7/29にドラゴンクエスト11が発売されました。
小学校の時に初代ドラゴンクエストに衝撃を受けてから、かれこれ31年。
こんなに長く続くゲームってのも凄いですね。
ただ、今回は、プレイするのはほとぼりが冷めてからかな。
昔はテレビで流れるファンファーレを聞いただけでテンションが上がったもんですが、最近はスマホゲームのCMなんかでファンファーレに慣れてしまって、時間がある時でいいやという感覚になっています。
それでも、2Dのドット絵表示モードがあるので、ノスタルジーを掻き立てられますがね。
とは言え、何より今は、つい買ってしまったゼルダの伝説で手一杯。
ちょっと2日ほどゲームができる時間ができたので、評判も良いし買ってみるかと7月中頃に買ったわけですが、以来、慢性的寝不足です。
仕事も再び忙しくなったのに(笑)
話を戻して、ドラゴンクエストことドラクエですが、そのシナリオは、堀井雄二さんです。
シナリオ・堀井雄二
デザイン・鳥山明
音楽・すぎやまこうち
これがドラクエ御三家。
シリーズ31年ということで、壮年だった方々もいまや老境に差し掛かっていますけど、いつまでも元気でいてほしいですね。
その御三家の一角である堀井雄二さんは、実は兵庫県は淡路島の洲本出身です。
堀井雄二さんシナリオの、ポートピア殺人事件という名作ゲームもありますが、洲本出身ならではの題名なんですな。
兵庫県民としては、感慨深い。
そして、ドラクエ30周年を記念して、洲本ではドラゴンクエストミュージアムが8/7まで開催されているんですよね。
最初に記事を見た時、ドラクエ11のゲーム発売記事よりも、こちらにテンションが上がってしまいましたわ(笑)
これは、
行きたい!
しかし、行ける時間が・・・
盆前は忙しいねん・・・
ほんまツラいですわ・・・
2017年7月31日月曜日
2017年7月28日金曜日
辞任&辞任
政治の分野で、急に動きが出てきましたな。
蓮舫さんが民主党党首を辞任。
稲田さんが防衛大臣を辞任。
国会の閉会中審査の直後だけに、結果だけを見れば、相討ちのようにも思えますが、どうなんでしょうか。
しかし、この閉会中審査の国会中継の動画を見ていたんですが、少し笑ってしまいました。
前川さんがちょっと酷い。
よくこんな人を全面に出して追求しようと思ったなぁ、というのが正直な感想です。
そもそも、文書を流出させたのは前川さん自身のようで、それって籠池さんの自作自演的な展開と同じじゃないのか?と感じたのは気のせいでしょうか。
調査と称していかがわしいバーに通い、天下りの件では本丸とも言える存在でした。
そして、ネットで広がっている2005年のヒアリングの議事録。
人としての質は、あまりいい方とは思えない、どころか、かなり悪そう。
そんな人の証言を全面に追求するわけです。
んー、籠池さんと同じ空気感が・・・
そして、前川さんと反対側の存在として、加戸元愛媛県知事も証言していましたが、10年に及ぶ招致活動やその他諸々の証言には、説得力がありました。
他の大学がほとんど相手にしてくれない、獣医師学会からの圧力もある、そして何より、今治に大学を置いてくれるならどこでもよかった。
これ。
この最後の部分は、本当に地方の本音だと思います。
大学があれば、学生の一定数は地元に定着してくれますからね。
だから、どの地方も大学の誘致に躍起になってるわけです。
鳥インフルや口蹄疫などがあって、獣医学部へと結びつくわけですが、本音の本音はそこなんですよ。
大学誘致をテコに地元に産業を根付かせる。
生き残りを図る地方の本音です。
本丸の加計学園に関しては、当初は新潟がメインで、京産大の名もあったが準備不足。
そして、前にも書きましたが、検討案件になったのは第1次安倍政権もスルーした後の民主党政権時代。
周辺事実から考えると、いろいろ無理筋なんですねぇ
小野寺さんの質問なんかを見ると、肝心の前川さんの証言が、これまたグダグタだし。
でも、新聞の見出しになると、「首相が発言を訂正、陳謝」となるわけで。
確かにそうやけど、問題の大事な部分はそこじゃないやろ?と。
なんか、マスメディアのから騒ぎが空しいですわ。
権力監視と反権力というのは違うんですよね。
もうちょっと頑張って欲しいんやけどなぁ
蓮舫さんが民主党党首を辞任。
稲田さんが防衛大臣を辞任。
国会の閉会中審査の直後だけに、結果だけを見れば、相討ちのようにも思えますが、どうなんでしょうか。
しかし、この閉会中審査の国会中継の動画を見ていたんですが、少し笑ってしまいました。
前川さんがちょっと酷い。
よくこんな人を全面に出して追求しようと思ったなぁ、というのが正直な感想です。
