2020年10月15日木曜日

日本学術会議

ここしばらく、日本学術会議の任命拒否問題に関する報道が多いですね。

自分も、2017年に「軍事的安全保障研究に関する声明」というのが新聞に掲載されていた為に名前は知っていましたが、どのような活動をしているかまでは知りませんでした。

色々と論はあっていいし、そうやって組織は改めてられて行くもんだと思いますが、政府側と会議側のどちらが正しいか、という問題では無さそうです。

強いて言えば、長年の歪が噴出したな、という感じですかね。

まず、国民のひとりとして思うのは、特別とは言え公務員であるわけだし、選挙と言う国民の選択を受けた結果の先に成立している内閣と総理大臣が任命拒否できないというシステムは、建付け的におかしいと感じますな。

憲法15条に、公務員の選定及び罷免は国民の権利と規定されていますし、日本学術会議は内閣府の組織のひとつなんですから。

選挙の結果で誕生した内閣と総理大臣すらアンタッチャブルとなると、非常に気味の悪い組織という事になります。

かつての統帥権がそうであったように、どこからも掣肘されないというのは、よろしくない結果を生むことが多いですしね。

実際、昭和の頃の学術会議は選挙制でしたが、自浄作用は失われていたようで、色々とお問題があったことがいくつかの本に残っています。

少なくとも、任命の問題で掣肘されないことを望むなら、他の先進国のように自費運営に舵を切るべきだとは思いますね。

次に、初期の頃に学問の自由を侵害などという主張がありましたが、これには非常に違和感を感じますな。

学問をやめろなんて誰も言ってないわけで、大学でも在野でも学問はできるわけです。

しかも、学術会議内で研究をするわけでもない。

学術会議に推薦されるほどの学者が口にするには、あまりにも幼稚な論ですね。

しかも、どちらかと言えば、会議側が出した声明が陰に陽に圧力となっているようで、この問題が報道されて以降、実際の現場の方や研究者の方がブログ等で実態を書かれています。

現在の研究は、軍と民の境界線があいまいになってきており、インターネットやGPSなど、軍の研究から民に下りてきたものも多い。

そういう世情の中、イデオロギー的な主張を声明に入れたりするのは、ちょっと時代に合わなくなってきていると思いますね。

個人的には、任命拒否された学者の方を見てもイデオロギー色が濃すぎるので、現状のまま続くにしても民営化するにしても、任命に関してはフィギュアスケートの採点のような形式にしてもらいたいなと思っています。

フィギュアスケートの採点は、最高評価と最低評価は除外されて中道的な評価がされますが、学術会議の任命も、イデオロギー的に左右の極端な人を除外して、中道的な学者を任命して頂きたいですね。

学者の方それぞれに、当然ながら思想はあって良いのですが、妙な政治力を振りかざして学術会議の役割の本質を曲げるような人はご遠慮頂きたい、というのが率直な感想ですな。

 


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