2020年5月7日木曜日

銀行の手数料

少し前ですが、こんな記事が出ていました。
 
公取委:銀行間手数料維持の現状、是正が必要-フィンテックで報告書
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-04-21/Q94KKWDWRGG201
 
銀行間手数料がコストを大幅に上回っていて、40年間も変わっていないことを公正取引委員会が指摘したという記事ですね。
昔みたいに、金融決済を人の手で処理して時間も人件費も掛かるという形態ではもう無いですから、当たり前の話でしょう。
あと、個人的に思うのは、全銀協の全銀システムを使った時の通信料がバカ高いこと。
確かに安全性は金融決済において非常に大事ですが、光ファイバーが業務用ですら珍しかった昭和の時代の通信料金の感覚を、家まで光ファイバーが来ている今の時代まで引きずっているように思います。
維持するサーバーもネットワーク機器も、それはもう劇的に高機能化かつ低価格化してますからね
 
昔に比べ、社債やクラウドファウンディングなど、直接金融の手段が多様化しており、銀行の役割や機能は縮小傾向にありますが、これからは電子決済が非常に多くなってくるはずなので、その中心たる銀行もIT技術を使ってコスト削減に努めてもらいたいところです。
少なくとも、銀行内部ではフィンテックの進展によって超絶な人余りが発生すると言われ、実際に人員削減の動きも出ていますから、その合理化、IT化を外部にも柔軟に適用して、利用しやすい環境を整えてほしいですな。
通信企業や流通企業といった他からの進出によって、金融の囲い込みが激しくなっている中、より安く、より手軽に利用できるようにしなければ、旧来の銀行という業態が庶民から不要とされる時代が来かねませんしね。
 

2020年5月2日土曜日

2020年度補正予算成立

10万円の一律給付や、中小企業や個人事業者に給付する持続化給付金などを盛り込んだ補正予算が成立しました。
当初は世帯主に30万円を給付する案でしたが、それが国民全員に一律10万円を給付する案になり、やや右往左往した感じがありますね。
とは言っても、世界的に見ると、相当強力な給付金ということが言えます。
そもそも、一律で給付金を配る国というのはほとんどありません。
給金を支給するのは、基軸通貨を持ち、実質的にお金を刷り放題と言われるアメリカが筆頭ですが、そのアメリカですらも、所得による給付制限があります。
生まれたばかりの赤ん坊でも給付してくれる、日本の給付金の強力さが解りますね。
また、30万円の話が出ていた3月末頃に流布された内容に、各国の給付金の内容がありましたが、今の時代ですから、在住の方々からリアルタイムで否定のツイートなどがありました。
当初に流布されていた内容は、デマであったり、条件があったりと、日本と比べて特別に優遇されている内容ではありません。
ただ、フリーランスを含む労働者や企業に対する給付やつなぎ融資のようなものは、日本よりも充実しているようです。
この辺り、日本にもそこそこ使える施策はあるのですが、日本政府の広報が下手というのもありますし、メディアがそのような地味に役立つ情報を流したがらないというのもあって、いまだに遅い、めんどくさいというイメージが先行してしまっているように思いますね。
特に無担保無利子融資などは、いつでも返せるわけですから、このような緊急事態には色々な場面に備えて手元キャッシュを厚くしておくという方針は鉄板で、借りておくべきだと思います。
 
あと、もうひとつ、このような遅い、煩雑というイメージの原因として思い当たるのが、マイナンバー。
世界では、総国民番号や社会保障番号といった名称で、日本のマイナンバーと同じような制度が早くから普及しています。
これがあれば、色々な参照や手続きが迅速にでき、給付金や補助金の支給までが早く済むんですね。
紙ベースの手続きが煩雑で遅いという問題は、これでかなり解決します。
しかし、日本ではマイナンバーカードへの関心は薄く、普及率は7~8人に1人という程度でしかありません。
また、マイナンバー制度自体も、国民総背番号制が提唱されてから遅れに遅れました。
戦後の日本政府には、戦前の反省もあってそれほどの強権が与えられておらず、また、国民も政府に強権を与えない選択をし続けてきたわけですね。
その選択の延長線上にあるのが、ロックダウンという強制力を法的に持たない政府と、マイナンバー制度の遅れと言えるでしょう。
ロックダウン自体は、治安維持という名目でできないことはないとは言え、通常の法運用の範囲では日本政府には不可能です。
もちろん、欧米と比べれば、現状でそこまでの状況には至っていないとうのもあるんですが。
マイナンバーに関しては、住基ネットの頃から、番号で国民が監視されるというような論調はたくさんありました。
便利さとセキュリティというのは往々にして相反するものですから、そこの議論はあって当然ですが、セキュリティを重視する選択傾向が高かったというのは、戦前の政府イメージを引きずったからのように思います。
ただ、ここに来て、その遅れが弊害として出た形となりました。
しかしながら、それも民主国家の主権者たる国民の選択の結果ですから、遅いだの煩雑だのという議論は、やや筋が違うとは思いますね。
 