そもそも、文書を流出させたのは前川さん自身のようで、それって籠池さんの自作自演的な展開と同じじゃないのか?と感じたのは気のせいでしょうか。
調査と称していかがわしいバーに通い、天下りの件では本丸とも言える存在でした。
そして、ネットで広がっている2005年のヒアリングの議事録。
人としての質は、あまりいい方とは思えない、どころか、かなり悪そう。
そんな人の証言を全面に追求するわけです。
んー、籠池さんと同じ空気感が・・・
そして、前川さんと反対側の存在として、加戸元愛媛県知事も証言していましたが、10年に及ぶ招致活動やその他諸々の証言には、説得力がありました。
他の大学がほとんど相手にしてくれない、獣医師学会からの圧力もある、そして何より、今治に大学を置いてくれるならどこでもよかった。
これ。
この最後の部分は、本当に地方の本音だと思います。
大学があれば、学生の一定数は地元に定着してくれますからね。
だから、どの地方も大学の誘致に躍起になってるわけです。
鳥インフルや口蹄疫などがあって、獣医学部へと結びつくわけですが、本音の本音はそこなんですよ。
大学誘致をテコに地元に産業を根付かせる。
生き残りを図る地方の本音です。
本丸の加計学園に関しては、当初は新潟がメインで、京産大の名もあったが準備不足。
そして、前にも書きましたが、検討案件になったのは第1次安倍政権もスルーした後の民主党政権時代。
周辺事実から考えると、いろいろ無理筋なんですねぇ
小野寺さんの質問なんかを見ると、肝心の前川さんの証言が、これまたグダグタだし。
でも、新聞の見出しになると、「首相が発言を訂正、陳謝」となるわけで。
確かにそうやけど、問題の大事な部分はそこじゃないやろ?と。
なんか、マスメディアのから騒ぎが空しいですわ。
権力監視と反権力というのは違うんですよね。
もうちょっと頑張って欲しいんやけどなぁ
2017年7月21日金曜日
ぶらり東京 その3
前回のあらすじ
ねんがんの「こうきょ」をてにいれたぞ!
元ネタのロマンシングサガというゲームは遥かなる昔にやっことあるけどこんな会話は覚えてない、というのは置くとして、東京からの帰りに東京タワーに寄ってみました。
皇居からの東京タワー。
翼君と岬君ばりの、おのぼりさんのゴールデンコンビですね。
なぜか今日はネタが古いな・・・
しかしまぁ、東京にはほとんど仕事でしか来なかったので、観光というのをまともにしたことがないというのが自覚できました。
ちょうどいい機会ですね。
東京タワーへは、神谷町駅から歩いて行ったんですが、割と上り坂が続くので汗だくに。
港区のくせに山やん!
土地勘が無いので、港区って埋め立て地中心の区かと思ってました・・・
東京港が包含されているだけなんですね。
うっかり馴染みのある浜松町から歩かなくて良かったわ(^^;)
東京タワーのある場所は芝公園付近で、かつては増上寺の境内地だったそうです。
増上寺は徳川家の菩提寺で、江戸城の拡張に伴って芝の地に移され、裏鬼門の鎮めの役割があったとされていますね。
裏鬼門はあくまで風水の話ですが、実際に東京タワーまで坂を登った感じでは、平山城を築くのに丁度良さそうな感じで、地勢的な防衛でも江戸城の重要な出城だったのではないかと思います。
城下町造成の際に有力寺院を臨時の出城に見立てて配置するというのは、近世城郭では鉄則ですからね。
話が少しそれましたな。
そんなことを考えつつ汗をかきかき歩いていると、東京タワーに到着。
間近で見ると、流石に大きいですな。
そして、外国人観光客に紛れて大展望台へ。
最近、高層ビルが増えたせいか、地上150mと言っても、特別周囲から際立って高いわけではなくなっています。
でも下を見ると、流石に高さが実感できますね。
曲線を描く鉄骨が何ともいい感じです。
この辺りは、設計者が、エッフェル等を真似たのではなく、無駄のない安定した姿を追求した結果、と述べたように、機能美と言うか、自然美にすら近いのかも知れません。
東京タワーには、この大展望台の上に、特別展望台というものもあります。
存在は前から知っていて、ちょっと高いぐらいかと思ってましたが、その高さは、なんと250m。
大展望台より1.4倍高いわけですな。
しかししかし、その特別展望台よりも、地階建物のフットタウンでやっていた、東京ワンピースタワーのアトラクションの方に興味があったのはヒミツです(笑)
時間もあまり無かったのでどちらも行きませんでしたけども。
いや~、なかなか東京観光もいいもんですな。
たまには都会の観光もオツなものですわ(^^)
参考:
東京タワー
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ねんがんの「こうきょ」をてにいれたぞ!
