2020年2月16日日曜日

鹿児島熊本ツーリング その6

前回のあらすじ
 
雨の中のバイク旅って巻きで進行しますよね・・・
 
池田湖からは指宿スカイラインという、阿多南部カルデラの外輪山を突き抜ける道が出ており、その道で知覧を目指すわけですが、結構アップダウンがある道でしたね。
薩摩半島東部の稜線を縫うのもあり、まるで山岳道路のよう。
そのせいか、雨に加えて霧まで発生する始末。
なかなか手強い(^^;)
だけども問題は今日の雨~傘がない♪
と生まれる前の曲を歌って凌ぎました(^^;)
雨の時は頭に流れるんだよな~
この指宿スカイライン、晴れの時に走れば、かなり気持ちの良い快走路だったと思います。
非常に残念ですな(> <)
指宿スカイラインには、知覧という名のI.C.もあるんですが、そこまで行くと知覧の市街地からかなり遠くなるので、頴娃I.C.から県道を伝って知覧城へと向かいます。
知覧城付近でちょっと行き過ぎたかと戻ったりもしましたが、雨も上がったので多少迷っても気は楽になりましたね。
そして、懐かしき知覧城に到着。
やたら広い駐車場は今も健在でした。
2001年に来た時には発掘調査で城内へは立ち入り禁止になっていましたからね。
17年振りのリベンジです。
まずは、駐車場にある鳥瞰図から。
 
 
前回はこれだけ撮って止むを得ず撤退しましたからね。
懐かしい(^^)
シラス台地の浸食地形を活用した、南九州の典型的な城ですな。
城への道は、独立した各郭の空堀となっている谷筋を辿って城の内部へと入って行き、蔵ノ城と本丸の下へと繋がっています。
まずは城の中心たる本丸へ。
本丸への動線は、2度曲げられた桝形となっていました。
改修時期が割と新しいようですね。
 
 
知覧の歴史は割と複雑で、平安時代から薩摩に根を張っていた薩摩平氏系の知覧氏と、鎌倉政権の近しい島津氏系の知覧氏がいたようですが、いずれも没落してしまったようで、同じく島津一門の佐多氏が南北朝時代の領主として登場します。
その後、今給黎久俊が押領し、応永27年(1420)に島津豊久が討伐した後、再び佐多氏に与えるわけなんですが、この時、上木場城として史料に登場するのが知覧城の最初といいわれていますね。
その頃は桝形なんて構造物は考案されていないので、桝形が登場した戦国時代後期に改修されたんでしょうな。
この桝形の道を登って行くと、もう1度桝形となってから本丸へと出ます。
 
 
そして本丸内部。
 
 
テデンと城址碑がありますね。
本丸縁辺には土塁も明確に残っています。
 
 
よく手入れもされていて、心地よい城ですな(^^)
本丸を下りて、すぐ近くの蔵ノ城・・・と行きたい所ですが、残念ながら蔵ノ城は遊歩道崩落の為に立ち入り禁止になっていました。
今年は台風がきつかったですからねぇ。
シラス台地は脆いからしょうがないですな。
というわけで、本丸の下の堀底を進んで、今城と弓場城を目指します。
今城と弓場城へは同じ斜面を上り、途中から道が分かれていました。
まずは弓場城へ。
 
 
弓場城は知覧城では3番手か4番手の郭だと思いますが、ここも小規模ながら虎口に桝形が形成されていますね。
なかなか城全体にしっかり手を入れて改修されたようです。
弓場城内部はこんな感じ。
 
 
弓場城にもしっかり土塁が残ってていい感じ。
続いて今城へ。
今城の虎口にも桝形がありました。
 
 
こちらは弓場城よりもしっかり造られている様子。
重要度が解りますね。
今城の内部はこんな感じです。
 
 
弓場城に比べて範囲の一部は手が入ってない状態でした。
とは言え、郭としてはかなり広かったんで、本丸に続く第2の居住空間だったかも知れませんね。
今城ってのも後で付け足した居住区画っぽい名前ですし。
いや~リベンジ成功で大満足ですわ(^^)
 
つづく
 
知覧城
地図付きはこちら
 

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