前回のあらすじ。
プロローグで450km走ったった!御殿場に着いたった!
御殿場I.C.を降り、何かご飯を掻き込める所はないかなと見ながら、向かう先は深沢城。
ここは武田信玄と北条家臣北条綱成の攻防が有名な城で、東駿の要衝です。
箱根の北側から平野部へ出たところにあり、ここを押さえておけば西の駿河、甲斐、反対方向の東の相模にも睨みの利く城。
信玄自らが攻略し、北条氏康も家中随一の猛将であった綱成を据えたという事実からしても、城の重要性というのが解ります。
現在の深沢城は開墾されて田園となっていますが、現地を訪れると城の痕跡がいたるところにあり、散策が楽しい城ですな。
縄張はこんな感じ。
見やすいようにちょっとコントラストを上げてみました。
三日月堀なんかも見所ですけど、個人的には特に川が迫ってる本丸の辺りが前線の城らしくて良かったな~
これは本丸袖郭のところで、この奥側、ちょっと石垣のようになってる所が川です。
この川が本丸の縁ををぐりんと廻って流れてて、この袖郭の下でヘアピン状になってます。
なかなか高低の妙がある場所ですな。
それから、写真は無いんですけど、三ノ丸の東南側に農家がありまして、ここも良かったな~
この農家のエントランス部分がまるまま土橋と空堀!
空堀は深沢城のものをそのまま使い、土橋は後付けか往時のものを太くしたのかは不明ですが、形は城門の構造そのままです。
見る人が見たら、これは家じゃなくて居館だ!と言いそうなぐらいで、羨ましかった(^^)
深沢城の後は山北の河村城へ向かうんですが、すでに深沢城の辺りで飯屋なんて皆無・・・
どこかドライブインみたいなところでも無いかなと思いながら走ってみましたが、国道246号線は山道なのに意外と流れが良くて止まるのもなんだかもったいない。
まぁ、コンビニはあっても適当な飯屋なんてのは無かったんですがね。
そうこうしているうちに河村城へ到着。
この河村城の駐車場には、自分の他にiQという小さい車が止まってました。
駐車場があるとは限らない、狭路があるかもしれない、迷ってUターンなんてのもしばしば、というお城巡りにはこんな車が最適かもしれへんな~と思いいつつ、空腹のまま2城目に突撃です。
この河村城、城郭構造物のデパートみたいな山中城や、絶景の足柄城に比べればマイナーですが、箱根近辺の城らしく構造物が豊富で、それがまたよく残り、整備もされています。
畝堀や大堀切、広々とした削平地など、城としてはかなり面白かった。
下はアップダウンのある畝堀。
畝っぷりが分かります?
蔵郭と近藤郭の間の堀切はかなり巨大。
高さ10mぐらいある感じ。
底部には畝の痕跡がちゃんとあって、ちょっと芝生が剥げてるけど、そこを含めて整備されています。
まだ、城全体としては整備途中の工事中の部分がありますが、それが終わったら訪れ易くてかなり見所のある城になりそうですな。
つづく
参考:
深沢城
河村城
上記地図付きはこちらから
静岡県
神奈川県
2013年12月18日水曜日
2013年12月14日土曜日
相模・伊豆ツーリング(箱根春編) その1
バイクや雑感の防備録的な目的で始めたこのブログ。
なんだかんだと旅行記なんかが増えてきました。
当初の目的とは違う方向に進んできた感じはありますが、まぁいいか、ということで、ツーリングの日記もここに記そうかと思う所存であります。
古い日記はMottyの旅日記にありますけど、日記部分だけ移籍ということで。
前説はさて置き、この春、相模と伊豆に行ってきました!って以前写真だけアップしてたやつなので改めて宣言するのもなんですがね。
また、年末に書いてるのがなんか微妙。
この寒い頃に、ぼちぼち暑くなってきたきたかなって頃の事を思い出しながら書いてるのがねぇ(笑)
出発は5/17の金曜日。
高速の早朝割引を使うべく朝6時までに名神高速西宮JCT通過を目標として、5時30分の少し前に出発。
これは去年秋の山梨行きでも使った作戦。
早起きに慣れてきてるのは年寄りになった証拠か(笑)
慣らしがまだ終わりきっていないので、回転数を気にしながらの行軍です。
