2019年5月9日木曜日

令和走り初め

今年のGWは10連休。
知り合いの人事の人が、連休明けの新人さんの事を凄く心配していたのが印象的でしたが、5月とか9月とか、大型連休後にドロップアウトしてしまう人も統計的には多いですからね。
人事の方らしい視点だなと感じました。
自分はと言うと、世間並の10連休・・・なんてほど遠い最大3連休。
そして、やろうと思ってた令和の走り初めに充てられる日は1日、しかも10時ぐらいから夕方までという状況でした。
ん~、なんだかんだ忙しいですわ(^^;)
というわけで、ぶらりと行ってきたのは淡河。
アワカワではなく、オウゴと読みます。
ちなみに、山陽道に淡河P.A.がありますので、読める人は読めるはず。
その淡河には、お城があります。
秀吉による播磨の三木城の別所氏攻略の序盤、荒木村重の勢力下であった花隈城から山を越え、丹生山とこの淡河城を経由して三木城へ兵糧を運ぶ補給路がありました。
三木城に対する補給路は、このルートと、明石の魚住城に荷揚げして加古川の水運で運ぶルートが2大ルートであったようで、当然ながら秀吉は補給路を潰しにかかるわけですが、その命を受けたのは秀吉の弟秀長。
秀長は、兵を率いて淡河城を攻撃するのですが、この時、城から牝馬を一斉に放ち、軍馬が興奮して混乱する中を急襲して撃退するという知略を発揮したのが、淡河城主の淡河定範という武将でした。
その合戦の舞台となった淡河城。
十割そばが人気で休日にはいつも満車状態の道の駅淡河の、後背の山にあります。
模擬櫓のような建物があり、道の駅からでも判り易いのですが、そこに意識を向ける人は少ないでしょうね。
この道の駅の裏から急坂を登る遊歩道があり、自分もその道から行った事はあるんですが、城跡が田園になっているので、どこからか入る車道があるはずです。
今回はそれを探しました。
探すと行っても、道が少ないのでそれほど手間は掛からないはずでしたが、最初は国道428号線沿いに分かれ道があるかと探してみましたが、道が無いどころかUターンも難しい道で、結局、峠の頂上まで走る羽目に。
ま、楽しい道やからええんやけども(^^;)
峠から引き返して淡河本町の交差点を左折し、今度は北側からアプローチしてみます。
すると、しばらく行った先に淡河城跡を示す小さな青い案内が。
今まで何回も通ってるけど、気付かんかったわ。
その案内に従って集落方向へ折れ、急な農道を上ると、簡単に淡河城へと到着しました。
台地上に上がってしまえば、ほぼ平坦な地形です。
淡河城に入口には案内板がありました。
 
 
このすぐ横は本丸の虎口です。
桝形とまでは言えないですが、食違い虎口だったと思われます。
 
 
そして、本丸全景。
 
 
この右手には天守台があります。
今は、その天守台は稲荷社の境内になっていました。
意外と広い天守台なんですよね。
後に江戸時代にも生き残った有馬氏の居城としても使われたといいますから、相応の天守が建っていたのかもしれません。
ここには城址碑もあります。
 
 
稲荷社の社務所?のような建物には縄張図もありました。
 
 
この天守台の東側に空堀が残っていますが、これがかなり立派。
 
 
高低差は10m弱ぐらいありますね。
そして、稲荷社の裏手には模擬櫓があります。
ここからは淡河の宿場町も見えますね
 
 
この先に遊歩道があるんですが、そこを少し下って下から模擬櫓を見上げてみます
 
 
なかなか迫力ある写真になりました(^^)
本丸で休憩がてら昼食を食べた後、二ノ丸の機能があったと思われる中郭と竹慶寺跡へブラブラと。
この辺りは完全に開墾されて田園になっていますね。
竹慶寺には淡河氏歴代のお墓がありました。
 
 
最後に中郭側から空堀をば。
 
 
こちら側からは6~7mの高低差といったところでしょうか。
この左手には土橋のような地形もあったんですが、橋と言えるほど高くも無く、よく分かりませんでした。
 
帰りは、淡河の北をぐるっと、行った事のない道を回ってみます。
本能のまま走りましたが、最終的に三木に出て、ネスタリゾート神戸の入口の前を通って帰路へ。
しかし、ネスタリゾートの北と南でびっくりするぐらい交通量が違う(^^;)
まさかこれほどとは。
時間もあるんでしょうが、高速のI.C.からも近いし、やっぱり行き易いんやろなぁ
 
参考:
淡河城
地図付きはこちら
 

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