2014年11月27日木曜日

両毛・新潟ツーリング その5

前回のあらすじ

岩櫃城はなかなか大規模な城ですじゃ。
堀の城、最高!
 
岩櫃城の散策を終え、下りて来ると駐車場がいつの間にやら満車でした。
そして、新たに現れた登山客の集団も、ぞろぞろと岩櫃山へと入っていきます。
神戸ナンバーは目に付くらしく、これはまた遠い所から来たんですねぇ、という会話を挟みつつ。
全然知らなかったけど、本当に登山スポットとして人気なんやね。
城も真田所縁の城で人気のはずなんやけど、この岩櫃の駐車場において城派は我只一人。
それもまた良し!

来た道を下って国道に戻り、中之条町の市街を抜け、今度は泊まった大塚温泉方向ではなく、国道353号線を東へ向かいます。
中之条町、と言えば小渕優子議員の資金を管理していた折田氏が町長をしていてびっくりしましたな。
国会議員の資金管理役をしながら町長もやってるのか!と小渕王国振りに驚いたわけですが、これはその5ヶ月も前の話。
この頃は、意外と郊外都市化してる所やね、程度の認識でした。
今思えば、めったに行けないんだから、北条氏の拠点であった中山城に行っておけばよかった(> <)
まぁそれはさて置き、ここからは吾妻川を見ながらトコトコとバイクを走らせて行きます。
この吾妻川が、坂東太郎こと利根川に出る所が白井です。
白井は、江戸時代は宿場町となり、今もその町並みが残って観光地化していますが、室町時代から戦国時代にかけては、白井長尾氏という有力豪族の本拠地で、関東の主要な城のひとつでした。
北条早雲と共に関東の下克上の雄と言われる長尾景春を出した家なんですが、早雲と比べると知名度は雲泥の差。
時代的に、戦国時代じゃなくて室町時代の範疇に入れられてるってのもあるんでしょうね。
関東の戦国時代の幕開けは上方より早かったけど、全国的な年表では応仁の乱でザクッと区切られてしまう。
日本史という大きな区分で語る以上は、しょうがないことですけどね。
ま、城好きとしては、宿場町には目もくれず、その白井城に向かう訳ですわ(笑)
と、偉そうに言ってみても、発見したのはこの前日なんですけどもね(^^;)
白井長尾氏という名前は知っていても、白井という地名は知らない。
これが土地勘の無さというやつですな。
前日に地図でふと見付けて、急遽寄る事にしたわけですが、その後の予定がキツキツになるのは目に見えている。
最悪の場合、前橋はショートカットせざるを得ないという賭けでもあります・・・

白井城は、白井の宿場町の背後の崖上にあります。
利根川やその支流沿いにある城は、沼田も前橋も高崎もそうですが、崖城が非常に多いですな。
そして、その崖が鋭い。
それだけ大地を削る川の力が大きいということなんですかね。
四国三郎と呼ばれた四国の吉野川流域の城となんだか傾向がよく似ているように思います。
その白井城へは、宿場町からいくつか交差点に案内があって、ほぼ迷わずに行けました。
城跡としては、本丸とその周辺が残っているだけですが、周囲の田園は綺麗に郭と堀の形を残していて、なんだか綺麗。
これは二ノ丸の全景ですけど、こんな風に視界が広いんですよねぇ

 
そして、この畑と畑の間が堀跡なんですけど、これが明確で判り易い。

 
この写真から判りますかね?
ぺこんと凹んでる堀跡が。
こういう風に、往時がどうだったか推測しやすい城は、散策していてとても楽しい。
いい天気だったし(^^)
本丸部分にも十分遺構が残っています。
これは本丸大手の石垣。
これがやっぱり一番城跡らしい写真ですかね(^^)

 
本丸の三日月堀もなかなか深くてよろしい。

 
三日月堀と聞けば武田流の築城術ですが、武田氏の勢力が及んだ時の改修によって掘られたんでしょうね。
範囲的には、家臣の真田氏の管轄でしょうか。
岩櫃城が真田氏管轄で、岩櫃から北東に進出すれば沼田、南東に進出すれば白井という位置関係にあります。
それとも、箕輪城代の管轄だったのでしょうか。
同じ武田家臣の上野衆でも、小幡氏がやや南の松井田安中方面担当で、箕輪城は甲斐信濃から見ればその延長線上にあります。
距離的には箕輪城が近く、補給線から見ると岩櫃城の先に白井城という感じなんですが、どうなんでしょうか。
本丸の先に、真田所縁の名胡桃城と同じ笹郭なんて名前を見ると、真田系?なんて思ってしまいますが、また時間ができれば調べたいところですな(^^)
 
白井の次に向かうのは、白井城の出城的な機能があったといわれる箱田城。

 
ここは、地図に城跡マークがプロットされてますが、歴史の本などでは見た記憶が無い城です。
でも、今は城跡にでーんと温泉旅館が建っていて、あまり散策できませんでした。
色々遺構を示す立て札は建っているんですが、関係者以外立入禁止というのが余りにもあちこちにあるので、散策できる範囲が狭かったのは残念です。

 
これは宿泊施設の建っている本丸からすぐ下の部分で、堀跡の僅かな窪みと帯郭という立て札があります。
でも、この写真を撮った位置に車止めがあって、例の如く立入禁止とあったので、これ以上近付けませんでした。
ん~残念(> <)
 
つづく
 
参考:
白井城
箱田城

地図付きはこちら
 

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