2018年3月8日木曜日

オリンピックの後で

オリンピックは、平和の祭典です。
外交的に厳しい関係にある国同士も、オリンピック期間中は融和ムードがなんとなく醸し出されることが多いですが、オリンピックで流れを堰止めするようなところもあり、オリンピック後に外交が動き出す事がありますね。
前回の冬季オリンピックであるソチオリンピックの後は、ロシアがウクライナに侵攻しました。
これは開催国だから特にそのタイミングになったというのもあったんですが、今回も開催国と開催国の隣国でそれが起きましたね。
北朝鮮は、今年に入ってから急速に融和モードに入り、オリンピックと韓国をテコに表面上は譲歩してきました。
表のNo.2をオリンピックに派遣したばかりか、裏のNo.2とも言える、肉親の妹も外交担当者として派遣し、カードを切ってきましたわけです。
そして今回の条件。
体制保障と引き換えの核放棄、そして下手をすれば軍事行動に繋がりかねない米韓軍事演習への理解。
表面上は、以前では考えられない方針の転換に写ります。
一方、トランプ米大統領は、これまでの歴代政権による米朝交渉を教訓として捉えており、圧力は徹底して掛けるという姿勢で、上の条件が出ても圧力を緩和する姿勢は見せていません。
この経済制裁がかなり効いているのかも知れませんが、そこは瀬戸際外交と微笑み外交を駆使する北朝鮮、苦しくても色々と外交的な策は練っているかと思われます。
北朝鮮の真意がどこにあるのか、しばらくは注意して見ていきたいですね。
 

2018年3月5日月曜日

飛騨富山ツーリング その4

前回のあらすじ
 
郡上八幡でゲットしたキュウリの輪切りは、自らのケツで皮を剥いてしまいましたとさ。
 
お腹が満たされた和良を出発し、引き続き国道256号線を東へ。
トンネルを2本ほど抜けると、国道41号線へと突き当たります。
濃尾平野から飛騨方面へは、国道156号線と41号線が出ており、これに長野方面の国道19号線を合わせて、綺麗に放射状に3本の道が延びているんですが、これでその西側の2本の間の山道を走破したことになりますね。
今でこそ、こんなに簡単に山越えが可能ですが、人力馬力の昔は大変だったと思います。
それこそ山ひとつで文化圏が変わるほどに。
道具の進歩というのは凄いですな。
そんな感慨に耽りつつ、しばし国道41号線を走って行くと、いよいよ下呂市街が近付いてきました。
この温泉街には、有名な露天風呂があります。
その名は、噴泉池。
ここに入るのも、今回の旅の目標です。
下呂市街地に入り、駐車場にバイクを止め、いざ噴泉池へ。
噴泉池は下呂大橋のすぐ下にあります。
 
 
写真では見えませんが、橋のすぐ下はこんな感じ。
 
 
風呂は、橋だけじゃなく、宿からも丸見え。
 
 
まさに衆人監視。
でもそんなの関係ねぇ!
どっぷり浸かってやるぜ!
しかし、実際に噴泉池に来て分かったことが・・・
めっっっちゃあぢぃ・・・
下呂温泉の源泉温度は高い!
そして、この噴泉池の岩風呂の岩が黒系なんですわ。
晴れて5月の陽光が厳しいこの日、岩風呂の岩は真夏の海岸の砂浜に匹敵するほどの高熱となっていました。
裸足になって、熱っ、熱っと慌てて駆けて足を湯船に突っ込んでみると、これがもう熱湯風呂のごとき熱さ。
なんの罰ゲーム?
10秒と浸けていられない。
浸けても熱し、歩いても熱し!
結果、岩風呂に腰掛けて、足だけ上げて空中で冷ますという妙な体勢に(笑)
ここは、寒い冬か、今頃の季節なら夜に来なあかんねぇ
ちなみに、入る気満々で水着で来たカップルがいまして、男性は自分と同じく軽く浸けてギブアップのような感じでしたが、熱い熱いと言いながら女性の方はがっつり上半身まで浸かってました(^^;)
いや~、覚悟を決めたらやっぱり女性の方が痛みや熱さには強いんやなぁ
結局、自分は浸かるのを諦めて、近くの幸乃湯という銭湯兼旅館で浸からせてもらいました。
いや~銭湯料金で露天風呂も味わえたし、なかなか良かったですな(^^)
 
