武田信玄が重視した内山城を攻略!
前日に犯した失策は、少しだけカバーできました・・・
前日、平賀城から岩村田まで、細い道が多くて結構時間が掛かったので、時間短縮のため、千曲川を渡って中部横断道へ。
佐久北I.C.まで走れば、丸っと旧市街をパスできます。
そして、国道141号線から国道18号線へ辿り、碓氷峠へ。
碓氷峠へ差し掛かる手前の軽井沢の駅前は、さすがに避暑地としての雰囲気がありましたね。
自分は買い物やグルメを楽しむことも無いので、完全スルーですが、雰囲気だけは味わいました笑
軽井沢の駅前近くには、碓氷峠のバイパス、正確には入山峠への分岐があるんですが、そちらへ向かう車を横目に、旧道へと向かいます。
ちなみに、古代の東山道はバイパスのある入山峠経由だったようで、当時の碓氷峠は、その入山峠のことだったという説もありますね。
旧道に入ると、そこからはひたすらにヘアピンカーブが続く下り道となり、難所度合いが実感できます。
上と下という漢字が入った峠という名前がついていますが、碓氷峠は片勾配の道なんですよね。
なので、ひたすら下り。
ただ、観光客の車はバイパスへ流れてしまっているので、先行車どころかすれ違う車すらありません。
こんな楽しい道を独り占めできるとは!
途中、めがね橋が横に見え、観光客もちらほらいたんですが、車がいないという魅力に抗えず、立ち寄らないまま走り続けてしまいました。
峠道を抜け、下り道が最終盤の坂本宿跡に差し掛かる頃、何やら前から仮装した人たちが。
後で調べたところによると、この日は安政遠足(とおあし)の開催日だったようです。
安政遠足とは、安中藩が藩士の鍛錬のため、安中城から碓氷峠の熊野神社までの7里を競争させたもので、日本最古のマラソンと言われるそうな。
こんな急坂を競争させる安中藩は鬼か。
しかも30km弱のコースの最後に碓氷峠の坂を持ってくるなんて、
まさに鬼の所業!
当時は、移動はひたすら自分の足でしたから、現代人と基礎体力が違うとは言え、恐ろしい話ですね笑
今から坂をひたすら登ることになる人たちへ心の中で拍手をしながら、坂本宿を抜けて横川駅へ向かいます。
軽井沢から横川の区間は、明治期の鉄路開通以来、難所として知られ、かつては専用の機関車が補助で付くことで有名でしたが、北陸新幹線が開通すると、廃止されてしまいました。
残念ですけど、どうしてもボトルネックになるので、仕方がないことですが。
現在は、一部の線路を利用して、鉄道文化村という施設になっています。
まずは記念に鉄路を跨いで撮影。
この鉄路は、鉄道村へ車両が反応される際に使われるとのこと。
横川駅は、車止めで終着駅になっています。
横川駅の北側に出ると、鉄道村に止められている車両を見ることができました。
かつて使われていた線路が残っており、そこには碓氷峠専用の補助機関車として開発されたEF63の重連が。
そうこうしている内に、機関車と車掌車が進んできました。
体験運転ができるとのことで、何とも羨ましい限りですね。
ちなみに、峠の釜めしも食べてみたかったんですが、今は横川駅では売っていないそうで、国道沿いに店舗があるそうです。
横川駅から線路沿いに西へ進んで行くと、碓氷関所の跡がありました。
碓氷峠は、関東である上野と信濃の境目で、江戸幕府は、関東へ出入りする人や物を取り締まる場所として、非常に重要視していたようです。
実際の運営は、幕府と安中藩の共同だったようですが。
この日は、関所まつりが開かれていて、非常に賑わっていましたね。
出し物の時間とは合いませんでしたが、お祭り気分が味わえて、楽しかったです。
つづく
参考:
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