今後、新型コロナウイルスの害が落ち着いた後、メリットデメリットを総括して、欧米国家並みの強権を政府に与えるのか、はたまた与えない方がいいのか、議論が必要だと思います。
必ずしもどちらが良いという話ではないのですから。
何より、早く落ち着いて欲しいですね。
そして、ツーリングに行きたい!!
 

2020年4月28日火曜日

ハンコ文化

昨日、こんな記事が出ていました。
 
経団連会長、ハンコ文化「ナンセンス」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58536970X20C20A4EE8000/
 
スタンプラリーと揶揄される、決裁文書にハンコをペタペタと集めるのことは、当然ながらナンセンスだと思うんですが、記事にある「すべて署名でいい」は、本質とは違うと思うんですよね。
このご時世、在宅勤務できるのに多少なりとも感染のリスクを取ってハンコを押す為に出社するのは非常に無駄だと思いますが、署名にしたところで、やっぱり署名をする為に出社ということになってしまいますから。
結果、何も変わらない。
ハンコ文化と言われるものの本質は、やたらとハンコをペタペタ押すことで責任分散することであって、ハンコ自体ではないはずです。
しかし、メディアで時々取り上げられる際には、もう署名でいいんじゃね?的な議論になってしまって、本質を見失っているなと感じることが多いですね。
そこにいつも違和感を感じてしまいます。
ハンコで決済するにしても、本当に責任を持つ人がバンとひとつ押せば、それで解決するわけですから。
責任を明確にする体制、とも言い換えられますね。
 
ハンコの大元はと言えば、印璽ですな。
三国志ではキーアイテムとなる玉璽や、志賀島で出土した金印もそう。
日本にも、玉璽に相当する御璽というものがあります。
これらは、唯一無二であるから印として価値があるんですね。
つまり、ハンコ文化の無駄な部分は、誰でもすぐに買える三文判やシャチハタネームにあったのではないか、というのが自分の持論です。
ハンコ文化は、上流階級から下流に風習や習慣が拡散してそれが文化になるというもののひとつではありますが、お手軽さを求め過ぎたきらいがありますな。
結果として、押しても押さなくても、また、印影自体にも、大して意味が無くなってしまったように思います。
ハンコ文化云々と言っても、結局はお金を掛けた本当の印鑑というものには、偽造にコストが掛かる分、本物を証明示すものとしての価値がありますからね。
その価値は、古い物という認識で片付けるのではなく、きちんと評価されるべきだと思います。
 

2020年4月22日水曜日

有事のNHK

緊急事態宣言が発令されてから2週間が経ちました。
幸いな事に、自分の仕事にはほとんど影響はありませんが、仕事の無い日は家でテレビなんかをよく見るようになりましたね。
そこで感じたのは、「有事のNHK」はコロナでも有効だな、と。
災害等があると、NHKの視聴率が上がるという現象を指して、「有事のドル」ならぬ「有事のNHK」なんて一部で言われたりします。
情報の信頼性という意味で一定の信頼を得ているわけですが、信頼性という意味で、新型コロナ関連でもそれが言えそうですね。
民放のワイドショーなんかを見ていると、表層的な事や総括論的な事が多く、決定権も無いコメンテーターが色々な事を言っています。
これには、「そこで議論してなんか建設的な事があるんか?」というのが正直な感想で、大阪の場末の飲み屋で阪神タイガースのことをごちゃごちゃ言ってる自称監督と、本質的には変わらないんですよね。
決定権が無いんですから。
国民が~、国民の~、なんて枕詞のように使っていますが、特に給付に関しては不要に煽ってるようにしか聞こえません。
そもそも政治家は人気商売ですから、現金を配るなんて人気取りの政策に対して反対する理由が無いんですが、なぜ制限するのか、その本質的なデメリットの部分については触れないんですよ。
給付についてよく比較に出るアメリカですら、基軸通貨で言わば刷り放題のアメリカですら、給付制限はありますからね。
情報をすべてテーブルの上に並べないのは、ちょっと頂けない。
それに対し、NHKは割と数字と制度説明的なアプローチが多いように感じました。
自分は個人事業主でもあるので、事業に対しての導入された特別制度がどのようなものか興味があるんですが、それに対する説明も解り易かったですね。
民放は、事業継続に対する不安を云々するだけで、制度的にカバーできるものの解説については、ほとんどありませんでした。
言い換えると、感情論がほとんどなんですよね。
これではちょっと評価できませんわ。
まず制度的なものをしっかり説明し、その上で需要的な側面から論評するというのなら解るんですけどね。
ちなみに、今の時代、事業をしている人は多かれ少なかれクラウドサービスを使っていると思いますが、自分が使っているマネーフォワードでは、専用のページが開設されていました。
 
