フェリーで昼寝、最高!
田原城からは、この辺りは昔は海やったんやろな~と景色を見つつ汐川を渡り、国道259号線へ。
このまま国道を進んで行けば、自動的に次の目的地、三河吉田こと豊橋の市街へと行けます。
国道やと渋滞したりするんかな~なんて思ってましたが、高師緑地辺りの合流で少し渋滞してた以外は、想定よりも車は流れていました。
土地勘が無いので主要国道を行かないというのは難しいですし、渋滞があまり無いというのはありがたいですね。
三河吉田城があるのは、国道259号線が国道1号線と交わる交差点のすぐ東。
久しぶりに見た路面電車に、乗って見たいなとちょっと誘われつつ、国道1号線から適当に左折して城跡の駐車場へ。
休日だからなのか、駐車場はほぼ満車でした。
なかなか市民の憩いの場として活用されているようですね。
三河吉田城は、永正2年(1505)に牧野成時ら今川配下の三河国人衆によって築かれた城とされ、当時は今橋城と呼ばれたようです。
築城後まもなく、城は争奪の的になるのですが、出てくるのが戸田氏、松平氏、今川氏。
宝飯郡まで進出してきた松平氏と、渥美郡に本拠を置く戸田氏、三河を領国化したい今川氏の、ちょうど間にある城でした。
戸田氏、牧野氏なんかがそうですが、この辺りの歴史を辿ると江戸時代の徳川大名が多く登場してて面白いですね。
後に大名となった譜代の家でも、戦国時代はちゃんと国人土豪として面従腹背の行動をしていたりします。
忠誠を賞された三河武士といっても、他の地方と変わりない。
ま、それは置くとして、松平清康が猛烈な勢いで東三河に進出してきた頃に吉田城も攻略され、清康に属した牧田成敏が入り、松平家の支配下に置かれました。
天文4年(1535)の清康の横死後は、しばらくして戸田氏が奪い、同15年(1546)には更に今川氏が奪って三河経営の拠点としています。
更に、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦後は、家康の今川家からの独立によって今川方の最前線となり、同8年(1565)に家康が攻略して酒井忠次を置きました。
当時は、西三河の石川数正と、この東三河の酒井忠次が、松平軍の旗頭であったわけです。
今で言えば、東西の地区司令官といったところでしょうか。
吉田城がどれだけ重要視されていたかが解りますね。
以降、徳川氏の領地である期間が続くのですが、家康の関東入封によって池田輝政が城主となり、近世城に改修されて現在の形となりました。
吉田城のテニスコート横の駐車場にバイクを止めると、ここが既にもう惣堀の内側なんですが、そこから徒歩で中心部へ向かえば、三ノ丸、金柑丸と空堀で区切った郭がすぐ登場してきます。
金柑丸の虎口の土塁は綺麗な形で残っていますね。
下の金柑丸は細長い郭なんですが、この辺りが戦国時代の本丸であったと言われています。
地図を見ると、ちょうど豊川と朝倉川の合流点。
当時は、より川筋に防御力を依存した形だったのでしょう。
そこから少し西に行けば、近世の本丸です。
右奥に見えるのが、天守の代わりをしていたという復興鉄櫓。
中は資料館になっているそうですが、この日は開いてませんでした。
ん~残念。
本丸から川沿いへも通路があります。
吉田城は豊川を背面に背負っていますが、本丸からこうやって川面が見られるというのもいいものですね(^^)
通路を下りると眼前に豊川が。
戦時は防御の要の川ですが、江戸時代は川の風情を愉しんだことでしょう。
川岸には川手櫓という櫓もありました。
ここがその川手櫓跡です。
豊川の奥側に見えてる橋は豊橋?と思ったんですが、地図を確認するとこれは吉田大橋。
地名の元となった豊橋はその向こう側でした。
本丸へ戻って二ノ丸へと足を向けると、大手虎口があります。
この石垣の上に千貫櫓があり、二ノ丸側に冠木門があったようですね。
野面の石垣がいいですな(^^)
吉田城の石垣は、基本は本丸のみで、それ以外は土留めなどの要部のみです。
ただ、この大手虎口の辺りや川沿いは隅部が算木積になっていたりするんですが、北の棗御門の辺りは算木すら曖昧なより古い時代の野面積で、同じ本丸石垣でも時代の差が見受けられました。
川沿いなんかは大水などの影響もあったのか、補修があったんでしょうね。
ここから、更に進むと二ノ丸が公園化されていますが、二ノ丸外側の中堀は無くなっており、平凡な公園という印象です。
二ノ丸の隅櫓だった着到櫓跡がありました。
隅櫓ということは、この撮影している場所あたりに堀があったことになります。
流石に今の景色からは、ちょっとイメージが難しいな(^^;)
でも、街中にある城でこれだけ遺構が残っていれば、かなり満足ですわ。
吉田城の次の目標は、三河湾スカイライン。
吉田城を出て西へ向かい、国道23号線へ。
そして、豊川を渡らず直進して国道23号線バイパスに入り、再び国道23号線へ、と思ったらバイパス降り口過ぎてた(笑)
やっちまった。
止むを得ず小坂井御津I.C.で降りて、よく分からないまま県道を西へ。
なんか抜け道の需要があるらしく、数台の車列の流れに身を任せて進むと三叉路が出てきたので、南へ折れると国道23号線に復帰できました。
めでたしめでたし。
土地勘が無いだけに、流れがあるというのは助かりますわ。
そのまましばらく西進し、西日を浴びる中、渋滞を抜けて国道247号線へ入り、国坂峠方向へ。
この峠付近から、いよいよ三河湾スカイラインへ突入です。
三河湾スカイラインは、元々は観光開発の為の観光道路として開通したらしいですが、今では遠望峰周辺に施設が少し残っている程度のようですな。
道自体も、今では県道化されています。
そのせいなのか、草木がはみ出し放題で、車線端側1m程度がほぼ使えませんでした。
コーナー途中で草の束に当たるとか怖いしな~
地図上のウネウネしたルートから想像したのとは、ちょっと違いましたわ。
コーナー攻めて、途中で木々の合間から三河湾が・・・なんて想像してたんやけど(^^;)
なんか勿体無いねぇ
つづく
参考:
吉田城
三河湾スカイライン
地図付きはこちら
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