2020年7月19日日曜日

鹿児島熊本ツーリング その13

前回のあらすじ
 
メインターゲットである古麓城を攻略!
 
古麓城を後にして向かうは麦島城。
八代城は、2001年に行っていますから、麦島城を攻略すれば、室町・戦国時代の古麓城、安土桃山時代の麦島城、そして江戸時代の八代城と、八代の支配拠点だった3城を制覇したことになります。
麦島城は、麦島の中洲にある城で、古麓城からは至近ですね。
古麓城へと辿った道を戻らず、球磨川沿いに出て土手道を走って行くと、左手に見えるのが麦島の中洲。
国道3号線に入って、そのまま流れに任せて橋を渡れば、もう麦島です。
そのままズバリの麦島交差点を西に折れ、麦島の真ん中あたりまで進むと麦島城跡なんですが、残念ながら道沿いに表示は無いので、キリシタン殉教者列福記念公園を目印に、住宅地の中へ突入。
これ、車では絶対通れない細い道ですね。
バイクで良かった(^^)
すると、住宅地の中に青々とした芝生が綺麗な公園がありました。
 
 
記念公園にバイクを止め、少し南に行くと、天守台跡とされる小山があります。
 
 
縄張図によれば、この天守台跡は、当時の北半分ほどが残っているみたいですね。
ここに、城址碑と説明板もありました。
 
  
説明板の拡大。
 
 
もうひとつの説明板。
 
 
麦島城は、部分的に発掘調査がされていて、説明板によれば、石垣なども八代古城館で見られるとのこと。
ちょっと見てみたかったんですが、この時にはもう13時過ぎ。
宿を予約しているのが阿蘇の向こう側の原鶴温泉ですから、ちょっと時間が足りない。
例によって例のごとく、どうやらちゃんと昼ご飯を食べてる時間も無さそうです。
うむ、先を急ごう。
 
麦島城から、県道42号線で前川を北に渡ったんですが、八代の支配者が重要視した外港徳淵津は、この橋の真下、前川の位置にありました。
中世から江戸時代初期までは入り江で、その後の細川氏時代に前川が開削され、球磨川の支流の一部になったんですね。
それと同時に麦島が分離されて、島になったというわけです。
ただ、中世に湊として整備されるよりはるか前は、氾濫時には水が流れる流路なんかがあって、厳密な半島ではなかったように思うんですよね。
麦島自体も平坦な中洲ですし、徳淵がなぜあのような細長い入り江だったのかを考えると、球磨川の、恐らく時代によっていくつか存在した古い流路のひとつだったと考えたほうがすっきりします。
球磨川が湾曲しているが故に、その部分に土砂が溜まって流路が変わり、その跡が徳淵の入り江になった、といったところでしょうか。
あくまでも完全な推測ですが(笑)
前川の橋を渡って北に行くと、八代城が右手に見えてきますね。
麦島城も今の八代城こと松江城も、徳淵の南北に位置しており、経済重視の近世城です。
徳淵津の繁栄は無くなってしまいましたが、この2つの城を考える上で、徳淵津は切っても切れない関係なんですね。
 
さて、懐かしい八代城の石垣を右手に見ながら、県道14号線へと入り、そのまま北東方向へ。
スマホの地図を見ていると、この県道14号線が旧国道3号線だったような雰囲気ですね。
県道14号線をしばらく進み、九州新幹線をくぐった所で適当に右折。
千丁という変わった地名に興味を抱きながら、千丁駅の横から東へ抜けて国道3号線へ。
そして、国道443号線から阿蘇方向へ進んで行きます。
この400番台国道は、川沿いでなかなか気持ち良かったですね。
やっぱりツーリングはこうでなくっちゃ。
国道218号線で出たところで、交通量もちょっと多くなったので、コンビニでサンドイッチの昼食を摂り、国道218号線から今度は国道445号線へと入って行きます。
そして、国道445号線が緑川を跨ぐ霊台橋で写真撮影。
 
 
江戸時代にこんな橋を架けるなんて、凄いですな。
パッと見ただけでは、明治から大正ぐらい架けられたんかな?というぐらい精度が高く、モダンな仕上がりになっています。
ちなみに、橋上はこんな感じ。
 
 
今の国道鉄橋がすぐ横を通っています。
 
 
この霊台橋も、2001年に予備知識も無く休憩しているんですが、ちゃんとした写真が無かったんですよね。
ミッション達成ですわ。
しかし、記憶力の交代が激しい今日この頃、写真は記録と言う意味で非常に大事ですな(^^;)
 
つづく
 
参考:
麦島城
霊台橋
地図付きはこちら
 

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