https://covid19.moneyforward.com/
 
これは非常に助かりますね。
開設もかなり早かったですし。
更に、地域ごとに検索もできるので解り易い。
こういうものを民放には期待したいもんです。
自分は普段はNHK要らない派で、受信料は無くしてよく見る大河ドラマはペイパービューでいいと思っている人間ですが、そんな人間がこういう感想を持ってしまったほど、民放の情報番組の質が良くないってことなんですよね。
いやはや。
システム運用についての障害時もそうですが、非常時に声が大きいだけの人は邪魔ですからね。
 

2020年4月19日日曜日

濃姫の軍略が凄い

麒麟がくる、毎週見ております。
主人公が明智光秀というのもいいですね。
明智光秀と言えば本能寺の変の真相ですが、ここ何年か、それに関する新資料とかも出て来てますしね。
 
明智光秀は近江出身だった? 文献に出生記述・伝承も多数 大河前に注目集める
https://www.sankei.com/region/news/190924/rgn1909240030-n1.html
 
こういう新しい説が注目されるのも、大河効果のひとつでしょう。
沢尻エリカ逮捕に関連した撮り直しや、コロナによる撮影中断で現場は大変でしょうけど、一視聴者として応援しています。
 
さて、そのドラマのお話ですが、明智光秀の前半生にしても、濃姫こと帰蝶についても、史実として明確な裏付けが無いので、余程のことじゃない限りは、歴史に不整合が出ないんですね。
つまりは、演出で描きたい放題なわけです。
そこが、史実を踏まえつつもフィクションであるドラマの面白い所。
そんなこんなで、これまでのくるのストーリーでは、光秀と鉄砲の繋がり、将軍家との繋がりなんかが描かれてきました。
個人的には、谷原章介は三淵藤英ではなく、光秀と親交が厚くなる細川藤孝が良かったかな、なんて思ってますがね(^^;)
そして、今週は、濃尾同盟でのひとつの見所、美濃の斎藤道三と尾張の織田信長が唯一顔合わせした、正徳寺の会見でした。
通説では、両者はほとんど会話をしなかったものの、三間半の槍と数百の鉄砲を揃えた信長を道三は高く評価したといわれています。
ドラマでは、槍の話は出て来ませんでしたが、300挺の鉄砲は帰蝶が工面し、道三が驚いたという礼儀正しい正装も、帰蝶がコーディネートしたことになっていました。
恐るべし、帰蝶。
後の第六天魔王たる信長も自ら、帰蝶の掌の上と言っていました。
やりおる。
利家とまつでのまつも、功名が辻の千代も、かなりのやり手旦那プロデューサーでしたが、今作の帰蝶もそれに近いものがあるようですな(^^)
 

2020年4月12日日曜日

鹿児島熊本ツーリング その9

前回のあらすじ
 
夏の台風の傷跡は生々しかった・・・
 
南郷城のある永吉の集落を後にして、真っすぐ西方向に道をとり、国道270号線へと復帰し、更に北上していきます。
伊集院の一宇治城、市来の鶴丸城など、薩摩の戦国史を語る上で重要な城がすぐ近くにあるんですが、取っている宿が出水なのと、今回寄っておきたい城を考えると、ちょっとペースを早めないとさすがにきつくなってきました。
伊集院も市来も、高速がすぐ近くを通っているから、鹿児島からすぐ行けるやん・・・鹿児島はフェリーでまた来れるやろ・・・ということで、メジャーなこの2つの城を諦め、前回は場所が確定できなかった串木野城へ。
市来の鶴丸城の数km西を通り、大動脈の国道3号線に合流すると、左手に神村学園が見えてきます。
予備知識も無かったので、「おぉ!あの強豪の神村学園やん!」とメットの中で叫んでしまいました。
結構便利な所にあるんですね。
いや~びっくりしましたわ(^^;)
神村学園を過ぎると、いよいよ串木野の市街地に入ってきますが、串木野駅に至る手前の県道39号線で右に折れて北東に走り、大きく右に曲がる辺りが串木野城です。
さて、散策するかと、バイクを止め、小山となっている城跡の付近を歩いてみたんですが・・・入る道が無い。
目の前に城のある山は見えているのに、入る道が無いんですよね。
全景はこんな感じです。
 
