2026年4月3日金曜日

殉教の政治学

辺野古沖の転覆事故で修学旅行生が亡くなって2週間以上が経ち、事業登録さえしていなかったというその杜撰な運営体制や、各種法律的にグレーな行動をしている団体へ学校が修学旅行生を預けていたことなど、お金の流れも含めて色々と問題点が浮かび上がってきました。
それは、ちょっと想像していたよりも酷いものでしたね。
このような平和教育と言う名の偏向教育は、私学に多いようで、その全容解明や資金の流れの透明化も今後は期待したいところです。
その事故に関し、様々な記事が出ていますが、その中でやや毛色の違う解説記事がありました。
 
 
この中で触れられているのが、死者の政治利用、殉教の政治学といった概念です。
日本史の中でも、カトリック世界で高山右近が殉難者の福者に列せられてたり、旧陸軍旧海軍などが壮絶な戦死を遂げた人物を戦意高揚にために祭り上げたり、ということがありましたが、改めて殉教の政治学という風に言語化されると、非常に腹落ちしますね。
カトリックが植民地獲得を目指す各国の王朝と密接に関係し、その植民地支配の試みへの防御反応として禁教されたことや、軍隊が死者を偉人化することで戦争への支持に利用したことなどを、現在に生きる我々は知っていますが、熱狂の中にいる人にはその裏は知られず、死者が非常に稀有な人として評価、崇拝されたことでしょう。
自分達の進める行動に伴って犠牲が出たことに対し、その死の責任の所在を他者に向け、自らの行動の正当化をも図る。
一石二鳥の非常に合理的な手段です。
今回、そういう言葉が簡単に出てきたことに、少し恐怖感を覚えましたね。
この団体は怖いな、と。
今後、責任問題が噴出してくると思いますが、どう対応するのか、まともに責任を受け止める空気があるのか、気になるところです。
 

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