納車後すぐはわざわざ市街地を走って、下のギアからちゃん慣らしてきたから、それほど神経質にならんでいいと思うけど、まぁ念の為。
なんとか滑り込みで名神高速に入り、大阪のラッシュを前に吹田S.A.で1回目の休憩です。
吹田S.A.からは、交通量がぐっと増えてきた茨城高槻を通過し、天王山トンネルをくぐって京滋バイパスへ。
さすがの京滋バイパスも、この時間は交通量が多い。
草津で一旦名神に戻って新名神に入り、一路四日市へ。
新名神はバイクで初めて走るけど、なかなか視界が広くて良い道ですな。
ただ、標高が高いのか妙に風が冷たい。
帰りに陽が暮れてたら、結構頑張らないとアカンかも・・・
しばらく走り、新名神土山S.A.で休憩。
うどんと白飯を食す。
大阪京都を越え、名古屋圏を控えて休憩ってのは山梨行きと同じやな(笑)
多分名古屋圏を越えたら、同じようにまた休憩するんやろうね。
場合によっては仮眠、と(^^;)
新名神からは四日市で東名阪に入り伊勢湾岸道を通って東名へ。
幸いにも名古屋圏で渋滞には引っ掛からず。
赤塚P.A.で予想通りの休憩(笑)
少し眠くなったのでベンチで横になったけど、仮眠は出来ず。
ここは散歩道があるから意外と人通りが多いので落ち着かない(^^;)
赤塚P.A.からしばらく走って、いよいよ新東名へ。
今回は、新名神、新東名の新しい高速を走ってみるのも目的のひとつです。
いや~道が広いっすね~
噂の猪瀬ポールもしっかり確認(笑)
しかし、視界が広くて車幅も広くて、体感速度が恐ろしく遅くなりますな。
トンネルもLED照明でトンネルらしくなく、なんだか山奥の落石避けの川側が開いている半トンネルみたいで、おかしな感じです。
そして静岡S.A.で休憩&しばし仮眠。
勢いでここでしか売ってないとポップが出てたタミヤTシャツを購入(^^)
後日、このネタを話すと、他でも見たという目撃談が複数出て、ダマサレタ~となったわけですが・・・
それはさて置き、静岡広し!
なんか名前、そう、藤岡弘。みたい(笑)
新潟や岩手も広いと思ったけど、それに匹敵しますな。
静岡S.A.を出ると、いよいよ富士山が眼前に!
テンションMAX!
いや~やっぱり日本人は富士山見るとテンション上がりますな~
富士山よ!私は帰ってきた!
とか、
フッ!ジッ!サ~ン!フッ!ジッ!サ~ン!高いぞ高いぞフッ!ジッ!サ~ン!
とか、メットの中で言いたい放題です。
元ネタが分かる人がいるのか?というのはさて置き、裾野市辺りの景色は抜群ですな。
この景色はここでしか見られない!
走行中は写真が撮れないのが非常に残念です(> <)
そうこうしている内に御殿場に到着。
いよいよ今回のツーリングの本格的な始まりです!
プロローグ長っ!
つづく
なんだかんだと旅行記なんかが増えてきました。
当初の目的とは違う方向に進んできた感じはありますが、まぁいいか、ということで、ツーリングの日記もここに記そうかと思う所存であります。
古い日記はMottyの旅日記にありますけど、日記部分だけ移籍ということで。
前説はさて置き、この春、相模と伊豆に行ってきました!って以前写真だけアップしてたやつなので改めて宣言するのもなんですがね。
また、年末に書いてるのがなんか微妙。
この寒い頃に、ぼちぼち暑くなってきたきたかなって頃の事を思い出しながら書いてるのがねぇ(笑)
出発は5/17の金曜日。
高速の早朝割引を使うべく朝6時までに名神高速西宮JCT通過を目標として、5時30分の少し前に出発。
これは去年秋の山梨行きでも使った作戦。
早起きに慣れてきてるのは年寄りになった証拠か(笑)
慣らしがまだ終わりきっていないので、回転数を気にしながらの行軍です。
納車後すぐはわざわざ市街地を走って、下のギアからちゃん慣らしてきたから、それほど神経質にならんでいいと思うけど、まぁ念の為。
なんとか滑り込みで名神高速に入り、大阪のラッシュを前に吹田S.A.で1回目の休憩です。
吹田S.A.からは、交通量がぐっと増えてきた茨城高槻を通過し、天王山トンネルをくぐって京滋バイパスへ。
さすがの京滋バイパスも、この時間は交通量が多い。
草津で一旦名神に戻って新名神に入り、一路四日市へ。
