先日、というか先月ですが、ちょっと大江山まで行って来ました。
大江山自体には登らず、バイクでもなかったんですけど、なかなか良かったです。
その報告をば。
目的地は、大江の家グリーンロッジ。
その入口にはライコウさんとして大江山の酒呑童子の鬼退治で知られる源頼光と、その配下の四天王の像がありました。
歴史好きだけに、この辺りは、おぉ!ってなりますね(^^)
でも顔が皆同じような感じ。
いや、ほぼ同じ!
もうちょっと個性を出せなかったものか・・・
このロッジの近辺には、ライコウさん所縁の名勝がありました。
名勝というか伝承地の類ですが。
まず、鬼の足跡。
ライコウさんの腰掛岩。
そしてその先には、吊橋の新童子橋。
車道から見るとそれほど高さは無いように見えたのですが、車道と渓流には既にそこそこ高さがある為、吊橋から渓流までとなると、結構な高さです。
そして、吊橋からの景色。
下を見ると渓流の流れがよく見え、視線を上げていくと遠くの山々の遠景が見える。
吊橋独特の風景で、心地よかった(^^)
この後、大山口内宮駅から宮津まで、気分を変えてしばしローカル線の旅。
宮津駅から宮津城はすぐそこです。
いや~、懐かしい。
宮津城の痕跡を探してうろついていたのも、ついこの間やのにな・・・と思って指を折ってみると、
9年前!!
片手で足らんなぁと思ってたら、危うく足まで使わなあかんところやったわ!
そらあんた、年も取りますわい。
手の範囲で収まったからセーフにしとこか。
何がセーフかは知らんけども・・・
安保法制が成立しましたね。
それについて少し感想を。
今回、色々と盛り上がりましたが、なんかこう、野党は稚拙でしたね。
与党も説明不足、答弁の準備不足の感がありましたが、揚げ足取りや審議拒否を連発した野党は、ちょっと見苦しかった。
安保法制は大事な法案です。
それは与野党も主張は同じなのに、なぜその本質が正面切った議論にならないのか。
上辺だけの討論に終始した感がありますね。
戦争法案、徴兵制等々、まともな現実認識ではちょっと議題に上がらないような煽り文句ばかりが目に付きます。
戦後70年の平和と一言で言いますが、その間には朝鮮動乱や冷戦の発生と終結、ソ連の崩壊など、日本周辺だけでも目まぐるしく情勢は変わってきました。
日本はその間、自衛隊を作り、日米安保条約を結んで、安全保障でもかなり変化しています。
戦後70年間変わらず平和にやってきたのだから、という認識はちょっと表面的過ぎるでしょう。
憲法学者が違憲としたという意見もありますが、憲法学者にすれば自衛隊自体を違憲とする学者がほとんどです。
なぜそこは言わないんでしょうか。
学者が唱えるのはあくまで机上の論で、政治は現実です。
その狭間が専守防衛の自衛隊であり、憲法解釈なんですが、自衛隊はOKで安保法制はNGというのは、筋が通らないですね。
かつての共産党や社会党のように、正々堂々と自衛隊廃止を唱えればいいと思うんですが。
対案として現実に即した策を出すならそれでいいし、理想に燃えて自衛隊廃止を打ち出すならそれもいい。
どちらもしないで反対反対じゃ、こちらも判断の叩き台に乗せようが無いですね。
民主党政権時代は、それまでの主張は必ずしも通せなかった。
それは、現実という壁があったから。
それまで打ち出していた政策を曲げて、ある程度現実的な判断をしていたと思います。
子供手当ての減額しかり、武器輸出三原則の緩和しかり。
その政策が適切かどうかは別としてね。
しかし、そこで学んだかと思ってたんですが、それは過大な期待だったようです。
女性議員を並べてセクハラと叫ぶ、牛歩戦術を採る、選挙で大して話題にしなかったのにデモには嬉々として参加する。
昭和時代の何でも反対してりゃいいという社会党そのままですね。
自民が現実をしっかり見据えた保守なら、民主は同じように現実的なリベラルを目指してこそ、対等足り得るのに、思考停止のリベラルじゃどうしようもないですわ。
早くちゃんとした議論ができる野党ができることを願って止みません。
ちょっと愚痴っぽくなるんですが、ちょっと問い合わせのお客さん対応について少し。
この前、スクエアエニックスのとある製品のキャンペーン登録をしたんですが、ちょっとトラブリまして・・・
登録の流れとしては、
製品に表示されるURLにアクセスし、製品に表示される認証コードと登録用アドレスを入力
↓
その際に登録したアドレスにユーザー登録確認用コードを載せたメールが届く
↓
その登録確認用コードを指定されたページに入力するとユーザー登録完了
↓
商品のユーザーページにてキャンペーン特典をGET!
