先週24日、裁判員裁判に関して、次のようなニュースがありました。
http://topics.jp.msn.com/flash/article.aspx?articleid=5189522
簡潔に言うと、検察の10年という求刑の1.5倍の懲役刑が裁判員によって出され、最高裁が公平性を考慮して10年と8年に軽減されたという記事です。
まぁ裁判官の話はある程度の説得力があるんですが、ちょっとなんだかなぁという気が。
正直な話、それなら裁判員いらんやん!
という感想はどうしても持ってしまいますね。
そもそも、市民感覚を量刑に反映するというのが目的の制度で、それ以前から裁判官の出す量刑と市民が考える量刑に差があったというのは数々の調査で判明していますが、あとでちゃぶたい返しして結局裁判官の価値観で量刑を出すなら、最初からいらないのでは?という話にも説得力が出てきてしまいます。
実際、自分の身内もニュースを見ながら、いらんやんって言ってたし・・・
確かに、この事件は過去の同様の事件に比べて刑が重いですし、裁判の素人たる裁判員が少数で結論を出すとなると、独特の雰囲気で声の大きい人間が主導してそれに引きずられたり、感情的な判断が出ることも有り得る話でしょう。
求刑の10年に対し、父親を10年としたのも、裁判官の配慮が窺えます。
求刑の年数がそのまま出されることはあまり無いですから。
そして、過去の判例とのバランスも大事です。
でも、裁判員は、人によっては事件の証拠写真でトラウマになるほどの難しい判断を、考えてちゃんと出したと思うんですよ。
加害者の事も被害者の事も、色々考えながら。
幼児虐待が問題になって、幼児への事件は刑が重くなる傾向にはあります。
でもそれは、幼児虐待に対する世間の目が厳しくなってきたという表れではないでしょうか。
それなのに、裁判員制度導入前の、法曹の価値観で出された判例とのバランスを取ろうとすると、市民感覚を取り入れるという目的が無駄になるような気がします。
量刑を軽くするにしても、裁判員があえて求刑より重い量刑を出した、その意思を尊重して欲しかったというのが個人的な思いですね。
この話は、専門家でも両論あるようで、まだまだこれから判例を重ねてほど良い落とし所が見付かってくるとは思いますけど、ちょっと考えさせられる話ですな。
2014年7月28日月曜日
2014年7月22日火曜日
軍師官兵衛のオープニング
相変わらず、地元民として毎週欠かさず軍師官兵衛を見ているわけですが(地元のクセに清盛は見てなかったやないかい!)、毎度毎度、タイトルの最後の方に出てくる滝にどうも見覚えがあると気になってました。
ちょっと特徴のある滝なんですが、どこかで見たことある気がするんやけどな~、と。
最近、開始後半年経って(笑)、ようやく、あの滝やないかい!と閃きました。
名は飛龍の滝。
名前、かっこええな~
ちょっとググってみたら、神戸新聞でも記事になっていました。
http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/201401/0006616822.shtml
かれこれ7年も前になりますが、この滝に行ったことがあります。
その時の写真がこれ。
ちょっと大河ドラマと角度が違いますが、なかなかのお気に入り写真で、パソコンのスクリーンセーバーの写真の1枚になっています。
こっちの正面からの写真の方が、まだ大河ドラマのオープニングに近いかな?
画的には、もう少し右側から、且つもっと接写の位置からのアングルかと思われます。
そして、夜間にプロジェクションマッピングで撮ったそうな。
年間通して使うものだけに、金が掛かっとりますな!
