前回のあらすじ
前日に見付けた白井城。
いや~見つけておいてよかった!
箱田城の次は前橋です。
前橋城はかれこれ13年前に行ったんですが、今回はその対岸にある石倉城が目標。
かつての前橋城内だった範囲を抜けていくことにはなるんですがね。
箱田城の辺りの利根川の左岸には、国道17号線が走っていますが、これは旧道で、現在は対岸の右岸側にバイパスができています。
どちらもまだ17号と表記されていますが、バイパス完成で県道扱いに、という感じでしょうか。
そのバイパスのお陰か、こちらの17号線は交通量も多くなく、のんびりと走れますね。
こうして渋川から南下して行き、やがてバイパスと合流して、道は前橋市街へと入って行きます。
いや~、なんとなく懐かしい。
川沿いの前橋公園辺りから県庁が見えますが、城の土居も見えてなかなか感慨深いですな。
こんな遠くまで、2度も来れるとは思ってなかった(^^)
そうこうしているうちに中央大橋で利根川を渡り、大きな交差点の手前で適当に左折して住宅地に入ると、すぐに現れる公園が石倉城跡です。
しかし、県庁のすぐ対岸がこんな閑静な住宅地というのも少しびっくり。
この辺りは官庁街も近いし、そこで働いている人は職住接近でよろしいですな(^^)
この石倉城は、罷り間違えば県庁所在地名、つまり前橋城から続く前橋市ではなく、石倉城から続く石倉市になっていたかもしれないという城です。
どういう事かと言うと、対岸の前橋城の前身にあたるのがこの石倉城なのです。
しかし、暴れ川として名高い利根川の氾濫で壊されてしまいました。
そして、変わってしまった流路で二分された石倉城の東側を再利用して、新たに築かれたのが前橋城というわけなのです。
その後、主要な拠点機能は前橋城に移りましたが、旧石倉城の西側部分も城として再利用されるようになったようで、前橋城と新生の石倉城が並存する期間が続きます。
しかし、戦乱が収まると、城の機能は前橋城に集約され、石倉城は廃城となりました。
祖を同じくしながら、直系の家が廃れ、傍系の家が栄えたような感じですかね。
流路が変わってなければ人やモノの流れも違っているので、素直にそのままというわけにも行かないですが、氾濫が無い、もしくはその規模が小さければ、石倉城、そして石倉藩となって石倉県が誕生した可能性もありますな。
福井、福岡、福島の福シリーズ、山形、山梨の山シリーズに続く石川、石倉の石シリーズができていたのかもしれません。
だがしかし!
前橋城は江戸時代に利根川の浸食で一旦放棄されており、石倉城もその巨大なる自然の壁が立ち塞がっていたことでしょう。
そして、戦国、江戸と、2度までその利根川の壁を越えたとしても、群馬郡という、回文かよ!と思わず間違ってツッコミを入れてしいそうなグンマーが立ちはだかるのであった!
・・・いやいや、
何の想像やねん(笑)
そんな訳の分からない想像は置くとして、現状の石倉城は、公園に碑があるのみで、城らしい痕跡はありません。
こんな碑が公園の端にあります。
地図を見ると、外堀公園というのもあるようですね。
でも、そちらにも遺構は無い様子。
県庁至近で、真っ先に市街地化されたであろう場所だけに、しょうがないか・・・
石倉城からは、群馬大橋を渡って利根川左岸に戻り、上毛鉄道沿いに東へ。
大胡へと向かいます。
そして、大胡市街から荒砥川沿いに少し北に進めば、大胡城に到着します。
大胡幼稚園を目指せば解り易いですかね。
幼稚園も元は城の一角だった場所で、幼稚園に隣接してすぐ南に主郭部があります。
大胡城は荒砥川沿いの河岸段丘状の地形を持つ丘陵にある城で、荒砥川の支流をうまく堀として利用しており、平地の大きさの割りに切り立った場所の多い城ですな。
この辺りは赤城山の火山灰土の影響もあって、南九州の城と同じく、切り立った深い谷となっている地形が多いようです。
それを利用した大胡城の堀もこんな感じで深く切り立っています。
これは、本丸から幼稚園の敷地となっている北城を撮ったものですが、この間の堀は、元々細流があったのか、堀として流路を開削したのかは不明ですが、かなり深い。
写真では解りづらいですが、上から眺めると、かなり深いなぁ、と感嘆するほど。
現地案内図を見ると、土の城という感じですが、桝形や本丸の区切りなんかに石垣の跡があり、総石垣ではないものの、主要部は石垣であった可能性が高そうです。
でも、内堀はこんな感じで土の城という印象が強いですね。
上の写真の内堀の左側は本丸の土塁ですが、これもきれいな形を残していました。
本丸側からの写真が下。
本丸は南北2段に分かれており、南側の本丸下段の削平地と内堀側の土塁、そして木の後ろ側に見えているのが本丸虎口です。
最後に、本丸からの荒砥川の眺望を。
典型的な崖城ですね。
ちなみに、城址碑らしい城址碑は、この崖の真下にありました。
川沿いから城跡に入ってくるのに、短いトンネルを抜けるのですが、そのトンネルの入口脇です。
トンネルということから解るように、往時の大手は南側だったようです。
また、江戸時代には丘陵部だけではなく、平地にも郭が拡張されていました。
ただ、江戸時代頃の縄張を明示した案内板なとが無かったので、そこだけはちょっと残念でしたね。
下草もしっかり刈られてて、きちんと整備されているだけに、少し勿体無かったです。
なんか写真を入れて長くなってしまいました。
まだ2日目午前中というのに、その6とは、ちと長い・・・
この後は群馬側から日光へアプローチじゃ!
つづく
参考:
石倉城
大胡城
地図付きはこちら
2014年12月11日木曜日
2014年12月5日金曜日
続・衆議院議員選挙公示
ちょっと1回では書ききれなかったので、追加で書きたいと思います。
つい昨日も話題に上がってましたが、民主党の海江田党首がアベノミクスの評価を100点満点で評価した-38万人という数字。
これは誤記ではなく、100点満点で突然-38万人と書いた海江田さん。
政界のファンタジスタか?
という評は置くとして、この数字は、
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-11-29/2014112901_02_1.html
のように記事になっています。
非正規雇用者が増え、正規雇用者が減っているというのを海江田さんは主張したかったと思うのですが、この数字が気になったので、少し調べてみました。
まず、記事で挙げられているのは、正規雇用者の38万人減少と、非正規雇用者157万人の増加です。
つまり、差し引き119万人の雇用者増加ということになりますね。
これを裏付けるように、有効求人倍率と失業率は改善してきています。
http://nensyu-labo.com/koyo_yukokyujin.html
http://nensyu-labo.com/koyo_kanzensitsugyo.html
で解り易いグラフとなっているので参照してみると、有効求人倍率はリーマンショックが底で、そこから一律に回復してきており、民主党時代も回復基調にあったと言えますね。
ここは、民主党政権も評価されるべき点かと思います。
ただ、今年もほぼ全体を通して求職者が有利となる1を超え、失業率も政権担当期間を通して改善しており、輸出企業が牽引して景況感の良かった2006~2007年頃と同等の値が出ているのは、アベノミクスの雇用政策が実を結んできているんだと思います。
求人が増えれば、当然ながら条件の悪い所に人が集まらなくなりますから、競争原理が働いて賃金や待遇は改善されます。
パートアルバイトの時給が上昇していることはまさにその表れで、ワタミやゼンショーなどのブラックとすら言われる事もあるデフレ系企業が利益を出せなくなっていることは、庶民にとってはいいことだと思いますね。
当の企業にとっては深刻な問題ですが、逆に言えばデフレ下では好条件で利益を出してきた訳ですから、デフレに適応した経営体制を改める時期に来てるんだと思います。
個人的には、賃金に関して言えば、政府が企業に対して賃上げなどを働きかけているわけなんですが、連合とかの労働組合系は何してんねん!という感想がありますね。
本来、そこはあんたらの仕事ちゃうんか?
