2015年11月30日月曜日

伊勢湾周遊 その3

前回のあらすじ

最近、上野樹里をあまり見ないのは大河の低視聴率のせいなんかな?
でも応援してるぞー!
 
草野球の集まりの人達がBBQの下準備をしてるのを、ええなぁと羨みつつ青少年公園を後にし、次は鳥羽方向へと向かいます。
来た道を戻って国道23号線のバイパスへ出て津市に入り、津I.C.から伊勢道へ。
津I.C.は松阪へツーリングに来た時も使った所で、なんだか景色が懐かしかった。
今回は、その時に近いけど行く時間が無かった田丸城へ。
地図をよく見ると、勢和多気で伊勢道から分かれている紀勢道が、知らない間に尾鷲まで通じてて、行き易くなっているようですね。
丸1日掛けて、和歌山から国道42号線で延々と走ったのを思い出します。
その内に、三重と和歌山の海沿いが全部高速で繋がる日も来るんでしょう。
採算性はともかくとして、利便性と所要時間は格段に変わるのは間違いありません。
繋がったら、また来なくては。

そうこう物思いをしながら、意外と交通量の多い伊勢道をしばらく走り、玉城I.C.に到着。
ここからちょっと北上すれば、すぐに田丸城です。
とても行き易くてよろしい(^^)
田丸城は、南北朝時代に南朝の拠点として築かれた城で、その初期に南北での攻防が見られ、室町時代は北畠氏の伊勢門前町に対する拠点的機能を担っていたようです。
ただ、史料に登場する回数が多くなく、事跡は推測の部分が多いみたいですね。
戦国時代に入ると、信長の子で北畠氏に入嗣した信雄が北畠氏の影響排除を狙って一時拠点とし、この頃に石垣が整備されました。
しかし、それも5年ほどで火災に見舞われてしまい、以後は捨て城同然だったようです。
その後、豊臣政権期には蒲生氏郷の属城となって、北畠氏時代にこの田丸城主だった田丸直昌が城に戻り、江戸時代には稲葉氏、藤堂氏の属城、そして徳川家紀州藩成立後はその附家老久野氏が城主となりました。
城の御殿部分は、今は中学校になっているんですが、城に行ってみると、まず目に付いたのが俳句。
いや、川柳かな?
「さわやかな 部活の声や 三の丸」

 
縄張図に御殿が三ノ丸とは無かったんですが、地元の一般認識として三ノ丸なんでしょうね。
城跡の学校とか羨ましい・・・
この校門からすぐの所が城の入口で、主郭部が石垣で築かれ、あとの部分は土の城です。
これがなかなか重厚な石垣で、見応えがありますな。
まずは大手虎口付近の石垣。

 
非常に重厚でよろしいですな。
野面積で尚よろし。
この虎口付近から北ノ丸の石垣の姿もメリハリがあってなかなかの雰囲気。

 
北ノ丸の一部の石垣は、公園として整備した際に積み直したようですが、年月が経っているので、新しい部分と古い部分の区別はあまり見られません。
北ノ丸には、現在は稲荷社が祀られています。

 
北ノ丸から戻って本丸。
奥にあるのが天守台の石垣です。

 
この天守台、穴倉式なんですが、エントランスの階段が扇形で、とても特徴的。
ちょっと優雅な感じがしますね。
手前の階段部分がそうなんですが、穴倉式と両方入るように欲張った写真なので、あまり判らないか・・・

 
この天守台からの景色。
晴れてたら爽快なんでしょうけど・・・

 
反対側の本丸の南側に行くと、二ノ丸があり、その虎口は近世城郭らしく非常に立派でした。
それと、二ノ丸と北ノ丸には土塁がよく残っていましたね。
本丸は城壁が囲っていたのか、土塁は無かったようですが。

 
この日は中学校で陸上の競技会か何かがあったのか、二ノ丸には中学校のグラウンドを覗いてる夫婦の方が何組か。
静かな城跡の公園ですし、のんびり散歩がてら子供の様子を見に来られたんですかね。
穏やかな休日の風景でした。
田丸城の主郭部の東側は、帯郭というにはやや幅の広い細長い郭が2段あるんですが、下の段は北ノ丸の下の部分がなかなか見応えがありましたね。
大きな防御施設として、かなり大きな食い違い土塁があります。

 
近世城郭に改修された城で、こんな大きな食い違い土塁というのは珍しい。
もともとあったものを、改修の際に補強したんでしょうか。
また、北ノ丸の帯郭の切岸は、補強の為か2段になっていて、ここもちょっと技巧的でした。
石垣がなかなか良いとの評判を見てましたが、なかなかどうして、土の部分も良いお城でした。
満足満足(^^)
 
田丸城を出て向かうのは、鳥羽。
伊勢湾フェリーです。
何度か廃止の議論が出ており、まだある内に乗っておこうというのも伊勢湾ルートを選んだ理由でした。
この日は、特に何時の便に乗ろうというのは無くて、お城巡りに合わせて適当な便に乗るという算段。
1時間に1本ぐらいのペースで便がありますしね。
そういうわけで、伊勢道から、ETC使えんから手袋外して財布出して料金払ってまた財布仕舞って手袋嵌めなあかんのダルいやん!と思いながら伊勢二見鳥羽ラインを走り抜け、鳥羽市街へ。
フェリー乗り場に着いたのが12:25頃でした。
乗船券購入の時にサクっと時刻表を確認すると、次は13:00の船らしい。
15分前にバイクのところにスタンバっとかなあかんから、12:45には戻らなあかん。
ということは、20分の間に鳥羽城を見てご飯を買えっちゅうことやな。
そんなん無~理~
しかし、ここまで来て鳥羽城を見ない訳には行きません。
乗船券を買ったら、そのまま鳥羽水族館の裏を抜けて城ー向けてダッシュ!
行く手を阻むように近鉄志摩線が!
この辺りは線路を越える場所が無い。
なのでミキモト真珠島の近くまで行って、地下道で線路をくぐり、更に城までダッシュ!したかったけどジョグ止まり・・・
鳥羽城は海沿いの丘陵にある城で、主郭は丘陵上にありますが、その麓には三ノ丸があり、そこに説明板一式もありました。
案内図では、フェリー乗り場や横たわる鉄路の位置関係がよく解りますな。
果てしない遠回りですわ・・・

 
三ノ丸からは、ガッツで階段を駆け上がる!


え?何?これ部活?
おっさんにはとてもきつい・・・
そんなこんなで、本人的にはサラっと、周りから見ると恐らくグダっと鳥羽城を回り、再びジョグ!もとい早歩きで港に戻って船に間に合いました。
結局、昼飯は買えず。
船の中で売ってた菓子パンが、この日の昼食でした。
 
つづく
 
参考:
田丸城
鳥羽城
地図付きはこちら
 

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