ちなみに、飛龍の滝は3段構成で、2段の小滝もあります。
この滝は、佐用にあります。
そう、もうドラマでは過ぎ去りましたが、上月城の攻防があった辺りです。
この滝から千種川を挟んだ北西の向かいに浅瀬山城があり、更に同じぐらい北西に上月城があります。
秀吉が上月城を攻撃した頃のこの浅瀬山城主は、上月恒織という武将でした。
官兵衛の義姉の夫でドラマにも登場する上月景貞と同じ、赤松庶流の上月氏の一族でしょうな。
当時は、上月城主赤松政範に従っており、恒織は秀吉軍を急襲しますが、返り討ちにあって討死し、その余勢を駆った秀吉軍によって城は陥落したと伝わっています。
今、その浅瀬山城の中腹にあるのは、笹ヶ丘公園と笹ヶ丘荘。
一時、全国に日本一のすべり台というのがたくさん造られた時代がありましたが、笹ヶ丘公園にも一時は日本一のタイトルホルダーだった長いすべり台がありました。
今は老朽化でそれも撤去され、やや短くなったすべり台が設置されてます。
お子様連れにとても楽しい公園となっております。[PR]
歴史好きの大人の方は、笹ヶ丘荘やロッジに泊まって、上月城や浅瀬山城、飛龍の滝などを廻るのもいいものですよ[PR]
でも大人の人がすべり台を滑る時は気をつけて!
調子に乗って滑ってると、尾骨の辺りの皮がヤられるから!!
そのまま温泉に入った日にゃ、沁みて落ち着いて入ってなんていられないからー!!!
参考:
飛龍の滝
浅瀬山城
地図付きはこちらから
ちょっと特徴のある滝なんですが、どこかで見たことある気がするんやけどな~、と。
最近、開始後半年経って(笑)、ようやく、あの滝やないかい!と閃きました。
名は飛龍の滝。
名前、かっこええな~
ちょっとググってみたら、神戸新聞でも記事になっていました。
http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/201401/0006616822.shtml
かれこれ7年も前になりますが、この滝に行ったことがあります。
その時の写真がこれ。
ちょっと大河ドラマと角度が違いますが、なかなかのお気に入り写真で、パソコンのスクリーンセーバーの写真の1枚になっています。
こっちの正面からの写真の方が、まだ大河ドラマのオープニングに近いかな?
画的には、もう少し右側から、且つもっと接写の位置からのアングルかと思われます。
そして、夜間にプロジェクションマッピングで撮ったそうな。
年間通して使うものだけに、金が掛かっとりますな!
ちなみに、飛龍の滝は3段構成で、2段の小滝もあります。
この滝は、佐用にあります。
そう、もうドラマでは過ぎ去りましたが、上月城の攻防があった辺りです。
この滝から千種川を挟んだ北西の向かいに浅瀬山城があり、更に同じぐらい北西に上月城があります。
秀吉が上月城を攻撃した頃のこの浅瀬山城主は、上月恒織という武将でした。
官兵衛の義姉の夫でドラマにも登場する上月景貞と同じ、赤松庶流の上月氏の一族でしょうな。
当時は、上月城主赤松政範に従っており、恒織は秀吉軍を急襲しますが、返り討ちにあって討死し、その余勢を駆った秀吉軍によって城は陥落したと伝わっています。
今、その浅瀬山城の中腹にあるのは、笹ヶ丘公園と笹ヶ丘荘。
一時、全国に日本一のすべり台というのがたくさん造られた時代がありましたが、笹ヶ丘公園にも一時は日本一のタイトルホルダーだった長いすべり台がありました。
今は老朽化でそれも撤去され、やや短くなったすべり台が設置されてます。
お子様連れにとても楽しい公園となっております。[PR]
歴史好きの大人の方は、笹ヶ丘荘やロッジに泊まって、上月城や浅瀬山城、飛龍の滝などを廻るのもいいものですよ[PR]
でも大人の人がすべり台を滑る時は気をつけて!
調子に乗って滑ってると、尾骨の辺りの皮がヤられるから!!
そのまま温泉に入った日にゃ、沁みて落ち着いて入ってなんていられないからー!!!
