江戸時代には淀藩という藩があり、城下には京と大坂を結ぶ京街道が通され、西国方向から京を守る役割持っていました。
ただ、この城は江戸時代初期に築かれたもので、秀吉の室となった茶々の居城である淀城とは位置が違います。
茶々の通称である淀殿は、この城の名から採られたものなんですが、その位置は、江戸時代の淀城から北に500mほどの場所にあったといわれ、今より北東で合流していた桂川と宇治川の合流点付近にありました。
ちなみに、江戸時代の淀城は、木津川を加えたほぼ三川が合流する付近にありましたので、同じ名前かつ京の入口を防衛するという同じ機能を持つお城ですが、治水に関しての影響はかなり違うんですよね。
それはさておき、その旧淀城とも淀古城とも中世淀城とも呼ばれるこのお城は、場所が未確定でした。
それが今回、発見されたとのこと。
発見されたのは桂川西岸で、約100mの区画とそれに付随する堀とのこと。
その堀が薬研堀という底がV字型の防御に優れた堀であることから、中世の淀城と判断したようです。
淀付近の三川の流路が、江戸時代にも付け替えられていますし、明治から昭和に掛けても、巨椋池の干拓を含めて大規模に変えられている場所ですから、今の地図から当時の城の立地というのを想像するのは難しいですが、これまで推定地に過ぎなかった城地がある程度確定したというのは、嬉しいですね。
年老いて遠出ができなくなった時のためにまだ訪問してませんが、旧城が改めて整備されるなら、日帰りでぷらっと訪れてみたいですね。