新名神はバイクで初めて走るけど、なかなか視界が広くて良い道ですな。
ただ、標高が高いのか妙に風が冷たい。
帰りに陽が暮れてたら、結構頑張らないとアカンかも・・・
しばらく走り、新名神土山S.A.で休憩。
うどんと白飯を食す。
大阪京都を越え、名古屋圏を控えて休憩ってのは山梨行きと同じやな(笑)
多分名古屋圏を越えたら、同じようにまた休憩するんやろうね。
場合によっては仮眠、と(^^;)
新名神からは四日市で東名阪に入り伊勢湾岸道を通って東名へ。
幸いにも名古屋圏で渋滞には引っ掛からず。
赤塚P.A.で予想通りの休憩(笑)
少し眠くなったのでベンチで横になったけど、仮眠は出来ず。
ここは散歩道があるから意外と人通りが多いので落ち着かない(^^;)
赤塚P.A.からしばらく走って、いよいよ新東名へ。
今回は、新名神、新東名の新しい高速を走ってみるのも目的のひとつです。
いや~道が広いっすね~
噂の猪瀬ポールもしっかり確認(笑)
しかし、視界が広くて車幅も広くて、体感速度が恐ろしく遅くなりますな。
トンネルもLED照明でトンネルらしくなく、なんだか山奥の落石避けの川側が開いている半トンネルみたいで、おかしな感じです。
そして静岡S.A.で休憩&しばし仮眠。
勢いでここでしか売ってないとポップが出てたタミヤTシャツを購入(^^)
後日、このネタを話すと、他でも見たという目撃談が複数出て、ダマサレタ~となったわけですが・・・
それはさて置き、静岡広し!
なんか名前、そう、藤岡弘。みたい(笑)
新潟や岩手も広いと思ったけど、それに匹敵しますな。
静岡S.A.を出ると、いよいよ富士山が眼前に!
テンションMAX!
いや~やっぱり日本人は富士山見るとテンション上がりますな~
富士山よ!私は帰ってきた!
とか、
フッ!ジッ!サ~ン!フッ!ジッ!サ~ン!高いぞ高いぞフッ!ジッ!サ~ン!
とか、メットの中で言いたい放題です。
元ネタが分かる人がいるのか?というのはさて置き、裾野市辺りの景色は抜群ですな。
この景色はここでしか見られない!
走行中は写真が撮れないのが非常に残念です(> <)
そうこうしている内に御殿場に到着。
いよいよ今回のツーリングの本格的な始まりです!
プロローグ長っ!
つづく
2013年12月6日金曜日
新車祝いプチツー
前出の友人が、ついにシグナスを購入。
ということで、新車祝いに軽くツーリングへ。
ルートは、
自宅 → 衝原湖 → 淡河で豊助饅頭 → 帰宅
という2時間程度のコース。
出だしは順調。
後ろを気にしながら走ってみるが、多少の峠道でも大丈夫な様子。
事前に、事故の原因になるから置いていかれても自分のペースは絶対守りよ、とは言っておいたので、無理もしてないと思われる。
衝原湖で一旦休憩。
コーヒーで祝いの乾杯。
そして小便という冬のライダー黄金コース(笑)
ちみなに衝原湖はほぼ満水の様子。
渇水時に、湖底に沈んだかつての集落辺りを散歩したのが懐かしい。
衝原湖から、国道428号線で峠を越えて淡河へ。
ハーレー集団の後ろになったが、ハーレーってどれもこれも爆音よなぁ
お陰で自分のバイクのエンジン音が聞こえない。
姫路から来た集団だったみたいやけど、珍しく女の人が3人もいて、ちゃんと千鳥の隊列もできてたし、統制が取れてたね。
ベテランの人がリーダーなんやろな。
こそっと成りすましてた大集団ツーリング態勢から離脱し、道の駅淡河でトイレ休憩(笑)したが、この道の駅も知らん間にえらい繁盛してるなぁ
昔来た時は駐車場もスカスカやったのに、この日は満車。
色々と工夫してるようで。
豊助饅頭を購入して帰る途中、ツレが見たい場所があるとのことで、急遽ルートを変更してツレの先導に。
しかし、信号置いてけぼり、急に右折なんざ当たり前。
更に原付感覚で急にUターンするんやもん。
びっくりやわ(^^;)
思わず三村的に、
「ここでかよ!」
ってメットの中で言ってもたわ(笑)
ツレの先導で迷いながら紆余曲折を経て、明石海峡大橋と淡路島が見える場所を走り、ようやく地元へ。
そして、解散前に少し説教(笑)
しかし、マスツーなんて何年振りや?
