2024年8月4日日曜日

東信群馬埼玉ツーリング その2

前回のあらすじ
 
さあ、旅の始まり!
信玄の攻略ルートをトレースするぜ!
 
山梨長野の県境を越えると、野辺山の高原を抜け、国道141号線は猛烈な下りに差し掛かります。
八ヶ岳の麓から、千曲川の削った崖下へ一気に下りるようなイメージすらありますね。
下り切れば、海ノ口と呼ばれる土地。
ここは、若き日の16歳の武田信玄が初陣を果たし、急襲で一気に城を攻略した海ノ口城があります。
海ノ口城には、いつか寄ってみたいと思っていました。
小学生の頃に見た信玄の伝記にも、海ノ口城の功は載っていたぐらい有名なお城ですからね。
一旦、佐久海ノ口駅で休憩して地図を確認し、千曲川を渡った先の海ノ口城を目指します。
大芝峠へ向かう道を進んで行くと、山へ入る手前に海ノ口城の表示が出て来ました。
そこからさらにバイクで進んで行くんですが、ややガレ場に近い道で、慎重にコケないように進んで行きます。
4輪ならまだ進めそうだったんですが、石畳の上に土が被っている感じの上り坂が見えたので、バイクで進むのを断念しました。
そこからは徒歩で進んで行きます。
少し登ると、少し広い駐車場のスペースがあり、そこからも緩やかな谷筋の道が続くんですが、城の入口としては、ちょっと緩やか過ぎますね。
かと言って居住空間のような感じでもなく、判断が難しい区画でした。
さらにそこから登っていくと、峰の鞍部のような場所に出るので、そこを右手に折れて城へ向かいます。
道は、尾根筋の緩やかな登山道に。
 
 
途中には堀切らしき窪みもありました。
道は主郭部の下段へと出ます。
 
 
そして本丸。
 
 
城址碑と説明板があります。
防御の一端を成したであろう屏風岩が荒々しくていいですね。
屏風岩の裏は断崖です。
 
 
説明板は、かすれてて解読に時間が掛かりましたね笑
 
 
本丸の先には物見台のような場所があり、東屋が建てられていました。
 
 
休憩にはちょうど良かったですね。
この東屋の先には大堀切が。
上から覗くと、なかなかの迫力がありますね。
 
 
しかし、2千人が籠ったという城にしては、削平地が少ないです。
2千人が籠れる規模というのは、ある程度の動員兵力のある豪族の城ということになりますが、海尻城との近さを考えても、そんな領主がここに在ったとは考えにくく、海尻城の支城としての境の城だったのでしょう。
それなら、このお城の規模感も理解できますね。
 
海ノ口城を出て国道141号線に戻り、北上すると、すぐに海尻城の案内が見えてきます。
もう少し北かと思っていたので、こんなに近いのかとびっくりしましたが笑
ガッツリの山城であれば、時間の関係でスルーしようかと思っていましたが、見た目が数10m程度の山だったので、散策して行くことにしました。
城の南に大きな駐車場が用意されているので、そこにバイクを止めて散策開始。
近くの国道脇には諏訪社があり、この辺りが三ノ丸だそうです。
国道を挟んだ東側も三ノ丸ですが、こちらは住宅地になっていますね。
 
 
城への入口は北の医王院にありました。
 
 
中腹には峰筋に小さな削平地が造られています。
 
 
そして本丸。
 
 
本丸は3段構成で、最後部には碑が建っていました。
 
 
碑の所から見ると、3段というのがよく解ります。

 
海尻城説明板。
 
 
本丸の先にも遊歩道が続いていた形跡があったのですが、藪化していたので、そこは断念しました。
残っている部分は本丸だけですが、なかなか良いお城でしたね。
 
つづく
  
参考:
 

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