という感じ。
で、キャンペーン締め切りの当日23時ぐらいから作業を開始しまして(遅っ!)、認証コードを表示できるようになるまでちょっと時間が掛かるんですが、無事、キャンペーン期限の24時までに表示させてURLにアクセスし、認証コードを入力。
登録したアドレスに返信が届き、その登録確認用コードを指定されたページに入力。
そして、登録完了のページが表示されました。
よし。
さぁ、キャンペーンを受け取ろうとユーザーページで登録したIDを入れると、登録されていないの文字が。
おや?
間違えたかなともう一度入力してもはじかれる。
念の為、その商品のユーザーページではなく、スクエアエニックス全体のユーザーページにアクセスすると、ちゃんとIDが生きててログインできるが、商品一覧を見ると、買った商品はリンクされていない。
ん?
状況がよく分からん。
商品のユーザーページに反映されるまで少し時間が掛かるのかと待ってみたが、やっぱり無理。
ここらあたりで23:45。
さすがにちょっと焦ってくる・・・
もう一度やり直そうかと改めて認証コードを表示させたが、一定時間は変わらないようで、さっき入力したコードと同じものが表示される。
しょうがないのでそのコードを入力してみると、このコードはロックされていますというような表示。
そりゃそうよな。
そのコードで登録作業をしたわけやから。
じゃ、やっぱり登録はされてるのかとユーザーページにアクセスすると、やはり登録されていない、となる。
もうね、混乱ですわ。
エラーで弾かれるならともかく、ちゃんと完了しましたのページが出ただけに、どういう状況かさっぱり把握できない。
え?
え??
えぇぇ???
となっているうちに24:00が来て終了ーーーー
という顛末でした。
とりあえず、状況がよく分からないので、メーカーの問い合わせフォームに顛末を書いて、補填は無いのかと聞いてみる。
数日後に返答があり、商品ユーザー登録をされないとキャンペーンは受けられませんという返答。
いや、登録作業して、登録完了まで出てるのに登録されてなかったんやけど。
どうやってキャンペーンを受け取れと?
ま、そんなやり取りが数回続き、偶然ウィンドウを残しててキプチャしていた登録完了のページやら、登録アドレスに帰ってきたメールのヘッダやらを提出し、ログを確認してもらったらこちらがきちんと登録作業をしていたことが分かるから確認してくれ、と言っても返答変わらず。
最後に、商品に表示される認証コードは時間で固定なのか何回表示させても同じでしたよね?そのコードで登録をやり直そうとしてもロックされてましたよね?明示されたやり方で登録して登録完了ページまで表示されてる上にユーザー側で登録やり直しもできないのに、他に方法があったんですか?その仕様は理解されていますか?と問い合わせると、ようやくミスを認めてキャンペーンを受け取れるようになりました。
しかし、こちらは明示された方法でやってるのに、後味が悪いな・・・
Ymobileの時も、仕様上ありえません!って言われましたが、モンスタークレーマーを警戒してか、対応の方はまず完全否定をしますね。
仕様通りに全てが動くなら故障も無い訳で、故障対応すらいらないって自己否定することになるんですが・・・
隙を見せないという、そういうマニュアルなんでしょうかね。
取り合えず否定してしまうものだから、こちらが状況を説明しても詳しく精査しようとはしない。
ま、技術的な話になると問い合わせ窓口では限界があって、技術部門への依頼というのも色々手続きが大変なのかもしれませんが、なんせまどろっこしくてしょうがない。
話が進まないですからね。
今回の件もYmobileの件も、こちらがある程度、情報を集める知識があるからログ取りなんかをして、陥った状況の証拠にしたわけですが、普通の人なら泣き寝入りしてしまうかもしれません。
あと、気付いたのが自分の心理状態で、最初は何とかならんかな?程度で問い合わせるんですが、完全否定されてしまうと、じゃあ目の前で起こってる事はなんやねん!っとなってしまい、状況の改善や保障よりも目の前の状況を認めさせる事に主眼が向くようになってしまいますね。
どこかの青い人が言ってましたが、まさに、
事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!
