2016年2月25日木曜日

支配者階級比率

前から気になっていたいた事がありまして、それについて調べてみました。
それは、支配階級の人口比率。
世界的に見ると、大規模に封建制というのが成立したのはヨーロッパと日本だけとされ、先進国への脱皮は封建制を経ないと成立しなかったという論もあるようですね。
厳密に言えば、中国でも封建制の時代がありましたが、と言うか封建制自体が元々は中国の言葉なんですが、ヨーロッパや日本と同じ程度まで領主権が確保されていたかには議論があるようです。
具体的に言うと殷や周の時代ですからね。
江戸時代や中世ヨーロッパと比べるには時代に隔たりがありすぎるのと、はっきりさせるには昔過ぎて史料的な制約も多いのでしょう。
 
本題の支配者階級比率ですが、日本の場合を直球で言うと、明治最初期の調査で6%と少しでした。
江戸時代中期以前は人口調査もされていないので、そもそも比率を追うことはほぼ不可能なんですが、江戸時代の中期以降も武士の数については不明で、明確に数字が出るのは明治時代が初めてとなります。
戊辰戦争での敗戦藩における武士の大量解雇も考慮すると、江戸時代末期で大体7%といったところでしょうか。
これに臨時雇いの武士や中間などの武家奉公人を加えると、最大で10%程度と考える事ができるようです。
一般に、日本の江戸時代は、戦国時代の動員システムのまま行政組織化した為に支配者階級が高かったと言われていますが、どうだったのでしょうか。
日本と同様に封建制が成立していたヨーロッパでは、といっても、明確なソースがWikipediaにしか見つけられなかったんですが、
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E6%97%8F
 
にあるように、高くて2%だった模様。
ただし、辺境部は比率が高く、10%を占めるとのこと。
おぉ、10%!
なんかひとつの真理を見つけた気がしますね(^^)
辺境部がなぜ高かったかと言うと、本文にも書いていますが、辺境であるが故に軍事階級に対する需要が多く、域外から獲得できる褒賞も多かった為のようです。
日本の戦国時代も条件は同じで、そのままの体制であったことからの江戸時代の数字でした。
つまり、
 ・江戸時代の支配者階級比率は、やはり世界的に見て大きかった
と言うことができ、さらに、
 ・封健制度における軍事的な動員体制というのは、洋の東西を問わず10%程度が標準
と読み取る事ができそうです。
うむ。
ひとつ勉強になったわ~
 



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