この下呂という街には、歴史的に重要なもうひとつの側面があります。
戦国時代に飛騨を統一した、姉小路こと三木氏が興った土地なんですね。
下呂という名前は、「シモツトマリ」であった下留が音読みされたところから来ているらしいですが、下があれば上があり、場所によっては中もあるということで、中呂、上呂という地名もあります。
その中呂と上呂の間に萩原の集落がありまして、この萩原が三木氏の根拠地だったわけですな。
ここから北へ北へと勢力を伸ばして、飛騨を統一したわけです。
その本拠となる城は、桜洞城と呼ばれました。
桜洞。
なんだか風流な名前ですね。
そして、この萩原地区には、三木氏滅亡後に支配拠点として築かれた萩原諏訪城という城もあります。
位置的には、萩原諏訪城の方が南にあるので、まずは萩原諏訪城から訪れてみました。
萩原諏訪城は、諏訪神社が元々あったことから諏訪城という名が付けられていますが、廃城後の江戸時代に諏訪神社が戻ってきており、城跡は境内地となっています。
でも、石垣はしっかり野面積。
川原石の丸石が川沿いの城らしくていいですね。
 
 
続いて北東側の隅部。
ここは2段石垣のようになってまいすね。
 

 
消えかけの説明板。
 
 
東側から境内へ。
どうもこの橋は往時には無く、後で付け足されたようです。
 
 
この橋の左右にも、しっかりと石垣が残っていました。
 
 
ただ、隅部が丸い場所は後世の改変でしょうな。
境内を過ぎて、神社の表参道に向かうと、立派な内堀がありました。
 
 
そして、神社を表の鳥居付近から。
 
 
神社には裏口があるんですが、そこには桝形の痕跡がありました。
 
 
途中で階段として左に折れて行ってますが、右側の石垣は奥まで真っすぐ続いており、往時はもっとかっちり動線が曲げられていたんでしょうね。
なかなか、しっかりと石垣が残る良い城でした。
 
次は、三木氏の本拠だった桜洞城へ。
桜洞城は、萩原諏訪城から北へすぐの場所にあります。
距離にして500mほど。
桜谷公園というのがありまして、そこにバイクを止めて、南の小川を渡って崖上に上がるとすぐ城でした。
 
 
桜洞城は、廃城時期が早かったのもあって、現在残っている遺構は少なくなってしまってますね。
取りあえず、この標柱から奥へ進むとまず空堀と土橋が。
 
 
判りにくいですが、右側が石垣付きの土橋で、左が空堀となっています。
更に奥へ進むと、石垣の痕跡がありました。
 
 
ぐり石のような石や、それよりやや大きい石材が散乱していますね。
この土壇上に上ると、逆L字型の空堀が明確に確認できます。
 
 
ここが桜洞城の最大の見所でしょう。
城のすぐ下には高山本線が通っていますが、鉄路開削の際にも削られたようですし、この遺構が残っているだけ幸運なのかもしれません。
 
つづく
 
参考:
地図付きはこちら
 

2018年2月28日水曜日

飛騨富山ツーリング その3

前回のあらすじ
 
集中工事は手強い!
早起きはもっと手強いんじゃ!!
 
