2020年6月25日木曜日

鹿児島熊本ツーリング その12

前回のあらすじ
 
鹿児島さようなら。熊本こんにちは。
 
水俣城を後にして、国道3号線を進んで行くと、数km先に津奈木という小さな町があります。
17年前、この津奈木駅前の公衆電話から旅館に電話をし、湯の児温泉でなんとか宿を確保したことを思い出しますな。
あの当時は、携帯からインターネットは辛うじてできましたが、予約できる宿なんてほとんど無く、長旅をしている身の上では、ほど近い場所まで行ってのタウンページが頼りでした。
人生で一番テレホンカードを使った期間だったかもしれません(笑)
その頃のテレホンカードがまだ2000円分ぐらい残っているんですが、このスマホの時代にどうしたもんでしょうか・・・
という脱線はほどほどにして、この津奈木という小さな町にも城がありました。
17年前は、目標とはしていなかったんですが、通りすがりに案内表示を見て、指し示されるまま山道を上って行ったわけです。
しかし、その時は城跡の公園が工事中ということで、立ち入り禁止になってました。
今回はそのリベンジ。
遠い記憶を辿り、確か国道3号線の熊本側に案内があったはず・・・と思いながら走ってみると、南九州道ができた影響で、記憶の景色とは全く違っており、ちょっと混乱しました。
南九州道まで走って明らかに通り過ぎてしまったので、Uターンし、戻ってくると、当時の記憶のままの案内表示があり、「おぅコレコレ」と、そこから細い山道を上って行きます。
結構な距離でしたが、ウネウネとした山道を上って行くと、舞鶴城公園へと到着しました。
17年前は工事中でしたが、その工事でかなり綺麗に整備されていますね。
当時は倒れていた説明板も、今は新しくなり、写真なんかもあって分かりやすくなっています。
 
 
案内板を見ると、津奈木城は本丸と二ノ丸という2区画がある城の模様。
ただ、これだけ両区画が離れていると、本丸と二ノ丸という言い方は似合わないですね。
南九州らしく○○城と呼んだ方が、相応しいかもしれません。
舞鶴城公園は本丸の直下の削平地で、恐らく物見台としても使われていたであろう写真の重盤岩と本丸との間を繋ぐ場所であり、城番なんかの居住区画として使われたのかもしれませんね。
 
 
駐車場にバイクを止め、本丸へ登ると、本丸はざっと2段構成のシンプルな郭でした。
まず下段から上段方向を撮影。
 
 
次に上段のテレビ塔。
 
 
一番初期の城郭は、この2段だけだったのかもしれませんね。
本丸から東方向の眺望。
視界が開けています。
 
 
この他、公園入口付近には、明確な堀切も残っていました。
ただ、二ノ丸と呼ばれる別区画への道は無いようで、そこだけは残念でしたね。
案内図を見る限りでは、複数の段を重ねた中世山城らしい技巧的な構造のよう。
もしかすると、本丸一帯の郭と、二ノ丸と呼ばれる郭では、築城時期が違うのかもしれませんね。
 
津奈木でリベンジを無事に果たしましたが、早くもいつものようにちょっと時間がヤバくなってきました。
丁度、というか狙い通り、津奈木の町のすぐ北には南九州道の津奈木I.C.があり、八代南I.C.まで時間短縮。
そこから国道3号線に入り、肥後高田駅前から妙に直線的な道をスルっと抜けて国道219号線へ。
この肥後高田駅前から北東方向に延びる直線的な道は、旧国道か何かだったんですかね。
妙に真っすぐで妙に流れが良い道でした。
成り立ちが気になるところです。
スマホの地図を眺めていると、次の古麓城へ行くには、球磨川を少し遡った所にある橋から行くのが最も近そうなので、国道219号線で球磨川を少し遡ったんですが、橋があるはずの所に見えてきたのは、
遥拝堰!
橋ちゃうんかい!
スマホに道っぽく写ってるのに、道ちゃうんかい!!
ということで急いでUターン。
国道219号線で球磨川を渡って国道3号線を経由し、旧市街を抜け、春光寺と古麓稲荷神社の間を上って駐車場へようやく辿り着きました。
時間のロスは最小だったはず(^^;)
今回のツーリングの目玉でもある古麓城。
中学生ぐらいの頃に、「なんて読むねんこの城」が城を知った切っ掛けでしたが、歴史を調べてみると、肥後南部のとても重要な城ということが分かり、いつか来たいと思っていたんですね。
いよいよその時が来ました。
駐車場には案内板もあり、城に来た気分を盛り上げてくれますね。
 
 
古麓城は、歴史上では7つの城があり、それらを総称しての名前です。
登山道が通じている新城は、比較的新しい時期に築かれた城で、大きな湊町であった八代を支配した相良氏によって築城されました。
この新城のある峰にいくつかの城が築かれていますが、南西側の谷を挟んだ峰にも飯盛城と呼ばれる区画があり、ここが名和氏が築いた最初期の城と言われています。
新城を中心とする区画の各城の位置関係を示したのが下の鳥瞰図。
実に広大ですな。
 
 
さて、駐車場から整った道をしばらく行くと、いよいよ登城の山道へと入って行きます。
その入口にも説明板が。
 
 
この登山道は、かつては石畳だったようです。
大手だったんでしょうか。
 
 
途中、段郭を横目に見ながら登って行くと、突然という感じで新城の下段に着きました。
ここはなかなか広い郭で、新城の上段の北側を半周する感じで削平されています。
広さからすると、居住空間として使われたのかも知れませんね。
 
 
下段から切岸を直登するような急階段を登ると、新城上段です。
 
 
ここからは八代、かつての徳淵津が見下ろせました。
写真ではあまり見えていませんが・・・
 
 
新城にも案内板があります。
これが一番、案内板としては解りやすかったですね。
 
 
新城を下って北東方向には、細長い郭と大きな堀切があります。
ここにも説明の杭が建てられていました。
 
 
堀切の上には橋が架けられており、その上から堀切がよく見えます。
 
 
いや~念願の古麓城攻略ですな。
ただ、新城以外の城への案内が皆無だったのがちょっと残念でしたね。
等高線のある地図もありましたが、丸山城は新城を始めとする郭群からやや独立していて、古麓稲荷社あたりから南へ入るような感じです。
最初期の飯盛城はもっと離れていて、城下町だったにべ谷のにべ神社辺りから登山道へ入れるのかも知れません。
今回は時間の関係で新城だけでしたが、いつかまた再訪して他の6城を散策してみたいですな。
 
つづく
 
参考
津奈木城
古麓城
地図付きはこちら
 

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