先日、身内に法事がありまして、その家の宗派が浄土宗だったんですが、ウチは現世利益の色が濃い商人御用達の法華宗なので、それと比べて色々と作法が違って面白かったですね。
その法事では、お坊さんから日常勤行式次第という本が配られ、中身は偈とか礼とか請と呼ばれるものが解りやすく書かれていました。
研究者じゃないので詳しくは知らないですが、偈は自らの表明など、礼はそのまま形式的な挨拶のようなもの、請もそのままお願いというような感じでしょうか。
法事は、それに沿ってみんなで唱しながら進んでいったんですが、普段の、ほぼ聞いてるだけのウチの法事と勝手が違って、新鮮でした。
この日常勤行式というのは、浄土宗では日々の御勤めのことらしいですが、恐らく浄土宗が宗派として確立していく間に、色々足されたり引かれたりして今の形になったと思われ、興味深かったですね。
漢文と和文、それぞれ特徴があり、浄土宗について書かれたものや、大師の御言葉、日々の心得など、哲学的な事から日常に近い所まで非常に幅が広く、何となく文章が成立した頃の雰囲気まで伝わるようでした。
漢文は五言、七言で、残念ながらスラスラと読むような技術は持ち合わせていませんが、漢字にリズムがあり、読みながら漢字の意味を追っていくだけでなかなか面白かったですね。
現代でも使われている熟語に親近感を覚えたり、更にその読みが違うかったり、聞き覚えはあるけどめったに聞くことが無い熟語なんかも出てきて、面白かった。
一方の和文は、それこそ成立した頃の空気をダイレクトに反映しているようで、こちらは言葉が生々しかったですね。
当然、現代とは言葉遣いが違いますから、サラッと聞くと呪文化しているんですが、成立した当時はもちろんそれが生きた言葉で、迷いや苦悩を抱えた信徒には響いたことでしょう。
これに加え、金物の鋭く単調な音と焼香の臭い。
一種のトランス状態へ向かわせる舞台照明ですな。
葬式仏教と言えども、宗教はやっぱり宗教なんですね。
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