 
元々は薩摩平氏の河辺一族だった串木野氏が開拓領主として在城したようですが、ご多聞に漏れず、南北朝時代に島津氏が城を奪い取りました。
城の構造としては、鹿児島によく見られるシラス台地の群郭式の城だったようで、地名として串木野駅付近に浜ヶ城という地名が残っていますが、これは出城らしいですな。
五反田川の湾曲部を利用して東と北の堀として使い、6つの郭と3つ展望所、更に3つの出城を擁していたというから、かなり大きな城だったようです。
で、どこから入ればいいのやら・・・
一応、情報としては、郭のひとつでもあった東の南方神社辺りから主郭へと入れるとのことでしたが、入口はあったものの、もの凄い竹藪で入ることはできませんでした。
その後、ぐるっと1周してみましたが、他に入口らしき場所は無し。
ただ、外郭の切岸として使われたという崖と、説明板だけはありました。
 
 
 
外城制度となった江戸時代は、城跡に地頭屋敷が置かれたようですね。
ちみなに、石垣は明治時代に築かれたもの。
城には入れなかったけど、地頭屋敷跡は散策できたし、説明板も確認できたから良しとするか。
 
串木野を出たのが15:30過ぎ。
秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、神戸よりも日の入りが20分ほど遅いとは言え、もう既にこの時間で濃厚に夕暮れの気配が漂っています。
先を急がねば。
串木野城からは、串木野I.C.が目と鼻の先ということで、南九州自動車道を使って時間節約。
次に目指すのは、隈之城こと二福城で、薩摩川内都I.C.まで1区間使い、その後は国道3号バイパスへ。
バイパスに入ってすぐの立体交差で降り、細い道を北東へ辿って行くと、隈之城駅の脇を抜けて旧国道3号線を過ぎて隈之城小学校へと出るんですが、その手前で南の丘陵地の住宅街に入って行くと、二福城の城址碑がありました。
バイパスを降りた後は、完全にやらかしたと思ったほど路地的な道でしたが、バッチリ過ぎるぐらいバッチリの道程でしたね。
二福城は、元々は串木野城と同じく薩摩平氏系の薩摩氏の城で、恐らく串木野城と同様に南北朝時代に島津氏が奪い、やがて総州島津家の城となっていたようです。
この総州島津家というのは、貞久から薩摩守護職を継いだ師久の系で、川内の碇山城を本拠としており、ほど近い隈之城もその勢力範囲だったわけですね。
しかし、師久の子伊久とその子守久の間で対立が起き、同じく貞久から大隅守護職を継いでいた奥州島津家の氏久の子元久、つまり伊久の従兄弟にあたるわけですが、その元久が仲裁したことで薩摩守護職は元久に譲られました。
とは言っても、仲裁だけで守護職を譲るわけもなく、交換条件として元久は伊久の一族から正室を迎えたわけですね。
これで総州家の血と影響力が残せると伊久は思っていたはずですが、やがて元久は正室を離縁してしまい、これによって伊久と元久も対立していきます。
また、この頃、元久は日向に派遣されていた弟久豊とも、対伊東氏の政策で対立するようになりました。
なかなか複雑ですね。
「久」がゲシュタルト崩壊しますな。
その後、伊集院氏も入って対立が先鋭化し、奥州家によって総州家は滅ぼされてしまうんですが、二福城は、総州家にとっては重要な城で、伊久の子で守久の弟にあたる忠朝が一時期この城で戦っています。
しかし、前述のように応永28年(1421)に落城し、島津宗家となった奥州家の城となりました。
この後、城は入来院氏に与えられたものの、島津四兄弟の叔父にあたる重朝が謀反の疑いで罰せられたことから、入来院氏は島津家に叛旗を翻し、永禄12年(1569)の年末に降伏したことで、再び島津宗家の城に戻っています
そして、四兄弟の末っ子である家久が、地頭を10年間務めていることから、隈之城や川内は相変わらず重要な土地として認められていたんでしょう。
しかし、その城も今ではすっかり住宅地に変わってしまっていて、遺構の類はありませんでした。
あるのは、子安地蔵のところに城址碑のみ。
 