気を使いながらも楽しかった(^^)
ということで、新車祝いに軽くツーリングへ。
ルートは、
自宅 → 衝原湖 → 淡河で豊助饅頭 → 帰宅
という2時間程度のコース。
出だしは順調。
後ろを気にしながら走ってみるが、多少の峠道でも大丈夫な様子。
事前に、事故の原因になるから置いていかれても自分のペースは絶対守りよ、とは言っておいたので、無理もしてないと思われる。
衝原湖で一旦休憩。
コーヒーで祝いの乾杯。
そして小便という冬のライダー黄金コース(笑)
ちみなに衝原湖はほぼ満水の様子。
渇水時に、湖底に沈んだかつての集落辺りを散歩したのが懐かしい。
衝原湖から、国道428号線で峠を越えて淡河へ。
ハーレー集団の後ろになったが、ハーレーってどれもこれも爆音よなぁ
お陰で自分のバイクのエンジン音が聞こえない。
姫路から来た集団だったみたいやけど、珍しく女の人が3人もいて、ちゃんと千鳥の隊列もできてたし、統制が取れてたね。
ベテランの人がリーダーなんやろな。
こそっと成りすましてた大集団ツーリング態勢から離脱し、道の駅淡河でトイレ休憩(笑)したが、この道の駅も知らん間にえらい繁盛してるなぁ
昔来た時は駐車場もスカスカやったのに、この日は満車。
色々と工夫してるようで。
豊助饅頭を購入して帰る途中、ツレが見たい場所があるとのことで、急遽ルートを変更してツレの先導に。
しかし、信号置いてけぼり、急に右折なんざ当たり前。
更に原付感覚で急にUターンするんやもん。
びっくりやわ(^^;)
思わず三村的に、
「ここでかよ!」
ってメットの中で言ってもたわ(笑)
ツレの先導で迷いながら紆余曲折を経て、明石海峡大橋と淡路島が見える場所を走り、ようやく地元へ。
そして、解散前に少し説教(笑)
しかし、マスツーなんて何年振りや?
気を使いながらも楽しかった(^^)
2013年12月2日月曜日
バーモンドファミリーウォーク2013
23日の勤労感謝の日に、バーモンドファミリーウォークというイベントに参加して、姫路の街を練り歩いてきました。
学生時代によく来た姫路。
改めて歩いて見て回るのもまた良し。
集合場所兼スタートは、しろとぴあ記念公園。
お城の裏側の公園です。
姫路城はまだ補修工事が終わってないけど、北側から見ることもあまり無いので新鮮ですな。
見上げると、城壁と多聞櫓がより重層的な景観を作り出していて威容があります。
この石垣を登って力攻めしろと言われたら嫌すぎるな(笑)
石垣も城壁も多聞もまるで壁のよう。
城の北西の清水門を出て、千姫の小径という、船場川と堀の間の道を歩いて城外へ。
姫路バイパスから書写山へと向かうときに通る名古山トンネルのある、名古山の手前で南に折れます。
そして、本徳寺の巨大なお堂を見つつ大通り横の路地を辿って南へ南へと進み、途中から県道62号線の大きな道を南下していきます。
この道沿いには、左手に今時の郊外モールであるイオンタウンがあるかと思えば、右手には姫路モノレールの軌道跡が朽ちつつも立っていて、新旧混在の面白さがありますな。
ここまでくれば前半戦もほぼ終わり、しばらく歩くと手柄山公園に到着です。
上は昼食を摂った庭園。
このすぐ横に、例の軌道を走ってたモノレールの車両が展示されてます。
懐かしき昭和のかほり。
いや、リアルタイムで見てたわけじゃないんやけどね(笑)
午後は手柄山から外堀川に出てひたすら北上。
元外堀だけあってひたすら真っ直ぐな川です。
川には鯉も泳いでて、もうちょっと水藻とかを綺麗にすれば、かなり景色や情緒を楽しめる散歩道になりそう。
裏を返せば、藻が繁茂して澱んでるってことやけどね(^^;)
ただ、澱ませておくにはもったいない雰囲気がある。
更に北上していくと、JRのガードをくぐって再びお城へ。
JRが高架化されてから初めて駅の周辺を歩いたけど、駅の周辺は、もはや学生時代の頃の面影が無いなぁ
商店街の方はまだまだ懐かしい雰囲気が残ってる(^^)
そうこうしているうちに、お城までもうすぐの所にある総社門跡。
総社門は中郭の南側にあった門で、現在の国道2号線の場所にあった中堀に面した門でした。
現在の町名などから見ると、中郭までが武家屋敷で、この総社門と中堀の外、つまり外郭が町人町のようです。
上級家臣の屋敷は、城によっては防衛拠点として設計されていることもあり、武家屋敷の範囲は、大きく見れば軍事拠点としての城の範囲です。
町人町は、商業都市としての城の中核部分なのは言わずもがな。
戦国末期に発達した惣構によって、日本の城も中国の城塞都市のように城と城下町全体を囲むようになりましたが、この総社門と中堀は、姫路城における実質的な城と城下町の境目なんですね。
ここからしばらく歩くとゴール!