と小一時間問い詰めてやりたい。
いらぬ政治活動なんかしてるより、よっぽどやることがあるんちゃうかと。
雇用と同じく、野党などが盛んに言う実質賃金の低下についてですが、賃金が高く人口の多い世代の引退と、少子化の進んだ賃金の安い若年世代の就業という構造的な問題があり、数字だけを抜き出したのでは恣意的に映る可能性があります。
また、正規社員の減少というのも言われますが、定年者が嘱託などの非正規職として働く事も多く、実態を正しく見なければなりません。
そこで、平成25年の人口統計を見てみます。
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2013np/pdf/tables.pdf (PDF)
この年の大卒1年目の新卒(23歳)にあたる人口は124万6千人。
同じく定年を迎え始める60歳の人口はちょうど170万人。
全員が会社員として新卒採用されるわけではないし、一律に60歳で退職するわけでもないですが、便宜的にざっと考えてみると、45万人ほど労働人口が減っていることになります。
平成26年分に相当する21歳と59歳で考えると、差は約37万人。
相当多い数ですね。
当然ながら、新卒社員は給与が安く、高年層は逆に高いですから、平均賃金にも相当な下押し圧力が出ているはずです。
ちなみに、60歳より上の世代は団塊の世代で、63歳より上の世代は200万人を超えています。
61歳以上での定年制とする企業がある事や、定年後に嘱託やパート等になって65歳頃まで働く人が多いことを考えると、実際の労働市場からの退出は、もっと人口の多い世代と推測する事が可能です。
しかし、そういう実情は数字からは読み取れないので、ざっとした計算ですが、少なく見積もって80万人ほどが差し引きで労働人口から減った、という程度は言えるでしょうか。
このような構造的な年代の入れ替わりが発生している中で、119万人の雇用者増加、そして名目賃金を横ばいかプラス圏に持って行ってるのは、自分としては十分評価できると思うんですがね。
名目賃金と実質賃金の解説は、
http://ameblo.jp/akichi-3kan4on/entry-11838824622.html
のブログが解り易かったですね。
単純に言えば、デフレ期には名目賃金も実質賃金も減少するが名目賃金の減少の方が大きく、インフレへの転換期では、その差を是正する動きが起こり、企業は人を雇い易くなる、ということのようです。
そもそも、体験的に、アルバイト時給の上昇や求人の増加は、雇用の改善というのは誰でも解ります。
通常の不景気時の正規雇用者の減少というのは、基本的には人件費を抑制する為であり、アルバイト賃金の上昇という現象とは相容れず、失業率の上昇や有効求人倍率の低下という形でも連動します。
つまり、民主党の言う正規雇用者の減少というのは、不景気による人件費削減の現象ではなく、年代的な人口差による構造的な要因が大きいと思われ、批判する材料としては非常に弱いと言うことができるでしょうか。
しかし、何と言うか、GDP成長率も話題に出してますが、あのリーマンショックの減少とその反動分を考慮しないまま主張するし、民主党は数字を見ない人を騙そうとしているのか。
最大野党なんだから、もうちょっと何とかしてほしいですね。
民主党だけを批判するようで悪いですが、民主党のマニュフェストには耳障りの良い言葉が並ぶだけで、具体的な数字が少ない。
もちろん、理想を語ることは大事です。
目先の事ばかりを考えていたら、大筋を誤ることもあります。
しかし、現実的な手段を語らないのでは、その理想に意味があるとは思えません。
政治は、時には遠回りとも思えるような現実的な選択をしつつ理想を目指すものですから、その道程を示さない限りは意味が無い。
2009年のマニュフェストは、極端な話、「甘言を弄す」と言ってもいいぐらいの、財源の裏付けも何も無い主張でしたが、あの失敗から何も学んでいない。
とてももう一度政権を任せるという気になりません。
もちろん、道程を示していないというのは、共産党にも言えますがね。
あそこはあそこで、安定してはいるんですが(笑)
つい昨日も話題に上がってましたが、民主党の海江田党首がアベノミクスの評価を100点満点で評価した-38万人という数字。
これは誤記ではなく、100点満点で突然-38万人と書いた海江田さん。
政界のファンタジスタか?
という評は置くとして、この数字は、
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-11-29/2014112901_02_1.html
のように記事になっています。
非正規雇用者が増え、正規雇用者が減っているというのを海江田さんは主張したかったと思うのですが、この数字が気になったので、少し調べてみました。
まず、記事で挙げられているのは、正規雇用者の38万人減少と、非正規雇用者157万人の増加です。
つまり、差し引き119万人の雇用者増加ということになりますね。
これを裏付けるように、有効求人倍率と失業率は改善してきています。
http://nensyu-labo.com/koyo_yukokyujin.html
http://nensyu-labo.com/koyo_kanzensitsugyo.html
で解り易いグラフとなっているので参照してみると、有効求人倍率はリーマンショックが底で、そこから一律に回復してきており、民主党時代も回復基調にあったと言えますね。
ここは、民主党政権も評価されるべき点かと思います。
ただ、今年もほぼ全体を通して求職者が有利となる1を超え、失業率も政権担当期間を通して改善しており、輸出企業が牽引して景況感の良かった2006~2007年頃と同等の値が出ているのは、アベノミクスの雇用政策が実を結んできているんだと思います。
求人が増えれば、当然ながら条件の悪い所に人が集まらなくなりますから、競争原理が働いて賃金や待遇は改善されます。
パートアルバイトの時給が上昇していることはまさにその表れで、ワタミやゼンショーなどのブラックとすら言われる事もあるデフレ系企業が利益を出せなくなっていることは、庶民にとってはいいことだと思いますね。
当の企業にとっては深刻な問題ですが、逆に言えばデフレ下では好条件で利益を出してきた訳ですから、デフレに適応した経営体制を改める時期に来てるんだと思います。
個人的には、賃金に関して言えば、政府が企業に対して賃上げなどを働きかけているわけなんですが、連合とかの労働組合系は何してんねん!という感想がありますね。
本来、そこはあんたらの仕事ちゃうんか?