木越城の登城で、郡上八幡のひとつ目の目標を達成し、踵を返して郡上八幡市街へと戻ります。
木越城への往路は国道156号線で行ったので、復路は同じ道もなんだかな、ということでその対岸の県道で南下したんですが、これがなかなかの快走路で気持ち良かった(^^)
川沿いを縫って走るのはツーリングの、いや、この辺りの川沿いの道である飛騨路や木曽路の醍醐味ですな。
そんなこんなで郡上八幡I.C.近くまで戻り、長良川を渡って国道へ。
そして、国道から郡上八幡トンネルを抜けて市街地へと入って行きます。
このトンネルももう何度目か?
遠い場所なのに不思議とよく通ってるもんだ。
郡上八幡市街での目標は、郡上八幡博覧館なんですが、平日にもかかわらず市街地には観光客の姿が多かったですな。
そのほとんどがサングラスを掛けている東洋人で、中国か韓国の観光客なんでしょう。
神戸は外国人観光客に人気薄なんでそんなに感じないですけど、こういう観光地に来ると、外国人観光客の増加を肌で感じます。
勝手知ったるというか、すでに3度目の郡上八幡博覧館には迷うことなく到着したんですが、ここも出口に外国人観光客がたくさんいました。
もの珍し気にバイクを見守られる中、妙なプレッシャーを受けつつ立ちゴケなどしないように慎重に止め、博覧館のお土産コーナーへ。
ここはここで、遠足か修学旅行かは不明ながら小学6年生か中学生ぐらいの一団がいて、買い物しにくかったです(^^;)
それらの波がひとしきり去った後、落ち着いて食品サンプルのキーホルダーを眺め、今回の車のキーホルダーはキュウリの輪切りにしました。
 
 
目標達成!
ただ、キュウリの輪切りは、帰った後に1週間ほどで尻に敷いてしまった為に、早くも緑の皮の一部が剥がれてしまいました。
そして今では上のような状態に・・・
ま、前の車の鍵のキーホルダーだったソーセージも、最後は肌色で一部だけが赤い棒状の物になってましたがね(笑)
ともかく、ソーセージに比べると、輪切りだけに耐久力はかなり少なかったようですな。
 
郡上八幡での目標を達成したので、次は山越えで下呂温泉へ向かいます。
ただ、その途中に気になっていた赤谷山城の手掛かりが得られないかと、国道256号線を通らず、南側の県道を抜ける事にしました。
この県道沿いに赤谷オートキャンプ場というのがあるので、地名的な繋がりで・・・ということなんですが、結局、全くもって手掛かりはありませんでしたね。
残念。
せめて山並みだけでも・・・
 
 
赤谷山城というのは、前回出てきた、遠藤氏に下剋上されたくさい東氏の居城です。
最初はもっと北の篠脇城が本拠だったのですが、戦乱の進行でより堅固な赤谷山城へと居城を移しました。
ただ、赤谷山城には別名があって、郡上八幡城にあった説明板には東殿山城とあり、また、東氏が本拠とする前にも犬啼山城というのがあったようで、場所も微妙に違うようです。
この辺り、文献によってやや異同はあるようですが、今では東氏没落時の城は赤谷山城とするのが一般的のようですね。
ともかく、遠藤氏は八幡山に陣を敷いて赤谷山城を攻め、東氏を追い、八幡山に新たに居城を築きました。
それが八幡城で、郡上八幡の地名の起こりとなるわけです。
しかし、なんとか手掛かりだけでも欲しかったですな・・・
しょうがない、また来るとしよう。
 
下呂へは、県道と赤谷山の東で合流する国道256号線で東へ東へ。
途中、ちょうど昼時となったので、和良の運動公園で昼食を摂りました。
注文したのは唐揚定食。
 
 
この唐揚定食がアタリで、とてもジューシーでボリュームがありました。
かなり美味しかったです。
店員さんが調理も含めて2人しかいなかったので、注文も配膳も遅かったのが玉に瑕ですが、普段はこんなにお客さんが集中することは無いんやろなぁ
お客さんが結構いましたからねしょうがないかな。
それと、この運動公園、開放型の屋根付きコートがあり、凄く設備が整っていましたね。
びっくりしました。
なんかこんな山間なのに、色々と記憶に残る場所でしたね。
 