という心境ですね(笑)
で、結局かなりの労力を割く結果となる。
クレーマー対応の弊害かも知れませんが、非生産的ですわ・・・
早い段階で登録動作の不備を認めてくれてたら、ここまでムキにはならなかったかもしれません。
カスタマ部門はこういう心理状態を参考にして欲しいですね。
分裂の話が2つ、紙上に上がってますな。
維新の党と山口組。
維新の党は、元々地方議員の多い大阪系と国会議員の多い東京系でよく意見が割れていましたが、衆議院議員選挙の結果が芳しくなかった時点で分裂は予想はできたことでした。
選挙に勝てる事が求心力の源泉ですし、橋下さんは安倍首相と政策的に近しい部分もありますしね。
日本維新の会から石原さん系統の保守グループが分離した後、みんなの党からリベラル寄りのグループが離党して作った結いの党とくっついて維新の党となるわけですが、独自色の強い橋下さんと、野党結集を目論む江田さんでは、ちょっと毛色が違うという感じでした。
結局、大阪派と、みんなの党系や民主離党組のリベラル組に分かれるんでしょうけど、数を追おうとしたことが裏目に出ましたね。
ま、松野さんは鳩山さんの側近で元民主、柿沢さんは結の党系で共にリベラル色が強いですし、民主党に入ったほうが分かり易くていいかと。
ただ、こちらのリベラル組の人達は党に縛られる比例当選が多く、その拘束がなかなかきつそうではありますが。
前回の選挙を見てみると、維新の看板無しで単独で選挙に勝てた人はほとんどいないですからねぇ
きつい縛りをなんとかして、どこかの看板として掲げられる政党に属さないと、政治家として終わってしまうというあせりはあるでしょうな。
もうひとつの分裂騒動は山口組。
これはちょっとびっくりしたんですが、昨今の資金集めの難しさも背景にあるようですね。
アメリカがテロ関連の制裁リストとしてSDNリストというのを策定していますが、それに日本のヤクザ組織やヤクザ個人までもが載り始めてるので、色々と制約がきつくなっています。
アメリカ国内の資産凍結はもちろん、一番きついのは日本国内の銀行なんかの金融関係ですか。
銀行もアメリカで商売できなくなるのは困るので、その辺りは厳格に運用してまして、何しろ口座が作れない。
偽名で持とうものなら詐欺罪でしょっ引かれる。
もうそれは警察が嬉々として(笑)
口座が持てないと、引き落としや振り込みなど、今や当たり前になったことができない。
カードも持てないしローンも組めない。
これは一般的な市民生活をしようと思ったら相当不便です。
こういう個人の不便だけではなく、企業の体裁を取っているフロント企業なんかにも波及しますからね。
表向きは企業として活動していた集金システムが、維持できない状態になりつつあようです。
そして、暴対法も締め付けがきつくなっていますから、アンダーグラウンドの集金も厳しい。
更にそういうアンダーグラウンドな手法で金を集めた場合には、末端の逮捕が組長の逮捕に繋がる使用者責任というのもあります。
ヤクザにとってはリスキーですよね。
それでも、フォーチューン誌によると、その集金力は800億ドル。
今の為替レートで言えば10兆円近く。
東京都の歳入が6兆円程度、ギリシャの国家予算が1000億ドル強というのを考えると、どの程度かというのが想像できますね・・・
山口組の分裂騒動は、どこかの比較的大きい中進国の国を分けた権力争いに相当するわけです。
そりゃ世界も注目しますわな。
The Daily Beastでは、この対立は朝鮮・韓国系派閥と被差別部落系派閥の対立としています。
そういえば、SDNリストに掲載されたヤクザも朝鮮系の名前が載ってましたな・・・
神戸西部ではよく聞く組も、古参が中心の分裂派に入っているようで、被差別部落派と聞いて納得・・・
しかも、分裂派の中でも結構大きい組のようです。
いや~知らない事がいっぱいですな。
できれば一生関わり合いにはなりたくないけど(^^;)
ちなみに、かなり前にも山口組に分裂騒動があり、よくニュースで聞いていた山口組と一和会の対立がそれだったようです。
初めて知ったわ!
