武田信玄初陣の城・・・小さくね?
海ノ口城、海尻城を訪問した後、さらに北上し、いよいよ本格的に佐久平へ。
その佐久平の入口に、龍岡城というのがあります。
この城は、龍岡城という由緒ありそうな和式の名前ですが、日本に2しかない西洋城郭なんですね。
稜堡式の西洋城郭としては、函館の五稜郭がとても有名ですが、この龍岡城も立派な五芒星の形をしているので、龍岡五稜郭とも呼ばれます。
ただ、城としては、実験的に構築されただけだったので、軍事的な防御力はあまり無かったようですね。
南北の山が近いので、丸見えですし。
でも、当時の最新西洋技術を導入したいというのは、佐賀藩や宇和島藩と同じ心意気を感じます。
まずは、入口の城址碑。
城跡内部は、小学校の敷地になっていました。
稜堡の内部はこんな感じ。
往時はもっと堡塁が高かったんでしょう。
堀も健在です。
きっちり曲げられた堀の確度が、稜堡式城郭というのを感じさせますね。
南側の稜堡の先端は尖ってませんでしたね。
堀の無い所には、住宅が迫っていました。
地元にとっては身近な存在なんでしょうね。
龍岡城説明板。
縄張図。
綺麗な星形ですね。
なんたって、日本に2つしか無い西洋城郭ですからね。
これで日本の西洋城郭は完全制覇です笑
龍岡城を出たのは、もう17時を過ぎていましたが、続いてすぐ北の平賀城へ。
平賀城の目印として、城山保育園というのがあります。
お城の北の集落にある保育園ですが、何と言っても、その名前がいいですね。
地図を見ていても、お城好きとしては、城山というワードに引力を感じますから笑
平賀城へは、その城山保育園から南東すぐの麓にある、瀧不動寺から登ることができます。
しかし、そこで事件が。
スマホ持ってくの忘れた!
山の中腹で気付いたんですが、ここから取りに戻っては陽が暮れてしまう・・・。
というわけで、写真を諦め、そのまま平賀城の散策を強行しました。
受けた印象としては、海尻城に似ていましたね。
その一番の類似点は、長方形の本丸が3段構成であったこと。
山の地形にもよるので何とも言えませんが、本丸は海尻城をそのまま大きくしたような感じでした。
海尻城の事績には、平賀城の主であった平賀氏の事は出て来ませんが、すぐ近くの海ノ口城に平賀源心が城主であったという伝承があるので、海尻城にも平賀氏流の築城術が施された可能性もあるかもしれませんね。
それとも、佐久平一般の築城技術であったのか、気になるところです。
最後に、平賀城の遠景を。
あまりにも悔しくて、翌日に遠景だけでもと撮りに行きました笑
つづく
参考:
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