参考:
飛龍の滝
浅瀬山城
地図付きはこちらから
2014年7月16日水曜日
なんでも差別にすればいいってもんじゃないよな
特に題名が思い浮かばなかったので、
「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」
的な、文章のような題になってますが(笑)、ツイッターでこういう画像が拡散されてる模様です。
少し前のツイートのようですが、なんだかなぁという感じです。
テレビに出るような著名な方が、故意か不作為かは別として、脱税なんてしてる段階で自覚が足り無さ過ぎて自分内では「ない」人なんですがね。
個人的には、差別ってのは個人の努力でどうにもならない理由で区別される事、つまり人種や民族、障碍などで不当な扱いを受ける事だと思うんです。
刺青がそれに当たるか?というと大変に疑問です。
数年前に、義父か母親の交際相手だったかに無理やり刺青を彫られた子供がいたという事件がありましたが、そういう犯罪の例を除いて、基本的には自分の意思で入れているはずなんです。
好きで入れている人は、場所場所で制限を受けることを覚悟の上で入れている方がおられます。
そういう人は、刺青を入れようなんて思わない自分でも、立派だと思うし、尊敬もできます。
また、刺青を見せてはいけない場面ではきちんと隠すなど、周囲に対する配慮も行き届いていることが多いです。
意外とヤクザの方も、ちゃんと長袖を着用して気遣いできる方が多い印象ですね。
堅気の人には迷惑を掛けないっていう昔気質の人もいるんでしょうな。
でも、そういう不利な扱いを覚悟し切れていない人が、チラホラといるようで。
その人にとってはファッションや誇りでも、他人から見れば威圧感を感じることもあります。
そういう威圧感に対する対処で不利な扱いを受ける、そういうのを甘受する覚悟が足りないだけのようにしか見えない。
少し前に須磨で刺青やタトゥーが禁止されましたが、ファッションやからいいやんと言ってた人なんかは特にそう感じますね。
ファッションとして自信を持って貫くなら、それに付属する不都合もしっかり受け止めろと。
1年ぐらい前ですか、北海道か東北か忘れましたが、どこかの外国の少数民族の方が来日して、その方は民族的な風習から全身に刺青を入れていたようですが、温泉施設で入浴を拒否されて残念という話がありました。
これは、民族的なものなので差別のようにも見えますが、これに関しては本質はまた別だと思うんです。
国際交流や異文化交流ってのは、自分の文化のゴリ押しではなく、相手の文化に対する理解だと思うんですよ。
日本人は肉を食べるので、牛肉や豚肉がおしいしいことは知っていますが、それをインドやイスラム圏で同じようにできるか?と考えてもらえれば分かり易いですかね。
日本人にはそういう牛や豚に対して神聖や不浄という考えがないので、外国で食べることは罪にはならないかも知れませんが、間違いなく周囲の人に不快感を与えるでしょう。
特に原理主義的なイスラム国なんかでやった日にゃ、とんでもない目に遭うかもしれません。
でも、とんでもない目に遭っても、大抵の日本人は、そりゃそんなハタ迷惑なことをするからやん、と同情さえしてくれないんじゃないでしょうか。
相手の文化圏に対して無理解なのは明白ですからね。
キリスト教を信仰する欧州人でも、イスラムに行けばスカーフで顔を覆います。
それがイスラム圏では一般的だからです。
日本ではOKだけど外国ではダメ。
その反対もしかり。
そういう事を知る、理解するというのが異文化交流。
「郷に入っては郷に従え」
なんと本質を突いた言葉なんでしょうか。
まぁ実務上の問題で言えば、その少数民族の方を招いた運営側がダメなだけなんですけどね。
温泉施設と言っても全部が全部ダメじゃなくて、緩い所もあるし、家族風呂があるところもあるし、何とでもやりようがあったはず。
そういう実務上の不手際をすり替えて声高に主張されても、ね。