そして、一和会(いちわかい)は最初は「かずわかい」という名称でしたが、マスコミが「いちわかい」と伝えたので一般化し、「いちわかい」に呼称を変えたそうな。
代紋の名前やのにそれでええのか?ええのんか?
先日、神戸新聞に船上城についての事が書かれてありました。
偶然にも、この春にちょうど近くに行ったので寄ったんですよね。
おぉ、実にタイムリー(^^)
記事によると、地元の方は城跡として盛り上げたいが、周辺一帯が私有地なので、城跡に通じる道を造るわけにもいかず、市としても発掘調査をしていないので城跡と確定できておらず、静観するしかない状態、ということのようです。
高山右近関連で、高槻に紹介パンフレットを置かせてもらっている程度だとか。
お城の整備というのも、実際に土地が絡む話になりますから、色々としがらみが出てくるもんですね。
城の歴史を辿ると、築城者として高山右近重友の名が出てきますが、もともと室町時代に赤松氏が砦を築いたのが最初です。
室町時代の頃という大きな括りですが、恐らく嘉吉元年(1441)の嘉吉の乱の時でしょう。
城のすぐ北、西国街道の和坂(蟹坂)と言う場所で、幕府軍と、将軍足利義教を謀殺した赤松満祐の子教康率いる赤松軍が対峙してますが、その防衛線の一端だったかと思われます。
和坂は今の国道2号線と国道175号線の交点あたりですね。
明石から続く平地が西の台地に差し掛かる坂で、船上城からは約1kmという近さです。
次に船上城が歴史に登場するのは戦国時代。
秀吉の兵糧攻めで有名な三木の別所氏の一門、別所吉親が築いた林城や林ノ城という城がありました。
築城は永禄年間(1558-70)前後といわれています。
少し西に行くと、三木城で籠城した別所氏にせっせと兵糧を運んだ魚住氏の魚住城がありますね。
両城の距離は約7km。
船で連携したとすれば、かなり近い距離です。
ちなみに、吉親は三木籠城時の当主だった長治の叔父で、賀相という名でも知られていますが、別所山城の受領名の方が有名ですね。
別所氏の方針を決定する際には、強硬な毛利派として行動した武将でした。
当主の叔父というこもあって、家中随一の実力者だったわけです。
その武将が築いた城ということで、別所氏としてはかなり重要視していたのでしょう。
魚住氏と連携して、制海権や海上交通を掌握しようという意図があったと思われます。
ただ、別所氏の本拠である三木と瀬戸内海の間には明石氏という、これまた赤松家中で守護代まで務めた比較的大きな家の勢力圏があったので、どこまで影響力があったのかは不明ですが。
その後、城は三木合戦の際に落城し、蜂須賀正勝や生駒親正が城番として一時在城しました。
この別所氏が秀吉に敗れてからしばらくして、ようやく高山右近重友の名が出てきます。
三木城の落城後、播磨は秀吉の差配する国となりましたが、前述の明石氏の当主則実は秀吉に味方していた為、勢力を残すことができました。
この時点では高山右近重友はまだ秀吉の同僚に過ぎず、池田恒興や、織田信孝に付けられた丹羽長秀などが旗頭となっている、畿内方面軍の中にありました。
その後、天正10年(1582)の本能寺の変を経て秀吉が打倒明智光秀の一番手になると、秀吉の率いた中国方面軍に畿内方面軍が合流する形で弔い軍が形成され、そこに属した織田家臣の諸将は秀吉の家臣化していきます。
そして、四国征伐のあった3年後に配置転換が行われ、則実は但馬の豊岡に移り、明石郡は右近に与えられました。
右近は、明石氏の居城があった枝吉城に入ってから船上城を築いたとも、直接船上城を築いて入城したともいわれ、入部の詳細は不明ですが、キリスト教禁教に逆らって改易される2年後まで在城しています。
その後、城は秀吉の直轄地を経て江戸時代は姫路藩領となり、藩主池田輝政の家老池田利政や甥池田由之が入っていましたが、小笠原忠政の明石藩が成立するとその居城として明石城が築かれ、資材が明石城に転用されました。
こうして、船上城には何も無くなってしまったのです。
