2020年2月29日土曜日

鹿児島熊本ツーリング その7

前回のあらすじ
 
知覧城は南九州の城らしい城でしたな!
 
17年前に知覧を訪れた際には、城には行けませんでしたが、知覧の特攻平和会館で長い時間を過ごしました。
その頃は自分もまだ若く、自分と同年代の人や若い人たちが、どのように考え、出撃していったのかを遺書などで間近に感じると、とても切なく哀しかったですね。
同じような年代だっただけに、自分がこの時代に生きていればどうなっていたか、感情移入せずにはいられませんでした。
今回は時間の都合もあって、前回とは反対に城へ寄って会館には寄らなかったんですが、南九州という、九州以外からはなかなか行きにくい場所でもありますので、一生に1度、特に感受性の高い若い頃に訪れて欲しい場所ですね。
さて、知覧を出発し、次に向かうのは加世田です。
今は、市町村としては南さつま市となっていますが、加世田という地名は、伊作島津家の宗家継承の戦いには必ず出てくる地名で、実質的な近世島津氏の祖である島津忠良が人生で最も厳しい戦いだったと語った別府城がありました。
なので、押さえないわけにはいきません。
知覧から加世田への道は簡単で、県道27号線で川辺へ、川辺から国道225号線と県道31号線で万之瀬川沿いに下って行けば、割とすぐという感じ。
加世田の市街地の入口辺りのコンビニでサンドイッチの昼食を摂っていると、神戸ナンバーを見つけた初老の方が、
「日本一周ですか??」
と声を掛けてきました。
いやまぁ・・・
脱獄した人が日本一周を騙って逃げてたのはついこの間のことですけども(笑)
ええ歳のおっさんが、そんな長期間の休みなんて取れませんわ(> <)
取れるならもう1度行きたいですけどねぇ
昼食を終え、加世田市街に入り、なんとなく雰囲気を覚えている南さつま市の市役所付近の交差点を南へ折れ、国道270号線から加世田川沿いの路地へ入ると、加世田別府城跡があります。
この加世田別府城も17年前に来ているんですが、雨だったので、ゆっくりと散策はできていないんですよね。
なので、知覧城に続いてのリベンジというわけです。
加世田別府城は、元々は薩摩平氏系別府氏が築いた城で、後に島津宗家に攻撃されて別府が降伏したことから、島津宗家の持ち城となっていました。
後に、島津宗家から分かれた薩州家が相続し、戦国時代中頃の薩州家の当主が、島津忠良と家督争いを繰り広げた実久というわけです。
そして、忠良が薩摩統一を進める過程で、薩州家の重要拠点だった加世田別府城を攻撃したのが、先ほど出てきた戦いなんですね。
しかし、肝心の加世田別府城はと言うと、江戸時代までは外城制度の中心としてある程度維持されていたようですが、明治時代に小学校用地となり、高さが削られ、城の痕跡はほぼありませんでした。
現在の城跡は、公園となっています。
その奥まった所に城址碑がありました。
 
 
そして、説明碑。
 
 
写真では読みにくいですが・・・安心してください。
現地でも読みにくかったですから(^^;)
この左手には、加世田別府城の開祖である別府五郎忠明の碑もありました。
 
 
小学校に関する碑もあります。
 
 
城址碑以外で城らしいのは、南の階段ですかね。
 
 
高さは削られて結構低くなっているみたいですが、この階段の傾斜具合が城っぽさを感じさせます。
でも、興味無い人が見たら普通の階段やな(^^;)
この階段付近にも、簡単な説明板がありました。
 
 
前回は訪れたと言っても雨でバタバタだったので、今回はゆっくりできて満足しました(^^)
 
加世田別府城の散策を終え、今度は国道270号線を北上して行きます。
ただ、加世田市街の外れの辺りから、肥料のかほりがしてきました。
臭い・・・
鹿児島に入ってから、この肥料の臭いは数度目。
ちょうど畑に肥料を入れる時期なんかなぁと思っていましたが、市街の外れとは言え、ここはまだ田園風景にはほど遠い。
どういうこと?と思っていたら、数台前の大型トラックの前が肥料運搬車でした(^^;)
そりゃ臭いわ・・・
でも、鹿児島では秋を感じるかほりなのかも知れませんね。
その運搬車とも途中で名残を惜しみながら(?)別れ、更に北へ走っていると、急に城の案内が目に入って来ました。
そんな城は知らんぞと思いつつ、慌ててバイクを路肩に止め、Uターン。
訪れてみると、貝殻崎城という城跡でした。
 
 
しかし、城址碑を見てびっくり。
小泉純一郎書とかいあるではありませんか。
あの人、横須賀が地元じゃなかったっけ?と思いながら調べてみると、純一郎氏の父が加世田は小湊の鮫島さんだったんですね。
この貝殻崎城は、中世には鮫島家の居城だったので、その繋がりというわけですな。
鮫島氏を辿れば、もともとは駿河の豪族で、源頼朝に初期から付き従った宗家の名が見え、後に薩摩国阿多郡の地頭として下ってきたようです。
その後、室町時代に島津家と対立するも臣従し、以降は島津家臣としていくつかの鮫島姓の人物が見えますね。
子孫の純也氏はと言えば、小松原の漁師の家の生まれだそうです。
戦国時代に、小松原を領していた島津家臣の鮫島宗政という武将がいますから、その末流なのかもしれません。
純也氏の衆議院議員初当選は鹿児島で、鹿児島1区で2期務め、その後に養父小泉又次郎の地盤を継いで神奈川2区で7期務めています。
そして、その地盤を継いだのが純一郎氏というわけですな。
なかなか意外な歴史が知れて、面白かったです。
城址碑の傍らには、城の説明碑もありました。
 
 
ただ、城跡らしい遺構は見当たりませんでしたね。
そこはちょっと残念(^^;)
川の合流点に張り出した舌状台地に築かれた城ですが、高低差はあまり無かったので、居館から出発した城だったんでしょう。
こういう、突然現れる城との出会いもまた、旅の醍醐味ですな。
 
つづく
 
参考:
加世田城
貝殻崎城
地図付きはこちら
 

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