元ネタのロマンシングサガというゲームは遥かなる昔にやっことあるけどこんな会話は覚えてない、というのは置くとして、東京からの帰りに東京タワーに寄ってみました。
皇居からの東京タワー。
翼君と岬君ばりの、おのぼりさんのゴールデンコンビですね。
なぜか今日はネタが古いな・・・
しかしまぁ、東京にはほとんど仕事でしか来なかったので、観光というのをまともにしたことがないというのが自覚できました。
ちょうどいい機会ですね。
東京タワーへは、神谷町駅から歩いて行ったんですが、割と上り坂が続くので汗だくに。
港区のくせに山やん!
土地勘が無いので、港区って埋め立て地中心の区かと思ってました・・・
東京港が包含されているだけなんですね。
うっかり馴染みのある浜松町から歩かなくて良かったわ(^^;)
東京タワーのある場所は芝公園付近で、かつては増上寺の境内地だったそうです。
増上寺は徳川家の菩提寺で、江戸城の拡張に伴って芝の地に移され、裏鬼門の鎮めの役割があったとされていますね。
裏鬼門はあくまで風水の話ですが、実際に東京タワーまで坂を登った感じでは、平山城を築くのに丁度良さそうな感じで、地勢的な防衛でも江戸城の重要な出城だったのではないかと思います。
城下町造成の際に有力寺院を臨時の出城に見立てて配置するというのは、近世城郭では鉄則ですからね。
話が少しそれましたな。
そんなことを考えつつ汗をかきかき歩いていると、東京タワーに到着。
間近で見ると、流石に大きいですな。
そして、外国人観光客に紛れて大展望台へ。
最近、高層ビルが増えたせいか、地上150mと言っても、特別周囲から際立って高いわけではなくなっています。
でも下を見ると、流石に高さが実感できますね。
曲線を描く鉄骨が何ともいい感じです。
この辺りは、設計者が、エッフェル等を真似たのではなく、無駄のない安定した姿を追求した結果、と述べたように、機能美と言うか、自然美にすら近いのかも知れません。
東京タワーには、この大展望台の上に、特別展望台というものもあります。
存在は前から知っていて、ちょっと高いぐらいかと思ってましたが、その高さは、なんと250m。
大展望台より1.4倍高いわけですな。
しかししかし、その特別展望台よりも、地階建物のフットタウンでやっていた、東京ワンピースタワーのアトラクションの方に興味があったのはヒミツです(笑)
時間もあまり無かったのでどちらも行きませんでしたけども。
いや~、なかなか東京観光もいいもんですな。
たまには都会の観光もオツなものですわ(^^)
参考:
東京タワー
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2017年7月15日土曜日
ぶらり東京 その2
前回のあらすじ
夏のバカヤロー
来るのが遅いけど早いんだよー
西ノ丸大手門から、ヘタリつつ大手門まで歩いて帰ってきました。
そこにデンと聳える大手門。
ここは百人番所よりも内郭側にあり、より身分の高い役人が警護していたようですね。
門を出てすぐ、というのがいかにも番所らしくていいですな。
大番所を過ぎると、中雀門というのがありました。
ここは中之門とは違って、綺麗に加工し切れていない石垣でしたね。
構築時期が違うのかな?
