2023年4月16日日曜日

ぶらり備前西部 その1

昨年秋。
宮崎フェリーの新造船にまだ乗っていないので、今年の秋は宮崎やな!と待ち構えていたんですが、確保した5連休の天気予報は・・・
晴 雨 雨 雨 晴
ありえへん!
〇●●●〇って、列を取り損ねた下手くそなオセロやん。
最終的には、晴曇雨曇晴にはなったんですが、前日まで予報が変わらないとか、怖くて予約できんわ!
というわけで、やむを得ず、今年は日帰り2発で我慢することにしました。
 
目指したのは、こんな日帰りのために残しておいた三石城。
全盛期には播磨、備前、美作を支配していた赤松氏の大番頭とも言うべき、守護代浦上氏の居城です。
城は、播磨と備前を総覧すべく、国境の船坂峠近くに築かれていました。
岡山と播磨は、ほぼそのまま県境となっていますから、城の位置は簡単に分かりますね。
おまけに三石駅もあります。
そして、山陽道の備前I.C.からも近い。
バッチリですね(^^)
 
気持ちの良い晴れの中、いつものように国道2号バイパスを使って竜野まで進み、山陽道へ。
そして備前I.C.から国道2号線を少し戻り、三石駅前へ向かいます。
城へ登る前に、コンビニでおにぎりでも腹に入れとくか、なんて思いながら走っていましたが、国道2号線にも三石駅前にも、残念ながらコンビニが存在しませんでした(T T)
駅の周辺には、麓から登る登山道と、やや離れた車道の案内が出ており、城まではどちらでも迷い無く行けそうです。
今回はバイクで上るので、駅のやや東から深谷の滝方向へ向かい、滝近くの深谷公園の横を過ぎてさらに奥へ。
しばらく進むと、三石城の案内と、左折する道が出てきました。
左折すると、急坂をどんどんと上っていく道になりますが、途中からは落ち葉が盛りだくさん。
滑るか滑らないか心配しながら進んで行くと、駐車場に到着しました。
駐車場には説明板がありました。
 
 
ここから歩いて三石城を目指すわけですが、この駐車場は三石城のある山とほぼ同高ながら、峰が2つばかり離れたところにあるため、ちょっと歩かないといけません。
峰なので、アップダウンがあるのですが、途中、木々が無く日光を直に浴びる時間があるので、暑かったですね。
こうして、三石城の出丸である鶯丸に到着。
 
 
鶯丸は、主郭部から大堀切で隔てられた隣の峰で、単独の削平地ではなく、段郭を持っており、そこにも土塁や空堀の痕跡がありました。
鶯丸から下ると、主郭部と区画かる大堀切があります。
 
 
そして、大堀切は主郭部下の横堀となり、その横には土塁が延々と続いていました。
 
 
ここから主郭部へ登ると、直接本丸に出ることができます。
下は本丸最上段の中心部。
 
 
本丸には案内板がありました。
 
 
縄張図も。
 
 
本丸は3段構成です。
東の2段目から撮ると最上段との差が判りますね。
 
 
さらに3段目から。
 
 
本丸の南西には二ノ丸が続きます。
 
 
二ノ丸の先には、細長い三ノ丸と、その下段には同じく細長い馬場がありました。
 
 
馬場を戻ると、大手門の上に出ます。
大手門は石垣で造られていました。
 
 
この大手門を入ったところには、同線を遮る目隠しがあります。
ぱっと見は土塁に見えたんですが、裏側に回ると石垣で造られていました。
その先は、大堀切から続く土塁に繋がっており、横堀は堀底道としてつかわれたようですね。
また、写真では判りにくいですが、大手門に至る登城道も動線が曲げられていました。
この上は馬場や主郭部になるので、大手門を攻める時には、幾層かの郭が前方頭上に待ち構えることになります。
城の存在した時代からすると鉄砲はまだですが、矢や石礫が雨のように降ってきたでしょうね。
 
 
戦国時代末期に差し掛かろうという頃に廃城になっていますから、規模はそこまで巨大化していませんが、さすが守護代の城ですね。
きちんと整えられたという感が強い城でした。
 
つづく
 
参考:三石城
 

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