2016年2月9日火曜日

放送について時事ネタ

自分はかつて、郵政省が管轄する許認可業界で働いていた事があるので、それを引き継いだ今の総務省の許認可業界関連にも少し興味があったりします。
ただ、郵便事業はもう時代の趨勢からは遠い事業になってしまったので、具体的には放送と通信ですかね。
ここ数日、放送関係の記事が出ていたので、ちょっと気になりました。
まず7日に上がってた記事、というか炎上ネタですが。
 
NHK経営委員「最近の若者は本当にダメだから法律でNHKの番組を強制的に見せる時間をつくるべき」
http://netgeek.biz/archives/65874
 
NHKの経営委員の安田喜憲氏が、最近の若者はダメだから強制的にNHKを見る時間を決めてもいいぐらいだ、という発言をしたという記事ですね。
これを見て、そもそも疑問に思ったのが、ダメな若者を矯正させるほどの良質なコンテンツをNHKは創っているのか?という素直な疑問。
自分は大河ドラマやニュースなんかを割とよく見てるクチなので、NHKのコンテンツを比較的多く視聴している部類かと思われます。
その上で、各々の番組が良質かどうかは主観的なものなのでなんとも言えないですが、番組表を見る限り、良質なラインナップとは言えないと感じますね。
視聴率に左右されず良質なものを創る為、というのが受信料を徴収するひとつの建前だったはずですが、ドラマやバラエティなど、民放で補完できる番組が多いように思われます。
そして番組中に入ってくる番宣。
民放と同じやん・・・
なんかね、
いや、それは違うやろ。
視聴率と予算とのバランスが難しいドキュメンタリーを相当重視してるなら、その建前とかも解ります。
しかし、現状では量として全然物足りない。
BSで流してるMLBやプレミアリーグなんかも、高い放映権料を払ってまで取ってくるほど国民に潜在的需要があるのかというと、相当疑問ですしね。
自分は野球部でしたし、サッカーやフットサルもするので、たまに見てたりはするんですけど、こういう専門的な需要はケーブルテレビやCSに任せるべきで、受信料を原資にやることではないでしょう。
そのほか、問題になった新国立競技場よりも遥かに高額な新社屋建設とか、テレビ離れが進んでるのに時代に合わなくなった受信料制度とか、利権にもメスを入れつつこういう議論ならまだ解るんですがねぇ
あと、話はそ逸れますが、安田氏に限らず、若者ダメだ論を振りかざす人は、経験上、老害と化すことも多いので、信用なりませんね。
高年層には高年層の、若年層には若年層の育った環境と成功体験があるわけで、もちろん人によりますが、高年層の成功体験と価値観が今の世の中に合ってるかどうかというのには、かなり疑問があります。
それを理解しないと、若者の○○離れという言葉も無くならないでしょうね。
「最近の若い奴は」と「若者の○○離れ」。
便利な言葉ではありますが、根本には、自分が理解できない事に対してレッテルを貼って片付けてしまうという心情が見え隠れしているように思います。
でも、それでは本質を見誤りかねない。
若い人がダメなのではなく、若者が離れたんではなく、考え方やモノが若い人の価値観に合わなくなった。
ただ、それだけの事です。
新しい物や考え方が絶えず登場し、流動していくのが世の中というものなのだから。
これは誰しも何となく感覚で理解している事だとは思いますが、明確に主語を意識するだけで、ぐっと鮮明になりますね。
些細な事ですが、意外と大事な事だと思います。
人間は表面的な言葉に案外縛られますから。
それに、若者ダメだ論で思うのは、個人的には若者のマナーだなんだと言われる割に、体感的に60前後の人のマナーもかなり悪いです。
電車内とか駅とか。
年を取ると厚かましくなるのか、それとも年齢的なホルモン等の変化で我慢が難しくなるのか。
それとも、戦後すぐで戦中からの揺り戻しによって導入した欧米風の個人主義教育が悪い方向に出てるのか。
そこには少し興味ありますがね。
 
