2014年7月16日水曜日

なんでも差別にすればいいってもんじゃないよな

特に題名が思い浮かばなかったので、
「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」
的な、文章のような題になってますが(笑)、ツイッターでこういう画像が拡散されてる模様です。

 
少し前のツイートのようですが、なんだかなぁという感じです。
テレビに出るような著名な方が、故意か不作為かは別として、脱税なんてしてる段階で自覚が足り無さ過ぎて自分内では「ない」人なんですがね。
個人的には、差別ってのは個人の努力でどうにもならない理由で区別される事、つまり人種や民族、障碍などで不当な扱いを受ける事だと思うんです。
刺青がそれに当たるか?というと大変に疑問です。
数年前に、義父か母親の交際相手だったかに無理やり刺青を彫られた子供がいたという事件がありましたが、そういう犯罪の例を除いて、基本的には自分の意思で入れているはずなんです。
好きで入れている人は、場所場所で制限を受けることを覚悟の上で入れている方がおられます。
そういう人は、刺青を入れようなんて思わない自分でも、立派だと思うし、尊敬もできます。
また、刺青を見せてはいけない場面ではきちんと隠すなど、周囲に対する配慮も行き届いていることが多いです。
意外とヤクザの方も、ちゃんと長袖を着用して気遣いできる方が多い印象ですね。
堅気の人には迷惑を掛けないっていう昔気質の人もいるんでしょうな。

でも、そういう不利な扱いを覚悟し切れていない人が、チラホラといるようで。
その人にとってはファッションや誇りでも、他人から見れば威圧感を感じることもあります。
そういう威圧感に対する対処で不利な扱いを受ける、そういうのを甘受する覚悟が足りないだけのようにしか見えない。
少し前に須磨で刺青やタトゥーが禁止されましたが、ファッションやからいいやんと言ってた人なんかは特にそう感じますね。
ファッションとして自信を持って貫くなら、それに付属する不都合もしっかり受け止めろと。

1年ぐらい前ですか、北海道か東北か忘れましたが、どこかの外国の少数民族の方が来日して、その方は民族的な風習から全身に刺青を入れていたようですが、温泉施設で入浴を拒否されて残念という話がありました。
これは、民族的なものなので差別のようにも見えますが、これに関しては本質はまた別だと思うんです。
国際交流や異文化交流ってのは、自分の文化のゴリ押しではなく、相手の文化に対する理解だと思うんですよ。
日本人は肉を食べるので、牛肉や豚肉がおしいしいことは知っていますが、それをインドやイスラム圏で同じようにできるか?と考えてもらえれば分かり易いですかね。
日本人にはそういう牛や豚に対して神聖や不浄という考えがないので、外国で食べることは罪にはならないかも知れませんが、間違いなく周囲の人に不快感を与えるでしょう。
特に原理主義的なイスラム国なんかでやった日にゃ、とんでもない目に遭うかもしれません。
でも、とんでもない目に遭っても、大抵の日本人は、そりゃそんなハタ迷惑なことをするからやん、と同情さえしてくれないんじゃないでしょうか。
相手の文化圏に対して無理解なのは明白ですからね。
キリスト教を信仰する欧州人でも、イスラムに行けばスカーフで顔を覆います。
それがイスラム圏では一般的だからです。
日本ではOKだけど外国ではダメ。
その反対もしかり。
そういう事を知る、理解するというのが異文化交流。
「郷に入っては郷に従え」
なんと本質を突いた言葉なんでしょうか。
まぁ実務上の問題で言えば、その少数民族の方を招いた運営側がダメなだけなんですけどね。
温泉施設と言っても全部が全部ダメじゃなくて、緩い所もあるし、家族風呂があるところもあるし、何とでもやりようがあったはず。
そういう実務上の不手際をすり替えて声高に主張されても、ね。
また、その少数民族の方がどう思ったかは分かりませんが、自分の民族の文化を発信する以上、日本人は刺青に対して威圧感を持つという他民族への理解も必要でしょう。
 
話がややズレましたけど、歴史的に見てみれば、日本人と刺青というのは深い繋がりがあります。
なので、自分には刺青自体には特に偏見がありません。
史料から引っ張り出してみると、例えば有名な魏志倭人伝には、倭人男子は皆黥面とあります。
黥(ゲイ)とは刺青のことです。
フォントが小さいと鯨に見えますが(笑)
ちなみに、項羽と劉邦の時代に黥布という武将が出てきますが、元の名は英布で、罪人として刺青を入れられたことから黥布と呼ばれるようになりました。
時代は数百年離れていますが、日本人は皆黥面、つまりは日常で、中国では罪としていれられるもの、という違いがあることが分かります。
中国人から見て自分らと異なる風体だからこそ文献にも残ったわけで、中国にも刺青をする民族はいましたが、中央政権の人達から見れば異風だったわけですね。
一方日本では、刺青には個体識別や呪術的意味など、見解は色々とあるようですが、有史以前から刺青に親和性があったのは間違いないです。
それがいつ頃、威嚇の対象となったのか。
残念ながら、ちょっと調べた限りでは、詳しく説明している資料はありませんでした。
裏付けも何も無い個人的推察としては、江戸時代の前科者に刺青が入れられたこと、漁業なんかの海の男や侠客の間では粋でイナセで威勢が良くて傾(カブ)くのを好んだことから来てるのかな、と。
前科者はもちろん恐れの対象になります。
海の男の場合は、溺死した時に個体を識別するという実用性のほか、命を掛けて漁に出ることから気性が荒く、しかも自己主張が激しい。
その自己主張と傾き者の精神から、多彩な刺青を競い合ったのではないでしょうか。
義侠や侠客もまた同じ。
農民や町民からすれば、自分らの生活圏からは少し離れた人達で時に喧嘩などで物騒なこともする、という認識だったかもしれません。
そして、近代には侠客の流れを引くヤクザ者に受け継がれていったのではないですかね。
やがて時は過ぎ、昭和の時代にはすっかり暴力団の専売特許へ。
その頃は、素人と見分ける実用的な意味もあったんでしょうけどね。
ただ、今は暴力団もボーダーレスの時代で、彫り物をしない暴力団構成員が増えてるかと思えば、一般人でもヤクザ顔負けの凶悪犯罪を起こす輩もいる、そんな時代です。
素人さんには迷惑を掛けないっていう昔気質はどこへやら。

そういえば、小学生の頃に天橋立で泳いでたら、数十人の彫り物の人がいたな~
当時は刺青をした人達程度にしか思わなかったけど、今ならヒビって泳げんわ(笑)
ってか今時はすぐ通報されそう。
思えば大らかな時代でしたな。
昇り龍や鯉なんかを彫った人が、
「よっしゃ、海に泳ぎに行くか!」
「おぉ、ええなぁ!行こうや行こうや!」
なんて爽やかに言ってる場面を想像するとなんだかお茶目です(笑)
 

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