つづく
 
参考:
郡上八幡博覧館
赤谷山城
郡上八幡城
地図付きはこちら
 

2018年2月22日木曜日

飛騨富山ツーリング その2

前回のあらすじ
 
阪神高速で市内を突っ切るのも意外とイケるもんだ。
 
石山まで進んで迎えた2日目。
名神高速の集中工事による渋滞が予想される中、早起きすべきところだったんですが、ある程度進んだという油断からか、6時過ぎに起きたものの、ダラダラ・・・
結局、出発は7時を過ぎていました。
昨年に泊まった時と同様、石山寺を見ながら北上して瀬田の唐橋を渡り、瀬田東I.C.から名神高速へと入ります。
どこまでスムーズに行けるか・・・と思いつつ進んで行くと、早くも栗東I.C.の2kmほど手前から渋滞。
そこから渋滞を抜けるのに40分ぐらいかかりました。
その後も断続的に工事個所が出てくるので、時々渋滞にハマり、最後は木曽川の上で大渋滞。
東海北陸道に入るまでが長い・・・
ある程度、覚悟していたとは言え、なかなかしんどかったですわ。
早よ起きて出ろよ!
って話ですが(^^;)
東海北陸道に入ってからは快調そのもので、まずは目指す郡上八幡へ。
記憶にあった道程よりも長かったですが、10時前に到着しました。
郡上八幡は何度か来ているんですが、今回の目標としては2点。
ひとつは、以前に来た時に行きそびれていた木越城へ行くことです。
もうひとつは料理サンプルのキーホルダーを買う事。
前のウインナーはずっと車の鍵に付けてて、いつの間にやら樹脂の地肌が見えるほどとなり、最後は金具の部分から抜けて行方不明になってしまいました。
今回、車が新しくなったので、改めて鍵に付けるものを買おうという魂胆です。
 
まずは、ひとつ目の目標である木越城へ。
木越城は、郡上八幡市街から北西数kmの城で、近世遠藤氏の発祥の城とも言われますね。
系図では、斎藤妙椿との歌合戦で知られる英主東常縁の庶子盛胤が築き、その流れが近世遠藤氏とされています。
ただ、この盛胤さんは一次史料に出てこない上、東氏の出でありながら遠藤姓を名乗っているわけですな。
そして、近世遠藤氏は東氏の家臣でありながら主君を打倒する形で大名になっているわけです。
んん?
なんか怪しい香りがしますな。
遠藤姓については、庶子が母方の姓を名乗るのは珍しくない事だとしても、東氏打倒については、その状況がこれまた怪しい。
時の東家当主常慶は、子常堯が粗暴であることから娘婿である遠藤盛数に家督を譲ろうと思っていたといいます。
一方、子の常堯には盛数の兄胤縁の娘を迎えようとしていました。
家督についてはともかく、ここまではそれほど問題ありません。
遠藤兄弟は常慶からかなり重用されていたようですし、有力家臣との縁組は当たり前ですからね。
しかし、胤縁は、常堯の粗暴さから娘を他家に輿入れさせてしまうのです。
これを常堯は恨みました。
そして、胤縁の登城の日を狙って暗殺してしまったのです。
これに怒った盛数は弔いの兵を挙げました。
この辺りも、まだ大丈夫。
それほど不自然ではないと思います。
問題はここから。
弔いの兵を挙げた盛数は、今の八幡城がある八幡山に陣を敷き、東殿山城(赤谷山城)を攻撃しました。
そして、常慶は討死し、常堯は城から逃れて東氏は没落してしまうのです。
・・・なんかおかしくね?
盛数の舅かつ嫡子を差し置いて家督継承を考えるほど好意的であったはずの常慶が討死し、肝心の常堯は逃れているわけです。
家督継承を考えていたなら、常堯の問題が表面化した時点で盛数側に立って常堯の追放なんてことをやってもよさそうな気がするんですがね。
時ここに至っては・・・という心境や状況があったのかもしれませんが、なんか筋がすっきりしないんですよ。
弔い合戦を機に下剋上しました(^^)テヘ
ぐらい開き直られたら解り易いんやけどなぁ
 
ま、それはともかく、木越城。
城への登山道は、国道の反対側、つまり長良川の西岸にあります。
金松館という料理旅館のすぐ脇から山へ入るのですが、麓には休憩スペースが整備されていました。
有り難い事ですね。
立派な説明板もあります。
 