帰りには、予想通りハウス食品の数々のお土産が。
これは、嬉しい(^^)
来週中にカレーが出てくるのは間違いないな(笑)
学生時代によく来た姫路。
改めて歩いて見て回るのもまた良し。
集合場所兼スタートは、しろとぴあ記念公園。
お城の裏側の公園です。
見上げると、城壁と多聞櫓がより重層的な景観を作り出していて威容があります。
この石垣を登って力攻めしろと言われたら嫌すぎるな(笑)
石垣も城壁も多聞もまるで壁のよう。
城の北西の清水門を出て、千姫の小径という、船場川と堀の間の道を歩いて城外へ。
姫路バイパスから書写山へと向かうときに通る名古山トンネルのある、名古山の手前で南に折れます。
そして、本徳寺の巨大なお堂を見つつ大通り横の路地を辿って南へ南へと進み、途中から県道62号線の大きな道を南下していきます。
この道沿いには、左手に今時の郊外モールであるイオンタウンがあるかと思えば、右手には姫路モノレールの軌道跡が朽ちつつも立っていて、新旧混在の面白さがありますな。
ここまでくれば前半戦もほぼ終わり、しばらく歩くと手柄山公園に到着です。
上は昼食を摂った庭園。
このすぐ横に、例の軌道を走ってたモノレールの車両が展示されてます。
懐かしき昭和のかほり。
いや、リアルタイムで見てたわけじゃないんやけどね(笑)
午後は手柄山から外堀川に出てひたすら北上。
元外堀だけあってひたすら真っ直ぐな川です。
川には鯉も泳いでて、もうちょっと水藻とかを綺麗にすれば、かなり景色や情緒を楽しめる散歩道になりそう。
裏を返せば、藻が繁茂して澱んでるってことやけどね(^^;)
ただ、澱ませておくにはもったいない雰囲気がある。
更に北上していくと、JRのガードをくぐって再びお城へ。
JRが高架化されてから初めて駅の周辺を歩いたけど、駅の周辺は、もはや学生時代の頃の面影が無いなぁ
商店街の方はまだまだ懐かしい雰囲気が残ってる(^^)
そうこうしているうちに、お城までもうすぐの所にある総社門跡。
総社門は中郭の南側にあった門で、現在の国道2号線の場所にあった中堀に面した門でした。
現在の町名などから見ると、中郭までが武家屋敷で、この総社門と中堀の外、つまり外郭が町人町のようです。
上級家臣の屋敷は、城によっては防衛拠点として設計されていることもあり、武家屋敷の範囲は、大きく見れば軍事拠点としての城の範囲です。
町人町は、商業都市としての城の中核部分なのは言わずもがな。
戦国末期に発達した惣構によって、日本の城も中国の城塞都市のように城と城下町全体を囲むようになりましたが、この総社門と中堀は、姫路城における実質的な城と城下町の境目なんですね。
ここからしばらく歩くとゴール!
帰りには、予想通りハウス食品の数々のお土産が。
これは、嬉しい(^^)
来週中にカレーが出てくるのは間違いないな(笑)
2013年11月26日火曜日
大返し飯
このブログ最初のコメントが、西播磨観光協議会からのコメントだったわけですが、お誘いいただいたブロガーツアーは、ツアー予定日に私用があって申し込めませんでした。
23日の勤労感謝の日のバーモンドファミリーウォークなるものに当選した為、23日を空けるべく17日に私用を入れたんですが、それが仇となってしまうとは・・・
ウォーキングイベントは姫路なので、西播磨観光協議会の趣旨には合う?