現在の船上城はと言うと、天守台跡と伝わる台地に城山大明神という小さな社があるだけとなっています。
この前に寄った時は全体の写真を撮らなかったので、小さくて古い写真をば。
2000年頃の写真ですが、比べてみるとこの頃よりも周辺の農地が宅地化されていて、いずれは住宅地に埋もれてしまいそうですね。
今回撮ったのは、新しく建てられていた説明板だけ。
痕跡が少ない城ですからね。
説明板が新たに建てられていただけでもありがたい(^^)
このまま、伝天守台だけでもなんとか残ってもらいたいものです。
参考:
船上城
枝吉城
地図付きは
こちら
ちょっとまた話題が戻るのですが、安保法制に関連ということで。
アメリカの大統領選挙の予備選が、現在行われていますね。
アメリカでは、共和党、民主党がそれぞれ大統領候補を出し、大統領選挙を行うというのが通例です。
もちろん、それ以外の党も大統領候補を出す事はできますが、実際上は二大政党以外で大統領になる事はほぼ不可能と言えるでしょう。
この二大政党の大統領候補という立場を得る為、党内でも選挙があり、それを勝ち抜かなくてはなりません。
党内の選挙を勝ち抜いた人間が党候補となり、大統領選挙に挑む。
これは、日本でも同じようなシステムがあって、党内で総裁もしくは代表を選び、国会で首班指名という首相選挙を行うわけですが、アメリカの場合はどちらも直接選挙なわけです。
アメリカ人は4年に1回民主主義を勉強する、と言われる事があるのも、この直接選挙という仕組みからですね。
で、今、共和党の大統領候補選挙がどうなっているかと言うと、ブッシュ一族のジェブ・ブッシュ氏とドナルド・トランプ氏が有力です。
最近、優勢になってきたのは、トランプさんですね。
暴言王との異名もありますが(笑)
この人、お金持ちなんです。
金の掛かる大統領候補選挙で、自前のお金でやってると公言できるのは強い。
支持層、支持勢力というのは、当然ながら資金的にも言える事で、その協力が無くてもやっていけるというのは、ブレない要素になる。
その辺りと、過激な発言が保守層に受けて、急速に支持を伸ばしています。
で、本題なんですが、トランプさんは日本に対しても発言をしました。
「日本が攻撃されたら我々は助けないといけないが、我々が攻撃されても日本は助けてくれない。こんな片務協定は良い協定ではない。」
と。
訳し方はメディアによって幅があるんですが、要は、お互い様の協定になってないし要る?という主旨ですね。
現実的なアメリカの戦略を考えると、日米安保の放棄というのはほぼ有り得ないですが、政権によって体制に変化が起こるということは十分有り得ます。
とある芸能人が、自衛隊の方もアメリカの為に命を落としたくないと思ってると思いますよ、と言ってましたが、その時に書いたように、アメリカにもそういう主張はあるわけです。
特にアメリカは、何かあるとモンロー主義という孤立外交主義の殻に閉じ籠ることがあるヤドカリ的な性格がありますからね。
このモンロー主義の元となる不干渉政策を提唱したのも、共和党のモンロー大統領。
ですので、伝統的に共和党は孤立外交主義と親和性があるわけです。
こっちの兵隊ばっかり命を落とす片務協定なんて損やからお互い不干渉で行こうや!なんて主張が出てくる可能性は無いとは言えません、というかそれに近い発言だったわけだけど。
この辺り、安保反対派はどう考えてるんかな~
ぶっちゃけ、現在の日米安保は日本が甘い汁を吸う立場ですからね。
もともとアメリカが押し付けた、という側面はあるにしても。
日米安保をやめて軍備を増強して独立独歩で行くならそれもいいし、ベルギーやルクセンブルクのように相手国の機嫌頼みで中立を宣言してもいいんです。
でも、それを現実に落とし込む対案ってのが全く無いのは問題外。
しっかりとした対案、それに沿った政策を提示して、国民の理解を得ようとしなければいけない。
なのに理想の夢物語ばっかり語ってるから、どうしようもないんですよねぇ