と小一時間問い詰めてやりたい。
いらぬ政治活動なんかしてるより、よっぽどやることがあるんちゃうかと。
雇用と同じく、野党などが盛んに言う実質賃金の低下についてですが、賃金が高く人口の多い世代の引退と、少子化の進んだ賃金の安い若年世代の就業という構造的な問題があり、数字だけを抜き出したのでは恣意的に映る可能性があります。
また、正規社員の減少というのも言われますが、定年者が嘱託などの非正規職として働く事も多く、実態を正しく見なければなりません。
そこで、平成25年の人口統計を見てみます。
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2013np/pdf/tables.pdf (PDF)
この年の大卒1年目の新卒(23歳)にあたる人口は124万6千人。
同じく定年を迎え始める60歳の人口はちょうど170万人。
全員が会社員として新卒採用されるわけではないし、一律に60歳で退職するわけでもないですが、便宜的にざっと考えてみると、45万人ほど労働人口が減っていることになります。
平成26年分に相当する21歳と59歳で考えると、差は約37万人。
相当多い数ですね。
当然ながら、新卒社員は給与が安く、高年層は逆に高いですから、平均賃金にも相当な下押し圧力が出ているはずです。
ちなみに、60歳より上の世代は団塊の世代で、63歳より上の世代は200万人を超えています。
61歳以上での定年制とする企業がある事や、定年後に嘱託やパート等になって65歳頃まで働く人が多いことを考えると、実際の労働市場からの退出は、もっと人口の多い世代と推測する事が可能です。
しかし、そういう実情は数字からは読み取れないので、ざっとした計算ですが、少なく見積もって80万人ほどが差し引きで労働人口から減った、という程度は言えるでしょうか。
このような構造的な年代の入れ替わりが発生している中で、119万人の雇用者増加、そして名目賃金を横ばいかプラス圏に持って行ってるのは、自分としては十分評価できると思うんですがね。
名目賃金と実質賃金の解説は、
http://ameblo.jp/akichi-3kan4on/entry-11838824622.html
のブログが解り易かったですね。
単純に言えば、デフレ期には名目賃金も実質賃金も減少するが名目賃金の減少の方が大きく、インフレへの転換期では、その差を是正する動きが起こり、企業は人を雇い易くなる、ということのようです。
そもそも、体験的に、アルバイト時給の上昇や求人の増加は、雇用の改善というのは誰でも解ります。
通常の不景気時の正規雇用者の減少というのは、基本的には人件費を抑制する為であり、アルバイト賃金の上昇という現象とは相容れず、失業率の上昇や有効求人倍率の低下という形でも連動します。
つまり、民主党の言う正規雇用者の減少というのは、不景気による人件費削減の現象ではなく、年代的な人口差による構造的な要因が大きいと思われ、批判する材料としては非常に弱いと言うことができるでしょうか。
しかし、何と言うか、GDP成長率も話題に出してますが、あのリーマンショックの減少とその反動分を考慮しないまま主張するし、民主党は数字を見ない人を騙そうとしているのか。
最大野党なんだから、もうちょっと何とかしてほしいですね。
民主党だけを批判するようで悪いですが、民主党のマニュフェストには耳障りの良い言葉が並ぶだけで、具体的な数字が少ない。
もちろん、理想を語ることは大事です。
目先の事ばかりを考えていたら、大筋を誤ることもあります。
しかし、現実的な手段を語らないのでは、その理想に意味があるとは思えません。
政治は、時には遠回りとも思えるような現実的な選択をしつつ理想を目指すものですから、その道程を示さない限りは意味が無い。
2009年のマニュフェストは、極端な話、「甘言を弄す」と言ってもいいぐらいの、財源の裏付けも何も無い主張でしたが、あの失敗から何も学んでいない。
とてももう一度政権を任せるという気になりません。
もちろん、道程を示していないというのは、共産党にも言えますがね。
あそこはあそこで、安定してはいるんですが(笑)
2014年12月3日水曜日
衆議院選挙公示
昨日、いよいよ衆議院議員選挙が公示されました。
ここまでの流れで唖然としていた部分も多いのですが、選挙は選挙ですな。
まず、国会の流れを追うと、安倍首相の10%への消費税増税延期がずっと囁かれている中で、三党合意の当事者である民主党は再増税推進の立場で、他の野党は再増税反対の方針でした。
ニュースソースを探しても、時期が古い為なのかなかなか見つかりませんでしたが、
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H37_U4A111C1EA2000/
には方針を転換とあり、民主党が再増税に賛成をしていた証となるでしょうか。
維新の党などは、
http://www.asahi.com/articles/ASG9V6JRGG9VUTFK01D.html
のように当初から再増税に反対の姿勢です。
また、上の日経の記事の数日前には、
http://www.dpj.or.jp/article/105396
という海江田党首の発言があり、
また、既に大元の記事は削除されているようでずが、10月25日には枝野幹事長が、
http://news.livedoor.com/article/detail/9397667/
という発言をしたと報じられています。
つまり、民主党はこの頃は解散容認方針だった事が分かりますね。
ところが、解散が現実味を帯びてくると、一番上の記事にあるように再増税延期容認に転換し、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20141128/CK2014112802000172.html
のように解散の大義を問うているわけです。
おまけに、
http://www.dpj.or.jp/article/103674
このように不信任決議案を提出しているわけです。
この流れを見て、
何これ?
と言わずにはおれません。
内閣不信任決議案というのは非常に大事な議案で、憲法でも、可決されれば解散か総辞職しなければならないと定められているものです。
解散か総辞職の二択ですが、国会の過半数を押さえている与党であれば首の挿げ替えが可能で、どちらも選択できるのに対し、議会勢力が変わらなければ自党の主張を通せない野党にとっては、求めるものは事実上解散一択なのです。
つまり、通るか通らないかは別として、不信任決議案提出ということは、解散を望んだということになります。
解散が現実味を帯びるまでは解散容認再増税賛成で、解散前にコロっと再増税延期容認になり、更に解散を望む決議案を提出し、解散後は解散の大義を問う。
ポルナレフさんの、「な・・・ 何を言ってるのか(略)」というセリフじゃないですが、
何をやりたいのかさっぱりわからない・・・
安倍首相が解散を決意したのには、三党合意の当事者である民主党が延期を許さず、自民党内にも延期反対派が少なからずいる状況で、民意を突破口にしようという考えた部分はあったかと思われます。
もちろん、それ以外の戦略もあったろうとは推測できますが。
個人的には、民主党が端から延期賛成なら解散は無かったんじゃないかと思ってますね。
そんな民主党が解散の大義云々とは、ちょっと酷い。
更に、他の野党を見てみると、まず、みんなの党は壮絶な内訌の末に地方議員にも知らせず解党という体たらくで論外。
維新の党の江田さんは、
http://www.sankei.com/politics/news/141122/plt1411220039-n1.html
にあるように、投票日の夜から民主の一部と合流を話し合う考えを示しています。
でも、これって比例代表とか政党に投票する意味があるのか?って話で、有権者そっちのけに見えますよね。
また共同代表の橋下さんは橋下さんで、
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20141123000084
のように府知事と市長を退職して国政に出るか検討してましたが、こちらは不出馬となりました。
自分は兵庫県民なんで関係ないですが、国政の出汁にされた大阪府民、特に知事市長両方と関わりのある大阪市民はこれでいいんですかね?
橋下さんは色々な手を考えて来ますけど、都構想を掲げる割に実際の政治面ではあまり成果を挙げられていない状況でもあり、そろそろ支持も危うくなって来そうな気も・・・
いずれにしろ、芯のしっかりした野党がいないという状況です。
特に民主党。
最大野党のくせに、長期的な視野や行動が全く無い。
ん~頭が痛い。
まだまだ書きたい事はあるんですが、ちょっと長くなったので、また後日・・・
ここまでの流れで唖然としていた部分も多いのですが、選挙は選挙ですな。
まず、国会の流れを追うと、安倍首相の10%への消費税増税延期がずっと囁かれている中で、三党合意の当事者である民主党は再増税推進の立場で、他の野党は再増税反対の方針でした。
ニュースソースを探しても、時期が古い為なのかなかなか見つかりませんでしたが、
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H37_U4A111C1EA2000/
には方針を転換とあり、民主党が再増税に賛成をしていた証となるでしょうか。
維新の党などは、
http://www.asahi.com/articles/ASG9V6JRGG9VUTFK01D.html
のように当初から再増税に反対の姿勢です。
また、上の日経の記事の数日前には、
http://www.dpj.or.jp/article/105396
という海江田党首の発言があり、
また、既に大元の記事は削除されているようでずが、10月25日には枝野幹事長が、
http://news.livedoor.com/article/detail/9397667/
という発言をしたと報じられています。
つまり、民主党はこの頃は解散容認方針だった事が分かりますね。
ところが、解散が現実味を帯びてくると、一番上の記事にあるように再増税延期容認に転換し、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20141128/CK2014112802000172.html
のように解散の大義を問うているわけです。
おまけに、
http://www.dpj.or.jp/article/103674
このように不信任決議案を提出しているわけです。
この流れを見て、
何これ?