 
城址碑には説明文も刻まれています。
 
 
その隣にある子安観音の由来。
 
 
城跡としては寂しいですが、駅の近くで平地も少ないとなると、城跡が開発しやすかったんでしょうね。
城址碑があっただけマシとしないと。
 
つづく
 
参考:
串木野城
二福城
地図付きはこちら
 

2020年4月4日土曜日

マスク2枚

政府が、1世帯当たり布マスク2枚を配布することを発表しました。
ネット上では、アベノマスクなどと揶揄されています。
しかし、個人的には、ストックのか細くなった我が家の状態を見ると、そんなにアカンことか?と思うんですよね。
 
まず押さえて置かなければならない点は、N95マスクでなければ、マスクをすることによる予防効果があまり無い点。
これはいくつかの調査を元にした論文があり、そこからの推測なんですが、やはり顔とマスクの間の隙間を0にできないことと、マスクの正しい使い方をできていない人が多いからだと思われます。
新型コロナウイルスは紙の上で24時間程度は壊れないとの報告がアメリカから出ていますが、マスク表面に付いたウイルスを、マスクの位置修正の際などにマスク表面を触って手に付着させてしまい、その手で顔を触って感染させてしまうことが考えられますね。
マスクを通して息を吸えば、換気扇のフィルタを想像すれば解りますが、マスク表面に周囲の飛沫を集める事になります。
もちろん飛沫自体はマスクの表面で止まりますが、呼吸を繰り返すと表面に飛沫が凝集されますから、その表面を触った手というのは、ドアノブを触って飛沫が付いた手よりも危険かもしれません。
その手で顔を触った日には・・・
子供にはマスクをさせない方がいいとあるお医者さんがおっしゃってましたが、こういうことなんですね。
子供なんて、顔を含めてあちこち触りまくりますからねぇ
更にもうひとつ。
マスク着用群とマスク非着用群で感染症の拡がりを観測した調査があったんですが、こちらの調査ではマスク着用群で明らかに拡がりが抑えられていました。
想像通りというか、ひと昔前のマスクの使い方というか、キャリアが周囲の人に菌やウイルスを移さないという効果はあるわけですね。
ちょっとマスク自体の話になってしまいましたが、まず上の点は押さえる必要があります。
 
そして、今回の布マスク。
自分がまず思ったのは、使い捨てマスクの生産リソースを使わない点。
使い捨てマスクに関しては、早い段階から補助金を出しての増産要請が出ており、シャープやアイリスオーヤマといった所が新しく製造することを発表しています。
しかしながら、年間50~55億枚の需要の内、8割が輸入でしたから、国内で製造しようにもなかなか生産体制は整わないでしょう。
マスクも工業製品ですから、生産機械を買って設置しないと製造できませんし、工場にも清潔な環境が必要ですから、どこでもってわけにはいかず、生産できる工場を持っているメーカーは限られますし、製造開始までには相応に時間もかかります。
そこで「布」なんですね。
原材料が違いますから調達でかち合う事が無いですし、繊維に関しても不織布とは織機が違います。
更に、使い捨てマスクのメーカーは新規参入があるほどで増産余地が無いですが、布製品のメーカーには、他の消費が落ち込んでる今、リソースにまだ余裕があるわけです。
これを考えると、供給拡大が難しい局面でなかなか工夫された手だな、と思ったんですがね。
でも、ネットでは不評のようで(^^;)
これに関しては、報道のされ方にも問題があったように思います。
マスク2枚がやたらと注目されていますが、
 
・医療機関に1500万枚のサージカルマスクを配布
・更に追加で1500万枚を配布予定
・高齢者施設や障害者施設、全国の小学校・中学校向けに布マスク2000万枚の配布
 
があった上で、各世帯に2枚の布マスクの配布ですからね。
各世帯2枚とは言っても、5000万世帯ですから、1億枚になります。
数字を見れば、そこそこ確保できたんだなと思いました。
使い捨てマスクは、増産が一朝一夕にはできないことを考えて、使い捨てが原則の医療機関に優先的に回し、もし余れば市中に出す。
市中では当然ながら入手に濃淡が出ますから、布マスクを配布してカバーする。
そして、最初に書いたようにマスクで予防はあまり期待できませんが、社会全体として大きな飛沫の拡散を防止する為にマスク着用率を上げる。
こういうストーリーが見えてきます。
政治的に穿った見方をすれば、今後、非常事態宣言が発令された時に、マスクを配布しておけばマスク着用要請を出すことができる、というのもあるような気がしますが・・・
 
何にしろ、今回のは現実的な対応なんじゃないでしょうかね。
BCPと同じですが、非常事態には100%のサービスは確保できないですから、優先順位を付けて守るべきものは守り、サービス低下で耐え凌げるところは耐え凌ぐ。
運用運営に携わる人間としては、基本は同じなんだなと考えさせられました。