ほんまもうちょっと成熟してほしいわ・・・
昨年の秋、兵庫楽農生活センターという所に行ったついでに、神出山城があるとされる雌岡山に登ってきたので、その記録をちらりと。
雌岡山、地元ではめっこさんやめっこうさんなどと呼ばれてまして、神出富士という別名がある稜線の綺麗な山です。
この山頂に神出神社があり、いつも初詣で回る神社のひとつなんですが、今回は下から徒歩で登ってみました。
地図で見ると、登山道は四方にあるようで、楽農生活センターからの道は北西からのルートになりますね。
山の標高は249m。
しかし、比高で言えば、200mを切る程度でしょうか。
時間にして、20分ほどの行程でした。
山頂は神出神社の境内地で、本殿がある頂上部、北東側の小駐車場、さらに北東側の大駐車場という3つの大きな削平地があるのですが、城があったというような確実な痕跡は見付けられませんでした。
神出山城の歴史を辿ると、周囲一帯を領したであろう神出範次という武将の名が出てきます。
この武将は、播磨の守護大名となった赤松円心則村の曾孫で、則村の嫡子範資の系統でした。
範資は、室町幕府草創の功臣である則村の嫡子として、重要な摂津の守護を任され、父の死後は播磨守護も継承して2ヶ国の守護となりますが、父の死後、僅か1年で没してしまい、摂津守護は範資の嫡子範光が、播磨守護と赤松家惣領は範資の弟で則村の四男である則祐が継承しています。
しかし、重要国であった摂津は、実力者による争奪や政治的背景が作用したようで、後に光範は守護職を失い、赤松氏の本宗筋も則祐系へと名実共に移りました。
この光範の次男が神出範次なのです。
とは言え、神出の名が出てくるのはこの時のみで、神出山城に関する詳しい記述はありません。
しかも、神出城には山城と麓の城があったようで、それが詰城と里城の関係なのか、全く別個の城であったのかもよく判っていません。
なんとも不詳な城なんです。
というわけで、神出神社に城の痕跡が無くても何の不思議も無いわけですが、城好きはどんな土盛りにも反応してしまうという習性から、痕跡と見えなくも無い場所を見付けてみました。
まずは社務所の南側。
野面積の石垣!
でも、野面積の石垣だと戦国時代末期頃になるわけですが、三木合戦の諸記録にも城の存在が見えないんですよねぇ
三木城の南南東4.7km。
支城としては最適な距離ではあるんですが。
神社の為の石垣と考えると、石垣の技術が軍事技術から民間技術に降りてくるタイムラグを考えて豊臣政権末期から江戸時代初期。
ちょうど築城ラッシュの頃で、技術者が忙しかった事を考えると、もうちょっと遅くなるかも。
で、この時期を過ぎると打込矧、切込矧へ技術が進展すると共に、築城需要が一段落してしまうので民間への技術降下が早くなる印象ですな。
あくまで個人的な印象論なので微妙なんですが、民間需要で野面積となるとかなり時期が限られそう。
しかも、この片田舎まで技術者を呼ばないといけないし、かなり富裕な神社じゃないと無理っぽいんやけど・・・
判断に迷うところですわ(^^;)
次のポイントは、神社の今の正面ではない方向の削平地。
この地形、神社に入る昔の主参道と思われる登山道とは別で、登山道から分かれるように削平地があり、写真の階段を登ると元の登山道へと戻るというよく分からない構造。
特に何があるわけでもなく、現在は何にも使われていない不必要な地形。
ん~、帯郭を流用したようにも見えるんですが・・・
疑いの目で見れば、城の痕跡と見れなくも無い部分は上の2つだけでした。
最後に、神出神社の境内からの眺め。
絶景です!
ちょっと霞んでて見難いですが、中央部にひょこっと短い棒が薄っすら見えてるのが明石海峡大橋。
夜景も綺麗なんですが、通常の日は神社への車道が夜間に閉じられるので、暗い中を徒歩で登る事に。
肝試しにはいいかもしれません(笑)
大晦日は車で入れます(^^)
参考:
神出山城
地図付きは
こちら