と言わずにはおれません。
内閣不信任決議案というのは非常に大事な議案で、憲法でも、可決されれば解散か総辞職しなければならないと定められているものです。
解散か総辞職の二択ですが、国会の過半数を押さえている与党であれば首の挿げ替えが可能で、どちらも選択できるのに対し、議会勢力が変わらなければ自党の主張を通せない野党にとっては、求めるものは事実上解散一択なのです。
つまり、通るか通らないかは別として、不信任決議案提出ということは、解散を望んだということになります。
解散が現実味を帯びるまでは解散容認再増税賛成で、解散前にコロっと再増税延期容認になり、更に解散を望む決議案を提出し、解散後は解散の大義を問う。
ポルナレフさんの、「な・・・ 何を言ってるのか(略)」というセリフじゃないですが、
何をやりたいのかさっぱりわからない・・・
安倍首相が解散を決意したのには、三党合意の当事者である民主党が延期を許さず、自民党内にも延期反対派が少なからずいる状況で、民意を突破口にしようという考えた部分はあったかと思われます。
もちろん、それ以外の戦略もあったろうとは推測できますが。
個人的には、民主党が端から延期賛成なら解散は無かったんじゃないかと思ってますね。
そんな民主党が解散の大義云々とは、ちょっと酷い。
更に、他の野党を見てみると、まず、みんなの党は壮絶な内訌の末に地方議員にも知らせず解党という体たらくで論外。
維新の党の江田さんは、
http://www.sankei.com/politics/news/141122/plt1411220039-n1.html
にあるように、投票日の夜から民主の一部と合流を話し合う考えを示しています。
でも、これって比例代表とか政党に投票する意味があるのか?って話で、有権者そっちのけに見えますよね。
また共同代表の橋下さんは橋下さんで、
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20141123000084
のように府知事と市長を退職して国政に出るか検討してましたが、こちらは不出馬となりました。
自分は兵庫県民なんで関係ないですが、国政の出汁にされた大阪府民、特に知事市長両方と関わりのある大阪市民はこれでいいんですかね?
橋下さんは色々な手を考えて来ますけど、都構想を掲げる割に実際の政治面ではあまり成果を挙げられていない状況でもあり、そろそろ支持も危うくなって来そうな気も・・・
いずれにしろ、芯のしっかりした野党がいないという状況です。
特に民主党。
最大野党のくせに、長期的な視野や行動が全く無い。
ん~頭が痛い。
まだまだ書きたい事はあるんですが、ちょっと長くなったので、また後日・・・
2014年11月27日木曜日
両毛・新潟ツーリング その5
前回のあらすじ
岩櫃城はなかなか大規模な城ですじゃ。
堀の城、最高!
岩櫃城の散策を終え、下りて来ると駐車場がいつの間にやら満車でした。
そして、新たに現れた登山客の集団も、ぞろぞろと岩櫃山へと入っていきます。
神戸ナンバーは目に付くらしく、これはまた遠い所から来たんですねぇ、という会話を挟みつつ。
全然知らなかったけど、本当に登山スポットとして人気なんやね。
城も真田所縁の城で人気のはずなんやけど、この岩櫃の駐車場において城派は我只一人。
それもまた良し!
来た道を下って国道に戻り、中之条町の市街を抜け、今度は泊まった大塚温泉方向ではなく、国道353号線を東へ向かいます。
中之条町、と言えば小渕優子議員の資金を管理していた折田氏が町長をしていてびっくりしましたな。
国会議員の資金管理役をしながら町長もやってるのか!と小渕王国振りに驚いたわけですが、これはその5ヶ月も前の話。
この頃は、意外と郊外都市化してる所やね、程度の認識でした。
今思えば、めったに行けないんだから、北条氏の拠点であった中山城に行っておけばよかった(> <)
まぁそれはさて置き、ここからは吾妻川を見ながらトコトコとバイクを走らせて行きます。
この吾妻川が、坂東太郎こと利根川に出る所が白井です。
白井は、江戸時代は宿場町となり、今もその町並みが残って観光地化していますが、室町時代から戦国時代にかけては、白井長尾氏という有力豪族の本拠地で、関東の主要な城のひとつでした。
北条早雲と共に関東の下克上の雄と言われる長尾景春を出した家なんですが、早雲と比べると知名度は雲泥の差。
時代的に、戦国時代じゃなくて室町時代の範疇に入れられてるってのもあるんでしょうね。
関東の戦国時代の幕開けは上方より早かったけど、全国的な年表では応仁の乱でザクッと区切られてしまう。
日本史という大きな区分で語る以上は、しょうがないことですけどね。
ま、城好きとしては、宿場町には目もくれず、その白井城に向かう訳ですわ(笑)
と、偉そうに言ってみても、発見したのはこの前日なんですけどもね(^^;)
白井長尾氏という名前は知っていても、白井という地名は知らない。
これが土地勘の無さというやつですな。
前日に地図でふと見付けて、急遽寄る事にしたわけですが、その後の予定がキツキツになるのは目に見えている。
最悪の場合、前橋はショートカットせざるを得ないという賭けでもあります・・・
白井城は、白井の宿場町の背後の崖上にあります。
利根川やその支流沿いにある城は、沼田も前橋も高崎もそうですが、崖城が非常に多いですな。
そして、その崖が鋭い。
それだけ大地を削る川の力が大きいということなんですかね。
四国三郎と呼ばれた四国の吉野川流域の城となんだか傾向がよく似ているように思います。
その白井城へは、宿場町からいくつか交差点に案内があって、ほぼ迷わずに行けました。
城跡としては、本丸とその周辺が残っているだけですが、周囲の田園は綺麗に郭と堀の形を残していて、なんだか綺麗。
これは二ノ丸の全景ですけど、こんな風に視界が広いんですよねぇ
そして、この畑と畑の間が堀跡なんですけど、これが明確で判り易い。
この写真から判りますかね?
ぺこんと凹んでる堀跡が。
こういう風に、往時がどうだったか推測しやすい城は、散策していてとても楽しい。
いい天気だったし(^^)
本丸部分にも十分遺構が残っています。
これは本丸大手の石垣。
これがやっぱり一番城跡らしい写真ですかね(^^)
本丸の三日月堀もなかなか深くてよろしい。
三日月堀と聞けば武田流の築城術ですが、武田氏の勢力が及んだ時の改修によって掘られたんでしょうね。
範囲的には、家臣の真田氏の管轄でしょうか。
岩櫃城が真田氏管轄で、岩櫃から北東に進出すれば沼田、南東に進出すれば白井という位置関係にあります。
それとも、箕輪城代の管轄だったのでしょうか。
同じ武田家臣の上野衆でも、小幡氏がやや南の松井田安中方面担当で、箕輪城は甲斐信濃から見ればその延長線上にあります。
距離的には箕輪城が近く、補給線から見ると岩櫃城の先に白井城という感じなんですが、どうなんでしょうか。
本丸の先に、真田所縁の名胡桃城と同じ笹郭なんて名前を見ると、真田系?なんて思ってしまいますが、また時間ができれば調べたいところですな(^^)
白井の次に向かうのは、白井城の出城的な機能があったといわれる箱田城。
ここは、地図に城跡マークがプロットされてますが、歴史の本などでは見た記憶が無い城です。
でも、今は城跡にでーんと温泉旅館が建っていて、あまり散策できませんでした。
色々遺構を示す立て札は建っているんですが、関係者以外立入禁止というのが余りにもあちこちにあるので、散策できる範囲が狭かったのは残念です。
これは宿泊施設の建っている本丸からすぐ下の部分で、堀跡の僅かな窪みと帯郭という立て札があります。
でも、この写真を撮った位置に車止めがあって、例の如く立入禁止とあったので、これ以上近付けませんでした。
ん~残念(> <)
つづく
参考:
白井城
箱田城
地図付きはこちら
岩櫃城はなかなか大規模な城ですじゃ。
堀の城、最高!
岩櫃城の散策を終え、下りて来ると駐車場がいつの間にやら満車でした。
そして、新たに現れた登山客の集団も、ぞろぞろと岩櫃山へと入っていきます。
神戸ナンバーは目に付くらしく、これはまた遠い所から来たんですねぇ、という会話を挟みつつ。
全然知らなかったけど、本当に登山スポットとして人気なんやね。
城も真田所縁の城で人気のはずなんやけど、この岩櫃の駐車場において城派は我只一人。
それもまた良し!