また、その少数民族の方がどう思ったかは分かりませんが、自分の民族の文化を発信する以上、日本人は刺青に対して威圧感を持つという他民族への理解も必要でしょう。
話がややズレましたけど、歴史的に見てみれば、日本人と刺青というのは深い繋がりがあります。
なので、自分には刺青自体には特に偏見がありません。
史料から引っ張り出してみると、例えば有名な魏志倭人伝には、倭人男子は皆黥面とあります。
黥(ゲイ)とは刺青のことです。
フォントが小さいと鯨に見えますが(笑)
ちなみに、項羽と劉邦の時代に黥布という武将が出てきますが、元の名は英布で、罪人として刺青を入れられたことから黥布と呼ばれるようになりました。
時代は数百年離れていますが、日本人は皆黥面、つまりは日常で、中国では罪としていれられるもの、という違いがあることが分かります。
中国人から見て自分らと異なる風体だからこそ文献にも残ったわけで、中国にも刺青をする民族はいましたが、中央政権の人達から見れば異風だったわけですね。
一方日本では、刺青には個体識別や呪術的意味など、見解は色々とあるようですが、有史以前から刺青に親和性があったのは間違いないです。
それがいつ頃、威嚇の対象となったのか。
残念ながら、ちょっと調べた限りでは、詳しく説明している資料はありませんでした。
裏付けも何も無い個人的推察としては、江戸時代の前科者に刺青が入れられたこと、漁業なんかの海の男や侠客の間では粋でイナセで威勢が良くて傾(カブ)くのを好んだことから来てるのかな、と。
前科者はもちろん恐れの対象になります。
海の男の場合は、溺死した時に個体を識別するという実用性のほか、命を掛けて漁に出ることから気性が荒く、しかも自己主張が激しい。
その自己主張と傾き者の精神から、多彩な刺青を競い合ったのではないでしょうか。
義侠や侠客もまた同じ。
農民や町民からすれば、自分らの生活圏からは少し離れた人達で時に喧嘩などで物騒なこともする、という認識だったかもしれません。
そして、近代には侠客の流れを引くヤクザ者に受け継がれていったのではないですかね。
やがて時は過ぎ、昭和の時代にはすっかり暴力団の専売特許へ。
その頃は、素人と見分ける実用的な意味もあったんでしょうけどね。
ただ、今は暴力団もボーダーレスの時代で、彫り物をしない暴力団構成員が増えてるかと思えば、一般人でもヤクザ顔負けの凶悪犯罪を起こす輩もいる、そんな時代です。
素人さんには迷惑を掛けないっていう昔気質はどこへやら。
そういえば、小学生の頃に天橋立で泳いでたら、数十人の彫り物の人がいたな~
当時は刺青をした人達程度にしか思わなかったけど、今ならヒビって泳げんわ(笑)
ってか今時はすぐ通報されそう。
思えば大らかな時代でしたな。
昇り龍や鯉なんかを彫った人が、
「よっしゃ、海に泳ぎに行くか!」
「おぉ、ええなぁ!行こうや行こうや!」
なんて爽やかに言ってる場面を想像するとなんだかお茶目です(笑)
「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」
的な、文章のような題になってますが(笑)、ツイッターでこういう画像が拡散されてる模様です。
テレビに出るような著名な方が、故意か不作為かは別として、脱税なんてしてる段階で自覚が足り無さ過ぎて自分内では「ない」人なんですがね。
個人的には、差別ってのは個人の努力でどうにもならない理由で区別される事、つまり人種や民族、障碍などで不当な扱いを受ける事だと思うんです。
刺青がそれに当たるか?というと大変に疑問です。
数年前に、義父か母親の交際相手だったかに無理やり刺青を彫られた子供がいたという事件がありましたが、そういう犯罪の例を除いて、基本的には自分の意思で入れているはずなんです。
好きで入れている人は、場所場所で制限を受けることを覚悟の上で入れている方がおられます。
そういう人は、刺青を入れようなんて思わない自分でも、立派だと思うし、尊敬もできます。
