なぜか鳥羽城で階段ダッシュ。
20年ぶりの部活・・・
出発に無事間に合い、船に乗り込んでみると、廃止云々の話題がちょくちょく出ている伊勢湾フェリーですが、この日は混むとまでは言えないものの、そこそこの入りでした。
やっぱりフェリーは平日の稼働率なんでしょうね。
高速道路が整備されてフェリーを有効利用できる地域が狭まったことと、原油高が主な原因でしょうか。
原油は今は安いですが。
伊勢志摩地域の過疎化や、観光地としての衰退なんかもありそうですね。
土曜日というのに、鳥羽水族館周辺もそれほど人は多くなく、鳥羽城への往復ダッシュの際も歩道にほとんど人はいませんでしたから。
小学校は鳥羽に修学旅行に来たんやけどな~
時代の流れを感じますわ(> <)
さて、フェリー内はと言うと、中国本土か台湾かは分かりませんが、中国語を話す人が75%、日本の観光客が10%、釣り人が15%というところだったでしょうか。
中国語を話す人達は甲板船室問わず写真撮りまくり、日本人観光客の人は座席か甲板でまったり、釣り人は来るべき本番の釣りに備えて仮眠といった感じで、色がはっきり分かれてました。
自分は釣りの人達に近い立場なんで、菓子パンで昼飯を摂った後に就寝。
到着のアナウンスまで目が覚めないという爆睡をかましました(笑)
だって朝早かったんやもん。
そら眠いっすわ。
でもこの1時間近くの仮眠はいいですね。
いつもは昼を過ぎると散漫になってダレる時間があるんですが、この日は昼からも元気でした(^^)
うむ。
これは使える!
伊良湖港に到着後、まずは伊良湖岬へ。
港を出てすぐ右折というのは事前に調べて知ってたんですが、「すぐ」がすぐ過ぎた・・・
港の出口とほぼ同じ交差点ですやん。
華麗に直進してしまいましたわ。
でも東方向の国道42号線って海沿いでUターンできる所が無いんですよね。
結局、伊良湖ビューホテルのところまで行ってターンしました。
伊良湖岬は、遊歩道が整備されていて良い感じです。
参観灯台ではないので外から見るだけですが、神島なども見えて曇天ながら風景に趣がありました。
下は恋路ヶ浜。
遠くに見える建物は、Uターンをかました伊良湖ビューホテルですな。
意外と遠くまで走らされたんやな・・・
恋路ヶ浜には、身分違いの恋に落ちた二人が都を追放されてこの場所で暮らしたという伝説があり、恋愛の聖地になっているようです。
でも、結構家族連れも多かったですね。
こちらは灯台からの風景。
写真左の手すりが灯台で、右手に見える船は、乗ってきた伊勢湾フェリーです。
天気が良ければ言う事無かったんですがねぇ
残念!
散策をそこそこに、今回は渥美半島の西岸を北東へ。
南岸をズドンと走るのは、また静岡に行くときの楽しみにとっておこう。
ちょっとだけ走ってもたけどな(笑)
渥美を半島を北東に向かうと、最初の街らしい街は田原です。
田原は城下町で、田原城と言えば、幼い徳川家康を今川家へ送らず、織田家へ送った戸田康光の城というのが一番有名かもしれません。
戸田氏は、三河湾から知多半島の一部まで支配した、海に重きを置く大名で、田原城も直下に海が入り込む城であったようです。
しかし、実際に訪れてみると、近世以降の干拓で全く海は見えませんでした。
海際の城にはよくあることですがね。
城の北側の駐車場から城に入ったんですが、その入口にあたる部分が、一番古城の趣がありました。
石垣の組み合わせや、古井戸なんかもあって、雰囲気が良いですね。
この右手が二ノ丸で、階段を上って左側に本丸、右斜め方向に三ノ丸があります。
まず、本丸にある巴神社。
この神社はすごく綺麗に整えられいて、城跡というのを忘れそうになるほど。
と言っても、縁辺部なんかを細かく見て回ると、本丸の切岸なんかも確認できます。
神社の名前は、巴城や巴江城とも呼ばれた城の別名から来ていますが、その由来は、巴型に海が湾入していたからとのこと。
今の姿からは想像できませんが、特徴のある地形の裏付けでもありますね。
この本丸の西側にあった二ノ丸は、今は博物館の敷地となっています。
白亜の櫓や倉庫風で雰囲気を壊さないように配慮されていますが、建設の際には遺構の破壊があったらしく、やや議論があったようですね。
なかなか城跡の利用というのも難しい。
この二ノ丸から南へ進むと大手門があります。
ここはなかなか雰囲気がよろしい(^^)
そして、丘陵ながら水堀も備えてました。
ここまでが主郭部ですね。
この西の華山会館にも出曲輪という郭があり、本丸の東側にもいくつかの腰曲輪がありましたが、そちらは住宅地になっているようです。
全体的には、こじんまりと纏まった良い城でした(^^)
つづく
参考:
伊良湖岬
田原城
地図付きはこちら
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