 
説明板には、盛数の事はほんの少しで、八幡藩初代藩主となった子の慶隆と、その妹で山内一豊の妻である見性院という説が有力になっている女性の話が書かれていました。
世間的には、そっちの方が知名度があるんでしょうね。
この説明板がある休憩スペースから、いよいよ山へと入ります。
そして、しばらく行くと、中腹に割と大きな削平地がありました。
 
 
往時は居住スペースとして使われたんでしょうか。
全部で3段ほどあります。
一部には石垣の痕跡も。
 
 
ちょっとブレてるのはご愛敬(^^;)
ここから更に少し登ると、頂上の主郭部に到達しますが、主郭部付近には、石垣の痕跡と思われるグリ石や大き目の石材が散乱していました。
丸い川原石なので、周囲と明らかに雰囲気が違って解り易いですね。
 
 
そして、頂上に到着。
主郭部の最高部から1段下がった場所に城址碑が。
 
 
そして最高部。
 
 
ものの見事に藪・・・
頂上の主郭部は、最後部を中心に南側に1段、北側に4段の削平地がほぼ一直線に並ぶ構造で、典型的な中世的な山城という感じでしたね。
ただ、登山道入口が整備されていただけに、少しもったいない気がする城でした。
 
つづく
 
参考:
木越城
滋賀の地図付きはこちら
岐阜の地図付きはこちら
 

2018年2月16日金曜日

飛騨富山ツーリング その1

今年の冬は、なんだかいつもの年より寒波の数が多い上に強く、寒いですな。
その割に風邪を引かないという・・・
体が寒さに対抗しようと強くなったんですかね。
不思議なもんだ。
平均気温的には、低温は底を打ってこれから暖かくなり、またツーリングのシーズンがやってくるわけですが、そういえば昨年のツーリング紀行を書いてなかったなと思い出しまして。
昨年の春のツーリングは良かったですわ。
前乗り含めて4日確保できて、4日とも晴れて、最高でした!
ただ、秋はまさかの10月末2週連続台風直撃という事態に妨害されましたがね・・・
ま、そんなこんなで、2017年春のツーリング記録です。
 
春のツーリングは、日没時間の関係から東方向に旅立つと決めているんですが、今回は、幾度か行きながら城関係はさっぱりという飛騨と、15年ほど前に行った時に未到達や未発見が多かった富山に行くことにしました。
なんせ3日も確保できましたからね。
ちょっとは遠出しないと(^^)
この3日を有効に使う為に、木曜は取りあえず滋賀まで進んでおくことにしました。
宿は、前回、古いながらなかなか良かった石山南郷温泉のつぼた屋を確保。
また岩風呂が空いてるといいんやけど・・・と願いながら19:30に出発です。
これまでは、阪神高速北神戸線から中国道を通って名神高速か、もしくは阪神高速神戸線から直接名神高速に入って大阪を抜けることが多かったんですが、今回は名神高速が集中工事ということで、阪神高速で大阪市内を突き抜け、近畿道を経由して第二京阪から京滋賀バイパスへ抜けるルートを採りました。
阪神高速を金曜の夜に走るのは、交通量もあってあまり心地の良いもんじゃないんですけど、思ったよりは空いてて快適でしたね。
予定通り、神戸線から環状線、東大阪線と辿って大阪城のライトアップを見つつ東進し、東大阪JCTから近畿道に入って少し北上。
門真JCTからは、第二京阪道へと辿って行きます。
この近畿道の区間は、大型車が非常に多く、名神高速の集中工事による迂回の影響でしょうか。
ただ、混み合ったのはその区間ぐらいで、第二京阪に入って以降はスイスイ。
第二京阪は道も広いですしね。
そのまま京滋バイパスで石山まで走り、石山I.C.出てすぐのコンビニに着いたのは21:15。
集中工事の影響がどれだけ出るか心配でしたが、快調そのものでした。
コンビニで朝ご飯を買った後は、瀬田川沿いを南下。
ただ、前に地図を買った本屋はもう無くなっていました。
雑貨まで色々なものを置いてて経営努力をしてる感じだったんですが、本屋の経営というのは今は非常に厳しいものですね。
少し寂しい気持ちになりながら、つぼた屋に着いたのは21:30を少し過ぎた頃。
勝手知ったるとばかりにチェックインと支払いを済ませ、風呂の用意をして岩風呂を覗いてみると、幸いにも空いてました。
良かった良かった(^^)
温泉で疲れを癒せたし、明日からはガンガン走るぜ!
 