また、刺青を見せてはいけない場面ではきちんと隠すなど、周囲に対する配慮も行き届いていることが多いです。
意外とヤクザの方も、ちゃんと長袖を着用して気遣いできる方が多い印象ですね。
堅気の人には迷惑を掛けないっていう昔気質の人もいるんでしょうな。
でも、そういう不利な扱いを覚悟し切れていない人が、チラホラといるようで。
その人にとってはファッションや誇りでも、他人から見れば威圧感を感じることもあります。
そういう威圧感に対する対処で不利な扱いを受ける、そういうのを甘受する覚悟が足りないだけのようにしか見えない。
少し前に須磨で刺青やタトゥーが禁止されましたが、ファッションやからいいやんと言ってた人なんかは特にそう感じますね。
ファッションとして自信を持って貫くなら、それに付属する不都合もしっかり受け止めろと。
1年ぐらい前ですか、北海道か東北か忘れましたが、どこかの外国の少数民族の方が来日して、その方は民族的な風習から全身に刺青を入れていたようですが、温泉施設で入浴を拒否されて残念という話がありました。
これは、民族的なものなので差別のようにも見えますが、これに関しては本質はまた別だと思うんです。
国際交流や異文化交流ってのは、自分の文化のゴリ押しではなく、相手の文化に対する理解だと思うんですよ。
日本人は肉を食べるので、牛肉や豚肉がおしいしいことは知っていますが、それをインドやイスラム圏で同じようにできるか?と考えてもらえれば分かり易いですかね。
日本人にはそういう牛や豚に対して神聖や不浄という考えがないので、外国で食べることは罪にはならないかも知れませんが、間違いなく周囲の人に不快感を与えるでしょう。
特に原理主義的なイスラム国なんかでやった日にゃ、とんでもない目に遭うかもしれません。
でも、とんでもない目に遭っても、大抵の日本人は、そりゃそんなハタ迷惑なことをするからやん、と同情さえしてくれないんじゃないでしょうか。
相手の文化圏に対して無理解なのは明白ですからね。
キリスト教を信仰する欧州人でも、イスラムに行けばスカーフで顔を覆います。
それがイスラム圏では一般的だからです。
日本ではOKだけど外国ではダメ。
その反対もしかり。
そういう事を知る、理解するというのが異文化交流。
「郷に入っては郷に従え」
なんと本質を突いた言葉なんでしょうか。
まぁ実務上の問題で言えば、その少数民族の方を招いた運営側がダメなだけなんですけどね。
温泉施設と言っても全部が全部ダメじゃなくて、緩い所もあるし、家族風呂があるところもあるし、何とでもやりようがあったはず。
そういう実務上の不手際をすり替えて声高に主張されても、ね。
また、その少数民族の方がどう思ったかは分かりませんが、自分の民族の文化を発信する以上、日本人は刺青に対して威圧感を持つという他民族への理解も必要でしょう。
話がややズレましたけど、歴史的に見てみれば、日本人と刺青というのは深い繋がりがあります。
なので、自分には刺青自体には特に偏見がありません。
史料から引っ張り出してみると、例えば有名な魏志倭人伝には、倭人男子は皆黥面とあります。
黥(ゲイ)とは刺青のことです。
フォントが小さいと鯨に見えますが(笑)
ちなみに、項羽と劉邦の時代に黥布という武将が出てきますが、元の名は英布で、罪人として刺青を入れられたことから黥布と呼ばれるようになりました。
時代は数百年離れていますが、日本人は皆黥面、つまりは日常で、中国では罪としていれられるもの、という違いがあることが分かります。
中国人から見て自分らと異なる風体だからこそ文献にも残ったわけで、中国にも刺青をする民族はいましたが、中央政権の人達から見れば異風だったわけですね。
一方日本では、刺青には個体識別や呪術的意味など、見解は色々とあるようですが、有史以前から刺青に親和性があったのは間違いないです。
それがいつ頃、威嚇の対象となったのか。
残念ながら、ちょっと調べた限りでは、詳しく説明している資料はありませんでした。