合うなら次回のウォーキングイベントのブログで勘弁してもらいますか(^^;)
こんな過疎ブログにコメントしていただいたのに申し訳ないなぁと思いつつ、ツアーの予定表を見ると、姫路、龍野の観光がメインだったようですね。
姫路や龍野はもう何回も行ってるのでヨシとして、気になるのは昼食の「大返し飯」・・・
大返し飯だと?
まさか・・・大返しの時の飯を再現したのか?
んなわけない(笑)
握り飯とお茶という、日の丸弁当に匹敵する昼食では半分罰ゲームや・・・
当時の武士のご飯を再現したものなら食べてみたいんですが、残念ながらちょっとググった程度では出てこなかった。
この昼食のモチーフとなった秀吉の大返し。
結構謎に包まれてます。
現在の自衛隊が武器を装備した状態で再現しても出来ないとかなんとか。
まぁ移動手段が足だった時代、江戸時代でも普通の人は1日10時間40kmを歩いたといいますから、頑強な兵士なら可能なのかも知れません。
沿道の農民に炊き出しをさせる、足の速い部隊を先に出して行軍の渋滞を避けつつ後続部隊の為の準備をさせる、なんかの工夫はもちろん有ったはずですけどね。
秀吉は、過去の奇策を何回か用いるということをしており、墨俣一夜城を成功体験に九州の益富城や小田原の石垣山城で一夜城を演出しています。
そして、この大返しも、賤ヶ岳の合戦の際に岐阜から賤ヶ岳まで軍を戻した時に使っており、佐久間盛政を慌てさせて序盤の優勢を得ています。
どちらも、事前準備をきっちりやって電光石火に実行、というのは同じで、秀吉の管理能力の凄さが解る事跡ですね。
23日の勤労感謝の日のバーモンドファミリーウォークなるものに当選した為、23日を空けるべく17日に私用を入れたんですが、それが仇となってしまうとは・・・
ウォーキングイベントは姫路なので、西播磨観光協議会の趣旨には合う?
合うなら次回のウォーキングイベントのブログで勘弁してもらいますか(^^;)
こんな過疎ブログにコメントしていただいたのに申し訳ないなぁと思いつつ、ツアーの予定表を見ると、姫路、龍野の観光がメインだったようですね。
姫路や龍野はもう何回も行ってるのでヨシとして、気になるのは昼食の「大返し飯」・・・
大返し飯だと?
まさか・・・大返しの時の飯を再現したのか?
んなわけない(笑)
握り飯とお茶という、日の丸弁当に匹敵する昼食では半分罰ゲームや・・・
当時の武士のご飯を再現したものなら食べてみたいんですが、残念ながらちょっとググった程度では出てこなかった。
この昼食のモチーフとなった秀吉の大返し。
結構謎に包まれてます。
現在の自衛隊が武器を装備した状態で再現しても出来ないとかなんとか。
まぁ移動手段が足だった時代、江戸時代でも普通の人は1日10時間40kmを歩いたといいますから、頑強な兵士なら可能なのかも知れません。
沿道の農民に炊き出しをさせる、足の速い部隊を先に出して行軍の渋滞を避けつつ後続部隊の為の準備をさせる、なんかの工夫はもちろん有ったはずですけどね。
秀吉は、過去の奇策を何回か用いるということをしており、墨俣一夜城を成功体験に九州の益富城や小田原の石垣山城で一夜城を演出しています。
そして、この大返しも、賤ヶ岳の合戦の際に岐阜から賤ヶ岳まで軍を戻した時に使っており、佐久間盛政を慌てさせて序盤の優勢を得ています。
どちらも、事前準備をきっちりやって電光石火に実行、というのは同じで、秀吉の管理能力の凄さが解る事跡ですね。
2013年11月19日火曜日
民間議員
昨日、楽天の三木谷社長が産業競争力会議の民間議員の辞意を撤回するという記事がありました。
この辺りの事情は、
三木谷さん 「医薬品のネット販売全面解禁を!」
政府 「う~ん、やっぱ一部規制するわ・・・」
三木谷さん 「もう民間議員辞めるわ(怒) あと、ケンコーコムと共闘して裁判するで」
という流れがあって、首相が慰留した結果の辞意撤回です。
まぁなんと言うか、ちょっと違和感がありますな。
民間の有能な人間を会議に招聘するのはもちろんいいのですが、様々な議題の中で利害関係者となる議題に関しては参加すべきでないように思います。
傍から見れば、民間議員という立場を利用した、ただのごり押しにしか見えませんし、そういう利害関係者が参加した会議の結論はどうも中立性というのに疑いの目を向けざるを得ない。