来た道を下って国道に戻り、中之条町の市街を抜け、今度は泊まった大塚温泉方向ではなく、国道353号線を東へ向かいます。
中之条町、と言えば小渕優子議員の資金を管理していた折田氏が町長をしていてびっくりしましたな。
国会議員の資金管理役をしながら町長もやってるのか!と小渕王国振りに驚いたわけですが、これはその5ヶ月も前の話。
この頃は、意外と郊外都市化してる所やね、程度の認識でした。
今思えば、めったに行けないんだから、北条氏の拠点であった中山城に行っておけばよかった(> <)
まぁそれはさて置き、ここからは吾妻川を見ながらトコトコとバイクを走らせて行きます。
この吾妻川が、坂東太郎こと利根川に出る所が白井です。
白井は、江戸時代は宿場町となり、今もその町並みが残って観光地化していますが、室町時代から戦国時代にかけては、白井長尾氏という有力豪族の本拠地で、関東の主要な城のひとつでした。
北条早雲と共に関東の下克上の雄と言われる長尾景春を出した家なんですが、早雲と比べると知名度は雲泥の差。
時代的に、戦国時代じゃなくて室町時代の範疇に入れられてるってのもあるんでしょうね。
関東の戦国時代の幕開けは上方より早かったけど、全国的な年表では応仁の乱でザクッと区切られてしまう。
日本史という大きな区分で語る以上は、しょうがないことですけどね。
ま、城好きとしては、宿場町には目もくれず、その白井城に向かう訳ですわ(笑)
と、偉そうに言ってみても、発見したのはこの前日なんですけどもね(^^;)
白井長尾氏という名前は知っていても、白井という地名は知らない。
これが土地勘の無さというやつですな。
前日に地図でふと見付けて、急遽寄る事にしたわけですが、その後の予定がキツキツになるのは目に見えている。
最悪の場合、前橋はショートカットせざるを得ないという賭けでもあります・・・
白井城は、白井の宿場町の背後の崖上にあります。
利根川やその支流沿いにある城は、沼田も前橋も高崎もそうですが、崖城が非常に多いですな。
そして、その崖が鋭い。
それだけ大地を削る川の力が大きいということなんですかね。
四国三郎と呼ばれた四国の吉野川流域の城となんだか傾向がよく似ているように思います。
その白井城へは、宿場町からいくつか交差点に案内があって、ほぼ迷わずに行けました。
城跡としては、本丸とその周辺が残っているだけですが、周囲の田園は綺麗に郭と堀の形を残していて、なんだか綺麗。
これは二ノ丸の全景ですけど、こんな風に視界が広いんですよねぇ
そして、この畑と畑の間が堀跡なんですけど、これが明確で判り易い。
この写真から判りますかね?
ぺこんと凹んでる堀跡が。
こういう風に、往時がどうだったか推測しやすい城は、散策していてとても楽しい。
いい天気だったし(^^)
本丸部分にも十分遺構が残っています。
これは本丸大手の石垣。
これがやっぱり一番城跡らしい写真ですかね(^^)
本丸の三日月堀もなかなか深くてよろしい。
三日月堀と聞けば武田流の築城術ですが、武田氏の勢力が及んだ時の改修によって掘られたんでしょうね。
範囲的には、家臣の真田氏の管轄でしょうか。
岩櫃城が真田氏管轄で、岩櫃から北東に進出すれば沼田、南東に進出すれば白井という位置関係にあります。
それとも、箕輪城代の管轄だったのでしょうか。
同じ武田家臣の上野衆でも、小幡氏がやや南の松井田安中方面担当で、箕輪城は甲斐信濃から見ればその延長線上にあります。
距離的には箕輪城が近く、補給線から見ると岩櫃城の先に白井城という感じなんですが、どうなんでしょうか。
本丸の先に、真田所縁の名胡桃城と同じ笹郭なんて名前を見ると、真田系?なんて思ってしまいますが、また時間ができれば調べたいところですな(^^)
白井の次に向かうのは、白井城の出城的な機能があったといわれる箱田城。
ここは、地図に城跡マークがプロットされてますが、歴史の本などでは見た記憶が無い城です。
でも、今は城跡にでーんと温泉旅館が建っていて、あまり散策できませんでした。
色々遺構を示す立て札は建っているんですが、関係者以外立入禁止というのが余りにもあちこちにあるので、散策できる範囲が狭かったのは残念です。
これは宿泊施設の建っている本丸からすぐ下の部分で、堀跡の僅かな窪みと帯郭という立て札があります。
でも、この写真を撮った位置に車止めがあって、例の如く立入禁止とあったので、これ以上近付けませんでした。
ん~残念(> <)
つづく
参考:
白井城
箱田城
地図付きはこちら
2014年11月21日金曜日
両毛・新潟ツーリング その4
前回のあらすじ
草津よ~いと~こ~ 一度~は、おいで~♪
てなわけで行ったったわい!
熱かったわい!
ツーリング2日目。
この日は群馬の城を潰していく予定。
予定を組むときに地図を見てたら、足利城や柄杓山城なんかにも寄りたくなったけど、日光を組み入れるルートにすると、どうも時間的に無理っぽいということで断念(> <)
素直に、吾妻から渋川を通って、時間があれば前橋に寄り、日光へと抜けるコースにしました。
このコース上にも足尾銅山なんて魅力的な所があるんですが、鉱山は見て回るのに時間が掛かるからな~
鉱山本体と、必ず鉱石の展示があるので、できればそれも見たい。
というわけでこちらもまたの機会ということで断念・・・
しかし、地図上で眺めてるだけで、行けるのか?と疑念が湧く行程・・・
ん~また急ぎになるな~
泊まった大塚温泉は、湯量が豊富で、夜間に一旦お湯を全部抜いて掃除し、入れ替えてるらしく、宿の人に聞くと、朝は7時半頃に入れるようになるとの事。
朝風呂は絶対に譲れないので、7時半に入浴というのを前提に予定を組んだ結果、朝飯前に朝の散歩よろしく1城を攻城するということになりました。
6時前に起床し、宿の人に散歩と告げてバイクで出発。
すぐ近くの並木城へと向かいます。
並木城は集落の中の住宅が城跡なんですが、下調べの甲斐もあって迷わずに到着。
まぁ城跡は住宅の敷地となっているので、さすがに朝の6時過ぎに家の人を起こして許可を得るなんて無理!
というわけで城地を散策というわけにはいかないんですが、道の脇に説明板があり、道から切岸なんかも確認できます。
この城は、山側にある山城の尻高城の里城で、尻高城主の尻高氏の普段の居館があった場所なんですが、周囲との高低差なんかは、完全に城の趣ですな。
説明文によると、鉤状の土塁があり、その内側に居館があったようです。
本当は尻高城に登りたかったのですが、本格的な山城のようで、登っていると時間が足りません。
というわけで、里城でお目こぼし・・・
城の説明板は2ヶ所にあり、城への目印としては、国道145号線の泉竜寺の案内から集落へ入っていくと分かり易いですな。
下はもうひとつの説明板。
尻高城と並木城の両方についての説明ですね。
しかし、遠い所に来ると数優先で、じっくり山城に登るということができないのが残念(> <)
朝の散歩という名の内燃機関のウォームアップを終え、大塚温泉に戻って朝飯と朝風呂を済まし、いよいよこの日の本格運転を開始。
まずは、少し戻って岩櫃城攻略です。
大塚温泉から、国道145号線を西へ進み、中之条市街を抜けて市街地の西の端からJRとの立体交差の直前で左折し、国道をくぐって山へと進みます。
あとは道なりに進めば、岩櫃山への登山客用の駐車場に到着。
ちなみに、この駐車場もすでに城内の一角です。
着いたのは8時半過ぎでしたが、岩櫃山というのは結構人気の登山スポットなのか、この時間でも遠方からの車を含め数台止まっていました。
この遠方の車は、距離的に考えると、もしかして前泊?