つづく
 
参考:
石山南郷温泉
地図付きはこちら
 

2018年2月13日火曜日

ピョンチャンオリンピック開幕

ピョンチャンオリンピックが開幕しましたね。
スポーツは政治と別とは建前では言いますが、すごく政治的な匂いの強いオリンピックとなっています。
ピョンヤンオリンピックと揶揄されるほどに。
北朝鮮No.2の金永南氏や金一族で金正恩の妹与正氏の派遣。
政治的な象徴を持たされたアイスホッケー南北合同チーム。
ペンス副大統領と金永南氏の同席を画策した文在寅韓国大統領の画策と失敗。
各国代表の会談。
小さなネタは挙げればキリがないほどで、上に挙げた政治的イベントがオリンピックと同時並行で発生しているんですから、本来主役であるはずの選手もちょっと可哀想ですね。
しかも、強風で競技が延期や短縮される状況にもなっており、気温も低いので体調管理が大変。
元々、平昌や他の会場付近が厳しい環境だったのか、それとも今年の寒波によるものなのかは知りませんが、4年に1回のことなんやから、政治的な駆け引きよりも、もう少し本来の競技の運用の方に力を入れて欲しいんですがね。
何とかならなかったんでしょうか。
特にスノーボードでは強風によって練習でも怪我が続発しているようで、同じような条件となる屋外競技は、無事に終わって欲しいものです。
選手にとっては、せっかくの夢の舞台なんですからね。
 

2018年2月6日火曜日

沖縄名護市長選

一昨日の2/4に名護市長選挙がありました。
国政の補選でも都道府県知事選でもありませんが、基地関連ということで注目された選挙だったようです。
その裏では、知事選で与党がそつなく勝利を収めていたんですが、そちらはあまり報じられませんでしたね。
相変わらず与党の政策に対してそれほど大きな不満が無いという裏返しということになるんでしょう。
つまりは、特に情勢の変化も無いわけで、ニューストピックとしては軽かったわけですな。
 
話を名護市長選に戻すと、辺野古への基地移設推進派の渡具知氏が当選する結果となりました。
ただ、他地方から見れば基地という側面で捉えがちですが、移設反対一辺倒で市民に身近な行政の実績が上がっていない稲嶺氏と、推進派というよりはそれらの本来的な行政を重視した渡具知氏の対決だったように思います。
ちょうど時期ではあるんですが、今年から日本ハムファイターズがキャンプ地を外したというのもあり、失われる経済効果をどう補うかという問題も少なからずあるのでしょう。
ただ、個人的に注目したいのは、出口調査の精度。
すべてのメディアをチェックしたわけではありませんが、NHKの出口調査では、元記事はもう消えてしまっていてbingのキャッシュしかありませんが、稲嶺氏が優勢と報じています。
 
NHK記事のキャッシュ
 
また、共同通信の出口調査では、横一線という報道でしたね。
共同通信の1次ソースは見ていませんが、共同通信の配信データを使って報じた各メディアは下のような同様の表現でした。
 
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26516210U8A200C1I00000/
 
ところがところが、蓋を開けてみると、
・渡具知氏 20389票
・稲嶺氏  16931票
という選挙結果に。
有効投票数37320票に対し、差は9%強にもなっています。
共同通信でほぼ1割、NHKに至っては恐らく1.5割から2割程度も票を読み違えていたことになりますな。
予測としては、全く使えない精度です。
イギリスのブレグジットやアメリカの大統領選挙で外した既存メディア凋落の流れが、ここ日本でも明確に顕れてきているようですね。
日本では、まだまだレガシーメディアへの信頼は高いようですが、こんなことが続けば、いずれアメリカのように6人に1人程度しか信頼していない状況になるのも近いかもしれません。