2024年3月24日日曜日

ぶらり吉川

今年の3月は、何かと寒の戻りが多くて寒い日が多いですが、そろそろ気持ちよく走れる気候になってきました。
そういえば、去年のGWに三木市東部の吉川へぶらりと行った時の事を、少しまとめましょう。
吉川は、ヨシカワではなくヨカワと読みますが、中国道の吉川I.C.があるので、中国道なんかをよく使う人は読める地名ですね。
かつては独立した町でしたが、平成の大合併で三木氏と合併し、今は三木市吉川町となっています。
その吉川町へ、GWの暖かい気候に誘われて、目的地も設定せず、ぶらりとツーリングしてきました。
 
西神戸から吉川方向へ向かうと、必然的に呑吐ダム経由で国道428号線の岩谷峠を越えるルートとなるんですが、今回もそのルートで心地よくワインディング味わいます。
ただし、この岩谷峠は走り屋さんも多い道で、よく取り締まりをやっている道なんですね。
なので、速度は超過しないよう慎重に。
岩谷峠のピークを過ぎ、急激な下り坂を下ると、かつて宿場町だった淡河の町が見えてきます。
左手の谷筋を挟んだ台地には淡河城。
いつもの風景ですね。
吉川へ行くためには、この淡河からさらにもうひと山越えることになります。
今度は峠と言うほどの道ではなく、だらだらと上り、だらだらと下る道で、突き当りは中国道の吉川I.C.へと出るんですが、今回は、吉川I.C.へと出る前に、気になっていた交差点で左折しました。
あとで確認してみると、県道354号線という道でしたね。
この道、意外と曲がっていく車が多くて、どこへの近道になっているのかと、ちょっと気になっていました。
通ってみると、吉川のグラウンドや体育館があったり、時々視界も開けていて、なかなか気持ちの良い道。
いい道を知りました。
最後は長々と下って吉川高校の脇を過ぎ、吉川町渡瀬の集落へと出ます。
集落から渡瀬橋の所まで出ると、見えるのが中国道と県道17号線の文字。
そうか、東条に抜ける道か。
東条や加東から神戸市街に抜ける下道は、これが最短ルートなんですね。
納得。
自分は、東条へ抜けずに県道20号線で三木方向へと向かいます。
吉川の入口である口吉川を過ぎ、三木と呼ばれる範囲に入ったところで、お腹が空いたので昼休憩。
コンビニでサンドイッチを買って、コンビニ裏の木陰で食べました。
なかなか雰囲気のある木陰で、ゆったりした気分になれましたね。
 
 
お腹が落ち着いた所で、ちょうど藤原惺窩生誕地という案内をすぐ近くに見つけ、場所を把握しました。
三木市の細川という場所ですね。
この場所は貴族の冷泉家の領地で、惺窩の家族は領地を維持するために京から下ってきていたんですが、三木城の別所氏の攻撃で落城し、領地は失われました。
惺窩は、この生まれ故郷に帰ることなく京で暮らし、儒教を極め、弟子として林羅山など高名な儒者を輩出していますが、一説に、戦国の世の無情を感じ、学究に没頭したとも言われていますね。
通称ではなく、あえて藤原という姓を名乗った事に、その機微が顕れているのかもしれません。
その惺窩の父や兄が守った細川城へ。
細川城は、川が削った河岸段丘と思われる台地の突端にあります。
 
 
居館跡には、惺窩の生誕地碑と惺窩の立像がありました。
 
 
後世に開墾されているので、全体像はあいまいですが、小豪族の居館城郭らしく、屋敷地を防衛拠点化した館だったかと思われます。
突端の少しの崖を防御力の中核として、台地側は空堀を穿って内部と外部を区画する、そんな居館だったんではないでしょうか。
惺窩がこの城に居たのは7~8歳までのようですが、生まれ故郷でありながら、父や兄が討たれた無情の地でもあるこの場所に、長じてからどんな思いを抱いていたんでしょうかね。
 
参考:
 


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