2つ目の記事はこちら。
 
総務相、電波停止の可能性に言及 - 政治的公平性で
http://news.mynavi.jp/news/2016/02/08/415/
 
不偏不党、政治的に公平であることという部分において、放送法違反を繰り返した場合は、停波もあり得るという答弁の記事ですね。
まず、放送法を見ると、第1条に不偏不党、第4条に政治的に公平であることというのが明記されています。
そして、第174条には、違反した際には総務大臣の判断として業務停止を命じることができる、とあります。
さて、何が問題なのでしょうか。
放送法で明記されている以上、総務大臣としては、停波を命じることがあるのか?と聞かれれば、可能性としてはある、と答えるしかありません。
法律で縛られる法治国家の行政を担当する一大臣としては。
しかも、私の時には無いだろうが、という注釈付きでの発言です。
何が問題なのか。
これは、民主党が政権を握っていた場合でもそうだったでしょう。
法律に明記されていない処分を言えば問題ですが、明記されている以上、勝手に法の運用を変えることはできないし、してはいけない。
もちろん、運用上の弾力性というのはありますが、可能性は法治国家としては否定してはいけないのです。
ただ、これを受けたメディアの報道は、政治的な圧力をかけるのではないか、という含みを持たせた報道でした。
いや、それは違うやろ。
政府内の総務大臣が停波云々の権限を持つのは危険だから第三者機関を作るべき、というのなら解ります。
現状では、どの党も政権を取れば同じ指摘をされても文句は言えないわけで、ことさら現政権に対して批判的に報道する事柄ではありません。
自分らがこういうちょっと偏った見方をしているという自覚があるから、こんな報道の仕方になるのかな?なんて勘繰ってしまいますね。
個人的な意見としては、そもそも放送に明記されている不偏不党や政治的公平なんて幻想だと思います。
かつての椿事件が象徴的ですが、日本のマスメディアは、どうも政権批判の方向にしか耳目が向いていないなと感じるのは気のせいではないでしょう。
現状でも、政権批判、自民党批判が多い。
そして、どうも映像などで印象操作をしている可能性も疑われる。
ドイツでは、年末年始の移民系難民系住民による強盗や暴行がようやく4日になって報道されたというニュースがあり、これは移民推進派のメルケル首相に迎合したんではないかというぐらいの遅報っぷりで、メディアの報道しない自由としてこれはこれで問題なんですが、日本ではこういう政権寄りの姿勢というのはちょっと想像できないですよね。
公平を期すなら、称賛するところは称賛し、批判するところは批判する、というのが正しい放送メディアの在り方、監視のはずですが、現状は遥かに遠い。
今回の事も、本来なら政権に批判的に捉える案件ではなく、システムとしての不健全さに目を向けるべき案件なんですが、この報道の仕方では偏ってると見られてもしょうがないわ、という感想しか出てきません。
商業的には、批判のほうが視聴率が取れるという理由もあるんでしょうけども。
しかし、自民党なんて、世界的に見れば穏健左派なんですが、基本的にリベラルが多いはずのメディアはよく批判しますよね。
なんでだろう。
もちろん批判するなというのではありませんが、建設的な議論を吹っかけられない野党の尻も与党と同じぐらいしっかり叩けよ、とはよく思います。
現状、現実的な政策論で考えると、選挙では一択になってしまいますから。
こういうのは、投票する側としても良いとは思えません。
もう、放送メディアも、どうせなら思い切ってアメリカのように、政権に近しいのか、遠い立場なのか、はっきりしてくれたほうが分かりやすいかもしれませんね。
一方、新聞については、政権寄りが産経、中立やや政権寄りぐらいに読売、批判側に朝日と毎日で、割とバランスが取れています。
本来、こうあるべきで、賞賛も批判もあって初めてバランスし、比較もできるようになるんですが、現政権の支持率が発足後から概ね50%前後を維持しているというのに、テレビでは批判がやたら多い。
もう少し、国民意識に近い形でバラけてくれることを願います。
 



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