が、境目の城として松井田城を大改修するわけです。
今回、ここまで来た主目的のひとつは、この松井田城。
いよいよですね。
横川から少し東に行くと、松井田の集落へと入ります。
ここには菩提寺があり、ここにも松井田城の説明板が。
ここから北へ走り、松井田城のある山塊へと入って行きます。
ちょっと足で登らないといけないかとも思っていたんですが、幸いにも山道を登った先の駐車場がもう城域の一角で、すぐに散策に入ることができました。
この松井田城は、別城一郭のようになっていて、安中氏時代の城と、大道寺氏時代の城が峰筋に並んでいます。
このほかに、詰城と呼ばれる場所も西にあり、集落にあった松井田の居館の詰城だったと推測されていますね。
それだけ、それぞれの時代で要衝として重視されていた地域だったということの証になるでしょうか。
城の駐車場の辺りはもう城内で、早速、堀切と土塁が出迎えてくれます。
良きですね。
次に向かうのは本丸北側。
横堀がありました。
続いて武者溜。
そして連続竪堀が見えます。
ただ、例のごとく写真ではちゃんと見えないんですよね。
続いて大手門跡。
巨石の石垣の痕跡が残っています。
ここから先は、いよいよ主郭部ですね。
まずは馬出。
そして二ノ丸へと入って行きます。
二ノ丸の西側突端には、土塁が残っていました。
同じく二ノ丸の南側。
いよいよ本丸へ。
本丸には櫓台もありました。
戦国時代も末期に整備されたので、天守的な櫓だったのかも知れませんね。
今は社が祀られています。
こちらは細長い峰筋を削平した感じで、中世的な匂いが強いですね。
奥へと進んで行くと、松井田城址碑がありました。
詳しい話は分かりませんが、安中郭だけが安中市の史跡になっているようなので、そのためですかね。
安中郭から下りて行くと、S型空堀がありました。
この辺りまで下りると、再び北条氏の匂いが強くなりますね。
滝山城の長大な堀を思い出しました。
さらにその先には水ノ手があります。
いや~、大きな城でしたね。
非常に満足です。
ちょっと文と写真が多くなり過ぎたので、今回はここまでにしましょうか。
次回は、いよいよ管領山内上杉氏の居城平井城です。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