やや野面の雰囲気があって、江戸時代初期頃に積まれたのかもしれません。
見ようによっては、ちょっとおどろおどろしい面をしています。
この中雀門を越えると、いよいよ本丸。
御殿がなけりゃ、ひたすらだだっ広いですね。
この左手の手前側に、天守の代役を果たしていた富士見櫓があります。
ただ、こちら側から見ると、ちょっと微妙かも。
石垣に映えてこその富士見櫓ですな。
ここから本丸内を進んで行くと、有名な松の大廊下の説明が。
廊下とは言いつつ、畳敷きの豪勢な廊下だったそうな。
さすがですね。
更に奥には、富士見多門。
この辺り一帯は、石垣の上に土盛りがしてありました。
土止めのような感じなんでしょうか。
更に進むと、石室があります。
大奥用の非常用倉庫だったみたいですね。
木造の城には、火が大敵ですが、やはり日には石というところでしょうか。
そして、メインディッシュの天守台。
さすがに巨大な天守台なんですが、ここには天守が建てられたことはありません。
明暦3年(1657)の明暦の大火後、加賀藩によって天守台は築かれましたが、甥の将軍家綱を補佐していた保科正之が天守再建を延期し、結局は建てられず仕舞いでした。
よく見ると、加賀前田家の本城金沢城の石垣に似たカラフルさを感じるのは気のせいでしょうか。
下は、天守台から本丸を一望の図。
反対側の北桔橋門方向。
天守からは、この北桔橋門を出て、城を退去。
その途中、乾堀の眺めです。
優美な曲線を描いていますね。
反対側を見てみると、いかにも城の石垣。
こちらは城らしい無骨さがありますね。
平川堀を引きで撮ってみると、こんな感じです。
そういえば、この近くには、大きな玉ねぎがあるんだった。
行った事無いけど、懐かしい。
中学の頃、よく歌ったわ(^^)
参考
江戸城
江戸古城
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夏のバカヤロー
来るのが遅いけど早いんだよー
西ノ丸大手門から、ヘタリつつ大手門まで歩いて帰ってきました。
そこにデンと聳える大手門。
ちなみに、この渡櫓門は再建です。
ここをくぐれば東御苑。
その案内図。
ざっと、図の上側が本丸、下側が二ノ丸です。
流石に広いですな。
大手門から入ると、すぐに三ノ丸尚蔵館という、皇室に伝わる美術品などを展示する施設がありました。
もちろん、展示物にも興味がありますが、
とにかく涼を下さい!
ということで、冷風を浴びつつ存分に鑑賞。
ゆっくり鑑賞するというのが、何よりも大事なんですよね!
ねっ!
ちなみに、この時は馬に関する特集展示でした。
尚蔵館を出て、すぐ近くの休憩所でスポーツドリンクを一気飲みし、パンフレット等を収集して、本格的なお城散策に出発です。
まず目に入ってくるのが、同心番所と百人番所。
下は百人番所ですが、二ノ丸へ通じる大手三之門を警護する番所ですから、流石に大きいですね。
この目の前にあるのが、大手三之門。
今は真っすぐ道が通っているので判りにくいですが、ここは食い違いになっています。
その隣には、中之門跡。
端正で巨大な石垣が特徴的ですね。
中之門跡を過ぎると、大番所があります。
ここは百人番所よりも内郭側にあり、より身分の高い役人が警護していたようですね。
門を出てすぐ、というのがいかにも番所らしくていいですな。
大番所を過ぎると、中雀門というのがありました。
ここは中之門とは違って、綺麗に加工し切れていない石垣でしたね。
構築時期が違うのかな?
