2020年4月28日火曜日

ハンコ文化

昨日、こんな記事が出ていました。
 
経団連会長、ハンコ文化「ナンセンス」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58536970X20C20A4EE8000/
 
スタンプラリーと揶揄される、決裁文書にハンコをペタペタと集めるのことは、当然ながらナンセンスだと思うんですが、記事にある「すべて署名でいい」は、本質とは違うと思うんですよね。
このご時世、在宅勤務できるのに多少なりとも感染のリスクを取ってハンコを押す為に出社するのは非常に無駄だと思いますが、署名にしたところで、やっぱり署名をする為に出社ということになってしまいますから。
結果、何も変わらない。
ハンコ文化と言われるものの本質は、やたらとハンコをペタペタ押すことで責任分散することであって、ハンコ自体ではないはずです。
しかし、メディアで時々取り上げられる際には、もう署名でいいんじゃね?的な議論になってしまって、本質を見失っているなと感じることが多いですね。
そこにいつも違和感を感じてしまいます。
ハンコで決済するにしても、本当に責任を持つ人がバンとひとつ押せば、それで解決するわけですから。
責任を明確にする体制、とも言い換えられますね。
 
ハンコの大元はと言えば、印璽ですな。
三国志ではキーアイテムとなる玉璽や、志賀島で出土した金印もそう。
日本にも、玉璽に相当する御璽というものがあります。
これらは、唯一無二であるから印として価値があるんですね。
つまり、ハンコ文化の無駄な部分は、誰でもすぐに買える三文判やシャチハタネームにあったのではないか、というのが自分の持論です。
ハンコ文化は、上流階級から下流に風習や習慣が拡散してそれが文化になるというもののひとつではありますが、お手軽さを求め過ぎたきらいがありますな。
結果として、押しても押さなくても、また、印影自体にも、大して意味が無くなってしまったように思います。
ハンコ文化云々と言っても、結局はお金を掛けた本当の印鑑というものには、偽造にコストが掛かる分、本物を証明示すものとしての価値がありますからね。
その価値は、古い物という認識で片付けるのではなく、きちんと評価されるべきだと思います。
 

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