登山の準備をしていた人は俺より完全に年上やったけど、前泊とかめっちゃ若い!
一方、野宿上等で放浪していた20代の頃に比べ、今は野宿したら次の日に動けなくなるんちゃうかという強迫観念が付きまとう我が身・・・
ツラいですわ・・・
岩櫃城は、岩櫃山の中腹の峰にあるんですが、登山道の途中から城への道が出ています。
そこからぐるっと主郭部を一周して下りて来れるのですが、全体的な印象としては、土塁と空堀が凄い城!ですな。
登山道は、当時の大手道とは違うようですが、竪堀の堀底道あり、巨大な二連空堀あり、うねる様に走る空堀あり、多彩です。
特に中館近辺は面白かった(^^)
これは中館近くの巨大な空堀。
木々が払われていればもっと明確なんですが、概観はだいたい把握できます。
上と中館を挟んで反対方向には竪堀状の堀底道。
この道は二ノ丸へ通じています。
空堀の堀底道は結構見るんですが、上から下への竪堀的な堀の堀底道ってのはちょっと珍しい。
ただ、当時に道だったかどうかは不明。
本丸からも竪堀が。
郭に沿ってうねりながら竪堀として落ち込んでいるのが判りますかね?
なんか蛇がのたうつようなダイナミックさがありました。
そして本丸と城址碑。
本丸は上下2段ありましたが、ここは流石にすっきりしてますな。
あとは傾斜している郭が幾つかあったことがちょっと気になりました。
傾斜があると居住空間として使えないのですが、高低を利用して矢楯なんかを何列か並べつつ弓や鉄砲で攻撃するんですかね?
山中城の二ノ丸なんかもかなり傾斜がありましたが、迎撃優先の郭ということなんでしょうか。
その辺りは、また詳しい人に聞いてみたいですな。
つづく
参考:
並木城
岩櫃城
地図付きはこちら
草津よ~いと~こ~ 一度~は、おいで~♪
てなわけで行ったったわい!
熱かったわい!
ツーリング2日目。
この日は群馬の城を潰していく予定。
予定を組むときに地図を見てたら、足利城や柄杓山城なんかにも寄りたくなったけど、日光を組み入れるルートにすると、どうも時間的に無理っぽいということで断念(> <)
素直に、吾妻から渋川を通って、時間があれば前橋に寄り、日光へと抜けるコースにしました。
このコース上にも足尾銅山なんて魅力的な所があるんですが、鉱山は見て回るのに時間が掛かるからな~
鉱山本体と、必ず鉱石の展示があるので、できればそれも見たい。
というわけでこちらもまたの機会ということで断念・・・
しかし、地図上で眺めてるだけで、行けるのか?と疑念が湧く行程・・・
ん~また急ぎになるな~
泊まった大塚温泉は、湯量が豊富で、夜間に一旦お湯を全部抜いて掃除し、入れ替えてるらしく、宿の人に聞くと、朝は7時半頃に入れるようになるとの事。
朝風呂は絶対に譲れないので、7時半に入浴というのを前提に予定を組んだ結果、朝飯前に朝の散歩よろしく1城を攻城するということになりました。
6時前に起床し、宿の人に散歩と告げてバイクで出発。
すぐ近くの並木城へと向かいます。
並木城は集落の中の住宅が城跡なんですが、下調べの甲斐もあって迷わずに到着。
まぁ城跡は住宅の敷地となっているので、さすがに朝の6時過ぎに家の人を起こして許可を得るなんて無理!
というわけで城地を散策というわけにはいかないんですが、道の脇に説明板があり、道から切岸なんかも確認できます。
この城は、山側にある山城の尻高城の里城で、尻高城主の尻高氏の普段の居館があった場所なんですが、周囲との高低差なんかは、完全に城の趣ですな。
説明文によると、鉤状の土塁があり、その内側に居館があったようです。
本当は尻高城に登りたかったのですが、本格的な山城のようで、登っていると時間が足りません。
というわけで、里城でお目こぼし・・・
城の説明板は2ヶ所にあり、城への目印としては、国道145号線の泉竜寺の案内から集落へ入っていくと分かり易いですな。
下はもうひとつの説明板。
尻高城と並木城の両方についての説明ですね。
しかし、遠い所に来ると数優先で、じっくり山城に登るということができないのが残念(> <)
朝の散歩という名の内燃機関のウォームアップを終え、大塚温泉に戻って朝飯と朝風呂を済まし、いよいよこの日の本格運転を開始。
まずは、少し戻って岩櫃城攻略です。
大塚温泉から、国道145号線を西へ進み、中之条市街を抜けて市街地の西の端からJRとの立体交差の直前で左折し、国道をくぐって山へと進みます。
あとは道なりに進めば、岩櫃山への登山客用の駐車場に到着。
ちなみに、この駐車場もすでに城内の一角です。
着いたのは8時半過ぎでしたが、岩櫃山というのは結構人気の登山スポットなのか、この時間でも遠方からの車を含め数台止まっていました。
この遠方の車は、距離的に考えると、もしかして前泊?
登山の準備をしていた人は俺より完全に年上やったけど、前泊とかめっちゃ若い!
一方、野宿上等で放浪していた20代の頃に比べ、今は野宿したら次の日に動けなくなるんちゃうかという強迫観念が付きまとう我が身・・・
ツラいですわ・・・
岩櫃城は、岩櫃山の中腹の峰にあるんですが、登山道の途中から城への道が出ています。
そこからぐるっと主郭部を一周して下りて来れるのですが、全体的な印象としては、土塁と空堀が凄い城!ですな。
登山道は、当時の大手道とは違うようですが、竪堀の堀底道あり、巨大な二連空堀あり、うねる様に走る空堀あり、多彩です。
特に中館近辺は面白かった(^^)
これは中館近くの巨大な空堀。
木々が払われていればもっと明確なんですが、概観はだいたい把握できます。
上と中館を挟んで反対方向には竪堀状の堀底道。
この道は二ノ丸へ通じています。
空堀の堀底道は結構見るんですが、上から下への竪堀的な堀の堀底道ってのはちょっと珍しい。
ただ、当時に道だったかどうかは不明。
本丸からも竪堀が。
郭に沿ってうねりながら竪堀として落ち込んでいるのが判りますかね?
なんか蛇がのたうつようなダイナミックさがありました。
そして本丸と城址碑。
本丸は上下2段ありましたが、ここは流石にすっきりしてますな。
あとは傾斜している郭が幾つかあったことがちょっと気になりました。
傾斜があると居住空間として使えないのですが、高低を利用して矢楯なんかを何列か並べつつ弓や鉄砲で攻撃するんですかね?
山中城の二ノ丸なんかもかなり傾斜がありましたが、迎撃優先の郭ということなんでしょうか。
その辺りは、また詳しい人に聞いてみたいですな。
つづく
参考:
並木城
岩櫃城
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2014年11月15日土曜日
両毛・新潟ツーリング その3
前回のあらすじ
小諸城は良うござんした。
雨に降られたけどねっ!
小諸を出て向かうのは、草津温泉です。
寒冷前線が去って晴れた中、国道141号線を西へ。
そう、西なんです。
ティックじゃ無くてチックなのが昭和な感じの日本ロマンチック街道に沿って軽井沢経由でもいいんですが、なんかね、観光地って面倒くさい。
それに地蔵峠経由の方が、直線的に草津に行けるので、距離的には近くなりそう。
しかし、前線が過ぎ去った後は、結構風が強いですな。
晴れてるのに、風が冷たくて暖を感じませんわ。
ま、県道94号線で地蔵峠を越えて群馬入り、さらに国道144号線で嬬恋へ、そして県道59号線で再び山越えと、標高の高い所を抜けるルートというのもありますけど。
しかし、草津温泉の少し手前で道端の温度表示が7℃なのには参った(笑)
完全に冬の気温やん!