やや野面の雰囲気があって、江戸時代初期頃に積まれたのかもしれません。
見ようによっては、ちょっとおどろおどろしい面をしています。
この中雀門を越えると、いよいよ本丸。
御殿がなけりゃ、ひたすらだだっ広いですね。
この左手の手前側に、天守の代役を果たしていた富士見櫓があります。
ただ、こちら側から見ると、ちょっと微妙かも。
石垣に映えてこその富士見櫓ですな。
ここから本丸内を進んで行くと、有名な松の大廊下の説明が。
廊下とは言いつつ、畳敷きの豪勢な廊下だったそうな。
さすがですね。
更に奥には、富士見多門。
この辺り一帯は、石垣の上に土盛りがしてありました。
土止めのような感じなんでしょうか。
更に進むと、石室があります。
大奥用の非常用倉庫だったみたいですね。
木造の城には、火が大敵ですが、やはり日には石というところでしょうか。
そして、メインディッシュの天守台。
さすがに巨大な天守台なんですが、ここには天守が建てられたことはありません。
明暦3年(1657)の明暦の大火後、加賀藩によって天守台は築かれましたが、甥の将軍家綱を補佐していた保科正之が天守再建を延期し、結局は建てられず仕舞いでした。
よく見ると、加賀前田家の本城金沢城の石垣に似たカラフルさを感じるのは気のせいでしょうか。
下は、天守台から本丸を一望の図。
反対側の北桔橋門方向。
天守からは、この北桔橋門を出て、城を退去。
その途中、乾堀の眺めです。
優美な曲線を描いていますね。
反対側を見てみると、いかにも城の石垣。
こちらは城らしい無骨さがありますね。
平川堀を引きで撮ってみると、こんな感じです。
これを見ると平山城って感じがしますね。
この畳み掛けるような横矢の掛かり具合も素晴らしい。
ちなみに、徳川家康入部以前の江戸城は、太田道灌の築城ですが、その城はこの本丸から北ノ丸にかけてあったようで、国立近代美術館から遺構が検出されています。
用事があったので、ちょっと急ぎ足の散策となりました。
今度は二ノ丸や吹上の土塁なんかも、しっかり見てみたいですな。 そういえば、この近くには、大きな玉ねぎがあるんだった。
行った事無いけど、懐かしい。
中学の頃、よく歌ったわ(^^)
というわけで、もう少しつづく。
参考
江戸城
江戸古城
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2017年7月10日月曜日
ぶらり東京 その1
ちょっと個人的な用事があったので、ぶらりと東京に行って来ました。
去年の7月に。
1年前じゃねぇか!
というのは置くとして、その時の記録をば。
ま、あまり時間が取れなかったので、観光と言うほどの事も出来なくて、取りあえず皇居だけは行っておこうと観光してきました。
しかし、暑かったですね(^^;)
去年は梅雨明けが遅くて、このままどんよりした感じで行く日までもってくれと願っていたんですが、よりにもよって行く日に関東地方の梅雨が明けやがった・・・
夏の太陽のお出迎えなんていらんのじゃ~
というわけで、暑い日差しの中、強行軍です。
でも、快晴というわけでもなくて、所々雲が出てる日で助かりましたね。
東京駅から歩いたので、まずは東京駅の姿。
この駅舎もなかなか古くて重厚感があるのですが、この日は工事中で視界に邪魔が多い。
ここから真っすぐ歩いて行くと、皇居こと江戸城です。
名前に関しては、江戸城から東京城、宮城、皇城などと変遷して行ったようですが、戦後はほぼ皇居で統一されていますね。
まず正面に出てくるのは和田倉門。
今は門はありませんが、当時は高麗門があり、親藩譜代の大名屋敷が並んでいた場所です。
そのまま和田倉橋を渡りましょう。
橋から石垣を見ると、割と初期の石垣であった事が判ります。
中央部に野趣があっていいですね。
次に姿を見せたのが桜田二重櫓とも呼ばれる巽櫓。
水面に映えますね。
このすぐ近くに桔梗門があります。
この左手に進んで行くと、坂下門の前を横切って西ノ丸大手門へ行くことができます。
西ノ丸へは上り坂になってますね。
大きい城なので平たい印象がありましたが、この辺りは平山城というのを実感します。
普段、行けるのはここまで。
祝賀の時には、この奥に行けるはずです。
一度、入ってみたいもんですな。
西ノ丸大手門を正面近くで撮ってみると、石橋の西洋的な感じと、門の和的な感じが、微妙な違和感を滲み出しつつ、不思議なバランスで調和しています。
ここでふと気付いてしまった。
いや、薄々は気付いてたんやけど・・・
大手門が遠い!
どうすんねん!
この暑さの中、日陰も何もないだだっ広い道を歩くのか?
・・・うん、歩くんだ!
しょうがない。
しょうがないよなぁ
でも暑いんだよな(> <)
というわけで、つづく。
参考:
江戸城
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去年の7月に。
1年前じゃねぇか!