裏付けも何も無い個人的推察としては、江戸時代の前科者に刺青が入れられたこと、漁業なんかの海の男や侠客の間では粋でイナセで威勢が良くて傾(カブ)くのを好んだことから来てるのかな、と。
前科者はもちろん恐れの対象になります。
海の男の場合は、溺死した時に個体を識別するという実用性のほか、命を掛けて漁に出ることから気性が荒く、しかも自己主張が激しい。
その自己主張と傾き者の精神から、多彩な刺青を競い合ったのではないでしょうか。
義侠や侠客もまた同じ。
農民や町民からすれば、自分らの生活圏からは少し離れた人達で時に喧嘩などで物騒なこともする、という認識だったかもしれません。
そして、近代には侠客の流れを引くヤクザ者に受け継がれていったのではないですかね。
やがて時は過ぎ、昭和の時代にはすっかり暴力団の専売特許へ。
その頃は、素人と見分ける実用的な意味もあったんでしょうけどね。
ただ、今は暴力団もボーダーレスの時代で、彫り物をしない暴力団構成員が増えてるかと思えば、一般人でもヤクザ顔負けの凶悪犯罪を起こす輩もいる、そんな時代です。
素人さんには迷惑を掛けないっていう昔気質はどこへやら。
そういえば、小学生の頃に天橋立で泳いでたら、数十人の彫り物の人がいたな~
当時は刺青をした人達程度にしか思わなかったけど、今ならヒビって泳げんわ(笑)
ってか今時はすぐ通報されそう。
思えば大らかな時代でしたな。
昇り龍や鯉なんかを彫った人が、
「よっしゃ、海に泳ぎに行くか!」
「おぉ、ええなぁ!行こうや行こうや!」
なんて爽やかに言ってる場面を想像するとなんだかお茶目です(笑)
2014年7月10日木曜日
あいたい兵庫キャンペーン2014
少し前、たびたび城たび in 兵庫に参加したブロガーの皆様へ、というメールが来ました。
「物語(ドラマ)ちっくに愛したい兵庫・ブロガー旅行記」ブロガー募集のお知らせ、とのことです。
メールの中に、
たびたび城では・・・(中略)・・・1300万PVを・・・
とありました。
俺、めっさ貢献してねぇ・・・
いや、分かってたけども、重々分ってたけども・・・申し訳ない!
こんな落書き帳ブログ、選んで貰って光栄ですなんが、いや~全く貢献できず申し訳ない(苦笑)
でも・・・俺のせいじゃないよね?[壁]‥) チラッ
募集人数少なくなるけど、今年も応募してみようかな?[壁]‥) チラッ
「物語(ドラマ)ちっくに愛したい兵庫・ブロガー旅行記」ブロガー募集のお知らせ、とのことです。
メールの中に、
たびたび城では・・・(中略)・・・1300万PVを・・・
とありました。
俺、めっさ貢献してねぇ・・・
いや、分かってたけども、重々分ってたけども・・・申し訳ない!
こんな落書き帳ブログ、選んで貰って光栄ですなんが、いや~全く貢献できず申し訳ない(苦笑)
でも・・・俺のせいじゃないよね?[壁]‥) チラッ
募集人数少なくなるけど、今年も応募してみようかな?[壁]‥) チラッ
2014年7月3日木曜日
地方議員の方々
昨今、地方議会が何やら騒々しいようで、都議会の野次が問題になったかと思えば、我が兵庫県議会でも、西宮市選出の野々村竜太郎県議の政務活動費について、色々と話題なってますな。
都議会の問題は、議会の自浄作用の無さを曝け出してまでわざわざ外国人記者クラブで記者会見するほどの事か?と思わなくもないですが、地方議会や国会を問わず、野次が多いというのも情けない話です。
1年生議員は、野次も仕事の内ではありますが、一応先生と呼ばれる人が集まる場なので、もう少し品格を持ったやり方はないのか?とは思いますね。
まぁ低劣な言葉で野次る方も野次る方ですが、今回は被害者とは言え、野次られる方も野次られる方で、過去の言動を見ると、なんでこんな人が当選したん?と思わずにはいられません。
都民でもないので、局外から見てますが、正にどっちもどっち・・・
しかし、もっと情けないのが、我が兵庫県の議員さん。
昨日、釈明記者会見の動画を見ましたが、
あれは何?