神戸での真冬の最高気温がそれぐらい。
もっと冬装備でも良かったわ・・・
こうして凍えるように到着した草津温泉。
とりあえず目指すのは名所湯畑。
しかし、この湯畑付近は一方通行だらけなんですよね・・・
一度、湯畑の案内表示に従って進んでみたけれど、途中で一方通行により行けず。
一方通行に促されるまま、国道292号線に出たのでなんとなく左折してみると、再び湯畑の案内表示が。
それに従って進むとスポンっと到着しました。
おぉラッキー!
しかし、湯畑周辺は平日昼間というのに人だらけ(笑)
予想通りというかなんというか、車も止めるスペースがありません。
でも、そこはバイクの良い所。
邪魔にならない路肩のちょっとしたスペースに止めて写真を撮り、すぐさま離脱!
まさにヒットアンドアウェイ。
その時の写真がこれ。
もう夕方の時間だったので、陰影がきつくて写真的には残念な出来ですけどね。
あの湯樋が見れたので満足(^^)
次は草津の湯を愉しむ為に公衆浴場へ。
選んだのは町外れのこぶしの湯というところです。
基本は住民の方の為の公衆浴場なので、迷惑にならない時間に行くつもりでしたが、雨だの何だのあったのでやや遅れてしまいました。
でも、公衆浴場に入ってみると、幸いにも貸切り。
貸切りだったので、写真も撮らせて頂きました(^^)
草津温泉の公衆浴場で、中庭がある所は珍しいらしいです。
ここの源泉は万代鉱。
とにかく熱かったですわ(笑)
数分入っているのが限界!
そして、舐めてみるとむせるほどの酸っぱさ!
いや~これだけ特徴のある温泉ってやっぱいいっすね~(^^)
温泉街の万代鉱とは違う源泉はまた浴感が違うらしいので、機会があったらそちらも入りたいねぇ
草津温泉を離れ、日本ロマンチック街道(ティックではない!)となっている国道292号線を東へ進み、うねうねとした山道を通って国道405号線から再び山へと入ると、尻焼温泉なる場所があります。
この温泉の凄いところ、それは、
川が温泉!
十津川には冬の間だけ温泉になる仙人風呂というのがありますが、こちらは年中無休(笑)
野趣あふれる秘湯として有名です。
まぁ野趣があるというか野趣そのままというか、野生というか・・・
着いたのが17時頃だったのですが、ちょうど隙間の時間だったのか、こちらも貸切りでした。
昼に来る人は引き上げた後で、夜にこっそり来る人はもっと遅い時間なんでしょうね。
なんか知らんけど、ラッキー!
顔に似合わず色白なので、露天風呂だと白さが引き立つ(笑)のですが、女の人はいいんでしょうけど、男としてはなんか貧弱そうで恥ずかしい・・・
でも、貸切りなら遠慮なく色白を晒せるってもんです!
ちなみに、温泉の全体風景はこんな感じ。
水面近くから撮った写真なら少し湯気が出てるのが分かりますかね?
この川の中は、湧いてる場所とそうでない場所で結構差があって、湯温がまだらです。
それと、やっぱり川なので足元が滑ったりするのですが、こんな山奥で、しかもあられもない姿で、滑って転んで大怪我なんてことだけは、
大の大人の尊厳に掛けて絶っっっっ対に避けなければなりません!
それだけは、それだけは、心に固く秘めて入浴しました(> <)
この尻焼温泉には、川風呂だけじゃなくて小屋掛けしている浴槽もあり、そちらは温泉が直に引き入れられているので、良い湯加減でした。
小屋掛けと言っても、川方向にはフル開放なんですけどね。
陽が傾く中、尻焼温泉で今日の予定を終え、宿へと向かいます。
泊まる所は金井旅館というところで、大塚温泉という一軒宿の温泉です。
18時頃に到着予定だったんですが、なんのかんの結局着いたのは18時半ぐらいでした。
ここの温泉はぬる湯で有名です。
湧出温度は34.2℃。
いや~、ぬる湯でグダっとするのが好きな人間としてはたまらんけど、他の人は寒くて入ってられないかも・・・
しかし、この旅館は温泉に力が入ってますな。
浴室の天井の高さにはちょっと感動しました。
このまま銭湯として営業しても充分な大きさと高さ。
実際、立ち寄り湯としても営業してはりますけどね。
この写真の左端が露天風呂です。
ちょっと深くて広くてプールみたいな感じ。
初夏ぐらいにはちょうど温水プールみたいな感じでよろしいんじゃないですかね?
湯量も豊富で、なかなか良い温泉でした(^^)
しかし、温泉3つとは、初日はお城ライダーながら温泉ツーリングやったな~
つづく
参考:
草津温泉
尻焼温泉
大塚温泉
地図付きはこちら
小諸城は良うござんした。
雨に降られたけどねっ!
小諸を出て向かうのは、草津温泉です。
寒冷前線が去って晴れた中、国道141号線を西へ。
そう、西なんです。
ティックじゃ無くてチックなのが昭和な感じの日本ロマンチック街道に沿って軽井沢経由でもいいんですが、なんかね、観光地って面倒くさい。
それに地蔵峠経由の方が、直線的に草津に行けるので、距離的には近くなりそう。
しかし、前線が過ぎ去った後は、結構風が強いですな。
晴れてるのに、風が冷たくて暖を感じませんわ。
ま、県道94号線で地蔵峠を越えて群馬入り、さらに国道144号線で嬬恋へ、そして県道59号線で再び山越えと、標高の高い所を抜けるルートというのもありますけど。
しかし、草津温泉の少し手前で道端の温度表示が7℃なのには参った(笑)
完全に冬の気温やん!
神戸での真冬の最高気温がそれぐらい。
もっと冬装備でも良かったわ・・・
こうして凍えるように到着した草津温泉。
とりあえず目指すのは名所湯畑。
しかし、この湯畑付近は一方通行だらけなんですよね・・・
一度、湯畑の案内表示に従って進んでみたけれど、途中で一方通行により行けず。
一方通行に促されるまま、国道292号線に出たのでなんとなく左折してみると、再び湯畑の案内表示が。
それに従って進むとスポンっと到着しました。
おぉラッキー!
しかし、湯畑周辺は平日昼間というのに人だらけ(笑)
予想通りというかなんというか、車も止めるスペースがありません。
でも、そこはバイクの良い所。
邪魔にならない路肩のちょっとしたスペースに止めて写真を撮り、すぐさま離脱!
まさにヒットアンドアウェイ。
その時の写真がこれ。
もう夕方の時間だったので、陰影がきつくて写真的には残念な出来ですけどね。
あの湯樋が見れたので満足(^^)
次は草津の湯を愉しむ為に公衆浴場へ。
選んだのは町外れのこぶしの湯というところです。
基本は住民の方の為の公衆浴場なので、迷惑にならない時間に行くつもりでしたが、雨だの何だのあったのでやや遅れてしまいました。
でも、公衆浴場に入ってみると、幸いにも貸切り。
貸切りだったので、写真も撮らせて頂きました(^^)
草津温泉の公衆浴場で、中庭がある所は珍しいらしいです。
ここの源泉は万代鉱。
とにかく熱かったですわ(笑)
数分入っているのが限界!
そして、舐めてみるとむせるほどの酸っぱさ!
いや~これだけ特徴のある温泉ってやっぱいいっすね~(^^)
温泉街の万代鉱とは違う源泉はまた浴感が違うらしいので、機会があったらそちらも入りたいねぇ
草津温泉を離れ、日本ロマンチック街道(ティックではない!)となっている国道292号線を東へ進み、うねうねとした山道を通って国道405号線から再び山へと入ると、尻焼温泉なる場所があります。
この温泉の凄いところ、それは、
川が温泉!