しかも反対するだけならまだしも、訴訟をチラつかせるとか、ちょっとやり方があくどい。
ネット通販は非常に便利かつ合理的で、これからもどんどん拡がっていくのは間違いないと思われます。
合理性が無いのなら問題外ですが、そういう機能的な裏付けがあるのだから、もっと正攻法で行ってもらたいですな。
合理的なものには世論の後押しがあるんやから。
この辺りの事情は、
三木谷さん 「医薬品のネット販売全面解禁を!」
政府 「う~ん、やっぱ一部規制するわ・・・」
三木谷さん 「もう民間議員辞めるわ(怒) あと、ケンコーコムと共闘して裁判するで」
という流れがあって、首相が慰留した結果の辞意撤回です。
まぁなんと言うか、ちょっと違和感がありますな。
民間の有能な人間を会議に招聘するのはもちろんいいのですが、様々な議題の中で利害関係者となる議題に関しては参加すべきでないように思います。
傍から見れば、民間議員という立場を利用した、ただのごり押しにしか見えませんし、そういう利害関係者が参加した会議の結論はどうも中立性というのに疑いの目を向けざるを得ない。
しかも反対するだけならまだしも、訴訟をチラつかせるとか、ちょっとやり方があくどい。
ネット通販は非常に便利かつ合理的で、これからもどんどん拡がっていくのは間違いないと思われます。
合理性が無いのなら問題外ですが、そういう機能的な裏付けがあるのだから、もっと正攻法で行ってもらたいですな。
合理的なものには世論の後押しがあるんやから。
2013年11月18日月曜日
バブル後の対応
近頃、また株価がやや乱高下の気配を見せていますな。
為替、株、共に少し動きが荒い。
金融危機の出口理論とリンクして、思惑が交錯しているようで。
バブルとバブルの崩壊というのは、グリーンスパン元FRB議長も書いてましたが、それ自体は避けるのが非常に難しく、大事なのは事後処理といわれています。
日本では90年代のバブルの崩壊が象徴ですが、直近ではアメリカのサブプライム問題もバブル崩壊ですね。
2006年頃から、すでに崩壊は近いんじゃないかとネットではちらほら言われていました。
このサブプライム問題でFRBの舵を取ったのがバーナンキ議長で、この人はヘリコプターベンという異名を持っています。
なぜそんな異名なのか?
バーナンキ元議長の師匠はフリードマンという学者で、バーナンキもフリードマンも世界恐慌の研究者です。
で、その論はというと、おおまかには、世界恐慌の時にはもっとお札を刷って供給すべきだった、という理論。
この理論に基づき、バーナンキはある席で、恐慌になりそうだったらヘリコプターからお札をばら撒けばいいと言ったとされています。
ここから、ヘリコプターという冠を名前に付けられることに(笑)
実際、サブプライム問題以降のアメリカの金融政策は、QEという量的緩和を推し進めており、その政策はFRB議長だったバーナンキ元議長が主導しました。
日本はバブル崩壊時にどういう対策を行ったかと言うと、簡略的に言えば、財政政策が主ですね。
ハコモノ行政だのなんだのと言われて評判の悪い公共事業です。
ただ、投資としては乗数効果、つまり投資した何倍の国民所得が得られるかという数字が高く、悪い選択ではありません。
日本人の国民性からして、直接給付金としてばら撒いたのに貯め込まれるよりは遥かにマシです。
ただ、それに頼りすぎたきらいはあります。
また、色々批判されたのは、政治的な絡みも多かったようにも思います。
財政と金融。
経済学の素人である自分には、なかなか理解するのも難しいですが、バブルで上がりすぎた不動産や株に対し、アメリカはサブプライム問題でお札の価値を減らして物価などを上げるという金融中心の政策を採り、日本は実体経済を底上げしようと財政中心の政策を採った、というところでしょうか。
上がりすぎた値は、適正価格まで崩れるのが摂理。
崩れれば、その差額が不良債権となります。
逆資産効果という言葉もありますが、売却損や含み損は個人消費などを冷え込ませてしまいます。
その適正価格を、貨幣の希薄化でバブルの基準近くまで上げようとしたアメリカ、実体経済の底上げで値を支えようとした日本。
端的に言えば、こんな感じですかね。