文字起こしなんかされた日にゃ、腹筋破壊力が半端ない。
どう見てもネタとしか思えん(笑)
いや、笑ってる場合ではないですけども・・・
記者に突っ込まれて、もう泣くしかないと開き直ったんやろなぁ
あそこで泣けるのは、政治家ではなく政治屋としてはそこそこ有能なのかもしれん(苦笑)
しかし、地方議員ともなると、ある程度の組織票を固めた者勝ちという側面があって、なんでこんな人が、的な議員さんも割りと居るという認識ができたのは良かったのかもしれませんね。
野々村議員に関しては、日本維新の会とは関係ない西宮維新の会という政治団体を立ち上げているので、その名前に騙された人も多かったんかな?
代議制の間接民主主義である以上、選んだ住民の責任ももちろんありますので、肝に銘じておかなければ。
ここが大事だと思います。
民主党政権の時もそうでしたが、政治を批判する人は多いけど、その人達は自分達が選んだという事実を都合良く忘れている人が多い。
政治家の失策は、選んだ自分達の失策でもあるのです。
だからあの人に投票しなかったんだ、ということは言えますが、選挙に参加する以上、自分が投票した人でなくても結果に責任は生じるということは、忘れてはダメですね。
しかし、東を見ても、西を見ても、情けなや情けなや・・・
都議会の問題は、議会の自浄作用の無さを曝け出してまでわざわざ外国人記者クラブで記者会見するほどの事か?と思わなくもないですが、地方議会や国会を問わず、野次が多いというのも情けない話です。
1年生議員は、野次も仕事の内ではありますが、一応先生と呼ばれる人が集まる場なので、もう少し品格を持ったやり方はないのか?とは思いますね。
まぁ低劣な言葉で野次る方も野次る方ですが、今回は被害者とは言え、野次られる方も野次られる方で、過去の言動を見ると、なんでこんな人が当選したん?と思わずにはいられません。
都民でもないので、局外から見てますが、正にどっちもどっち・・・
しかし、もっと情けないのが、我が兵庫県の議員さん。
昨日、釈明記者会見の動画を見ましたが、
あれは何?
文字起こしなんかされた日にゃ、腹筋破壊力が半端ない。
どう見てもネタとしか思えん(笑)
いや、笑ってる場合ではないですけども・・・
記者に突っ込まれて、もう泣くしかないと開き直ったんやろなぁ
あそこで泣けるのは、政治家ではなく政治屋としてはそこそこ有能なのかもしれん(苦笑)
しかし、地方議員ともなると、ある程度の組織票を固めた者勝ちという側面があって、なんでこんな人が、的な議員さんも割りと居るという認識ができたのは良かったのかもしれませんね。
野々村議員に関しては、日本維新の会とは関係ない西宮維新の会という政治団体を立ち上げているので、その名前に騙された人も多かったんかな?
代議制の間接民主主義である以上、選んだ住民の責任ももちろんありますので、肝に銘じておかなければ。
ここが大事だと思います。
民主党政権の時もそうでしたが、政治を批判する人は多いけど、その人達は自分達が選んだという事実を都合良く忘れている人が多い。
政治家の失策は、選んだ自分達の失策でもあるのです。
だからあの人に投票しなかったんだ、ということは言えますが、選挙に参加する以上、自分が投票した人でなくても結果に責任は生じるということは、忘れてはダメですね。
しかし、東を見ても、西を見ても、情けなや情けなや・・・
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