十津川には冬の間だけ温泉になる仙人風呂というのがありますが、こちらは年中無休(笑)
野趣あふれる秘湯として有名です。
まぁ野趣があるというか野趣そのままというか、野生というか・・・
着いたのが17時頃だったのですが、ちょうど隙間の時間だったのか、こちらも貸切りでした。
昼に来る人は引き上げた後で、夜にこっそり来る人はもっと遅い時間なんでしょうね。
なんか知らんけど、ラッキー!
顔に似合わず色白なので、露天風呂だと白さが引き立つ(笑)のですが、女の人はいいんでしょうけど、男としてはなんか貧弱そうで恥ずかしい・・・
でも、貸切りなら遠慮なく色白を晒せるってもんです!
ちなみに、温泉の全体風景はこんな感じ。
水面近くから撮った写真なら少し湯気が出てるのが分かりますかね?
この川の中は、湧いてる場所とそうでない場所で結構差があって、湯温がまだらです。
それと、やっぱり川なので足元が滑ったりするのですが、こんな山奥で、しかもあられもない姿で、滑って転んで大怪我なんてことだけは、
大の大人の尊厳に掛けて絶っっっっ対に避けなければなりません!
それだけは、それだけは、心に固く秘めて入浴しました(> <)
この尻焼温泉には、川風呂だけじゃなくて小屋掛けしている浴槽もあり、そちらは温泉が直に引き入れられているので、良い湯加減でした。
小屋掛けと言っても、川方向にはフル開放なんですけどね。
陽が傾く中、尻焼温泉で今日の予定を終え、宿へと向かいます。
泊まる所は金井旅館というところで、大塚温泉という一軒宿の温泉です。
18時頃に到着予定だったんですが、なんのかんの結局着いたのは18時半ぐらいでした。
ここの温泉はぬる湯で有名です。
湧出温度は34.2℃。
いや~、ぬる湯でグダっとするのが好きな人間としてはたまらんけど、他の人は寒くて入ってられないかも・・・
しかし、この旅館は温泉に力が入ってますな。
浴室の天井の高さにはちょっと感動しました。
このまま銭湯として営業しても充分な大きさと高さ。
実際、立ち寄り湯としても営業してはりますけどね。
この写真の左端が露天風呂です。
ちょっと深くて広くてプールみたいな感じ。
初夏ぐらいにはちょうど温水プールみたいな感じでよろしいんじゃないですかね?
湯量も豊富で、なかなか良い温泉でした(^^)
しかし、温泉3つとは、初日はお城ライダーながら温泉ツーリングやったな~
つづく
参考:
草津温泉
尻焼温泉
大塚温泉
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2014年11月11日火曜日
両毛・新潟ツーリング その2
前回のあらすじ
ビーナスライン絶景!
しかし、その寒さは想像を超え、更に雨が容赦なく打ち付けるのであった。
一時雨という予報もあって、懐古園の駐車場近くの建物の陰で20分ほど雨宿りしてたんですが、あまり止む気配もないので、仕方なく雨の中を散策に出発すると、少し離れた大手門を見ている間に雨が止み、懐古園に入園した頃には晴れ間さえ見えてきました。
完全に寒冷前線ですな。
でも回復が早いお陰で、懐古園は濡れた靴が気持ち悪いものの、気分は晴れやかに散策でき、天守台からの眺めや水の手展望台からの千曲川の眺望も堪能できました。
この城は、まだ戦国の気風が残っていた頃の野面積の石垣と、火山灰地を利用した垂直に切り立つ堀が見所ですな。
秀麗な城もいいんですが、軍事拠点としての城の武骨さ、見る者に対して行き届かないぞんざいさというのもいいものです。
立派な城門が2棟ちゃんと残っているのもいいですな。
移転していた大手門ですが、現在は元の場所にしっかりと。
屋根以外は大手門と似た感じですが、三ノ門も櫓を脇に控えさせて立派です。
懐古園に入ると二ノ丸桝形がお出迎え。
武骨な野面の石垣がなんとも言えず良いですな(^^)
野面積と言えばこのアングルもなかなか。
この石垣は南丸の石垣です。
天守台はこんな感じ。
算木らしい算木はここだけだったかな?
反りが無いのもまたよろし。
下は天守台の先にある水の手展望台からの千曲川の眺めです。
標高差があってなかなかの迫力でした。
いかにも急流といった感じです。
最後はおまけの北丸。
今は弓道場になっているんですが、これが城跡の雰囲気にぴったり。
本丸周辺がちょっと散策しにくいですが、全体としては非常に満足なお城でした。
写真でうまく断崖や深さが撮れなかったので載せていませんが、郭を区画する堀も直線的に深くなっていて、とても登ろうなんて思える崖じゃなかったですね。
南九州の城と同じく火山灰土の土壌らしい感じで、こりゃ堅いわ!というのが素直な印象。
上から見ていくと、写真から段々と天気が回復する様子がわかりますか?
ほんま、急な雨だけはかなわん。
バイクあるあるですが、カッパを着ると雨が止むのに、脱ぐとまた降るのは何故?
そして、止むだろうと思って着ずに粘ると降り続けるのもまたしかり(笑)
つづく
参考:
小諸城
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ビーナスライン絶景!
しかし、その寒さは想像を超え、更に雨が容赦なく打ち付けるのであった。
一時雨という予報もあって、懐古園の駐車場近くの建物の陰で20分ほど雨宿りしてたんですが、あまり止む気配もないので、仕方なく雨の中を散策に出発すると、少し離れた大手門を見ている間に雨が止み、懐古園に入園した頃には晴れ間さえ見えてきました。
完全に寒冷前線ですな。
でも回復が早いお陰で、懐古園は濡れた靴が気持ち悪いものの、気分は晴れやかに散策でき、天守台からの眺めや水の手展望台からの千曲川の眺望も堪能できました。
この城は、まだ戦国の気風が残っていた頃の野面積の石垣と、火山灰地を利用した垂直に切り立つ堀が見所ですな。
秀麗な城もいいんですが、軍事拠点としての城の武骨さ、見る者に対して行き届かないぞんざいさというのもいいものです。
立派な城門が2棟ちゃんと残っているのもいいですな。
移転していた大手門ですが、現在は元の場所にしっかりと。
屋根以外は大手門と似た感じですが、三ノ門も櫓を脇に控えさせて立派です。
懐古園に入ると二ノ丸桝形がお出迎え。
武骨な野面の石垣がなんとも言えず良いですな(^^)
野面積と言えばこのアングルもなかなか。
この石垣は南丸の石垣です。
天守台はこんな感じ。
算木らしい算木はここだけだったかな?
反りが無いのもまたよろし。
下は天守台の先にある水の手展望台からの千曲川の眺めです。
標高差があってなかなかの迫力でした。
いかにも急流といった感じです。
最後はおまけの北丸。
今は弓道場になっているんですが、これが城跡の雰囲気にぴったり。
本丸周辺がちょっと散策しにくいですが、全体としては非常に満足なお城でした。
写真でうまく断崖や深さが撮れなかったので載せていませんが、郭を区画する堀も直線的に深くなっていて、とても登ろうなんて思える崖じゃなかったですね。
南九州の城と同じく火山灰土の土壌らしい感じで、こりゃ堅いわ!というのが素直な印象。
上から見ていくと、写真から段々と天気が回復する様子がわかりますか?
ほんま、急な雨だけはかなわん。
バイクあるあるですが、カッパを着ると雨が止むのに、脱ぐとまた降るのは何故?
そして、止むだろうと思って着ずに粘ると降り続けるのもまたしかり(笑)
つづく
参考:
小諸城
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