というのは置くとして、その時の記録をば。
ま、あまり時間が取れなかったので、観光と言うほどの事も出来なくて、取りあえず皇居だけは行っておこうと観光してきました。
しかし、暑かったですね(^^;)
去年は梅雨明けが遅くて、このままどんよりした感じで行く日までもってくれと願っていたんですが、よりにもよって行く日に関東地方の梅雨が明けやがった・・・
夏の太陽のお出迎えなんていらんのじゃ~
というわけで、暑い日差しの中、強行軍です。
でも、快晴というわけでもなくて、所々雲が出てる日で助かりましたね。
東京駅から歩いたので、まずは東京駅の姿。
この駅舎もなかなか古くて重厚感があるのですが、この日は工事中で視界に邪魔が多い。
ここから真っすぐ歩いて行くと、皇居こと江戸城です。
名前に関しては、江戸城から東京城、宮城、皇城などと変遷して行ったようですが、戦後はほぼ皇居で統一されていますね。
まず正面に出てくるのは和田倉門。
今は門はありませんが、当時は高麗門があり、親藩譜代の大名屋敷が並んでいた場所です。
そのまま和田倉橋を渡りましょう。
橋から石垣を見ると、割と初期の石垣であった事が判ります。
中央部に野趣があっていいですね。
次に姿を見せたのが桜田二重櫓とも呼ばれる巽櫓。
水面に映えますね。
このすぐ近くに桔梗門があります。
この左手に進んで行くと、坂下門の前を横切って西ノ丸大手門へ行くことができます。
西ノ丸へは上り坂になってますね。
大きい城なので平たい印象がありましたが、この辺りは平山城というのを実感します。
普段、行けるのはここまで。
祝賀の時には、この奥に行けるはずです。
一度、入ってみたいもんですな。
西ノ丸大手門を正面近くで撮ってみると、石橋の西洋的な感じと、門の和的な感じが、微妙な違和感を滲み出しつつ、不思議なバランスで調和しています。
ここでふと気付いてしまった。
いや、薄々は気付いてたんやけど・・・
大手門が遠い!
どうすんねん!
この暑さの中、日陰も何もないだだっ広い道を歩くのか?
・・・うん、歩くんだ!
しょうがない。
しょうがないよなぁ
でも暑いんだよな(> <)
というわけで、つづく。
参考:
江戸城
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2017年7月5日水曜日
直虎 2Q
6月が終わりました。
今の所、女城主直虎の視聴は続いています。
ただ、なんか歴史ドラマを見るという感覚ではなくなりましたね。
途中、
これ、細うで繁盛記じゃね?
と思ってからは、なんとなく戦国時代が舞台になっているだけの娯楽作品、という感覚で見てますね。
そういう目で見ると、それなりに面白い作品だと思います。
細うで繁盛記の頃は生まれてないけども(笑)
色んなアイデアで勝負する主人公と、最初は対立しつつも協力するようになっていく脇を占める個性的なキャラクター、無理難題を吹っ掛ける大きな存在。
そして、次から次へと押し寄せて来る難題をなんとか乗り越えていく展開。
モロ、テンプレートですね。
クセのある主人公のヒーローと、時にはぶつかりながらも理解のある上役、自らを犠牲にする友人、そんなハリウッド映画のテンプレートに通じるものがあります。
テンプレートでも、舞台が変わって目先が変われば、また面白く見ることができますからね。
ドラマの先の歴史を知っている身としては、正次がどのような最期はどのように描かれるのか。
今はそこに最も興味があります。
当初の方向とは違う視点で見てますが、今後も楽しみですね。
今の所、女城主直虎の視聴は続いています。
ただ、なんか歴史ドラマを見るという感覚ではなくなりましたね。
途中、
これ、細うで繁盛記じゃね?
と思ってからは、なんとなく戦国時代が舞台になっているだけの娯楽作品、という感覚で見てますね。
そういう目で見ると、それなりに面白い作品だと思います。
細うで繁盛記の頃は生まれてないけども(笑)
色んなアイデアで勝負する主人公と、最初は対立しつつも協力するようになっていく脇を占める個性的なキャラクター、無理難題を吹っ掛ける大きな存在。
そして、次から次へと押し寄せて来る難題をなんとか乗り越えていく展開。
モロ、テンプレートですね。
クセのある主人公のヒーローと、時にはぶつかりながらも理解のある上役、自らを犠牲にする友人、そんなハリウッド映画のテンプレートに通じるものがあります。
テンプレートでも、舞台が変わって目先が変われば、また面白く見ることができますからね。
ドラマの先の歴史を知っている身としては、正次がどのような最期はどのように描かれるのか。
今はそこに最も興味があります。
当初の方向とは違う視点で見てますが、今後も楽しみですね。
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