バイク乗りなら千里浜は1度は行っておくべき。
テンション上がりまくり!
末森城を後にして向かうのは、能登半島。
能登半島も、16年と半年振りですな。
今回目指すのは、前回来た時に散策できなかったり発見できなかったりした、能登半島の城々です。
まずは、のと里山海道の今浜I.C.に戻って、北上。
結局、今浜I.C.は乗り降り3回か。
完全に段取りを間違えてますわ(^^;)
しばらく北上した後、西山I.C.で降りて、そこからは県道と国道249号線を縫っていきます。
県道とは言え、この辺りは広い道も多く、交通量も少ないので、かなりの快走路。
気持ちいいですわ。
そうこうしているうちに鷹巣岩と巌門へ到着。
ここも16年と半年振りです。
まずは鷹巣岩。
ここから少し進んだ先には、巌門の入口となっている能登金剛センターがあります。
センターの下をくぐって巌門へ。
巌門と鷹巣岩のツーショットもバッチリ。
前に来た時は気付きませんでしたが、滝もありました。
不動の滝という名前らしいですが、岩肌を流れる滝もまた良し。
以前に比べ、観光地としてはちょっと寂れた印象もありましたが、それは平日の為なんですかね?
前回来たのが遥か昔過ぎて、平日だったのか休日だったのかも忘れましたが。
調べたところによると、能登金剛センターも運営が変わっている様子。
観光地も流行り廃りがありますから、経営も大変ですわ。
散策から帰ってくると、千里浜で見かけたBMWが止まっていました。
誰が走ってもルートは同じような感じになるのかも知れませんね。
さて、次の目的地は天堂城。
畠山氏の重臣で、一時は主家を思うままに差配した温井氏の居城です。
しかし、城としての歴史はあまりはっきりとしません。
温井氏自体が、藤原氏の出とも足利一族の桃井氏の出ともいわれてはっきりしないので、中世でも割と後のほう、つまり室町時代の畠山氏の能登入封後から勢力を持った家だったのではないでしょうか。
なので、それに釣られるかのように城の事績もよく判っていないと思われます。
しかも、後に温井氏は主家と幾度も合戦を行っていますが、その戦いは羽咋から七尾城にかけてが戦場になっており、天堂城は地理的に全く関係ありません。
居城でありましたが、戦時の城という扱いではなかったのかも知れませんね。
天堂城がある場所は、能登半島でももう輪島に近いぐらいの奥能登にあります。
ま、輪島の湊が温井氏の勢力の源泉であったので、当たり前なんですが。
ただ、バイクで行くとなると結構遠いんですよね。
国道249号線から富来で内陸へと入り、県道51号線を北東へ進むと、天堂城まではほぼ一直線のルートなんですが、地方の県道ということもあって2車線部分は多くなく、1.5車線、時には1車線の道でした。
その道を約1時間。
とは言え、田舎で交通量も少なく、のんびりと走れる道で陽光と木陰が気持ち良かったですね(^^)
田舎道ならではの楽しさですわ。
こうして天堂城に到着・・・せずに1度通り過ぎ、Uターンしてようやく発見しました。
しかし、マイナーな城で行くのに骨が折れるというのもあってか、人もあまり訪れないようで、城跡全域で藪だらけ。
散策は困難を極めました。
まず城の入口にある鐘衝堂や首切畑周辺。
削平地はあるんですが、遺構らしい遺構は発見できず。
ここから更に進むと木戸元右門の案内が。
この先に道は続いてそうでしたが、すぐに藪になっていて進めず。
ここから少し登ると、空堀と石垣跡、そして殿様屋敷の削平地があります。
写真左手のやや窪んでる辺りが空堀で、この空堀はぐるっと曲げられて横堀になっているようでした。
途中、石垣の痕跡を発見。
ん~、ほんまに痕跡やな(^^;)
ただ、こういう石垣らしいき大きさの岩がある場所が数か所あって、城跡というのを感じます。
そして、この先は藪化してて、進めませんでした。
遠くに平たい感じの場所が見えたので、あれが殿様屋敷だったんでしょう。
この後、道標の場所に戻って道を登って行くと、左手に谷筋を利用した空堀と、幾段かの削平地が20mほど先に見えました。
行く道は無かったんですが、城らしい部分でしたね。
後で調べてみると、縄張図のゼニクラという場所だったので、恐らく銭蔵という倉庫の置かれた場所だったんでしょう。
この先には、兵庫屋敷と本丸跡という道標があるようなんですが、残念ながら見落としてしまいました。
ここまで来て、残念(> <)
ちなみに、何故か案内板は県道沿いのやや離れた場所にあります。
そして・・・
一番大事な縄張図がビリビリやんけ~
輪島市さん、もっと頑張って下さい。
つづく
参考:
巌門
鷹巣岩
天堂城
地図付きはこちら
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