2022年10月7日金曜日

時政追放

鎌倉殿の13人で、ついに時政が追放されましたね。
この辺り、義時の影響力が急に強くなる感じで、キツネに摘ままれたような感さえ少しあるんですが、史実は時としてそういう展開をしますな。
大河ドラマでは、時政はそれほど上昇志向の強くない人物として描かれ、妻のりくが焚き付ける形で権力を握っていきました。
ただ、ある程度はっきりしている史実を追っていくと、時政は非常にリスク選好的な人物だったように思いますね。
初期の頼朝陣営では、対立していたとは言え、上総氏や千葉氏の一門が軍を抜いて動員兵力を誇っており、次いで三浦氏一門や土肥氏などの中村一党といった相模の諸氏が続きます。
伊豆の豪族は総じて勢力が大きくなかったのですが、それは最大勢力の伊東氏が平家方で、大庭氏がいた相模も似たような感じでした。
これら相模伊豆の諸氏の中でも、さらに北条氏は零細とも言えるほどの身代で、それが頼朝の外戚となったわけですから、えらいこっちゃです。
ま、最初はさすがに時政も反対したようですが、政子の情熱に引き摺られるようにして、やってみるかと腹を括ったんでしょうな。
最悪の場合、伊豆の最大勢力であった伊東氏に摺り潰される可能性もあったわけですから、乾坤一擲の勝負でした。
いや、それどころか、ギャンブルに近いものがあったんじゃないでしょうかね。
一方で、頼朝もリスク選好型の人間と言えるでしょう。
伊豆の最大勢力である伊東氏に嫌われたという側面はあるものの、新たに支持勢力となってくれる妻の実家が零細勢力なわけですから、なかなかスタートから厳しい。
ところが、石橋山の戦いで案の定、惨敗してしまうものの、頼朝は房総の豪族を配下に引き入れ、勢力を大きくして富士川で鮮やかに平家軍を破るわけです。
時政も頼朝も、それはそれは分の悪い勝負に勝った。
ギャンブラーの面目躍如ですな。
その後の話は、頼朝にしても時政にしても、それほど大事な話ではないような気がします。
勢いに乗る、という事はそういう事。
現代でもそうですが、創業者というのは、どこかで伸るか反るかのギャンブル的な勝負をしています。
信長の桶狭間、元就の有田中井手、厳島なんかもそうですね。
大きく成長させるきっかけとして、ギリギリの勝負が時に必要になる。
でも、そこまでリスク全振りで勝負できるというのも、創業者の資質のひとつなんでしょう。
上昇志向が行き過ぎて退場に追い込まれた史実の時政とは違う、好々爺的な時政を見ながら、そんなことを思いました。
 

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