バブルの頃に株に投資していた日本人はそう多くは無く、アメリカでは一般の人々が単純な投資以外でも個人年金などで突っ込んでるという場合も多い、という違いもあります。
財政と金融のバランスというのは難しいはずなんですけど、アメリカがこの年月で回復の道筋が見えるところまで漕ぎつけていることを考えると、それなりに最善に近い政策を打って来れたのではないかと感じます。
ただ、時間は不可逆で、違う方法を試すことは不可能であり、最善だったかどうかは不明です。
未だに金融危機を先延ばしして揉めている欧州なんかを見ると、震源地のくせにさすがだなと思わずにはおれません。
日本は前例が少ないというハンデがあったにせよ、バブルの後処理に関しては、金融の経験も知識も豊富だったアメリカが日本や欧州よりも優秀ですな。
為替、株、共に少し動きが荒い。
金融危機の出口理論とリンクして、思惑が交錯しているようで。
バブルとバブルの崩壊というのは、グリーンスパン元FRB議長も書いてましたが、それ自体は避けるのが非常に難しく、大事なのは事後処理といわれています。
日本では90年代のバブルの崩壊が象徴ですが、直近ではアメリカのサブプライム問題もバブル崩壊ですね。
2006年頃から、すでに崩壊は近いんじゃないかとネットではちらほら言われていました。
このサブプライム問題でFRBの舵を取ったのがバーナンキ議長で、この人はヘリコプターベンという異名を持っています。
なぜそんな異名なのか?
バーナンキ元議長の師匠はフリードマンという学者で、バーナンキもフリードマンも世界恐慌の研究者です。
で、その論はというと、おおまかには、世界恐慌の時にはもっとお札を刷って供給すべきだった、という理論。
この理論に基づき、バーナンキはある席で、恐慌になりそうだったらヘリコプターからお札をばら撒けばいいと言ったとされています。
ここから、ヘリコプターという冠を名前に付けられることに(笑)
実際、サブプライム問題以降のアメリカの金融政策は、QEという量的緩和を推し進めており、その政策はFRB議長だったバーナンキ元議長が主導しました。
日本はバブル崩壊時にどういう対策を行ったかと言うと、簡略的に言えば、財政政策が主ですね。
ハコモノ行政だのなんだのと言われて評判の悪い公共事業です。
ただ、投資としては乗数効果、つまり投資した何倍の国民所得が得られるかという数字が高く、悪い選択ではありません。
日本人の国民性からして、直接給付金としてばら撒いたのに貯め込まれるよりは遥かにマシです。
ただ、それに頼りすぎたきらいはあります。
また、色々批判されたのは、政治的な絡みも多かったようにも思います。
財政と金融。
経済学の素人である自分には、なかなか理解するのも難しいですが、バブルで上がりすぎた不動産や株に対し、アメリカはサブプライム問題でお札の価値を減らして物価などを上げるという金融中心の政策を採り、日本は実体経済を底上げしようと財政中心の政策を採った、というところでしょうか。
上がりすぎた値は、適正価格まで崩れるのが摂理。
崩れれば、その差額が不良債権となります。
逆資産効果という言葉もありますが、売却損や含み損は個人消費などを冷え込ませてしまいます。
その適正価格を、貨幣の希薄化でバブルの基準近くまで上げようとしたアメリカ、実体経済の底上げで値を支えようとした日本。
端的に言えば、こんな感じですかね。
バブルの頃に株に投資していた日本人はそう多くは無く、アメリカでは一般の人々が単純な投資以外でも個人年金などで突っ込んでるという場合も多い、という違いもあります。
財政と金融のバランスというのは難しいはずなんですけど、アメリカがこの年月で回復の道筋が見えるところまで漕ぎつけていることを考えると、それなりに最善に近い政策を打って来れたのではないかと感じます。
ただ、時間は不可逆で、違う方法を試すことは不可能であり、最善だったかどうかは不明です。
未だに金融危機を先延ばしして揉めている欧州なんかを見ると、震源地のくせにさすがだなと思わずにはおれません。
日本は前例が少ないというハンデがあったにせよ、バブルの後処理に関しては、金融の経験も知識も豊富だったアメリカが日本や欧州よりも優秀ですな。
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